生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家の歴史に学ぶ、過去文再掲 (7854)
日時:2024年02月03日 (土) 17時38分
名前:本音の時代

@生長の家の歴史に学ぶ、過去文再掲 (61113)
日時:2023年09月20日 (水) 09時08分
名前:志恩

歴史に学ぶ:(とても長いです。
小冊子だと思われて読んでいただければ幸いです。)  
生政連板。2~176 (1065)
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旧トキ掲示板より

投稿は、2011年6月20日からスタートしています。

生長の家政治連合の概略と、現在の組織に与えた影響の考察。
それらの大事なことを語り合っている 初期の頃の 投稿文集です。

生政連板。2~176

志恩ー

お懐かしい亡き義春さんも投稿されてましたし、
トキさん、訊けさん、ぼるぼさん...
それから、なんと、山ちゃん1952さんも、たくさん参加されてました。


まるで1冊の小冊子を読むような内容だと思います。

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2: トキ :2011/06/20(月) 13:12:10
<はじめに>

 この論考は、現在の状態に至までの生長の家と生長の家政治連合の概略を述べるとともに、
現在の組織に与えた影響を考察したものです。

 生長の家政治連合は、現在の生長の家教団内部では、タブーになっています。
また、「本流復活」と言われる人々の間でも、評価は別れております。

 最初にお断りしておきますが、
私は、生長の家政治連合の活動そのものの評価をこの文章で行うつもりはありません。

しかし、生長の家政治連合をタブーにしている現状には、一石を投じたいと考えております。

私自身は、当時、生長の家政治連合(生政連)にはほとんど関わっていません。
ですから、生政連の是非や結果を論じる資格はないと思っています。

また、直接、関与していなかったため、
その情報の多くが、書物や伝聞によるものである事はご理解下さい。

ここに書かれている事が「正しい」というつもりはありません。
あくまでも、現在の生長の家の状態を説明する、一つの仮説だと思って下さい。
おそらく、当時の関係者や歴史に詳しい人からは、不満がでるとおもいます。

 実は、この問題を論じると、本が1冊できるぐらいです。
ですから、かなり事実関係を簡略化しました。其の点、あらかじめお詫びします。

 生長の家政治連合の関係者は、現在でも多数ご存命です。
また、当時の関係者の証言もようやく聞かれるようになりました。多数のご投稿をお待ち申し上げます。
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3: トキ :2011/06/20(月) 13:13:38

<初期 谷口雅春先生時代>

 生長の家は、谷口雅春先生が始められたのですが、集会も当初は近畿地方や東京に限られていました。

そのうち、全国で本を読んで、救われたという人達が本部に問い合わせて、近所の誌友と連絡を取り、
勉強会を始めて、自然発生的に各地で支部が出来たのです。

その後、急激に教えが広まると、各地で支部が出来、講演会も開かれるようになりました。
しかし、支部の運営は有志の寄付などに頼っておりました。

教化部長も常駐せず、定期的に本部から本部講師が派遣され、講話をするシステムでした。
ですから、各地の支部は独立独歩の気概が強く、本部方針も細かい点まだは指事されませんでした。

言い方は悪いですが。
家族的な雰囲気があると同時に、まだ、現在的な意味での「組織」ではなかったとは言えるでしょう。

 谷口雅春先生は、人間的な魅力に溢れ、教えの素晴らしさと相まって、
信徒は父親のような気持ちで接しておりました。

家族のような雰囲気が部内には溢れていました。
 戦争中、あるいは戦後は困難な時期が続きましたが、信徒はよく団結し、教団を守りました。

(私は、この時期までの生長の家を“初期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)


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4: トキ :2011/06/20(月) 13:15:05

<前期 谷口雅春先生時代>

 戦後は、生長の家の信徒が急速に増え、組織も拡大しました。

そのため、従来のような組織では、運営が出来なくなりました。
試行錯誤の末、聖使命会員制度が発足、近代的な組織への一歩を踏み出しました。

同時に、やや中央集権的な組織になりました。が、組織は順調に拡大し、
信徒も増加の一途をたどりました。

その頃、共産党などの左翼党派が跳梁跋扈し、安保改正などもあり、
国内の思想状況は悪化していきました。

そこで、愛国者陣営といわれるグループから生長の家に支援要請が届くようになり、
それに応えて生長の家も少しずつ政治への接近を始めました。

当時は、右翼陣営の世間的な信用は低く、評価の高い生長の家への期待が高かったのです。

が、思想の悪化と左翼勢力の拡大は止まりません。

国内の危機的な状況に、ついに、谷口雅春先生は、
「日本を守るためなら、生長の家が潰れても良い」とのご信念のもと、
生長の家政治連合を結成し、全面的な政治への参加を決意されたのです。

(私は、この時期までの生長の家を“前期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
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5: トキ :2011/06/20(月) 13:17:56

<中期 谷口雅春先生時代>

 この時期以後、生長の家は、純粋な信仰運動だけでなく、政治運動も始める様になりました。
そのため、組織のあり方も中央集権的になり、運動のあり方もや組織のあり方、部内の雰囲気など、
多くの点で変化が生じました。

森田=安東の両先生などはこの時代の申し子と言えるでしょう。

 一部の信徒は、政治への接近に批判的でしたが、反面、当時の青年を中心に、
情熱的な運動を求める雰囲気が強く、青年会を中心に、活動は活発化しました。

その意味で、当初は生長の家の教勢発展に寄与したと言えるでしょう。
元号法制化運動など、各種の運動で成果を挙げると、いよいよ政治への接近傾向が強まり、
生長の家政治連合の関係者が肩で風を切る傾向が強まりました。

 生長の家政治連合は、生長の家教団の一関連団体にすぎないのに、
実際には、生長の家を代表するような言動すらするようになりました。

時には、総裁の権威をも無視する場合もありました。
その反発を押さえる為に、生長の家政治連盟を中心とする上層部から中央集権化を合理化する教学が
強化されました。

私はこれは、組織教学と密かに呼んでいます。

当時、谷口雅春先生はご高齢で教団運営の実務から離れつつあり、
後継者の谷口清超先生の権威はまだ完全には確立していなかったので、
生長の家政治連合の人達がその間隙をぬい教団に大きな影響を与えました。

そして、彼らが、この組織教学の中心的な提唱者でした。
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6: トキ :2011/06/20(月) 13:20:49

<組織教学>

 これは、私の勝手なネーミングです。

 生長の家の「中心帰一」とは、真理や理念の中心への無条件の帰依を意味しました。

あるいは、「道」を大切にすること、「大調和」を大切にする事をも含みました。
無理矢理の服従ではなく、心からの調和がポイントでした。

が、この時期以降の中心帰一は、「上層部への無条件の服従」という意味へ拡大解釈されるようになりました。

その上、総裁=副総裁=み教え、というラインが、
現象人間の「総裁、副総裁」という意味をも含むまで広まりました。

これが行き着くと、その世界は、生長の家ではなく、昔の陸軍の内務班になります。

実際、谷口雅春先生の直弟子の本部講師が、
「これは(生長の家の)中心帰一ではない。支那式服従だ。」と断言されたのを、
この耳で聞いております。

 この時代までの教団内部の雰囲気は家族的でしたが、
これ以後は、良い意味でも、悪い意味でも、軍隊のような雰囲気が混じりだした、
と古い信徒さんは回想をしております。

 組織教学の弊害は、教団が正しい理念に基づき、運営されている間は、問題が生じませんでしたが、
今日のような間違った理念の下で運営されると、その弊害は著しいものになります。

 生長の家政治連合の当時は、ご高齢になられたとはいえ、谷口雅春先生もご健在で、
上層部にも谷口雅春先生の直弟子がご健在でした。

暴走を指摘される生長の家政治連合の指導部も、部内では実力者だった森田=安東先生ラインでしたから、
それなりの権威もありました。

いわば、優れた指導者と有能な側近が健在なため、弊害はすぐには表面化しませんでした。

なお、組織教学は、これ以後、総裁の 交代や 重要な運動方針の 変更で、
組織部内に 動揺が生じたたびに、動揺を収めるための手段として、強化されていきました。
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7: トキ :2011/06/20(月) 13:22:11

<政治との絶縁生命>

教団の過度な政治への接近は、信仰への軽視を生み出す場合もあり、
次第に部内からも批判があがるようになりました。

生長の家政治連合の関係者の専横も目立つようになりました。
生長の家政治連合が推薦した議員のスキャンダル、支持政党の政治汚職なども加わり、
内外から批判の声があがるに至りました。

優生保護法改正での支持政党が約束を反故にした事等、
政治への不信が強まり、

遂に、谷口清超先生が、谷口雅春先生のご了承を得て、
政治活動の停止を宣言しました。

同時に、生長の家政治連合も解散となりました。

(私は、この時期までの生長の家を“中期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
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8: トキ :2011/06/20(月) 13:24:00

<政治活動停止の疑問点>

教団の政治活動停止の経過は、今日でも 公に なっていない点が多いです。

政治活動停止が正しい決定だったとしても、段階的な廃止という手段もとれたはずです。

なのに、何故、いきなりの停止だったのか、疑問があります。

 当時、「聖使命」新聞紙上に掲載された、
「生長の家政治連合解散、政治活動の停止」についての声明文は、

今から思うと、谷口雅宣先生のご文章と類似点があるような気がしております。

気のせいでしょうか? 

最近、公表された村上氏の回顧録を見る限り、谷口雅宣先生が生長の家政治連合に極めて
批判的な言動を 当時から していたようです。

谷口雅春先生が、生長の家政治連合の解散の 報告 を 聞き、激怒された、
という噂が教団内部に今日でもあります。

が、教団の公式見解、ならびに本流復活の中にも、谷口雅春先生はご納得されていた、
との事です。  この点について、私は判断をする材料を持ちません。

その他、不明の点が多々あります。今後の解明が待たれます。
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9: トキ :2011/06/20(月) 13:26:35

<後期 谷口雅春先生時代>

 谷口雅春先生は、長崎に生長の家総本山を建立、
信仰の力での日本国の実相顕現と世界平和に方向を転じられました。

その後、共産主義の間違いが周知になり、冷戦崩壊へとつながったのはご承知の通りです。

谷口雅春先生は、教団運営の実務を 谷口清超先生に任せ、ご自分は長崎の総本山で、
もっぱら、祈りによる日本国実相顕現に時間を費やされました。

その後は、亡くなられるまで、総本山での活動を継続されました。
この時期は、比較的に安定した時期でした。

(私は、この時期の生長の家を“後期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
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10: トキ :2011/06/20(月) 13:29:18

<谷口清超先生時代>

さて、生長の家政治連合の解散は突然発表され、部内での説明も不十分だったので、
生長の家政治連合の関係者を中心に、多くの信徒からの激しい反発がありました。

そのために生長の家から離れて、独自の運動を始める人も出ました。
本部の権威も傷つきました。

それを納める為に上層部がとった手段が「組織教学」の強化でした。

が、当時はまだ谷口雅春先生がご健在だったので、何とか納める事ができました。

しかし、もっと順序を踏んでの議論をすれば、情勢は違ったと考えています。

 重大な事は、生長の家政治連合がなくなったのに、
教団内部に生長の家政治連合の組織体質、発想、部内の雰囲気は残った、という点です。

「純粋な信仰」を目標と掲げながらも、運動の発想などは、生長の家政治連盟当時と同じままでの
運動が展開し、現場の活動者や会員は、その齟齬に悩みました。

生長の家政治連合までは、生長の家は、外部への関わりを積極的に推進する方針でした。

が、生長の家政治連合解散後は、内向き、閉鎖的な体質への変化をしました。

それまで生長の家の行動は、社会に一定の影響を与えていました。
また、生長の家から各界で活躍する有為な人材が多数輩出されていました。

が、この時期以降、そのような事は少なくなりました。

さらに、敢えて言うと、このときから、生長の家の迷走が始まったと言えるでしょう。

私見では、谷口清超先生の目的は、生長の家を政治への介入以前の状態、
つまり信仰だけを目的とする組織に戻すものだったと推測できます。

しかし、谷口清超先生には大変申し訳ありませんが、それに成功したとは感じていません。

組織の目的が何なのか、現場の活動者にも不明なまま、活動をする状態が続きました。

 しかし、谷口清超先生は、
偉大な指導者であり、谷口雅春先生の正当な後継者でした。

この困難な時期にもかかわらず、教団を純粋な方向へと指導され、内外の信徒の尊敬を集めました。
この先生だからこそ、この困難な状態を乗り切れたと言えるでしょう。

(私は、この時期の生長の家を“谷口清超先生時代"と呼んでいます)
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11: トキ :2011/06/20(月) 13:32:41

<谷口雅宣先生の時代>

  谷口雅宣先生は、副総裁時代に
「大東亜戦争侵略論」をいきなり発表し部内を混乱させるなど、

適性には最初から疑問視する声も一部にありました。

 その後、生長の家総裁に就任された谷口雅宣先生は、
「国際平和信仰運動」なるものをご提言、

「愛国的国際人」とか「両軸体制」とか「座禅的瞑想」とか、
一見、おどろおどろしいが、実は内容のない合成語を羅列し、

迷走状態にあった生長の家をまとめあげ、滅亡へと しっかりとご指導されているのです。

彼は、生長の家政治連合を 毛嫌いしていましたが、
皮肉な事に、トップダウンが大好きで、議論を嫌い、邪魔な人間は片端から追放し、

信仰以外の目的に組織を使うなど、やっている事は、
生長の家政治連合の連中と似たり寄ったりの事をしているのです。

しかも、その総裁の独裁を理論的に裏付けしているのが、
生長の家政治連合時代に生み出された組織教学だったのです。

 彼の組織指導を見ていると、
<中期 谷口雅春先生時代>の全否定だと言う事が見えます。

この時代は、組織の一部が暴走し、制御が きかなくなっていました。

その時代に感じた恐怖が現在の暗黒体制の動機になっているのでしょう。

そして、生長の家政治連合について「正しい判断」を下した自分への過大な評価と、
「間違った」信徒への過小な評価も見えます。

強引な独裁体制を引いているのは、
自分の頭脳への自信過剰のなせるものだと言えます。

 

 公平を守る為に彼を援護すると、
生長の家という古い体質の組織を改革する必要は確かにあったのです。

生長の家政治連盟当時の体質を改善し、普通の社会通念から見ても通用する組織にする
意欲は持っていたと思います。

当初、私を含めて、彼に期待していた人間は少なくないです。

が、信徒の皆様がご存知の通り、組織指導の結果は悲惨なものです。
今日では、もはや行き詰まりは明白、という状況になっております。

 以上が、生長の家と生長の家政治連合との関わりです。
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12: トキ :2011/06/20(月) 13:33:43

<現在の生長の家政治連合の教団からの評価>

 この生長の家政治連合の一連の事件は、当時の関係者に深いキズを遺しました。
生長の家という組織の威厳も低下しました。谷口雅宣先生が、かって

「祖父は間違いをしました。」と

言ったのは、この点をさします。

 彼は、もともと、生長の家政治連合を嫌っていました。

また、村上正邦氏によると、自分が新聞社で希望する部署に行けないのは、
生長の家政治連合関係者の妨害によるもの、と思い込んでいたようです。

当時の生長の家政治連合推薦の議員が谷口雅宣先生に、
散々、叱られたという話もあります。

いくつか要因が重なり、彼は、生長の家政治連合に嫌悪感を持っているようです。

 今日の生長の家では、生長の家政治連合とその時代は、
生長の家の「汚点」と見なされています。

少なくとも、現在の総裁はそう考えています。

で、「日時計主義」を唱える原宿教団では、
「臭いものにフタ」とばかり、この件を議論する事は禁じられています。

そのくせ、生長の家政治連合と親近性のある言動は取り締まられる、という現実があり、
このあたりが部内を萎縮させる原因となっています。
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13: トキ :2011/06/20(月) 13:34:51

<現在の生長の家政治連合の関係者からの評価>

 生長の家政治連合の末期には、
その専横や内容に対し教団内部でも批判が強かったので、

生長の家政治連合の活動停止には、賛同する声が多かったです。

しかし、生長の家政治連合は信徒の自発的な動きではなく、生長の家教団の意向で始まり、
活動をしていたのです。

発表も突然でした。

ですから、関係者からは「裏切られた」という声があがりました。

現在でも、「本流復活」掲示板などに、当時の関係者が怒りの投稿をするのは、
こういう背景があるのです。

それが嵩じて、生長の家政治連合廃止の急先鋒だった谷口雅宣先生への
敵意へとつながっているのです。

 特に、谷口雅宣先生は、
谷口家の他の兄弟姉妹と違い、運動には参加せず、冷笑的な立場だったと言われています。

当時の活動者からは 嫌悪されていた、との投稿が 別のサイトにありました。

これが一般信徒ならともかく、信徒の浄財で小学校から一流私立大学に通い、
海外留学までされた人物だったから当然です。

言い換えれば、闘わなかった人間が、「美味しい汁」だけ頂戴し、
闘った人間を批判し,その上、指導者になったのです。

賛否は別にして、関係者の怒りは 理解は 出来ます。
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14: トキ :2011/06/20(月) 13:35:40

<私見>

 現在の教団内部では、生長の家政治連合は、タブーになっています。

それは、関係者が生長の家政治連合を「汚点」と考えている点や、
この問題を掘り下げると、生長の家教団、ひいては谷口雅春先生の責任論が
噴出しかねないと考えているのでしょう。

しかし、この問題をタブーにしていたために、
現在の迷走が始まったと思うのです。

ですから、どこかで、一度、きちんとした総括なり反省は
しなければいけないと思います。

この文章で、生長の家政治連合の是非を論じるのは、
あまりも範囲が広すぎるので、省きます。

また、私は、当時、生長の家政治連合には反発を感じて距離を置いていた人間でしたから、
論じる資格もないです。

 今日から考えると、
谷口雅春先生は、日本国 という立場で 行動をされました。

生長の家の損得ではなく、国家の正義 という観点からの 行動だったのです。

現在の政治の混迷を見る限り、
生長の家政治連合が目指したものは、否定はできないのではないか、という気がします。

また、谷口雅春先生と当時の指導部が目指したものは、
当時の社会情勢を見る限り、当然とも言えるものでした。

ですから、生長の家政治連合を論じても、決して、谷口雅春先生を否定するものではない、
と考えております。

この点については、当時の関係者の積極的なご投稿を期待しております。
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15: トキ :2011/06/20(月) 13:36:48

<雑感>

生長の家政治連合の突然の解散は、
関係者に深いキズを残しました。

これこそが、日本を救うのだと信じて、政治活動をしていたのに、
いきなり「間違い」にされてしまったのです。

私は、生長の家政治連合にはいくつかの点で否定的な考えを持っていますが、
この点については、彼らが怒るのは当然だと思います。

当時の理事長の和田英雄さん(のちに教団を離れました)など、
当時の責任者の説明も心のこもったものではありませんでした。

今でも、この問題がぶり返されると、教団上層部は上から目線で説教をします。
が、彼らにそんな資格があるか、どうかは疑問だと思います。

 極端な言い方をしたら、生長の家政治連合が問題というよりも、
その後始末のまずさこそが問題だと考えています。

 現在の谷口雅宣先生は、
再三、生長の家政治連合は「間違い」だった、と断言をしております。

実は、私自身、生長の家政治連合には批判的だったので、この点について、何もいう権利はありません。

しかし、彼は評論家ではありません。

生長の家総裁です。

もし、生長の家政治連合の活動が「間違い」だったというのなら、
彼の立場では、先ず、生長の家という組織がした間違いについて、当時の関係者に謝罪をすべきです。

これは彼の個人的な見解とは別の話です。

公人としての義務です。

さらに、生長の家政治連合はなくなったのに、当時生み出された「組織教学」は、
そのまま残りました。

少なくても、「前期 谷口雅春先生の時代」までは、総裁がここまで独走できる体制ではなかったです。

これが、現在、谷口雅宣先生の「独裁」を正当化する理論とされているのです。

この「組織教学」を否定する事ができないまでも、21世紀の新しい「組織教学」の検討が
必要な気がします。

もし、生長の家政治連盟の活動に「負の遺産」があるとしたら、
この「組織教学」かもしれません。

生長の家が、ある時期、政治に関わり、運動をしていたのは、
否定できない事実です。

それを単に否定するのではなく、もっとポジティブにとらえ、
将来への教訓にもする姿勢こそが、必要だと考えています。

その意味で、皆様のご投稿をお待ちしております。
生長の家政治連合の肯定的な側面からの投稿も歓迎します。よろしくお願い申し上げます。
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16: トキ :2011/06/20(月) 13:53:39

<追加>

 生長の家の長い歴史を見ると、障害もなしに順調に発展をしたとは言えません。

「生長の家30年史」「40年史」「50年史」も良い本ですが、
谷口雅春先生のかかれた「明窓浄机」が実は、生長の家の歴史を知る上では、たいへん参考になります。

それを読むと、谷口雅春先生がたいへんなご苦労をされたのがよくわかります。

その歴史の中で、栄光もあれば、挫折もあったのです。

 私自身、長く活動をしてきて、その間には、良い事がたくさんありました。
が、否定的な事も、現象としては、現れた事があります。

組織としての生長の家にも、類似の事があったと思います。

これは、たいへん畏れ多い事ですが、生長の家という組織は、
世界や国家、個人にとって、優れた貢献を多数しました。

が、何十年という間には、知らない間に「業」は積んでいた部分があったと感じます。
多くの本を読み、そう感じました。
 
ここで、「業」というと、
生長の家と谷口雅春先生を批判する人がいますが、それは間違いである、という点は申し上げます。

人間であれ、組織であれ、行きて活動をする人は必ず「業」は積んでいるといえるでしょう。

私は、この文章を書いている時点ですら、生長の家と谷口雅春先生の偉大さを一点の疑いもなく、
信じております。

谷口雅春先生の愛国心、理想を求める純粋な姿勢とともに、
教団運営のために、隠れたご苦労をされた点を、現在の信徒一同、深く感謝申し上げるべきだと強調したいです。
その点は、何回でも繰り返したいと思います。

 今日、生長の家で起こっている混乱、あるいは総裁の暴走は、
今日、突然、生まれたものではなく、生長の家という組織に生じた永年の「業」が。

出たものかもしれません。今回、生長の家政治連合をテーマにしましたが、
実は、生長の家という組織の永年の「業」がでたものだと考えています。

その意味では、総裁や生長の家という組織の問題であると同時に、
生長の家に関わった信徒一人一人の問題だとも考えています。

 でも、悲観をする必要はありません。

「業」は現れたら、消えて行くと教えられています。

 今回の一連の事件で現れた以上、消えると確信しています。
間もなく、問題は解決すると信じております。
その意味で、夜明けは近いと確信しています。
______________________________________________________________________________________

17: 山ちゃん1952 :2011/06/21(火) 01:02:15

トキ様 ご提言 ありがとうございます。

さて、本部内部の事情はわかりませんが末端の信者などを無視した行動は組織
としてどんな事情があるにせよ失格であり、私は擁護など出来ません。

そうしたツケがそのまま今の現状になっていることは本来猛省するしかありません
が今の組織に「祖父は間違っていた」という資格はないことは明確であり。

反対に反省しても、どうする対処も出来ないことは自明である。

それは組織の総括も出来ない組織は他を批判は出来ません。

さて、私は以前に「生長の家」の歴史を勉強することの大切さを提言しました。

何故そう書いたのか理由は書きました。

ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史を学ぶ」という言葉がありますが
人の経験というのはその人の歴史しかわかりませんが、歴史は綿々と流れた
縦の歴史を学ぶものです。

その歴史がその人を見ていると悪い人は沢山いますが
それを長いスパンで考えると悪人と思えるひとが実は歴史に功績を残した実例は
あります。

たとえば、徳川綱吉は「犬公方」ともよばれ当時の新井白石すらその悪行を綴った
と言われます。

だが、長い歴史から見ると、
日本人の優しさのようなものが熟成された初期にも感じます。

またいろいろと述べてみたいところですが、結論からすれば歴史は長い
スパンが必要なのです。

藤原正彦さんは近現代史は「共産主義」の脅威を語らないのでいる。分野の異なる
私がその歴史を紐解くことをされている。(数学者)

そこなんですよ、生長の家の政治に何故谷口雅春先生は推進されたかを語らないと
片手落ちのような気がします。トキ様にはそういう事を語って戴きたい。

しかし、私論では行けませんので生長の家政治連盟の作成した文書や経緯など
わかる範囲でお願いしたい。

私はそういうパンフレットや著書など僅かしかなく資料とはいえない。

是非公けにしていただければ助かります。ただ外部にマル秘は致しかたない。
許せる範囲でお願いいたします。

それにより、負の歴史というのはそうでないことも理解できるように思える。
___________________________________________________________________________

18: トキ :2011/06/21(火) 09:42:05
>>17

山ちゃん1952様

 コメント、ありがとうございました。

 こんな長い文章を読んで下さり、ありがとうございました。

 生長の家政治連合の事を調べるのは、部内でも難しいです。
複数の当時の生長の家政治連合の関係者に当時の話を聞いても、皆さん、話してくれませんでした。

教化部でも、当時の資料は処分されているみたいです。
たまたま、個人が所蔵していた資料が、ご本人が亡くなり、ご遺族により表に出るのが数少ない例外
です。

生長の家を辞めた、生長の家政治連合関係者にも会った事がありますが、
これは、ろくでもない人でした。

なるほど、生長の家政治連合が活動停止になったのも、宜なるかな、です。

生長の家の歴史を勉強する事の大切さは、全く同感です。素晴らしいご提言です。

生長の家の歴史で言うと、
30年史にしろ、50年史にしろ、生長の家に都合の悪い事は書いてないです。

50年史を編集した人は、森田=安東先生派の人でしたが、
あまりにも谷口雅春先生を尊敬するあまり、
生長の家を美化し過ぎるし、
編集者の主観に会わない部分は控えめにしてあります。これも良くないと感じます。

 一番、頼りになる資料は、谷口雅春先生の「明窓浄机」で、
これは、結構、生長の家に都合の悪い話もたくさん掲載されています。

「ゆにはデパート」の話なんか、この本がなければ、知らなかったと思います。

 谷口雅春先生は、ご自分に都合の悪い話も、全部、正直に書いておられます。
この点は、素晴らしいと感じます。

 ただ、生長の家政治連合というのは、
日本の政治史の上でも、一つの大事な存在だと思うのです。

私も勉強中です。

生長の家政治連合については、これから、当時の関係者の投稿をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます
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20: 山ちゃん1952 :2011/06/21(火) 13:49:23

普通会社では社史などは自社の悪いことは書きません。
勿論余程社会の通念でなければ避けるとは思います。

過去に悪い印象を残したくないのは当然だと思います。それぞれの編纂史があります。

先日池田市の池田文庫に行ってきましたが、阪急電車の社史や宝塚歌劇団の通史が
掲載されていましたが、そこに悪いことは流す程度で良い方向に書くのは通史です。

それぞれの通史があります。
神社は神社史や市史などいろいろありますが、自分の事は悪くは書きません。

生長の家50年史編纂に関わったのはS氏と言われますが、
その細部に関わったOさんは生長の家
の歴史には大変詳しく、
何度も大本教に行ったことなど詳細に語っていただいた事があります。

今は異なる所で活躍されておられますので、
名前は出せませんが現在東京にお住まいであります。

昨日会社を休んで戦後を中心に雅春先生の年譜作成していました。

数年前は気にも留めなかった
生政連のパンフレットが見つかりました。田中忠雄先生を中心の時代の小冊子です。
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21: トキ :2011/06/21(火) 15:51:00
>>20

山ちゃん1952様

 コメント、ありがとうございました。

古い信徒さんと話していた時に、聞いた話です。

生長の家の組織は、各地の信徒さんが、
自発的にお金を出し合い、分担して労力を提供し、独立独歩、作ったものが大半です。

もちろん、谷口雅春先生のご活躍が中心ですが、各地の信徒さんの協力がなければ、
今日の組織はあり得なかったのです。

今日の原宿教団の歴史には、その視点が欠けていると感じます。

ですから、過去、各地の信徒さんが、本部の専横には断固抗議したのは、そう
いう背景があるからなんですね。

谷口雅宣先生が、
森のオフィスとか、環境とか、勝手な事をするのも、そういう視点が欠けているのが
原因だと思います。

言い方は悪いですが、こんな勝手気ままをするのは、近代的な組織ではなく、
”谷口商店”ではないか、という感じです。

組織教学についてですが、具体的な証言は紹介できないですが、
谷口雅宣先生が、谷口清超先生の言う事には従わなかった、という証言は
複数あります。

ところが、自分の言う事には従え、という世界ですから、困ったものです。

あと、生政連については、
関係者もタブーとして、証言されませんね。見事なものです。

本当は、森田先生や安東先生など、関係者がきちんと証言を残して欲しいと願っています。

やはり、体験者の投稿は勉強になります。今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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25: 現職員、妻 :2011/06/21(火) 22:15:42
トキ様

生長の家史論文を読ませて頂きました。
大変貢献の高い仕事をして頂き、ありがとうございます。

今の組織のあり方は、生長の家の歴史から
自分なりに理解していましたが、

トキ様が示して下さった「組織教学」、
私には組織を考えるに、
ずっと理解の課題でしたので、納得するところでした。

また組織自体の業の行方。

トキ様は、
一般的には、こういう状態の組織は、組織が崩壊するか、

指導部が失脚するか…
と書かれていましたが、

これからの生長の家の組織のあり方や方向の可能性に、
何か展望のようなお考えをお持ちでしょうか。
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26: エンジェル :2011/06/21(火) 22:22:02
トキさまが書かれた<政治活動停止の疑問点>についてのT考察のために

 実は私もこの事が本当はどうだったのか知りたくて
(古今物語の掲示板でも話題になったことがあったので)

もしかしたらあの当事雅春先生の最もお側におられた貴康先生なら
ご存知かと思いうかがった事があります。

それまでは、清超先生が政治活動を嫌っておられてという噂もあったのですが
お話を聞いて驚きました。

私が、清超先生は政治活動がお嫌いだったのですかと貴康氏にお聞きすると
「好き嫌いの問題ではない、僕は玉置和郎の事務所で一年間丁稚奉公させられたんだよ、
預けられたりは清超先生だよ笑、嫌いな世界に息子を預けはしないだろーよ」

「それでそのうちに玉置先生に見込まれちまって村上さんもいたんだけど
俺の跡継ぎになってくれないかと誘われてね、僕も若かったから本気にしちゃって・・・」

「て゛もね、清超先生はおまえは生長の家を勉強して政治家ではなく
 政治家を使う立場の人間になれと言われたんだよ」

だからその後長崎の雅春先生の下に行かれたのだそうです。
でもこの当事は選挙のたびに全国を応援に行き、特に村上さんの初当選の選挙では奥さんの
臨月の日を超えて駆け回り、村上さんの当選確実が出た日にMさんは生まれたそうです。

 さて、二回目の(一度雅春先生自身が活動停止を言われたことがあります)
生政連の活動停止(凍結)になった時の話ですがここからは実際にお聞きしたことを
会話形式にして書きます(文責はエンジェル)

「あの日ね、清超先生から朝お電話があってね、
あんたは政治活動にとても興味があったし誤解の無いように伝えておきたいことがあって・・・」

(実はこの当事、総本山の落慶大祭後、長崎に貴康先生の尽力で長崎『玉置会』が
三菱関係を中心とした企業が参加して出来上がり、地方議員連盟も大いに拡大中で
貴康さんも各地に応援に行かれていた等の背景があったようです)

清超先生「生長の家は自民党に結局利用されてしまったことは君も
     今度の法案の扱いや名簿順位の扱いで理解していると思う」
     「信徒をこれ以上純粋な信仰活動よりも政治に関わらせて失望させるわけにいかない。

     ここは一時政治活動を凍結して純粋な信仰活動にもどり、
      圧倒的な信徒の増大を図って出直さなければならないと考えたわけで、
      先ほど雅春先生にこの決断をお伝えして了解を戴いたところだからね理解して欲しい」
 貴康氏 「活動の凍結とは信徒数が倍増した日には再び政治活動に参加するということですか」
 清超先生「そう思ってもらってもよい、ただ自民党と今までのように協力するかはわからない」
 貴康氏 「もし信徒さんを拡大できたら自分たちの政党を作る可能性もあるのですか」
 清超先生「そういうこともあり得る、何しろこれからは政党に他の団体と天秤にかけられるようなことの
      無いように信仰的に熱烈に、
      信徒数においても圧倒的な力を蓄えなければならないということだ」
 貴康氏 「そういうことならば全く異論はありません。先生のおっしゃる通りです」

このようなお話があったそうで他の誰にもしばらくはお話にならなかったそうです。

 このことから解るように、生政連は一活動が凍結されそれは、
解散と云うことではなかったわけで
実際、経理上も生政連の会計と財産はその後何年も残っていたようです。

 「この活動の凍結の決定はおそらく当事の理事会であったはずで、このころの理事会の書記は
森田征史さんだったろうから詳しくは聞いたらいいよ」とのことでした。

 ちなみに、雅宣さんはとお聞きすると、あの当事は生長の家にはいなかったと思うよ、
 完全に解散になるころには
本部に入っていて当然大きく関わったとと思う。との事でした。
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27: トキ :2011/06/22(水) 10:25:05
>>26

エンジェル様

 たいへん貴重な証言をご紹介下さり、ありがとうございました。
 驚くような内容ですね。
貴康先生は、ご紹介下さった清超先生との会話の一番最初の部分は、
部内での文章で明らかにされていました。

が、続きの部分は、こちらで紹介されるのが、初めてだと思います。

 この証言が、当時、紹介されていたのなら、後の流れが変わったかもしれません。
その意味では、惜しいとも感じます。

あれ以降、組織にガタが出る様になってきましたから。

 清超先生が、そのようなお考えだったとしたら、

 ますます雅宣先生が生政連の活動停止について占める役割りが大きいと推察できます。
 が、証拠はありません。

 共産党なんかも、スターリン批判とか、六全教とか、突然の方針転換で組織が動揺した歴史がありますが、
この問題は、もっともっと歴史が明らかになるべきですね。

 今回は、本当にご投稿、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます
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28: トキ :2011/06/22(水) 10:44:41
>>25

現職員、妻様

 ご投稿、ありがとうざいました。

 実は、不確定要素が多すぎて、予測不能です。神様しかご存知ないでしょう。(笑)

ただ、今の生長の家は、運動にしろ、組織にしろ、あまりにも「澱」というか、
少し余分なものがついていると思います。
一度、リセットして、シンプルなものに戻すべきかもしれません。

 柳田国男さんの「零戦燃ゆ」という本を読んでいたら、こんな話がありました。

 戦争末期、硫黄島を守る為に零戦隊が硫黄島に進出しました。
が、飛行機が足りないので、最新式の零戦が半分しか手に入りませんでした。
そこで、倉庫に眠っていた
古い零戦を引っ張りだして使う事にしました。

 やがて、アメリカに戦闘機が空襲に来たので、レーダーで探知した零戦が飛び上がって迎撃しました。
戦闘が終わってから零戦が戻ってきましたが、驚いた事に
最新式の零戦の大半は撃墜されて帰ってきませんでした。

逆に古い零戦は全機、無傷で帰ってきました。
おまけに、全員がアメリカの戦闘機を撃墜したと報告しました。

 何故、こんな事になったのか?

 最新式の零戦は、研究の結果、いろいろな装備がついていました。

が、肝心のパイロットがそれを使いこなす事が出来なかったのです。

おまけに、いろんな余計な装備をしたため、動きが鈍くなり、
そこをアメリカの戦闘機につけこまれて撃墜されたのです。

 古い零戦は、基本的な装置以外は、何もついていませんでした。

ですから、パイロットが飛行機を使いこなす事が出来たのです。

余計な装備がないので、飛行機の動きも俊敏でした。

ですから、アメリカの戦闘機と空中戦をしても、動きが早いですから、
敵がモタモタしているところを巧みな動きで優位にたち、次々と撃墜していったのです。

最近の家電でも、携帯電話でも、多機能になり過ぎて、かえって使いにくいという話はあります。

生長の家も、少し、余分なものが憑き過ぎたと感じています。

絵手紙や環境が悪いとは思いませんが、それは、個人の判断に任せる事だと思います。

もっと基本を大事に すべきだと思います。

どうも、勝手な事を書きまして、すみません。

合掌 ありがとうございます
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29: 現職員、妻 :2011/06/22(水) 14:10:10

トキ様

トキ様の見識にすがりたくなり、漠然とした組織の行く末をお尋ねすることとなり
すみません。

私にも分かりやすい例をあげて下さり、ありがとうございます。
しっかり狙いを定めて操縦できるシンプルな零戦に戻って頂きたいですね。

トキ様のようにはっきり意思を
持って組織に残る方を、
私は周りに知らなかったので…
(まあ話せることでもなかったのですが、)

トキ様の実感では、そういう傾向もいまの組織には感じられますか。

信徒の方も含め組織を辞めるか、今の雅宣先生のやり方に迎合していくか…だと思ったり、
なかなか客観的に組織を考えられなくもなっていたので、
それだけではない力に希望を感じたいです。

正直、今の講習会や全国大会を
推進する気にはなれないですが、
(本当はもともと「宗教を推進する」というのは、感覚的にずっと抵抗がありますが…)

若い方が生き返るような真理を、スパッと説いてくださる様な集まりが現実に出来ないというのは、
今触れる新しい方には、逆に気の毒な気がしたりします。

信徒さんが組織を離れて幸せになるならそれはそれでよいと思います、が、
私の知人には、組織に失望して逆に宗教アレルギーになったり、
真理を精神世界に求めて(ある意味魑魅魍魎?の世界に)いった方もいるので、
極端な例ですが、真理を求める方のそうした流れはやはり残念です。

宗教組織の宿命でもあるんでしょうか。

本当に私にはわからない事が多く、とりとめない事を書きまして、失礼しました。

自分としても組織との関わりをこれからも考えていきたいと思ってます。

ありがとうございました。


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30: 義春 :2011/06/22(水) 16:05:44

全国大会ネタがあったので、一寸書いてみる。

確かに、今年の全国大会は行く気になれんかったなぁ…

そりゃ青年会の会長から推進の葉書頂いたりで、
あぁ、頑張ってらっしゃるんだ…とは思ったし、

それには 人として尊敬します。

だけど、さ…まぁ〜色々付き合いというものがあるから行って感じたけど、

体験談まで 環境は ないでしょうよ(泣)

そりゃエライよ…農業とかって呂氏春秋じゃないけど農人に謀らずな天と土との対話を

しなくちゃいけないからさ…俺には出来ないと思う。

だけど、それが人に何か影響を与えるの?

真理は何処に行ったの?

…と。まぁ…でも、体験談した人を責める訳じゃないよ。

以下の事が考えられるからね。

去年の全国大会の体験談をした人が内幕教えてくれたけど、

本当は話した内容ではなく、

周りの人が生長の家の真理で救われた…ていう話をしたかったのに、

本部の都合で無理矢理変えられた、

しかも色々手際悪くて、もう厭だ!と嘆いていた…

だから、
もしかしたら、今年もそうなんかもしれないからね。

まぁ…来年は行かないと思う。

高橋是清みたいな苦労人の事を
『古い考え』とか切り捨てる人の話を
聴く気になれん…まぁ…今年も思いっきり寝てたけど(笑)

ちなみに 
私の周りの バイオや環境関係の人達は 彼の話を聴いても
情報のソースを疑うし、生物系の人間を いっさいがっさい 切る言い方には、
かなり 反感持っているンだよね。
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31: 現職員、妻 :2011/06/22(水) 17:43:26

体験談、不手際事件〜
残念ながら私も体験しました…
まあ妻になる前の話なんですが、
本部のせいねんかいってとこは
大丈夫なんだろうか…
なんて、その時は思いましたよ、、

普及誌も機刊誌も誰のため?って話がありましたが…

結局、全国大会の体験談も、
総裁先生のご満足なお話を、
お聞かせする場なのでしょうか。

義春様もいなくなる全国大会、
ますますさみしくなりますわ…
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33: トキ :2011/06/22(水) 19:40:35

 青年会の全国大会、残念でしたね。
いい時代に自分が青年会が出来た幸せを感じると共に、
これから入る青年が可哀想だなあ、と思ってしまいます。

看板は生長の家で、中味は環境の家では、羊頭狗肉ですよね。

 教区では、情報が入らないので、若手の活動者では、
「本部の考えている事だから、大丈夫だろう」と思っている人が多いです。

でも、古手の活動者と話をすると
「もう、ダメだろう」と言います。

理念がどうの、というレベルではなく、組織運動という側面から観察すると、
成功するはずがないのです。

昔の陸軍のインパール作戦とか、山一証券の倒産とか、ワンマンな指導者の暴走で
組織が崩壊する、という話はよく聞きますが、

我々は、今、リアルタイムでそれを見ているのですね。

で、この際、生長の家という組織体が、どういう動きをするか、予想は難しいです。

 ただ、一般論ですが、個人であれ、組織であれ、
過去にその人やその組織の歴史を観察すると、だいたい同じパターンを取るのですね。

ですから、生長の家の歴史を
調べると、だいたい、有る程度の予想はできるのではないか、と考えているのです。

総裁が暴走する、というのは過去にないパターンですが、生長の家が存亡の危機に
なった、というのは、終戦時などはありました。

ですから、少し調べてみようかと考えています。
それがわかると、次に、どう動けば良いか、予想がつきますから。

合掌 ありがとうございます
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34: 義春 :2011/06/22(水) 19:59:31
>>31
現職員妻さま

仕方ない事ですよ。

今年だって『俺は行かんぞ!』と宣言してたのを折れに折れて参戦したら、
この体たらく…俺はこんなもんを見る為に生きたのじゃない!

こんなんだったら(古代の習わしで貴人の往く道を掃除する)除道として

清超先生の先に逝っておけば良かった…

と怒りと悲しみと悔しさと…言葉に言い表せない苦しみだったんですよ…。
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35: 義春 :2011/06/22(水) 20:10:58

・・・かと言って、雅春先生を学ぶ会にも行く気はないんだよな…会報は読んだけど、
若い奴が求める創造性がない。

確かに、雅宣総裁の欠点は的確についてるけど、その先がどうしても見えないんだよな。

今の時代に必要とされる事、次の時代の展開がない…雅宣総裁の批判より、
それを前面に出したら生長の家を知らない層にも生長の家の真理を伝えられるのに…と
凄く残念に思ってる。

これからは生長の家を知らない層にどう伝えるか?だと思っているんです。
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36: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/23(木) 11:00:34

>義春さん

 うーん・・・貴君が「学ぶ会に魅力なし」と申されるか。うーん、「それ
じゃあ少し考えよう」てな感想を持つ次第ですね。(あなたの見る目を評価
してるんで)そうか・・・貴君印象では、学ぶ会も「あんまり」か。

>確かに、雅宣総裁の欠点は的確についてるけど、その先がどうしても見えないんだよな。

 そうなんだよね。それは(組織部外者)の私も強く感じることだね・・・と
は申せ私のは、ホニャララ掲示板から推察した「学ぶ会イメージ談」的話だけ
どね(世間では「妄想」とも云う)でも貴君までそう評されるとは・・・やや
残念感はあるね。

>若い奴が求める創造性がない。

 会報未読の身ではなにも申せぬとは云え、まあ、(くどいが)ホニャララ掲
示板の雰囲気から推察するに、「そうなんだろうなあ」とは感じるかな。
 たとえば、ですよ、たとえば『生命の實相』に触れたばかりの若者(20代)
がなにを求めているのか?こういった視点は完全に抜けている気が(私も)し
ています。
 今の若者って――こんな断言は危険とは云え、それでも自信があるんで言わ
ざるを得ないが――現在の団塊世代以上に苦労≠オている世代ですよ。詳細
過ぎる例で恐縮だけど、まあ例えば、団塊世代が普通に得られた「休業手当」
ってヤツ・・・今の若者には「夢のような待遇」でしょう、これ。そしてそん
な認識はあまり、現在の団塊世代以上は持ちえていないのかなあ、と。

 ああなんか、とりとめの無い話になりましたが、まあ貴君認識に(妄想ベー
ス談とは申せ)「同意」ですね。
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37: 現職員、妻 :2011/06/23(木) 11:55:20

そうですね、
まさにその行き場のない想いを抱える信徒さんの受け皿は
どこなんだろう、と、ずっと思ってました。

他の会が受け皿に、というならそれで良いと思いますが、
義春さまの受け皿になる会に感じた実感が伝わります。

今は逆に生長の家の救いを伝えていく入り口がますます狭くなってるのが現実なんですね。

森の本部、については、
教区や信徒さんの本音はだいたいどんな感じなのでしょう。

若い人は本当に関心持つ人は多いのかしら…(私とだからかな)森、に関して話をしてますが。

私はいくら意義を理解しようとしても、心ではしらーとした気持ちになります…

本部が森へこもれば、
総裁の森論文、純子先生森エッセイにますます拍車がかかるだろうし、
本部も信徒さんの声からますます乖離しますよね。

雅宣総裁は、
雅春先生の真理のお言葉をちょこちょこと引用してご自分の「新しき時代の教義(狭義)」を解説されますが、
論理で導かれる結論と、
自分の中で感じる違和感の乖離がやはり、大きく感じ、
雅春先生の偉大な真理から、あれ、いつの間に巧妙に論理のすり替えをされて、
こんなところにつれてこられたのだろう…と、正直そんな感じが否めないのです。
(この度の谷口雅春大聖師の二十六年祭のお言葉も、なんだか私にはそんな印象でした)

トキ様の歴史に学ぶ姿勢は、頼もしいです。

崩壊も暴走も、諸共に行こうと思います。
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38: 義春 :2011/06/23(木) 12:36:03
>>36
雅春先生に訊けブログ管理人さま

そうなんですよね…残念過ぎます。
ガンダム0083でガトーが決め台詞言って(GP02の)アトミックバズーカを
ぶっぱなす時に不発だった並みに残念感があります。

・・・実を申すと10年近く前に向こうの上の人にに電話掛けた事があるんですよ。
やっぱり直接話さないと分からないですからね。

その時も雅宣総裁より遥かに、いや比べたら申し訳ないくらいに温かみを感じた。
信仰者としても尊敬もした。

だけど、若者に対しての眼を感じなかった…だから、行けなかった。
今もだけど、あの頃も命をかけて何かしら遺せる場所をのみ求めてましたから。

某掲示板には、同じ匂いを感じますね。

創造的・建設的なものを求める心、又、身近な悩みや将来への不安を
若い世代は抱えてますから。

だから、日本や世界の将来へのビジョン…方向性を指し示し、
具体的に動く事が雅宣総裁を凌駕する唯一の道だと想うのです。

まぁ…私も仲間にそれを図って動いています…まっ、中々、あんまり上手く
行ってないけどね!

まだまだ時期じゃないのかもしれない(笑)

そういえば、学ぶ会の見真会の感想が某掲示板にあったから、
丁度、他教区を放浪中でベテランの先生といたから『こうだった様ですよ』と
伝えたら『そんなんだと雅春先生はお怒りになるだろうな…雅春先生に
近づくどころか全く逆に行ってないか?』というような感想を述べてらっしゃいました。


まぁ…私達の世代は団塊の…親父達の世代より苦労してるかな?
ただ、パワーを感じないですけど…ね。

困難と戯れよ!どころか困難の奴隷と化してる感すらあります。
現象と闘え!己が限界を越えろ!困難を喰え!喰って力をつけろ!パワーこそ力だ!
…と想う事がバシバシ…いや、しばしば…色々あるんですよ(泣)

私は病気と闘ってきた人間なので、その喩えは身に染みるくらいに分かりますよ。
私は闘病時、社会保険の傷病手当と限度額負担免除を併用して乗りきりました。

ちなみに手術前に万事手筈を整え、金という兵坦線を確保しなくっちゃ戦は
出来ませんので、兵坦を整えてこそ気合いも空回りせんですからに。

ホント、私もとりとめない事を書いてしまいました
…ホント、何処に命をかける場があるんやら…。

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39: 義春 :2011/06/23(木) 12:52:20
>>37
現職員妻さま
まぁ〜教団がどうなっても生きてれば再起出来る。現に私は仕事も金も家族も…
身体さえも失っても神の子無限力で諦めずに頑張ったら再起しましたもん。

今だと上司に『義春君がいないと仕事回らん』と言われてるくらいに仕事人間ですよ。

五体満足な皆だと、これくらい何も問題なくこなせると思いますよ。
教団も同じ。問題という迷いは現れたら消える、今は力を蓄えて準備する時なんだって思ってます。

森なんて俺からしたらどうでも良いレベルですよ。ネット的に言えば『日本語でOK』とか
『環境破壊して環境保全?バロス』な感じです。

Mなんかは『自然を破壊しといて環境保全?オカシイじゃん』なんて言ってたらしいけど 全 く 同 感 で す(笑)
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40: エンジェル :2011/06/23(木) 20:28:37

『C02出さないために森までガソリン車で行って森で薪拾ってストーブで燃やして』
ってのもひっくり返りそうなギャグですね。

『動物が嫌いで特に虫は天敵!ゴキブリみるとカナきり声だしてスリッパ片手に追いかける夫人』
この人のワクワクする笑みの日々もさてどうなるものか。

 それにしても今まで散々環境破壊してきた大手ゼネコンにオフィスを作ってもらうなんて・・
コリャアシャレニならんね。Mくんの感性はとってもまとも。

 横から失礼しましたーw
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41: トキ :2011/06/23(木) 20:48:10
>>40

 余談ですが、宇治の練成を受けた時に、新練成道場が出来てすぐに、手抜き工事から
ひび割れや雨漏りがすると聞いた記憶があります。工事を担当したのが、某大手ゼネコンらしいです。
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42: 現職員、妻 :2011/06/23(木) 21:17:35

「命をかけて何かしら遺せる場所をのみ求める」義春様の姿は、
周りにきっと大きな影響を与えていますね。

(私にさえ「熱い心の火の粉」が飛んできてますから…)

義春様のご友人たちは、こんな友達を持って幸せだろうな〜と、想像しています。

それにしても、長い、
この長い、ひっくり返りそうなギャグに、
一体誰が最後に
「おい!」
ってツッコミをいれるのでしょうか…。
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43: 義春 :2011/06/23(木) 22:19:26
>>42

現職員妻さま
まっ、周りにとっては破壊神らしいですから迷惑でしょうよww

でも、命をかけるものがなくなる・・
虚無感に襲われそうにもなったのは事実ですよ。

だから自分で場を作ろうと頑張ってるんですよ。

自分は基本的にアナログ人間なのでネットとかを使わないで
実際に会ってく方法ですけどね(笑)

だいたい、ネットde真実なんていうネット右翼と同類化する
可能性があるから厭なんですわ。

此処?此処は某掲示板で暴れたから最後まで責任取らないといけないなぁ…
というアレですよw

まぁ…暴れさせた方が悪いと 自己弁護しておきますねw
黙ってみてる方がフラストレーションがたまって仕方なかったですからのw

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44: 義春 :2011/06/23(木) 22:36:51

まっ、雅宣総裁には 色々マジギレする事が 多々あるが 山梨ルールで
怪我されても 面白くないから 一寸書いてみたw
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45: トキ :2011/06/25(土) 10:27:29
義春様

 学ぶ会は、確かに大きくはなりましたが、現在の教団の状態を考えると、驚くほどの発展ではないと感じます。
原宿教団を辞めた人はたくさんいるのですが、そのうち、本流復活の諸派に入ったのは一部でしょう。

 実際、私の周囲を見ても、「学ぶ会」に入ったメンバーは、必ずしも、教区でのベストメンバーではないです。
また、風の噂を信じるのなら、「ときみつる会」も、「学ぶ会」とは、少し距離を置いているとは聞いています。

 この当たりを考えると、思う程発展しないのは、いくつか原因があると思います。

*「今の教え」に不満を覚えている人の中には、「初期 谷口雅春先生時代」の教学を信じている人から、
「谷口清超先生時代」の教学を信奉している人まで多岐にわたります。

ところが、「学ぶ会」は「中期 谷口雅春先生時代」の教学を根底に置いて運営がされており、
それ以外の人達を切り捨てて います。

「中期 谷口雅春先生時代」というのは、あの時代だから魅力的だったので、今の時代では少し無理があるのです。

もし、私が「学ぶ会」の立場なら、「初期」か「前期」の「谷口雅春先生時代」の組織を参考に
今の時代にあった運動を構築すると思います。


*「本流復活」の掲示板は、生長の家から谷口雅宣総裁を追放し、まともな総裁をつける事を目的にしています。

私は、「学ぶ会」の人達の本音も、このあたりにあるとは考えています。

しかし、これは「きわめて難しい」ことです。
その論証は、あちらの掲示板で「一白鳩会員」が書いた文章を読んでもらうとして、
組織内にいる人間からは、不可能に近い事です。

それなら、もう「分派」という立場に立って、原宿教団は無視する方針で、運営をした
 ほうが良いでしょう。

そのうち、原宿教団内部で変化が起こり、合併という話が出たら、その時に考えたらよいではないでしょうか。


*谷口雅宣総裁への怨嗟の感情が強すぎると感じます。
もちろん、彼は、生長の家という教えも組織も無茶苦茶にした、とんでもない人間です。

しかし、それを全面に出したら、生長の家の信仰という観点からは問題です。

そんなに彼に恨みがあるのなら、藁人形に顔写真と名前をはりつけ
 深夜 卯の刻、五寸釘と金槌を持って、神社の「森の中」に行って,トントンと打ってしまえばいいのです。

そうではなくて、その先をどうすれば
良いかという論点をメインにすれば良いと思います。

(注:卯の刻参りは、恨みの念が自分にも返ってきますから、やった本人の運命もたいへん
 悪くなります。絶対に、しないで下さい。)

*「原宿教団」もそうですが、「学ぶ会」も、閉鎖的だと思います。
もっと、開放的な態度をとったほうが良いと思います。

 他にも、いくつか感じる点がありますが、おもいつくまま、書きました。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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46: 山ちゃん1952 :2011/06/25(土) 14:07:32

トキ様

あまり難しく考えないで下さいね。

雅春先生の初期とか中期とか?

昔は良かったなんてセンチメンタルなことだけは考えないようにしたいと思っています。

それじゃ、いまの崩壊の状態に責任取れますか?

