生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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谷口雅春先生は他宗教の人々に優しく寛大であった (7828) |
- 日時:2018年12月25日 (火) 09時12分
名前:Angel77
どこかの宗教団体に所属している人に・・・ 日本において、どこかの宗教団体に所属しているか、またはその団体の僧侶・牧師などの職に
ある人にお尋ねしたいことがあります。前項の所属しているか…云々は一般信者をさしています。
私は、今日までいろいろな宗教団体の方とお会いし長いお付き合いをさせていただいたことが
ありますが、最近思うことですが、その所属されておられる宗教団体の戒律や教理・経典を語る
以前の問題になやむことが多かったです。
具体的に述べると、その教団・教理が排他的な要素を持ちこの教理・経典に忠実でかなり排他的に
なっておられる方とは、あまりお付き合いは長続きしませんでした。なぜなら、お話したり
親交をあたためようとしても、人間としてのマナーや優しさに欠ける方が多かったことです。
私は、宗教の違いや経典教理の違いには寛大に接して来ました。この態度を所属している宗教団
体の聖職者や役職者は快く思わず露骨に批判する方もおられましたが、そういう方とは長く
深くディスカッションしたり親交を温めることもしませんでした。
なぜなら、こうした人間性や優しさ、他の人々にたいする慈しみや、いたわりの気持ちがなく
経典に縛られて薄れている人は、一般の宗教団体に所属していない人たちよりも、別な側面から
見ると、人々に対する愛情が低く別な表現をすると自己中心的な利己的な人に見られる場合が
多いからです。
そういう訳で人と接するときはその人が、どの宗教に所属しているか、どういう教祖の元に
日常の生活を営んでいるかなどは、まったく考慮せず私は、対象となる人を見る視点は
一般の宗教団体に所属していない人と差別は一切せず、先入観も持たず接しています。
このおかげで、どの宗教団体に所属している人でも結構親密に接している場合もあるし
日常の生活の上でも、差別的な視点は持たず、常に人として優しいか否か、他の人々に対する
愛と慈しみの心をどの程度持たれているか…のみに視点を向けて接しています。
この視点での交わりで失望したり、親交が薄れたことはなく、こうした姿勢で異教徒の人々と
接することが間違っていないと確信している今日この頃です・・・。
「幸福の楽園」(趣味のホームページ 主幹 Angel77)
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