生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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コピペ 村上正邦氏のブログより(※現在このブログは存在しません) (7852)
日時:2024年02月01日 (木) 10時53分
名前:本音の時代

現在、日本では人工中絶によって、一日に二千人もの命が失われています。この事実を知っている人はまずおられないでしょう。厚労省の発表した二〇一三年の人工中絶の数は約二十万人を超えています。
 
 しかし、専門家に言わせれば、申告せず、闇から闇へ葬り去られている生命は、この公式統計の三倍から五倍はあるとの事です。つまり、日本では人工中絶によって毎日二千人以上の生命が失われているのです。
 国家として実に恥ずべきことであり、我が国は各国から「堕胎天国」と蔑まされています。
 母体保護法では、経済的な理由での人工中絶を認める条文が入っています。この条文によって、この世に生を享けた数限りない胎児の命が、闇から闇に葬られてきました。敗戦後の混乱期には何と年間五百万もの命が人工中絶によって失われました。近年は経済的理由ではない理由によっても夥しい数の中絶が行われています。
 
 つまり、我が国は「生命を尊重」する国ではない、ということです。これこそが、現代日本の抱える国家的大問題であるということを、私は声を大にして訴えたい。そして、母体保護法を改正して、経済的理由で認めてきた人工中絶をなくすべきなのです。
 我が国が「生命を尊重」する国に生まれ変わりさえすれば、結果として、危機が叫ばれる少子化による人口減少を克服できる道が啓けると確信しています。
 私は政治家を志し、生長の家の谷口雅春先生に師事しましたが、この時、私は二つの使命を果たそうと心に誓いました。
 それは、憲法改正と優生保護法(現在は母体保護法と名称が変更された)改正です。
 私は昭和五十五年の衆参ダブル選挙に出馬、初当選しましたが、この時、恩師谷口雅春先生から「優生保護法改正の先駆となれ!聖使命の松明を掲げて進め!」との御使命をいただきました。その時、谷口先生から戴いた御手紙を額に入れて、今も事務所に掲げています。以下に記します。
  住之大神宣り給ふ 
  汝はわが愛する御子
  われ汝に使命を授く
  往きこと年間三百万人の胎児を救ふべきぞ
  かくて日本人の業浄まらん
  然るとき天岩戸開かれ 
  天照大神の御霊出御せられて
  日本国の実相あらはれん

 
 谷口先生は当初から、優生保護法の核心をズバリと衝かれ「中絶は一種の殺人行為である。法律はこれを許しても、神の世界では決して許されない」と断じておられたのです。
 初当選から二年後、参院予算委で優生保護法改正について、当時の鈴木善幸総理に質問したのをはじめ、自民党内でも積極的に優生保護法改正の気運を作るべく遮二無二活動しました。しかし、野党ではなく、政権与党であった自民党内での強烈な反対にあったのです。自民党の最大の圧力団体である武見太郎氏が率いる日本医師会が優生保護法改正に強く反対していたからです。
 参院自民党幹事長のとき、代表質問で優生保護法改正を訴えようとしましたが、この時も結局党内の反対にあい、代表質問で取り上げることが出来ませんでした。いま思い出しても、悔しく、残念で仕方ありません。



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