そんな取れることが出来ない。

雅宣氏に悪く言うのも情けなくなるような感情です。

分派やゴタゴタなど戦前にも沢山ありました。戦後間もない頃にもありました。

過去の良かったのは勢いがあったということです。

今後正しく導くにはしっかり勉強することです。感情に押し流されない。
泰然自若な精神を持ちたいですね。

それとここは『生長の家政治連合の話』のスレッドですね。

田中忠雄先生のような立派な先生がおられたということは、「生長の家」というのは
素晴らしいことなんですよ。誇りを持って下さい。
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47: 義春 :2011/06/25(土) 14:20:47
>>45
トキさま

全く同感ですね…ときみつる会は前期・初期雅春先生の時代の感じでやられているみたいです・・
・宮澤先生の御文章のスタンスも『自分は生命の實相という神殿への橋の橋守みたいな存在』と書かれています。

原宿教団は殆ど無視みたいな感じですね。
学ぶ会の会報と比べると心に葛藤を引き起こさなくて済むのは大きいし、
雅宣総裁を抜きにして生長の家を人に勧められる・・・其所も原宿教団を見せなくて良いのは気が楽…です。

違う総裁を就けるのは現状から言って絶対に無理ですね。

だいたい、中の人にそんな発想があるとは到底思えないンです。
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48: トキ :2011/06/25(土) 15:26:37
>>46

山ちゃん1952様

 素晴らしいご教示、ありがとうございました。田中忠雄先生、懐かしいです。
神誌には、常連で執筆をされていました。

難しい文章でしたが、風格のあるご文章でした。

今も時々、昔の神誌を拝読するのですが、お弟子さん達も深い心境をお持ちでしたね。

 確かに、終戦後、栗原先生の独立問題などもあり、揺れた時期がありました。
あの時もたいへんだったみたいです。

あの時は、谷口雅春先生も苦労されたみたいです。
ただ、話を聞いていると、あの頃は、谷口雅春先生も誠実に対応をされたので、
信徒も結局は組織や運動への信頼を失う事がなかったと思います。

 生長の家政治連合の活動停止の際の説明では、
日本国の実相顕現という目標は今後も維持するが、政界を通じての活動には無理があるので、止める、
という内容だったと記憶しております。(違ったらごめんなさい)。

それが、いつのまにか、日本国の実相顕現という目標自体が消滅し、事前にも事後にも説明がなかった、
と言えるような気がします。

勝手な想像ですが、谷口清超先生は、日本国の実相顕現という目標は持っておられた、と思うのです。

が、現在の総裁には、「どうでもよい」事かと思います。

 生長の家政治連合については、私は「傍観者」だったので、よくわからない部分があります。

ただ、生長の家政治連合の活動停止以後、生長の家という組織や運動への信頼感が、
信徒から薄らいだような感想を持っています。

生長の家という組織は、二階にあげて梯子を外すようなマネをする、という感じです。

実際、私と同期で、バリバリ活動し、バツグンの実績をあげていた人が、本部から声がかかったのですが、
断りました。

後日、理由を聞くと「総裁が変わるたびに、方針が変わるような組織に人生をかけられない」
と言っていました。

 個人的には、当時、生長の家政治連合にかかわった人達が、何を感じていたのか、
生長の家政治連合の活動停止にどんな感想があるのか、知りたいと思っています。

山ちゃん1952様ご自身は、当時どんな事を考えておられたのでしょうか。
差し支えなければ、ご教示下されば幸いです。

どうも、行き届かない事が多々ありまして、申し訳ありません。

合掌 ありがとうございます
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49: トキ :2011/06/25(土) 16:04:49
>>47

義春様

 「ときみつる会」の事は知らなかったので、勉強になりました。
宮澤先生は、ずっと外国におられて、あまり日本国内のゴタゴタには
関与されていないので、それが良かったとは思います。

 この騒動の行き先ですが、長期的には、心配はしていないのです。落ち着くところへ落ち着くでしょう。

ただ、短期的には、考える点があります。組織や運動に関わっている人の中に、深いキズをおう人もいます。

あと、1年間に自殺者が3万人も出て、このあたり、教団があんまり関心もないみたいで、その点も残念です。

昔の運動も、ずいぶん不合理な事とか、馬鹿な事もありましたが、
今みたいに、外界の事に無頓着な体質はなかったと思います。

 生長の家政治連合に関しては、「学ぶ会」は、当時の関係者もいるでしょうから、正面から論じて欲しいと思います。

あの運動が、あのまま、うやむやになるのは、生長の家の将来のためにも、良くないし、
関係者の心情を考えると、たまらないだろうとも思います。

私も、当時の本なんかを読んでいるのですが、内情まではわかりません。
やはり、関係者のオーラルヒストリーを 期待したいです。

 とりとめもない話を書いて、失礼をしました。また、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます
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50: 山ちゃん1952 :2011/06/26(日) 01:14:06

トキ様

私は1番気にしているのは憶測でものを言うことです。
生政連をどうして「谷口雅春先生」が発起されたかということです。

戦後間もない頃にも自ら衆議院に参戦されようと京都で進められました。
だが時期尚早ということで断念されたと「五十年史」に記載されています。

しかし、執筆追放から思いを秘められておられました。

だが昭和27年頃から
我思いの根底を揺らぐような気持ちで政治に言葉を発せられます。

だが、理事の反対にも遇いなかなか思いも伝わらなかったように感じます。

沸沸たる思いを持続させ生政連発足に漕ぎ付けられます。
だからとはいえ、雅春先生の迷いは相当です。

この最初にトキ様が指摘した

教団の過度な政治への接近は、信仰への軽視を生み出す場合もあり、
次第に部内からも批判があがるようになりました。

だが、ご存知のとおり明窓浄机の昭和50年頃には「共産党とも手を組むことも」
考えなければならない。と記載しています。
だからとはいえそこだけ読むと解釈を間違えます。

当時の自民党が「生命尊重」をしない政党にウンザリしていたからです。

だから「日本再建」をしたいが、遅々として進まず「本流復活掲示板」に記載した遺言のような
遺文「耿耿の言」です。

谷口雅春先生が昭和58年5月号に寄稿された文章を掲載させていただきます。
寄稿されたのは『動向』であります。

寄稿としての文章はこれが最後の文であります。
遺稿の御著書は『碧巌録解釈』がありますが、

お亡くなる二年前に書かれ、政治に対して、私たち信徒に対しての遺稿の文章だといえます。

私はこの雅春先生がどうして「耿耿」としてお書きになられたのか?
何か涙が出るのです。

「耿耿」は”気にかかることがあって、心が安らかでない様。

最後まで”安らかでない気持ち”とはいかなるものか

私は「生政連」の活動停止は「雅春先生」は許可をしていないように考えます。

それは連続して「明窓浄机」を読んだ感想です。
また『動向』に寄稿された文章を読んでです。


活動停止にどのような印象があるかですが

停止しても良いが
筋道を通した行動ではなかった。議論を重ねて行うのが筋であろうと思います。

当時の大阪生政連委員長は「本部」に抗議文を提出されていました。

それは本当にまともな文面でした。


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51: トキ :2011/06/26(日) 13:14:33
山ちゃん1952様

 投稿、ありがとうございました。

 出先なので、資料がないのですが、確か、明窓浄机に谷口雅春先生が過去、参院選にご出馬をかんがえ
られた事があり、鳩山一郎さんの奥さんの薫さんから、「政界は汚いところですから、出馬はお止めに
なられたほうがいいです」との忠告を受け入れ、断念したと書かれていました。
 ですから、政治へのご関心は強かったと思います。
自民党への失望も、どこかに書かれていたと記憶しております。他にロクな正当がないから、仕方なしに支持している
という趣旨の御文章もあったと記憶しています。

 反面、生長の家に対する影響などもかなり心配をされていました。
谷口雅春先生は、結構、他人に気を使う方で、やさしいご性格でしたから、意に添わない事を我慢する
事も多かったと拝察します。ご本心では、かなり失望をされたとは思います。

 簡単なお返事になり、申し訳ありません。また、投稿します。

合掌 ありがとうございます
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52: トキ :2011/06/27(月) 09:35:39
>>50

 京都から立候補を考えられたというくだりですが、何故、京都から? と疑問に感じたので、
京都第一教区にいる古い誌友さんに電話をして、聞いてみました。

 その方の説明では、当時の関係者は既に全員が亡くなっているので、詳細は不明だ、との事です。
ただ、その方の話では、終戦直後の京都教区は、以下の理由で、谷口雅春先生は頼りにされていた、との事です。

*当時は日本の大都市の大半は、戦災で壊滅状態であり、大半の組織も活動停止に近い状態だった。が、京都には戦災がほとんどなく、
 生長の家の組織も温存されていた。

*当時の京都財界の指導者 石川芳次郎氏は、生長の家の熱心な指導者であり、石川氏の奥様の貞子先生は、京都教区の
 支部長だった。その他、京都の政財界に信徒や理解者が多数いた。

*戦争中も京都教区は活動を継続していたほど、しっかりした組織だった。

 その後、谷口雅春先生が公職追放を受けると、京都教化部は、西日本教化部として、西日本の生長の家の組織指導をした
事実があります。

 昔の事を調べると、いろいろと面白い事がわかると思います。もう少し、調べてみます。

合掌 ありがとうございます
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53: 山ちゃん1952 :2011/06/27(月) 12:15:39
トキ様
京都教化部が戦後間もない頃は西日本教化部としてGHQの関係もあり分けていました。
二三年の間だけだと思っています。その為に昭和50年頃にも京都教化部の地下倉庫に戦前の本が山積みされていました。

京都には『甘露の法雨』を最初に発行した経緯もあります。戦災に遭わなかったために組織がまだ
しっかりしていた部分もあったのでしょう。

私も一時期戦後の生長の家の歴史を調べたことがあります。主に大阪中心です。ただ船越縫次郎先生(立教当時からの信者)の
伝道はすこぶるわかりやすく面白かったですね。

船越先生はカバン職人です。地方に行ってそこで商売と伝道するのですが、長崎県がどうして南と北に分かれているのだと
いうと、当初の船越先生の真理の宣布の方法でそうなったと聞いています。

仕事の関係だけではすぐに帰阪できるのですが、それよりも生長の家を熱心に取り組まれておられ
数日間の地方滞在のほとんどが真理の宣布です。

そうした諸先輩のお陰で生長の家が発展していったのですね。
また吉田清吉先生にもお会いして昔の話を聞いたことがあります。
昔はそうした伝道の姿勢が今と違います。

昨日も昔の資料を見ていたのですが、やはりそうした資料を今は見せないのです。
組織として駄目ですね。歴史があってこその生長の家ですから…
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54: トキ :2011/06/27(月) 20:46:23

 東山半之助先生の「ざっくばらん」という本を読むと、当時の地方信者の心情がよくわかり、面白いです。

山ちゃん1952さんのご文章を拝見し、それを思い出しました。
昔の神誌を読むと、地方道場の由来を書いていますが、
みなさん、本当に、手弁当で、独立独歩、教えを広めてこられたのです。

大阪も阿倍野道場の由来が書いてあり、
信徒さんが、お金を出し合って運営された様子が生き生きと描かれていました。

 昔の人の話を聞くと、谷口雅春先生を含めて、人間味があるのです。
今の組織みたいに、ハイアラーキーな組織では
なく、義理人情の通る世界でした。

これが間違っているとは思いません。信徒が寄付をし、労力を提供する以上、
信徒にはそれを要求する権利があると思っています。

 大阪の話は、私も勉強になります。どんどん、お願いします。また、私も投稿をします。

合掌 ありがとうございます
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55: 山ちゃん1952 :2011/06/28(火) 09:18:28

トキ様
東山半之助先生の「ざっくばらん」という著書は持っていませんので、ぜひとも読みたいですね。

私は過去のそうした歴史を大切にする組織が発展すると信じています。

それぞれその誌友さんがそうした、地元の先生の事を信頼してそれにまとまって生きている姿が本来の生長の家でした。

私の地元に「片村四八先生」という大阪教化部長まで歴任された人がおられます。
大東亜戦争では陸軍の総司令官でインパ−ル作戦では総指揮を執られた立派な人です。

その人が自宅の離れ部屋を提供し、信徒達を呼び集め吹田道場を設立されました。
そうした人の無償の提供が組織が発展する土壌が築かれる。

そういう人は何人もおられ、現在の道場とかよばれるところはほとんどそうした
無償の寄付によりなりたっています。

吹田道場で育って本部講師にもなられた人もおられます。
昭和30年代は神童会も盛んで300人以上の人を集めて賑やかに行っていました。

私も神童会出身なんです。幼稚園の所を借りて行っていました。当時は薫英学園でも
という学校でも少なからず誌友会を行っていました。

そうした有志の人が多く集まったのも生長の家の特色です。

そこで組織がどうして発展したのか今の組織は分析する必要があると思います。
過去の断罪ばかりででは組織は成り立ちません。総括とともに生きた組織の運営
が必要です。
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56: トキ :2011/06/28(火) 11:13:51

 片村四八先生は、戦史に登場する有名な方ですね。興味は持っていました。

悪名高い牟田口廉也中将の後を受けて、インパール作戦で壊滅した日本軍の再建を指揮した人です。

 牟田口廉也中将は、独善的で、我が侭、無能な人物で、実行不可能な作戦計画を立てて沢山の兵隊
を殺し、作戦が失敗すると、部下の師団長に責任を転嫁して次々に解任した人物として知られています。

作戦が失敗しても、責任を取らなかった点も評判が悪いです。
(どこかに似たような人がいると思っては、いけません。)

 戦史では、牟田口廉也中将に解任されて入院中の山内師団長を見舞い、優しい言葉をかけてねぎらった
ので、山内師団長が感激のあまり泣き出した、という記述もあります。

 「ざっくばらん」の話では、奥様の病気がきっかけで入信をしたみたいです。

 昔の陸軍の将官の中にも、信徒さんは何人もいたみたいです。
横山中将という方が、確か信徒さんで、
戦記雑誌に、その方の部下の回顧録が書いてありましたが、「最近の軍隊からヒューマニズムが消えてしま
ったのは、残念だ」と言われていたとあります。

 片村先生は、戦後の事はあまり知られていませんが、こういう事もしっかりと記録する必要があると思います。

合掌 ありがとうございます
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57: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/29(水) 11:05:19

>山ちゃん1952さま
>トキさま

 いやー、信仰五歳児にとってはスゴイ話です。いやほんと、生長の家って
戦前、日本の「なにか」を支え続けていた気がしています。こういった歴史
は大切にすべきですよね。そしてそんな歴史は他宗と比較しても、偉大過ぎ
る物語が溢れているんじゃないでしょうか。わたしももっと、そんな話を聞
いてみたいです。

 余談になりますが、私の祖父も陸軍大尉でした。こんな話を読みますと、
まあ、「祖父の連隊長が生長の家の方だったら・・・」なんて思ってしまい
ます。もしも祖父上官が誌友の方であられれば、我が家にももっと早くに、
この御教えが入っていたでしょうから・・・まあ御教えなしで武功を上げ、
かつ生還した祖父もスゴイですけどね(笑)祖父は「敵前上陸二回+白襷隊
(決死隊)二回」の、尋常ではない猛者でありました(笑)戦史解説は非常
におもしろかったですけど、まあ、連隊長は誌友の方ではなかったのであり
ましょう(笑)我が家には雅春先生の本、一冊しかありませんでしたしね
(笑)
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58: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 12:01:22

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

もうすでに御存知だと思いますが、一度靖国神社の就遊館に行かれたよいと思います。
確か人造半皮『生命の實相』に日記が認められているのが展示されていると思います。

もし、展示されていなければ聞けばわかります。
そうした、戦前の日本の姿を垣間見ることも必要だと思います。

私は遅々として進まない『社会運動の状況』という昭和11年から昭和16年までの
内務省警保局(特高)の資料をコピ−しています。
生長の家の当時の状況が特高という地点から見れるので大変参考になります。
当時どのような運動をしていたのか、教勢はどうであったかという一部は細部まで
見れます。
人間の嫉妬のような文章もあり、生長の家の経験が少ない人には一部見せられない
資料であります。

戦後の『日の丸推進運動』を積極的に推進したのは「生長の家」なのです。
街頭で「日の丸行進」をしてアピ−ルしたのも今や懐かしい思い出しかありません。

トキ様

東山半之助先生は昔から有名な先生ですね。
北海道網走市編纂の資料には『生長の家本部講師東山半之助講演会』と題して
講演会を開催されています。そういうのが市史編纂に掲載されているのです。
昭和26年7月7日開催

「生長の家」本部でもそういう資料が少ないのも事実です。整理が出来ていなかったのでしょうね。
以前に書きました『谷口雅春著作集年譜』の編纂をしているのですが、未確認の
いろいろな資料があり、お蔵入りというのもあります。調べてもわからないのが実情です。

たぶんこの私の資料は「生長の家」の著作集では一番網羅していると思います。
また徐々に発表していきます。

昔は講演会場が少ないので「○○市立小学校」で講演会を行っていたのも
今では考えられない事ですね。
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59: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/29(水) 12:52:05

>山ちゃん1952さま

 靖国神社の件ですが、当然ながら知りませんでした(笑)へえ、そんな資
料が展示してありましたか。次回上京の際には確認してみようと思います。
あの就遊館は上京の際、必ず行く場所です。私の大叔父(祖父の弟)が海軍
少佐でありまして、そしてサイパンで戦死したのですけど、遺影が飾られて
おりますもので。(非常に優秀な人であった模様です。双発爆撃機の設計に
も携わっていたらしいのですが・・・なんでも前線で一次情報収集中だった
とかで。)

 なんてことを述べながら、さてここからが本文なんですが、その貴殿がコピ
ー中と申されますその特高資料・・・も の す ご く 興 味 が あ 
り ま す(笑)いやーすごい方ですね、貴殿(笑)それはぜひ、(一部で
も構いませんが)公開願いたいものだと。そうです、生長の家の「明」の部
分も「暗」の部分も、包み隠さずに行って頂きたいものだと(笑)よろしく
お願い致します。

追伸

 トキさまへ提案なんですが・・・本年末の忘年会でもしませんか(笑)こ
こにおられる方々の都合を聞きまして、そしてどこかに一同会しようではあ
りませんか。
 やや気が早い話とは申せ、今から動けばなんとか、年末予定も空けられる
と思うのです。そして既に、もう6月末でもあります。もう高校野球予選が
開始されますと、体感速度的には「2ヶ月で年末が」くるような昨今(年な
んでしょうかw)・・・と云うことで、どうでしょうか。皆で一同結集する
機会を持とうではありませんか。
(それにしてもおもしろそうな方が、多すぎですここw)
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60: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 13:42:26

先日の「生長の家本流掲示板」でのもみじ様の「谷口雅宣氏を撃つ」という表現を
指摘したのですが、「穿つ」に変更をお願い致しましたところ、早速訂正していた
だきました。なお、少し腹がお立ちだったのでしょう。
わたしの間違い記入も言われました。(笑)

あの時初めて携帯でスレッドの書き込みしたので、深層心理の真相心理という字にしてしまって
いたのです。間違って気が付いたときには送信した後。電車内ではどうすることも出来ません。
もみじ様はプライドが高いのでしょう。

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様
いえいえ全くの勉強不足です。わからない事だらけで知ったかぶりをしているだけです。

恥ずかしいかぎりですよ。

皆様より少しだけ長く生長の家の活動を底辺でしていただけです。

本部とか教化部には現在では縁がありません。

『陵墓』や『怨霊』や『万葉集』『日本書紀』『古事記』『日本霊位記』
などに興味を示す。少し変わった人間です。

それ以外に最近は友達と旅行行ったり飲んだりして楽しんでいます。

趣味は 読書にトレッキングにサイクリングです。
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61: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 13:52:43

すいません。『日本霊異記』の間違いです。
この本は『行基』などの説話で深くしり、大変興味がありそういう場所は近畿では沢山ありますので
信仰するうえでも面白いです。

また『石田梅岩』なども江戸時代の初期の人ですが中期から後期にかけて日本全国に
その思想が広まり「規範」「しつけ」など日常における道徳観念を教えて人ですね。

辻説法で教えを広めて行かれたのです。
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62: トキ :2011/06/29(水) 16:24:46

山ちゃん1952さま

 当時の「内務省警保局」は、検閲などを担当していた部署ですね。

「日本憲兵正史」という枕になりそうな分厚い本によれば、
当時の陸軍の憲兵も、内務省警保局に出向して検閲に当たっていたようです。

思想運動全般を扱っていましたから、おそらく、生長の家に関しても貴重な資料が山盛りでしょう。

あと、戦後のGHQでも検閲をしており、当時の生長の家の刊行物が、保存されているみたいです。
何かのカタログで、大阪の青年会の機関誌が出ていました。

 まあ、運動をしていると、正直、きれいごとばかりではないです。人間ですから、感情的にもなります。

こういうボランティア運動の場合、厚意で皆さん動いているので、一つ間違えると、深く傷つける事になります。
だいたい、どんな文章が予測はつきますね。

 生長の家の地方の教化部の歴史は、だいたい、パターンがあります。

本とか神誌で救われた人が、自発的に立ち上がり、連絡を取り合って、会合を始め、そこから、お金や労力、不動産
を提供して組織を作り、講演会を始めて、組織を大きくする、というものです。

その中に、いろいろな人間のドラマ
がある訳で、義理人情もあれば、葛藤もあるのです。それを無視しては、間違うと感じますね。

 また、ご投稿をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます
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63: トキ :2011/06/29(水) 16:40:39

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

 そうですか。ブログ「雅春先生に訊け」管理人様も優秀ですが、ご親族も優秀な方が多いのですね。

サイパン島で亡くなられたのは、本当に惜しいです。余談ですが、サイパン島は、名古屋の師団が
守備についており、在留邦人の大半は沖縄県の出身の方だと聞いております。

鹿児島県の方は、硫黄島で多くなくなられたと聞いています。
おじいさまは、本当に勇敢な方だと尊敬の念を感じます。

さすがブログ「雅春先生に訊け」管理人様のご親族です。

 個人的な事情で年末の予定が立てられない状態なのですが(すみません)、
有志でお会いする事は素敵だと思います。

 遠隔地の人などは、どうすれば良いか考える必要があり、
また、組織にいる方の中には、顔と名前は内緒、
という人もいるので、そのあたりどうするか、など、宿題もあるので、皆様のご意見も募集したいです。
もちろん、参加したい人だけになるでしょう。「挨拶」板もありますから、ドンドン、ご意見をお願いします。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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64: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 17:44:36

トキ様

GHQの検閲に関しては「谷口雅春先生著作」で私の方でまとめて資料を出しました。

大阪の青年会の歴史については纏めたことがあり、その当時はまだ揺籃の時期で
あり「生長の家50年史」に掲載されていますが、主に戦前の図書に関しては検閲
作業はされています。だが、昭和23年?ぐらいの草創期なのでもしGHQに資料があるので
あれば、情報は多岐にわたっていたのでしょうね。

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65: トキ :2011/06/29(水) 21:24:50
>>64

 「プランゲ文庫」というものがあります。終戦後に検閲された資料がここに集められています。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/プランゲ文庫

 この資料の中に、大阪青年会の会報があるみたいです。業者がマイクロフィルムをコピーし、有料で頒布して
いた時期もあったみたいです。その中に、「生長の家大阪青年会の会報」という文字があったのを記憶しています。
 とにかく、量が異常に多いので、探すのが少し大変かもしれません。しかし、オリジナルの資料が残っているのは
ここぐらいでしょうね。

 大阪青年会の歴史をまとめられたとは、すごいですね。吉倉先生もご健在ですから、記憶しておくとし
たら、今ですね。

 余談ですが栗原得二先生は、その後、どうなったのでしょうか?(つまらない質問をして、すみません)

合掌 ありがとうございます
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66: トキ :2011/06/29(水) 21:26:38
「Wikipedia」より

プランゲ文庫(プランゲぶんこ)とはゴードン・ウィリアム・プランゲ博士(Gordon William Prange)によって
占領下の日本で検閲された出版物が収集されたコレクションである。

米国メリーランド大学の歴史学教授に籍を置きつつ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の
参謀第二部(GII)で戦史室長の任を勤めていたゴードン・ウィリアム・プランゲ博士によってGHQにより
検閲された資料がメリーランド大学に移送された。当時、発禁となった刊行物も多数含まれており、
占領下の日本の資料として他に類を見ないものである。

当時の時局を反映して紙質が悪く、更に空調設備のない書庫により資料が経年変化で劣化していることから、
80年代よりマイクロフィルム化が進められてきた。早稲田大学の山本武利教授を代表とするプロジェクトチームは、
2007年にデータベースを完成させ、現在はその修正作業を行っている。
(占領期新聞・雑誌情報データベース)

(ご参考まで)
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67: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 08:57:12

 トキさんすみません・・・ブログコメント欄不調のため、こちらに掲載さ
せて頂きます。

>茉莉香さま

 返信が遅れてすみません。しかしながら驚いたことを一点。
 貴女が弊ブログに寄せられた「盲亀浮木」の故事でありますが、これ、ち
ょうど一週間前に知ったものでありました。貴女が投稿してくださらなけれ
ばあやうく失念するところでした。ありがとうございました。
 本当にこの故事は、含蓄に富んだものですよね。素晴らしい例え話だと思
います。また貴女さまと関心の所在が一致しておりまして、嬉しく思う次第
です。今後もよろしくお願いします。
 なおコメント不調の件ですが・・・管理人直接投稿以外はOKです(笑)
ですんでガンガンにお願いします。(返信はこちらになるやもw)笑える話
がありまして、先日貴女さまへ返信を書きましたらいきなり、投稿記事が乱
れまして、そして掲載していた写真がなぜか「藤原敏之先生」に代わってし
まい(爆笑)「もう、先生・・・そこまでファンを(貴女のこと)大切にな
さるのか」とツッコミを入れた次第でした(笑)

>商人さま

 上記のような次第でありまして、コメント返信遅れを深くお詫び致します。
さて最近、感動したお話など。
 栄える会に所属される方が、電話で教えてくださったことなんですけどね、
なんと神は、会社創業の際に(   )までも同時にお創りになられておられ
るとかで・・・で、この(    )内に入る言葉、お解かりになりますか?

 まあ多分、この話・・・たぶん私と貴殿しか「おおお!」と感動できぬと云
う、そんな話になりますけどね、ですんでこの答えですが、あきんどの方以外
はあまり期待されない方がよいのですが・・・やや余談を述べますと、なんせ
かのドラッカー先生ですが「どんな聖人君主でも天使でも、ひとたび彼がCE
Oの座についたその30秒後には・・・ 利 益 の こ と を考えざるを得
ない」なんておっしゃってます・・・まあ、こんな世界に生きている人しか感
動できぬ、そんな話になりますが。

 で、カッコ内の答えなんですが、これ、「顧客」らしいです。

 おお、神は会社創業の際、顧客までもお創り給うておられたか(!)いやー
バンザイ三唱でも足りないくらいのお話しですね。

南京攻略時の熊本第六師団なみの大音声で「バンザーイ」と叫びますかね
(ちなみにわが祖父、六師団ですたw)

 私はこの言葉で、だいぶ気持ちがラクになりましたよ。
「事業に於ける有効な定義は唯一つしかない。それは『顧客の創造』である」(ドラッカー)

なんて云われ、そしてあせりまくっております昨今ですが、雅春先生ならド
ラッカーさんに対し「・・・もうそれは、創造済みなのでありますよ」とお
答えになろうかと(笑)

 追伸

 でもまあドラッカー先生ですが、この人はやはり、天才だと思います。私
は同先生を「日本的経営を肯定している点」で評価します。非常に好きな人
なんですがね。ただ高校野球の女子マネには、経営よりも「男ゴコロを」学
んで欲しいですが。
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68: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 09:00:50

>トキさま
>山ちゃん1952さま

 有益なる御話をありがとうございます。なお以下は、生長の家「偉大な
る$謾y談」の呼び水として、そして一方的ではありますが、「我が家の先
祖供養」を兼ねましての、そんなお話になります。お付き合い頂けますと幸
いです。

 我が祖父は、かの熊本第六師団――司馬遼太郎談「日本最強の師団」の基
幹連隊・都城二十三連隊におりました。支那事変では、杭州湾上陸戦に参加
しまして「演習の時のほうがたくさん死んだ」という(どんな演習だ、それ?!)
圧勝を以ってかの地へ上陸した模様です。

支那軍は、この祖父所属連隊の数字「23」を見るだけで潰走したらしいのですが、
まああんな「祖父みたいなイキモノが何万人も来れば、そりゃ逃げるわ」と
同情する次第でもあります。

その後この六師団ですが「鹵獲兵器20余万点」という、空前絶後の戦
史レコードを作っています。個人的には「当時の支那人に生まれなくてよか
った」と思えるほどの、そんなオソロシさです(笑)

 そして以下は、まああまり戦史に記録されていないことですが、祖父現場
談を述べますと、「三菱は鬼畜である」と(笑)

 なぜといって蒋介石軍陣地を占領しますと、なんと多数の日本製兵器があ
ったとかで・・・ああこれ、あまり話すとヤバイんでしょうかね(笑)まあ
三菱ですが、敵方にも兵器を売っていたんですね(笑)ですんで就職活動の
時、祖父は私に「三菱に行ったら孫に非ず」と厳命してましたが(笑)

 その後の祖父ですが昭和16年開戦時に、比島リンガエン湾上陸戦に参加
します。あの小林よしのり氏『戦争論』にて、高村氏という方の戦場記録が
描かれておりますが、あの上陸地点で照明弾を上げたのは・・・なんと、我
が祖父の小隊でありました(笑)

「上陸前日、なーぜーかーオレの部隊だけ、食事に『梅干』がついていた。」
「他は米だけだった」「だから『あっ、明日は命日だ』と思った」とかで(笑)
いやー、ヒューマニズム欠如の日本陸軍ですが、まあ、照明弾を上げる部隊
に「梅干をサービスする」くらいの配慮は、あったんですね(笑)

 ・・・「梅干を食べたから」かどうかは知りませんが、まあ予想どおり祖
父小隊は「照明弾をあげよ」と命じられます。そして上陸した祖父は照明弾
を上げたのですが、その後「 重 機 関 銃 !!!ババババババババ!
!!」(口調、祖父のソレそのままw)の猛射を受けます。もうそれは「大
便をもらしたゾ」てな位の脅威であったらしく、さすがの祖父も「ここで死
ぬ」と思ったようです。しかし「ここで逃げたら先祖に申し訳ない」とのこ
とで、祖父、ここで部下に「前進撤退」を命じます(笑)

いやー、この前進撤退ですが、
ヤンキー共は度肝を抜かれたらしく・・・なぜか祖父は生存します。
しかも部隊全員生還だったとかで(笑)島津家は関ヶ原でほとんど戦
死しましたが、祖父は強運でしたね・・・しかし迫ってくる、その帝国陸軍
中尉には、ウンコ(梅干入り)ついているだから、なにも逃げなくてよかっ
たのに、米軍(笑)
 
 ・・・その後コレヒドール要塞攻略戦に参加し、「マッカーサーを捕り逃がし
た!」(祖父談)が勝利しまして、そしてあの捕虜護送「バターン死の行進」
にも参加しております。『東洋の凱歌』という記録映像にバッチリ映ってい
るらしいんですが、どれだか判りません。

 その後祖父はマラリアに罹患し、野戦病院で母方祖父の上官(軍医)に出
会います。軍医だった母方祖父(野球の名手でもありました)とはここで縁
ができまして、そしてその後、肉体の私が誕生した次第です。まあ肉体の私
がここにいるのも、マッカーサー菩薩様のお導きと云えようかと(笑)

 祖父も11年前に亡くなりましたが、亡くなる前日の言葉は「マッカーサ
ーを捕り逃がした・・・」でしたが、いやー祖父にも御教えが入っていれば
・・・(中略)・・・まあ、まだまだオモシロイ話があるのですが、本日は
このあたりで。

69: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 09:23:37
「我が家の先祖供養」を兼ねましての、そんなお話になります。

 ・・・なんて云いながら「ウンコもらした」はないですね(笑)ごめんなさい、
おじいさま(笑)
__________________________________________________________________

70: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 09:28:49
追伸

 大切なことを云い忘れておりました。補足です。テーマは「愛国心」にな
ろうかと。
 愛国心とか申しますと、なんか祖父のような系統の、そんな武勇伝がメイ
ンになりがちです。でも私は、「これは少し違うぞ」とも思うのです。
 そんな気持ちを込めまして、先日こんなブログ記事をアップしました。こ
の「筑前の正助」ですけど、こんな一見地味な行為の積み重ね・・・これぞ
真の愛国者の姿ではなかろうかと。

●利己心を死に切る
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562827.html
________________________________________________________________

71: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 09:54:52
トキ様
名前は占領史のなかで聞いていましたが実際の資料は見ていませんでしたので
本当にありがとうございます。
ただ、会社ではこのブランゲ文庫は開封することが出来ません。
財団法人でその資料のコピ−等を行っているのですね。

当時の生長の家は進駐軍の所在地から近くあり、当時の上六(上本町六丁目)
付近で都ホテルが焼け残っていたと聞いています。たぶん目立ったのでしょうね。

吉倉先生は草創期の青年会のメンバ−です。御著書にはそうした当時のご様子も記入
していますが、詳しくは残っていないです。
さて、我らの大先輩である吉倉修三先生のお宅に訪問してみます。
____________________________________________________________________________

72: トキ :2011/06/30(木) 10:29:59

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

 どうぞ、どうぞ、どんどんご利用下さい。

 ところで、昔の陸軍では、九州の部隊は強かったみたいです。東北の部隊は粘り強く、関西の部隊は計算をする、と読んだ事があります。

>>「演習の時のほうがたくさん死んだ」という(どんな演習だ、それ?!)

って、その通りですね。今なら、大問題になるでしょうね。w
 しかし、こういう貴重な英霊の犠牲の上に、今日の平和と繁栄があるのですから、私達は心からの感謝と尊敬の気持ちを護国の英霊の皆様に
表しなければいけないと思うのです。

 愛国心についても、ご教示の通りだと思います。
 昔は、よく戦争をしておりましたから、戦争で闘うのが愛国心である、という発想でも通用しましたが、これからは、もっと地道で目立たないが
コツコツとした行いをし、それを継続する事が、大切であると感じます。

 いつもすばらしいご投稿に感謝申し上げます。忘年会の件も、関心の有る方は、「挨拶」板へご投稿をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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73: トキ :2011/06/30(木) 10:42:35
山ちゃん1952様

 生長の家の歴史を調べる時に、どうしても部内の資料を集めるとうい発想をしますが、部外の
資料を見る発想は出て来なかったです。『社会運動の状況』は、左翼運動に歴史を調べる人には
常識なのですが、生長の家の運動が記録されていたとは思わなかったです。

 他には、古い「生長の家」誌(緑色の表紙)を読むと、各地方道場のいきさつが連載されていて、面白
かったです。こういうのも貴重な資料ですね。

 他には、信徒さんや講師さんが、自費出版で回顧録を出しているのを、古本屋でよく見受けます。
以前は見逃していたのですが、少しずつ、集めてみようかと思います。

合掌 ありがとうございます
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74: 商人 :2011/06/30(木) 12:37:13
我が尊敬するブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
 今日もとてもすばらしいお話しありがとうございます!!
今日もまた幸せな気持ちになりました。
只今、藤原先生のご本を繰り返し繰り返しよんでおります。
とてもよいご本を紹介していただき感謝しております。

6月も今日でおしまいですね。7月もよい方へ善い方へ進めますようにがんばります。
我が尊敬する管理人さんのブログとてもためになります。 ありがとうございます。
いろいろ教えていただけるすばらしい!私の先生です。

トキさん 
ここの掲示板もすばらしい内容ばかりですね。
どんどん増えていきますね、過去の記事が埋没するのがもったいないくらいですね。
 
すばらしいですね トキさん
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75: トキ :2011/06/30(木) 12:44:50
商人様

 過分のお褒めのお言葉、恐縮いたします。商人様を始め、すばらしい投稿者ばかりですから、素晴らしい掲示板になったのです。
本当に感謝申し上げます。藤原先生も、きっとお慶びでしょう。ご存命中に会う機会がなくても、藤原先生は、きっと皆様のそばに
おられます。目は鋭かったですが、暖かい先生でしたから。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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76: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 17:32:49
>商人さま

 最近流行っている言葉があるようですね。それは幻冬舎社長の見城さんの
言葉らしく、サイバーエージェントの藤田社長経由で広まっている言葉らしい
のですけど、その言葉とは、

憂鬱でないのは仕事じゃない

 なんて言葉らしいのですwこの言葉、確かに迫力ありますし、「流行るのも
頷ける」次第ですし、たくさんのビジネスマンが「感動しました」と意志表明
するのも分かります。けど・・・
 我々は良かったですよねwなんせ我々にある言葉は「憂鬱でないのは仕事じゃない」
なんて言葉ではなく、「自壊作用」「向こう倍力」なんて(強力な)言葉です。
「ああ早く、皆に雅春先生の御教えを届けてやりたい」なんて思う次第です。
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77: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 19:35:58
トキ様
栗原得二先生は『人間性の解剖』昭和24年二月一日発行の場合、著作として出版されておられます。
後ほどに編者として名前が出てきます。
はたして、どういうことか今では分からないが、三通り考えられる。
まず、谷口雅春先生が執筆追放のため著作を栗原得二様にて出版なされたのか?十分にありえます。
もう一つは栗原得二先生がそのまま編集のみ行っておられたのか?
次に栗原先生の文章を谷口雅春先生が校閲されたかです。今ではわかりません。

さて質問にあった栗原得二先生ですが、大阪に住まわれたのか知りません。

ひょっとすると、栗原保介先生ではありませんか?

昭和11年頃には東京下落合の相愛会の責任者です。
その後大阪の豊中に移られ、萬成書房の出版責任者として活躍されます。
その当時は本部講師役職です。
昭和30年代にはその名前は消えていきます。
以前に大先輩に聞いたのですが、控えていなかった為、忘れています。
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78: 義春 :2011/06/30(木) 19:47:59

♪またも負けたか第8連隊
…っと大阪から、こんばんわ。

上記の節は婆ちゃんから習いました。

先祖供養がてらに私が聞き及ぶ話を一寸書いてみますか。

私の家は代々、海軍の一家で何代か前の先祖は
海軍大将となった様です。

今も母方の本家に海軍大将の正服があります。

私が昔語りするのは曾祖父の事です。

何から話すか悩みますが戦前の大事なところを観た人なので長文ご容赦下さい。

曾祖父は(恐らく明治末期から)大正時代及び昭和初期に海軍に属してました。
呉の海軍兵学校卒業後に世界一周に出るのですが、
アメリカには寄港しなかった…との事。

大東亜戦争開戦よりだいぶ前だった筈ですが…
アメリカにはオレンジ計画があったので、
お互い仮想敵国として観ていたのかもしれません。

帰国した後、閑院宮の侍従武官として宮中にも出入りし、
大正天皇様の俗に言う『丸眼鏡事件』も現場で観ていたそうです。

大正天皇様の資質が問われる事件だったので、
私自身、衝撃を受けたものです。
(※私は大正天皇様の漢詩に飛行機を詠みあげる作品とか好きなんで)

…で、此処からは私には血の繋がりを感じさせる話なんですが・・
・曾祖父…或る時、閑院宮様を連れ出して呑み歩いたそうですw

ひいじいちゃん、あんた、何してるんですか!?(汗)な話ですが
…本当の話なんで質が悪いw

で、宮さん、お土産に饅頭買っていって宮家の人に
『これは預からせて頂きます』と言われて没収された…らしい…ホント、
何やってるんですかw

ちなみに、どっちが金を出したかは知りませんw

(続きます)
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79: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 19:49:45
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様
私も大阪出身ですから陸軍のことは父から聞いています。
『またも負けたか八連隊 それでは勲章九連隊」
(京都の歩兵第9連隊 「くれんたい=もらえませんよ」のもじり)」

大阪の陸軍は弱いという定説が広まりましたが、実際は違うようですよ。
それは「西南の役」にその噂が始まったとされます。『近世日本国民史』徳富蘇峰がその
一躍を買ったといえます。

だが、噂というのは今も確証なしに語られています。
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80: 義春 :2011/06/30(木) 20:09:11
それで海軍の教官等をし軍歴の最後は戦艦武蔵に乗って終わったそうです。
退役の際に昭和天皇様に拝謁し銀杯を頂いたそうです。
これも戦火を逃れて母方の本家に残されています。

これから話すのは歴史の闇になる事ですが、
曾祖父の娘である祖母から聴いた通りに書きます。

廬溝橋事件というものが支那の国民政府と起こりましたが、
その時、現場にいた兵士が祖母の担任にいました。

それで授業中にこういったそうです。

『あの事件は日本側から発砲した』

と・・・勿論、政府や軍部の発表とは全く違います。

戦前に於いて、これは非常にヤバかったのは言うまでもありません。

それだから
(その頃、都島で地主をやっていた事から町内会長をしていた)
曾祖父は担任や校長に口止めし担任が憲兵に捕まらない様に
世話をしたそうです。

それで・・・大東亜戦争の開戦。
曾祖父は『この戦は負ける。
だが、これは戦わねばならぬ戦である。』と言ったそうです。
若い時に世界を観てきた曾祖父は全てを悟っていたのかもしれません。
圧倒的な工業力・国力の差、白人支配の世界の恐ろしさ…その全てを…。

で、戦中の大阪大空襲…。
祖母が今でも言ってる事ですが…
『絶対に米軍のパイロットは私達が見えてたよ。

だって私、米軍のパイロットを見たよ。
あいつらは私らが逃げられないように淀川に焼夷弾を落として焼いて
逃げられんようにしよった。』

『おばあちゃんの一番仲の良かった子も撃たれてね、死んだ。
夜になると蛆が死体を喰ってる音がしたよ。だから、
今でも鬼畜米英と思うよ。』


…焼け野原になった都島ですが曾祖父は進んで朝鮮人の世話をしたそうです。
大半は世話をしても知らん顔でしたが、時折、恩を返しにくる人がいて
喜んだとの事です。

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81: 義春 :2011/06/30(木) 20:27:11
…曾祖父の最期ですが…私は曾祖父の逸話の中で一番感動し、
又、その曾祖父を誇りとする話です。

曾祖父も私と同じ様に直腸癌で死にました。まだ昭和30年代。

私も身を以て知っているのですが末期になると手をつけれない痛みに苦しみ、
人格すら崩壊する激烈で凄惨な痛みに襲われるのですが、
曾祖父は一言も『痛い』とは言わなかった…
それどころか人格を保つ為にモルヒネすら使わなかった
…そして看護婦さんに凄く気を遣っていた…と。

病状を知ると…ただ、『●●君に頼む。』と知り合いで
小さな頃から世話をした医師の名を挙げ、淡々としていた…と。

私は、身体は癌に侵されても、心や魂までは病に負けず、
己の生き方を通した曾祖父を誇りに思う。

だから、人工肛門を観た(曾祖父の娘である)祖母が
『お父さんも苦しんだ人工肛門がお前にまで・・・』と
涙にくれたのを観ても、曾祖父が守ってくれてる様な気がして、
逆に嬉しくなった…母方の一族が苦しんだ大腸の病、
我が代で必ず、勝ってみせる、
そして黄泉でまみえた時に胸を張って会いに行こう…と。

その曾祖父も黄泉から私を助けてくれている様で、
前回の闘病後に買った家の引っ越しの折り、
祖母の心に『水回りの道具持っていかんでどうする!』と
叱ってきた…そうです。

俄に信じられないけど、買った家も有り得ないくらいのタイミングで
手に入ったりで、先祖達の助けがあるのだと思わざるを得ない。

…そんな、とある一族の歴史でした。

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82: 義春 :2011/06/30(木) 20:33:17
>>79
山ちゃん1956さま

そうなんですよね〜結構強かったりするんですけど、
都市部出身者は弱兵だというイメージが強かったみたいですね。

そういえば、私が異常に歴史に詳しいのを以てド阿呆な事を
書いていた輩がいましたが…

一言言うなら『こっちは先祖達の想いが詰まってるんだよ!
そんなそこらの奴と一緒にするな!
あんたらはどれだけ先祖達と共に生きたかった分かるか?
どれだけ先祖達の想いを後世に遺したいか分かるか?』と
だけは言いたいかな。

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84: トキ :2011/06/30(木) 21:20:59
>>77

山ちゃん1952さま

 栗原先生で勘違いをしておりました。申し訳ありませんでした。
栗原保介先生と栗原得二先生を混同しておりました。

 私が、古い信徒さんから聞いているのは、以下の通りです。

 大阪の栗原先生は、青年の育成に努力をされ、大阪の青年会を大いに発展させました。
が、その後、野心を起こされ、独立して別派を立てられました。そのときは、生長の家の青年を
大勢、引き抜いたと言われています。谷口雅春先生は、たいへん悲しまれました。その時に
生長の家に残った数少ない幹部が、吉倉先生という事です。

 戦前からの本部講師経験もある方から聞いた話では、当時の本部講師は薄給で、栗原先生はお子様
が多数おられたので、生活のために、やむを得なかったのではないか、と話をされていました。

 ただ、独立後は、噂をきかないので、どうなったのかなあ、と思っています。

 一般論として、別派を立てた人は、長く続かないみたいです。幸福の科学の善川さんと、白光の五井さん
ぐらいしか、続いた人はいないみたいです。

合掌 ありがとうございます
_______________________________________________________________________

85: トキ :2011/06/30(木) 21:24:13
 義春様の先祖はすごいです。きっと、指導霊として、正しく導いていますよ。

>>大正天皇様の俗に言う『丸眼鏡事件』

 すごい現場におられたみたいですね。
やはり、素晴らしいご先祖様がおられるから、義春様も素晴らしいと
思います。これからも、期待しております。頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます
_______________________________________________________________________

86: 義春 :2011/06/30(木) 21:41:31
>>85
トキさま
絶対にそうだと思います。

曾祖父も和籍・漢籍に詳しかったのですが、
私も小学生時代から普通に読んでました。

何か趣味とか色々なエピソードが似てるんですよね…で、
困った事に俗に守護霊の1.5割増くらい強烈に影響されるというので、
この困った性格も曾祖父の影響なんだと思います(笑)

まっ、嬉しいンですけどね(笑)

ちなみに生長の家は現象的には父方から受け継いだのですが、
曾祖父の嫁さんの曾祖母も戦前、未だ初期の頃に生長の家を
信仰していたみたいです。

でも曾祖父が『軍人の嫁たる者が宗教信じるなんて赦されん』と
いう事で止めたらしいです。

その曾祖母は私が3歳の時に亡くなりました。
(あぁ雅春先生と同じ年に逝ったのかな?)

曾祖母に母方の一族は男子が居なくて大変可愛がられたとの事なので、
たぶん、霊的には母方の方から伝わったのだと思います。

何故かと言うと、
何故か生長の家に関しては色々口では言い表せないのですが
上手くいかなかった…だけど、

国の事を学び始めてから自然と上手くいく様になった…
それだから、黄泉に於いて、曾祖母が曾祖父を説得なされたのと、

曾祖父は私の根性がマシになったのを御覧になられ私の信仰を
許されたのだと想うのです。

だから、信仰は四代目にして活動は初代という滅茶苦茶な
感じになってしまいました。

_________________________________________________________

87: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 21:43:43
トキ様
そうですね。たしか別派を立てられて出て行かれましたね。

青年会の一部を引き連れてです。

栗原保介先生は『白鳩』誌の創刊号に掲載されていますから有名です。

だが急遽に本部講師になると駄目ですね。勉強はしていないし、理屈のみで対処
するからいけません。やはり伝道や家庭訪問を通して育った人は筋があります。

それと歴史観と国家観が熟成していないと無理でしょう。
______________________________________________________
88: 山ちゃん1952 :2011/07/01(金) 10:37:55
義春様

大東亜戦争の勃発時の国民の状況というのは凄まじいものを感じます。
当時の新聞や雑誌等は非常事態を煽り、国民は疲弊していたのにも拘らず
それを推進していた部分もあります。
また、食糧難や物資の配給等戦前でもありました。

しかし、戦争は駄目だとは簡単に言えます。
だが当時の状況下で果たしてそういうことが言えるかどうかは
が難しい所であります。

国民は騙されていたということも簡単に言えます。
だが、国際的にもそうした国が多かったのも事実であります。

私も近世の歴史をあらゆる部分で見た時に「15年戦争」とかいう大学教授はいますが
決して歴史というのはそういうスパンではみれない。

たとえば、明治時代の「岩倉使節団」からの日本の脅威の発展は江戸時代の優れた技術
というのがあればこそなんです。
それを無視して日露戦争や日清戦争は語れないのです。それこそ江戸時代は未開の
地であった日本が何の技術もなく、たとえイギリスやドイツの技術者を呼んでも
そこまで到達するかは疑問であります。
そこには”文字書き”が出来る要素があり、語学を学べる要素があったからなのです。

「逝きし世の面影」は渡辺京二著の大著であります。江戸時代の後期の日本人の人物像
を探るには欠かせない書物であります。
また「江戸という幻影」という書物も見ごたえがあり、いかに日本人が生きたか
また現在とあまり変わらない生活にびっくりされると思います。


また、大阪では町人の町ですが、だからと言って武士の人数はどうだったのかしっかり
判別できていません。だが武士と商人との格差というのを感じなかったというのが
判明している所です。

戦後66年、どれだけのことを私を含め知っているのでしょう?
自虐的史観だけでは到底歴史はわかりません。
今は「生長の家」からそうした専門的な分野で博識な人は
いません。

まだ、私が青年会時代は歴史に詳しい人は何人もいました。勿論
憲法についても同じです。
運動もやりながら必死に勉強していた人ばかりです。
千葉県教化部長を歴任された安東先生は博識であり勉強家でありました。
家には蔵書といわれるものが30数年前でも2万冊はあるといわれていました。
森田先生もそうですね。一度聞いたことがありますが「数えたことが無い」と言われましたが
大宰府では家に書斎を作られています。

私も天皇陛下の関連書物は1000冊は超えます。憲法や歴史や大東亜戦争
そして生長の家の本と1万冊は軽く超えます。だがいつも勉強不足を痛感
致します。
とりとめのない話になりましたが、歴史をある一点だけで見ないことが大切
です。
__________________________________________________________________________

89: トキ :2011/07/01(金) 10:46:14
>>86

 昔の軍人さんの中には、生長の家とか信仰を毛嫌いした人がいたみたいです。
硫黄島守備隊関係者の回顧録に、部隊長が「生命の実相」に感激し部下に配布しようとしたら、
副官が反対して止めさせた、という話が書いてありました。

 でも、霊界で、ご先祖様も、きっと真理を勉強されています。
義春様のご活躍も、ご先祖の導きによるものでしょう。

 今後とも、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます
_____________________________________________________________________________

90: トキ :2011/07/01(金) 11:23:08
>>87

山ちゃん1952様

 生長の家の講師で、たまに分派をされる人がいますね。
谷口雅春先生は、秘密主義ではなく、何でもオープンにしますから、
やる気の有る弟子だとすぐに上の方に行けます。
 特に、ある種の霊感がついてきた人は、独立をされたり、ある種、
勝手な振る舞いをする人が多いです。しかし、そういう人が続くのは
あまりないみたいです。栗原先生は、どうだったのでしょうか。

 幸福の科学の善川三郎さんとか、白光の五井昌久さんなどは例外的に
続いています。生長の家から信徒を引き抜いて独立する人もいます。

 生長の家の幹部や講師の中には、夜郎自大になり尊大な人がたまに
います。救済力はあるのですが、危ないな、と感じるときがあります。
谷口雅宣先生の尊大な態度も、こういう教団の風潮と関係がないとは
言えないと感じます。

 あと、榎本先生が、晩年、回顧録を書いておられて、信頼の出来る人
だけに配布してた、という噂を聞いた事があります。自分の気持ちを理解
してくれる人だけに渡していたみたいです。

 とりとめもない感想を書いて、すみません。
また、ご教示のほど、お願いします。

合掌 ありがとうございます
_____________________________________________________________________________

91: 義春 :2011/07/01(金) 11:37:28
>>88
山ちゃん1952さま

先ず、お名前間違ってしまっていた事、お詫び申し上げます。
(何となくですが、書き込みを拝読しながら私、山ちゃん1952さまを
存じ上げてる様に感じました。)

勿論、歴史は川の流れみたいに途絶える事がなく、
又、色々な立場により色々な見方がある・・・そう感じ、理解してます。
(自虐史観はその流れを絶ち、断絶的に観るから断絶史観と自分では思ってます)

細かいところになりますが・・例えば、江戸時代の手拭いのデザイン等は
今と何ら遜色がないというより…むしろ斬新さがあり観る度にはっとさせられたり、

大坂では今と同じ様に先物取引が開始されたり…又、曾祖父の生きた
大正時代の東京を調べると大変華やかで洗練された都市だなぁ…と感じます。

確かに、道はアスファルトではなく良くて
(『盲目のアッピウス』以来のローマ時代から使われていた)
石畳ですが、それすらアスファルトにはない味すらあるなぁ…と
感じました。

正直、今の大阪の青年会には・・
・最早、歴史に詳しい方は殆ど…数人くらいしかいらっしゃらなくなりました…ね…尊敬する先輩方も次々に卒業なされました・・

ですが、今ほど勉強したいとって想える時はないです。
(※曾祖父の話に出てきた廬溝橋事件等は私自身は資料を
漁ってると八路軍の工作によるものしか思えないから、
何でそんな発言が出てきたか…と少しずつ調べてます。
そもそも教員に復職出来たのか?とか色々疑問点があるので…。)

森田先生のいらっしゃった頃にもう少し勉強しとけば良かった…
と思いっきり反省してます。

重ね重ねのご教示、真に有り難うございます!
____________________________________________________________________________

92: 義春 :2011/07/01(金) 11:46:04
>>90
トキさま
大川隆法の『谷口雅春の霊言』は善川三郎の著作みたいですね。
善川自身は生長の家の組織を手本にしたかった…と聴いてます。
(ちなみに能力的には大川の兄、富山(故人)の方が高かったらしい)

で、此処だけの話、アレの元は幹部限定の講話資料を本部より…
したという事だと聞き及んでいます。

そういえば・・・雅宣総裁に苛められ辞めた人が幸福の科学に入り、
幹部となり、この前の衆院選で幸福実現党の幹部になってました…。
_____________________________________________________________________

93: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/01(金) 11:50:53
>山ちゃん1952さま
>義春さん

<「またも負けたか八連隊」の件>

>大阪の陸軍は弱いという定説が広まりましたが、実際は違うようですよ。

 同意です。「大阪朝鮮高ラグビー部」を例に出すまでもなく、あの大阪人
が、ヘタレなわけがない(笑)
 以下は祖父談を元にした類推なんですけど、まあ、かの帝国陸軍ですが・
・・都市部の連隊の扱いには「非常に困っていた」様子ではありますね。ど
う困っていたかと申せば(祖父曰く)「戦死者出ると、大量の未亡人が出る
だろ?」「都市部未亡人は、身を寄せるところがないだろう?」てなお話し
でありました。日露戦後の日比谷焼き討ち事件に見られるが如く、まあ、都
市部連隊で戦死者が大量発生しますと、政情不安を喚起するとかで・・・

 で、そこで登場するのが九州ですよ(笑)ここの連隊は非常に便利≠ナ
す。いくら死のうが政情不安になりません(笑)むしろ「○○さあんとこ死
んだ?」「ああ、名誉なこって、かっこよかー!」てな連中がゴロゴロおり
ますし、家計も長男が死のうが「次男三男・・・八男」まで、豊富に取り揃
えております。さらに戦争未亡人を支える共同体まで、完備されているとい
う(笑)ですんでまあ、九州連隊、「強かった」のは確かでしょうけど、
「運用されやすかった」ゆえの、そんな強さだったのではなかろうかと。
「他と比較して実戦経験が尋常ではなかった」なんてところが、要因なので
はないでしょうかね(笑)

追伸

「戦争未亡人が 大 阪 で 大量発生したら」なんてイフ話・・・おそろ
しくで想像できません(笑)おそらく日比谷焼打事件を、軽く超える規模の
暴動に・・・(中略)・・・ゆえに「またも負けたか八連隊」ですが、誰か
が、仕掛けた話なのかもしれませんよね。「またも負けたか八連隊」である
限りは、まあ、「大阪連隊の投入・・・今回は見送りましょう」てな空気を、
会議席上で醸成しやすかったでしょうからね。

余談・・・

 書きながら思い出した、祖父戦場談などを。なにかの小ネタにお使いくだ
さい(笑)
 この、連隊に於ける強さ≠フ定義なんですが・・・日本陸軍には特殊事
情があった模様です。その特殊事情のキーワードは武器の故障≠ナあり、
連隊の強さとは「故障修理のうまい兵隊が、どれだけいるか」なんて部分が、
大きかったとか(笑)
 これ、山本七平さんも述べておられましたけど、「射撃の名手とは、修理
の名手なのだ」というのが実情だったようで・・・要するに日本陸軍、「武
器の故障に悩まされたつづけた」のが実態のようです。そんな視点を入れれ
ば田舎連隊、強かったでしょうね。都市部よりは九州連隊、手先の器用な兵
隊がワンサカいたでしょうし、そしてそれゆえの「九州連隊最強」神話、な
のかもしれませんね。

 ところで我が祖父、「三菱が兵器に菊の御紋≠入れるから、現場から
苦情が言えなかったのだ」なんていう、ミモフタモ無いストレートを投げて
ましたが(笑)「あの菊の御紋≠ヘ、メーカーのクレーム回避術だったの
か!」と気づいた次第です(笑)陛下からタマワッタなんていうことにしと
けば、これ、現場はクレームつけられませんもんね(笑)ですんで祖父は、
戦後も日本製、あまり信用してませんでしたね。「余程怖い思いをしたんだ
ろ(日本製品で)」てな私見を持っている次第です。

>義春さん

 あんたの祖先、おもしろい(笑)あとでツッコミます(笑)
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94: 義春 :2011/07/01(金) 12:08:47
>>93
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
うちのひいじいちゃん、オカシイ過ぎるw
何で皇族連れて呑み歩くんだ…と色々、あの世に逝ったら
ツッコミたいw今から死ぬのが愉しみになってきましたw(ヲイ


