生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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大アフリカに宗教史上空前の奇蹟・・・(その四) (584) |
- 日時:2013年03月23日 (土) 10時35分
名前:ハスの華
大アフリカに宗教史上空前の奇蹟・・・(その四)
<<(つづき)・・・私は、その人はきっと魂の父に違いないと感じていた。
夢に現れるその人は、常にもの静かにやさしく、しかし威厳ある態度で私に教えてくれた。
その魂の父がいつも私に語ってくれた言葉があった。
それは「人間は神の子である」と言う事だった。
その言葉の真理を会得したとき、私は悦びに溢れじっとしていられなくなって戸外へ飛び出して大声で叫んでいた。
「人間は神の子だ、罪は無いんだ、悪いことは何も無いんだ!」気がついた時には十人位の人が私の周りに集まっていた。
なおも私が真理の言葉を叫んでいると人数は次第に増えていった。
これが私の伝道の初めである。
その後も私は夢の聖者の導きのままに真理を語り、そして信徒の数は殖え奇蹟はどんどん生まれていった。
だからアフリカの十三万を超える信徒の数も、多くの奇蹟も私のしたことではなく、すべて夢の中の聖者の仕事なのである。
私は、魂の父が自分を訪れることの意味を知りたいと激しく願った。
なぜ彼は私に現れるのだろう?
その聖者のことを知るために私はアメリカへ三度行き、英国、ドイツ、イタリアへも行った。
ルルドの聖泉を訪れ、シナイ山へ登り、ヨルダン川に身を没し、インドのヒマラヤを訪れた。私は真理を捜し求めた。
1961年(昭和36年)になって、私は組織的運動を開始した。聖者の言葉に従っていると、食物も資金も自然に集まって来た。しかし私の心は、真理に飢え渇きつづけていた。
1974年(昭和49年)私はガーナの首都アクラの街を歩いていた。用事があったので私は急いでいた。
或る書店の前を通り掛かったとき、ふと私は何か強い力が自分を引き止めるのを感じた。
私は用事を思い出し、そのまま歩き過ぎようと思った。
しかし、その力は益々強く私を引き戻そうとした。私は無視することが出来なかった。
書店へ入ると、私は引き付けられるように一冊の本を手に取った。本の扉を開きそこに一枚の肖像写真を見出した時、私は驚き狂喜して叫び声を上げた。
「先生は生きておられる!この世におられるのだ!夢の中の聖者は生きておられるのだ!何と嬉しいことだ!私のお父さんとは谷口雅春博士だったのだ!」
私はすぐにその本を買って帰り、その晩一気に読み上げた。・・・>>(つづく)
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