生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
「雅宣教」(今の教え)の根本的間違い――それは、雅宣総裁が“現象”の立場に立って「今の教え」を構築していることである! <事例 7> (585) |
- 日時:2013年03月23日 (土) 12時24分
名前:画龍点睛
開祖・谷口雅春先生の『御教え』と「雅宣教」といわれる「今の教え」との根本的相違点は何処にあるのか? それは一言で言えば――
開祖・谷口雅春先生の『御教え』は、「實相」という観点から説かれているのであります。しかし、雅宣総裁は、講習会では生長の家の教えの基本は「唯神實相・唯心所現」とは概論としては説明しておりますが、個別的なことがらに関しては、實相の観点からではなく“現象”の観点から、“現象=実在”という理解の上に立って論じているのであります。この点が「雅宣教」(今の教え)の根本的誤謬であります。以下、個々の事例によってこのことを確認いたします。
/////////////////////////////////////////////////////////////
<事例 7> 「天壌無窮の御神勅」と「即位建都の大詔」について
毎年、「雅宣(自称)総裁」は、2月4日の建国記念日式典挨拶で“日本建国の精神と理想”について語るけれども、全く開祖・谷口雅春先生の『御教え』から外れた内容であります。
然らばどこが間違っているかといえば、「雅宣(自称)総裁」は、日本建国の“理念”からの話をせず、日本建国の理想は「ウソを言わないこと」と「人と自然との共生の精神」つまり<神・自然・人間の大調和>にあるとするのであります。
全くのコジツケ解釈であります。そして、「八紘為宇」は侵略思想だからと愛国心を否定し、左翼的世界市民思想による世界平和を強調するのであります。このように語るのが「雅宣(自称)総裁」の言う現代という時代に合った“理性的解説”なのでありましょう。
しかし、彼は形而上的な意味での“理念”と言う事が全く理解できていないのでありますから、實相の立場に立った「日本建国の理念」を説く能力に欠け、説くことができないので、彼の左様思想の立場からの現象的意味での「建国精神」を語るしか仕方がないのであります。
これでは、「生長の家」の『御教え』を継承する者としては完全な失格でありまして評価点数を付けるのであれば完全な“零点”であるのであります。だから、雅宣氏は自称だけの継承者に過ぎず、正確にいえば「雅宣(自称)総裁」または「雅宣教・総裁」であります。
私たち生長の家信徒たる者、正しく「日本建国の理想と精神」は天照大御神の「天壌無窮の御神勅」と神武天皇の「即位建都の大詔」に集約表現されていることを自覚する必要があります。このことが判らずしては真の生長の家信徒と称する事はできないのであります。
○○○ 天照大御神の「天壌無窮の御神勅」
「豊葦原の千九百秋の瑞穂の国は、是れ我が子孫の王たるべき地なり。宜しくいまし皇孫ゆきて治らせ。さきくませ。宝祚の隆えまさんこと当に天壌とともに極まりなかるべし」 ○○○
○○○ 神武天皇の「即位建都の大詔」
「上は乾霊の国を授け給いし徳に答え、下は即ち皇孫正に養い給いし心を弘めむ。しかし然して後に六合を兼ねて都を開き八紘をおおいて宇となさんこと亦可からずや」。 ○○○
實相の立場より日本国家を見る時には、上記二つの理念の天降り(現象顕現)によって地上に顕わされた“神定国家”であり、決して人民と人民との契約によって出来た“人造国家”(契約国家)ではないのであります。實相世界の根本構図(神意)が具現化した国家であり、このことに日本国民は限りない歓びと誇りを感じてその理念実現に努力する事が「日本國實相顕現運動」なのであります。
實相世界の根本構図(神意)を「無の関門」を透過して把握せられたのは開祖・谷口雅春先生であり、次のように述べられているのであります。
<< 大日本国体の尊厳無比、宇宙の実相と同体にして久遠無窮なる事実・・・大日本国家は因縁仮和合の国家ではない・・・私は『無』の門関を超えて、釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである。>> (『無門関解釈』第六則「世尊拈花」の公案解釈P.70−72)
<< 金剛不壊の世界・蓮華蔵世界・・・私は此の世界を直接見たのである。直接触れたのである。絶対実在の絶対認識である。その絶対実在の世界は決して無常の『空』なる世界ではなく、金剛不壊にして、『実』なる世界なのである。>>(『驀進日本の心と力』P.133)
この様なわけでありまして、「雅宣(自称)総裁」の説く所は、正しい生長の家の『御教え』から見ると完全に間違っているのであります。「雅宣教」として独立して貰わねばならないのであります。
-
|
|