ちなみに、実際に聴いた私はその場で茶噴きましたw

ってか閑院宮…たぁ〜ぶん年齢や行状からすると
最後の閑院宮だと想いますけど、閑院宮って軍籍は陸軍なんですよね・
・・で、曾祖父は海軍。

侍従武官になれんかと思ったりしますw
もしかすると閑院宮が軍籍に入る前かもしれませんけどw

(戦艦武蔵は戦前の物みたい、戦艦も代替わり(?)していたみたい)

大阪で未亡人大量発生したら大阪城の駐屯地がエライ事になってたと確信しますよ、
考えたらだけで恐ろしい。
(・・・そういえば、薩摩出身の父方の婆ちゃんの弟、海軍で戦死なさってました。)
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95: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/01(金) 12:15:52
>義春さん

 へえ、戦艦武蔵って戦前にもあったの?知らなかったよ(笑)
しかし宮様と交流なんてすごいわ(笑)

 うちの祖父は近衛連隊、受験してオチたらしいんだけど、あとで他の方に
聞いたら「近衛は美男子でないと」とのオチがあり(笑)でも孫のオレ
はなんで、福山雅治ソックリなんだろう・・・(中略)・・・
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96: 義春 :2011/07/01(金) 12:39:51
>>95
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
何処かは知らんけど母方の一族、たぶん、(曾祖父の)植田家ではなく、曾祖父の嫁さんの方が華族の出だったみたいで、こうなったみたいです。

まぁ…こっちが驚きですわなw
ホント、何やらかしてんの!?と冷や汗流れます。

戦艦武蔵は私も嘘だろーと思ってましたよ。そうしたら友人から『これの事か?』と写真送られてきました。巡洋艦みたいな武蔵でしたよ。

そういえば、友達に憲仁親王殿下とお付き合いがあるんですが、靖国神社について某国には触れず『(賊軍として)西南戦争や戊辰戦争で亡くなられた方々も祭らないといけない』と仰っていたそうです。

なるほどと納得しました。
西郷さんも祭られる日がくる事を祈ってます。
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97: 義春 :2011/07/01(金) 12:53:34
…やっぱり気になったから調べてみたけど、やっぱり武蔵はレイテ沖海戦に沈んだものしかないんだよなぁ・・・ひいじいさんは昭和30年代前半に64歳で亡くなってるから、1942年の着水に軍籍があった…と言えば疑問なんですが・・・まぁ…あの世逝ってから聴いてみますか…この辺り、知りたくて仕方ないのですが、婆ちゃん呆けて聴けないのが痛いです。
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98: トキ :2011/07/01(金) 14:47:28
>>97

 日本海軍では、軍艦の名前は襲名して使用しておりました。

 有名な戦艦大和や戦艦武蔵も2代目で、初代は明治時代に建造されましたと
読んだ事があります。初代が除籍後に、2代目が誕生した訳です。

合掌 ありがとうございます
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99: 義春 :2011/07/01(金) 21:47:50
>>98
トキさま
レスを乗っ取ってしまって申し訳ありません。それから御教示有り難うございます!
じゃあ、曾祖父の話は本当だったみたいですね・・・嬉しかったです!本当に有り難うございます!
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100: トキ :2011/07/04(月) 21:21:59
トキです。「生長の家」誌の昭和42年11月号の「明窓浄机」に興味深い記事がありましたので、
ご紹介申し上げます。

 藤田組という建築会社が、那須高原の百万坪を整地して都市づくりを始めるので、そのうち二千坪
を谷口雅春先生に寄付をしたい、との申し出が、藤田組の副社長からあったそうです。谷口雅春先生
は、

「忙しい生活を送っているから、別荘を作って避暑にでかけるほどの贅沢ができる身分ではない
けど、かねがね日本の若い人達に日本精神を少年時代から養って、将来、日本の国の柱となる人物を
養成するために高等学校を建設したい思っていたので」

 その場所を別荘ではなく、学校建設をしたいとお考えになり、その調査を本部の教育局に命じられた
そうです。が、調査の結果、別荘には良い場所だが、傾斜がきつく学校用地としては不適当である事
や、避暑には良いが、冬は摂氏マイナス20度にもなる事から、冬期の生活が大変だ、という理由で
計画を断念し、土地もそのまま藤田組に返却をしたそうです。

 藤田組の副社長は、「先生は欲がないなあ。やっぱり神様だ。」と驚いたみたいです。


合掌 ありがとうございます

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101: トキ :2011/07/05(火) 10:55:11
 余談ですが、今度、生長の家本部が行く八ヶ岳あたりは、おそらく「坪」単位ではなく、「反」単位で
購入が可能な土地の値段が安い場所だと思います。それなら、「学ぶ会」の人達も「本部移転反対」ばかり
叫んでいないで、本部移転地の近所に土地を買って簡単な家を建てて、住民のみなさんに布教をする、本部
職員をオルグする、とか発想の転換をすればいいのに。私が「学ぶ会」の人間なら、そうしますがね。
 看板も「谷口雅宣被害者の会」とか看板をかけて、本部職員の悩み相談も受けたりして。
 でも、学ぶ会も、正直、私は反省してもらいたい点はあります。

 反対に、教区の人間から見たら、本部が地元で布教をしない、という覚え書きをしたのは、教区にすごく失礼な話だと
思います。これが事実なら、あなたたち、もう教区にエラそうな事を言うな! と思いますね。これで、
「生命の実相」裁判の最高裁判決が出て対応を間違えば、教区の怒りは爆発する可能性はあります。

 教区の人間として、少し言わせてもらうと、喧嘩というのは、いつかは和解しなければいけないのです。
本流派も教団も、頭に血が上り、その点を忘れているのではないの? と感じます。
 だから、このスレッドでも良いので、お互いに言いたい事をどんどん書いて、その上で、どこかで
話し合いを始める必要があると思いますね。
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102: 緑の意思 :2011/07/05(火) 12:37:20

なぜ現総裁が環境や森に真理そっちのけ?で執拗にこだわるのか自分なりに考えたら、彼は「このままじゃ説得力がないでしょ」っていうことをいつも言ってるんですよね。
これも断片的情報の浅はかな一推測ですが、早くから家族にも違和感を持っていたような発言があるし、信仰による神との一体感を感じられなかったと思われる総裁には、自然の中に置かれたときの一時の一体感を、自然との共存という主張の根拠にしたい節があるようにも見えますね。
信仰の体験を持たないので、真理は本当には語れない。環境問題からなら知識で共存を語れる。真理はわからないから布教は関係ない、森に暮らせば、自然との一体感を味わえると思っている、みたいな。
本当は神との一体感を感じる人間は、住む場所なんか執拗にこだわらないですよ。
どうしても自分に「説得力」を、持たせる必要があると思っているんじゃないでしょうかね。
森のオフィス構想は彼の人間知の生真面目さが産んだ生長の家の悲劇の一つに思いますよ。

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103: トキ :2011/07/05(火) 14:47:47

 緑の意思様、トキです。鋭い考察に敬意を表します。説得力のある意見だと思いました。

 総裁の頭の中では、論理は完結しているのでしょうが、外部の人間にとっては、何の話だろう? という世界です。
講習会で蜂に殺虫剤をかけた話をしていましたが、蜂ぐらいでビビっていて、森の中に住めるのかしら? と思います。
 私のごとき程度の幼い信仰でも、家に蜂が巣を作っても、襲われたりしません。まあ、基本的に真面目な人で、彼な
りに理想とかビジョンとかがあるのはわかるのですが、残念ながら先行きが見えているのですね。本業そっちのけで、
余興に走っている昔の若旦那みたいなもので、信徒も、そろそろ気がつきだしています。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます
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104: トキ :2011/07/07(木) 14:18:25
本流掲示板の

赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

の件で、少し書き込みをします。実は、あの文章を読んだ後、書き込みをしようと考え、法律に詳しい身内に確認を取りました。

 先ず、「お山」を谷口雅春先生の死後本部へ寄贈する内容の遺言書を登記所に登録する話です。
登記所とは法務局ですが、遺言を登記する事はありません。しかし、類似の方法としては、法務局で登録する場合、
法律上の手続では、「始期付所有権移転仮登記」という方法があるそうです。普通は、遺言書を公証人役場で作成するのが
一般的だそうです。しかし、両方とも遺贈者が、その後、意思を変更したら、変更登記が可能です。

 この場合、遺贈者は谷口雅春先生ですが、遺贈を受ける人は生長の家であり、総裁は当時谷口雅春先生ですから、
仮登記あるいは遺言書でも変更は可能です。おそらく、発言当時は谷口雅春先生はそのようなご意志だったと拝察しますが、
その後、谷口清超先生、あるいは別の親族の方のご要請を受けて、ご意志を変更された可能性はあると思います。

 その件との整合性をとるために、著書の一部を改定したのではないか、という話でした。

 ですから、一連の谷口雅春先生の著作の絶版とは、意味合いが違うような気がします。


合掌 ありがとうございます
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105: トキ :2011/07/07(木) 20:53:10
私の書き込みが続きますが、お許し下さい。

本流掲示板で

>>
赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

について、思い出した事を書きます。

 谷口雅春先生が、聖典を出版されても、その後、改定された事はあったようです。
私も、古い信徒さんから具体的な例をあげて、聖典が改定された話を聞いた事はあります。

 具体的な部分は差し障りがあるので書きませんが、東山半之助先生の「ざっくばらん」の
中に、信徒の問い合わせに応じて、谷口雅春先生が聖典を改定された事実を書いておられます。

 ですから、基本的な部分に差し障りのない場合は、改定自体はしばしばされていたみたい
です。しかし、基本的な部分を改悪、改竄する事は前代未聞みたいです。

 以上は、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます
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106: 山ちゃん1952 :2011/07/07(木) 23:15:47

トキ様
谷口雅春先生の著書の修正や改定もしくは検閲、焚書があります。
勿論、先生自ら修正に応じたり、出版されなかったりすることは多くあります。
この項目に関しては私なりにかなり詳しく自分のブログで掲載しております。
それでは本の修正や発禁や削除はどのようにして行われたか記載します。
@ 国民総動員法による自主的な出版停止
『生長の家光明叢書』
@ 生長の家の経済学(最初はこの本)S10.4.01
A 現代に機會ありや S13.6.5
谷口雅春先生自ら経済的分野の論文を出されています。こうした本は叢書として
10冊あるのですが、全て発禁になる可能性がありますので自主的に取替えをやられています。有名なのは『秘められたる神示』の大聖典『生命の實相』における掲載され
なかった。
A 内務署警保局による削除や修正命令
たとえば『天皇絶対論とその影響』は初版発行のみです。これはかなり内務署警保局の圧力がかかったため、限定販売されております。
昭和15年頃から今まで出版されていた『生命の實相』に削除命令が出されます。
大聖典を購入出来なかった人の為に(本来非売品と記入されていますが、実際は販売されております。また御揮毫入りとそうでないものとに販売価格は異なります。)に菊装版『生命の實相』は削除対象となり本の見返り部分に「削除済」という判子が押されています。
B 戦後GHQによる検閲と修正と焚書
「生長の家」は占領後の焚書(検閲)に対して占領軍にどのような対策をしたのであるかは『生長の家30年史』に詳しい。P155に山口悌治先生のお言葉に
「谷口先生の著書のリストをGHQに提出することになったが、危険と思われるものは、資料焼失として省いて提出したんですが、向こうは実に精密に調べてあって閉口しました。それでもGHQの中にも好意的な人もいて、旧版『生命の實相』の第十六巻(『日本国の世界的使命』が収録)は不問にして『慨世血の書』とかその他の単行本のみを発禁にして、全集の刊行は許可になったんです。そこで戦後版の全集は第十六巻を「戯曲篇」に変更されたんですよ。やはり占領期間中は低い姿勢でいく以外やむを得ない面が多分にあったんです。」
C 時代背景の違いによる修正(自主修正)
これも結構沢山あります。
一項目全部無くなっている部分があります。先生みずから校訂され修正された本は意外と多いのです。はしがきに記入している本もあります。
D 本が違う人の翻訳がいろいろ校訂が加わり、谷口雅春先生著作になっている本。
E 戦後GHQによる執筆追放による著作者の変更
 田中忠雄先生か服部仁三郎先生か忘れましたが著作者となっている本が實は雅春先生が書かれていた本がある。

だが今回は理由があるとはいえ「谷口雅春先生の講演筆記」です。そういうことを度々言われていたことを存じ上げていますので、著者と異なる人が修正する場合はやはり説明責任が必要であります。付箋をするなりすればいいことであるのに、内務署警保局のような遣り方には違和感があります。当時の状況を知らないとか言っていますが、方法がおかしく、方策が間違っています。そのように思われても反対に悪く思ってしまう。
また愛国書の絶版とは全く関係ありません。
また年に二冊発行されるというのは4年程守られていますが、それからはあまりまもられていません。
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107: 無関係な人間 :2011/07/08(金) 10:20:47
>>106

山ちゃん1952様

 詳細なご教示、ありがとうございました。なるほど、こういう感じだったのですか。
戦前を知る信徒さんとはよく話しましたが、過去の困難な時期、例えば戦争中とか
生長の家政治連合時代の話は、話をされませんでした。個人としての信念は感じましたが、
それが逆に組織へ教訓が残らない結果になったと感じます。

 余談ですが、元憲兵隊関係者で作っていた「憲友会」からは、「日本憲兵正史」
「日本憲兵外史」などの本が出版されています。この本は、自分達に都合の悪い話も
掲載されています。憲兵の汚職や不祥事なども書いています。

 内務省警保局の検閲官は、当時の帝国大学卒業者で、高等文官試験に落ちたような
人が就職していたそうです。軍事関係の事は、憲兵が出向していたようです。

 他にも、谷口雅春先生の執筆内容に間違いがあり、それを信徒さんが指摘して改定
された事はあったようです。

 今後とも、ご教示のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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108: 山ちゃん1952 :2011/07/08(金) 15:34:48
無関係な人間様へ
ありがとうございます。よく御存知なので驚きました。
そういえば、信徒からの指摘で直されたというのは聞いたことあります。

私は大変難しい問題を御提示頂いております。それは「年史」というのは悪く
は書かない。
そこの点ですね。だいたい悪いことは簡単に経歴のみで掲載する。
とりわけ信徒数や講習会の入場者数などがそうですね、受講券だけカウントする
という行いですね。
だが、私はある面「年史」とか仕方がない部分もあるのを認めています。

よくない部分は承知です。今後の教訓にもならない事もわかります。それも
承知で記しています。

それではどうするのかであります。一部幹部のみに総括や反省の「実務ノ−ト」
を作成することだと思っています。それには主宰者の高等な判断が求められます。

それは反対に必要だと思っております。それが出来るかどうかは実務者の能力であると
理解しております。
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109: トキ :2011/07/08(金) 17:15:01
 無関係な人間様、ご投稿ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

 さて、組織の歴史の扱いは難しい問題です。
共産党など、指導者が変わるたびに歴史の評価がコロコロ変わります。
どの組織でも、そういう問題はあると感じます。

 もし、現在の谷口雅宣総裁が失脚し、別の指導者が総裁になり、方針を
一変したとしましょう。その時、谷口雅宣先生の評価をどうするか、という
問題があります。極端な話、学ぶ会が教団の指導部に就任したら、おそらく
は、谷口雅宣総裁の時代は全否定し、抹殺すらするかもしれません。

 しかし、組織文化が続くと、同じ失敗を繰り返す可能性はあります。
その意味で、失敗じたいも正直に記録する度量が必要かもしれません。

合掌 ありがとうございます
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110: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/10(日) 14:33:39

>本流宣言掲示板ご投稿中の方々

<本流復活とはなんですか?>

 長々語ると読んで貰えないでありましょうから、シンプルに問いかけを致
します。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

 まずこれが疑問なのです。貴殿方がなにを以って、つまり「どのような状
況の出現を以て」その理想実現の瞬間と捉えられるのでありましょうか?ま
た「それは現総裁の引退だ」と申されるのであれば、「引退後、なにをされ
るの?」と問いかけ致したいものだ、と(つまり「総裁引退」とは、どんな
目的のための「手段」なのでありましょうか)


● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。
 懸念点を挙げるならばこれ、少なくとも愚生の如き信仰歴五歳児にとっては
「雅宣総裁、可哀想」との印象にしかならぬと思うのです。つまり、貴殿方が
批判対象を批判すればするほど、雅宣総裁への同情が寄せられてしまうという
・・・そんな感じなのです。
 ここ、理解できますか?普通、「『生命の實相』を読むくらいの読書階級な
ら」ですよ、トイレの落書きレベルのことを言われると、なにか自然と「そこ
まで言わなくていいじゃないか」な方向に脳みそが働いていくのです。そして
脳内で自然に「雅宣総裁を擁護する方向へ」思考の舵が切られてしまうという
・・・


 うーん・・・運動を知らないんでなんとも言えませんが、まあ、一、教団部
外者から診れば貴殿方のご印象、ほぼ斯くの如しであります。どなた様かお相
手くださると助かります。どうぞよろしくお願い致します。

追伸

 以下は本来、議論後半で提出すべき(細かな)疑問になりますが、まあ、
「現信徒へ覚醒を促す」戦術に関して。

 これにはやや、取り越し苦労とでも称するべき懸念点があります。まず、
貴殿方の戦術が機能し、そして現信徒が動揺したと致しましょう。そして聖
使命会員費(?)が大幅に集まらなくなり、現総裁が財務的にピンチを迎え
たと致しましょう。こうなりますと・・・ここからが既述の「取り越し苦労」
な話なんですが、教団が財務的に追い込まれますとこれ、それこそ生長の家
の聖地等々が、銀行管理下に置かれる事態を招きますぞ。

 まあそれでも「神殿は『生命の實相』である。その事態もやむなし」の合
意が取れれば良いですが、「掲示板雰囲気からはそうは思えない」んであり
ますがねぇ・・・あまり財務的に追い込むと角を矯めて牛を殺す≠アとに
なったりせぬかと、懸念するものです。
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112: 義春 :2011/07/10(日) 15:32:33
>>110
ブログ管理人さま
自分も一寸感じた事を書いてみますね。
正直なところ、上が変わらん限り、どうにもこうにもならんだろうなって思います。
中心帰一を前提にした組織である以上、活動方針にどうやって逆らえのるかって話です。
残ってる人達も分かって残ってる人が、かなりいるのです。

だから、私はやはり、生命の實相の出版権問題が片付かない限り、
身動き取れないと思います。

まっ、法的には、どっからどう見ても教団が負けると思いますよ。
現に裁判官も教団の扱いに困っていたと聴いてます。
(※困っていた…というのは、それだけ…残念な感じだと思って下さい)

それだから、向こうさんには、今は組織を温存させる方が、後々再建するのが早いと想うのですけどね。
(攻撃してると、今、残ってる人達の反感を買い、後々、又、同じ事に繋がりかねない…というか既に
反感を買っている。現に、その流れで義春突貫につながってるのですから。)

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113: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/10(日) 16:02:26
>義春さあ

 思い出したうちに書いておきたいことを「書いておこう」以下はそんなネタ
です。

 彦左さんが言及されておられた「本流掲示板・閲覧者」数に関してだけど、
同氏は「500」と観ておられるようだが・・・まあ、愚生私見では「そんな
にはいない」と云えようかと。
 この主張根拠はね、私があそこを追放される前と後からの、ブログ訪問者数
からの類推になるのでけれども・・・大凡、かの掲示板から弊ブログに来られ
る方々は「100前後」なのよ。しかも追放前、後もそんなに変化、見られない
んだよなあ・・・

 かの本流掲示板は、私見を述べれば「10,000人が100回見た掲示板」
なのではなく、「100人が10,000回アクセスした掲示板」になろうかと。
まあそんな影響力と云えようか・・・

以上、余談でありました。
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114: 山ちゃん1952 :2011/07/10(日) 16:28:07
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
次の質問に答えます。
ただし、答えになっていないかもしれません。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

1.谷口雅春先生の教えを根本にして「拡めていく」ことが正しき正統なる教えだと思います。
2.今の教えとか言う言葉は実際はありません。そのようなことをすると真理が歪められるから
です。「般若心経」が漢文でわからないから「今」の言葉に変えるとどうなるでしょう。
言葉は響きです、言霊から解釈すればいいのであります。だから本流という言葉も正解でしょう
が、やはり「正統」という言葉のほうがいいのではないでしょうか?
3.『古事記』や『日本書紀』そして歴代天皇様の事をいうのが「生長の家」の役目では
ないかと思っています。

ただ復活というのは違うとおもいます。「正統」に戻すだけです。

● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。<

これは難しいですね。何回も言うように「雅宣氏」は宗教家として失格の烙印
を押していますが、悪口を書いてばかりは空しいですね。
それより、正しい事を発言する方が大事になります。
たとえば、皆さんが言われる「谷口雅春先生」の御著書を再販しないとか
兄弟の争いとかは誰が書いても、生長の家と矛盾しております。

だから『七つの燈台の点燈者』の神示を読誦するように勤めましょう。
『懺悔の神示』を読誦しましょう。

そうした、本来の生長の家を実践する事を勤めることが大切です。
手段は敵対しても何も生み出さないように思います。
何れ『生命の實相』も語れない生長の家になります。その時が運命を
定める大事な時期と思います。
いまこそ『生命の實相』を語り!
実相研鑽出来るような誌友会が本来の生長の家です。

それと本当に拡大してから「いろいろなこと」は考えた方がいいでしょう。
____________________________________________________________________

115: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/11(月) 06:40:07

>山ちゃん1952 さま

 貴殿のような御仁からまさか、ご回答を頂戴できるとは思ってもおりません
でした。誠にありがとうございました。

 「本流復活とがなにか」に関する貴殿ご投稿文章1〜3ですが、「もう全く
同意」する次第です。本当にこれらを無視して本流復活などないですよね。
(そしてそれ復活ですらない≠ニのご主張ですが、そこも同意です)

 私はかつて、本流掲示板にて「運動を定義しませんか」と呼びかけました。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=471その後の反応は
・・・「あーあ」てな感じのものでありました。まあでもこのトキさん掲示板
であれば、こんな話題も良質のやり取りが可能と見ています。

 今後もよろしくお願い致します。

追伸

 なお精読の上、さらに質問など浮上しましたらその際は、再度ご教授頂け
ますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。
________________________________________________
1
122: 「訊け」管理人 :2011/07/12(火) 16:22:46
>トキさま

 聡明なる管理人様のご慧眼に感謝致します。

 礼拝


あっ、ここで笑ってもらわないと、
ほか笑うとこないですよ皆さん。
_____________________________________________

123: トキ :2011/07/12(火) 16:26:34
>>122

「訊け」管理人様

 いえいえ、とんでもないです。脂汗をタラタラ流しております。(笑)
____________________________________________________

124: 「訊け」管理人 :2011/07/12(火) 17:08:03
(またしてもコメント欄が爆発しています。こちらにて返答しますこと
お許しください)

>茉莉香さま

 いつもコメントをありがとうございます。貴女へ返信しますと前回は、
なぜかブログ記事が「藤原先生写真集」になってしまいました。今回は
アウシュビッツの画像がなぜか突如・・・

 いやさて本題に。着眼点をお褒め頂き光栄です。まあなにか、貴女と問題
意識が似ているのでありましょうね。今後もよろしくお願い致します。

>広大なる慈門さま

 いつもありがとうございます。貴ブログの営業マンになりますので、
返信の不手際をお許しください。

【同氏ブログです】
http://volvo.white.coocan.jp/

>らん..♪ さま

 六文の定やん・・・あれは本当に感動しますよね。書き写していても
笑いと涙が止まりませんでしたよ(笑)またよろしくお願いします。
 ちなみに藤原先生を「ライヴで」ご堪能されたのですか・・・嫉妬します。

>マダム・カラスさま

 ああ、あの歌は「堅信歌」というのですか。素晴らしい歌ですよね。
あの歌は何度か聴いていたんで、暗記しちゃいました。他にも生長の家の
歌ですけど、youtubeにアップされると良いですよね。また、よろしくお願い
します。
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125: トキ :2011/07/13(水) 11:20:16
 理想世界の昭和46年7月号を読みました。

 第23回青年会全国大会が5月3日に台東体育館で開催されました。
その記事が掲載されているので、紹介させていただきます。

 2日目の5月4日の午後から、当時、青山学院大学1年生だった谷口雅宣先生が
初講話をされています。昨年のブラジル訪問と大学生活の話をされたとあり、
「少し上気気味」で「ユーモアを混じえた素晴らしいお話」とだけで、具体的
な事はわかりません。

 ただし、 理想世界の昭和46年5月号には、世界にのびる生長の家青年会と
題して座談会があり、徳久日出一氏(徳久克巳先生のご子息)、ブラジル青年会会長の
本田諌雄先生(故人)ご夫妻、井脇ノブ子氏(元衆議院議員、小泉チルドレンで有名)
と交えて谷口雅宣先生が座談会をされています。
 この座談会で、目立つのはやはり井脇ノブ子氏で、率直に申し上げて谷口雅宣先生
は一番、存在感がないのです。(これをご覧でしたら、お詫びします。)彼女は当時、
大学院生ですが水泳教室を開き、マスコミでも取り上げられていたようです。
 谷口雅宣先生は、

「僕は、生長の家青年会会員について考えてみた時、青年会というのは誰の事かと言えば
僕の事なんですね。」

と言われていまして

「生長の家の運動と自分の生活を2つに分けておいて、自分の生活に都合良い時のみに
それを表明し、悪かったら隠しておく ーそういうのではいかんのじゃないかと思うので
す。(P65)と書かれております。

とも言われています。

 ここから先は憶測ですが、谷口雅宣先生が大学生になったので、後継者として講話や
座談会にデビューされたのですが、御本人はいまいち、乗り気でないというか、
戸惑っている、という印象が残る誌面でした。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます
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126: 山ちゃん1952 :2011/07/13(水) 11:49:09
トキ様

懐かしいですね。
初めて全国大会に参加したのが「台東体育館」です。昭和45年と昭和46年は参加
しています。
前年の日比谷公会堂での日の丸運動での「雅宣」氏の話の方が憶えています。
その時はまともでした。(失礼)
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127: トキ :2011/07/13(水) 20:48:59
>>126

山ちゃん1952様

 若い頃はまともだったのですね。年齢が行ってからおかしくなる、というのは珍しく
ないですが、やはり若い頃にやんちゃをしても、年齢が行ってからは落ち着かないと。

 しかし、昔の理想世界を読んで感じるのは、生長の家政治連合もそうだし、百万運動
もそうだけど、正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、こういう運動に命をかけ
た人達がいる、という事実を、ありのままに記録に遺すべきだと思います。

 これは、当時の運動方針をそのまま、現代に再現するという主張ではないです。
当時は共産党や共産主義が跳梁跋扈しておりました。しかし、現代では共産主義の間違い
は周知の事実です。違う脅威が登場しておりますから。

 ある意味では、あの時代の「業」が、今日の混迷の背景となっているとも思います。
否定的な意味ではなく、肯定的な観点からも、どんどん体験者の方の投稿を期待したい
です。

合掌 ありがとうございます
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128: 山ちゃん1952 :2011/07/14(木) 12:08:59
トキ様

そう思います。
だが、現在の活動との乖離があり今の人では引いてしまうと思います。
中には感動する人も多く存在します。
100万運動当時の活動指針や方策や報告書は現在では残っていないと思います。
だが活動状況などはある人が所有されていると聞いていますが、総括として記録
に残すのかどうかはわかりません。

たとえば『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』など貴重な体験集です。
そういうのは破棄されたと聞いています。

それと隠れ蓑としての共産主義の台頭があります。たとえば「九条の会」などは
まさしく「白い共産主義」でしょうね。また今の「反原発」に象徴するような
主義はまさしく「国家」よりも「個人」という主張が正しいという誤解がります。

民主党政権となり国家に対する瓦解がおきています。
”日の丸”か赤旗か-それが聞きたい という谷口雅春先生の御著書をもう一度振り返らないと
いけません。
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129: トキ :2011/07/14(木) 18:31:45
>>128

山ちゃん1952 様

 『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』は、貴重な資料です。評価は別にして、保存して欲しいです。

 共産党の元活動者と最近、お酒を呑む機会がありました。
民青からの生え抜きで、永年、共産党と共産主義の理想を信じて活動をしてきた人です。
 その人がしみじみと話していました。

 「私の青春は、民青だった。が、私の青春には、何も楽しい事はなかった。」

 どうやら、組織の道具とした利用されていた実態に気がついたみたいです。

 省みて、私は生長の家青年会で活動をしてきて、確かに不合理な事も、嫌な思い出もありますが、
それでも、後悔はないです。どうしてか、というと、多分、「情」というものがあったからだと
感じます。学べた事、経験した事は貴重な財産ですし、得難い友人を得た事も感謝しております。

 こういう経験を今の青年会の諸君ができているのか、気になります。

合掌 ありがとうございます
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130: 山ちゃん1952 :2011/07/14(木) 23:16:09
トキ様
『燃ゆる青春』に私は掲載されています。
あの当時の青年会は今も友達です。
いろいろな苦難もあり、喧嘩もしました。ほとんど寝ないで活動しました。
でも、私は誇りをもっています。
いまだに動員とか成績では破られた事のない記録があります。
練成会では当時高校生では10名〜20名の数でした。中学生では30名がやっとでした。
それを150名動員したり、小学練成では参加者は100名程度でしたが最高
350名参加して教化部のほうから怒られました。人数多すぎで怒られました。

たった一人の誌友会を常に20名超える誌友会にしたり、最高50名参加して
これも多すぎのため怒られました。(笑)

そうした活動に誇りを持って行っていました。
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132: トキ :2011/07/15(金) 11:53:23
山ちゃん1952様

 本当に、青年会の頃は寝食を忘れて活動をしていましたね。よくやったと思います。
たぶん、山ちゃん1952様の頃だと、ものすごい活動をされていたと思います。
 あの頃の仲間は、ほんとうに生涯付き合える人です。
あー、懐かしいです。と、懐古趣味に走ってはいけないので、頑張ります。

合掌 ありがとうございます
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138: 山ちゃん1952 :2011/07/15(金) 15:22:26
緑の意思様

組織の歴史というのを学ぶというのは大変大切な事です。その歴史を知らない
ため、そこに生きた人物やその土壌に這えた人脈などわかりようがありません。
これは何回も申し上げているのですが、現在”社会運動の状況”という云って
みれば反生長の家です。それがどのように生長の家を見ていたのか等は重要な
歴史資料であります。生長の家では”30年史””40年史””50年史”と
歴史の編纂を行って来ました。

しかし、生長の家では教勢などは書かないでいたり、人事における左遷なども掲載していま
せん。悪くは書きません。
そうして教えられるのもいいのかもしれませんが、事実は隠してはいけない箇所もあります。

よく云われる講師が病気にかかると”それに対して云わなくなる”
「あの人は”病気はない”と言っていたんじゃないか”と蔑まれるのじゃないかと
ある意味、戦々恐々としているのです。

そうした事、は真理に対しての本人との思いが乖離しているのです。あまりにも
”他人に云う”のと”自分の行い”とが乖離している。

それが平気になるのです。平気になるのはいいのですが。自分に枠を作り
”こうでなければならない”と勝手に思い込むのです。

生長の家で講師と言われる人の御子息は”生長の家”に無関心であったり、
反発さえしている。だからほとんどが生長の家を継ぐような人はいません。

そこが非常に問題なのです。緑の意思様はどう考えますか?
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139: 緑の意思 :2011/07/15(金) 18:07:47

真理と行動の乖離は、往々にしてあることですが、
例えば、病なし、を日頃講話されていた道場の講師が病気で入院されましたが、

一般練成員はもちろん、職員にも、亡くなるまで徹底して病気を隠していたのを知った時、
何か…痛々しいものを感じました。

また青年会でも親が幹部活動者で、ウチに帰るといつも組織の悪口を言っていたから
絶対活動はしない、と言ってる人もいるので…講師や幹部ほど、そうした面が露わになりますね。

教義と人の行ってきた組織の歴史の乖離を、残せないものがあることは理解しました。

何というか、今は先人の想いまで消してしまう雰囲気が組織にいると感じるので、それが悔しくはなります。

歴史を学ぶというのが、難しい面があると理解しました。
しかし、人類光明化の歴史を受け継ぐという意識を持てると持てないとでは、全然違いますので、
そういう想いまで消されて欲しくはないなと思います。
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140: 志恩 :2011/07/16(土) 08:26:40

「生長の家政治連合」を立ち上げるにあたり雅春先生のご指示により素案を作成したお方は、
雅春先生のご指名により、最初は、お一人でされてたので存じ上げています。

そのお方の作った素案が、雅春先生のご許可を得て完成し、
そのお方は、政治局を立ち上げ 政治局事務局長となり、

生長の家の政治について最後の最後まで携わって全国指揮をされていたお方は、
元企画局の大峡 儷三(おおはざま れいぞう)先生というお方です。

(ずっと後に、大峡先生は、裝道(礼法きもの学院)へ講師としてヘッドハンティングされ、
 そこで、 礼法の著書も出されました)

政治に手をつけられたのは、何年だか、はっきりしたことは、わかりません。
昭和37年~40年頃でしょうか。

大峡先生は、当時30代後半。(私は20歳を過ぎたころ)

最初は、大峡先生は、お一人で 素案作りを 始められましたが、
そのための 下準備、 下調べが また大変でしてね。

厚生省、国会参議院議員会館・衆議院議員会館。その他........あちこちへ行きました。
優生保護法関連、その他の法制化をめざしていたので。
私も大峡先生に一緒に来るようにたのまれて 先生と二人で あちこちへ行きました。

厚生省では、これという書類を、二人で手分けして一日中かけてノートに書き写しました。
(コピーは、まだ、ない時代でしたから)

当時は、お給料も安い上に、残業手当も0。なのに、先生は,毎晩遅くまで残業されてました。

谷口雅春先生の想いをどのように政治にこめて行くか,どのように全国の組織に
発信してゆけばいいのか、試行錯誤の連続でおられまして、

私は、ささやかながら全国の組織に発信する書類を和文タイプに打つ,
お手伝いも させて頂いていました。

大峡先生は、とても優秀でいらして、
情にも厚いのお人柄なので人望もあり、企画力・判断力・統率力の全てを兼ね備えておられた
総合的バランスに長けた先生でした。

理論的なことは、トキ様がお調べのようですから、トキ様の方がお詳しいと存じます。

生長の家には、現在も もちろんおられるでしょうけれど、目にみえないところでお金に関わり無く、
命がけで、人類光明化運動をされておられたお方が、たくさんいらっしゃいました。

ですから、私は、信徒の一人として
こういう先達の方達のあのころの貴い想いを思い出しながら考えますと、
本来あるべき姿に....と強く期待してしまいまして、
ついつい身分不相応な生意気なことを申し上げているかと存じます。誠に すみません。

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145: トキ :2011/07/16(土) 21:47:16
>>140

志恩 様、貴重なご証言をありがとうございます。
大峡 儷三先生の事は初めて知りました。

こういう事は本当に記録しないとダメですね。
公式の歴史では知る事のない証言です。

理論的な事も他の方のほうが詳しいと思います。本当に勉強になりました。
感謝申し上げます。

裝道(礼法きもの学院)の山中先生も確か生長の家の方でしたね。
青年会活動の経験があると聞いております。

 今後とも、貴重なご証言を期待しております。

合掌 ありがとうございました

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146: トキ :2011/07/16(土) 22:05:59

中公新書クラレ 歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)
半藤一利、横山恵一、秦郁彦、原剛 共著 P179より抜粋

*この本は4名の歴史家の座談会形式でまとめた本ですが、生長の家
が登場したので、ご紹介します。

田中静壱大将の部より

 田中大将は、フィリッピンを守備する第14方面軍の司令官として赴任
しましたが、セブで発熱し病状が悪化します。

(原)18年5月初旬、東城(首相)がマニラに来て田中の病気が重いのに驚き、参謀
本部付の発令になります。(中略)そのまま第1陸軍病院に入院しますが、衰弱は増す
ばかりでした。天皇は田中に特に葡萄酒を下賜し「とくに大将に進級せしめよ」と言われ
田中は9月に大将に親任されるのです。

(横山)10月になると、血圧、体温が極端に下がり、軍医もサジを投げました。その
月末、夫人が信仰している「生長の家」の中島講師が面会謝絶の病室を訪れ、この宗教
の基本聖経である「甘露の法雨」を枕頭で読み始めます。中島が読み終わると、田中の
瞳に希望と歓喜の光が溢れ、その夜、寝汗をかかずに安眠し、翌日から食欲もまし、体力
を回復していったそうです。

(半藤)本当は死ぬはずの人が治っちゃうのでしょう。なんとも不思議な話ですよ。
田中を調べていくと「生長の家」が出て来るので、書きづらくて書きづらくて。
「そんな事があるのか」とも書けないし。

(以下、略)

ちなみに、病気が奇跡的に回復した田中大将は、東部軍司令官になり、終戦時の
近衛師団の反乱を見事に鎮圧したあと、責任をおい自決されています。この田中
大将がいなければ、クーデターは成功し、戦争はあと数ヶ月継続した可能性が高
いと言われています。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます
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147: ぼるぼ :2011/07/17(日) 23:20:24
本流の伝統さんのスレッドに初投稿してみた。

ただし、雅春先生の詩集スレッドだから余計なメッセージは省略した。

古い生政連の小冊子にあった護国の神剣の歌詞である。

ここにもコピペする。

護国の神剣ー生政連讃歌=NEW (3403)
日時:2011年07月17日 (日) 22時12分
名前:広大なる慈門

釈尊出でてわが国に
聖王うまれ天が下
すべての民を救うぞと
弥勒下生の聖経に
預言し給ひし時いまぞ

また黙示録は預言せり
されど其の日の来るまでに
サタンと呼ばるる赤き龍
暫し檻より放たれて
四方の国民まどわすと

古事記の預言に照すれば
このサタンなる赤き龍
八岐遠魯智と称されて
瑞穂の国の稲田姫
ひと呑みにすと身を構う

この時姫を救わんと
須佐之男神いでたまい
天授の神剣うち揮ひ
赤き龍をば寸断し
姫を危機より救いけり

この須佐之男の神剣は
実相真理のつるぎなり
剣は神人両極を
真釣り合わせる神政を
奉じて起ちし生政連

この神剣のある限り
如何なるサタン窺うも
鉄壁の護り堅固なり
この聖使命受けて起つ
天使の集団生政連
護国の使命受けて起つ
天使の集団生政連


     <日本の政治と宗教ー護国の神剣ー、谷口雅春より>

生政連という理念は、今日の日本においてなおさらに現実化する必要があると思う。

戦後日本がアメリカの占領下にあり、今もなおその重石の下で国民が呻吟しているのである。

そもそも、占領下で発布された日本国憲法という作文に原因があることは明らかである。

ならば、さっさと日本国憲法を閣議で無効宣言し、帝国憲法の改正により時代の要請にあった法体制にすればよいのに、
これが遅々として進まない。

すなわち、戦後の日本政府が売国奴に牛耳られているからである。

自民党も民主党も同じ穴のムジナである。

なぜ、サンフランシスコ講和条約で国連との和解をして戦後日本がスタートしたのに、足を引張て、東京裁判の呪縛に国民を縛りつけるのか。

昭和60年の中曽根内閣の時、国会における土井たか子の質問と外務省の小和田氏の出来レースが元凶であるという指摘を渡部昇一さんがしている。

中曽根は大勲位、小和田氏は皇太子妃の父という見せかけの権威で国民を騙し続けてきた。

中国と韓国になんで不自然にペコペコしている理由が、ここにある。

今日見たYouTubeを紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=VA1H2x9L_gs&feature=youtube_gdata
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148: 河本 :2011/07/18(月) 04:32:50
先生方、
愛国「本流☆生長の家」でも
ぜひ、いいお話を御投稿下さい。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/415415.html
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149: 志恩 :2011/07/18(月) 08:11:47
「護国の真剣ー生政連讃歌」をお載せ下さって、ありがとうございました。
生政連という言葉も とても懐かしいです。

大峡 儷三先生(愛称ーおっぱ さん)もご生存中で、これをご覧になられたとしたら、
涙目で懐かしがられると存じます。


それから、別途 佳い新スレッドもできたのですね。拝見しました。
ネーミングもいいですね。
愛国「本流☆生長の家」


トキ様のところは、次回は、どんなネーミングをされるのでしょう。
たのしみです。
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151: ぼるぼ :2011/07/19(火) 11:13:21

古い生政連の小冊子「日本の政治と宗教」をめくっていっていると、
志恩さんが書かれた大峡氏の名がありました。

昨年の暮も押し迫った12月29日のこと、福田赳夫さんが、お山に尋ねて来られたのであります。
総選挙の分析と今後の政局の動向にについて暫く話し合ったのですが
共産党の進出によって政局はいよいよ多難となり、49年の参院選では与野党の差が逆転するといふ
非常な危機が予想される、ということをお話になりました。
インナ
発表しても差し支えないと思われる部分の話の内容を要約すると次のようになります。

福田さんは選挙前の観測では共産党がこれまでの14議席から20台に乗るかどうかと思っていたと言うんですが、
38議席を占めるに至ったことに、自民党としても反省しなければならないということ、
共産党員の熱心な隣人に対する日常活動の成果と、田中内閣の日中国交樹立が共産党に対する
恐怖心を取り除かせる結果になったこと。

自民党が中国ブームに乗って日の丸ワッペンからパンダワッペンに切り替えた事への批判、
日本列島改造論への批判等々、選挙の分析と反省はいろいろありましたが、
これらのことは「生政連ニュース」1月1日号に生政連本部の大狭君が詳しく書いている、云々


という箇所で、大峡氏の名前が出てきました。
志恩さんが書いているので目に止まった次第です。

なお、政治は昔から、権力闘争であります。
今日の日本は、当時福田さんや雅春先生の危惧した事態になってしまいました。

政界は大浄化されなければなりません。

新しい生政連を担う若者によって、生長の家の再建と同時進行で
生政連も再建される必要があります。

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152: トキ :2011/07/19(火) 13:30:16
ぼるぼ 様

 貴重な資料のご呈示、ありがとうございました。

 当時の熱い雰囲気がうかがわれます。あの頃は、共産党が政権党になる可能性を
共産党自身も考えていた時期でした。あの時代の事は、きちんと記録されなければ
いけません。
 具体的な政治状況は当時とは違いますが、その精神は学ばなければいけないです。

 新しい資料や当時の思い出など、今後も投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

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153: 志恩 :2011/07/19(火) 19:58:31
ぼるぼ様

そうでしたか、古い生政連の小冊子に、生政連本部の”大峡先生”のお名が記されていましたか。
うれしいです。お知らせ下ってありがとうございました。

谷口雅春先生が政界の清浄化を思い起たれたのは、信徒だけでは、日本の真の清浄化はできない。

やはり、政界に宗教も出て、強い愛国の念から発しられた自主憲法制定や、いのちを護る中絶防止の
優生保護法などなど、國として
法制化されなければ、國及び政界の清浄化は、絵に描いた餅に過ぎず実現しないと思われたからだと,
当時、うかがっておりました。

生長の家から玉置和雄先生が参議院選挙に立候補され、そのときは、本部講師、全職員、
そして全国の組織を挙げて
選挙運動も活発に行われ、玉置先生は、見事当選され、喜びに沸いたことを覚えています。

玉置和雄先生の秘書は、当初二人おられて、男性は村上先生、女性は、寺内様でした。

のちに村上先生も国会議員になられましたね。

玉置和雄先生は、谷口雅春先生のご意思を実現するため頑張られましたが、
法制化には、国会議員の過半数の賛成票が必要で、それが得られず、
法制化には、至らなかったのですよね。

それをもって、政治運動したことは、まちがいであったと結論ずけるのは,
愚かであると存じます。

雅宣先生は、そう結論ずけられましたが。なにごとも、無駄はなかった。
よい経験だったのはないでしょうか。

福田赳夫先生は、私が本部在職中、まだ彼は総理大臣ではなくて、
自民党の幹事長時代でしたが、本部にいらして、小道場で本部講師・全職員を集めて、
講演をされたことがありますよ。なんのためにいらしたかは、おぼえていませんけれどW

鳩山一郎先生(元総理大臣)の奥様の ”鳩山 薫様(教育者・元共立女子大学学長)”が、
私の本部在職中、2度 原宿本部にお忍びでお越しになられまして

谷口雅春先生・輝子先生ご夫妻とお話合いにこられたことも覚えています。

その時、私は、お山係も拝命していましたので、本部へお越しになった鳩山薫先生を、
会議室まで、ご案内させていただいたことを覚えております。

2階の会議室でご歓談されてましたが、1時間半〜2時間ぐらいずつでした。

鳩山薫様は、クリスチャンですが、生長の家の熱心な信者でもいらして、文京区音羽のご自宅「音羽御殿」の離れで、
毎月白鳩会支部会も開いておられたほどでした。

私は、ご歓談中の合間に お茶をお運びしましたので、とても和やかにご歓談されてるご様子も拝見ています。

谷口雅春先生が総裁でいらした時代は、このようにトップの政治家さんたちも、雅春先生にご相談にこられていた訳です。
それだけ、人間的にも絶対の信用がもたれていたからだと存じます。

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154: 志恩 :2011/07/19(火) 20:12:48
しかし、
あの生長の家に熱心でいらした気品がお着物を召されておられるような”鳩山 薫”様のお孫様の、

鳩山由紀夫様・邦夫ご兄弟。

特に,兄、由起夫様の 情けなさ!!信じられません!!!!!!!!

あのお方も戦後教育・日教組によって毒されてしまった 最左翼の思想の持ち主ですからね。

育て方が、どうのとかいう問題じゃないと思います。

悪徳 教師 軍団によって、毒されたんです。!!!

雅宣先生と おんなじ 大○○な男です。!!!!!!

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155: 義春 :2011/07/19(火) 20:27:23
>>154

志恩さま

激しく同意します!ポッポみたいな…ポッポみたいな奴がいなかったら、
中川昭一先生も死なんで済んだのに…こんな事にならんかったのに
…いや、中川(酒)先生のお葬式に参列して、お子様の姿見て泣いた口なので。

中川昭一先生の奥様からの御礼状を今も持ってますが、たどたどしくて練れた文ではないけど、
その分、奥様の心が籠った御礼状でした。

…ふと思い出した事を書いてみました。
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156: 志恩 :2011/07/19(火) 20:56:51
義春様

激しくご同意くださって,ありがとうございます。

義春様が、中川昭一先生のお葬式に参列されてたとはね。

最近の生長の家の教えは、『ノーミート」が、全面にでていますが、
できれば、あの はとぽっぽを、焼き鳥にして、タレつけて 喰ってしまいたいくらい腹立たしいです。
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157: 義春 :2011/07/19(火) 21:09:23
>>156

志恩さま

友達に自民党の兵庫県議の学生秘書がいて、誘われましたんですよ
。良い漢が志半ばで死んだんだから、弔いたくなって、バスに飛び乗ってました。

…あの鳩の丸焼き食したら、宇宙人になるので 食べたくないですね(笑)
むしろ、浄心行の浄火の炎で、浄化して下せい…と。

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158: トキ :2011/07/19(火) 21:24:00
>>155

 中川昭一先生に関しては、ジャーナリストの上杉隆氏の著書で、こんな事を読んだ事があります。

 朝日新聞の本田某という記者が、「中川昭一先生がNHKの番組に圧力をかけて改編させた」という報道をしたのですが、
上杉氏が中川先生に取材をするときっぱりと否定されました。そこで上杉氏が中川先生の行動記録を調べると、中川先生が
NHKに国会内で圧力をかけたとされた日の前後には、中川先生は国会にいなかった、という事が証明されたのです。これは
国会の公的な記録です。しかし、上杉氏がいくらその事を主張しても、朝日新聞は全く謝罪しなかったと言います。自社の
メンツを守る為に、ウソを突き通す姿勢に上杉氏は激しい憤りを感じたと言います。

 他にも、例えば、相撲の貴乃花親方が暴力団と関係しているという報道をし、
それが否定されても訂正記事を出さないなど、
どうかと思う姿勢があります。

 谷口雅宣先生ご推薦の朝日新聞ですが、あまり推薦を真に受けないほうがいいみたいです。

合掌 ありがとうございます

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159: 義春 :2011/07/19(火) 21:55:55

そういえば中川昭一先生の葬列に並んでいると、私の前に猪口邦子さんがいましたよ…
落選されていたからして、遠慮なされて一般の列に並ばれてました。
堅い表情で、何度かお迎えがありましたが、最初の方は、断られてました。

思想は全く合わないですが、一般の列に並んでる姿は立派なものだと感じたものです。

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160: 山ちゃん1952 :2011/07/19(火) 22:29:05

『GHQ焚書図書開封』西尾幹二著という本を以前に読みましたが、
焚書というのは昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までの期間に刊行物が公刊されたのが
22万タイトルの発行である。

それを審査して、7769点に絞って「没収宣伝用刊行物」に指定して焚書を行った。
そうしたリストを作ったのは占領軍ですが、実際没収作業を行ったのは日本政府です。

確かに、戦後の出版物に対する規制は検閲です。
そうしたことも占領軍はおこないつつも焚書行為も行ったのであります。
現在の教育現場で墨塗り教科書などは教えられたりします。
実際検閲ということは以前から知っていました。

また皇国や大東亜戦争や聖戦などそうした言葉などの規制も実際行っています。
だが、そうした歴史が封殺されようとしている。
GHQの検閲に携わる人の募集は英語の翻訳ができ、
知性があり大学の教授や専門的知識のある人も多かったと思います。

戦後まもない職もない、大変な時期でしたから同情も出来ます。
だがそうした人は革新自治体の首長になったり、大会社の社長や有名な
ジャナリストであります。

それに携わった人数は8000人〜1万人ともいわれ、ほとんどの人が口を閉ざしたままです。
こうした検閲という自国の歴史を裁いた人達は平然として暮らしているのです。

歴史を裁き、人をも裁き社会を裁いているのです。
発禁書の多くは新聞社が発行した書物が多いのも皮肉である。国威掲揚とはいえ
、今の変わり身は哄笑するしかない。

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161: 志恩 :2011/07/20(水) 04:59:17

山ちゃん1952様は、なんでもよくご存知でいらっしゃるのですね。

詳しい情報、ありがとうございました。
戦後、日本政府は、GHQとつるんで、このような膨大な図書を焚書にし、
売国奴行為をやっていたんですか。

それで,政府のみならず、それらを行った知性のある一般人達も、
今は、上部の人間として平然と生きているとは、ひどい話ですね。


それから
トキ様がおっしゃるように、朝日新聞は「捏造記事」が多いということも、よくいわれていますよね。
例えば「南京大虐殺」にしても小説から歪曲して事実であるかのように記事にしたり、

「爆撃された上海駅・1937』の写真も「捏造写真」と証明されているのに、
嘘の写真を続ける。

一番問題にされているのは、国内の問題をわざわざ外国に出向き、その半分は捏造とも言える内容を
外国人に焚き付け、
故意に外交問題に発展させるようにしたりしてる事実。

そこまでして金儲けしているメディアは,朝日新聞しかないそうですね。
国賊新聞ではないでしょうか。

谷口雅春先生は、朝日新聞 = 赤旗(共産主義の新聞、最左翼新聞)と、
公然とおっしゃっておられました。

なのに、

雅宣先生は好んで 朝日新聞、日本経済新聞から様々な記事を引用されてブログに載せています。

その思考回路もやはり、最左翼頭脳の証ですね。

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162: トキ :2011/07/20(水) 19:52:50


<口上>

証言 村上正邦 ー我、國に裏切られようとも (魚住 昭 著、講談社 2007年10月10日)

の一部を紹介します。村上氏は、言うまでもなく、生長の家政治連合の当事者のお一人であり、
その証言は、貴重なものです。以下、数ページを使いますが、ご了承のほど、お願い申し上げ
ます。

______________________________________________________________________________________

163: トキ :2011/07/20(水) 19:56:41
(以下は村上氏の著作からの引用です。生長の家政治連合から出馬していた玉置和朗氏の動向
から始めます)


ところが、二月に入って思わぬ事態が起きた。玉置が参院から衆院へのくら替えを表明した
んです。玉置は生長の家の組織票で過去三回の参院全国区に当選してきた男です。それが衆院
にくら替えするということは、生長の家との関係を断絶させることを意味していた。
 そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めよう
がないほどに大きくなってしまったということでしょう。

 直接のきっかけは、前年八月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことで
した。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗
させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。
 この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利
益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
 それに比例区の名簿順任は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させ
るには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれ
ば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に
関わる問題だったわけです。
(p157~158)
_______________________________________________________________________________________

164: トキ :2011/07/20(水) 19:58:47
玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの
玉置に対する不信感なんです。
 二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり
『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の
編集をしておられた。
雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女で
ある恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を
卒業して産経新聞の記者になった。
 ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それ
が玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に果て玉置の政治的動きを全部知られたら困る
から、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぽい話になって
いるようだと、当時、玉置がぽやいていました。
 もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教
団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
 と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立
って、
「そうじゃないんですー・」
 と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断
でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信
感をぬぐえなかった。
 ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山二区の後継者の話
が持ち上がった。それで玉置は、
 「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
 と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。
(p159~160)
_____________________________________________________________________________________

165: トキ :2011/07/20(水) 20:00:26
 昭和五十八年(一九八三年)二月に玉置が衆院へのくら替えを青書してから三カ月後には、
前に述べたように優生保護法の改正案も成立の見通しが立たなくなりました。さらに同年六月
に行われた参院選では玉置の後継者として生長の家が送り出した寺内弘子さんが次点で落選し
てしまった。寺内さんは玉置の秘書だった人で、玉置が参院からくら替えするときに「寺内は
必ず当選させる」と教団に約束した経緯があった。
 ところが自民党が彼女を比例名簿の二十一位にしか載せなかったので落選の憂き目に遭っ
た。これで玉置や党に対する教団の不信感がさらに募ったんです。
 生政連は昭和五十八年の八月十五日、ついに活動停止を宣言しました。つまり教団が政治と
の絶縁を宣言したわけです。
(p160)
_____________________________________________________________________________________

166: トキ :2011/07/20(水) 20:02:17
生政連が活動停止を宣言してから数日後、京都府宇治市にある生長の家の別格本山で孟蘭盆
会がありました。その折、私は清超先生にこう言われました。
「あなたの今後のことは、中曽根さんに頼んでおいたからね。中曽根さんは、ぜひあなたを中
曽根派に欲しいと言っている」
 私は、
「はい。ありがとうございます」
 と答えました。私は雅春先生や清超先生の絶対的な信頼を受け、あふれるような愛情で育て
られた政泊家ですから、教団の指示は「はい」とお受けするしかない。
 このとき清超先生は、生政遵は解散するけれども、生長の家の福祉団体の理事としては残り
なさい、次の選挙のときに生長の家推薦と書くのは構わないとおっしゃられた。 
(p161)
______________________________________________________________________________________

167: トキ :2011/07/20(水) 20:04:51

生長の家は政治と絶縁しただけではありません。

昭和六十年(一九八五年)に初代総裁の谷口雅春先生が亡くなられて
二代目の清超先生が後を継がれると、三代目候補の雅宣さん(現生
長の家副総裁兼総裁代行)の主導権がそれまで以上に強くなった。

そして雅宣さんは、初代の雅春先生の教義についての解釈自体まで変えていったんです。

雅春先生は大東亜戦争は聖戦であり、明治憲法を復元すべきだと訴えておられたが、
雅宣さんは明治憲法の復元どころか改憲も主張しなくなった。

挙げ句の果てにはあの戦争は侵略戦争
だったから日本がアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言うようになった。

そのうえ雅春先生が善かれた政治に関わりのある書籍も一部絶版にしてしまった。

『我、誰よりも国を愛す』などの良書がたくさんあったんですが、それが全部、絶版になったんです。

こうした生長の家の路線転換に生政連や生学連(生長の家学生会全国紙連合)などを拠点に活
動してきた人たちが反発した。

彼らは雅春先生の教えを勝手に変えるのはおかしいと訴えた。

でも雅宣さんから見れば、
従来の生政連は実質的に玉置和郎中心の路線だったから、その路線で突っ走ってきた
活動家たちを信用できない。

それで「こいつらはダラ幹だ」とか何とか言って切ってしまうわけです。

(p167)
_____________________________________________________________________________________

168: トキ :2011/07/20(水) 20:07:04

 私の場合は二代目の谷口清超先生のご厚意で、
当初は生長の家の福祉団体の理事として残りました。

それで、次の選挙のときには今までのように、組織的な応援はできないけれども、
生長の家推薦ということは了解するよと清超先生がおっしゃってくださった。

だから私は生長の家推薦で二期目の参院選挙(昭和六十一年七月)で闘いました。

一期日のように生長の家の組織を挙げての応援は受けられなかったけど、
信徒の皆さんが自ら自民党員になってくださったから、私は比例名簿の六位に
ランクされて当選を果たすことができたんです。

心ある生長の家の信徒の方々は、私が選挙で地方に行くと、「先生、がんばってね」とた
くさん応援に来てくれました。

 しかし、その後、三代目の雅宣さんの意向が強くなって、
政党とは一切、一線を引くという厳格な方針が出されたため、
私は生長の家の推薦を受けるどころか、教団に行くことさえもで
きなくなりました。

 平成七年(一九九五年)に私が参院幹事長になったときも、ご挨拶に清超先生を訪ねました
が、会わせてくれない。

もちろん講習会に行くことさえも、、講義を受けることさえも拒否された。  

 政治家・村上正邦はね。
(p169)

*以上が村上氏の証言でした。
 なお、文中、「私」とあるのは、「村上氏」のことです。
________________________________________________

171: 山ちゃん1952 :2011/07/20(水) 20:50:37
志恩様

私など勉強不足で知らない事ばかりで恥かしい。
自分で調べる場合が多いのですが、抜粋も多いです。現在は「陵墓」関係と万葉集
を調べています。万葉集はやはり山口悌治先生の影響ですね。

大和三山と藤原京と橿原を中心とした歌、初瀬川や山之辺の道を中心とした万葉歌は
なんとも云えません。
________________________________________________

172: 志恩 :2011/07/20(水) 23:10:49
山ちゃん1952様

「万葉の世界と精神」(前・後)ですね。深いですよね。
山口先生は、学者でもいらした。

山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、
壁という壁、床という床、難しい単行本で埋まってました。

本で できた カマクラのような中で、お話させていただきました。

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173: ぼるぼ :2011/07/20(水) 23:52:25

村上正邦さん、昨年5月に刑期満了して社会復帰されたんですね。
もう、79才になるんだ。

僕は全く面識がないんですが、ユニークな政治家だとおもいます。

Wikiによれば、

東京拘置所拘置経験者である鈴木宗男・佐藤優とともに奈良県吉野を訪れ、
後醍醐天皇陵を参拝して再起を誓った後、鼎談する様子が放送された。

また山田洋行事件で逮捕された守屋武昌にも逮捕後に差し入れをするなどして人脈を広げている。

これにより、逮捕・起訴されて刑事被告人と自分と同じ境遇を受けた鈴木宗男・佐藤優・守屋武昌ら
様々な分野で政官界の舞台裏を知りうる主要人物と人脈ネットワークを構築している。

とか。転んでもタダでは起き上がらないタフな精神を持っているなあ。

ぼくが飛田給を出て、国際組織をつくろうとしたことがあった。
その際、生長の家有力者の協力を得たいと思って、玉置さんの事務所を訪ねたことがありました。

玉置さんは、自分は自民党の政調会長で、とても偉いのだ、と態度であった。

その後、原宿の本部にいたとき、たまたま玉置さんがやって来て、僕をみるや、
向こうから握手を求めてきた。

政治家の二面性を見て、こんなもんかなあ、と思ったものだ。

永田町は魑魅魍魎の住む世界で、ぼくはあんまり近寄りたくはない。

でも、今、日本が潰れそうな時なので、どうしても生政連の復活が必要だとおもう。
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174: ぼるぼ :2011/07/21(木) 04:15:41

訂正、今調べたら玉置氏は党3役をやった形跡はないね。
当時、総務をやっていた、ということがわかりました。

あんまり偉そうだったもんで、僕の記憶が勝手に捏造したようです。

で、そのころ、志恩さんとは生で本部廊下あたりですれ違ったかもね。

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175: 志恩 :2011/07/21(木) 07:22:57
ぼるぼ様

はい。玉置和雄先生も村上正邦先生(秘書時代)も、まめに本部にいらしてましたから、
何度もお見かけしていました。

玉置先生が、当選後、玉置先生の参議院議員会館事務所へ、大峡先生(おっぱさん)とご一緒に
伺ったことも 何度か、ありました。

女性秘書の寺内様は、やりてで 男勝りの「仕事人」という感じの人でしたが、
トキ様が載せてくだった記録により、後に選挙にも立候補して落選したことを知りました。

でも、私がお見かけしていたころの玉置先生も村上先生も、まだ初々しい感じの頃でした。
後にテレビで拝見するような「政治家」らしい かっぷくのいい威風堂々とした感じは、まだありませんでした。

私は、当時から ほんとは 政治関係は、苦手でしたし、あまりすきじゃなかったです。
人それぞれに向き向きがありますからね。

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176: 志恩 :2011/07/21(木) 09:01:10

ぼるぼ様

ぼるぼ様が、体験されたように議員会館でお会いされたときは、地位のある政治家の顔になり、
本部にいらしたときは、腰が低くなって、笑顔で向こうから 握手を求めてくる
やさしいおじさんの顔になるというのは、昔からそうでした。

そういう二面性がないと、政治家はできないのでしょうね。
そういう魑魅魍魎の世界が 政治の世界。

(引用、おわり)
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志恩ー
トキ掲示板、
初期の頃の書き込みです。



A生長の家の歴史に学ぶ、過去文再掲(旧トキ掲示板のとき、頻繁に投稿されていた初心者様語録) (61130)
日時:2023年09月22日 (金) 09時17分
名前:志恩

【過去の初心者様のご投稿文に、
今日の生長の家教団のヒントが垣間見えるのは
私の気のせいでしょうか。】

これも小冊子ほどもある長文です。

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える1
━━━━━━━━━━━━━━━━
492: 初心者 :2011/06/28(火) 11:56:32
ブログ管理人様へ



雅春先生によってお示しいただいた、
滋味あふれる深き真理の世界と、
現在の教団でおこなわれていると推測される
「浅き夢見し世界」と どちらが本当に面白いのか。
これはみなさまに判断していただくよりほかはございません。
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
この頃、初心者様は、「あたしは、シャーマニズムやタオイズム
に惹かれている」と述べておられました。
”「タオ」とは、石を通して願い事を込めることで共鳴し始める。
「タオ」とは、道教で「道」を指す言葉である。”
とネット検索しましたら、載っていました。

もしかしたら、
雅宣総裁先生は、この頃の初心者様の御投稿文を読まれて
初心者様のお考えに、共感されたのかもしれないと思いました。
現在の生長の家教団のやることを見て、そう思いました。

━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
次のコメントにも、
もしかしたら、雅宣先生は、共感されたのかもです。
━━━━━━━━━━━━━━━━
511: 初心者 :2011/06/30(木) 20:01:28
正直いって、
あたしは谷口哲学が理解できない。
理解したくとも、理解不能なのだ。
悟りはとりあえずひらいてみた。
宇宙の神秘を味わえるようにもなった。
死の恐怖も克服した。
やりたいことはすべてやった。
もう何も思い残すことはない。
そう思って生きてきたが、
肝心の谷口哲学が理解できないままなのだ。

正直いって、
谷口哲学への嫌悪感がある。
どう考えても間違いなのだ。
神の第一念による実相世界の創造は
じっさい不可能なのだ。
神が第一念を発する前に何がおきたのだ。
神はなぜ第一念を発したのだ。
発しなければならないような
何か特別な出来事があったのか。
第二念ではなぜだめなのだ。
第二念の創造なら可能であるはずなのに。

正直いって、
谷口哲学を理解したい。
これだけ大勢の人々を救ってきた
谷口哲学を理解したい。
あたしの悟りが救ったのはあたしだけだった。
あたしはあたしの真理によって救われた。
でも、救えたのはあたしだけだった。
ほかの誰ひとりとして救えはしなかった。
あたしが味わえたのは、
あたしひとりが救われた喜びだった。
それは誰とも共有できない喜びだった。

正直いって、
あたしは谷口哲学が嫌いだ。
間違っているのに大勢の人を救った。
だから嫌いなのだ。
間違ってないとわかれば
きっと好きになれるだろう。
神はなぜ第一念を発したのだ。
第一念の前に何があったのだ。
誰も本当のことを教えてくれない。
誰も何も語ってくれない。
きっと誰もそのことは知らないのだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━
514: 初心者 :2011/07/01(金) 20:48:24

正直なところ、わたくしは、「実相世界」という言葉を聞くと、
少なからぬ嫌悪の情をいだくことになります。
嫌悪の情は、避けがたく出てまいります。

━━━━━━━━━━━━━━━━
100:初心者:2011/06/09(木) 12:41:40
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

じつはわたくしも、『生命の實相』を読んでも救われなかったもののひとりです。いくら読んでも救われるはずがない。そう思いました。平易な言葉で説かれているので、何が書かれているのかはわかります。でもそれが自分のなかにストンっと落ちてこない。実感が何も湧かないので、真理の言葉を知識として吸収しているだけ。そんな有り様でした。

それでも『無門関解釈』だけは違いました。読み終わるのに丸々2年かかりましたが、読み終えたときにはまったくの別人になったと感じておりました。「すでに真理は我がものとなった」と、本気でそう思い込んでいました。でもこれは、最初の関門をくぐったにすぎなかったのです。

書くと長くなりますので、詳しい話は省きますが、『生命の實相』をいくら読んでも救われないと考えたわたしは、とにかく自分の好きな分野で勝負しようと考え、まあいちおうこれでも理科系のはしくれですから、現代物理学などをかじってみて、この方向から真理を悟ろうと、このように考えてみたような次第です。略
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
私は、旧トキ掲示板の【生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える】
の@とAの全部を、再読しました。

その中の、こちらの初心者様のご投稿文も、谷口雅宣総裁先生が、
きっと読まれて共感されたのかもしれないなと思いましたコメントの1つです。

世の中には、「生命の實相」を読んでも、初心者様のように、
また自分のように救われない人も、きっといるであろうから、
自分としては、初心者様という人が言っているように、
自分も、自分の好きな分野で、勝負してみよう、と、
もしかしたら雅宣先生も、初心者様同様にそう思われて、
今の生長の家の状態があるのかもしれないと、私はふと考えました。

そして、雅宣先生は、ご自分が、嫌悪すると思っている
「実相世界」を象徴する「實相額」というものを、見えづらくするために
「實相額」の前に、あのようなものを置くよう、全国の組織に
命じられたのかもしれないな、とも、思いました。

とにかく、雅宣先生も初心者様同様に、谷口哲学は、正しいとは、
思っていらっしゃらないことは、突然、生長の家のご祭神を変えてしまったり、
雅宣先生が、次々に突然、思いつかれた新しいことを、全国の組織を通じて
実践されてきたことで、理解できることです。

その一環として、
創始者でいらっしゃいます谷口雅春先生が、
生長の家の宗教教団を立ちあげられた時代よりも
もっと前の縄文時代に戻り、縄文文化である、原始アミニズムを
取り入れられた宗教方針に変えられまして、
”森へ 住もう” や、
それと、現代科学の物理学を取り入れた環境問題である
地球温暖化対策なども取り入れ、
ノーミートやクラフトや自転車や家庭菜園などの
西田天香さんの一燈園のような生活様式も取り入れながら、
古代思想と現代思想を融合した新しい教えにされた
おつもりの谷口雅宣先生の教えなのでは、ないでしょうか。

谷口雅春先生時代よりも、谷口清超先生時代よりも、
生長の家を、生長の家の教えを、もっと楽しいものにしよう、
面白いものにしよう、との思いで
リニューアールされたおつもりの現生長の家教団の運動方針は、
三代目総裁でいらっしゃる谷口雅宣先生の人生勝負をかけられた
一大実験の場でもあったとも存じます。

しかし、実験というものは、成功する時も、あれば、失敗する時も
あるものです。

実際、やってみたけれど、結果は、
信徒たちを幸せにしたであろうか、不幸にしたであろうか、

その実験結果が、全世界の信徒たちにとって、
大不評であった場合は、そして、そのことによって、
現実に信徒の皆様が、どんどん組織を去っていく場合は、
その実験は、成功したとは言えないわけですから、

そういう場合は、思い切って、
その教えのやりかたを見直されて、全部が無理でしたら、
半分でもいいですから、抜本的に改革し、
元に戻されて、実験をやり直されれば、
再出発は 可能であると存じます。

たとえば、ソニーのように。
注目投票をする(378)


果たして、谷口雅春先生から与えられた公案なのか? (53647)
日時:2022年10月08日 (土) 05時24分
名前:志恩

志恩ー

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える3
にて、初心様が、このように のべられておられました。
━━━━━━━━━━━━━━━━
>初心者様ー
『教団で起きているゴタゴタは、
谷口雅春先生がわたくしたちに示された禅の公案です。

雅春先生は、こんにちの事態をすでに予知しておられたはずです。

それを承知の上で世襲制を承認し、わたしたちに公案として
残して行かれたのではないですか。
弟子として恥ずかしくない答えを出しましょう。』

谷口雅春先生から与えられた公案なのだ、と思います。

 この公案に、「弟子として恥ずかしくない答え」を、
信徒一人一人が出して行くことによって、
義春様がおっしゃるように、
「生長の家が永続する良いキッカケになる」と信じます。<
━━━━━━━━━━━━━━━━
147:復興G:2011/07/31(日) 20:05:19

>142 :初心者様ー

現総裁のような人物がトップにあらわれたのは、
けっして意味のないことではない。
これが、わたくしが言いつづけてきた ことなのですね。
その意味を考えようともせずに、ただ辞めていただくというのが、
はたして最良といえるのか。
略<


復興Gー

 以下、今私が思うことです。

 谷口雅春先生時代には、
先生がいくら「皆さんが谷口雅春である」とおっしゃられても、
「われわれ凡人と谷口雅春先生とは天と地ぐらいの開きがある」という
観念から抜け出すことがむつかしかった。

「皆さんが住吉大神の全心全霊である」と言われても、
それを実感自覚することは難しかった。
そのときに、二代目・三代目の総裁になられた方が
谷口雅春先生と同様に凡人とは大きくへだたりのあるような
霊的、宗教的なお方だったら、いつまでも「われわれ凡人は……」と言って、
外なる総裁におすがりするばかりで、
内なる神に本当に目覚め、釈迦・キリストと同じ者である、
一切者であるというような自覚を得ることはむつかしいままで終わるのでしょう。

 ところが谷口雅宣総裁は、
「私は神ではない。普通の人間だ。私の言葉は住吉大神の言葉なんかじゃない。
私の言葉は私の言葉だ」というようにおっしゃってくださって、
「私も信徒皆さんもおなじ人間です」と宣言されて、
私たち信徒皆の大いなる神性開発の道を開いてくださっているのです。
まことに素晴らしい神の摂理である。

 これこそ、初心者さまが

『教団で起きているゴタゴタは、
谷口雅春先生がわたくしたちに示された禅の公案です。
雅春先生は、こんにちの事態をすでに予知しておられたはずです。
それを承知の上で世襲制を承認し、わたしたちに公案として残して行かれた
のではないですか。弟子として恥ずかしくない答えを出しましょう。』

 とおっしゃった、谷口雅春先生から与えられた公案なのだ、と思います。━━━━━━━━━━━━━━━━

志恩ー
このことが谷口雅春先生から与えられた公案なのだとしましたら、
私はまだ宗教的な答えを見つけておりません。


「実相世界」という言葉を聞くと嫌悪の情をいだくと、1で言われた初心者様が4で次のように述べておられます。 (53648)
日時:2022年10月08日 (土) 05時45分
名前:志恩

生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える1
━━━━━━━━━━━━━━━━
514: 初心者 :2011/07/01(金) 20:48:24

正直なところ、わたくしは、「実相世界」という言葉を聞くと、
少なからぬ嫌悪の情をいだくことになります。
嫌悪の情は、避けがたく出てまいります。

· • • • ✤ • • • · ·· · • • • ✤ • • • · ·· · • • • ✤ • • • · ·

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える4
━━━━━━━━━━━━━━━━
124:初心者:2012/07/10(火) 10:11:31
スターダスト様

雅春先生が説かれる「実相世界」は、

わたしが予想する本物の宇宙とは、
その性質があまりにも異なっています。

現状では、本物の宇宙を実相世界と
みなすことはできません。

また、本物の宇宙成立の過程を考えてみるに、
実相世界がつくられた過程とは、
あまりにそれは異なったものである
ということがいえます。
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
私は4は、まだ最初のところまでしか読み進んで
おりませんけれど...

この初心者様の4の方のご投稿文にも
谷口雅宣総裁先生が共感されたかどうか、
知るよしもありませんが、

「実相世界」よりも、
「環境問題」を教えの中心に置かれたということは、
何かしらの共感があったのかもしれない、です。



>志恩ー この頃、初心者様は、「あたしは、シャーマニズムやタオイズム に惹かれている」と述べておられました。 ”「タオ」とは、石を通して願い事を込めることで共鳴し始める。 「タオ」とは、道教で「道」を指す言葉である。” とネット検索しましたら、載っていました。 (53693)
日時:2022年10月10日 (月) 07時55分
名前:食事の神示を唱えつつ...


『タオ』とは仏教と結びついた禅です。
谷口雅春先生作詞の聖歌の中で思い浮かぶのは、
マクロ的に、『久遠いのちの歌』に相通ずるものであると思います。


tao(道教)・タオイズムについて (53694)
日時:2022年10月10日 (月) 08時51分
名前:志恩

(食事の神示を唱えつつ...ー)
『タオ』とは
仏教と結びついた禅です。
谷口雅春先生作詞の聖歌の中で思い浮かぶのは、
マクロ的に、『久遠いのちの歌』に相通ずるものである
と思います。
:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・

【日本に伝わるタオイズム】より

日本は古代より中国大陸の文化を、朝鮮半島を経由して、
また遣隋使、遣唐使などの直接交流によって学んできました。

そして、この「タオイズム」はそうした文化交流の中で脈々と
伝わってきていたのです。

『老子道徳経』は、
おそらく奈良時代には日本に伝わってきていたのであろうと
考えられますが、

「儒教」や「仏教」とあわせてこの「無為自然のタオイズムの思想」は伝わり、
また江戸時代には「老子」「荘子」の思想が最も多く庶民にも読まれる
ようになりました。

日本人が長い歴史のなかで学んできた無為自然に、
水のように天地自然の中で生かされるという、
「タオイズム」の生き方です。

そうした思想や養生についての書物が、
江戸時代にも多く出版され、
それらを紐解くことにより日本人が、
いかに中国大陸の文化文明に多くを学んできたか
ということが明らかになります。
日本には「道教」の寺である道観が無かったといわれてきましたが、

『長崎先民傳』(盧千里著、文政2年、1819年)には、
「神道」の修業者だった大江宏隆が、
長崎の田上に崇元観という道観を開いて晩年修養していた
という記録があります。

また、長崎県大村市福重でも、
道看(道観と同じ意味)と書かれた「石碑」とともに
「陽林」「陽白」「三伯」など、

「タオイズム」を連想させる文字が刻まれた
古い「自然石」が残っており、

大変古い時代に、ここに道観があったのではないかと言われ、
その検証が始められています。

日本の「道教」といわれ、
最もその修行や考え方が「道教」に近い
山岳修業開祖の役行者が生まれた葛城山の寺では、聖徳太子が
受容した日本の奈良時代の「仏教」は、

「純粋な仏教」だけでなく「道教」も「儒教」もあわせて伝わっていた

ということをはっきりと認識されている事実を寺のご住職に伺い、

また、奈良に最初に仏教が伝わった寺といわれる
元興寺(前身は法興寺。平城京遷都とともに寺名を
元興寺に改める)では仏教の仏像とともに、
「道教」の地獄の神々である 泰山符君などの十王が、
「仏教」の仏像とともに仲良く奉られておりました。

また、【日本タオイズム協会】の本拠地である、
福岡県の東峰村から登った日本の修験道の三大名山といわれる
英彦山の山頂にある英彦山神宮の高千穂秀敏宮司も、
この山は「神道」、「仏教」、「修験道」だけでは解明のできない

多くの「石像」や「石碑」があり、それらを調べれば調べるほど、
「道教」が色濃く残っている、とはっきりおっしゃっておられました。

:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・
志恩ー
文中の「」は、わかりやすくするために、私が、つけましたが、

以前、初心者様が、「シャーマニズム」とともに惹かれていらした
という「タオイズム」は、「仏教」に結びついた禅である、ということは、
わかりました。

というよりも、中国から日本へ入ってきたのは、「仏教」だけでなく、
「道教」も「儒教」も一緒に日本へ入ってきたのですよね。

「道教」は、老子が説いた教えだそうですが、調べてみましたが
「自然石」とか「石碑」に、かなり関係がある教えのようです。

現代で言うならば、「バワーストーン信仰」に似ていると思いました。
石に願いを込める。石には不思議なパワーが、、、、みたいな。

あなた様が、
>谷口雅春先生作詞の聖歌の中で思い浮かぶのは、
マクロ的に、『久遠いのちの歌』に相通ずるものである
と思います。<

と言われましたので、あらためて、「聖歌歌詞」の
『久遠いのちの歌』の歌詞を、読み返してみたところですが、
石を拝むことと、この聖歌の歌詞の内容と、
どのようにつながるのか、私には、まだ理解できません。

「道教」は、カルトでない自然を敬う宗教だとゆうことはわかりますが、
森とか田舎暮らしの人が、実践可能な宗教だと思いました。

身近に自然石がゴロゴロ落ちているところに住んでいる人が、
やれる。谷口雅宣先生が住んでおられるようなところに住んで
いる人が実践可能な教えです。

しかも、腕も足腰も丈夫な人がやれる。
決して、全国規模の組織にやるように、言えるものでは、ございません。

生長の家の教えは、どなたにでも気軽に実行できる効果抜群の教えですので、

すみませんが、私は、それプラス、「タオ」までやって、石は、拝みたくありません。




(53697)
日時:2022年10月10日 (月) 09時51分
名前:食事の神示を唱えつつ...

>あなた様が、

>谷口雅春先生作詞の聖歌の中で思い浮かぶのは、
マクロ的に、『久遠いのちの歌』に相通ずるものである
と思います。<

と言われましたので、あらためて、「聖歌歌詞」の
『久遠いのちの歌』の歌詞を、読み返してみたところですが、
石を拝むことと、この聖歌の歌詞の内容と、
どのようにつながるのか、私には、まだ理解できません。<


は?...。
「禅」だと申し上げました。
志恩さん自身が前提としている自問の意味が当方には理解し難い。



>「道教」は、カルトでない自然を敬う宗教だとゆうことはわかりますが、森とか田舎暮らしの人が、実践可能な宗教だと思いました。

身近に自然石がゴロゴロ落ちているところに住んでいる人が、
やれる。谷口雅宣先生が住んでおられるようなところに住んで
いる人が実践可能な教えです。

しかも、腕も足腰も丈夫な人がやれる。決して、全国規模の組織にやるように、言えるものでは、ございません。<


当方、老師はリスペクト対象の一人ではありますが、
志恩さんの解説が意味不明です。
一義的にはタオイズムの本質に関して、
二義的には現総裁がこちらの掲示板の初心者さん投稿に影響を受けたという志恩さんの仮定。(笑)


>すみませんが、私は、それプラス、「タオ」までやって、石は、拝みたくありません。<


すみませんが志恩さん、貴女に誰もそう言っていません(笑)
楽しく面白い志恩さん、それではこれで、有難う御座います。


(53969)
日時:2022年10月30日 (日) 03時18分
名前:感想G

>もしかしたら、
雅宣総裁先生は、この頃の初心者様の御投稿文を読まれて
共感されたのかもしれません。
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
次のコメントにも、
もしかしたら、雅宣先生は、共感されたのかも、です。
━━━━━━━━━━━━━━━━
511: 初心者 :2011/06/30(木) 20:01:28
正直いって、
あたしは谷口哲学が理解できない。
理解したくとも、理解不能なのだ。
悟りはとりあえずひらいてみた。
宇宙の神秘を味わえるようにもなった。
死の恐怖も克服した。
やりたいことはすべてやった。
もう何も思い残すことはない。
そう思って生きてきたが、
肝心の谷口哲学が理解できないままなのだ。

正直いって、
谷口哲学への嫌悪感がある。
どう考えても間違いなのだ。
神の第一念による実相世界の創造は
じっさい不可能なのだ。
神が第一念を発する前に何がおきたのだ。
神はなぜ第一念を発したのだ。
発しなければならないような
何か特別な出来事があったのか。
第二念ではなぜだめなのだ。
第二念の創造なら可能であるはずなのに。

正直いって、
谷口哲学を理解したい。
これだけ大勢の人々を救ってきた
谷口哲学を理解したい。
あたしの悟りが救ったのはあたしだけだった。
あたしはあたしの真理によって救われた。
でも、救えたのはあたしだけだった。
ほかの誰ひとりとして救えはしなかった。
あたしが味わえたのは、
あたしひとりが救われた喜びだった。
それは誰とも共有できない喜びだった。

正直いって、
あたしは谷口哲学が嫌いだ。
間違っているのに大勢の人を救った。
だから嫌いなのだ。
間違ってないとわかれば
きっと好きになれるだろう。
神はなぜ第一念を発したのだ。
第一念の前に何があったのだ。
誰も本当のことを教えてくれない。
誰も何も語ってくれない。
きっと誰もそのことは知らないのだ。

:::

当時の初心者さんは決して雅春先生の御教えを批判されたので無く、本当の本当の本当を知りたいという探求途上の切なる魂からの告白、叫びのように、思えます。非常に真摯な純真さを感じます。
そういうある意味「貴重」な投稿を、雅宣総裁を揶揄する為に、
引用する。慈悲も無い引用の仕方だと思う次第。

第一、掲示板を総裁が見ているという志恩さんの前提も変。
その様に思いました。

再々拝。


感想G様 (53970)
日時:2022年10月30日 (日) 06時15分
名前:志恩

感想G様ー
>当時の初心者さんは決して雅春先生の御教えを批判されたので無く、
本当の本当の本当を知りたいという探求途上の切なる魂からの告白、
叫びのように、思えます。非常に真摯な純真さを感じます。
そういうある意味「貴重」な投稿を、雅宣総裁を揶揄する為に、
引用する。慈悲も無い引用の仕方だと思う次第。

第一、掲示板を総裁が見ているという志恩さんの前提も変。
その様に思いました。<


志恩ー
正直に申し上げますと、あの当時、
私は雅宣総裁と、初心者様とに対しましては
共通の波動を強く感じておりました。

人間て、同じ波動の人の意見て受け入れてしまう
ところがございます。
なので、そのように考えた次第です。

あなたのおっしゃった
”本当の本当の本当を知りたいという探求途上の切なる魂”
”非常に真摯な純真さ”
この二つの点も、
あの頃のトキ様、役行者様、訊け様、義春様と
初心者様との会話のなかに、初心者様と総裁と、
共通の波動を、強く感じておりました。

初心者様は、一見、生長の家を大否定しているような発言をなさり
ながら、当時、掲示板にて、今後の生長の家は、どのような方向へ持って
行ったら良いか、
広く皆さんの声を聞きたいなど、と、おっしゃっていて、
そのようなことも、掲示板にて訴えておられました。

生長の家の今後の歩むべき道を、真剣に模索されてもおられた不思議な
人物でもありました。

総裁が、
初心者様の掲示板での 発言など、見ているわけがない、
それを総裁を揶揄するために志恩さんが使うとは、慈悲もない
引用の仕方だとおっしゃるのでしたら、それにつきましては
私が感じていましたことですので、間違いであれば、お詫び
いたします。

しかし、総裁が、生長の家掲示板を見ているということは、
前から知られていることでありまして、
私が考えたことではありません。


(53975)
日時:2022年10月30日 (日) 14時59分
名前:感想G

>以前に、
本部の内部事情に詳しいお方が、本部も総裁も
生長の家の掲示板を見ていますよ、ということを
掲示板で、教えてくださったので、そうなんだと、
納得したことと、


ハンドルじゃなく実名ですか。
総裁は、自己申告で現役職員だとの設定で始まった掲示板がある事は、知っているとは思います。信徒及び職員は見る方もいるでしょうからね。歴然と事実と違う事があれば、当然報告しますからね。

(初心者さんの投稿から総裁自身がヒントを得たのでは、
といった類の単なる井戸端憶測などは当然報告には上がらないでしょうが)


>重ねて、私も、生長の家の総裁なのだから、
生長の家の掲示板には、どのようなことが書かれているか、
ご覧になられるのは、当然のことだろうな


へぇ...「総理大臣なら日本国民のツイッターをみなさいよ」てな感じですか?





はあ? (54090)
日時:2022年11月06日 (日) 09時00分
名前:神の子

自分は曳馬さんでは無いですし、初心者さんは総裁では無いですし。
シオンを堕とす悪巧みも何も既に自力で堕ちまくってるから心配無用ですよ。


(54094)
日時:2022年11月06日 (日) 09時42分
名前:閲覧者

はあ? (54090)

日時:2022年11月06日 (日) 09時00分
名前:神の子

自分は曳馬さんでは無いですし、初心者さんは総裁では無いですし。
シオンを堕とす悪巧みも何も既に自力で堕ちまくってるから心配無用ですよ。
__________________________________________

わかります。
お気持ちお察しします。


貴重スレ (19279)
日時:2019年10月05日 (土) 06時18分
名前:アゲテオキマス。

日本協議会一派は最初から雅春先生に中心帰一していなかった (6377)

日時:2018年10月11日 (木) 17時27分
名前:日野智貴

昔の生政連の頃の生長の家青年会の冊子を読むと「え?」と驚くものが少なくない。

「これ、谷口雅春先生の御教えと違う!」と叫びたくなるようなことがしばしば書かれているのである。

何かは忘れたが、かつて私が生長の家のある道場から「発掘」してきた冊子には「海ゆかば」を称える文章があって仰天したものだ。

生長の家は戦前、「海ゆかば」に反対して時の理事長が憲兵から気を失うほどの厳しい取り調べを受けていた。

雅春先生は別に反戦左翼という訳でなかったが、「言葉の力」を信じていたので、戦死を称えるような「海ゆかば」には一貫して反対されていたのである。

さらに言うと雅春先生は「靖国で会おう」というスローガンにも否定的であった。そのことは『真理』をきちんと読んでいればわかることではあるものの、今の時代には強調しておく必要があるかもしれない。

何が言いたいかと言うと、昔の生長の家の組織は雅春先生に中心帰一していなかった、ということである。

その、雅春先生に中心帰一していない輩が作ったのが学ぶ会を始めとする日本協議会一派である。

彼らが「雅春先生に学ぶ」等と騙っているのであれば、私たちはどんどん雅春先生の文章を拡散すればよい。

そして間違っても「日本協議会一派は昔の雅春先生の主張を墨守している」等とは言わないことだ。

彼らは最初から雅春先生を無視していたのである。このことを明確にしなければならない。

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谷口雅春先生が「海ゆかば」の歌を批判されていらっしゃったことは、知っていますし、事実です。 (6384)

日時:2018年10月11日 (木) 20時21分
名前:志恩

谷口雅春先生が、「海ゆかば」を批判されていたことは、
谷口雅春先生が、総裁でいらした時、雅春先生から、直接、そのことは、
伺っておりましたし、
当時の本部講師の皆さまも事務の方々も、そのことは、全員、知っていました。

[谷口雅春先生は 「海ゆかば」に反対されていた。
その結果、生長の家の本部講師と特別高等警察の間でトラブルが発生したこともあった。]
このことは、ウィキペディアにも載っていますが、実際に伺っておりました。


中心帰一については、
谷口雅春先生は、自分は神様のラッパであると言われていましたから、
当時は、谷口雅春先生に中心帰一せよという言葉は、そんなこと言わなくても

していましたので、わざわざ、谷口雅春先生に中心帰一せよ、なんて
谷口雅春先生ご自身は、もちろんのこと、他のどなたも、いいませんでした。

と言いますか、皆様は、
当然のように、谷口雅春先生を通して、神様に中心帰一していましたからね。

その後、「海ゆかば」は暗い歌だから、歌わない方がいいということは、
伝わっていなかったのか、(森友学園・)塚本幼稚園の生徒さんたちに
歌わせている動画を見たときは、あれあれと思いました。

日本協議会は、そのことを知らないのでしょうか?
歌ってるのですか?「海ゆかば」を。

日本協議会のことは、私は、わかりません。

________________________________________________
則天去私様のブログより、

以下の山ちゃん1952様の貴重な資料を、
拝借させていただきます。

昭和18年8月⭕ 谷口雅春先生、「言葉の力と国民歌の選択」を発表し「海ゆかば」を
         歌うことを批判。

も、掲載されていましたので。
______________________________________________________


2014年07月27日16:49

谷口雅春先生年譜一覧表-4

昭和4年12月13日  二回目の盗難後「今起て!」の神啓を受け、会社退出後の夜間に『生長の家』誌の執筆を始める。
執筆後間もなく、住吉村字八甲田690(藤棚の家)に移転。
昭和4年12月31日  『生長の家』誌創刊号1千部が印刷完了し納本される。
昭和5年1月     『生長の家』創刊号の無代進呈を開始する。
          3月1日 『生長の家』創刊号発行日として奥付に記載された日。(後に生長の家立教の記念日となる)
昭和5年7月    「生長の家の神想観に就いて」を発表。
昭和5年11月    「生長の家家族の祈願及修養」「神想観実修歌四首(神招歌)」を発表。
昭和5年12月    「生長の家の食事」(神示)11.04
          「甘露の法雨」を発表。生長の家の歌と題して『甘露の法雨』“神”“霊”“物質”の項を発表。
          (『生長の家』第一輯第十号)尚翌年『甘露の法雨』と題して“実在”“智慧”“無明”“罪”“人間”の                  項を発表。(『生長の家』第二輯第二号)
昭和6年1月     「完成の燈台の神示」1.15
昭和6年4月    「万教帰一の神示」4.05
昭和6年5月    「新天新地の神示」5.06
         「“心の法則”と“平和への道”の神示」5.30
昭和6年5月    大阪堂ビル清交社にて「ひとりでに健康になる話」と題して講演
昭和6年6月    「帰幽の神示」6.26

昭和6年9月    「生死の教」(神示)9.05
昭和6年9月    「大調和の神示」9.27
昭和6年9月    「“最後の審判”に就いての神示」9.28

昭和6年11月1日   五銭本『生きとほし』(『生命の實相』の抜粋)を発刊。

昭和6年12月    「信仰生活の神示」12.05
昭和7年1月     『生長の家』合本第一巻『生命の實相』(総黒革表紙・三方金1千四十頁)を出版。


昭和7年1月     「声字即実相の神示」1.11
昭和7年2月     「天使の言葉」を発表。「甘露の法雨」と題して“生長の家”の項を発表。(『生長の家』第三輯第二号)
           後に「天使の言葉」となる。
昭和7年2月     「自他一体の神示」(報恩行に就いての神示)2.04
昭和7年2月     「上求菩提・下化衆生の神示」2.09
昭和7年3月     『生長の家』第3輯第3号より表紙画が1月5日に霊象に現れた神姿の図案となる。
昭和7年3月     「いのちのゆにはの神示」3.14
昭和7年3月     「使命邁進の神示」3.15
昭和7年4月     「生長の家見真道場の設立」を提唱。
昭和7年4月     「無相円相一切相の神示」4.10
昭和7年5月     このころ、住吉村八甲田659の2に移転。(境目川(さいめがわ)の家
昭和7年5月     「無限供給の神示」5.05
昭和7年5月     「久遠天上理想国実現の神示」5.27
昭和7年7月     「万教包容の神示」7.07
           ヴァキュ−ム・オイル・カンパニ−を退職。8月1日より全生涯を人類光明化運動に捧ぐ。
昭和7年8月     「懺悔の神示」8.12
昭和7年9月     「實相金剛身の神示」9.02
昭和7年10月     「生長の家経済連盟の提唱」を発表

昭和7年11月     「無病常楽の神示」11.10

昭和7年11月     「本来生、不滅の神示」11.25

昭和8年1月     「梅の花の神示」1.06
昭和8年1月8日    東京雑司ヶ谷「友の家会館」にて「中心(すめろぎ)に帰一する道」を講演
昭和8年1月     「自然流通の神示」1.25
昭和8年3月10日    「生長の家新聞」(4頁)を発刊。同誌に「生命の芸術について」発表。また「非常時日本に日本精神を発揮
            せよ」を掲載。生長の家出版部の印刷所
昭和8年3月     「至上者の自覚の神示」3.16
昭和8年6月     「實相を観ずる歌」を発表。
昭和8年8月     「本当の信仰に就いての神示」8.05
           『生長の家新聞』を廃刊し、『生命の芸術』を創刊。
昭和8年9月     「霊魂進化の神示」9.15
昭和8年12月     『生長の家』合本第二巻『久遠の實在』を出版。

昭和9年1月      最初の講演旅行のため、盛岡、東京、七尾へ出発。(21日帰着)
昭和9年1月12日    県社桜山神社で一般の人対象に開催「生命の無限生長の道」
           と題して講演。『岩手日報』では当日写真入りで「生長の家の開祖、谷口雅春氏来盛す」と写真入りで報道。
昭和9年1月14日    東京・浅草・富士小学校にて講演会(148名)
昭和9年1月15日    愛の幼稚園(賀川豊彦氏経営)にて誌友会(30人)
昭和9年1月16日    山根八春氏邸で誌友会(58名)東京・目黒
昭和9年1月17日    立仙淳三氏邸(70名)(立仙氏は後程、家庭光明寮塾長)
東京・小石川
昭和9年1月18日    松本肇氏邸(80人)(前年の東京の初めての講演会のお世話役)
昭和9年1月19日・20日   石川県七尾 講演会(19日、20日)




昭和9年5月       「われ山頂より雲を招ぶ」(自他俱富の真宗教の一機能として、その弘道機関として株式会社
             「聖典普及会」を提唱したもの)を発表。
昭和9年8月22日    上京にあたり住吉での最後の誌友会が御影ホテルで開催される。(参会者120名)
昭和9年8月29日・30日    29日住吉を出発し、翌30日入京。
昭和9年9月        東京にて最初の誌友会を開く(これ以降赤坂本部できるまで谷口先生宅にて誌友会)
昭和9年11月       第一回人類光明化運動講演会を有楽町報知講堂で開催。
             株式会社光明普及会の発足

昭和10年1月      『生命の實相』全集第一巻を発刊。
昭和10年2月      「生長の家」家族の微章を発表。
昭和10年5月      『主婦の友』5月号に「奇蹟的な精神療法の真相を探る」-話を聞くだけで難病が全治するといふ
            『生命の實相』とは何か?-と題して生長の家特集が掲載される。
生長の家教育部を創設。
昭和10年6月      このころ、京都支部より折本型聖経『甘露の法雨』を発表。
昭和10年8月      『生命の教育』創刊。
           赤坂本部(旧山脇高等女学校を譲受)
昭和10年11月      本部に花嫁学校「生長の家家庭光明寮」を開寮。(総裁・谷口雅春先生 寮長・谷口輝子先生)

昭和10年11月      第一回生長の家指導者講習会を開催し、「古事記」を講義。

昭和10年12月      「生長の家宗教連盟の提唱」を発表。
           谷口雅春先生作『釈迦と維摩詰』が早稲田大学大隈記念講堂において上演される。
           『生命の實相』全集全12巻出版完了する。

昭和11年1月      教化団体「生長の家」を設立
昭和11年2月      白鳩会を結成。(総裁・谷口雅春先生・輝子先生)
           二月号から「新しき生命の佛教」の連載が始まる。
           二・二六事件の直前に「大調和の歌」を発表。
昭和11年3月      光明思念歌「天照らす御親の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり」を発表。『生長の家』誌3月13日発行
           に昭和人類光明思念の放送」を提唱。
           『生長の家』誌4月号より「『古事記」の講義』を連載。
昭和11年6月      初心者のための月刊誌『光の泉』を創刊。
昭和11年7月      『生長の家』誌七月号に「新しき生命の佛教」(六)において初めて『華厳経』を解釈される。
昭和11年8月      白鳩会機関誌『白鳩』を創刊。

昭和11年9月     『生長の家』9月号より、「近況通信」が始まる。(戦後、「明窓浄机」となる)
昭和11年9月      万教帰一連盟なる。発起人として倉田百三・杉山元治郎・千家尊建・ラス・ビハリ。ポ−ズ・加藤一夫/
            賛成人として井上哲次郎・今竣聴(今東光)・本壮可宗
昭和11年11月      最初の比叡山夏季講習会が開催される。
           『生命の芸術』を改題し、綜合雑誌『いのち』を創刊。
           『生命の實相』大聖典を刊行。
昭和12年2月      『いのち』二月号において「久遠を流るるいのち」を発表。
昭和12年3月      『耶蘇伝』を日比谷公会堂において上演。尾上菊五郎の養成する日本俳優学校劇団によって公演。
昭和12年9月      『いのち』時局文芸思想大講演会を九段軍人会館で開催。講演者、武者小路実篤、杉森孝次郎、本荘可宗、
            中河與一、萩原朔太郎、倉田百三各氏のあとを受け谷口雅春先生「白馬に跨る基督」と題して講演。
            (その他、この『いのち』の文筆者は当時の名立たる人でした(長與善郎、片山敏彦、谷川徹三、伊藤正徳
           、保田與重郎、齋藤晌、小島威彦、浅野晃、難波田春夫、亀井勝一郎等

昭和12年11月      『實相體驗集成』第一輯を発行。
昭和14年1月      『生命の教育』1月号より「無門關講義」の連載始まる。
昭和14年3月      「いのち」を改題して『行』として求道実践のための雑誌とする。

昭和14年5月      東亜同和会の設立(対満州、支那の教化)本部を大阪市天王寺区東高津南之町に置く

昭和14年11月      『生長の家』東亜同和版を発行。(2年間継続刊行される。)

昭和15年4月      宗教団体法の実施に伴い、教化団体生長の家から宗教結社生長の家となる。
昭和15年6月8日    同和会の計画部長・中林政吉氏が満州国駐在を命じられる。
昭和15年8月     初めての野外講演会を京都円山公園音楽堂において開催、聴衆1万4千名。
昭和15年9月     「天皇信仰」を発表。『生命の教育』9月号の巻頭言に発表。

昭和15年10月     大政翼賛生長の家青年会(後、皇運扶翼生長の家青年会と改める)が結成
昭和15年11月     東京から山口悌治講師。青島に在った新田潔講師を満州開拓青少年義勇隊の訓練所へ派遣要請
昭和15年末      皇紀2600年を記念して蓼科高原に記念塔を建造。(この中に『生命の實相』や神誌などが納入。100年後に開かれる。
昭和16年1月     「大日本神国観」を発表。
昭和16年4月     宗教結社生長の家の設立
          『谷口雅春選集』(潮文閣)を発刊。
昭和16年10月     『生長の家』東亜同和版、『光の泉』、『生命の教育』、『行』が10月号をもって終刊となる。


昭和17年2月     愛国機献納運動

昭和17年6月     満州建国10周年慶祝講演会のために、朝鮮・満州各地を御巡錫。

昭和18年8月    ⭕ 谷口雅春先生、「言葉の力と国民歌の選択」を発表し「海ゆかば」を
             歌うことを批判。


昭和18年9月8日    第二回朝鮮・満州御巡錫。
昭和18年11月     「続々甘露の法雨」を発表。
            光明図書貸出機関の設立(通称「光明書籍文庫」)
昭和18年12月     『生長の家』12月号みおいて「出版決戦体制に応ずるため誌友諸氏に告ぐ」を発表
昭和19年3月     「日々読誦三十章経」を発表。
昭和19年4月     皇道大学寮を開設
昭和19年6月     本部建物を第一師団司令部に献納し、本部仮事務所を原宿の学生寮に移す。「皇国神力発動の根本をなすもの」
           を発表し、軍及び政府の政策を批判。


昭和19年10月     用紙配給杜絶のため、10月号をもって『生長の家』『白鳩』の発行不能となる。
           谷口雅春先生、江蘇省兵団長小林信男中将の招聘により渡支。上海、北京、天津、青島にて講演。
           北京においては支那派遣軍総司令官岡村寧次大将と会談。
           和紙短冊30万入手『皇軍必勝』と御揮毫。8月1日以後は新加入の人に『生長の家家族』と御揮毫


昭和20年5月25日     本部の消失。学生寮や明治神宮も消失。
            空襲が厳しくなる。山間の平和な処の信徒から疎開の進めがあったが「陛下が東京におわします限り、
            一歩も東京は出られません。折角の御好意ですけれどご辞退いたします。もしお世話になるとしたら、
         50人の家族ですから…」と帝都守護の固い決意をもらされた。


その「皆様」の中にあの人はいますか? (6388)

日時:2018年10月11日 (木) 20時44分
名前:日野智貴

>と言いますか、皆様は、
当然のように、谷口雅春先生を通して、神様に中心帰一していましたからね。<

 総本山の本部講師だった某氏は『大日本帝国憲法』の復原・改正を「あの時代の戦略的な判断であって今の時代には合わない」という意味の発言をしておられます。

 彼は学ぶ会の幹部であり、某掲示板に常連のように投稿されています。

 また、学ぶ会と関係の深い憲法学者も『大日本帝国憲法』復原改正を否定する発言を日本会議系の講演会で行った、と私はある地域の日本会議の支部の幹事から聞きました。

 その方は「私は本当は『大日本帝国憲法』の復原・改正をしたいのに・・・」と仰られていました。

 『大日本帝国憲法』の復原・改正が決して「戦略的な判断」などではなく「神意」であることは雅春先生の著書を読めば明白ですが、志恩さんのいう「皆様」には「現在、帝国憲法の復原・改正を否定している人」は含まれるのでしょうか?

 ちなみに、その方を擁護している某掲示板管理人が志恩さんについて意味不明瞭な批判を書かれていることはご存知の通りです。

>その後、「海ゆかば」は暗い歌だから、歌わない方がいいということは、
伝わっていなかったのか、森友学園の生徒さんたちに歌わしている
動画を見たときは、あれあれと思いました。<

 伝わっていなかったのでしょう。

 本部講師だった某氏にも『大日本帝国憲法』の復原・改正が「神意」だとは伝わっていなかったか、それとも彼らはそれが「神意」と知りつつ、わざと御教えを改竄しているのです。

 そういう人間がいた状態を「雅春先生に中心帰一していた」と言えますか?

 ちなみに、生長の家社会事業団は当初は教団の未払いの著作権料だけを裁判の争点にしていました。私は教団・日本教文社からの聖経・聖典の発禁を求めたことは絶対に評価できませんが、彼らの心情は理解できますし、法的には彼らの方が正しかったから勝訴したのでしょう。

 ところが、今の社会事業団・学ぶ会は総裁家の人間とも距離を置き、聖経についても雅春先生の時代から著作料は支払わないことに異論はなかった、純粋に宗教的な目的のために使われる「霊牌」「肌守り」の頒布禁止までをも主張しました。

 「霊牌」や「肌守り」の頒布を禁止するのは教団への「嫌がらせ」に過ぎませんし、特に生長の家宇治別格本山から『甘露の法雨』の霊牌の頒布を止めさせようとした社会事業団の裁判闘争は明らかに雅春先生の御教えに反します。

 そして、それは法的にも間違っていたので彼らは裁判で敗訴しました。

 もしも彼らが「雅春先生の御教えを守りたい」というのが「本当の目的」ならば「聖経・聖典は光明思想社から頒布する、それは法的にも正しい。しかし、『甘露の法雨』の霊牌を宝蔵神社から頒布するのは雅春先生の遺志であるから、教団はこれからも『甘露の法雨』での供養を続けて雅春先生の遺志に違わないようにしてほしい」と言うべきでしょう。

 そうでないからこそ、つまり「雅春先生に中心帰一していなかった」からこそ、霊牌をも裁判の争点にすると言う、凡そ信仰者としてあるまじき行為に出たのです。


(6390)

日時:2018年10月11日 (木) 20時50分
名前:志恩

日野さん〜
>> 総本山の本部講師だった某氏は『大日本帝国憲法』の復原・改正を「あの時代の戦略的な判断であって今の時代には合わない」という意味の発言をしておられます。

 彼は学ぶ会の幹部であり、某掲示板に常連のように投稿されています。<<

志恩ー

破邪顕正様のこと?
私が原宿本部に奉職していた時代には、まだあのお方は、おられませんでした。


それは失礼しました (6392)

日時:2018年10月11日 (木) 21時11分
名前:日野智貴


>私が原宿本部に奉職していた時代には、まだあのお方は、おられませんでした。<

志恩さんの同僚・上司は素晴らしい人が多かったのですね。羨ましいです。

もっとも、志恩さんも清超先生のことを悪く言っている先生の話を依然されていたと思いますが・・・・。


日野さん (6401)

日時:2018年10月12日 (金) 04時17分
名前:志恩

清超先生のこと、悪く言ってる本部講師や編集長の方々の話ですね。

あれは、書いても差し障りのない方々のお名前だけを書いたのです。

もっと大物の方々のお名前も、書こうと思えば、数人おられますし、
本部職員の後輩の皆さんの多くの声も聞いていますし、
かなりの数の方々からの、本音の声を聞きました。

差し障りがあると考えて、掲示板には、その他の方々の
お名前は、書きませんが。

悪口というよりも、
清超先生は、雅宣先生と違いまして、教えを変えたりは、されませんでしたが、

生長の家の運営とか、組織とか、人間面とかの現実面の変革を
どんどん進められました。

研究室にいた人たちも、そういう部屋は、必要ないと言われたそうで、
廃止されまして、
全員、各県の教化部長に 振り当てました。

人間の好みも、谷口雅春先生とは、異なっておられまして、
清超先生が、原宿本部のトップになられますと、
谷口雅春先生が、重要視されていた人物たちは、ことごとく、排除されました。

あと、教えの面ではなく、政治に関することは、

谷口雅春先生と見解が異なっておられました。


大東亜戦争は侵略戦争であったと、清超先生は、ご自分の著書に
書かれたそうですからね。

その著書を書かれていた時の、その清超先生の著書の編集者は、
雅宣先生だったそうです。つまり、雅宣先生のご意見も
加味されての出版ではなかったか?と言われています。

著書名は、私は知りません。春らんまんさんという人が
その清超先生の本を河口湖の練成道場へ行った時、読み、
心がドン引きしたと、以前に、トキ掲示板に書かれていたのを
私は、読んだのです。

清超先生は、雅宣先生の意見を、どんどん取り入れていらして、

本部の方々の話では、総裁は清超先生であるけれど、
実際の教団の真の権力者は、雅宣先生なのだと、
口々に言ってました。

そして、ほんのちょっとでも、違う意見を言うと、
すぐに、首、左遷の目に
合うので、本部では、誰一人、逆らう人はいない。

全員が、イエスマンでないと、本部には在籍できない。

清超先生の背後におられる
雅宣先生に、意見を言える人も、異論を唱える
人も 誰もいない。誰も本音が 言えないからだ。

全員が ただ目をつむって従うだけの、息苦しい、窮屈な本部に
なってしまったということも、多くの本部講師の先生や、
後輩の本部職員の方に、聞きました。

今は、全員が、清超先生を仕切っている雅宣先生に、絶対服従しないと
本部には いられないのだということも口々に言ってました。

嘘とは思えませんけれどね。

清超先生は、総裁になられますと、ある時から副総裁に雅宣先生がつかれまして、
その時期と、重なるのか、ずれるのかは、わかりませんが、雅宣先生は、
清超先生が書かれる本の編集者をされていた時期があったそうなんです。

生政連活動の中止を発表されたのは、清超先生でした。

雅春先生が、九州本山に住まいをうつされ、清超先生が原宿本部にて、
生長の家の全組織を采配されていらした時期のことです。

雅宣先生のご意見を、清超先生は、多く取り入れて、いろいろなことを
具体的な、組織面などのことを、どんどん変えていったと伺っております。

雅春先生の愛国書の絶版を、次々にされたのは、
雅宣先生が副総裁の時でしたかしら?

今、過去の資料を、見直していないので、
その時期は、確認できませんけれど、

清超先生は、優しいご性格の先生でしたから、
悩みながらも、息子の雅宣先生のご意見に従っていらしたのかもしれません。

もしも、心が喜んでいらしたら、突然、病に倒れるということは、
なかったのでは?と考えています。

雅宣先生は、副総裁から、総裁に就任された後は、

雅宣先生は、悪げがあり、やっていらしたとも思えません。

それまでの生長の家の考え方や、やり方では、生長の家は、発展しないと
考えられまして、

雅宣先生が、古い生長の家だと思われていたことから、新しい生長の家への大転換を
彼なりに考えて、大変革を断行されたのではないかと、思われます。

「天皇陛下・愛国」を中心に置いていた教えを封印したこと、
「国家の救済」、また、「個人の救済」を中心に置いていた生長の家の
教えも 封印したこと、


その、核とみなされていた谷口雅春先生の教えを捨てて、

それに替えて、
世界平和を言い出されまして、
地球を救おうとか、自然と環境を大事にしようとか、それがとりもなおさず、
個人救済につながるのだという お考えを、打ち出されまして、

元々の「神の子人間」の教えも 説くことをやめ、

環境問題、ノーミート、自転車、クラフトという
唯物論の考え方を、生長の家の中心におかれました。

それで、雅宣先生の考え方で、生長の家教団は、30年間やってきて、
今の激減に激減を重ねている
みすぼらしくなってしまって、見る影もない、現在の 生長の家教団があります。


では、どうしたら、生長の家が 起死回生 できるのかと言いますと、
原点回帰しかないと思っています。


「天皇陛下・愛国」は、政治運動とは関係がありません。
私は清超先生が、
政治から手を引かれたことはいいことだったと思っております。

私は、清超先生に対しては、とても優しく親切にしていただいた記憶しか
ありませんので、清超先生のことは、個人的には悪くなど、決して思っておりません。

上記のことは、多くの証言者から伺ったことを、ありのまま書いたまでの
ことです。

環境問題を取り入れたことも、悪いことだとは思っておりませんが、
しかし、
悪いことだったと思っているのは、

副の運動にされるべき環境問題を、生長の家の運動の中心に
置いて、主の運動にしてしまったことです。

家の構図で たとえれば、中心に置くべき父親を中心に置かず、
子供や、犬、猫を
中心に置いてしまったということでしょうか。

どれも、大切なものですが、父親を捨てたので、
家が、成り立たなくなった。








日野さん (6402)

日時:2018年10月12日 (金) 04時54分
名前:志恩

本流に関することは、憲法問題があります。

他のことも、
日野さんが書いていることは、全部じゃないけれど、
一部については、一理あると思います。

「(社会事業団が)宇治での「霊牌」「肌守り」の頒布禁止までをも
 主張しました。」件は、
おかしいというのは、その通りだと思います。

私は、憲法問題については、改正賛成派の人たちのご意見も
天皇陛下を含めた護憲派の人たちのご意見も、たくさんたくさん、
ネットで、読みすぎたせいか、
どちらがいいのか、わからなくなっておりますので、コメントは
控えさせていただきます。

あと、本流は、「生命の實相」を守ったと言いながら、
いま、世の中から、「生命の實相」全巻が、消えてしまっている。

このことの責任を、社会事業団は、どうとらえておられるのかを
本流に私は問いたいです。

これは、前々から、
山ちゃん1952様、トキ様が、おっしゃってることです。

一番人気だった「頭注版 生命の實相」を、そのままでもいいですし、
現代文に変換してでも いいですから、

元のように「全巻・40巻」にして、
日本教文社出版でも光明思想社出版でもいいですから、
とにかく、全巻を、新しい皆様が読めるように、至急出していただきたいですね。




思い出すこと (6408)

日時:2018年10月12日 (金) 10時47分
名前:トキ

 かなり昔、谷口雅宣先生が副総裁にご就任になられて間もない頃に本部に大きな会議で行き、ある本部員と食事をしていた時に、その本部員が、

 「今は、谷口清超先生よりも、谷口雅宣先生の方が発言力が大きいので、本部員は谷口雅宣先生の方を向かざるを得ないのです。」

 と小声で言われていた記憶があります。

 その他、本部の要職を占められていた方から、志恩様が言われていたのと類似の話は聞いたことがあります。
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貴重スレU (20209)
日時:2019年11月02日 (土) 10時20分
名前:アゲテ置きます。

◆1: トキ :2011/06/05(日) 21:30:48
このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため に作成したスレッドです。



2: トキ :2011/06/05(日) 21:48:42
自己紹介です
 
管理人は、現役の生長の家の信者です。ただ、最近の生長の家の「今の教え」には強い違和感を感じて おりました。この点は、現在、多くの生長の家の信徒が感じていると思います。そのため、一部の幹部や 信徒が生長の家を脱退し、「谷口雅春先生を学ぶ会」等、生長の家教団から独立した団体を設立したのはご承知の通りです。これらの団体は、谷口雅春先生に戻る事を推奨し、自分達の運動を「本流復活」の運動 と称しています。
しかし、管理人は、これらの団体の方針も無条件で支持するものではありません。いくつかの点で、これら の団体に危惧する点もあります。


8: トキ :2011/06/06(月) 10:35:51
余談です

「生長の家 本流復活宣言」サイトを拝見したら、第2回の見真会の紹介がされています。
講師の中に、前原先生に加えて、国弘先生が入っていたので、懐かしかったです。生長の家本部を辞められて、どうされているのかな、と思っていたのですが、お元気だったので安心をしました。お世話になったので、心配をしていたのです。
生長の家本部で、育成指導つまり中学生や高校生の世話をする担当を長くされ、情熱的な 先生でしたね。中学生や高校生には慕われていました。良い講師だったと思います。

そのサイトの違うスレで、「生長の家高校生連盟の歌」が掲載されていましたが、あの歌も いい歌なんですね。生長の家の全国大会が5月3日にあるのですが、その昼休に外で高校生があの歌を円陣を組んでうたっていました。結構、いい風景でした。
ああいう古き、佳き生長の家を知っている人間から見たら、確かに谷口雅宣先生のされたことは、悪い冗談以外の何ものでもないのです。特に、あの時代は、寝食を忘れて活動をした人間(私もその一人でしたが)が多いので、「許せない」という発想を持つのは理解は出来ます。しかし、そこに留まっていては、解決は出来ないと思うのです。





◆34: 義春 :2011/06/07(火) 16:48:21

掲示板、開設おめでとうございます!
トキさんは私(29歳)と同年代の様で、共通の人を存じ上げてて真に嬉しく想います。たぶん、何処かでお会いしてるかもしれませんね。

昔は武道館の前で円陣組んで歌って楽しかったですね(泣)あれを無くす事はないのになぁ…と寂しく想う事があります。
す。


◆40: トキ :2011/06/07(火) 19:41:58
>>34

義春さん、ご投稿、ありがとうございます。
「本流復活」のサイトの投稿を拝見し、素晴らしい方だなあ、と感服していました。 信念もあるし、情熱もあり、頭もよく、本当に優秀な方だなあ、と思います。 こちらにも書いて下さり、心から感謝しております。

あの武道館前の円陣をなくすなんて、ちょっと理解できないですね。個人的には、「我ら愛す」という歌が好きだったので、あれが聞けないのが寂しいです。

いろんな立場の人とか考えの人がいるので、それを気にせずに書き込んで欲しいです。
本当は、教団援護派の投稿も待っているのですが、まあ、来ないでしょうねえ。(笑)
 
やはり、いろんな人の視点というか、考えを拝聴するのが、勉強になります。 教区に居て感じるのは、正直、先が見えて来た、という事です。で、今、会員一人一人が 何を、どうすれば良いのか、を考えるスレッドがあればいいなあ、と考えたのです。

義春さんのご意見は、本当に筋が通ったものが見えるので、楽しみにしております。

今後とも、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます




◆43: 義春 :2011/06/07(火) 20:03:59
>>40
トキさん

誉められて恥ずかしいから止めてくだされ(笑)

まぁ…若い子が可哀想です…ね。

私なんかはもう20年近く前からやってきたから、昔の生長の家を見てるから良いのだけど…若い子は知らん、それが悲しゅうて、悲しゅうて…折りにふれ生命の實相を読むように勧めたり、昔の話をしたりしてるけど…これで良いのだろうか…かと。

もう俺は身体がこれだから使命のままに生き、くたばって使命(笑)ならくたばるだけだから良いのだけど、若い奴はこれから…これで良いのだろうか?黙ってて良いんだろうか?…万が一早くに自分が逝ってから後の事を想うと悩みばかりです。

悩んでも仕方ないのだけど、今、自分が出来る事は出来るだけ出来る限りする、ジュニアや生高連で習った生き方を全うしたいと思ってます。

で、教団擁護派、書き込みはないだろう…と。彼等の立場を想うと、仕方ないなって思います。

まぁ…筋と言うか、真理・道理にあうにはどうすれば良いかだけを思ってますんや。





◆64: 役行者 :2011/06/08(水) 14:46:09
初心者さん恐縮なのですが、実際に実例をみせてくださればありがたいです。
2011年6月 7日のCO2の“肥育効果”をテーマにした現総裁のブログに
“地球温暖化にともなう気候変動は、食糧生産に予想以上の悪影響を及ぼしているという危機感だ。CO2による(食糧に対する)肥育効果はあったとしても、気温上昇によって害虫が増えたり、旱魃や洪水が起こったり、都市化による地下水の減少が作物の生育に不利に働いているため、全体としては温暖化は食糧の生産増につながっていないというのだ。
 このような状況を知ってみると、日本の農業の振興は急務であり、肉食を減らす運動をさらに盛り上げていく必要があると強く感じるのである。” 
と掲載されています。
畏れ入りますが、この内容をどのように風刺するのでしょうか?




◆67: トキ :2011/06/08(水) 19:20:10
 生長の家にいろいろな人がいる、という部分ですが、私の主観的な独断を交えて
少し説明をさせていただきます。

 生長の家の部内の雰囲気は、家族的で暖かい部分があります。
生長の家の信徒さんの大部分は「谷口雅春先生の教え」に魅力を感じて入信されたのですが、
中には、生長の家という組織の家族的な雰囲気に魅力を感じて入会された方もいます。
 また、政治運動をしていた時期は、政治的な共鳴から、環境運動をしている現在では、
エコロジストが興味を示して入るケースもあります。
 中には、政治家や商売をしている人が、別の動機で入会の手続をするケースもあります。
いずれも、会費を払い、特に問題を起こさない限りは、退会などの処分はされません。

 もちろん、最初の動機が何であれ、入会しているうちに信仰に目覚めて、真面目に精進する
人が大半ですが、中には、勉強も行もしないで、いつのまにか消えてしまう人もいます。

 そういう人の中には、退会後も自称「生長の家」信徒という人は確かにいます。
が、言動を聞くと、びっくり仰天、という場合があります。

 これは私自身も気をつける必要があるのですが、「生長の家」信徒と自称する場合も
いろんな人がいるのは、確かです。

合掌 ありがとうございます



69: トキ :2011/06/08(水) 19:27:22
>>67

 なお、上の話は、あくまでも一般論、抽象論を言ったのです。
生長の家教団を辞めた人が、問題がある、という意味ではありません。
 「本流復活」の問題などで、信念をもって辞めた人も多数おられます。







◆89: 商人 :2011/06/09(木) 07:37:18
初めまして 商人と申します。尊敬するブログ「雅春先生に訊け」管理人様より
ご紹介していただきこの掲示板へやってきました。
よろしくお願いします。
本流掲示板では私も中傷されました。
けっこう仲間をたたきます。
しかし勉強になることもだいぶありました。
私的にはブログ「雅春先生に訊け」管理人さんの話はおもしろかったですね。
商人からすれば毎日が真剣勝負で、どうしたら商売敵にやられないようしたらいいか、
神経をすりへらしております。
和解しなさいとか、もちろん實相では敵はいないとなるのでしょうけど、現実問題として従業員の
生活もあります。神さまの仕事として喜ぶようにせねばとおもいます。
自分でどうしていいか本当に悩みます。
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さんは同じ商人ですので私自身よく勉強になります。
まあ自己紹介長くなりすみません。
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考えるについては、今の総裁は雅春先生の生長の家じゃないですよね、環境の家ですよね。
でもこのままめちゃくちゃしてたら環境は悪化するとおもいます。
人類が滅亡したら生長の家の活動も出来なくなるとおもいます。
だから多少は必要なのかとおもいます。
宗教がしなくていいと言われますが、だれか発信しないといけないのかも。。
ただ自分は跡取りで創業者が苦労して作った功績をなくしてしまうのはいかがなものでしょうかね。
私だったら申し訳けなくおもいます。




◆92: 宝蔵 :2011/06/09(木) 10:32:21
ブログ 雅春先生に訊け 管理人様

ああ懐かしい藤原俊之先生!約30年前、私が20歳の頃、宇治の練成会で、最初に個人指導で、お会いしたのが藤原俊之先生です。
当時、大阪教化部長をされていた河田亮太郎先生の、御紹介で、藤原先生と
面会し個人指導を受けました。

練成期間中も、みんなの見ている前で、次から次へと奇跡を起こし、
多くの人々を救う、すごい先生でした。

多くの弟子でさえ奇跡を起こす、谷口雅春先生の偉大さがわかります。
当時は、楠本加美野先生をはじめ、こんな、すばらしい先生・講師が
数え切れないほどいたのです。




◆93: トキ :2011/06/09(木) 11:15:45
>>89

 商人様、ご来場を心から感謝申し上げます。
実際にビジネスのシーンで活躍をされているのですから、とても説得力を感じます。
 今後ともよろしくお願いします。

 環境の家の問題は、簡単ではないですね。環境問題じたいは間違いではないですから。

 よく、会社の社長さんなんかで、業界活動に熱を入れ過ぎたり、奉仕活動や名誉職に走り回り、
本業をダメにする人がいますが、生長の家も同じ轍を踏んでいるのかもしれません。環境は大事ですが、
本来の使命である「信仰」を他所においての「環境活動」に走り、ついには本業をダメにしてしまったという印象があります。
 人、時、処を間違えると、よくないという事なのでしょうか。

 ただ、組織としての生長の家が変な方向に突っ走っていても、信徒が一蓮托生で変な方向に行く必要はないと思います。
ここは、じっくりと腰を据えて、勉強をしなおすのも良いかと考えている次第です。

 では、今後とも、宜しくご指導のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

94: トキ :2011/06/09(木) 11:17:45
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様


藤原先生がおられた頃の生長の家宇治別格本山は、最盛期でした。
練成会で救われる人が続出し、盂蘭盆供養大祭でも参加者で立錐の余地がないぐらいでした。
藤原先生は組織内では、雲の上の人ですが、信徒には気軽に接して下さり、指導は厳しかったですが、愛情がありましたね。

 実は、藤原先生の御著書の発行元である、日本教文者も営利企業ですから、「売れない」と判断したら、あっさりと絶版となります。
(まあ、全然売れないでも発行している本もありますが、あれは、特別な事情があります。)
吉田國太郎先生の「常楽への道」も、あまりに古くて紙型が崩れてしまい、印刷ができないので一度は絶版になったのですが、
あまりにも再刊を望む声が多くて、デジタル印刷に組み直して、再版になったのです。ですから、藤原先生の御著書も、
今後も出版を続けてもらう意味で、皆様もどんどん買って下さい。

 また、他人に勧める、という事は自分も勉強しますから、とても良い機会になります。
藤原先生も、きっと、ブログ「雅春先生に訊け」管理人様の投稿にお慶びだと思います。

 今後とも、宜しくお願いします。




◆105: 風笠 :2011/06/09(木) 13:26:54
>ブログ「雅春先生に訊け」管理人 殿

はじめまして

私は、完全なROM人ですが、熱心そうなので少しだけ情報を

>三大高弟とは、「藤原敏之」「榎本恵吾」そして「吉田國太郎」

藤原先生の娘婿の方が榎本先生です。また榎本先生が憧れてよく講和を聞かれていたのが吉田國太郎先生です。

>「雅春師、曰く」が見当たらないのです(笑)いや、これ、すごい本だと思いませんか?

私が直接知っている話ではありませんが、榎本先生の出回っていない話の記録がある物の中に、ある時 雅春先生の
前で何人かの講師が講和をしてその中で吉田國太郎先生の講和を一番に褒められていたらしいです。
曰く、他の講師は「どこそこの本にこういうことが書いてあってどうこう・・」だが吉田先生のみは、直接自分の言
葉で語っていると。
生命の實相に直接触れた言葉だったのでしょう。 

まあちょっとした事として知っておけば理解が深まるかもしれませんので。
では。



◆111: トキ :2011/06/09(木) 16:55:20
>>105

風笠様

 お越しを心から,歓迎します。これからも、どんどん投稿をお願いします。
また、詳細なご説明をありがとうございました。最後の話は、私も知りませんでした。
勉強になりました。

 ご説明の通り、藤原先生のお嬢様で、現在は宇治で活躍中の榎本一子先生が、榎本先生のご主人
様です。私は、当然、吉田國太郎先生を存じ上げませんが、榎本先生に大きな影響を与えた先生
で、「常楽への道」の続刊である「続 常楽への道」は、榎本先生のご尽力で発行されたと聞いて
います。

 これは、個人的な偏見だと思いますが、信徒からは絶大な人気があった榎本先生ですが、教団
内部の扱いは、少し冷たいのではないか、という印象がありました。何冊か本を出されていますが、
大半が自費出版だと聞いております。最後まで日の当たる場所に置かれる事がなかったみたいです。
亡くなれた事が、「聖使命」に掲載されたのかも記憶にありません。

 が、むしろ亡くなられてからの方が評価が高くなったように思います。「原宿本部」「本流復活」
の両方から高い評価を受けている、数少ない講師だと思います。

 今後とも、できればご投稿をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます




◆118: 初心者 :2011/06/09(木) 19:34:54
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

わたくし、じつをいいますと、「無門関解釈」を読んだことで、ちょっとした能力を身につけてしまったんです。何も考えなくても答えがわかる。そんな状態になったのです。そればかりか、いつもいつも、異常ともいえる幸福感に包まれている。このような尋常ならざる精神状態にも陥ってしまったのです。

そうなった原因があとでわかりました。禅問答には左脳の機能を抑えつける働きがあるんですよ。禅問答でスパルタ的に脳を鍛えることで、左脳が抑えつけられて、右脳だけが異様に活性化する。その結果、「何もかもわかった」という気になるんですね。右脳で生きていると、本当に何もかもわかったという気になるんですよ。だけど、ただひとつわからなくなるものがある。右脳だけで生きてると、自分がどこの誰だかわからなくなるんです。

「わたしはどこの誰なのだ?」。何かの拍子に、人前であろうとなかろうと、突如としてこんな状態になるんです。幸せ一杯な気分で生きていたら、しばしば自分が誰だかわからなくことがある。こんな感じです。幸せならいいじゃないか、というわけにはいきませんよね。

そこでわたくしは、ふつうの人間にもどる決心をしました。幸福感も「何もかもわかっている」という感覚も、すべて手放すことにしました。手放してから、もとにもどるのに5年かかりました。今はたぶんふつうです。「無門関解釈」は、関門であると同時に、危険なワナでもあるんですよね。使い方をあやまるととんでもないことになってしまいます。

禅は、ド素人が気安く取り組めるほどやさしいものではなさそうです。下手をすると、肉体そのものの構成までもが組み換えられてしまいそうです。こんな刺激に満ちた禅の世界が、やがてこの掲示板でも展開されるんですね。あまり本気にならず、軽い調子で、ブログ管理人様の「無門関解釈」にかける思いを語ってくださいませ。

ところでわたくし、藤原先生がかつて住んでおられたあたりに、やけに長いあいだ住んでおったことがあります(「あたり」というのがポイントで、どのあたりかは、ここでは申せませぬ)。同時代ではないので、直接お見かけしたのは、講演会でお話を聞いた、このただ一度だけでありました。このとき藤原先生は何を話されたのか。たまたま隣り合わせた、じつに可愛い女子青年のことが気にかかり、どんな内容であったのかは、今となってはまったく思い出せません。煩悩多きわたくしを神はきっとお許しになります。藤原先生のご著書は、たぶんすべてかほとんどかを、何度も読ませていただいておりますよ。

藤原先生は、講話で「私は死んでからも、いつまでもあちらには居ません。また、こちらへ
戻ってきます。そして、肉体はなくなっても、また、光明化運動をします。」


今、泣いております。いや本当にありがたいです。





◆143: トキ :2011/06/10(金) 15:20:27
義春様

 ご意見の通りだと思います。もちろん、機関誌なり普及誌、あるいは絵手紙をしている人達は
真面目に頑張っているので、その点は賞賛しますが、基本的な方向が違うのでしょうね。

 環境でも絵手紙でも、間違ってはいないとは思います。
ただ、信仰という基本があり、その上での環境とか絵手紙なら賛成できるのですが、逆なので、
読みたくなくなると思います。

 これからも、宜しくお願いします。



◆144: 義春 :2011/06/10(金) 15:36:26
>>143
トキさま
只今、絶賛、抗がん剤治療中なうであります。こんにちは。

そうなんです!信仰ありきの事が逆転してるから変なんです!

私は使命あるにより必ず長寿・成仏すると信じてますが、他の人だと絶対苦しいし、そのなかで絵封筒なんて言われたら、ふざけるな!という類いの事なんですよ。

それだから私も趣味で風景写真を撮りますが、生長の家では絶対に出しません。

趣味と信仰は違うものだと思ってるからなんです。

人間・神の子の信仰の発露としての環境・絵封筒、絵手紙なら分かりますが、そういうところがなく、誌友会でそれをするというサークル的なところがしんどい。

この前の地元の誌友会でも求職に悩んでる人が来てるのに絵封筒だったので、一寸悩みました。勿論、その後で求職に対して自分の癌体験をベースに使命あって生きている事、それから現実的に何処に行けば良いか等、フォローしたけど・・・。

ホント、俺、長生きしないとな…と思いました。まぁ…先は分からなくても

見えぬ世を 見える様に 歩み行く
心の中の 神と共に(by自作w)

ってな気持ちで精一杯頑張っていこうと思ってます。

お返事、有り難うございます!



◆195: トキ :2011/06/11(土) 19:12:20
破邪顕正様から、「本流復活」のサイトで、激励のお言葉を頂戴しました。
深く感謝申し上げます。


>>132 :トキ:2011/06/10(金) 11:00:16

>> 最近の生長の家の雑誌は、機関誌も普及誌も、どうも物足りないです。
>>もちろん、編集者の方々が必死で作って下さっているのは知っているのですが、基本の
>>コンセプトが信徒の実感とずれているので、正直、これを他人に勧める気持ちにはなり
>>ません。信徒の家に行くと、機関誌や普及誌が、封も開けずに放置してあるのは見るの
>>で、同じ事を感じている人は多いと思います。

 実は、破邪顕正様から、上記の文章について、ご質問を「本流復活」のサイトで頂戴しました。
質問の内容については、あちらのサイトの(2682)を読んで頂くとして、ご説明を申し上げます。

<機関誌などの評価について>

 先ず、普及誌は、日本教文社内部の編集部、機関誌は、生長の家本部の広報編集部という
セクションで製作されます。
 編集者とは個人的な知り合いがいませんが、私が第1次のソースから認識している
ところでは、編集の方針の基本的な内容は、編集部単独では決められず、それぞれ、生長の家本部の
運動担当部の指導の下で決められます。つまり、それぞれの編集部の裁量権にはかなりの制限
があるのです。その運動担当部も完全な裁量権がある訳ではなく、参議会、さらには総裁の
指導から外れない事が求められます。言い方は悪いですが、編集者は手かせ足かせをはめられて
いるのです。

 もう一つ、制限があるのが,取材対象となる信徒さんのプライバシーです。取材を受けた人間
ならご存知でしょうが、文章を書いても(あるいは、こちらが話して、相手が書き留める)取材
対象の信徒さんの校閲を何回も受けます。体験談などで、面白い部分があっても、信徒が拒否を
したら、掲載できません。

 最近は、CO2削減のため、取材も制限をされています。
 
 が、同時に、その制限の中でも、編集者は,相当頑張っています。私は活動歴が長く、現在も
組織にいるので、その点は断言できます。ベストを尽くしていると言ってもいいです。だから
「物足りない」という表現は、彼ら、彼女らに失礼なのは承知しています。それでも、不評
なのは、破邪顕正様の言われる通りの部分があるからでしょう。あと、「読者は谷口雅宣先生
ただ一人」というのは、その通りかもしれません。まあ、私個人は、普及誌も、機関誌も、
隅から隅まで読んでいるので、読者の一人ですが。

<普及誌などの拡大について>

 ところで、現実に、今、いろいろな事で悩んでいる人が相談に来られます。そういう方々に
渡す雑誌は、やはり必要です。普及誌に不満があると言っても、他に渡すものがない以上、
やはり普及誌は使わざるを得ない、という現実があります。深刻な問題を抱えて教化部や組織
に相談に来られる人がいる以上、私は、私の義務を果たしたいと思っています。ただ、これは
私の立場ですから、破邪顕正様は、また、別の義務があると思いますから、その点は尊重を
申し上げます。

<スレッドの方向性について>

>>ただ、今は、そういうことを論ずる場を提供することが重要なのだと仰るのかもしれませんね。
>>そこに、使命と役割を見出されているのだとしたら

 というのは、その通りだと思います。と、言うよりも、私自身は、こちらで勉強をさせて
いただいていると思っています。

 以上、とりとめもない文章になり、申し訳ありません。

 破邪顕正様の益々のご活躍をお祈りすると共に、今後ともよろしくお願い申し上げます。
いろいろとご心配をおかけし、すみませんでした。暖かいお言葉を頂戴した点は重ねて
御礼を申し上げます。

たまに、こちらのサイトでもご投稿下さい。

合掌 ありがとうございます







◆210: 破邪顕正 :2011/06/12(日) 00:54:23
合掌 ありがとうございます。

初めて、こちらに投稿させていただきます。
「破邪顕正」と申します。
私のことについて、「議論体質」「向上心」というような表現をされていたようなので、自己紹介がてら、それについて申し上げておきたいと思います。
西郷さんが好きで、西郷さんを育てた、薩摩藩の郷中教育には「議を言うな」というのがあります。
だから、本来は「議論好き」ではありませんし、議論する暇があったら行動せよ、というのが性に合っていると思っているのですがね。

ただ、現教団の状況を見るに見かねて、何故、こういうことをしなくてはならないのか、それを広く判っていただくために、敢えてこうして投稿し続けていることが「議論体質」と映ったのかもしれません。
もう一つ、「向上心」これについては、そのまま有り難く受けさせていただきます。
生長の家は「無限向上の道」でありますから、そう言っていただいて光栄の至りと思っております。

さて、こちらに登場したのは、「トキ」様から、有り難いことにご招待をいただいたというのがあります。
折角、お邪魔させていだたく以上は、挨拶代わりに「トキ」様と何が袂を分かつのかを明らかにしておきたいと思ったからであります。

「トキ」様がこう言われています。

》私自身は、楽観論というか、さすがにこの状態は続かないだろう、という予感あるのです。これは、教区で長く活動をした経験から来るもので、長く活動をしていながら教団に残留する人の中には、自分のこの予感を信じている人が相当数いるはずです。予感が外れたら、その時に動けばいいと居直っているのでしょう。それよりも、本気で勉強をしなおす必要と、救済活動をする必要を感じてはいます。まあ、こういう事をかくので、「本流復活」の人達が激怒するのでしょうね。(ごめんなさい)



そうなんです、「激怒」するのです(笑)。
「続かない」のではない、「続かせない」。
「トキ」様の予感を外させない!
つまり、「意志」の問題なんです!

誤解を恐れずに言わせて貰うと、「続かない」という人の話というのは、どうも他力本願≠フようにしか見えないのですね。(ごめんなさい)
私は、そういう他力本願≠願っている方の、その力≠ノなりたいと思っているのです。
そういう強固な意志をもって、それを貫く人生を送りたいと思っているということです。
違いは違いとして、谷口雅春先生の「教え」を護るために精進してまいりましょう。
失礼いたしました。
このサイトが大いに発展しますよう、お祈りしております。

再拝








◆212: 木綿豆腐 (=志恩):2011/06/12(日) 09:05:13
昔、私は地元に青年会支部を開き、たくさんの素晴らしい仲間とともに、真理を研鑽し合い、輝く青春時代を送らせてもらっていた者です。当時は戸別訪問も毎夕のように、会社帰りに「理想世界」誌を片手にやってました。そして多くの素晴らしい友を得ました。その仲間達は、いまも私の宝物の1つです。
しかし、私は、雅宣氏が総裁になってから、彼の著書を読んでも、がっかりし、ブログを読んでも、宗教とはほど遠い浅薄な内容にがっかりして、今は組織からはぬけています。

思うに、木(樹木)は、人間に似ていると思います。
例えば、
枯れかかって朽ちそうになった樹齢00年という名木の『桜(桜の魂を持つ)の木』があったとします。その桜を生きかえさせるには、やはり同じ桜(の魂を持つ)の幼木で接ぎ木しなきゃならなかった。
なのに、すぐ隣に生えていた、「バオバウ(の魂を持つ)』の木を接いでしまった。

バオバウは、彼自身も「よ〜し、オレは新種のバオバウ桜になってみせるぞ」とはりきりました。
しかし、彼の意気込みは、真逆になってしまいました。いまの現状を、みなさん、目をこらしてみてください。目を閉じて、祈ってばかりいたら、生長の家はおわります。

その桜の背後には、病・悩・苦をとり除いてくださる神界から降りて来られた精霊(聖霊)たちがおられて、奇跡を実行にうつして下さっていました。しかし、今は、宇治あたりにしか降りてこられない。

で、コレは、大変。本体が倒れる。朽ちると、危機感を感じ、言葉を発している人たち、かれらは、「樹木医」にあたる人々ではないでしょうか。

生長の家・桜の名木には、やはり、桜の魂を持つ人が接ぎ木されなければ。と痛感している者の一人です。
雅宣氏の独断に追従する集団としてあり続けるのは、
やはり生長の家を名乗る組織として、許して置くべきか、疑問です。




◆224: ヒント :2011/06/12(日) 17:47:06
お釈迦様の話を思い出しました。
お釈迦様はある人物から、ひどい罵詈雑言を浴びせられました。
しばらく相手の好きなように言われておいて、
相手の気が済んだ所で釈尊はこう言われたそうです。

「もし、そなたの家に誰かがやってきてご馳走をだしたとして、
それを客の人が頂かなかったならばそれは誰のものになるだろうか」と。

罵詈雑言を並べて釈尊を非難した人物は

「相手からそれを受け取らないなら、それは私のものになるほかはない」
と答えたそうです。

すると、釈尊は
「それと同じである。私はそなたの罵詈雑言はいただかない、
だからそれはそなたのものである」








◆(一信仰者)
ある代表者会議で、かの榎本先生が、雅宣氏の発言から、
止むに止まれなかったのでしょう、雅春先生の聖典のお言葉から
その様なことは認めることは出来ませんが!と意見されました。 会場もちょっと凍りつき、雅宣氏独特の冷たい対処に終始し、 会議はその後、何事もなかったように、進行されました。 榎本先生のお顔が見えた知人は、青白い榎本先生の横顔は鬼気迫るものがあったと言っていました。

そうした声を良心を傷めずに無きものとして扱うことは、
雅宣氏にとって簡単なのでは、と思ってしまいました。
ご自身も盛んに日時計主義を唱え、自身によい面だけを
見ることが、信仰の実践になるのですから。



◆231: マリーゴールド :2011/06/12(日) 23:56:42

合掌ありがとうございます^^

本流掲示板から来ましたマリーゴールドです。
マリーゴールドって虫除けの花だそうですが
私自身は、基本人間大好きでいますので
寄ってきてください(笑)

私は本流復活を強く願い
組織を抜け、聖使命会員も辞めた身ですが

いま私が思うのは
自転車の両輪が共に(友に)動くように
本流復活の声は、教団内部と外部の両方から
上がり動くが良いと思っています。

そしていつの日か
原宿教団も、本流も
全てがひとつに、本来のあるべき
生長の家の真理が説かれる日を
願っています。


雅春先生にとっては
どの場所で学んでいようとも
真理を求めて止まない方たちは
大切な弟子であるに
相違ないと思います。

個人的には
後輩で私がきっかけで、本部講師になり活躍している
ある講師のことが気がかりです。
詳細はここでは述べれませんが
現教団の実情を聞くにつれて
その講師の人生を苦しめていないだろうかと。


話は戻りますが
皆さんの意見を聞かせていただきながら
勉強していきたいと思っています。

    合掌 再拝




◆234:ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/13(月) 06:33
――――――――――――――――――――――――

6月13日(朝)3時30分 
【谷口雅春先生 最後のお言葉】
『”病なし! 迷いなし! 罪なし!”
これが生長の家の根本真理であります。
それでは、神様ただ今より眠らせていただきます』
その後、眠りに入り、
6月17日、眠ったまま霊界に旅立たれ、
天寿を全ういたしました。

(本流掲示板 伝統さまご投稿文章より)

――――――――――――――――――――――――


 ・・・ちなみに本日6月13日ですが、なんと愚息の誕生日であります。あ
あ、斉藤佑樹くんではないですが、我がせがれ・・・


「なんか、もっている」


 
 ちなみにセガレが生まれたのが五年前です。
 そしてその約三週間後(7月3日)に私は、『生命の實相』と出会ったので
ありました。ああうちのセガレ・・・本当に羨ましいヤツです。生まれて三週
間後に父親が、『生命の實相』を手にしたわけですから幸運児ですね(笑)も
しも『生命の實相』なくば・・・叱られ怒鳴られて育てられたことでしょうか
ら(笑)

です。

 谷口雅宣先生の偉大さを賞賛し、今後も、生長の家の先頭にたって、ご指導を頂戴できる事を信徒一同、願っているのです。

*上の文章は、谷口雅宣先生を支持する人達の論理を咀嚼してまとめたものです。これは、管理人であるトキの支持する考えではありませんが、参考としてアップしました。なお、他に転載する場合は、必ず、出典である、このスレッドの名称とアドレスを明記して下さい。
(著作権法)




296: トキ :2011/06/14(火) 14:21:26
>>280

ブログ「谷口雅春先生に訊け」管理人様

 以前、別の方に情報を頂戴した、先週号のフライデーに生長の家の紹介があったのを読みました。

 多くの経営者が生長の家を学んでいる点を紹介し、一部には、経営者の信仰が商売目的の信仰との批判はある
点は認めた上で、しかし、多くの従業員に責任を持つ経営者が生長の家を心の支えにしているのを否定するのは
狭量ではないだろうか、と書いてありました。

ご参考まで。

合掌 ありがとうございます

297: 義春 :2011/06/14(火) 14:23:58
>>293
ブハッw仕事中なのに笑い死にさせないでw

もう奔流でも傍流でも…暴流でも何でも良い様な気がするwお題目より中身ですからねぇ(笑)

298: トキ :2011/06/14(火) 14:28:45
>>293

 まあ、そんなところでしょうか。(笑)

 もう、サイトの名前を「傍流健在」とかしたり。原宿本部の公式スレッドと誤解されそうですね。
あんまり名前を変えると混乱するので当分はこの名前のままでしょう。

 管理人としては、まだまだ暗中模索というか、修行中です。

299: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/14(火) 14:48:11
>義春さん

 早慶戦です、早慶戦。誤解のないように。

>トキさん

 読もうよ思います!

300: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/14(火) 14:57:35

(○)読もうと思います!
(×)読もうよ思います!


 なんかへんな中国人がしゃべる日本語になってました。お恥ずかしい・・・
いや、ちょっとツボにはまるようなネタが飛び出しまして、今、笑いが収まらない
状況なんです。
 お客さんとの電話でも、もう笑いが治まらないくらいに、私いま、ツボって
ます。本当にすみません。

301: 義春 :2011/06/14(火) 15:14:21
>>299
Sir yes sir!
一寸アレだったかな?気を付けます。

302: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/14(火) 15:25:21
<豆知識>

Sir (英語)
○○さあ(薩摩言葉)

303: 役行者 :2011/06/14(火) 16:30:52
>前、別の方に情報を頂戴した、先週号のフライデーに生長の家の紹介があったのを読みました。

それ〜私です。しばらく見ないうちにドンドンと上にあがって行きました。
忘れ去られた寂しい私が、“そんなわたくしを哀れに思われた役行者様だけが、
ひまを見つけられては相手をしてくださっている” 初心者様に尋ねます。
その前に、
雅春先生に訊け管理人様が仰るように、トキさんの総裁擁護論及び追放論、
「実に素晴らしい!」と申し上げたいです。
もしかして、本部講師・・・?(笑)


それから、
>>170  ←旨くいくかな??
本日6月10日発売の、フライデー36ページに、有名人と宗教という題にて、
生長の家が載っています!

と述べたのですが、京セラの稲森氏の体験を中心に掲載されております。
要約すると・・・うん・・・是非!!一読を。

>初心者様

 現象的に観ると、世の中、矛盾に満ち満ちています。

 そんな世知辛い世の中だからこそ、弁証法的生き方の大切さを感じました。
 つまりは、敵対相手とみえる存在を認め許す生き方。
 話を今に戻すと、問題は、まさしく、当掲示板の掲げている、
今の教えと本流という対立軸です!
 取り敢えず、本流宣言の掲示板に焦点を合わせると、
虚説に対して徹底的に戦う!という姿勢が見受けられます、
それはそれでいいのでしょうが・・・敵対相手に対して“認める”
という素振りすら見えません!
しかし、それは、今の教え側に対してもいえることです。

 この対立はますます、激化して行くと存じます。
互いに虚説を打つ。を標榜にしているからです。
ですから、本流掲示板にみられたように、誤評をもとに他者を打つ
という過ちを生むこともあるのです!
 それは、今の教え側とて同じことがいえるかも知れません。
寂しい限りですが・・・
 ただ、その事態がトキさん率いる当掲示板を誕生させ、
生長の家に新しい生命を吹き込んできたとみると、
面白い展開かもしれません。
 あっ、お尋ねではなく、感想でした(笑)。

最後に、

>「生長の家とは何か」ということについての、多くの信徒の方々の
共通認識を現総裁がこしらえてしまった、ということなのです。
現総裁が出現しなければわからなかったことや気づけなかったことが、
その出現によって明らかとなった、ということです。

これですね!!

304: トキ :2011/06/14(火) 16:56:01
>>300

 失礼をしました。

 「本流復活」とは関係のない話題ですが、もう一つ。
 
 日本共産党が、あと3年で消滅する、という記事がネットで出ていました。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/9556
*余命3年か? 日本共産党が危ない

 何でも、共産党は毎月2億円の赤字を出しており、これを防ぐ有効な手段が見当たらない。この調子で行けば、3年で破産する、
という記事です。もともと、先進資本主義国と言われる国で、未だにスターリン主義的な共産党が残っているのは、日本とポルトガル
だけ、という恥ずかしい現実がありますが、この調子でいけば、“ポルトガルだけ”という話になるでしょう。それは大変めでたい事です。
 この退潮傾向の最大の原因は、ソ連崩壊等、共産主義の間違いが明らかになったためです。
しかし、他の国の旧共産党が、共産主義を放棄し、左翼系政党として行き残りを図ったのに、日本共産党は対策も立てられず、消滅
への道をたどろうとしています。

 実は、日本共産党を永年、支配した宮本顕治氏は、自分に反対する人間を極度に嫌い、反抗する可能性のある人間を片端から追放
しました。ソ連派を切り、中国派を追放し、構造改革派を除名し、民主青年同盟内部で自由主義的な動きが出ると固めて排斥し、後
はイエスマン、茶坊主だけを遺しました。この組織体質が、共産党の活力を極端に低下させた、と言われています。

 これは、他人事ではないです。谷口雅春先生がご健在の頃は、自主的、積極的な動きが高く評価されました。例えば、笑いの練習は
飛田給錬成道場の有志が始めたものですし、甘露の法雨の読誦は、京都の小木虎次郎博士の提唱、浄心行は、吉田武利先生の発案です。
つまり、組織内に自由な空気があり、それが生長の家という組織を活性化させました。
 現在、谷口雅宣先生の指導の下、粛正に継ぐ粛正で、上層部で生き残っているのは、イエスマン、茶坊主ばかりだと言われています。
谷口雅宣先生が健在な間は、まだ動きが出来るとして、もし、この体質が組織に染み込み、次の総裁になったら、おそらく、生長の家という
組織は時代に対応できない体質になっているでしょう。次は、生長の家という組織の余命がカウント ダウンされる番になるのです。

 おそらく、既に多数の本部関係者、職員、教区五者を含む幹部で、ここを見ている人がおられると思います。
そういう人達に、今すぐ、本流復活をしろ、森田=安東ラインを重用しろ、などと言うつもりはありません。しかし、生長の家の未来という
観点からすると、少数派の存在を認め、議論は容認する事は申し上げたいと思います。少なくとも、本部の方針を公式の会議で述べた人間を
あの手この手で追放するのは間違っています。それは、恥ずかしい事だと思います。

 本部の方針があり、あなたが命令に従う必要があるのはわかります。しかし、あなたでも出来る事はあるはずです。それを考えてみるのは
未来のためには、必要ではないでしょうか?

合掌 ありがとうございます

305: トキ :2011/06/14(火) 17:15:15
>>303

役行者様

 すみません、その点を言うのを忘れていました。ごめんなさい。面白い文章でしたね。勉強になりました。
比較的公平な評価だったと思います。私ですか? 本部なんか、とても、とても。あそこは優秀な人しか行けません。
仮に応募しても、落第確実ですよ。本部講師には絶対になれませーん。

 言われる通り、現象を掴んで喧嘩をしていたら、30年経っても解決しません。
其の点は、本当はみんな、知っているのですが、頭に地が昇って忘れているのですね。

 役行者様は素晴らしいです。尊敬をしています。これからも、宜しくお願いします。


>>394

誤植です。

(×)少なくとも、本部の方針を公式の会議で述べた人間をあの手この手で追放するのは間違っています。
(◎)少なくとも、本部の方針への異議を公式の会議で述べた人間をあの手この手で追放するのは間違っています。


あと、もう一つ。原宿教団が生き残る手段はこれだ!? という、ウルトラCを考えました。(冗談ですから、本気にしないでね)

 共産党から生長の家に転向をした人は沢山居ます。生長の家今昔物語の菊池藤吉先生や浅野晃先生から、現在でも多数います。
共産党幹部だった筆坂秀世さんが、生長の家活動家だった鈴木邦男さんとの対話で、生長の家と共産党には、類似した部分がある、と
話していました。それなりの共通点がどこかにあるのでしょう。

 そこで、いよいよ共産党が崩壊したら、一斉に共産党の党員をスカウトするのです。組織がなくなり、行き場のなくなった共産党党員
の家に普及誌を配り、講演会に誘うのです。何しろ、昔の愛国主義の生長の家ではなく、今や、左翼集団で、環境の家と評価されて
いる生長の家です。列をなして入信するでしょう。共産党の解党式をしていたら、会場の外で、生長の家のパンフレットや入会届けを
配るのです。今まで、「赤旗」を読んでいた連中が、普及誌を読み出す。今までは、共産党の党員とわかったら、就職にも不利だったが、
生長の家はそんな事はないのです。これを読んでいる共産党のみなさん! 過去は気にせずに、生長の家へ行きましょう!、と宣伝を
するのです。そうしたら、原宿教団も延命できるでしょう!?

まあ、こういう冗談ばかり書いているので、破邪顕正様など本流復活の人達が激怒するのでしょうね。ごめんなさい!

306: 破邪顕正 :2011/06/14(火) 17:29:52
合掌 ありがとうございます。

お呼びがかったようなので、登場します。
「激怒」なんかしませんよ(笑)

「トキ」さんは、少なくとも「敵」じゃない!
「素敵」な人と思っていますからね〈笑〉。
冗談、大好き人間ですから、今後ともよろしくお願いします。
ここを立ち上げていただいて、本当に喜んでいるんですよ。
「早慶戦」という触れ込みもありましたね。
前にも書きましたが、好敵手がいないと話は盛り上がりませんからね。
こちらがどんどん注目を浴びて、本部も看過しえないようになってほしいなと願っています。
ますますのご健筆をお祈りいたします。

再拝



308: トキ :2011/06/14(火) 17:35:02
>>306

破邪顕正様

寛大なお言葉に感謝申し上げます。どうも、失礼ばかりですみません。
今後ともご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。
お世辞だとは思いますが、本気にしておきます。(笑)。
益々のご発展をお祈りします。

合掌 ありがとうございます




323: 山ちゃん1952 :2011/06/14(火) 22:33:30
はじめまして。
本流掲示板から来ました。
あちらの方では雅宣氏に反対表明しなければ参加出来ないようです。私はそれには相当反対しましたけれど、私に対して
の反論は無かったので少し寂しかったです。
ちょっと反対していただいた方が自分の為になるのではないかと思っています。

ただ以前に一白鳩会員さんが書いていたように「雅宣」氏と敵対しても無理だと思います。あの文章の書き方や人の接し
方など見ていて人の意見などは聞きません。
夢物語のようにしていても到底本流復活など容易くとは行きません。
申し訳ございませんが、分派するしか道がないと思っています。
今の「学ぶ会」が大きくなればいいと思います。大本教や天理教の歴史を見れば「互いに正しい」ことを言う為に譲り合
いなど出来ないです。
本来は宗教ですから、譲り合い出来るのですが「意地と意地」がぶつかり、罵り合い罵倒するのが常道のような気がします。

今回の件でも少し譲り合うことをすれば、皆様は優しいのです、でもそれが出来ないのです。
ネットという難しさを感じます。私はあまりそういうのには左右されないようにしています。

それと、私のように小さい時から「生長の家」に触れ、奇跡など遭って「病気」が治ったとかの体験がない人間です。
小さい頃から「母の教え」そのものが生長の家でしたから、何の迷いもなしに来ています。
ただ、大人になってから迷いました。

一番大切なことは「聞く耳」を持つことですね。それと人を攻撃しない事ですね。私は雅宣氏だけは凄く厳しくはいいます。
勿論宗教家として見ているからです。
今は「生長の家」にも所属していません。「学ぶ会」にも初期の頃は行っていたのですが途中で嫌になり行かないよう
になりました。

宗教している人に大事なのは「自分の我」を通さないことが大切なように思います。
相手は「こんなこと思っている」あれは間違いだ。
どうにかしてその間違いを指摘して懲らしめてやろうと思うから「うまく」いかないのです。

あんた「雅宣」派だろう。そんな目で見るようなことはやめましょう。私の知り合いでも「やむなく」講師会長や職員の人もいます。
だからと言って「雅宣」派とか思いません。
ただ、論戦は必要です。「憲法」や「天皇陛下」や「現政権」や「中国」など様々な問題に危機意識を持って論戦するのは大切です。

いまの「生長の家」の人は論戦が下手です。すぐに感情になってしまうのです。


もし、論戦で意見が対立した時には、わたしはこのように思います。「知らないのだな」と思います。唯、口に出しませんので…
私も青年会の出身です。とことん勉強することを教わりました。お蔭さまで読書が趣味です。もし論戦があればお手柔らかにお願
い致します。



332: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/15(水) 09:32:25


>本流掲示板管理人殿

 こんにちは。さて提案があります。
 貴殿が運営なさる本流宣言掲示板ですけど、あの「宣言」では混乱を招き
ます。私などは書き込み禁止を知らず、文章作成に3時間かけ、そして掲載
不能となりました。ですので宣言文への追加項目の要ありではないでしょうか。

 ご多忙な貴殿に代わり、私が第五条を作成致しました。無用な混乱を未然に
防ぐため、同第五条のご掲示を何卒よろしくお願いします。

――――――――――――――――――――――――――――――――

一 我らは谷口雅宣生長の家総裁に、生長の家のすべての役職から引退
していただくことを目的とする。

二 本掲示板は上記の目的を遂行するために設立されたものであり、我ら
は多少の意見の違いがあっても、この目的のために皆が心を一つにするもので
ある。

三 我らは生長の家の大神、谷口雅春先生の御心を受け継ぐものである。

四 我らは、虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見
て和解するものである。

五、立派なブログをお持ちの方は、書き込みをご遠慮願いたい



347: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/16(木) 06:02:31

>初心者さま

合掌、ありがとうございます。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
(本掲示板1での、貴殿ご投稿文章)

人類は、いまだ資本主義の暴力性を制御できる「第3の道」を見い
だせずにおります。はたして生長の家は、国家になり代わって「第3の
道」を提示できるのでしょうか。
真理の光は、資本主義経済の暴力性に打ち勝てるのでしょうか。
ブログ管理人様がおっしゃっておられる現世利益とは、
資本主義経済の暴力性にただ耐えてゆくということだけなので
ありましょうか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 以下、的を射た回答とはなっておりません。たとえば「私が用いた現世
利益≠フ定義に対する回答」は述べておりません。しかし代わりにと言った
らなんですが、「日常生活を生きる上で資本主義経済の暴力性≠ニ、どう
付き合うべきか?」という話を、「少なくとも現状、こう考えております」
と云ったカタチで述べる試みならば、行えるのかもしれません。以下にてそ
の試みを。

 さて、「資本主義経済の暴力性にただ耐えてゆくということだけなのであ
りましょうか。」に関するところから、私見を披露致します。
 ここ数年の経験から申すに、「ただ耐えてゆく」と云うよりは、資本主義
の暴力性を「神として拝むことができるか?」が、個人的に重要テーマとな
っております。仮に暴力性と(現象語では)称されますが、これ、雅春先生
の御著書を読むと観が転換するのです。

 なお、私は屁理屈で頭が一杯の男です。金融政策なんていうものにも人一
倍、敏感と申してよいかと思います。やれ「竹中平蔵のサプライサイド云々」
とか、やれ「橋本行革時の時価会計」とか・・・まあ兎も角、金融政策の話は
注視しておりまして、そして大抵「我々に不利な情報で」頭が一杯になるわけ
です。つまり、貴殿申されるところの「資本主義の暴力性」を、他人以上に感
じやすい立場にあるのが、現在の私だと云えると思います。
 たとえば「竹中平蔵が(デフレなのに)インフレ政策を採用した」となれば
、すぐに頭の中で、自社への影響を計算できてしまうのです(これ、自慢でき
る話ではありません)そして「あのバカ野郎!」みたいな言葉がどんどん出て
くるわけであります。つまり、私の知識は資本主義の暴力性を、まさに増幅さ
せる機能しか有しておりませんでした。そしてそんな時期の私は、実に気苦労
が絶えなかったのでありました。

 しかしこれ(=暴力性)を神と拝むことができた際、やはり運命は好転しま
した。(※1)まあそれを――運命好転に於ける付随物――を、仮に「現世利
益」と称するのもなんですが、ともかく神として扱うとどのような不運命も、
調和をもって顕現することを、多々経験している昨今です。
 再三述べたことですが、私は雅春先生の「自壊作用」という言葉に救われま
した。そう、自分に対する暴力だと思っていたものが、これ、実は「善の躍動
する姿」だったのです。これに気づいた時の歓喜たるや・・・まあホント、
『生命の實相』を手に「やったー!」と叫んだくらいのものでしたね(笑)ま
た、藤原敏之先生は「向こう倍力」(※2)なる言葉まで、紹介くださってお
られます。こんな言葉を武器にできれば、これ、どんな暴力性に見舞われよう
とも「歓喜の機会」にしかならぬという、現在の私です。

(つづく)

348: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/16(木) 06:03:25

 まとめます。

 世界の人たちが観の転換――暴力性ではなく、それを「善の躍動」と観るこ
と――が実現されれば、自動的にそれは(やや言い過ぎとは申せ)「第三の道
の実現」となりましょうし、既に生長の家はそれを「提示している」と考えま
す。また真理の光は、資本主義の暴力性に勝てると思います。否、「圧勝する
」(※3)と申した方がより正確になりましょう。なぜと申して、そんな暴力
性に怯まない、真に実在するものが「真理」と呼ばれるものでありましょうし、
もしも負けるものであればそれは、真理とは呼べぬ代物でありましょうからね。

<註>

※1 しかしこれ(=暴力性)を神と拝むことができた際、やはり運命は好転しました

 表現に正確を期します。本流掲示板に掲載した体験談ですが、あのリーマン
ショックで「倒産真近」を経験した時期は、(実は)徹底できてはおりません
でした。つまり「神への全托など不徹底だった。それでも奇蹟が現れた」と表
するのが、正確なところです。
 ・・・余談めいた話をすれば「神は偉大です。なぜと申して、私のように
『全托が不徹底』だった者すら、救い給うたのですから」となりましょうか。

※2 「向こう倍力」

 ピンチに見舞われたら、「その倍の力がある証拠である。悦べ!」とする言
葉。簡単に言えば、たとえば、一億の借金があるならばその人には、「確実に
二億を稼ぐ能力が在る証拠」とするものの観方であり、どんな事態も「悦ぶし
かない」という(究極の)楽観思考と云えようか。

・・・ちなみに以下余談。

 眠れない夜によく、藤原先生は私のためだけに脳内講習会を開催してくださ
るのです(笑)その、脳内講習会の際に出た言葉・・・「実は向こう倍力
あれはウソなんであります」ええ?!と申した私に、先生が云われた言葉は
「実は向こう倍力≠ナはなく、向こう10倍力≠セった」というものでし
た(笑)「こっち(霊界)に来てから気づいたよ(笑)」と、言っていたよう
な、言わなかったような・・・

 要するに一億の借金がある人は、十億の資産を持っているのと同様とか(笑)
「 だ か ら 悦 べ !」と申された、ある日の藤原先生でありました(笑)
 そのうち「実は、向こう100倍力だった!訂正訂正!」なんて、おっしゃ
ってこられぬか?(お待ちしております、藤原先生)
 また、ピンチの際に「雅春先生!雅春先生!」と10回叫ぶというあの話で
すが・・・最近は雅春先生!の後に「藤原敏之先生!」と5回叫び、「榎本恵
吾先生!」と5回叫ぶと、益々運命が好転することに気づきました(笑)

・・・超余談

 ちなみに私の携帯電話ですが、待受け画面は藤原先生です。

※3 また真理の光は、資本主義の暴力性に勝てると思います。否、「圧勝する」

 根拠の一端を、本日ブログにアップ致しました。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65557707.html
をご高覧ください。


再拝

349: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/16(木) 06:13:49

>商人さま(笑)

 ええ?!藤原先生本ですが、2冊お買い上げでしたか(笑)なんだ、それな
らそうと早めに知らせてくれなくては、困るではないですか。もう商人さん、
あなたは必ず救われますよ(笑)たしか、藤原先生、こう書いておられません?
「もうここに来たら皆さん、救われずに帰れるなんてことはないからね。だか
ら覚悟しなさい」みたいな(笑)

 なお「堅信の手帳」ですが・・・一見、単純に過ぎるアイデアなんですけど、
効果絶大ですよ(笑)私なんて、この堅信の手帳に書いた願望ですけど、達成
率95%くらいでしょうかね?残り5%もこれから実現することでしょう。
 いやホント、こんな手帳まで製作してくださった雅春先生ですけど「もうど
れだけ、我々のことをお考えになられたのか」と、感謝の言葉しか出てきませ
んね。

>霊界の藤原先生さま・・・

 ああまた一冊、売れておりました(笑)先生の御著書100万部販売まで、
あと99万9994冊くらいです。ありがとうございます。

350: 商人 :2011/06/16(木) 07:41:24
我が師、ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
おはようございます!

夜に藤原先生の本読もうとしていましたが、娘(3歳なったばかり)の遊びの相手で、読めませんでした。笑
 じっくり噛み締めて読みますね。
でも仕事とかで疲れたときは我が師、ブログ「雅春先生に訊け」管理人さまの
書いてあるのを読むと、思わず顔がほころびますよ 笑
それが私のビタミンですかね〜
我が師、ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま 今日も一日すばらしい一日で!

PS
ピンチの際に「雅春先生!雅春先生!」と10回叫ぶというあの話で
すが・・・最近は雅春先生!の後に「藤原敏之先生!」と5回叫び、「榎本恵
吾先生!」と5回叫ぶと、益々運命が好転することに気づきました(笑)

すばらしいですね!!

・・・超余談
 ちなみに私の携帯電話ですが、待受け画面は藤原先生です。

こうゆう部分がツボにはまります 笑
今朝もはまりました。笑
今日もいいことがありそうだ!

>トキさん
トキさんいつもありがとうございます。
本当ならいろいろ議論しないといけないんでしょうが、商人ですので商売に命をもやしております。
谷口雅春先生の教えを商売に生かそう生かそうとしております。
いつかお金の事が本流さんのところで非難されてありましたが、家業を預かる身、どうしてもお金なしでは、
となってしまいます。(これも跡継ぎの定めでしょうか)

私の思いはこの掲示板を見られる方はみなさん幸せな気持ちになられたらいいなと思います。
ちなみに私は我が師、ブログ「雅春先生に訊け」管理人さまが元気の元ですがね。笑

トキさん すばらしい1日に!!!!

351: トキ :2011/06/16(木) 10:10:34

今でも一知半解の生長の家の幹部の中には、『仕事や学業よりも、生長の家の事だけするのがエラいのだ」という誤解をする人がいますが、実は、私は、そうは習っていません。

信仰生活とは、道場にいる間だけが信仰ではなく、普段の日常そのものが信仰であります。
特に、仕事というのは、単なるお金儲けではなく、その仕事を通じて神の子たる大衆に喜んでもらう
大切な行ですから、これも大切な信仰生活であり、宗教活動であると教えられました。毎日来て
下さるお客様も神の子であり、問屋さんも神の子であり、ただ、礼拝すればいいのであります。
 そして、お客様が喜ぶような御仕事をさせていただくのであります。
 同時に、自分も神の子でありますから、御仕事に対して、適正な利潤を頂戴する。
売り手よし、買い手よし、世間よし、という言葉がありますが、ごまかしたり、ウソをつかず、
正直に商売をする。取引先にも、厳しく接するべき点は接するが、愛情も込めて対応をする
のがよいとも言われました。

 商人にも商人道があり、その仕事を通じて、自分の信仰を鍛える機会を頂戴したと感謝すれ
ば良いと言われました。商売には、苦しい事、嫌な事と多々遭遇しますから、その中で心を
どう保つかは大切な修行かもしれません。

 つまり、商売と信仰は別々ではなく、一体であり、その仕事を通じて、自分は魂の向上の
修行をしている、と言う訳でしょうね。




363: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/17(金) 06:41:04
>商人さま

 いやー・・・「先生」というのはお止めください。私なぞは、キャバ嬢か
らしか誉めてもらえない悲しいオッサンですんで(「お客さん、親思いなん
ですね」)しかも、そのキャバ嬢すらも、控え室では「今日、キモイお客さ


367: 初心者 :2011/06/17(金) 13:28:30
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

 >雅春先生の凄味は、たとえば貴殿のお言葉を借りるならば、「資本主義の
暴力性という矛盾を条件としない=v点になろうかと。
 現象語では「暴力性」と称される事象であれ、その背後では、神が躍動し
ているのであると。そしてそれは、五官認知不能とは申せ、「確実に在る」
のであると。五官がいくら「それは悪の兆候」と言おうとも間違いであると。
「その悪らしき姿は、善が表に出てこようとする衝動」であると。

「現象の悪の背後では神が躍動している」。これはたしかであります。「確実に在る」。これもたしかです。ではなぜ、それが「善が表に出てこようとする衝動」であるにもかかわらず、「悪らしき姿」となって見えなければならないのでしょうか?

この「悪らしき姿」が単なる迷いであるとか、転倒妄想であるとかといってみたところで、何の解決にもなっていません。なぜ迷っているのか、なぜ妄想を抱くのか。つまり「迷い」や「妄想」にしたところで、これにもたしかな根拠があるはずなのです。この根拠を明らかにしなければ、真理を説いたことにはならないと、わたしはこのように考えます。

簡単に申しますなら、現象の悪はどのようにしてつくられるのか、これを明らかにする必要があるのではないかということです。「現象はない!」ではなく「現象がなぜあるのか」。これがわかれば、現象世界にたいする見方も、これまでとは違ってくるはずです。しかもそうなれば、「資本主義の暴力性」にたいする見方もまた違ったものになるのではないかと、このような気がいたします。

>突然、睡魔に襲われたらどうされますか?

人間はつねに眠った状態にあるんじゃないですかね?むしろ「突然の覚醒に見舞われたときにどうするか」、こちらの方が問題だという気がします。

ある日突然、人類愛に目覚めてしまった。ある日突然、深い真理を悟ってしまった。こんなときにどうするか。これは大変な問題だと思います。

368: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/17(金) 14:01:35

>初心者さま

 貴殿ご提題はかつて、私も考えたことがあります。

 なぜ神は「不完全な目で」(=実相直視不能の状態で)我々を現象界に
送り出し給うたのか?・・・まず愚生の意見はこのようなものです。ここか
ら沸いた疑問など寄せて頂きますと、また議論が活発となるやもしれません。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=235
(1083の駄文ご参照)

369: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/17(金) 14:15:23
>初心者さま

 なにか貴殿ご提示の議論は、倉田百三氏と雅春先生との対談にも似ている
と思います。たしか『生命の實相』39巻だったと記憶しておりますが、そちら
もご参照になられては如何でしょう。かなりハイレベルなやり取りであり、見
応え充分ですよ。

370: 初心者 :2011/06/17(金) 15:50:31
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

「浜辺の足跡」の記事、読ませていただきました。
わたくしもかつてどこかで読んだことがあります。
ブログ管理人様の野球解説は、100パーセント真実でありますね。
ただひとつ異論をさしはさみますなら、
『生命の實相』のアンインストール状態が受け身的であるということです。

人間は、もっとポジティブに『生命の實相』のアンインストール状態を引き受けている。
これがわたくしの考えです。
浜辺の足跡がひと組であったのは、
それは、その人が神を拒絶したのだと思います。

371: 初心者 :2011/06/17(金) 16:03:35
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

残念ながら、ただいまワケあって、生長の家関連の書籍が手元に1冊としてありません(捨てたわけではないのでご心配なく)。

雅春先生と倉田百三氏との対談といえば、「花見が先か、火事を消すのが先か」という議論を思い出します。

宇宙の神秘を存分に味わいつくす、というわたくしの立場からすれば、だんぜん「花見」ということですね。真理に救済を求めない。これがわたくしの立場ですので、「火事を消す」という発想じたいがそもそも存在しない、というのが現状かもしれません。

火事を消す必要がないほどに、人は『生命の實相』のアンインストール状態を生きようとしている。個人的にはこのように考えております。

372: 名無しさん :2011/06/17(金) 16:34:35
我が尊敬する!先生 「ブログ『雅春先生に訊け』管理人様へ!!.
ちょっと仕事中ですが、あんまり面白かったのでコメントいれたくなりました。笑

>(「お客さん、親思いなんですね」)しかも、そのキャバ嬢すらも、控え室では「今日、キモイお客さ
んいたよ(笑)自分の親、ケータイ待受にしてんの(笑)


伯母さまの話で
>・・・もうどれくらいの緊張度だったか、皆さんお分かりになるでしょうか
?日本海軍ならば確実に「Z旗」を掲揚するくらいの、そんな緊張度だったん
ですよ。 の、この「Z旗」でまた噴出しましたよ 笑

我が尊敬する!先生 ブログ『雅春先生に訊け』管理人様 最高!
ホント心がハッピーになるな〜
私の考えでは、人を幸せな気にさせてくれる、これが一番と思います!

373: トキ :2011/06/17(金) 16:36:02
>>364

ブログ「谷口雅春先生に訊け」管理人様

 いつも素晴らしいご文章、ありがとうございます。

 閑を見ては、書き出したのですが、量が半端なものではなくなってしまいました。
まとまったら、こちらのスレッドに投稿をしますが、顰蹙をかうような量です。
 いきなり投稿したら、仰天するので、少し予告しておきますね。

 ただ、最近、生長の家に触れた人には、「現在の教団の状態がこうなった原因は、
どこにあるのか?」という点がわからないでしょうし、やはり、きちんとまとめて
おいた方が良いかとは考えています。

>>356

 御丁寧なお返事、深く感謝申し上げます。
仕事は、確かに大変ですが、これが修行です。まあ、私も、エラそうな事は言う
資格は全然、ありません。

 よく生長の家の栄える会では、「神様が社長で、自分が専務のつもりで、経営を
しなさい」といいますね。昔は、「神様が主人で、自分が番頭のつもり」という表現
もしておりましたが。

 では、ご繁栄をお祈りします。

合掌 ありがとうございます



376: 初心者 :2011/06/17(金) 19:05:32
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

このあたりで理屈を一発ぶちかまそうかと思います。必殺のパースペクティブ理論。これを今からぶちかまします。

パースペクティブとは、近くのものほど大きく、遠くのものほど小さく見えるという現象です。現象というからには、これは実相とは無関係と考えられます。

現象世界では、遠くにあるものはかならず、実際よりも小さく見えます。パースペクティブが効くことで、まっすぐなものでも湾曲してみえます。広角レンズで撮影した映像が湾曲するのは、通常の湾曲がデフォルメされた結果と考えられます。

パースペクティブとは何なのでしょう。その正体とは何なのでしょう。遠くのものが小さく見えるのは当たり前じゃん。こんな声が聞こえてきそうですが、本当に当たり前のことなのでしょうか。

この現象世界が誕生する以前に、パースペクティブの仕組みが組み込まれていたとは考えられないでしょうか?パースペクティブが現象世界をつくり出した。こうした予想を立ててみるのは不可能なことなのでしょうか。

パーペクティブがなければ現象世界は存在し得なかった。わたくしは、パースペクティブに、このような法外ともいえる地位をあたえておるのです。根拠はありません。なんとなくそんな気がする。ただそれだけです。

パースペクティブは面白いです。パースペクティブがあることで自他の区別が生じます。パースペクティブがあることによって、自分中心の世界ができあがります。パースペクティブがあることによって、世界は湾曲します。

実相世界に、はたしてパースペクティブはあるのでしょうか。遠くのものが小さく見える。世界が湾曲して見える。このような現象が、はたして実相世界にはあるのでしょうか。

モノが実際よりも小さく見えたり、湾曲して見えたりするというのは不完全です。完全なモノが小さく見えたり、湾曲して見えたりするはずがありません。実相世界が完全な世界であるなら、パースペクティブが存在してはならないのです。たとえ遠くにあったとしても実物大で見えなくてはならないのです。どんなことがあろうとも、湾曲して見えたりしてはならないのです。

野球は、パースペクティブがあるからこそ可能ですバッターボックスに立てば、外野手はピッチャーよりも小さく見えます。だからこそプレーが可能となるのです。ピッチャーも野手もぜんぶおなじ大きさに見えたら野球になりません。外野スタンドは、実際よりもはるかに小さく見えます。だからこそバッターは、「ホームランを打ったろう」という気にもなるのです。

実相世界では、9回裏の大どんでん返しどころか、そもそも野球は不可能です。サッカーもテニスもできません。わたしたちは、幸いにもパースペクティブのある世界に生まれてくることができました。野球もサッカーもテニスも、ほかにも何だって楽しむことができる世界に生まれてこれたのです。現象世界とは、考えられているよりもずっと素晴らしい世界なのかもしれません。

377: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/18(土) 05:43:07


>初心者さま(笑)

 合掌、ありがとうございます。

 いやー、理屈合戦ですけど、楽しいですね(笑)私は理屈民族なんで、ま
あ、腑に落ちないことをそのまま放置するのが苦手ときています。ですんで
貴殿とのやり取り、非常に有意義に感じております。

 さて本文に入りますが、まあ、今回の貴殿ご返信なのですが・・・もう少
し吟味したいと考えます。ですので時間を頂戴できませんか?と、申します
のも、370に於ける以下ご文章の、その意味を捉えかねているためであり
ます。その文章とは、

――――――――――――――――――――――

1、『生命の實相』のアンインストール状態が
受け身的であるということです。

2、人間は、もっとポジティブに『生命の實相』の
アンインストール状態を引き受けている。
これがわたくしの考えです。

――――――――――――――――――――――

 ・・・うーん、いまひとつよく消化できておりません。ですのでもう少し、
お時間頂戴致します。

追伸1

 関連するかどうか不明ながら(私は関連すると思っているのですが)、本
日ブログに新記事をアップ致しました。テーマは「すでに創造済みの世界」
であります。
「五官で認知できぬにせよ、我々は神創造の完全の中にいる」このあたりの
消息にテーマを絞ったものです。ぜひご訪問ください。

●「ことすでに成れり」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65558460.html

追伸2

 雅春先生と倉田百三さんの件ですが・・・たしかに「花見と火事」もおも
しろかったです。ですけど、この(たしか)39巻にあった往復書簡内容は、
圧巻です。もう段違いにハイレベルと申してよいでしょう。
 どれくらいの圧巻かと申せば、(無論独断+偏見ですが)この39巻で雅
春先生、「ついに論破さる!」てな感じの挑戦状を受けるのです。私はこの
倉田百三氏の書簡(雅春先生への質問状)を読み、「あらら・・・雅春先生、
ひょっとして論破されてないか?」と思ったくらいでありました(内容をご
確認くださいwいや、ぜーったい、貴殿好みの議論ですってwネタバレして
よいならば、私、ガンガンに語りますがw)

 まあしかし・・・この倉田百三氏の質問状に対し、雅春先生ですが、約15
ページ分くらいに相当する、そんな返信を起草されております(笑)そして
もう、この内容たるや「完璧」なんですよ、完璧(笑)もうこの、返答文を
拝読しますとですね、一瞬とはいえ「雅春先生、ついに論破さる?」なんて
思った自分が恥ずかしくなるくらいです。

 それくらいにこの、倉田百三氏と雅春先生のやり取り、凡人が抱く疑問を
ハイレベルに(それでいて言葉は平易に)解釈してくださっておられるものです。
 もしも貴殿が未読なのならば「非常にもったいない」と申し上げたいくら
いです。・・・しかし雅春先生、「この往復書簡を第39巻にもってくると
は(笑)」

378: トキ :2011/06/18(土) 11:21:39
 新しいスレッドについて。

 少し他の宗教の板も見ました。やはり、複数のスレッドを使い分けている板がいくつかありました。
が、中には、作ったけど、長期に渡り、書き込みがないスレッドも散見されました。あまりたくさん
作るのも、問題はあるようです。メインのスレッドを活用し、マイナーな話題は、使い分けるような
場面もありえるようです。スレッドは作るのは1分で作れるのですが後の管理等は大変みたいです。

 で、投稿者様の中で、「こういうスレッドを立てて欲しい」という希望がある場合は、こちらのメインの
スレッド(2)に、名称や趣旨を詳しく書いて、投稿して下さい。他の投稿者のご意見も聞いた上で、時期を見て作り
ます。

 それと、生長の家の迷走がいつから始まったのか? という疑問にこたえるべく、「生長の家政治連盟と
その影響」(仮称)という文章を書きましたが、あまりも長く、内容も異質なので、これを、こちらか
別のスレッドに投稿すると、そのスレッドが破壊されるので、別のスレッドを立てる事にします。
 御了承のほど、お願いを申し上げます。

合掌 ありがとうございます

379: 初心者 :2011/06/18(土) 12:01:44
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

面白い展開になってまいりました。とりあえずここからは、パースペクティブ一本槍で押すことにいたします。

生長の家では、ブログ管理人様のブログで書かれておりますように、実相の完全円満な姿を念のレンズをとおして見ることで、ほんらいは完全である実相世界が、不完全で歪んだ形となって見えてくる、とこのように説かれているように思います。

この念のレンズをパースペクティブと置き換えることはできませんでしょうか。パースペクティブのない実相世界にパースペクティブを効かせる。すると、自と他の違いが生じ、物事がゆがんで見えてしまう、不完全な現象世界があらわれる。現象世界のあらわれ方を、このように単純化して考えることができるのではないかと思います。

昨日の記事で申しましたように、野球やサッカーは、パースペクティブがなければできないはずです。ドライブや写真の趣味もパースペクティブあればこその楽しみです。この世界からパースペクティブが奪われるようなことになれば、多くの楽しみが奪われることになります。

ここで、実相顕現とは何かを、こうした話の流れから考えてみます。いうまでもないことですが、実相顕現とは、この世界からパースペクティブが奪われてしまうということなのです。

パースペクティブが奪われることを、人々ははたして望んでいるのでしょうか。これがわたくしの疑問です。むしろ人々はパースペクティブを守ろうとしている。わたくしはこのように考えます。人々は、実相が顕現しようとする力と戦っています。パースペクティブを守るために、人々は実相の力と戦っている。わたくしはこのように思うのです。

人間は、『生命の實相』のアンインストール状態を甘受しているのではなく、むしろインストールされることに抵抗している。パースペクティブを守るために、アンインストール状態をポジティブに歓迎している。このようなことを昨日は書いてみたような次第です。

380: 山ちゃん1952 :2011/06/18(土) 12:18:04
「生長の家」を辞めて久しい。「生長の家」の迷走がいつから始ったかという質問はやはり「雅宣」氏が教団に入ってからではないか?
最早、理屈をつけても行く付く先は「雅宣」氏である。根本的に戦後教育を受けて育ち、それを受容したのが崩壊の始まりです。
政治連合の廃止も起因はそこに行きます。清超先生はそこまで行くことは文章を読んでいてそう思いますが、講習会で日本軍の中国侵略という言葉を
言われていたのは事実であります。
しかしそれを後押ししたのが、「雅宣」氏であったのは間違いない。
それこそ運動方針や教義も違う発想が「生長の家」の崩落に指標したのではないか。
まだ崩落していないといわれるが、いまは似非生長の家である。似ても似つかぬ生長の家が存在はしているが
今の生長の家は本来の生長の家ではない。生命の實相を棄て、「天皇信仰」を放棄し、「愛国心」はソコソコ
で、「先祖供養」は後回し。
一に「環境」、二に「環境」、三に「環境」と環境の家しか頭にない雅宣氏、いや
それしか語れないのです。

もう一度根本の『生命の實相』に還るのが生長の家を救う道であろう。

381: 初心者 :2011/06/18(土) 13:37:39
山ちゃん様へ

この掲示板でわたくしは、近代的知性にどう向き合うかということで、和解、温存、否定の3つの道があると語ってきました。いたずらに否定することで近代的知性に呑み込まれてしまうことの危険性についても語ってきました。

基本的にわたくしは、「温存」というスタンスをとっています。近代的知性に向き合うにも、こうしたいくつかの立場があるということをご理解いただき、わたくしのような立場を、どうか広いお心で許容していただきますようお願いいたします。

382: トキ :2011/06/18(土) 13:43:59
>>380

山ちゃん1952 様

 ご投稿、ありがとうございます。
 この問題は、やはり体験をされた方でないと書けない部分が多いので、今後も、ご指導をお願いします。

 谷口雅宣総裁については、青山学院大学在学中、新左翼運動をしていた、との投稿が「本流復活」の掲示板に
出ていました。ご本人は、「小閑雑感」で、当時の写真をアップし、自分は生長の家の活動をしていた、という
趣旨の反論をされました。続いて、「大論争5」で、生長の家本部には出入りしていたが、持ち物、着るものも
上等で、貧乏な中で活動をしていた仲間を鼻で笑うような高慢な態度だった、という投稿がありました。
 このあたり、実態はどうだったのか? という点が気になります。

 生長の家政治連盟ですが、当時の政治路線の当時でも、信仰の指導はきちんとされていました。
しかし、今は、信仰よりも、環境という雰囲気で、内部はしらけています。

 御指摘の通り、「生命の実相」に今こそ、戻るのが大事だと感じます。

合掌 ありがとうございます


389: 山ちゃん1952 :2011/06/19(日) 20:07:04
初心者様へ
>近代的知性にどう向き合うかということで、和解、温存、否定・・・<
すいません抽象的な言葉ではわかりません。近代的知性といってもわかりにくいので
具体的な言葉でお願い致します。<

私は和解とか温存とか否定とかいうのではないのです。申し訳ありませんが「妥協」しかない
と思っています。それぞれ各個人での思想とか異なっております。生長の家を信じていても何にを
信じて活動されているのかにより異なります。その点は同一性はありえない。
そこで、どこが和解できるのか、ある一点を除き和解出来ないのか、それとも全てが和解できないのか
違います。
そこには妥協されているかどうかであります。そこに経験などが付加され理解するのだと思います。

1番大切なことはドグマという宗教的な要素を理解しているのかどうかです。たとえば教義に異論がないかどうかでしょう。

それが、その宗教の正当性を見出す要素です。私はそこを問題にしているだけであります。
誰かさんが違う意見を持っていても当り前であります。そんな内容を聞いても「仕方」がない。

そのドグマに異論がありかどうかであいます。
生長の家の重要な教義のなかで「天皇信仰」があります。決して生長の家は環境が教義ではありません。

そして『生命の實相』であります。その中に「天皇信仰」もあり、教義の原点があるのです。

それが異なると「生長の家」は似非になるのです。教義を変えなければいけません。
それならば入信もしていません。

トキ様
1回生の時に少しだけ練成には参加していたようです、左翼的な活動はされていません。

ただ態度が傲慢であり、信仰者としての素質が無かったと聞いています。

私は初期から聞いていますが、生長の家の根本的な真理を言っていたかは懐疑的です。

390: トキ :2011/06/19(日) 22:14:50
>>389

山ちゃん1952様

 ご教示ありがとうございます。なるほど、わかりました。
そういう事だったのですね。

合掌 ありがとうございます


392: 初心者 :2011/06/19(日) 22:55:58
山ちゃん1952様へ

カトリックの堕落を見て、大勢の人々がプロテスタントに改宗しました。改宗した人々の心に何がおこったのでしょう。宗教の堕落は矛盾です。矛盾のなかに、人々は共通する何かを見いだしたとはいえないでしょうか。

矛盾のなかに何らかの同一性を見いだしたからこそ、人々は心をひとつにして、新しい信仰に魂のよりどころを求めはじめた。このように考えるのは不可能なことでしょうか。同一性を見いだすこともできずに、それでも人々は心をひとつにできるものなのでしょうか。強大な敵と命がけで戦えるものなのでしょうか。

たとえプロテスタントが同一性を見いだしていたにしても、それでは生長の家はどうなのでしょう。おっしゃっておられるとおり、教団内に生じている矛盾のなかに何らかの同一性を見いだせるのかというと、たしかなことは何もいえません。もしも同一性を見いだせるチャンスがあるとすれば、それはルターのような人物があらわれたときだけなのかもしれません。

「妥協」というのは、誰の何にたいする妥協なのでしょうか。わたくしのいう「和解」とは、弁証法でいうアウフヘーベンのことであり、「温存」とは、「矛盾のなかに同一性を見いだすことを認める」という、わたくし流の弁証法的決着の方法なのです。この掲示板ではこういう論法でこれまで書いてきました。

「和解」と「温存」という言葉を、わたくしは、これまでのところ弁証法に限定して使っています。それ以外の意味で使ったことはありません。もしも「妥協」という言葉を弁証法以外の意味で使ってらっしゃるのであれば、話がかみ合うことはありません。いまいちど吟味していただければありがたく存じます。

ちなみに、近代的知性とは、「戦後の学校教育によって育まれた知性」という意味で使ったものです。今のところ、こうした定義で十分ではないかと思います。

393: 義春 :2011/06/19(日) 23:35:00
>>391
初心者さま
歴史は好きなんですけど…どうも西洋哲学はキリスト教が下地になってますやん?
それで私は歴史学んでるとキリスト教はどうも好かん様になってしまって、結果、西洋哲学も苦手になってしまった・・・という訳なんです。

だから友人に『義春の考え方は(確か)デカルトだね』とか言われても、いや俺は自分なりに生きやすい考え方をしたら、こうなっただけで勉強してないよ〜としか言えないのです。

どちらかと言うと、私は東洋専門なんですよ。まぁ…食わず嫌いもダメだから、一寸ずつ西洋も勉強してますけど…中々、大変ですよね…。

394: 山ちゃん1952 :2011/06/20(月) 10:36:15
初心者様
いやいや宗教の堕落は矛盾といっても様々あります。一言ではいえません。
欧米の宗教をここで説明されても駄目だと思います。
「生長の家」においての矛盾を説明されないと広範囲すぎてほかの人はわかりません。
「妥協」というのは書いているように人と対峙するする場合に様々の観点があり、その人なりに
こうですとは言えません。だからこそ「トキ」さんに書いたように教義の部分に集約しての矛盾が
ないかどうかを確認すればいいだけであります。

ここで書いておられる人のなかには矛盾はわかっているのだけれど、今までの様々な付き合いのなかで
断絶できないでいるからこそ迷うのであります。
その断絶は今の「生長の家」は違うからこそ「わかっているから」悩むのだと思います。
それを隠蔽しながら活動されている人も多くいます。
だからこその妥協が必要なのです。どこまで妥協できるかはわかりません。
それでもわからない人もいますし、全く無理な人もいます。

だからこそ妥協といいながら”分派”しかないとも思っているのです。

分派は最初に書いています。

またアウフヘーベン弁証法といっても、それだけの高尚なる哲学と力量が必要です。
アンチテ−ゼとテ−ゼとの統合には其々の感情をどう抑制するかが必要であります。

私はそれしか信じないという人には難航します。だからこそ同一性のテ−ゼが必要であります。

でも、それでもその人にどれほどの寛容があるかが大切であります。
難しいですが、違いを見つけてそれを寛容する精神で包容できるかどうかでしょう。

395: 初心者 :2011/06/20(月) 11:34:32
山ちゃん1952様へ

いろいろとご教示いただいてありがとうございます。大変に失礼な言い方であるかもしれませんが、山ちゃん1952様にたいしましても、わたくしはようやく、役行者様からいただいていたのと似たようなご愛念を感じられるようになってまいりました(本当に深いご愛念を感じております)。

妥協の意味はわかりました。それで、「教義の部分に集約しての矛盾がないかどうかを確認すればいい」ということですが、たとえば矛盾が生じた場合にこの矛盾をどう扱うべきであると考えておられるのか、矛盾のタイプによってケースバイケースであるといわれてしまいそうですが、基本的にはこの矛盾をどう扱えばよいと考えておられるのか、それをお聞かせいただければと思います。

>またアウフヘーベン弁証法といっても、それだけの高尚なる哲学と力量が必要です。
アンチテ−ゼとテ−ゼとの統合には其々の感情をどう抑制するかが必要であります。

おっしゃるとおりです。適切にアウフヘーベンしてゆくには、高尚なる哲学と、十分なる知識量、豊富なる経験と高き見識、重厚な思考力といったものまでも含めた総合的な力量、それと、ともすれば野放図に展開してゆこうとする感情のコントロールなどが必要になってまいります。とても品性下品(げぼん)なるわたくしごときの及ぶところではございません。

わたくしの主張はつねに「矛盾を条件とした同一性を認めることを許す」という、たとえ凡夫であっても実現可能と思える方向性でございます。簡単に申しますなら、悪が存在しなければ善を知ることはできないという、単純な方法でございます。これならわたくしのごとき凡夫にも到達できる、解決の方法であるのかもしれないと考え、日夜努力しておるところでございます。

また「生長の家の矛盾を示せ」といわれましても、わたくしが今の状況を知ったのは、わずか2、3週間前のことでございます。ただいまあれこれと模索している最中でございまして、その模索の手段として西洋の宗教改革を参考にしようと考えてみたような次第であります。それを否定されたのでは、模索のしようがございません。とりあえずあれこれ考えてみる。下手な鉄砲もかず撃ちゃあたる。現状はそういったところなのでございます。

いずれにしましても、わたくしは、現在の生長の家の問題にかんしましては、まだまだ初見参者のようなものでございます。適切なご教示をいただければありがたく存じます。

397: 初心者 :2011/06/20(月) 12:08:52
義春さんへ

キリスト教が嫌いというのは同感です。キリスト教に改宗せざるものは悪魔である。改宗せざる異教徒はただちに殲滅せよ。これを神の命令として信じる人々は恐ろしいです。

ルターの宗教改革にしても、神秘学徒であるわたくしの立場からすれば、否定的とならざるを得ません。わたくしは反プロテスタントであり、むしろ堕落せしカソリックに共感をいだくものです。

純粋信仰は恐ろしいです。神が存在すればすべてが許される。これが、一神教的純粋宗教が最終的に行き着く場所だろうという気がしています。堕落せしカソリックのように、聖が俗と一体化できれば、一神教を信じる人々のなかで寛容の精神が養われるものと考えます。

東洋といえば、タオイズムはお好きですか。わたくしは、タオイズムとシャーマニズムに関心はあっても、まだまだ遠い場所をうろついているだけのような気がします。初心者の名称は、じつはシャーマニズムから取ったものなのです。初心とは初発心、「予期されぬ心」という意味なのです。

398: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/20(月) 13:32:52

>初心者さま

――――――――――――――――――――――――――――
(367貴殿ご投稿文章より)

「現象の悪の背後では神が躍動している」。これはたしかで
あります。「確実に在る」。これもたしかです。ではなぜ、
それが「善が表に出てこようとする衝動」であるにもかかわら
ず、「悪らしき姿」となって見えなければならないのでしょうか?

この「悪らしき姿」が単なる迷いであるとか、転倒妄想であると
かといってみたところで、何の解決にもなっていません。なぜ迷
っているのか、なぜ妄想を抱くのか。つまり「迷い」や「妄想」
にしたところで、これにもたしかな根拠があるはずなのです。
この根拠を明らかにしなければ、真理を説いたことにはならない
と、わたしはこのように考えます。

簡単に申しますなら、現象の悪はどのようにしてつくられるのか、
これを明らかにする必要があるのではないかということです。
「現象はない!」ではなく「現象がなぜあるのか」
――――――――――――――――――――――――――――

 一応返答を兼ねまして、雅春先生と倉田百三氏の対話をブログにアップし
ております。http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559391.html
 ・・・貴殿ご提題は「倉田百三氏のそれと同類である」というのが私見な
のですが、いかがでしょうか?

 なお、雅春先生のご返信文ですが・・・もう少し時間をください(笑)
なにせ雅春先生ですが、倉田氏の4ページ分の問い合わせに対し、なんと20
ページ分にも及ぶ返答を作成なされておられます(!)しかもこれですが
「ああっ!」てな気づきに溢れたご文章になっておりますんで、まあ、お楽
しみに(笑)

>トキさん

「生長の家政治連盟とその影響」の件、まことにありがとうございます。
当初は「難しい注文ですね」というご返信を頂戴しましたので、私は、
「ああやはり・・・いくらトキさんとは申せ膨大な作業量になろうなあ」
と諦めるところでありました。ですから貴殿新スレ、まことに嬉しい限り
です。

 今後熟読させて頂きます。よろしくお願い致します。

399: トキ :2011/06/20(月) 14:11:51
>>398

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

 コメント、ありがとうございました。

 実は、家には結構、資料は残っているのですが、これを見ると、もう、量がもっと増えるので、
うろ覚えで書きました。さっそく、初歩的なミスが見つかり、訂正する事になりました。ご指摘
下さったエンジェル様には深く感謝申し上げます。

 実は、かなり危険な論文を書いたのは承知しているので、最初は気が進まなかったのです。でも、生長の家政治連合には
たくさんの人が関わったのです。あれが無視されているのは、その人達の事を考えると、すごくやるせない想いがありまし
た。その意味で、是非はどちらでもいいから、もう一度、光を浴びせたい、という願いがありました。

 まあ、難しいし、読んでも勉強になるのではなく、面白くもないのですが、関係者には、今でも触れれば
血が出るような生々しい話です。

 どうも、お返事が遅れて、すみませんでした。

合掌 ありがとうございます

400: トキ :2011/06/20(月) 14:16:09



401: 初心者 :2011/06/20(月) 18:02:02
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

大変なお手間をとらせてしまいました。おっしゃられているとおり、雅春先生と倉田百三氏のあいだでかわされた「寂光論争」をひとつの前提として、パースペクティブ理論を押したててみたのはたしかです。この「寂光論争」で展開された内容を見るかぎり、わたくしは倉田百三氏の立場に近いといえなくもありません。

ただこの論争にかんしましては、ほとんど記憶しておりません。「寂光」という言葉だけがやけに印象に残った。この程度の記憶でございます。もしよろしければ、全文の掲載は無理にしても、かいつまんだ内容だけでもご紹介いただければありがたく存じます。

わたくしは、「この世になぜ悪らしき姿があるのか」ということを、できるだけわかりやすく説明してみたいのであります。そのためにパースペクティブを持ち出しました。もちろんパースペクティブが主役というわけではありません。主役はもちろん人間ということになります。

誤解をおそれずにいえば、人間は実相と戦っている、というのがわたくしの主張です。戦いの場が「悪らしき姿」となってあらわれてくるのです。戦いをやめて、実相が出てこようとする力と調和すれば「悪らしき姿」は消える。こうしたきわめて単純な考え方なのであります。

このように考えることで、神が躍動しているはずの世界に悪らしき姿があらわれてくる理由が、きわめてわかりやすく簡単に説明できてしまいます。もちろん、実際に考えておりますことは、これよりはいくらか複雑でありますが、簡単にいえばこのようになるのであります。

倉田百三氏も加わってくださいましたので、話がだんぜん面白くなってきたように思います。倉田百三氏は、「すべてはみ心のままに」と言っておられるようでもありますので、このあたりは、わたくしの主張とは異なっているようにも思われます。いずれにしましても、わたくしのこの主張は変更OKです。そのあたりはフレキシブルに考えておりますので、どうか遠慮なく、ビシビシと直球でも変化球でも投げ込んでくださいますようお願いいたします。

つけ加えますなら、資本主義の暴力性もまた、人類と実相との戦いによって生じているという考え方で説明できてしまいます。人類は、実相が出てこようとする力に徹底抗戦している。その戦いの場が資本主義の暴力性となってあらわれている。このように考えることが可能です。

ここで最初の弁証法にもどることになります。ブログ管理人様がおっしゃっておられますように、実相と調和して戦いをやめた人々であれば、矛盾を前提としない神の同一性の認識が可能となりますが、そうではなく、戦いを続行中の人々にとりましては、矛盾を条件とした神の同一性の認識だけが可能となる、ということなのであります。もちろんこの認識はポジティブなものである可能性もあります(つまり、わかってやっている人がいるかもしれない、ということです)。

402: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/21(火) 08:57:00
>大変なお手間をとらせてしまいました。

 いやこれが不思議な話でありまして・・・なかなか楽しい作業なのです
よ、これが(笑)なにせあの往復書簡ですけど「他書で見たことないよ」
というほどの圧巻さです(少なくとも個人的には)そして、あの内容は
「ほとんどの読書階級が行き着く疑問」だと思っている次第でありまして、
今、全文アップの使命感に燃えております。あの往復書簡が「世界で初め
てWEBにアップされる(しかも全文を!)」という事業です。がんばろう、
オレ(笑)

>おっしゃられているとおり、雅春先生と倉田百三氏のあいだでかわされた「寂光論争」をひとつの前提として、パースペクティブ理論を押したててみたのはたしかです。

 うむ、なんで突如、実相世界はどんなかたちなの?≠論点提示された
のか「正直に申せば意味不明」でありました(笑)

>この「寂光論争」で展開された内容を見るかぎり、わたくしは倉田百三氏の立場に近いといえなくもありません。

 うん(笑)絶対そうだと思います(笑)と申しますか、普通の読書階級−
特に哲学系−ならば一度は行き着く疑問だとも思います。そして皆、この疑
問に対して良質の回答を与えきれていないと云う・・・私が知る限り、谷口
雅春を以て嚆矢とする次第なんですが。


>ここで最初の弁証法にもどることになります。ブログ管理人様がおっしゃっておられますように、実相と調和して戦いをやめた人々であれば、矛盾を前提としない神の同一性の認識が可能となりますが、そうではなく、戦いを続行中の人々にとりましては、矛盾を条件とした神の同一性の認識だけが可能となる、ということなのであります。

 ああなるほどね!そういう意味でしたか。今ようやく気づいた次第という
(笑)

追伸

 他のご文章に関してですが・・・「まあ、雅春先生のご返信文を乞うご期
待」とだけ,申しておきます。時間を見つけてアップしていきます。
 その雅春先生のご文章を拝読後に、どんなやり取りが生まれるのか期待して
おります。

403: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/21(火) 09:13:56
>トキさん

<生長の家政治連合と「今の教え」を考える>

 今回、愚生が如き浅学の身が「余計な要請」をした事が発端でありました
が、貴殿に於かれましては「いやもう、大変」というのが正直な所であろう
と、このように推察する次第であります。
 いや、それにしてもトキさん・・・かなりリスクを取って書いてくださっ
ておられますね(笑)いやー、読み手の私は「おおお、おっ!」みたいな感
じで楽しめております。

・・・まあこの五歳児がなにか申せば「うぎゃぎゃぎゃあ!」なことを言わ
れそうですんで(現段階では)コメントを避けますけど、ひとつ分かった点、
これをご報告致します。

 なにが分かったかと申せば、まず、

●私のメンタリティは「初期 谷口雅春先生時代」のものである

 というものですね。そして、大勢の方(本流掲示版など)は「中期以降の
メンタリティ」が強いのかなあ、なんて感想を持った次第でありました。
私は『生命の實相』からしか、生長の家と接しておりません。つまり「初期」
に書かれた本を元に、生長の家を把握しているわけであり、そしてその認識を
元に、種々の議論を眺めている次第なのです。 
 そしてこの私が「なんでそんなことに、皆さん怒るわけ?」な疑問が生じる
のは、「この立ち位置の違いなんでしょう」ということ・・・これが判明し
た次第です。

 まあしかし・・・あっ、現段階ではコメントを避けます。これからもこちら
の方の話題も、ご掲載の労をよろしくお願い申し上げます。(本当にありがと
うございます!)

404: トキ :2011/06/21(火) 10:29:49
>>403

ブログ「雅春先生に訊け」管理人 様

 ご丁寧なコメント、ありがとうございました。

 あの論文は、結構、穴だらけなんです。例えば、「国際平和信仰運動」ですが、谷口雅宣先生が総裁にご就任後に提案、とありますが、実際には、副総裁に就任して、すぐに言い出したのです。後で気がついたのですが、そのままにしておきました。

 
 あと、生長の家政治連合ですが、谷口雅春先生のご真意がわかる文章が、昭和43年10月号の「明窓浄机」に掲載されています。長い文章なので、要約します。

この時、生長の家政治連合は参議院選挙で大勝したのです。
が、谷口雅春先生は、これを期に、信仰優先の組織指導に戻したい、と書かれているのです。組織が政治運動に挺身するあまり、教団から純粋な信仰姿勢が薄れ、そのため、純粋に真理を求める人の中には、失望して教団を去る人も出て来た事実を書かれています。
そのため、聖使命会員も減少した事実等もあげられ、選挙のために組織が相当の無理をしているので、これを危惧されたのです。谷口雅春先生は、政治が宗教からの負債で勝ったのだ、という表現をされています。

「今、私は、今度の参院選で勝利を得て、勝に乗じて尚進んで政治戦に力を尽くすべきか、暫く退いて宗教の純粋圏に止まるべきかについて考へをめぐらすとき、今暫く退いて宗教の純粋圏のサークルをもっと大きくすることに力を尽くすべきだと思わずに
いられないのである。」(p93)

と書かれ,信仰第1の運動方針に戻す事をご提言されています。

 私の印象ですが、谷口雅春先生は、生長の家政治連合をされましたが、あくまでも信仰が第1であり、政治などは第2のものとお考えだったようです。



405: 山ちゃん1952 :2011/06/21(火) 14:22:39
初心者様
明恵上人のことですが、昨年10月頃に京都嵯峨の高山寺に行きました。

明恵上人の歌で

あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月

ただ見た月の美しさを現した歌であります。

その歌とともに

くまもなくすめる心のかかやけば我が光とや月おもふらむ

この明恵上人は月の歌をたくさん詠っています。
月の明恵に桜の西行と言われております。
また自然を愛する心は卓越しておられます。

あはれ知れと我をすすむる夜はなれや松の嵐も虫の鳴く音(ね)も

川端康成はノ−ベル文学賞の授与の時、ストックホルムで
雪月花に象徴されるような自然美が日本美の精神であり真髄であるとして、道元や明恵上人、西行、良寛などの歌を通じて説く。例として、良寛の歌を挙げている(p13〜14)。

霞立つ永き春日を子供らと
手毬つきつつこの日暮らしつ

風は清し月はさやけしいざ共に
踊り明かさむ老いの名残りに

世の中のまじらぬとにはあらねども
ひとり遊びぞ我はまされる

その時に川端康成はこの明恵上人を讃えて詠っています。


雲を出でて我にともなふ冬の月
  風や身にしむ雪や冷めたき 

 明恵上人の詠が取り上げられ、明恵上人がいかに自然と融合しているかを川端は語る。和歌とは自然との合一を目指すもの
であると言っているようだ。和歌だけでなく、花にしろ、お茶にしろ自然との合一を目指すものであるとも言っている。

406: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/21(火) 16:58:02
 本日ブログにて、雅春先生のご回答―倉田百三氏宛て―をアップしました。
是非ご高覧あれ、であります。

http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559793.html

 いやー、雅春先生の御言葉をそれこそ、20ページ分書き写し(PCなんで打ち
写し)しましたけど、スゴイ効果ですね(笑)もう今私の脳内は、雅春先生
ご主張(しかも昭和11年ヴァージョン)で一杯です。ええ、原理主義者と言わ
れる方以上の原理主義者と言えるでしょうか(笑)
 まあ、素晴らしい機会となりましたこと、皆様に御礼申し上げます。

合掌

407: 商人 :2011/06/21(火) 20:41:22
我が尊敬するブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
本日のブログは実にすばらしく大変な作業だったんだろうとおもいました。
それとトキさんのすばらしい長文で私も生長の家の過去から現在に至るまでの経緯が、
アバウトですが分りました。
どうもありがとうございました。

408: 初心者 :2011/06/21(火) 22:56:44
山ちゃん1952様へ

「近代は自然状態からのひきこもりによって始まった」というのが、わたしの好きなジジェクの主張ですが、説明がいまひとつ理解できずにおります。コギトを思いついたデカルトが、そのときたまたま、あまりの寒さに耐えかねて暖炉部屋にひきこもっていた、というのが論拠のひとつになっているようです。巨大な頭脳を持て余すような人は、このような些細なことから、重大なる真理に到達できるようでもあります。

現代人が自然状態からのひきこもりを続けているのはたしかなようです。ただし、ジジェクがいう「自然」とは、たんなる自然的世界ではなく、客観的世界の意味を持つようです。客観的世界から主観的世界へのひきこもり?ことの重大さが、わたくしにはまだわかっていないのかもしれません。

ひきこもりとは、言語の問題のようでもあります。言語とは何か?これを追求するのが文学者であるとするなら、川端康成は何らかの回答を用意していたのでしょうか。それとも文学者は、言語ではなく、言語の美を追求するのでありましょうか。であれば、川端康成は、自然の美に言語の美を重ね合わせていたということになります。

はたして言語は、どこまで自然的世界について語ることができるのでしょう。言辞の道といわれる和歌は、自然的世界を歌っているのでしょうか。それとも和歌は、主観的世界を歌っているにすぎないのでしょうか。もしも主観的世界だけを歌っているとするなら、自然の美は主観のなかにだけある、ということになってしまいそうです。

明恵上人は、世界はマボロシだといっていました。たとえそれがマボロシであったとしても、人はそのマボロシから逃れることができないともいっていました。20年以上も前に読んだ本のなかの遠い記憶です。

明恵上人は、それがマボロシであることを知りながら、自然的世界を歌として詠んでいたのでありますね。明恵上人は、どのようなお気持で月をながめ、それを歌に詠んでいたのでありましょう。明恵上人の気持ちがわかれば、わたくしもコギトへのひきこもりをやめられるのでありましょうに。よき知恵をおさずけください。












413: 初心者 :2011/06/22(水) 21:39:06
わたくしは『生命の實相』にふられたものでございます。
なんどか言い寄ってはみましたが、その都度ふられしものです。

いくらページをめくってみても、ストンと入ってくるものが何もない。
奇跡は起きたのか起きてないのか、わからない。
何かが得られたという実感もない。
現職員、妻様は「生長の家を捨てようとした」といっておられますが、
わたくしは、生長の家に捨てられたのです。

ふられた相手にうらみつらみを述べ立てる。
「見返してやる〜ぅ」と切磋琢磨する。
相思相愛でうまくいっている人々に嫉妬する。
ふられたものの考えることとは、だいたいこのようなものでございます。

見返すための、独学がはじまりました。
飢えたチンパンジーのごとく、食えそうなものには見境なく飛びつきました。
何年かの年月がすぎ、気づいたときは、すっかり真理オタクと化しておりました。

「パラノイアとは堕落した理想主義だ」といってる人がいました。
まさにそのとおりだと思いました。
ふられて自暴自棄となったわたくしは、信仰者としての道をはずれて堕落しました。

>初心者さま隠れファンは、
案外多いんですよ

わたくしは、みなさまから見れば、道を踏み外した外道でございます。
そんなわたくしを受け入れてくださる方がおられるのであれば、
こんなうれしいことはございません。

昨日は、ブログ管理人様のおはからいにより、
『生命の實相』の奥義にふれることができました。
少しばかり手応えを感じました。

山ちゃん1952様も救いの手を差し伸べてくださってます。
わたくしはひょっとして回心できるのでありましょうか。

まだまだ道は険しゅうございます。
ふられていじけまくり、
ついには道を踏み外してしまった外道がどこまで回心できるのか。
それが試されているような気がいたします。

414: 役行者 :2011/06/22(水) 22:39:55
初心者様

お久しぶりですね。
しばらく見ないうちに、状況は一変してました(*_*)ちょっと、待っててください。私も参戦しますので・・・

それにしても、雅春先生に訊けブログ様、貴男には敬意を表します!

トキ様、生政連の問題は生長の家にとって、避けては通れない、必ず解決しなければならない問題です。タケシのテレビタックル、朝まで生討論どころか、一週間徹夜討論をしなければならない逃げられない問題なのです!
生長の家が新生するためにも、近未来に必ず、全信徒でこの踏み絵を踏み、赤裸々に語る日が来なければならないのです!

415: 初心者 :2011/06/22(水) 23:01:29
役行者様へ

よそで浮気でもなさっておられたのでありましょうか。本当に久方ぶりにお会いするような気がいたします。

今回の「寂光論争」は、わたくし的には、真理の中核に位置する大問題なのであります。わたくしの考え方は、そうとうに倉田百三氏よりでありますが、いささか手の込んだものとなっております。

乾坤一擲、皇国の荒廃この一戦にあり、の覚悟で論争にのぞむ所存であります。とはいえ、誌友会的雰囲気で和気あいあいと語り合ってゆきたいというのが本音でもあります。なごやかな雰囲気で、いと高き真理の味わいを心ゆくまで楽しもうではありませんか、です。

416: 役行者 :2011/06/22(水) 23:48:54
初心者様。手始めに、お伺いします。
現象世界は矛盾を内包している、だからこそ、神を見いだせる。
矛盾が存在するからこそ、神を観ることができる。
と初心者様は仰っていると思います。
 このことに関しては、なるほど、その通りだと思います。
そして、その矛盾は、バースペクティブにより生じた。
神は良しとした。そうですね。ここは、谷口実相哲学からいうと、
認められません。如何に?

417: 役行者 :2011/06/23(木) 06:43:44
>初心者様へ
先ほどの投げかけを、もっと膨らましてお伺いします。

>この念のレンズをパースペクティブと置き換えることは
できませんでしょうか。パースペクティブのない実相世界に
パースペクティブを効かせる。すると、自と他の違いが生じ、
物事がゆがんで見えてしまう、不完全な現象世界があらわれる。
現象世界のあらわれ方を、このように単純化して考えることが
できるのではないかと思います。

つまり、パースペクティブが現象を生んだことになります。
それでは、パースペクティブはだれが創造されたのでしょうか?

別の言い方をすれば、
>簡単に申しますなら、現象の悪はどのようにしてつくられるのか、
これを明らかにする必要があるのではないかということです。
「現象はない!」ではなく「現象がなぜあるのか」


これだと思います。現象はなぜ存在するのか?
このような内容になると、倉田百三氏との「寂光論争」で果たして補えるのか、どうか・・・
地球という三次元空間、誕生秘話、と話が進んできます。
元に話を戻しますと、まぼろしの現象世界を生んだ
パースペクティブの正体は一体何なんでしょうか?
初心者様はもちろん、雅春先生に訊けブログ管理人様ほか、
皆様。どう思われますでしょうか?

418: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/23(木) 09:55:27

>役行者さま

 わお、突然お現れになったと思いきや、もうそのやり取りを開始されまし
たか(笑)貴殿も入って頂ければこれ、おもしろい話になりそうですね。貴
殿が初心者さまに問いかけられた点、これ、愚生理解と(ほぼ)同様です。
今後のやり取りを同じOSで行えそうでありまして、大いに期待をする次第と
いう・・・

 ・・・さて以下、余談めいた話をツラツラと。まあ、余談とは申せ、「藤
原先生ならばなんと返答するだろう」なんてことを、妄想してみようかと・
・・
 まあ、このジジェク要塞≠ナありますが、攻略命令(※)を拝した光軍
(こうぐん)藤原第一師団ならば、どんな方針を下知されるでありましょう
か。そして、戦術指示を待つ我が小隊において、もしも下士官が「師団長閣
下のご決心、いずこに在りや?」と問うてきたならば、小隊長の私はどう返
答すべきでしょうか。

たぶん今の私ならば、こう返答すると思います。「藤原閣下はおそらく、抜
刀銃剣戦術は採用せぬであろう」と。そして「要塞内部に対し宣撫戦を展開
されるであろう」と。
つまり「あの要塞は溶かす≠ノ限る」てな下知が「我が小隊に届くであろ
う」と。まあたぶん、そんな返答が適当なものになりましょうか。

 ・・・藤原敏之先生が、もしもこのジジェク氏と対峙したならば、おそら
く「それ、設問が間違っておりますなあ」くらいのことを、軽やかな関西弁
にて、おっしゃるのかもしれません。上述喩え話の意味を補足するならば、
まあ、そんな所になろうかと。

<註>

※ 攻略命令
(>初心者さま)
 云うまでもないことですが、これ、「言葉のアヤ」ってヤツですんで(笑)
あと、http://www.youtube.com/watch?v=_GD69Cc20rwにてジジェク氏の主張
を(まあ、概要になりますが)把握した点は、ご報告申し上げておきます。
有益なやり取りを期待する次第です。

419: 役行者 :2011/06/23(木) 11:24:28
>雅春先生に訊けブログ様

 ジジェク氏の演説を聴こうと、紹介してくださったURLを開きました。
ニューヨークにてこれは、ジャーマン語ですか・・・私には到底、理解できる
能力がなかったのです。とりあえずご報告まで。

420: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/23(木) 11:58:33

>役行者さま

 これはスロベニア訛りのイングリッシュでありましょう(笑)まあ私のヒア
リング力は、フィリピンパブ仕込みときてますから、不確かではありますが。

 しかし余談が過ぎますが、フィリピンパブ嬢の話す日本語・・・正調だった
りすることがあります(笑)まあ彼女らが使う日本語テキストが、戦前の日本
語をベースにしているためなのかもしれません。「ソレハ、イサギヨシトシナ
ーイ(それは潔しとしない)」なんて言われ、感動したことありましたが(笑)

421: 初心者 :2011/06/23(木) 12:12:22
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

ブログ管理人様は英会話が堪能でらっしゃるのでしょうか?わたくしも、20代のころには、英国人、米国人、オーストラリア人などの知人がいて、そこそこに会話が成り立っていましたが、その後、言語学の問題にとりつかれて、「言葉とは何か」と考えているうちに、「英語を使うとバカになる」という結論を得たのであります。

最近になって同様の主張をする学者があらわれ、わたくしの考えは間違っていなかったとの意を強くしているところです。負け惜しみとも捉えることができますが、以来、英語とは極力かかわらないように生きてきたために、比較的、聞き取りやすいと思えるジジェクの発音にたいしてさえ拒絶反応が出てまいります(たしかにキャピダリズムとか言ってますね。それと、スラブ語なまりとでもいうのでしょうか。英語だかなんだか、どうもよくわからず、スラブ語圏の言語のようにも聞こえてまいりますね)。

英語にかんしては、会話だけでなく文字にたいしても拒否反応が出てまいります。「大和民族は英語を使うな」。これがわたくしの主張なのであります。かつて、ロラン・バルトという言語学者が来日したことがあるそうです。わずか2、3週間の滞在であったそうですが、このわずかな期間に「日本語は天皇制によって支えられている」と看破したといいます。

ロラン・バルトはフランス人ですが、欧米の言語と日本語のちがいを明らかにしました。バルトは「シニフェなきシニフィアン」とこのように日本語を位置づけました。シニフィアンが、キリスト教学的シニフィエによってガチガチにしばりつけられた欧米語をバルトは嫌悪し、シニフィエに縛られることなく、シニフィアンが自在に跳梁跋扈する日本語を、バルトは好意をもって評価したということです。

シニフィエなきシニフィアンが可能であるのは、天皇制あればこそだとバルトは言っていたそうです。キリスト教学的体系に支配されざるを得ない欧米語と、天皇制によって支えられた空虚によって織りなされる日本語は、本質的にまったく異なる言語であるとわたくしは理解しました。負け惜しみと捉えられそうですが、この理解により、英語とは、ここ四半世紀、まったく疎遠となっております(わたくしが英語を嫌うのは、キリスト教にたいする嫌悪感が土台にあるような気がいたします)。

できますならば、ジジェク発言にかんしてのブログ管理人様による解説をお願いしとうございます。

422: 初心者 :2011/06/23(木) 12:17:09
役行者様へ

役行者様のご参戦により、なんとも面白い展開になってまいりました(とってもワクワクしております)。

パースペクティブにかんしましては、すでに拙文において明示しておりますように、「根拠はない」、「何となくそんな気がする」といった程度の理解であります。あえてパースペクティブ理論を提示いたしましたのは、これを用いることで説明が簡単となり、理解していただくのが容易になると考えたためであります。

したがって、パースペクティブ理論は、わたくしの本筋の理論とはかなりかけ離れたものなのでありますが、いちど提示いたしましたる以上は、これを使い続けざるを得ないということです。説明に一貫性が欠けるとか、矛盾が生じるとかの弊害が出てくるとは思います。かなり苦しゅうございますが、このまま使い続けることといたします。

これからのわたくしの課題は、本筋の理論とパースペクティブ理論の整合性をどのようにして確保するか、ということになってまいります。これはかなり難度の高い作業であります。しかし、こうした作業もまた、わたくしにとりましては勉強のひとつでありましょう。

このような次第でありますので、先の見通しは立っておりません。途中でボロが出る可能性がありますが、とりあえずはじめることにいたします(役行者様に突っ込まれまして、本当にかなり苦しいのでございます)。

おっしゃられておりますように、倉田百三氏の「寂光論争」でこの問題を捉えるのは、ほとんど不可能であるといえます。「寂光論争」を超えるために、まずはひとつの仮説を提示いたします。「3次元空間はパースペクティブによって創造された」。これを仮説として提示いたします。

この仮説に基づいて、役行者様が提起されました「パースペクティブはだれが創造されたのでしょうか?」の問いについて考えることにいたします。すると、「パースペクティブは神によって排出された」という答えが、わたくしの本筋の理論との整合性から導き出されるのであります。パースペクティブは、創造されたのではなく排出された。これが現時点でのわたくしの答えであります。

423: 役行者 :2011/06/23(木) 14:08:55
>雅春先生に訊けブログ様

  それはそれは、フィリピンパブにて武士道を教わるとは・・・
ネオン街もまんざらではないですね。わたしも結構好きですから・・・

>初心者様

>このような次第でありますので、先の見通しは立っておりません。
途中でボロが出る可能性がありますが、とりあえずはじめることに
いたします(役行者様に突っ込まれまして、本当にかなり苦しいので
ございます)。

ゆっくりと、いきましょう。お互いにスキだらけの人生を楽しみましょう。


>「3次元空間はパースペクティブによって創造された」。
これを仮説として提示いたします。

>この仮説に基づいて、役行者様が提起されました「パースペクティブは
だれが創造されたのでしょうか?」の問いについて考えることにいたします。
すると、「パースペクティブは神によって排出された」という答えが、
わたくしの本筋の理論との整合性から導き出されるのであります。
パースペクティブは、創造されたのではなく排出された。
これが現時点でのわたくしの答えであります。



私の方も、難題を質問してしまいまして、逆に追いつめられております。
神によって、排出?
排出とは  内部にある不要の物を外へ押し出すこと。ですよね。
エデンの園追放劇ですね。

となると、神の地球計画において、神により排出された存在により現象が
生じた。
なるほど、現象はない!!と断言する神からは認められてないという
ことですね。
パースペクティブは神からなぜ排出されなければならなかったのか?

この矛盾に満ちた現象世界を創造するためにですか?

その矛盾のなかから、リベンジをパースペクティブは神から与えられた
のでしょうか?

つまり、具体的にいうと、生活していると世知辛い矛盾が押し寄せてくる。
それを、ポジティブに捉える。そこに、神を観じる。
いや、そこに神が現れる。

神によって、不要なものとして出されたパースペクティブは、
何故に現象世界を創造されたのでしょうか?

424: トキ :2011/06/23(木) 15:13:41
>>414

役行者 様

 ご意見に賛同します。

 生長の家政治連合は、今なら、当事者が多数おられますから、きちんと総括をするべきだと思います。

谷口清超先生も、当時の理事長だった和田英雄先生もこの数年で亡くなられました。今後の運動のあり方を考える上でも、
徹底的に考えるべきです。

合掌 ありがとうございます

425: 初心者 :2011/06/23(木) 16:18:35
役行者様へ

おたがい、ギリギリの勝負となってまいりしまたね。
このような早い時期に、核心部分にまで追い込まれるとは、思ってもみませんでした。

>パースペクティブは神からなぜ排出されなければならなかったのか?

神は、神ならざるものを創造する必要があった。
世界は神一元であり、神ならざるものはどこにも存在しなかった。
そこで神は、神ならざるものを創造する必要があるとお感じになられた。

神ならざるものを創造できるのは神だけ。
しかし神は、神ならざるものが何であるかをご存じではなかった。
なぜなら、神ならざるものはどこにも存在しなかったから。

神は、どのようにすれば神ならざるものを創造できるかとお考えになられた。
神はとりあえず、神ご自身のいちぶを排出してパースペクティブをこしらえてみられた。
するとそこに、神ならざる世界があらわれた。

神はお喜びになり、パースペクティブによって出現した神ならざる世界を使って、
神ご自身をながめてみようとなされた。

そのために、神の本質としての実相を、
パースペクティブによって虚構された神ならざる世界に注ぎ込んでみられた。

これにより、神ならざる世界に神が出現した。
神は、神ならざる世界に神ご自身を置くことに成功なされた。

神は、神ならざる世界の探索をおはじめになった。
探索の結果、神ならざる世界に「悪らしき姿」や「不完全そうな姿」が充満していることをお知りになった。

神は、神ならざる世界の「悪らしき姿」を見ることにより、
神ご自身が善なる姿であることをお知りになりました。

神は、神ならざる世界の「不完全らしき姿」を体験することにより、
神ご自身が完全な姿であることをお知りになったのです。

>つまり、具体的にいうと、生活していると世知辛い矛盾が押し寄せてくる。
それを、ポジティブに捉える。そこに、神を観じる。
いや、そこに神が現れる。

役行者様のおっしゃられるとおりだと思います。
神は、神ご自身についてお知りになるために、
神ならざる世界に神ご自身をあらわしてみようとなされた。
この場において、このようなストーリーを提示いたしました。

とりあえずは、わたくしが提示いたしましたストーリーを吟味していただいて、パースペクティブによって虚構された世界にかんします見解が一致いたせば、雅春先生から提示していただいた「寂光論争」へと突入いたしたく存じます(そうなれば、ますます苦しい立場へと追い込まれるやもしれませぬ。ブログ管理人様は、仕事でいそがしいのをよいことに、役行者様とわたくしを戦わせておいて、ご自分は高みの見物をきめこんでおられるのでありましょうや)。

いずれにしましても、「神はどのような方法でパースペクティブを排出なされたのか」や「どうやって神ならざる世界に神を注入なされたのか」といった問題が未解決なままに残っております。このあたりの問題へのツッコミはしばらくご遠慮いただいて、『生命の實相』への突入(乱入?)を最優先に考える、というのはいかがでありましょう。

426: 役行者 :2011/06/23(木) 19:01:43
>トキ様
  実現までの工程表を作成しなければならないですね。大がかりですよ。
その時には、初心者様も雅春先生に訊けブログ様も同席のほどを!!(笑)


>初心者様
確かにぎりぎりで、腑に落ちないところがありますねぇ〜

>神は、どのようにすれば神ならざるものを創造できるかとお考えになられた。
神はとりあえず、神ご自身のいちぶを排出してパースペクティブをこしらえてみられた。
するとそこに、神ならざる世界があらわれた。

これはあくまでも物語であると知っていながら突っ込みますが、ここが短絡的すぎます。
神一元であるのに、排出はできません。

生長の家で説かれている、神の第一創造、神の第二創造という教えがあります。それは、創世記から由来されているのですが、途中で神の名称が、“神”から“主なる神”に変わるのです。雅春先生は、現象世界は神の第二創造によってなされたと、仰っています。
また、神と創造主の二元論によって創られた世界というのが、生長の家出現前、雅春先生が、“聖道へ”という書物で綴られておられます。
ご参考にしてください。

まあ、難解です。ここのところは互いに深く学ばねば、また魂を一層向上させねば・・・と、これからおいしいビールを飲みに行くので、しばし・・・(笑)

427: 初心者 :2011/06/23(木) 20:22:13
役行者様へ

>これはあくまでも物語であると知っていながら突っ込みますが、ここが短絡的すぎます。
神一元であるのに、排出はできません。

やはり突っ込まれましたか。突っ込まないようにと、いちおうクギを刺してはおいたんですけど。

この部分なんですよ、問題は。排出であれ、流出であれ、神一元の世界においては、これは不可能なんです(ここまで追い込まれるとは、まったく予想もしておりませんでした)。

ですけども、何が問題かというと、神が神ご自身の姿を知るためには、どうしても神ご自身を外在化する必要があるということです。これはたしかなのですね。外在化できなければ、神は神自身の姿を見ることができないのです。

しかもこの問題を、何が何でも、二元論ではなく、神の一元論で解決しなければならない。こういう厳しい制約があるわけですね(だんだんと追い込まれてゆく自分を感じております)。

つまりですね、問題は、自分で自分の姿を見るということなのです。どうやれば、自分で自分の姿を見ることができるのか。この問題を解決すればよいということなのです。

ここでの大問題は、神は神ご自身の姿をご存じではない、ということなのです。神にとって外部は存在しないわけですから、外から自分の姿を見るわけにはゆかない。したがって神は、神ご自身の姿をいちども見たことがないということになりますので、神はご自分の姿をご存じではないということになるのです。

こういう厳しい条件のなかで、神は神ご自身の、いちども見たことのない姿を、あるはずのない外部に外在化しなければならないのです。これができなければ、神は永遠に、神ご自身の姿を見ることができなくなってしまわれるのです。

そこで神は特別な装置をお作りになりました。その装置とは、なんでもかんでも映し出せる装置でした。とにかくデタラメに、意味のありそうなものもなさそうなものも、ありとあらゆるものを映し出す装置です。

この装置には、じつは重大な仕掛けがほどこされていて、映し出したものとおなじものが神のなかにあれば、たがいに共鳴して、ピンポーンとランプが灯る仕掛けになっていたのです。ランプが灯ったのを確認した神は、映し出されている映像をハードディスクに記録します。こうやって記録の量を増やしてゆけば、神にかんする大量の情報がハードティスクに記録されてゆくことになるのです。

そうしてこの情報をもとに、映像をこしらえます。この映像こそが現象世界なのです。ハードディスクには、神にかんする情報がランダムに記録されていますから、映し出された映像は、一見すると不完全に見えます。しかしそこには、神にかんする十分な情報が映し出されているということになるのです。

ここから神の体験がはじまります。不完全な映像のなかに、神は、神ご自身の姿を見いださねばならないのです。これこそがまさに、自分で自分の姿を見るという困難な作業なのであります。この作業を遂行するために、神は、ありとあらゆる断片に、神はご自分の姿を見なければならないのです。

リンゴは神の一部なのです。イヌやサルもまた神の一部なのです。山も川も神の一部です。そのひとつひとつを体験しながら、神は神ご自身の全体像をこしらえなくてはならないという、そういう困難な作業を、この現象世界でおこなっておられるのです。

これがパースペクティブとどういう関係があるんや?いえいえ、ここまで追い込まれますと、パースペクティブがどうのこうのとは言っておれませぬ。なりふりかまわずデタラメな情報を書きまくって、混沌のなかにひそんでいるであろう有用な情報を、役行者様に拾い集めていただくことにいたします。こうした作業こそが、この現象世界で神がおこなっておられる作業なのですから(ほとんどやけになっております)。

人が困りはてているときにビールでござりまするか。情報の拾い集めは、役行者様にすべておまかせいたしまするぞよ。

428: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/24(金) 04:05:46


 いやー人が仕事している間に、なんかトンデモない展開を見せているじゃ
ないですか。ああもはや「一区で出遅れた〜」な感じの、高校駅伝チーム状
態ですね。
 とは云え、まあ、この「人が仕事している間に」の、この仕事内容につい
てですが、実は「キャバクラで接待」の意味ではあるのです・・・あっ、誰
ですか、「気楽でいいですね」なんて申される方は。もう今回の接待ですが、
ホント最悪でしたよ(現象的には、ねw)団塊世代のオヤジ、否、ロマンスグ
レーなナイスミドルのおじさま方による「オヤジギャグ・フェスティバル」と
化しました今回接待、でありまして、さらに「オレらが若い頃ワ〜」節も炸裂
し、そしてその上・・・(中略)・・・まあ、要件などを。

 いやなんか、参入タイミングを逸している感、アリアリです(笑)もうすこ
し状況を見ながら割り込んでいこうかと、こう考えております。今は頭の中、
オヤジギャグが炸裂中で・・・(中略)・・・モードチェンジ不能と云う。

429: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/24(金) 07:30:33
>初心者さま
>役行者さま

『人間死んでも死なぬ』よりアップしました。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65560893.html#more

 たぶん、解決のための一転語≠ニは成りえぬでしょう。しかしながら、
錯綜する議論に於いて「新論点の提示」「話し合い再開のための糸口」くら
いにはなろうかと、このように愚考致します。

追伸

 昔、先輩が教えてくれた「仕事、早いね!」と言われるためコツ。
 それは・・・予定される資料を用意した上で「 設 問 を 設 定 し 
て い く こ と 」(笑)


 いやしかし、予定より早くなりましたんで、焦りましたが(笑)

430: 役行者 :2011/06/24(金) 07:56:35

やあ、初心者様、混沌としてきましたね。初心者様の頭の中が・・・(笑)
されど、神は秩序なり。と私は信じています。

>ですけども、何が問題かというと、神が神ご自身の姿を知るためには、
どうしても神ご自身を外在化する必要があるということです。
      
 このことは、理解できます。まあ、このようにして、人間の知性が、
神なるイメージを想像してきたのでしょうね。そのなかで、
究極の真理を悟られた方々によって、聖典という書物が編纂されてきた
ものと信じております。
      
 そこで人類の英知によって編纂された聖書を紐解いていくのが
宜しいのではないかと、存じます。
雅春先生が説かれている、神の第一創造、神の第二創造という教えは、
創世記を紐解いておられるのですが、途中で神の名称が、
“神”から“主なる神”に変わるのです。神の項では、神の地球創成物語、
主なる神に突然変わりまして、そこからはまず、地球のチリによって
アダムが創造され、森羅万象一切のものが創造されたあと、最後に、
アダムが深い眠りに就いて、イブがアダムの肋骨より創造される。
これぞ、骨の骨、肉の肉と、言われて・・・と続くのです。
ここで、初心者様の言葉を持ってきます。

>「近代は自然状態からのひきこもりによって始まった」というのが、
わたしの好きなジジェクの主張ですが、説明がいまひとつ理解できずに
おります。コギトを思いついたデカルトが、そのときたまたま、
あまりの寒さに耐えかねて暖炉部屋にひきこもっていた、
というのが論拠のひとつになっているようです。
巨大な頭脳を持て余すような人は、このような些細なことから、
重大なる真理に到達できるようでもあります。

現代人が自然状態からのひきこもりを続けているのはたしかなようです。
ただし、ジジェクがいう「自然」とは、たんなる自然的世界ではなく、
客観的世界の意味を持つようです。客観的世界から主観的世界への
ひきこもり?ことの重大さが、わたくしにはまだわかっていない
のかもしれません。

聖書のおける第一創造は、自然界の客観的世界でした。
それが、第二創造において、主観的世界にストーリーは進んでゆくのです。
つまり、認識の世界が展開されているのではないかと、思っております。

>ここから神の体験がはじまります。不完全な映像のなかに、神は、
神ご自身の姿を見いださねばならないのです。これこそがまさに、
自分で自分の姿を見るという困難な作業なのであります。
この作業を遂行するために、神は、ありとあらゆる断片に、
神はご自分の姿を見なければならないのです。

このことは、神の第二創造のことを述べられているのではないでしょうか?

客観的世界から主観的世界へのひきこもり?これは、太古の昔からあった
のかもしれません。

そのようななか、和歌をとおしたりしながら、>リンゴは神の一部なのです。
と、そこに神を観たりしていたのでは・・・


そこで、山ちゃん1952様。
>明恵上人のことですが、昨年10月頃に京都嵯峨の高山寺に行きました。

いいですね。わたしも是非、行ってみたいところの一つです。

あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月

何とも・・・月のなかに神を観、客観的世界の絶賛でしょう!!
山ちゃん1952様。贅沢な願いですが、もっと、日本的情緒の世界を
垣間見てみたいです。

雅春先生に訊けブログ様。やあ、接待とはゆえ、いいですね。わたしゃ、
ビアガーデンで、旧友とカン首相の悪口を言って、帰ってきました。
カンさん、植物人間となり、延命させられてまっせぇ〜
消費税導入まで何が何でも、辞めないような気がします。
タケシのテレビタックルでも言っておりましたが、
やっぱり、まず、税収が20兆も減ったのですから、
税収から貪っている公務員給料の是正から始めるべきではないか・・・
順序が違うよ。やあ、思わず愚痴を・・・(笑)

431: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/24(金) 08:30:21
>役行者さま

 この議論に合わせブログ記事をアップしましたが・・・役行者さまご主張の
線でお進めください。しばらく静観させて頂き等存じます。(非常におもしろ
そうなので)

 ちなみに余談が過ぎるわけですが、

>税収が20兆も減ったのですから、
>税収から貪っている公務員給料の是正から始めるべきではないか・・・

 に関してですが、これに関しては愚生、ある疑問を抱く次第であります。
結論から申すと「日本政府には¥、まだまだザクザクある」というのが私見
です。
 一例を挙げますと、日銀の通貨介入額なんですが、3.11以降増大しており
ます。総額なんと100兆円規模(!)とか。(ちなみに納税者ひとり当たり換
算でいきますと¥300万円という規模です)まあ私は菅総理(財務省のエージ
ェント)の申す「政府に¥がないのよ〜」「だから国民、ガマンしてよ〜」
てな主張、全 く 信 用 し て お り ま せ ん (笑)

余談の余談

 オヤジギャグフェスティバルよりも、真理の話を行ないたいものです(いや
これ、本音です)

432: 初心者 :2011/06/24(金) 09:10:12
役行者様へ

>やあ、初心者様、混沌としてきましたね。初心者様の頭の中が・・・(笑)

何をおっしゃるウサギさん、でございまするよ。わたくし初心者は、いやしくも真理オタクでございまするのよ。これまでの話の展開を、これからビシッと整理してお目にかけまする。

何が話し合われているのかといえば、それはいうまでもなく「寂光論争」なのであります。そこで、これまでの展開が、正真正銘の「寂光論争」であることを、これより説明いたしまする。

そのために、「神は情報なり」と仮定いたします。神は情報によって構成されている、とこのように見なします。もちろん、情報とは、神にふさわしき情報でございます。「寂光論争」とは、この情報がどこにあるのか、という問題なのであります。

雅春先生がお説きになっておられる事柄を、畏れながら「実相モデル」と呼ばせていただくことといたします。倉田百三氏の考えを「寂光モデル」とします。実相モデルと寂光モデルとでは、情報の在り処が異なっておるのでありまする。

実相モデルでは、情報はハードディスクに記録されております。ハードディスクを読み取ることで情報が取り出せます。取り出した情報をもとに映像をこしらえれば、それが完全なる実相世界の風光となります。

寂光モデルの情報は、空間に、波動として保存されております。この情報は、取り出すことができません。情報のすべてが、混然と一体化され、分離も分割も不可能だからです。そのために、読み取ることができないのです。

読み取ることができないために、それは「寂光」と見なされます。しかし、この情報を取り出す方法がひとつあります。それが、昨日紹介いたしました「ピンポーンとランプが灯る装置」なのであります。

仕組みは、テレビのアンテナとほぼ同じであります。波動の共鳴や共振といった現象を利用すれば、分割不可能な情報を、分離して取り出すことが可能となります。この場合は、情報を、試行錯誤をくり返しながら、ひとつひとつ取り出すことになりますので、すべての情報を取り出すには、無限ともいえる膨大な時間が必要です。

「ピンポーンとランプが灯る装置」を使って取り出した情報を、そのつどハードディスクに記録いたします。この情報をもとにつくられた映像が現象世界です。ハードディスクの情報は、時間がたつにつれて増大いたします。無限の時間をかけて、徐々に神の姿に近づいてゆくことになります。神のすべての情報が記録されたとき、このハードディスクは、実相モデルのハードディスクとほぼ同じものとなります。

寂光モデルの「ピンポーンとランプが灯る装置」と「外付けハードティスク」は、神がおつくりになったと考えるよりほかはありませぬ。またパースペクティブ理論を寂光モデルに適用する必要はなく、むしろ実相モデルにこそ適用が必要であると考えます。

以上が、これまで話し合われてきた「寂光論争」の骨子なのでありまする。

433: 初心者 :2011/06/24(金) 12:09:15
役行者様へ

>聖書のおける第一創造は、自然界の客観的世界でした。
それが、第二創造において、主観的世界にストーリーは進んでゆくのです。
つまり、認識の世界が展開されているのではないかと、思っております。

仰せのとりおです。鋭い読みだと思います。役行者様の言葉から、またしてもドイツ観念論の話となりますが、ドイツ観念論の硯学、シェリングを思い出しました(ちょっとばかし格好をつけさせてくださいまし)。

役行者様がいわれておりますことは、まさしくシェリングがたどった道であります。シェリングは自然的世界をながめることで、不思議な感慨にとらわれることが多かったといいます。その感慨とは、自然的世界とシェリング自身の内的世界が深くつながっているのではないかという予感であったようです。

こうした予感からシェリングの哲学がはじまります。自然は沈黙しているけれども、いつか自分にたいして語りかけてくるのではないか。あるいは、シェリング自身が、自然にたいして語りかけることのできる言葉を、いつか持てるのではないかと、こうした予感をいだくようになったといいます。

シェリングは、自然的世界を神の第一創造と捉えていたはずです。その自然的世界と深くかかわりを持つことで、神の第二創造が成し遂げられるとも捉えていたはずです。役行者様がいっておられることそのままを、シェリングは予感し、この予感から哲学的思索がはじまったといってよいのかもしれません。

ひょっとすると、明恵上人も、シェリングと同じような契機から、自然的世界をながめていたのかもしれませんね。

あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月

これは、明恵上人が、月を題材に、自然的世界に語りかけた言葉であるのかもしれません。島に手紙を出した。明恵上人は、自然的世界と深くつながることのできた人であったのかもしれません。

役行者様の鋭き洞察力に感謝いたします。

434: 初心者 :2011/06/24(金) 12:12:06
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

ジジェクの話す姿と、動く姿をはじめて見たです。
これだけのド迫力演説を見せつけられれば誰だって、
ムチでぶって〜
ローソクたらして〜
てな気持ちにもなろうってものです。

それにしてもブログ管理人様は、
これからも参観王を続けられるおつもりでありんすか。

435: 役行者 :2011/06/24(金) 12:48:25
 初心者様へ。
 いやはや、花金が消えそうです。

 感無量!圧巻であります。
 東西の融合ですね。実に気持ちいい。
 ただ、一点、疑問があるので、また、後ほど!!

436: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/24(金) 15:31:51
>初心者さま

 いやー参入障壁がありまして(笑)
 いま2点ほど「うーむ」な疑問がありまして、ですね、そしてこのタイミ
ングで提示しちゃいますと、役行者さまご提題を邪魔してしまいそうなので
す。ですんでしばし、静観します。
 (ちなみに仕事中の「チラ見の見物」ではありますが、決して高見の見物
ではございませんw)

 一点だけ感想を述べますと、貴殿がご提示なされた視点ですが(ハードデ
ィスク云々)これ、ニール・ドナルド・ウォルシュという人が『神との対話』
で触れておられます。まあ彼のは「ゲームを喩えに」したものでありまして、
そして「ゲーム機のジョイスティックで、いろいろな結末があるでしょ?」
てな趣旨のお話しをしておりましたね。「神は常にあなたに問うておられます。
『どんな結末が欲しい?』と」そして(望まないものが現れたら)「また選択し
直せば?」とも。

 ただブログ更新は貴殿さま達のお陰を持ちまして、超頻繁になっております
が(笑)本日も千客万来でありがとうございます。

437: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/24(金) 15:38:42
↑補足

 グーグルで「谷口雅春」を検索語に致しますと、2位表示されるくらいに
なりました(笑)
 しかしなぜか「本流管理人殿」への掲示文が、今でも視聴率が高いのが残
念ですがね(笑)「藤原先生のも、読んでよ」なんですけど・・・

438: 初心者 :2011/06/24(金) 19:23:12
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

>いま2点ほど「うーむ」な疑問がありまして、ですね、そしてこのタイミ
ングで提示しちゃいますと、役行者さまご提題を邪魔してしまいそうなので
す。ですんでしばし、静観します。

今のブログ管理人様のお立場は、まさしく「香厳上樹」ではおじゃりませぬか。
「道」を尋ねるものがおるにもかかわらず、ものが言えぬとは、
いかほどのことがおじゃって、そのようなことが言えるのでおじゃりましょうぞ。

439: 役行者 :2011/06/24(金) 19:39:49
枝を噛んで、全身を支えているので、仕方なきことでしょう。
あと、一時間半、待っててください。
花金を捨てました。

440: 役行者 :2011/06/24(金) 21:12:40
はあ・・・

>初心者様
>雅春先生に訊けブログ様

はあ・・・

10分しかないので結論を述べます。

>そこで神は特別な装置をお作りになりました。その装置とは、なんでもかんでも映し出せる装置でした。とにかくデタラメに、意味のありそうなものもなさそうなものも、ありとあらゆるものを映し出す装置です。
 この装置には、じつは重大な仕掛けがほどこされていて、映し出したものとおなじものが神のなかにあれば、たがいに共鳴して、ピンポーンとランプが灯る仕掛けになっていたのです。ランプが灯ったのを確認した神は、映し出されている映像をハードディスクに記録します。こうやって記録の量を増やしてゆけば、神にかんする大量の情報がハードティスクに記録されてゆくことになるのです。
 そうしてこの情報をもとに、映像をこしらえます。この映像こそが現象世界なのです。

上記と、下記です。


>「ピンポーンとランプが灯る装置」を使って取り出した情報を、そのつどハードディスクに記録いたします。この情報をもとにつくられた映像が現象世界です。ハードディスクの情報は、時間がたつにつれて増大いたします。無限の時間をかけて、徐々に神の姿に近づいてゆくことになります。



 現象世界というのは、三界は唯心の所現という真理がございます。これが、現象世界です。
 つまり、>神は特別な装置をお作りになりました。その装置とは、なんでもかんでも映し出せる装置でした。とにかくデタラメに、意味のありそうなものもなさそうなものも、ありとあらゆるものを映し出す装置です。
 という世界です。

>「ピンポーンとランプが灯る装置」を使って取り出した情報を、そのつどハードディスクに記録いたします。この情報をもとにつくられた映像が現象世界です。

でなくこれは、

>「ピンポーンとランプが灯る装置」を使って取り出した情報を、そのつどハードディスクに記録いたします。この情報をもとにつくられた映像が現象世界のなかで、神が良しとした世界!!

ということです。あしからず、時間が来ました。

441: 初心者 :2011/06/24(金) 23:01:35
役行者様へ

>花金を捨てました。

捨てておられんのではございませぬか?

>「ピンポーンとランプが灯る装置」を使って取り出した情報を、そのつどハードディスクに記録いたします。この情報をもとにつくられた映像が現象世界のなかで、神が良しとした世界!!

神が良しとした世界!!

生きてみることにいたしました。

現実の世界にもどります。

では、これにて。

442: 役行者 :2011/06/24(金) 23:39:57

>初心者様

しばし、また話を膨らませます。


>神は特別な装置をお作りになりました。その装置とは、
なんでもかんでも映し出せる装置でした。とにかくデタラメに、
意味のありそうなものもなさそうなものも、ありとあらゆるものを
映し出す装置です。

これは、明らかに寂光と定義できるでしょう。
実相なる神からは、寂光を排出することができないのでは・・・
この世界は、明らかに、先ほども触れましたが、「三界は唯心の所現」
なる世界で、現象世界です。

この混沌とした、矛盾の内包された現象世界から

>「ピンポーンとランプが灯る装置」を使って取り出した情報を、
そのつどハードディスクに記録いたします。
この情報をもとにつくられた映像が現象世界のなかで、
神が良しとした世界!!

つまり、矛盾の奧に、神を見いだす。すべての出来事をポジティブに捉え、
そこに神が現れる。そのとき、ピンポーンとランプが灯るのではないでしょうか?

> 「ピンポーンとランプが灯る装置」を使って取り出した情報を、
そのつどハードディスクに記録いたします。

 これは、神の第二創造において、つまり、現象世界において、
神を見いだした記録です。第二創造で、やがて人間は、
エデンの園から追放されます。神の第一創造である自然的世界を
観なかったからです。しかし、この自然的世界と深く関わった人たちが、
神を現し、ハードディスクの情報に記録されていくのです。


>ハードディスクの情報は、時間がたつにつれて増大いたします。
無限の時間をかけて、徐々に神の姿に近づいてゆくことになります。
神のすべての情報が記録されたとき、このハードディスクは、
実相モデルのハードディスクとほぼ同じものとなります。

そのとき、神の地球計画は、千秋楽を迎えるのです。
神の地球計画物語でした(笑)。

443: 初心者 :2011/06/25(土) 12:57:13
役行者様へ

あまりに戦況が不利でありますので、現実世界への逃走をはかりましたが、役行者様の追走にあい、逃げきれずに、ふたたびもどってまいりました。あいも変わらず、先の見通しがたっておりません。その場しのぎの言説を弄し、狙撃手の影におびえる日々でございます。

今一度、ここでの対話の目的を明確化いたしますなら、それは「一致点を見いだす」ということであります。わたくしが、ブログ管理人様の参加を促しますのは、一致点を見いだしたあとに登場された場合には、ふたたび一致点を見いだす作業にとりかからねばならなくなるということであり、それならば、三つ巴の関係のなかで一致点を見いだす作業をおこなったほうが、よりダイナミックな議論ができてよいのではないかと考えるからなのであります。どのような形であれ、とりあえずご参加願いたいと考えるゆえんであります。

さらに、ここで何が話し合われているのかといえば、神一元論で現象世界の出現が説明できるか、ということであります。もしも説明できないということになれば、神一元論を否定しなければならなくなるという事態でもあります。

役行者様におかれましては、神一元論よりの現象世界の出現の仕組みを、ふたつの段階にわけてご説明なさろうとしておられます。第一創造においては、神が直接かかわり、第二創造において人間がかかわってくると、このように説明しておられるように理解いたします。

こうした2段階説において、役行者様から

>つまり、矛盾の奧に、神を見いだす。すべての出来事をポジティブに捉え、
そこに神が現れる。そのとき、ピンポーンとランプが灯るのではないでしょうか?

との発想が導きだされたわけでありますが、見事な発想の転換であるというよりほかはありません。役行者様のこの発想は、わたくしに重要なインスピレーションをあたえてくれるものであります。

役行者様のご主張をひと言でまとめますと、第一創造においては、「ピンポーンとランプが灯る装置」は必要ないということだろうと思います。この点で、わたくしの発想とのあいだで不一致が見られていたわけであります。

こうした不一致は、本源的存在である神の情報が読み取れるのか否や、の見解の違いであるように思われます。わたくしは、情報は読み取れないという立場であり、これが倉田百三氏の「寂光説」を支持する根拠となっております。

「寂光説」の弱点は、「情報を読み取る」という行為にあると思われます。その理由は、「寂光説」では、情報の読み取り手は、あきらかに「外部」に存在しなければならないからであります。「外部」から、ほんらいであれば読み取れるはずのない情報を読み取る。こうした作業をおこなっているものが存在することになるのであります。

つまり、「寂光説」では、「神の外部」を認めなくてはならなくなるのであります。神は、神ご自身の情報をけっして知り得ない立場にあり、神になり代わって、外部の存在が神の情報を読み取る役割を担うことになるのであります。

                          つづく

444: 初心者 :2011/06/25(土) 12:58:20
前回のつづきです。

こうした考え方を「寂光説」で押しとおすとするなら、もはや、通常の「内部」と「外部」という思考方法では理解し得ないということになってまいります。「寂光説」においては、内部とは何か、外部とは何か、ということにかんして、哲学的ともいえる定義が必要になってくるということになるのであります。

宇宙という存在について考えてみます。宇宙には、たしかに外部があります。しかし、宇宙の内部の存在者たる人間にとって、宇宙の外部は存在しません。人間には、宇宙は内部だけでできているように見えるのです。

「寂光説」の神一元論においても、こうした考え方が成り立つものと考えます。神一元論は、一元論であって、しかも二元論ともなりうるということです。神一元論において、わたしたち人間は神の内部を経験しているわけでありますが、こうした内部にも、じつは、わたしたちには経験不能な外部が存在するという話になってまいります。

わたしたちには体験不能な外部こそが、神の本質であるとはいえないでしょうか。わたしたちが、神の一元論として体験している世界がこの宇宙でありますが、しかし、宇宙には、人類には体験不能な外部が存在します。神は、神ご自身の一部をひずませることによって、神の内部に神ならざる空間をおこしらえになった。このひずみこそが宇宙であり、わたしたちは「ひずみ」の外に出ることはできないということなのではないでしょうか。

わたしたちは、神の内部にありながら、神ならざるものという意味で、神の外部の存在として生きているともいえるのではありますまいか。もしそうであるなら、神は、わたしたちには体験不能な「寂光」と感じられることになるはずです。

それなら、わたしたちはどうやって、「寂光」ともいうべき体験不能な外部の情報を読みとっているのでしょうか。それはおそらく、この世界が「ひずみ」であることと関係しているはずです。それが「ひずみ」であるなら、元にもどろうとする力がかならず働いているはずです。この力こそが実相へともどろうとする力であるはずなのです。

元にもどろうとする力に、神の情報が、何らかの形で含まれていたとしても不思議ではありません。この隠された情報を「ピンポーンとランプが灯る装置」で読み取っている。このように考えますなら、これはまさしく、役行者様がいっておられる、第二創造におけるピンポーンなのであります。

445: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/25(土) 15:16:26
>初心者さま>役行者さま

 どうも(笑)呑気にチラ見参戦(?)させて頂いておりまして、非常に申しわけありません。
今、幼稚園のPCをお借りしまして、そしてこんな書き込みをしております。

 本日はバザーでありまして、私は責任者のひとりになっております。いやー、
ですんでなかなか参戦できませんが、一応「間接参加」をさせてもらってはおります
のですよ。

 まあここ最近、本件に関する話題を、ブログにアップ中です。ここに直接書き込み
しますと、まあなにか、不調和なものを生みそうですんで・・・まあ、焦らず、ノンビリ
行きましょう(笑)別に「何月何日までに、結論を出せ!」てな問題でもないので
ありますし・・・いかがでしょうか。

 ちなみにバザーですが・・・3時間連続で「焼きそば」を焼いています(笑)
無論こちら、「炎天下」ときてまして、そしてこの「焼きそばコーナー」は誰も
なり手がつかないという担当箇所なんですけど・・・いやー神の子無限力、今、これ
をデモンストレート中という(笑)

 「暑い」「キツイ」「疲れた」・・・こんな意識が浮上するたびに、ですね、私は
「ああこれで、これらの嫌感は消えた!神様ありがとうございます!」てな認識で
重労働をこなせております。これから片付けに入りますけど、30代のオトーサンから
も「すごい体力ですね」と感嘆されている最中です。
 いややはり、雅春先生の御教えは偉大過ぎまして畏れ多い・・・

追伸

 本日アップした記事http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65561280.html
に関して・・・

 一緒に焼きそば焼いているオトーサンがいるんですけど、彼、養護学校の先生
とか。さっきまでこの、ヘレンケラーネタで盛り上がっておりました(笑)
 ヘレンケラーネタを話題にしながら炎天下で焼く「焼きそば」・・・なぜか整理券
が出るくらいに繁盛してます(笑)ああ畏るべし「焼きそば・ヘレンケラー」

 ・・・ということで後日、彼には『生命の實相』を献本しようかと。

446: 初心者 :2011/06/25(土) 15:28:14
これより、役行者様によって論破された「寂光モデル」について、言い訳じみたことを書かせていただくことにいたします。

「ピンポーンとランプが灯る装置」で語られる「寂光モデル」は、わたくしはいちおう理科系の人間でありますので、現代物理学の主張にたいする対抗手段として考案したものであります。もちろんわたくしは、物理学者でもなければ物理学徒でもありません。素人的な好みで、現代物理学の周縁部をかじってみたにすぎないことを、前もって断っておきます。

標的は量子力学と「ひも理論」でした。量子力学にはいくつもの解釈があり、そのなかで、かつては「標準」とされたコペンハーゲン解釈を、寂光モデルの中心部に取り込みました。情報の読み取りが不可能という「寂光」とは、いまや「古典戦士」と揶揄される、物理学者のデイヴィッド・ボームの理論を取り入れたものなのであります。

ボームは、量子力学を哲学的に解釈した数少ない物理学者のひとりです。量子力学のコペンハーゲン解釈は、人間の意識を中心におきます。世界の出来事は人間の意識によってつくられる。これがコペンハーゲン解釈の主たる主張であると理解しております。

ボームは、量子力学のパイロット波解釈を提出した物理学者でもありますが、中心はやはりコペンハーゲン解釈でした。寂光モデルの中心部に取り込むのに値する、壮大で、あまりにも宗教的すぎる世界観を、ボームは構築してくれていました。

わたくしは、ボームの世界観を中心においた寂光モデルを考案しました。標的は、量子力学の多世界解釈と「ひも理論」です。「ひも理論」の中核は、いまや、Dブレーンとホログラフィック理論のふたつであろうと考えられます。これはいってみれば、宇宙は、Dブレーンと呼ばれるディスプレーに、ホログラフィックな映像として映し出されたマボロシである、という主張です。これ自体は、宗教界としては歓迎すべき主張であります。わたくしが提示いたしました「寂光モデル」にも、当然のことながら取り込まれています。

宗教界にとって問題となるのは、「ひも理論」がたどりついた、マルチバース、あるいはメガバースと呼ばれる理論であり、それと、現代の量子力学で主流となりつつある多世界解釈と呼ばれる主張なのです。このふたつの主張は、これまで宗教界が拠り所としてきた、人間中心の宇宙観を木っ端みじんに打ち砕いてしまいます。ボームのファンタジックな世界観を完膚なきまでに破壊します。宗教界は、何としてでも、マルチバースや多世界解釈に対抗しうる哲学を打ち出さなければならないのです。

昨日、ブログ管理人様より、「神との対話」のなかでふれられているという「ジョイスティック」の話が提示されました。わたくしは、ジョイスティックが何かを知らず、「神との対話」もそのごく一部を読んだにすぎません。したがって推測で書くしかないのでありますが、ブログ管理人様からご紹介いただいた内容は、多世界解釈を強く意識したものであるとの印象を受けました。

「いくつもの結末があり」、「選択し直せる」というのは、あきらかに多世界解釈です。多世界解釈の本当の恐ろしさを、ほんどの人はご存じない。それが地獄の世界を記述するものであることに、ほとんどの人は気づいていないはずです。「神との対話」にもしも多世界解釈が忍び込んでいるとするなら、これはゆゆしき問題となります。

寂光モデルの外付けハードディスクを無限の台数に増やすとします。しかも、そのなかのいくつかはゆるやかなLANによってつながれている。このように考えれば、これが多世界解釈となります。LANでつながれることがまったくないとすれば、これがマルチバースやメガバースであると考えることができます。

外付けハードディスクに記録できるデータに制約はあるのか。もしも何の制約もないとすれば、そこには、たとえば人間が永久に老化しつづけるという、地獄のような世界が出現します。宗教界は、現代物理学が、人間を地獄へと誘う理論を展開しつつあることに、いまだ気づいてはおりません。「寂光モデル」は論破されましたが、しかしこのモデルが、現代物理学にどこまでも対抗してゆこうとするわたくしの意志を表象したものであるという事実に変わりはありません。現代物理学を取り入れ、しかもそれに対抗しうる世界観の構築が急務と考えるゆえんであります。

447: 初心者 :2011/06/25(土) 15:51:39
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

>まあここ最近、本件に関する話題を、ブログにアップ中です。ここに直接書き込み
しますと、まあなにか、不調和なものを生みそうですんで・・・まあ、焦らず、ノンビリ
行きましょう(笑)別に「何月何日までに、結論を出せ!」てな問題でもないので
ありますし・・・いかがでしょうか。

お気持ち、お察しいたします。会社を経営なさり、しかも地域の顔役ともなれば、口にふくむべき枝の多きことは容易に想像できます。

役行者様によって崖っぷちにまで追い込まれ、イラ○と呼ばれるどこかの総理ほどに無様ではござりませぬが、わたくし、相当に苛立っております。苛立ちの矛先が、高みの見物をきめこんでいると思えしブログ管理人様に向けられてもおります。

この苦しき立場から逃れたい。このことばかりを考えております。逃れるために、言い訳じみた言説を連発しようかとも考えております。連発のなかで、ブログ管理人様が標的になることも多々あるかと存じます。あさましき人の姿とおぼしめしいただき、広きお心で、笑って許してやっておくんなまし。

448: 名無しさん :2011/06/25(土) 17:45:58
ゆっくりと行きましょう!!

お互いの魂磨きですから!

449: 初心者 :2011/06/25(土) 18:24:59
もしもこの掲示板の「寂光論争」を読んでおいでの方がおられるとすれば、「なぜこのようなラチもないことを言い合っているのか?」との疑問を持たれると思います。「寂光だろうが実相だろうが、どっちでもいいではないか」、とお考えになられると思います。

ここで「何が問題なのか」ということをはっきりさせておこうと思います。問われているのは「実相のあらわれ方」なのです。実相はどのようにしてあらわれてくるのか。これが問題になっているのです。

「実相モデル」の場合は、実相を覆い隠しているのは「念のレンズの曇り」といわれています。実相はすでに、すぐそこにあるにもかかわらず、「念のレンズの曇り」によって見ることができずにいるということになるのです。

「実相モデル」では、実相を見るためには「念のレンズの曇り」を取り除けばよいということになります。取り除きさえすれば、そこに完全なる実相があらわれてくるということになります。

「寂光モデル」の場合は、実相は、いまだ完全にはあらわれていません。実相は今も流出中ということになるのです。したがって、「念のレンズの曇り」を取り除いただけでは実相を見ることはできません。実相を見るためには、実相が流出してくる現場をキャッチしなければならないということになるのです。

わたくしがシャーマニズムやタオイズムに惹かれますのは、シャーマンやタオイストが、今まさに流出せんとしている実相をキャッチしようとしているからです。シャーマンは、24時間油断なく、実相が出てくる現場を嗅ぎまわっています。実相をとらえるために、どんな些細な出来事にも注意を払おうとしています。

流出の現場に運よく出くわせたとしても、それだけでキャッチできるわけではありません。必要なのは「初心」つまりは「予期されない心」なのです。これはむかし友人から聞いた話です。

男が山にこもって修行をしていました。目的は悟りを得るためです。あるとき、サトリと名のる小動物があらわれて男の邪魔をするようになりました。修行をはじめると、かならずあらわれて男をからかうようになったのです。

男はサトリを捕まえようと、いろいろと画策しますが、すべて失敗してしまいます。男は、サトリに心を読まれていたのです。

ある日、男が斧で巻き割りをはじめました。サトリがあらわれて、男をからかいはじめました。男は、サトリを無視して巻き割りをつづけました。すると、何かのはずみで斧の先が飛んでサトリに当たりました。サトリは気絶し、男はようやくサトリを捕まえることに成功したのです。

この話は、香厳和尚が悟りを開いたときの話と似ています。香厳和尚は、竹ぼうきで道を掃除していました。ほうきの先が、道に落ちていた瓦のかけらにあたり、飛ばされたかけらが竹にあたって、「コーン」と音がしました。この音を聞いて香厳和尚はにわかに悟りを開いたのです。

いったい何がおきたのでしょう。この音こそが「ピンポーン」だったのです。実相が流出する現場を、香厳和尚はキャッチしたのです。しかしなぜ、いつもはキャッチできなかったのに、このときにかぎってキャッチできたのでしょう。

それは、キャッチするためには「予期されない心」が必要だからなのです。実相は、狩人が狙う獲物です。修行者は狩人です。狩人は、獲物の心と動きを読まなくてはなりません。そのために、心をつねに獲物に集中させておく必要があるのです。

しかし、それだけでは獲物を捕らえることはできません。獲物に心を読まれてしまっていたのでは、いとも簡単に逃げられてしまいます。そればかりか、下手をすると、狩人自身が獲物にされてしまいます。

実相をキャッチするには、こちらの心を読まれてはならない。狩人は、つねに「予期されない心」でいなければならない。サトリの話や香厳和尚の逸話は、このことを教えてくれているようにも思われます。

「寂光論争」で問われているのは、実相はどうやればキャッチできるのか、ということです。このキャッチの仕方に、「実相モデル」と「寂光モデル」では大きな違いがあると考えて、共通した見解を見いだそうとしているところなのです。

450: ぼるぼ :2011/06/25(土) 18:30:12
突然、ですが、ROMだけでは物足りない衝動にかられて、書き込みます。
自分勝手な、神の自覚のせいでしょう。

何故、神は自己表現を欲し給うか

それは美人が鏡の前に立って自分の顔や姿を飽くことなく眺めていたいのにも似ている。
鏡に映るところの姿は、既に自己に備わっているところの諸々の姿である。
「既に全てがあるのに何故神は表現せずにはいられないのか」と疑問を投げかけた人がいつかあったが、
既にあるからこそそれを表現したいのである。
既に美人であるからこそ、鏡の前に立って自分自身の姿を鑑賞せずにはいられないのと同じことである。

谷口雅春「神 真理を告げ給う」171p

最近、本流やブログ管理人さんやここなどの生長の家関連の個人掲示板が活性化していて、嬉しい展開であります。
私も、大いに刺激を受け、埃をかぶっていた雅春先生の本を読み直しました。

再読するほどに、その深い真理が全身の細胞に染み渡る心地がしてきます。

私は、若い頃飛田給道場で生活していたことがあります。生長の家によって再生した命であります。
生長の家を愛してやまないのですが、教団には参加していません。
一個の個人事業者として、日本人として、真理を生きることをだけ願うものであります。

451: 初心者 :2011/06/25(土) 18:39:32
どなたかは存ぜませぬが、ご助言、かたじけのうございます。

たしかに、魂磨きでありまするよね。この苦悩は、きっと魂の向上につながるのでありましょうぞ。

何にしましても、論争の意義と目的をあきらかにいたしましたる以上は、できるだけ大勢の人に参加していただきたく存じます。ここで提示いたしましたる問題は、生長の家にとりましても、けっして看過できない重要な問題であると認識いたします。

大勢の人を巻き込んでこの論争が発展いたしますなら、各人の自覚の向上に、少なからず貢献するものと考えます(わたくしはすでにバテバテでありますので、誰かに代わりにやってもらいたいというのが本心であります)。

まあ、ブログ管理人様も同じことを言われておりますので、あせらずゆっくりいきましょう。「名無しさん」も、たとえ戦況が不利になったとしても、けっしてお逃げになってはなりませぬぞ。

452: 初心者 :2011/06/25(土) 18:57:23
ぼるぼ様へ

>私も、大いに刺激を受け、埃をかぶっていた雅春先生の本を読み直しました。

素晴らしいではございませぬか。バテバテになりながらも、続けてきた甲斐があろうというものです。

ここでの問題のひとつは、神はどのようにして神ご自身が美人であることを知り得たのかということなのであります。「実相モデル」と「寂光モデル」とでは、このあたりの見解にかなりの違いがあるようなのです。ぼるぼ様も、よいお考えがあれば発表なさってください。

この掲示板では、相手の意見を否定するのではなく、批判をとおしてたがいの魂の向上をめざそうとしています。お気づきになったことを書き込んでいただければ、ありがたく存じます。

のちほど、管理人のトキ様よりご挨拶があると思います。何か関連したご発言があると思います。

453: トキ :2011/06/25(土) 19:18:31
>>450

ぼるぼ様

 ご投稿、ありがとうございます。ご参加を心から歓迎申し上げます。

 飛田給で魂を磨かれたのですか。素晴らしいですね。徳久先生などの指導も受けられたと拝察します。
たいへん的確な助言を初心者様にされたので、関心しました。
 また、谷口雅春先生のご著書を再読される契機になったとの事、管理人として、光栄に思います。
感謝、感謝です。

 このスレッドも、おかげさまで活況を呈しておりました、これも皆様のおかげです。
一応、1000の投稿でおしまいになり、次のスレッドを立てるのですが、次に立てる
ときは、何か「名称」をつけて、スレッドを立てたいと考えています。もし、ご賛同
いただけるのなら、皆様から名称を募集したいとも考えています。でも、まだ半分ですから
先の話ですが。

 管理人としてはまだまだ「青葉」マークですから、至らない点があると思います。
なにとぞ、ご指導、御鞭撻のほど、お願い申し上げます。

 では、これからのご投稿を心から期待しております。

合掌 ありがとうございます

454: トキ :2011/06/25(土) 19:20:08
>>453

 誤植です。お詫び申し上げます。

×関心しました。
◎感心しました。

 あと、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。

管理人敬白

455: 役行者 :2011/06/26(日) 02:06:38
>>448 の投稿は、初心者様のお察しのように、役行者でございます。

いま、パソコンを使える状況ではないので、携帯からコメントしている次第です!ただ、そのためのミスです。

 いやはや、初心者様の求道心プラス負けず嫌い、完敗しました。


 私はただ、真理の追究とともに、魂磨きをしたいと、そう願っているものです。
 できれば、ゆっくりと、時間をかけてゆきましょうぞ!
魅力溢れる掲示板を、つくっていきましょうぞ!!

 それから、先ほどの設問ですが、美人がどうして、美人を知り得たのか?
それは、鏡があったからです。

つまり、神がなぜ、神を知り得たか?

それは、神性を映し出す鏡があったからでしょう。果たして鏡とは何か?ちょっと、考察中です。
ちょっと、目覚めたので、コメントしました。(笑)

456: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/26(日) 05:19:13
>皆様

 いやー、素晴らしい展開ではないですか。

 私は理屈民族でありまして、そしてこれは「理屈で腑に落ちぬことは、い
かにしても同意しがたい」を意味しまして、同時に「理屈で把握できぬこと
は、たとえどんな高名な方のご主張であろうとも不同意を表明する」ことを
意味するのですが・・・ああ皆さん、ここにいらっしゃる方々は「同じ民族、
だ(笑)」てな感想を持つ次第です。実にオモシロイ(笑)実生活では皆さん、
「ああなんでアンタは、そんなに理屈っぽいのw」と差別されておられること
と愚考します(笑)でもしかし、そんな差別に遭おうともこのテーマ・・・や
り取りせずにはオレナイという(笑)

 そしてまあ、既述になりますが、このテーマに関し、まあ議論の大枠を確認
していくならば「ゆっくり行きましょう」が正解だと思います。なぜと申して、
これ、「一転語は存在しない」ことは確かであります。雅春先生すら「迷いに
迷われ」た上で、ようやく気づかれたというテーマなのでありますから、まあ、
我々の様な凡夫ならばなおのことでありましょう(とは申せ、我々には御教え
があるわけです。それこそ若き雅春先生の思索の「一万分の一時間」ほどで
「容易に同意に至るであろう」そのことは付記できようかと)

>初心者さま

 ご配慮をありがとうございます。でもしかし「月末なんでこんな話、してい
る場合じゃない!」なんて言葉よりも「実にオモシロイ」という言葉が飛び出
してしまうのが愚生です。「実にオモシロイ」が本音なので、ああこれ、経営
者としては失格かもしれませんね(笑)そんな真理に関することよりも、「ち
ゃんと仕事しろよ」と言われかねない、そんな時間配分で生きておりますんで
(笑)

>「寂光論争」で問われているのは、実相はどうやればキャッチできるのか、ということ>です。このキャッチの仕方に、「実相モデル」と「寂光モデル」では大きな違いがあると>考えて、共通した見解を見いだそうとしているところなのです。

 まあ大凡の展開−今後、愚生が提示するであろう話―を事前告知致しますと、
以下記事になりましょうか。

●再度問う。「現象、とは?」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65560893.html

(同記事より抜粋)
『現象無し』と云うことは、何にも無いということではない。其処にその
現れているもの≠ヘ無いということである。現れているものは無いけれども、
現れていないもの≠ェあるのである。肉体は現れて見える。肉体は現象であ
り、現象は無いのであり、従って肉体は無いのである。現れて見える肉体は無
いけれども人間“そのもの”は無いのではない。

 その他記事も関連があるのですけど、まあ「上記を膨らませながらの話にな
るのかも」という、そんな展開を予想しております。そして頃合を見て参戦予
定であります。(まあ既に、意識の上では参戦中ではありますが)
今後もどうぞ、よろしくお願いします。

457: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/26(日) 05:26:32
>トキさま

>次のスレッドを立てるのですが、次に立てる
>ときは、何か「名称」をつけて、スレッドを立てたいと考えています。もし、ご賛同
>いただけるのなら、皆様から名称を募集したいとも考えています。

<私の希望するスレ名称>

【理屈上等】なんでない≠フにある≠だよ?!

458: ぼるぼ :2011/06/26(日) 08:51:55
トキさま

不特定多数の一般閲覧者の中から、突然書き込んだ一言に対して、どんなボール球でもヒットにしてしまう天才長嶋のようなレス、さすがです。

本流を出て一躍人気掲示板と成り得たのもむべなるかな。

しかし、今更長嶋はなかったかな。古すぎると、反省。

僕が飛田給にいたのは30才の頃で、ざっと30年前なんですが、徳久先生はアメリカの教化総長だったので不在でした。

僕は一番下の位の道場員でありまして、農事部に所属していて、雅春先生の指示にしたがって鶏の世話をし卵をお山に届け、徳久先生宅の草刈や、雅春先生が磨り潰して飲むという

麦の若芽にあんまり綺麗とは言えない水をやったりして下座業に励んだものです。

もちろん、教団のすべての雑務、法供養、錬成、講習会もろもろの裏方としての仕事をやりました。

当時は雅春先生が家長で、生長の家はひとつの大家族で観がありました。

組織の常として、上位のポスト争いはマキャベリズムがカビのように蔓延ります。

僕の生得の体質で、茶坊主が嫌いで、神にのみ信を置くという潔い生き方をするには教団組織外で生きるほうが

自分にはふさわしいとの結論を得て、本部へ就職を断り、当時職員だった女性と結婚して無一文で一般社会に回帰し今日に至りました。

その妻も3年前に他界しました。我が国にも大転換の兆しが感じられる今日この頃です。

自己紹介ついでにスレッドも紹介しておきます。

http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=5267&forum=8

459: 役行者 :2011/06/26(日) 09:00:37
>訊けブログ様

いま、パソコンを使える状況ではないので、簡単に挨拶します。

面白くなってきました。
実相のみが存在する。
いいですね。

460: 役行者 :2011/06/26(日) 09:08:31
訊けブログ様

なんでないのにあるんだよ!
に、座布団10枚!!

初心者様

もう、始めから仮説なので、当然なのですが、実相モデルも寂光モデルも人間がつくった神観です。

それでも、宇宙創造の神は存在します。

461: ぼるぼ :2011/06/26(日) 09:45:09
読み返して気になるので、誤字訂正します。錬成→練成、下座業→下座行。

462: 初心者 :2011/06/26(日) 11:48:29
おやっ!
「いやはや、初心者様の求道心プラス負けず嫌い、完敗しました」と言われし役行者様。
負けをお認めになられたということですね!

短期決戦と心得ておりましたが、
役行者様より、
予想外というべきか、予想どおりというべきかの手痛い反撃をくらい、
思いのほかの長期戦となってまいりました。
戦力の一斉投入をと考えておりましたが、ここはひとつ、戦力の消耗をふせぐために、
小出し戦術に切り替えますでございまする。

ブログ管理人様へ

>実生活では皆さん、
「ああなんでアンタは、そんなに理屈っぽいのw」と差別されておられること
と愚考します

わたくしは、小学校の1、2年生のときの担任の女教師より
「この子は、おとなになったら理屈ばかり言うようになって人から嫌われる」
と言われておったでござりまする。

この大予言を肝に銘じて、人前ではできるかぎり理屈は言わぬようにと、
このように考えて生きてまいったでござりまする。
理屈が言える場があるというのは、じつに素晴らしいことではございませぬか。

463: ぼるぼ :2011/06/26(日) 12:15:51
初心者さま

あなたは既に十分真理の書を読み、科学的知識も豊富にお持ちであるにも拘らず、神について何故こんな妄想をしてしまうのでしょう。

>ここでの問題のひとつは、神はどのようにして神ご自身が美人であることを知り得たのかということなのであります

神というのは、藤原敏之さんの言葉を借りれば、「生命であり、理念であり、愛であり、慈悲そのものをいう」

「相対でも、有限でもなく、無限であり、絶対である」

これが生長の家では常識であるはずなんですが・・・・

今、藤原敏之さんの本をパラパラと読みながら思いついたので書き込んでいますが、続いて

「このような神を捉えるには、知識や学力によるのではなく、直感(生命)による以外はないのであります。身体を通し、実際の

生活を通し、さらに動かすことのできない事実を通す以外に方法はないのであります。全てにおいて生かされている事実に目覚め、

その中から救いが実感として生まれるとき、ただ感謝以外にないことを驚きと共に気付くのであります。この状態を信というのであります。」

さすがに実力ある生長の家講師であった故藤原先生は的確な指摘をしているなあ、と感じました。

初心者さまにかけているものはまさにこの信である、とズバリ指摘させていただきます。

464: 初心者 :2011/06/26(日) 15:27:02
ぼるぼ様へ

ご登場なさって、さっそくの愛深きお言葉に感謝いたします。ですがわたくし、四面楚歌でございます。

無敵をほこった項羽は、戦えばかならず打ち破ってきた劉邦の軍にかこまれます。四方から聞こえてくるのは、故郷であるはずの楚の歌ばかり。楚の人びとにも見放されたかと、項羽は失望落胆いたします。今のわたくしには、項羽の気持ちが痛いほどわかります。

>「相対でも、有限でもなく、無限であり、絶対である」

「美人」とは相対でありましょうか?それとも絶対でありましょうか?有限でありましょうか?無限でありましょうか?

465: 初心者 :2011/06/26(日) 15:47:55
役行者様へ

>それから、先ほどの設問ですが、美人がどうして、美人を知り得たのか?
それは、鏡があったからです。
つまり、神がなぜ、神を知り得たか?
それは、神性を映し出す鏡があったからでしょう。果たして鏡とは何か?ちょっと、考察中です。

「鏡があった」というのは順序が逆ではありませぬか。
鏡がなかった。だから鏡をおこしらえになった。こういうことではありませぬか。

神は、神ご自身の姿を見るための鏡をおこしらえになった。
これが第一創造でありましょう。
その鏡こそがこの宇宙なのでは?
宇宙を鏡として、神は神ご自身の姿を見てみようとなされた。
見えたときが「ピンポーン」の瞬間なのでは?

466: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/26(日) 16:13:08

>ぼるぼさま

 初めまして。本議論へのご参戦誠に歓迎する次第であります。
 さて早速ではありますが、議論の現況を、わたくしなりにご解説申し上げ
ます。

 我々は種々のやり取りを行っておりますが、現在、本議論に於けるポイン
トのひとつは、「現象をいかに解釈すべきや」であります。そして「もとも
と五官では認知不能」であるのが實相界なのであるが「いかにせば、五官認
知可能な言葉で以って説明できようか?」といったものも本議論には含まれ
ているように感じております。ですので「(理解するには)信しかない」と
の貴殿お言葉でありますが、これに対しましては「まあ敢えて申すならば、
そこを『信』なき衆生には、どう説明するべきでありましょう?」という一
文を以ってお応えする次第という・・・

追伸

 とは申せ、貴殿ご言及のお言葉でありますが・・・藤原第一師団小隊長(
私のことw)としましては「それが正解」なる一文をもって、お応え申し上
げる次第です。
 初心者さまとのやり取りでありますが、最終的にわたしが結論するであろ
う言葉の概要は、まあ、その部分になろうかと予想しております。ただしか
し、現時点の初心者さまに於かれては、「最終的には『信』しかない」なる
言葉ですが――「論理が飛躍したカタチにしか映らない」と思われることと
愚考致します。(この主張根拠は・・・「わたし自身が元・無神論者であっ
たからワカル」というものですがwまあでも初心者さまは「無神論者」とは
言い難い御仁でありますけれどもね)

467: 初心者 :2011/06/26(日) 17:13:33
ブログ管理人様へ

いやいや、ひさしぶりに楚歌以外の歌声が聞こえてきたような心地でござる。ご解説、まことにもってかたじけのうござる。

じつはわたくし、ぼるぼ様の真意がわからぬ段階でこのようなことを書くのは僭越と思いながら、ぼるぼ様のご意見が、これまでここで語られてきたことにたいする、ひとつのアンチテーゼとなっているような気がしなくもないのでございます。

おそらく、ぼるぼ様のお考えは、美は相対ではなく絶対であるというものだろうという気がします。絶対的な美が存在すると、このようなお考えを示されているのではないかと、このように推察いたしております。

もしそうであるとすれば、「寂光論争」に、これまでの議論を根こそぎ否定しかねない、きわめてやっかいな問題が持ち込まれたことになります。わたくしの推測では、ぼるぼ様によって持ち込まれたのはプラントのイデア論なのです。

プラトンのイデア論では、美は絶対的な観念として存在することになります。誰が反対しようとも、それは神の象徴としての絶対観念ということになってくるのです。そして神はまさに、ぼるぼ様が言っておられるように、この絶対観念の表現者ということになってくるのです。

ヘーゲルは、人類の意識は、弁証法的発展をとおして進化し、やがて絶対観念に達するということを言っていたように思います。もしもプラトンのイデア論が正しく、ヘーゲルが正しければ、わたしたち人類は、この現象世界においてすでに表現された神の絶対観念を最終ゴールとしたレースの参加者ということになってしまうのかもしれません。

このような重大な問題が提起されてしまったと、わたくしは勝手に解釈いたしております。もしも神が、真善美の絶対観念をすでに表現なさっておられるとすれば、わたくしたちが直観すべきは神の絶対観念だけということになってまいります。雅春先生や生長の家の諸先生方は、はたしてこのようなことを説いておられるのでありましょうか。

468: ぼるぼ :2011/06/27(月) 01:07:19
ブログ管理人さま

>初めまして。本議論へのご参戦誠に歓迎する次第であります。

と、申されますが、貴殿のブログは開始直後から「お気に入り」にしていますので、なんだか旧知のような

気がしています。そちらでは、広大なる慈門という名前でコメントしています。

貴殿の熱情的な雅春先生への傾倒ぶりには圧倒されています。私は生の雅春先生と接していた世代の人間ですが、

貴殿の世代の生長の家は、像法の時代であって、仏教でいうなら、維摩経が釈迦と同時代人の悟りとすると、釈迦滅後、集大成され北伝し、さらに空海によって日本国教化された大乗仏教の悟りが求められている。

これは、大変きびしい要請であり、おそらく雅春先生の弟子の誰一人として、生長の家再興はできないであろう。

しかし、仏教にも中興の祖という人物が現れたように、時代の要請にあった宗祖的興隆は有りうる。

法然とか、日蓮みたいな宗祖が、現代の日本の混迷せる社会に現れる必要がある。

インターネットという新しい視野が広がっているので、ネット経由での真理普及も多数試みられている。この掲示板や貴殿のブログもそのひとつである。

不特定多数参加者は、練成や講習会に参加している有縁の信者と考えればよいと思う。

質問者にはその気根に適した回答が、どこからともなく、神意によって与えられる。

469: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/27(月) 06:30:46

>ぼるぼさま

>広大なる慈門という名前でコメントしています。

 ああ!これはこれは(笑)いつもありがとうございます。
 コメント欄へなかなか返信できずに、すみません。以前、コメント欄が不調
となりまして(コメントを入れると全文消去なんて事件がw)非常に神経質に
なっております(笑)でも、歓迎致しますのでどうぞよろしくお願いします。

>私は生の雅春先生と接していた世代の人間ですが、

 羨ましい限りであります。「い――(30秒)――な――(30秒)――」
が本音でございます。

>インターネットという新しい視野が広がっているので、ネット経由での真理普及も多数
>試みられている。この掲示板や貴殿のブログもそのひとつである。

 特にこの掲示板は、可能性無限大でありましょう。なにせ管理人様が聡明な
方であります。やはり管理人は(黒澤映画に喩えるならば)志村喬さんでなく
ては勤まらぬでしょうね・・・あっ、これは別に他の掲示板が「管理人が三船
敏郎だ」と言っているわけではありません(笑)そして「管理人も三船敏郎だ
けど、投稿者まで三船敏郎だ」なんて、一言も申しておりません(笑)

>不特定多数参加者は、練成や講習会に参加している有縁の信者と考えればよいと思う。

 いやーしかし、柔軟な発想をお持ちの方ですね。これからもご指導をよろし
くお願い致します。こちらの掲示板でならば(コメント不調に見舞われず)活
発に意見表明ができそうです。

>初心者さま

 
 いかにせば、五官認知可能なコトバや事象≠ナ真理を表現できるのか?
・・・非常に楽しみなやり取りです。そして貴殿なかりせば、こんなやり取
りは不能でありましょう。

 ただ我々が取り組むテーマですが云うまでもなく、かの道元すら「半生をか
けて悩みぬいた」という、壮大なものであるという・・・

470: 初心者 :2011/06/27(月) 10:42:42
ブログ管理人様へ

真理を「五官認知可能なコトバや事象」で語り、その妥当性について語り合うということは、とくに「真なき衆生」においては必要なことでありましょう。何を信じてよいのか、それさえわからぬのが「真なき衆生」でありますから。

「絶対観念」なる言葉が登場したことでもありますし、ここでの論点をわかりやすくまとめておきたいと思います。わたくしは、雅春先生がなぜ実相世界をお説きになられたのか、根本のところでそれが理解できずにおります。倉田百三氏がいわれているように、「寂光であればついてゆけるが、実相世界ではついてはゆけぬ」ということになるのであります。

実相世界と実相は異なるものだと思います。寂光に実相はありますが、寂光は実相世界ではありません。雅春先生がお説きになっておられる実相世界とは、具体的な形として存在する、神の創造せし世界であると理解しております。

ここでひとつのことが明確になります。実相世界が存在するのであれば、それですべてが完結するということであります。完結するということは、「現象はない」ということになってくるのであります。

これはきわめて明確な理屈であります。実相世界が存在するのであれば現象世界は必要ない。これは、当然の論理的帰結であります。

ここで神はなぜ実相世界を創造なされたのかと考えてみます。当然のことながら、それは真善美を表現するためであります。この表現が、実相世界において完結します。ただし、この真善美とは、神の絶対観念であります。絶対観念とは、いっさいの経験を経ずして知りうる観念であり、何らかの方法で表現しうる観念であるかと存じます。

これは、言葉を変えていえば、実相世界は神の絶対観念によって支配された世界ということになります。どんなにあがこうとも、神の絶対観念の外に出ることはできないという世界なのであります。

これは、あらかじめ先行きがすべて決定せられた世界ということでもあります。最終的には、神の絶対観念にしたがうしかないという世界であるような気がいたします。雅春先生がお説きになられた実相世界とはこのような世界ではないかと、わたくしには感じられてならないのです。

ここでは、実相世界に対抗するモデルとして「寂光モデル」を取り上げています。「寂光モデル」では神の絶対観念は存在せず、神の本質である真善美を表現するのは、現象世界における人間ということになってまいります。このあたりの対抗軸をわたくしが想定しておりますことを、まずはご理解ください。

当然のことながら、こうした対抗軸には相当な問題点がござりましょう。こうした点についても話し合ってゆければと考えております。

471: 初心者 :2011/06/27(月) 11:55:47
>質問者にはその気根に適した回答が、どこからともなく、神意によって与えられる。

回答があたえられるべきは、わたくしではなくあなた様であるような気がいたします。

472: 役行者 :2011/06/27(月) 12:05:12
>初心者様

いまだ、パソコンを使える状況ではなく、携帯からなのでご了承ください。

初心者様はただ単なる負けず嫌いだけではなく、論文に筋が通っております。ここまで来ると、本当に頭が下がります。  

さて、トキさんから待ったがかかるかも知れませぬが、私も谷口実相哲学の範疇から外れるかもしれない持論から話すしかない状況下に置かれてきました。

まず、実相世界が存在するなら、そこは無限生長の世界でしょう。つまり、矛盾はないのですが、弁証法的に進化向上していく世界と存じます。

次に、ここからはますます持論なのですが、実相世界は来るべき地球の未来に必ず実現すると信じております。

確かに、いまは寂光世界と存じます。いや、地球創成のころから、寂光は宇宙に内包されていたと思います。
でないと、人間を中心とした神の第二創造に理由が付かないのです。

初心者様の仰る通り実相は神の理念として、存在しておりますが、実相世界は、現象的にはいまだ存在してないのでは?
いまは、神の地球計画最終章第一幕といったところでしょうか?

473: トキ :2011/06/27(月) 13:25:33
>>472

 待ったはかけませんから、気にしないで書いて下さい。

474: 役行者 :2011/06/27(月) 14:23:22
>トキ様

 お言葉に甘えて。

475: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/27(月) 17:16:56
>皆さま(笑)

 熱い議論がつづいておりますね(笑)おそらくたぶん、種々真理探求サイ
トあれど、ここまでハイレベルなやり取りは「他に存在せぬ」とこを確信す
る次第であります。道元禅師も「うむむむむ」と申されておいでのことであ
りましょう。

 さて過熱する議論に「入りたいけど入れない」そんな方々のために資料を
用意致しました。今後この議論に入られる際に参考になさってください。

● 五つの人生観
http://blog.livedoor.jp/con5151/preview/edit/2e90e990bfbdc233b98a7e6cf5ccd3f8

 雅春先生ですが、世の中の思想を五種類に大別されておられます。現在の
やり取りに関して「あっ、初心者さまのこの仮説は(3)ではないか?」
「役行者さまのは(4)から(5)なのでは?」「ブログ管理人・・・実は貴様、お前の意見
は(1)だな!?」などという使い方が出来ようかと思います。

 まあ云わば便利な「思考判定用モノサシ」と云えるでありましょう。

<一部抜粋>

(1)
※※※※※※※※※
※  現象   ※
※       ※
※  即我   ※
※※※※※※※※※

 真我も仮我もそんな区別はない、「我」というのは一種の肉体現象であって、
肉体我というものの他に「我」というものはなく肉体が消えれば「我」も消えるという説。

(2)
※※※※※※※※※  ※※※※※※※※※
※      ※  ※  我    ※
※  肉体   ※   ※       ※
※       ※   ※ 【霊魂】  ※
※※※※※※※※※  ※※※※※※※※※

 この見解は一方では現象の他に超越神を見、肉体の他に「我」というもの
を仮定し「我」は肉体と別にある。肉体が滅しても「我」というものは霊界
に残るが、その「我」はつまるところ現象我すなわち変易するわれであって
常恒のものではなく、いろいろに生まれ更わったり変易して苦しむという説。
(現世の他に霊界の存在を認む)

(3)
※※※※※※※※※
※ 現象我   ※
※       ※
※ 【真我】  ※
※※※※※※※※※

真我は現象我の内部にあると観る。
現世、霊界の現象我を有り≠ニ観ている。

(4)
※※※※※※※※※
※    真我 ※
※ ※
※ 【現象我】 ※
※※※※※※※※※

真我の内部に迷いの要素ありて、真我が迷いの影を映して生じたのが現象我であ
ると観る。

(5)
※※※※※※※※※   
※      ※  
※  真我   ※  
※     ※  
※※※※※※※※※

 實相独在、真我独在であると観、現象は顕われていても顕われなくとも、
捨てても捨てなくても、そんなことに関せずに、如来があり、涅槃がある。
即身即仏久遠実成の説である。

476: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/27(月) 17:18:09

 ああやはり・・・改行で表が破壊されました(笑)
まあ詳しくは、弊ブログまでお越しください。

477: 初心者 :2011/06/27(月) 17:58:03
役行者様へ

携帯でのご投稿、まことにご不便なることとお察しいたします。たとえ短い文章であったとしても、ご意見をお聞かせねがえれば、ありがたく存じます。

>確かに、いまは寂光世界と存じます。いや、地球創成のころから、寂光は宇宙に内包されていたと思います。
でないと、人間を中心とした神の第二創造に理由が付かないのです。

わたくしも、役行者様と同意見です。実相世界がすでに完成しているとすれば、神の意志としての第二創造の説明がつきません。

ただこのことにかんしましても、「反・生長の家」的ともいえる持論があります。

神が神ご自身を表現なさるために実相世界をおこしらえになったとすれば、つづいて、鑑賞者としての人間をおこしらえになったと考えられます。神は、「わが創造せしすばらしき世界を讃嘆せよ」と、このように人間に命じられたことでありましょう。すかさず人間たちは、「さすがに神がつくられた世界だ。どこまでも完璧でスキがない」と、口々に讃嘆しあいました。しかしそのうち物足りない気分におそわれることになります。実相世界では、9回裏ツーアウトからの大逆転もなければ、役行者様のお好きな花金もなかったのです。

人間たちは、「こんな退屈な世界はもういやだ」と考えるようになりました。やがて念のレンズをこしらえ、それをゆがませることで、実相世界を、パースペクティブの効いた不完全な世界として見るようになったのです。

こうして人間たちは、実相世界からの逃走をはかりました。神様があらわれて、「こんな不完全な世界は、本物ではない。わが創造せし完全なる世界にもどれ」と説得しますが、人間たちは聞こうとしません。ああだこうだと押し問答となり、この不調和な波動により、現象世界にさまざまな悪が出現することとなりました。

今も人間たちは、実相世界にもどそうとする力と戦っています。戦いがつづくかぎり、現象の悪が消えることはありません。それでも人間たちは、「あんな世界にもどるのはいやだ」と戦いをつづけているのです。

このシナリオでは、当然のことながら、実相世界にもどそうとする神の力のほうが、やや優勢であります。やがて人間は力つき、実相世界へとつれもどされてしまいます。役行者様の「実相世界は来るべき地球の未来に必ず実現すると信じております」とのお言葉が実現することになるのです。

>初心者様の仰る通り実相は神の理念として、存在しておりますが、実相世界は、現象的にはいまだ存在してないのでは?

こちらのシナリオが、これまでここで話されてきた「寂光モデル」でありますね。わたくしもこのように考えます。ですから、雅春先生が実相世界をお説きになっておられる理由を判然と理解することができないのです。

ただひとつはっきりしておりますのは、もしも雅春先生が、実相世界ではなく寂光を説いておられたとすれば、教義は今よりずっとわかりやすいものとなり、仏教界からの反発もなければ、倉田百三氏による疑問も提出されることはなかっただろうということです。

しかしこれでは、生長の家ではなく、並の宗教として、仏教の一派ぐらいに数えられるのが関の山であったと考えられます。「いまだ実相世界は顕現せず」。このように説くのはやさしいことなのですが、それをなされず、「絶対観念」の問題や「第二創造不要論」、あるいは「人類造反説」も含めて、より困難な説明を要するであろう「実相世界はすでに顕現せり」のお考えを雅春先生がお説きになられたということは、やはり何か重要なお考えがあってのことだという気がしてなりません。

それにしましても、役行者様が「持論」を隠し持っておられたとは、まったく存じておりませなんだ。ひょっとして生長の家に、隠れ持論保持者はあんがい多いのでありましょうか。

480: 役行者 :2011/06/27(月) 18:25:48
>雅春先生に訊けブログ様

 五つの人生観!なかなか、いいタイミングにもってこられました。
鋭いです。

 雅春先生は、唯神実相までの過程に、神を裁く、神と創造主の二元論でこの世は成り立っているという、聖道へなどの思想を経由しております。
 そのように、汗と涙と血の滲むような努力のなか、実相が流出し、全身で感じ取られたのでは。

 確かに、初心者様が仰る通り、実相をキャッチするには雅春先生同様多くの聖者が体験してきたよう、予期されない心が大切だと、存じます。ただ、雅春先生に限らず、実相を体現された方は必ず、いとも簡単に、ただ気づけば良いんだよ!と仰るのです。

 聖者の方々のお言葉に甘えてみるのも、また一つ、悟りに近づく方法かもと、思う今日この頃なのです。聖者の方々の血の滲むような努力に敬意を表しながら・・・

481: 役行者 :2011/06/27(月) 18:28:42
トキ様

478 479 を削除お願いします。

482: 初心者 :2011/06/27(月) 18:37:30
ブログ管理人様へ

そこはやはり企業経営者。機を見るに敏。
センスがよろしくてございます。

役行者様、携帯で苦労しておられるようでありますね。
めげずに投稿をお続けなさってくださいませ。

483: トキ :2011/06/27(月) 18:52:50
>>481

 了解しました。

484: 役行者 :2011/06/27(月) 18:54:12
>初心者様

 これほど遠大な実践哲学ですから、それは隠れ持論保持者は山といるでしょう。

 確かに、実相世界はすでに顕現せり。の言葉には何かがあります。

485: 役行者 :2011/06/27(月) 19:26:59
初心者様

 小出しにいきますが、(笑)
確かに私を含め、人間は現象世界、娑婆をこよなく愛してますね〜女、名誉、酒、権力と・・・どうしようもなく離れられないのでしょう。

 もっと、大いなる歓喜が存在するのにも関わらず・・・

486: 初心者 :2011/06/27(月) 19:56:58
役行者様へ

>確かに、実相世界はすでに顕現せり。の言葉には何かがあります。

そうですね。たしかに何かがありそうですね。
その「何か」を理屈で推測してみました。

今は寂光の時代であること。
未来において実相世界が顕現すること。

ここまでは、理屈で確定しています。

続いて推測です。

実相世界は時間を超越しているという可能性がある。
もしそうであれば、未来において顕現するはずの実相世界が、
すでに現在において顕現している可能性がある。

これにより、進化した神がすでに存在している可能性が出てきます。

理屈で推測できるのはここまでです。
ますますわけがわからなくなってきたような気がします。
このあたりのことをたたき台に、何かよい理屈が見つかればよいのですが。

小出しで「女、名誉、酒、権力」でござりまするか。
大出しにしたら、何が出でくるのでござりましょう?

487: 初心者 :2011/06/27(月) 21:41:40
役行者様へ

ここから先は、理屈だけではどうにも手に負えぬ胸つき八丁がつづくと思われます。
前に進むには、雅春先生の文献を当たって見るのがよいかと存じます。

どういたしましょうか。
やはりあの、生長の家の誇る大文献学者、ブログ「雅春先生に訊け」管理人様のご協力をあおぐ、・・・というのは、ちと難しゅうございますでしょうか?

488: 役行者 :2011/06/27(月) 23:53:16
>初心者様
  
  >実相世界は時間を超越しているという可能性がある。
   もしそうであれば、未来において顕現するはずの実相世界が、
   すでに現在において顕現している可能性がある。
   これにより、進化した神がすでに存在している可能性が出てきます。

    これですね。素晴らしい仮説です。私はビックリしました。
   そうなんですよ。この広大なるまた、悠久の昔より存在する宇宙には、
   太陽系に類する天体があると聴いたことがあります。
    そればかりか、未確認飛行物体、宇宙人が存在しないとも言えませぬ。
   それが三次元の物質構成より、緻密で精度が良い波動体で構成されてる
   可能性も高い・・・
    雅春先生は、昭和4年12月13日、現象はない!!との声と共に、
   確かに実相世界を観ていらっしゃるのではないでしょうか。
    それは、理念の実相ではなかったと思うのです。
   なんか、幸せな気持になってきました。地球の未来に・・・

   >小出しで「女、名誉、酒、権力」でござりまするか。
    大出しにしたら、何が出でくるのでござりましょう?

    それは秘密です(笑)
    しかし、この世をこよなく愛着し続け、こんな世知辛い世の中に
    なってしまったのに、いまだ気づかぬのが人間。私も含め・・・
    いや、流石にもう気づき始めているか・・・

    神の地球計画、最終章第一幕まで来ていると観てます。

    
    >生長の家の誇る大文献学者、ブログ「雅春先生に訊け」管理人様
     のご協力をあおぐ、・・・というのは、
     ちと難しゅうございますでしょうか?

      ですよねぇ〜
     いい感じになってきました。
     実相世界の存在をしっかりと確かめたい気持です。



    
    
    
これほど人間が世知辛い世の中を

489: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/28(火) 10:32:56

 挑発には乗らぬが「誉められると弱い」、ブログ管理人です。いやー皆さ
ん、卑怯ですよ。皆さんから生長の家の誇る大文献学者≠ネんて云われた
ら・・・ノコノコ出てこざるを得ないではないですか(笑)
 さて本議論の現況に関して、関連記事を提示致します。しかし「この段階
でこの文献を出せば」ですよ、師団長から「もう出すか!それ!」なお叱り
を受けかねませんという・・・しかも「今出しタラ、ツマンナイよ!」と、
理屈好き同閣下から言われそうなんですが、それでもまあ・・・思考の補助
線的な記事ならば、オモシロクなるのではなかろうかと思うわけです。議論
を盛り上げるためにも雅春先生のご文章、以下に掲示致します。

――――――――――――――――――――――――
<<実相世界がすでに完成しているとすれば、神の意
志としての第二創造の説明がつきません。>>
に関しての関連記事
――――――――――――――――――――――――
●「全託」か?「努力」か?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65545527.html#more
●「ことすでに成れり」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65558460.html
●現象の正体とは?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559286.html#more
●<まとめ>現象≠チてなんなのよ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562454.html

―――――――――――――――――――――――――――
<<実相世界は時間を超越しているという可能性がある。
もしそうであれば、未来において顕現するはずの実相
世界が、すでに現在において顕現している可能性があ
る。これにより、進化した神がすでに存在している可
能性が出てきます。>>の関連記事
―――――――――――――――――――――――――――

(●以下に関連しそうな記事二つを投稿います)・・・これは現在、探索中
です(笑)いやなにせ、議論大枠がまさに大枠≠ナありまして、「たくさ
ん、ありますよ」なんですよ(笑)ここはひとつ、藤原第一師団の小隊長と
しましては、隣接陣地の近衛師団(トキさまw)のご助力を要請したいもの
だと(笑)

 でもまあ初心者さまが・・・もしも雅春先生の本を(ほとんど)未読でこ
の仮説にたどりついたのであれば・・・これ、スゴイことですよね。
 ・・・なお、初心者さま提示の<<雅春先生が実相世界をお説きになって
おられる理由を判然と理解することができないのです。>>は・・・小出し
言及することと致します。まあこの部分は雅春先生、直接言及はあまりされ
ておられない様に思います。ですので「私見」というカタチで今後(笑)

 また議論本筋からは外れますけど、初心者さまご言及の「もしも雅春先生
が、実相世界ではなく寂光を説いておられたとすれば、教義は今よりずっと
わかりやすいものとなり、仏教界からの反発もなければ」云々の箇所ですが、
これ、卓見だと思います。

追伸

 あと・・・「反・生長の家」的言説投稿について。
 これ云うまでもないことですが、大歓迎ではないでしょうか(笑)ていう
か・・・あっ、いきなり女子高生コトバになりましたけど、ていうか、「大
反論なくしては議論は盛り上がらない」わけでありまして(笑)隠れ持論保
持者の皆さんも「ガンガンに来て欲しいものだ」と、こう思う次第です(笑)
 まあその際、できますれば「私の持論はまあ・・・思想(4)に該当する
と思いますが」みたいな補足を、冒頭で述べて頂くと助かりますけど。

追伸の追伸

 あえて、唯物論+無神論者時代の自分を再現し、そして皆さんに対し「挑
発的な言動」を試みることもやってみようかと(笑)
 思考スタンスは(1)であり、「霊≠ネんて、あるものかあ!」「だか
ら宗教やってるヤツはバカなのよ!」てな感じの、非常に厄介な人です。HN
は「大前研一に訊け」であり、ザ・唯物論なんですが、追い詰められた途端、
いきなり(2)〜(3)になるという柔軟(?)な人でもあります(笑)
 そしてさらに「相手がたは(2)(3)に変更したこと、気づいてないぜ。
ひひひ」とか思ってますが「既に周囲にはバレている」という、そんなオチャ
メさもある人・・・とまあ、そんな感じで登場してみましょう(笑)まあこん
な、デヴィルズ・アドボケイト(悪魔の反論)も、真理到達には不可欠であり
ましょうから(笑)

490: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/28(火) 10:35:30
※上記(●以下に関連しそうな記事二つを投稿します)対応記事


 縦と横の世界、すなわち平面に住むところの虫というものは、前に進め
ば横にも行く、けれども厚みの世界を知らない。それで卵を産むと、その
卵を一定のところにちゃんと置いて自分の粘液でぐるりと圏線を描いてし
きりをしておく。そうすれば自分は勿論、自分と同種の虫もそのしきりの
中に入ることはできませんから「安心」と思うわけです。

 ところがまたそれ以上の次元に住む人間がやってきて、上からその卵を取
ってしまう、すると虫はいったいどこから侵入して取ったのだろう。ちっと
も自分が作っておいた城壁は壊されていないのにと不思議がるのです。それ
は縦、横だけの世界しかないと思っていて、まだこの上には厚みの世界があ
るのだということを知らないからであります。

『生命の實相』第二十七巻 40ページより


 実在は「全一」(※)である。

「全一」は表現せられない。
「全一」は一度に知覚せられえない。
そのことはわれわれの記憶内容全体のようである。

 われわれは生まれてからいろいろの機会に触れ、見、聞き、経験した事柄
を記憶しているのであるけれども、その全体が一度に記憶の表面に浮かび上
がって来ないのは、「全一」なるものは、無数の相が超時空的な世界に重な
り合っているから、知覚することができないためである。それを記憶心象と
して脳髄の知覚面に浮かび上がらせうるには、「全一」の中から、必要でな
いものを残し置いて、「今」必要なものだけを、空間的表象面に浮かび上が
らせなければならぬ。

 それと同じく、「全一」なる実在が、それが知覚しうるように表現せられ
るためには、「全一」の中からある物を呼び出して来て、他を「全一」の中
に残しておかなければならぬ。表現はコトバであり、コトバは呼び出しであ
るのはこのためである。われわれは善きコトバの力によって善き物を創造す
ることができるのである。

※ 意味:すべてを包容した完全な一体

『生命の實相』38巻103ページ

<了>

491: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/28(火) 10:55:08
489に関する補足です・・・・

――――――――――――――――――――――――
<<実相世界がすでに完成しているとすれば、神の意
志としての第二創造の説明がつきません。>>
に関しての関連記事
――――――――――――――――――――――――
●「全託」か?「努力」か?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65545527.html#more
●「ことすでに成れり」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65558460.html
●現象の正体とは?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559286.html#more
●<まとめ>現象≠チてなんなのよ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562454.html

―――――――――――――――――――――――――――

 これに関しましては、以下順番で読まれることをお勧めしようかと・・・

●<まとめ>現象≠チてなんなのよ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562454.html
●「全託」か?「努力」か?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65545527.html#more
●現象の正体とは?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559286.html#more
●「ことすでに成れり」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65558460.html

よろしくお願い致します。

492: 初心者 :2011/06/28(火) 11:56:32
ブログ管理人様へ

さすがに、彗星のごとくあらわれ、きら星のごとく燦然と輝いておられる、大文献学者様でございます。これほど早く、しかも適材適所に、参照すべき文献を配置なさるとは、まことに信じがたき神業を見し思いでございます。

これから、ブログ管理人様によってご提示いただいた文献を心ゆくまで味わうことにいたします。雅春先生のご文章を、これほどの深き味わいとともに読ませていただくのは初めてでございます。これもひとえに、ブログ管理人様の日頃の精進努力の賜物かと存じます。

雅春先生によってお示しいただいた、滋味あふれる深き真理の世界と、現在の教団でおこなわれていると推測される「浅き夢見し世界」とどちらが本当に面白いのか。これはみなさまに判断していただくよりほかはございません。

何にいたしましても、日本全国津々浦々より「隠れ持論保持者」のみなさまが参集くださいましたなら、まことにもって面白き掲示板になること請け合いでございます。「隠れ唯物論保持者」のブログ管理人様のご活躍も楽しみでございます。

トキ様のご出座も、いよいよ間近かと。

役行者様へ

>雅春先生は、昭和4年12月13日、現象はない!!との声と共に、
   確かに実相世界を観ていらっしゃるのではないでしょうか。

実相世界を観てらっしゃらなければ、寂光をお説きになったはずでございますよね。雅春先生はたしかに実相世界を直視せられた。だからこそこれは大問題なのです。

493: 初心者 :2011/06/28(火) 17:28:56
神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、
人間に自由な表現力をおあたえになった。

このあたりの説明がわたくしには腑に落ちぬのであります。
神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。

だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれるというのでありましょうか。

神は人間をプログラムミスなさった。
それで人間に逃げられた。
こちらのほうが、わたくしとしてはよっぽど腑に落ちるのであります。
人間として生まれてこれてよかったと思えるのであります。

あたえられた自由ではなく、自分で勝ち取った自由。
それが本物の自由だという気がするのであります。

「あたえられた自由」というものが、はたして存在するのでありましょうか。
それは自由ではなく、たんに許可あるいは許容されたもの、
という気がしてならないのであります。

494: トキ :2011/06/28(火) 20:46:08
 本筋とは少しずれますが、最近、感じる事を書いてみます。

 宗教と科学というのは、どうも天敵のような感じで見られる事が多いです。昔は宗教が神様の名前の下で科学を弾圧し、
「それでも地球は回っている」と言ったとかいう話は有名です。反面、科学の暴走に宗教がストップをかけることができない
場面もあります。ノーベル賞の汚点と言われるノボトミー手術などもそうでしょう。
 今日に目をやると、米国のような先進国でも、進化論を巡って論争が継続しているのは周知の事実です。科学と宗教との
緊張関係は、生長の家以外の世界では、容易には解けないような気がします。

 個人的には、大学の物理学の授業で、「ビッグバン」仮説を知ってから、宇宙の発生前の世界に関心をもち、ここに宗教の
存在意義があるのではないか、という期待を持った事もありました。(ビッグバン仮説というのは、宇宙は137億年前に
大爆発の上で出来たという発想です。今日では「標準理論」として、認められています。)

 が、生長の家の真理、特に実相論を学び、感じたのでは、過去の宗教の多くは「現象」というレベルでの解決に終始していた
事、そして、「現象」というレベルで話をする限り、永遠に科学と宗教は対立した存在であるという事です。もし、「実相」
という存在、それが信仰になって、初めて、科学と信仰は矛盾しない存在になるだろう、という事です。

 まあ、そうすると、ビッグバンから素粒子がうまれ、原子が誕生し、宇宙が生まれ、現在も加速度的に発展しているように
この世の森羅万象の法則は、「実相」が根本にあり、全ては「実相」を根底にして、有機的に連結をしておりまして、この点を知って
初めて理解できる、という発想もできるのかもしれません。(余談ですが、最近、米国で「タイムマシン」の理論的な構築は
終わっており、人類が「時間」を有る程度は左右できる日が来るかもしれません。時間すらも絶対の存在ではないという訳
ですね。)

 ただ、私の様に、何十年も生長の家をしていると、生長の家という枠組みから離れた発想をするのが難しいとは思います。
ですから、あまり邪魔をしないほうが、皆様のためかと拝察する次第です。

 でも、楽しく投稿は拝見しているので、これからも、活発な議論を期待しております。

 まとまりの悪い文章を書いて、すみません。

合掌 ありがとうございます

495: 初心者 :2011/06/28(火) 22:22:29
トキ様は大学で物理学を習っておられたのですか。それならやはり、そちら方面のご関心も持っておられるのでありましょうね。

かつてのわたくしは科学万能論者でありましたが、生学連の練成で、ほかの仲間たちの情熱的な話を聞いているうちに、科学でわかることには限界がある、という思いをいとも簡単に持つようになりました。

その後は量子力学をかじるようになって、科学と宗教はそれほど離れてはいないという印象を持つようになり、「物質なし」の真理を実感できるようになったのも、じつは科学のお陰であったと考えております。

ところで、137億年前のビッグバンと聞くと、どうしてもあることについて書きたくなってしまう初心者なのであります。わたしたちが見ている宇宙とは、過去の宇宙を見ているわけでありますよね。100光年先には100年前の宇宙があり、100億光年のかなたには100億年前の宇宙が見えているわけであります。

するとどこまで見えるのかというと、137億光年先までであります。それより以前には宇宙は存在していなかったわけですから、見えるのは137億年過去の宇宙までであります。137億光年かたなの宇宙が、地球から見ることのできるいちばん遠くの宇宙ということであります。

するとここで、とてつもなく不可思議な事実と出くわすことになります。137億光年先には何があるのかといえば、それはビッグバン直後の宇宙であります。137億光年のかたなに見えるのは、まちがいなくビッグバン直後の宇宙なのであります。

ここでビッグバン直後の宇宙について考えてみます。ビッグバン直後の宇宙の大きさは、針の先よりもはるかに小さなひとつの点でしかなかったのであります。この小さな点が急激に膨張して、巨大な宇宙へと成長をとげたのであります。

この小さな、宇宙のはじまりの点が137億光年の先には見えるわけです。もちろん現実には、そのような遠くの小さな点は、どのように高性能な望遠鏡をもちいても見えるはずがありませんが、原理的には見えていることになるわけであります。

そこで問題となるのは、この小さな点はどこにあるのかということであります。地球から見て、いったいどの方向にこの小さな点は見えるのでありましょうか。驚くべきことに、この小さな点は、どの方向にも見えるのであります。137億光年かなたの宇宙には、どの方向にも、ビッグバン直後の宇宙が見えていなければならないのであります。

なぜ小さな点でしかないビッグバン直後の宇宙が、この広大な宇宙のあらゆる方向に見えてしまうのでありましょうか。1個しかなかったはずのビッグバン直後の宇宙が、なぜありとあらゆる方向に見えてしまうのでありましょうか。この摩訶不思議な現象が、パースペクティブとともに、この現象世界がかかえる「差延」の問題なのであります。

ここで「実相世界に差延はない」という、どこかで聞いたような話になってくるわけでありますが、あまりにも不可解な話でありますので、ボロが出るまえにやめることにいたします。

496: 初心者 :2011/06/29(水) 08:27:00
反応がございませんね。どうしたことでしょう。

わたくしの疑問は、おそらく教義の核心部分にふれるものだと思います。
「寂光モデル」も広義の意味では実相独在論であるかと存じます。
ブログ管理人様から昨日ご提示いただきました文献の「現象≠チてなんなのよ」
のなかで雅春先生は「神はその第一念によって実相世界を創造し給うた」と説いておられます。

これはあきらかに「寂光モデル」とは異なっております。
ですから、実相独在論と区別するために、「実相世界独在論」と呼ばせていただくことにいたします。
「実相世界独在論」の問題点は、絶対観念の問題が重くのしかかってくることと、人間中心の第二創造の意味が説明できないという2点にあると考えます。
この2点についての疑問を、昨日は提出したような次第であります。

この疑問にたいして何らかの返答をいただかなければ、話を先に進めることができません。
みなさま方はたしかに「直観」でわかっておられるは思いますが、
生長の家は「直観」だけの宗教ではございません。
理論的に教義を説明できる、おそらく世界で唯一の教団であるはずです。

絶対観念の問題をひと言でいえば、実相世界においてすでに神の純粋観念が表現されている状況において、表現の自由をあたえられた人間が、神の純粋観念以外のいったい何を表現すればよいのかという問題であります。表現すべきものがまだ何かほかに残っているのかという問題であります。

こうした問題について、この場でダイナミックな検討をおこないたいと考えております。
なんども申しますが、わたくしは外道でございます。
雅春先生のみ教えの神髄を知りたいがために、ここにまいっているのでございます。
何も反応がなければ、わたくしは、外道の身でありながら自分で考えなくてはならなくなります。

497: トキ :2011/06/29(水) 09:57:20
>>496

きっと、私が書き込みをしたため皆様が遠慮をされたのでしょう。どうも、申し訳ありません。

 直接関係がない話をまた書きます。身内に法律を学んだ人がいます。で、法律の本を借りて読んでいました。
そうしたら、「部分社会」という概念があるのを知りました。

 現在の日本国憲法には、第3章に国民の権利がずらずら書いております。
憲法14条では人間が平等であると書いております。第二十一条 では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
とあります。しかし、会社に行けば、社長は社員よりも威張っていますし、学校に行けば、授業中は黙っていなければいけません。
これは、憲法の人権保障という観点からは、不合理です。しかし、別の観点から、これを合理化できます。これを「部分社会の法理」と命名しております。
 つまり、国家や社会を規律するのは法律だが、その社会の中に、特定の目的のために小社会の存在を許し、独自の規律を認めるべきだ、という発想が
あります。そのほうが、いくつかの点で、好都合だ、というのです。これは、憲法や法律を無視するのではなく、憲法や法律自体が認める「例外」なのです。
 それを認める事が、実は、憲法や法律が目指す目的に近寄ることになる、と考えているのです。

 あと、知人がガンになり、亡くなる前にお見舞いをしました。生長の家の人ではなく、仕事でバリバリ活躍をした人ですが、その人が
 
「私が、寝ずに仕事を頑張っていた、と思っていたが、どうも、自分は、何かの力に動かされていたような気がします」

と述懐されていました。

余計な事を書いて、話の腰をおりました。あまり出て来ないようにしますから、皆様、どんどん、書き込んで下さい。

合掌 ありがとうございます

498: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/29(水) 10:48:33

>初心者さま

 まずは貴殿の読解力に感謝を申し上げます。前々から感じていたことなん
ですけど、いやー貴殿は実に素晴らしい方ですね。WEBのやり取りで一番
嫌なことって「主張を誤読されること」だと思うのです。そしてさらに、そ
の「誤読を元に反論(?)」を寄越されて「この方は反論できませんでした」
なんてカタチに、議論を終了させられることだと思います。ホニャララ掲示
板に於ける一白鳩会員さん追放劇でも・・・(中略)・・・その点は貴殿と
のやり取り、そのあたりの齟齬が発生しないので満足しています。まあもし
も、貴殿が相手でなかったならば、あの「寂光論争」・・・第39巻該当箇
所の全文アップなんて、ヤル気も起きなかったと思いますよ(全部で27ペ
ージ分、14,784文字ですたw)

いやさて、そんな挨拶はさて置きまして本日要件の本論に入ります。
貴殿ご提示の493ご文章ですが・・・「まさにその通り」であります。こ
こが肝心とのご主張でありますが、愚生もここが「本議論の天王山でありま
しょう。」(※)と、同意を表明する次第です。貴殿が今日まで投稿された
ご文章――パースペクティヴ仮説や「寂光モデル」とその付随例を要約致し
ますと、493ご文章の以下十二行抜粋を以って、その貴殿提示理由が明確
になろうかと思います。

―――――――――――――――――――――――――――――

神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、
人間に自由な表現力をおあたえになった。

このあたりの説明がわたくしには腑に落ちぬのであります。
神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。
だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞
すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれると
いうのでありましょうか。

―――――――――――――――――――――――――――――

 上記がこの、初心者さまなる御仁のご主張内容となりましょう。そしてこ
こから、我々は議論をスタートさせることと致しましょう。今までのやり取
りは前哨戦――正確に云うと違うが――であったのであり、旅順攻略前の南
山要塞であったわけであり、日本海海戦前の旅順港閉塞戦であった次第なの
です(少なくとも愚生にはそう映ります)
――「神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、人間に自由な表現力を
おあたえになった。」と、雅春先生は申されます。そしてそれは、人間を神
の操り人形とせぬためだ、とも説明されておられます。しかしそれでは浅学
の(我が)身には「人間に自由なる意思をあたえることで、いったい何が生
まれるというのでしょう。」という疑問が、当然のごとく発生する次第です。

 自説をお持ちの諸賢に於かれましては、本議論、ぜひご参加願いたいもの
だと切望する次第であります。

<註>
※ ここが本議論の天王山でありましょう。

 無論、結論に至っても、そこから派生してくる「なんらかの新たな疑問」
・・・これは当然生じるでしょう。けれども、まあ愚生、自身の思索経験か
ら申しても「この493ご文章が肝心な点である」と確信する次第です。

499: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/29(水) 10:51:06

>初心者さま

追伸

 昨日、私は「無神論者+唯物論者として議論に参戦する」と宣言しました
ね?ハンドルネームを「大前研一に訊け」として書き込みを行おうと思って
いたのですが、これ、この「大前研一に訊け」に書かせようと思っていた主
張は、貴殿493ご文章とほぼ同意のものでありました(笑)「いやー、先
を越されたか」てな次第で、貴殿の読解力に舌を巻いております(笑)

 以下参考までに、この「大前研一に訊け」の主張――唯物論+無神論者時
代の私の日記からの抜粋を記します。ちなみに以下日記は、2006年11
月23日のものであり、「信仰歴4ヶ月と20日時点のものである」ことを
付記しておきます。「ああオレ、確かにこんなこと考えていた(笑)」てな
懐かしさ一杯でありますが(笑)

――――――――――――――――――――――――
(雅春先生の御教えを「素晴らしいものだ」と絶賛したあとの文章)

・・・ただしかし疑問がないわけではない。その疑問とは、「完全であるは
ずの神は、なぜ現象界を造り損なったのか?」というものだ。
X氏に疑問をぶつけたのだが同氏曰く「いや、完全に造ったら、人間に自由
意志がなくなるよね?」とのことだった。しかしオレの疑問は「いや、完
全でなくなろうとも≠サっちのほうが良いですよね」というものになる。だ
って「實相は完全」なわけでしょ?實相は完全なんだから、自由意志なんて、
神から貰いたくないもんだよ(笑)そんな「自由意志」なんてものを神が与
えたゆえに、人間は不完全な現象を生きねばならぬわけでしょ?だったらそ
んな「自由意志」なんて、オレは欲しくないな。操り人形であれ、實相その
ままの世界を生きてみたいものだ。

なんかオレ、宗教関係者から騙されてはいないか。谷口雅春がオレを騙して
いるとは考えにくいけれども、それでも突き詰めていけば谷口雅春理論にも、
大きな穴があるんじゃないか?そして大半の信者は妄信により「谷口雅春は
素晴らしい」と思い込まされているだけじゃないのか?

――――――――――――――――――――――――

「信仰は理屈ではありませんよ」なのかもしれませんが、思想傾向(1)(2)
の層から見れば「そのご主張、『信仰は理屈ではありませんよ』こそ屁理屈
ですよね」と返されるのがオチでありまして(笑)我が国は思想傾向(1)〜
(4)が大半なのでありまして、そしてそれぞれの層に向けての対機説法を
明確にすることは、これ、雅宣総裁を撃つこと以上に大切なことであろうと
思います。そしてやはり、教勢拡大に於ける対機説法では、理屈は大切であ
りましょうし、また雅春先生が素晴らしいのは「その理屈で以って真理を説
かれた点」これになるのでありますから(戦前は博士クラスが帰依したわけ
でしょ?やはりすごい教えですよw)

 ・・・ですんでもう、本流宣言掲示板の方々、諸賢の皆さんにもこのテー
マ「参戦義務がおあり」ですぞ。森の中にオフィスが建とうが建つまいが、
そんなこと・・・(中略)・・・ちなみにこれ、挑発にあらずですぞ(笑)

500: 名無しさん :2011/06/29(水) 12:28:58
ブログ管理人様へ

わたくしの申したいことを、ここまで印象深く饒舌に語られるとは、感心をとおりこして、いやはや、あきれはてるばかりでございます(しかも、わたくしの「大文献学者」発言にたいする反撃までなされるとは、畏れ入るばかりであります)。

とりあえず、絶対観念なるものについて、自己流の解説をいたします。「美人のたとえ」が出ておりますので、これに関連してご説明いたします。

ひとりの女性がいます。この女性は、自分の姿をいちども見たことがありません。美人と称される人物も、不美人といわれる人物も見たことがございません。さらには、「美人」という言葉さえ知らず、美人について語られる言葉を聞いたこともありません。しかしこの女性は、自分が美人であることを知り、しかもそれを表現できるのであります。

なぜこのようなことが可能かといえば、この女性が直観知性を持ち、この直観知性をもちいて「美人の絶対観念」にアクセスし、その絶対観念と女性自身とが一致していることを確認し、さらには直観知性をもちいてそれを表現しえたからであります。

神であれば、これくらいのことはできるかもしれません。直観知性を駆使して、あらゆる絶対観念にアクセスし、神ご自身との一致を確認なさったあとに、あらゆる絶対観念にもとづいた完全無欠なる実相世界を、神は創造なさる。このようなことは、神であれば可能であるということになるのかもしれません。

しかし問題はこのあとなのです。この問題について、ブログ管理人様から簡潔に語っていただきました。まさしくこれは、外道が仏道に帰依できるかどうかの天王山であるような気がいたします。

巷ではいろいろと批判されておるのでありましょうか。「部分社会」でございますね。

501: 名無しさん :2011/06/29(水) 15:20:02
気づいたことがあるので、簡単にメモします。

真善美は絶対観念。
知情意は、はたしていかに。

知情意は観念にあらず?

知の働き。
思考、集中、記憶、判断・・・。
知性は、意識の明るい部分にあり、かなりのところまでコントロールが可能。

情の働き。
憎しみ、嫌悪、愛着、嫉妬・・・。
感情は、意識のいくらか暗いところにあり、コントロールは難しい。

意志の働き。
意志は、意識のまったく暗い部分あり、その所在さえ知ることはできない。

これはなぜなのでありましょう。

神は知性を創造できた。ゆえに知性はコントロール可能。
他力本願も可能(神のめぐみ)。

神は感情を半分しか創造できなかった。
ゆえに、神によって創造された知性では、感情のコントロールは難しい。

神は意志を創造できなかった。
よって、すべては人間の力にゆだねられている(努力)。

人間には感情を表現する余地がある?
何物にもしばられない、意志する自由がある?

結論:人間は、意志と感情の働きによって現象世界を欲した?

悟りとは現象世界に没頭すること(飯を食ったら茶碗を洗え)?

いちおうメモしておきます。

502: 名無しさん :2011/06/29(水) 19:29:51
かの文豪ゲーテは、感情の世界にひたすら留まりつづけ、理念の世界に進もうとはけっしてしなかったそうです。ゲーテにとって、感情や感性の世界は、理念や観念の世界とはくらべものにならぬくらいに重要であったようです。

理念や観念の世界にはけっして振り向こうとせず、感情や感性の世界にひたすら留まりつづけようとする態度は「ゲーテ的態度」と称されるようで、同時代のドイツ観念論の哲学者からも高く評価されていたようであります。

完全な知性というものはあるにしても、完全な感情というものは、おそらくはないと考えます。完全な生物は感情を持たぬはずです。なぜなら、感情とは不完全であるがゆえに感情なのであり、完全であれば、それは論理的思考となってしまうことでありましょう。

してみると、感情とは、神の失敗作なのでありましょうか。それとも苦心の作なのでありましょうか。それは神のみぞ知るといったところでありましようが、いずれにしても人間は感情を持ってしまったようであります。

情緒、情念、情感によってつむがれる世界は、おそらく実相世界には存在せぬはずです。実相世界とは、完全なる観念と理念とによって織りなされた世界ということでありましょう。感情的世界を生きることのできる人間は、いまだ神が表現せざる世界を生きている。このように考えることも、けっして不可能というわけではありますまい。

ゲーテはこのことに気づいていたのかもしれません。であるがゆえに、理念や観念への傾斜を避け、感情的世界にひたすら留まりつづけようとしたのではないでしょうか。神の絶対観念がすでに表現されてしまった実相世界において、人間のはたすべき役割があるとすれば、それは感情的世界の表現ということであるのかもしれません。

わたくし、いつもは「知性、知性」と何かのひとつ覚えのように言っておりますが、じつは、感情を知性の上位に置いているのであります。神秘学の説くところによれば、知性はエーテル体に属するものであり、感情はアストラル体に属するものということになっております。

エーテル体は肉体の消滅とともに消え去ります。たとえどれほど高き知性を宿し、豊富なる知識を得ていようとも、それらのものは、肉体の死とともに無に帰します。アストラル体は、肉体の死後も存続いたします。情感豊かに生きることができれば、その体験は来世へと引き継がれます。寒々とした感情で生きた人は、それがそのまま来世の感情となるのかもしれません。

ことに恐ろしいのは、「死ねばすべてが終わりで何もない」と思いながら生きた人の来世は、その思いが実現して、虚しく虚無的な人生になるとも言われております。たとえどのような知識を持とうとも、来世に引き継がれるのは、せいぜいのところが、肉体的な特徴として、その幾ばくかが反映されるといった程度でありますが、感情や思いはこのように、来世に決定的な影響をあたえることになると言われているのであります。

知的に思考された観念や理念は、来世にほとんどいってよいほどに何も残しません。どのような感情で生きたかということが、来世にも残る足跡としてきざまれるようです。ことほどさように、観念や理念よりも、感情や感性のほうが、霊的にはよほど重要であります。このことが、今ここで問題となっていることがらと深く関係しているように思われてなりません。





505: 初心者 :2011/06/30(木) 10:44:40
これほど重要な局面で反応がないというのは、意外であるとともに、残念で仕方がありません。

ここで何がなされているのかといえば、「五官で認知可能なコトバと事象」によって真理の全体を語ろうということです。わたくし、あるいはわたくしたちは、ときに「反・生長の家」的ともいえる言説を弄しながら、「実相モデル」と「寂光モデル」をつなぐことのできる思考の枠組みを、たとえそれがいかに稚拙な方法であろうとも、抽象的な言説へと流れることなく構築してきたつもりであります。

現段階で問題となっているのは、対抗するモデルが提示されていないということであります。比較対照すべきモデルが提示されていないために、これまで築いてきた、あるいはこれから築こうとしている思考の枠組みの正当性を確認できないでいるということなのであります。

生長の家の正統派モデルが必要であります。正統派モデルの全体像を「五官認知可能なコトバと事象」で語っていただくことが、今は必要なのであります。生長の家の正統派を任じてられるみなさま方にお願いいたします。真理の全体を今すぐ語ってくださいませ。

部分を語るだけであれば、いくらでもごまかしがききます。全体を具体的な言葉で語ろうとすれば、ごまかしはききません。どうかごまかしのない真理をお聞かせください。

506: トキ :2011/06/30(木) 11:26:37
 今、時間がないので、短めの文章になりますが、お許し下さい。

 生長の家の正当派の主張では、縦に「人間=神の子」の唯神実相論、横に「三界は唯心の所現なり」の心の法則が説かれています。
一見、相矛盾する考えですが、この説明を「五官認知可能なコトバと事象」で語ると、こういう発想が可能かと思います。

 以前、部分社会という発想を提示しましたが、この人間界で生活をしている我々には、憲法に相当する「唯神実相論」が適用される
と共に、部分社会の規律に相当する「心の法則」も適用されます。高校生の正当手帳に「校則」が印刷してあり、学校生活では、
法律よりも「校則」が優先して適用されるように、ある範囲では、横の真理=心の法則が優先して適用されます。
しかし、例えば、部分社会の規律が、あきらかに上位規範の憲法や法律の認める範囲を超えると、その部分社会の規律は無効となります。
 生長の家が、心の法則を説きながらも、唯神実相論を追求するのは、それが上位規範であるという認識をもっているためかと思います。

 ところで、生長の家の考えでは、「霊界」も「現象の世界」であると言います。
ですから、肉体の有無を別にして、人間界で通用する事は、だいたい霊界でも通用します。つまり、人間界も霊界も「部分社会」である
のは同じであり、規律の内容は少し違いますが、似ている、と説明ができると思います。

 また、投稿します。

合掌 ありがとうございます

508: トキ :2011/06/30(木) 13:37:20
あと、ビッグバン仮説を前提とするのなら、宇宙は137億年前に誕生した事になっています。ご存知の通り、地球の膨張は観測されており、ドップラー効果から計算すると、これはかなり確立の高い仮説だとされています。すると、137億年前には、この「現象世界」は存在しなかった可能性が有る訳です。可能性がある、と言ったのは、人間界とか物質界という観点に限定されたら、断言は出来ます。が、生長の家では、霊界も現象界だと規定します。
霊界まで広げると、ビッグバン以前には存在しなかった、と言い切るだけの材料を私は持っていませんからです。しかし、おそらくは、存在しなかったと言えるのではないかと考えています。

 137億年というのは、たかだか100年も生きられない人間を基準とすると、気が遠くなるような長い時間です。しかし、神様の目から見たら、たかだが137億年という発想が可能だと思います。ひょっとしたら、ビッグバンは過去、何度も存在した可能性があるのかもしれません。とにかく、何故、ビッグバンが起こり、宇宙が誕生したのか、という質問への返答は困難ですが、神の意思という説明は可能だと思います。その意思を持った存在を
生長の家の観点からは、第1義の神様と呼べると思います。その後、現象世界の想像と発展により、その中で、一見、独立したようかに見える意思が生まれ、それが生長の家でいう第2義、第3義の神様という事になったような気がします。さて、正当派の生長の家からは、どう説明をしたら良いかは難しいですが、もう少し、ましな説明の方法があるかもしれません。また、その時は、投稿をします。

509: 初心者 :2011/06/30(木) 14:28:23
トキ様、ありがとうございます。

トキ様を相手に持論をぶつというのはあまり本意ではありませぬが、とりあえずここで「全体」ということについて語らせていただきます。「寂光モデル」では、「三界は唯心の所現」は、部分ではなく全体に組み込まれるのであります。

アーノルド・ミンデルという心理学者がおります。教文社からも何冊か書籍が出版されておりますので、ご存じの方もおられると思います。ミンデルは、MIT(マサチューセッツ工科大学)で修士課程まで量子物理学を専攻し、その後、ユング派の心理学者に転向した、きわめて変り種の心理学者であります。

ミンデルは、宇宙には自己反射的な傾向があると主張します。そうした傾向は、量子波動関数の数式のなかに見いだせるともいっております(このことにかんして、わたくしは関知しておりません)。ミンデルによれば、宇宙の自己反射的傾向は、物理学的な法則でもあるようです。

宇宙の自己反射的傾向が人間をとおしてあらわれたのが「三界は唯心の所現」の法則であります。この法則により、人間は、自分自身を他者、あるいは他物に反射させて見ているということになります。

ここで重要であるのは、こうした傾向は宇宙的法則であるということであります。宇宙がなぜこうした傾向を持つにいたったのか。答えは、神が神ご自身を見るためであります。神が神ご自身をご覧になるために、自分が自分自身を反射するという仕組みをおこしらえになったと、このように考えることが可能となります(「他者」や「他物」に見えているものが、じつは自分自身だったということになってまいります)。

このあたりのことを考えますなら、「三界は唯心の所現」の法則は、横の真理といいますよりも、神にとって最重要の法則ということになってまいります。神は、神ご自身をお知りになるためにこの世界をおつくりになった。これが「寂光モデル」の核心にある考え方であるからです。

この意味で、「三界は唯心の所現」の法則は、宇宙の存在理由そのものであり、したがって、部分ではなく全体に組み込まれるべき事象となるのであります。「寂光モデル」では、「三界は唯心の所現」は、物理的法則としての説明も可能であり、全体と部分とにわけるでもなく、全体のなかの一本の流れとして説明できるのであります。

「三界は唯心の所現」の法則にかんしますなら、これを縦と横とに分離せざるを得ない「実相モデル」よりも、全体のなかに組み込むことができる「寂光モデル」に優位性があると考えます。「三界は唯心の所現」とは、言葉をかえていいますなら、「自分で自分を見る」という、宇宙の大真理ということになるのです。

わたくしは、「自分で自分を見る」ということが宇宙の大真理であると考えております。「三界は唯心の所現」の法則は、この意味において、わたくしが「寂光モデル」を支持する有力な根拠となっております。アーノルド・ミンデルは、わたくしが「寂光モデル」を支持するにあたっての切り札的存在であります。

「正統派」といわずに、「○流」というべきであったような気がいたします。「○流」は出てきそうもありませんので、「正統派」の方々とは和気あいあいと語りあってゆきたいものであります。

510: 初心者 :2011/06/30(木) 18:51:57
これは「○流」にたいするひとり言です。

教義の根幹にかかわる疑問が提出されたにもかかわらず、
誰ひとりとして答えるものなし。

あいもかわらず、おなじような批判ばかりをつづけて、
教義の危機には無頓着。

「直観」だけなら、あたしは18年前に悟りをひらいて、
それからずっとハッピーに生きてます。

「直観」といっておれば、そりゃ楽だわね。
説明責任からは逃れられるもんね。

何を訊かれても「直観ゆえに言葉にはできない」と
いっておればいいもんね。

教義の危機がおとずれても「直観」はゆるがない。
説明できないのは、それが「直観」ゆえだから。

ちゃんと言葉で説明してよ。
でなきゃ、生長の家は終わっちゃうよ。

511: 初心者 :2011/06/30(木) 20:01:28
正直いって、
あたしは谷口哲学が理解できない。
理解したくとも、理解不能なのだ。
悟りはとりあえずひらいてみた。
宇宙の神秘を味わえるようにもなった。
死の恐怖も克服した。
やりたいことはすべてやった。
もう何も思い残すことはない。
そう思って生きてきたが、
肝心の谷口哲学が理解できないままなのだ。

正直いって、
谷口哲学への嫌悪感がある。
どう考えても間違いなのだ。
神の第一念による実相世界の創造は
じっさい不可能なのだ。
神が第一念を発する前に何がおきたのだ。
神はなぜ第一念を発したのだ。
発しなければならないような
何か特別な出来事があったのか。
第二念ではなぜだめなのだ。
第二念の創造なら可能であるはずなのに。

正直いって、
谷口哲学を理解したい。
これだけ大勢の人々を救ってきた
谷口哲学を理解したい。
あたしの悟りが救ったのはあたしだけだった。
あたしはあたしの真理によって救われた。
でも、救えたのはあたしだけだった。
ほかの誰ひとりとして救えはしなかった。
あたしが味わえたのは、
あたしひとりが救われた喜びだった。
それは誰とも共有できない喜びだった。

正直いって、
あたしは谷口哲学が嫌いだ。
間違っているのに大勢の人を救った。
だから嫌いなのだ。
間違ってないとわかれば
きっと好きになれるだろう。
神はなぜ第一念を発したのだ。
第一念の前に何があったのだ。
誰も本当のことを教えてくれない。
誰も何も語ってくれない。
きっと誰もそのことは知らないのだ。

512: トキ :2011/07/01(金) 10:40:43
>>511

 先は長いですから、じっくりと腰をすえて勉強すればいいと思います。
私も勉強中です。がんばりましょう。

合掌 ありがとうございます

513: 初心者 :2011/07/01(金) 13:18:56
わたくしは、正直なところ、多くのことで失望しております。昨日は、失望のあまりキレかかりました。なかばキレたといってもいいでしょう。現職員、妻様だけではありませぬ。わたくしも、ここで無様な姿をさらすことにいたします。この期におよんで、「いい子ぶりっこ」にいかなる意味もないことははっきりとしておりますから。

言いたいことは山ほどあります。ここに集まってらっしゃるみなさま方の反応はいっさい気にせずに書かせていただくことにいたします。何を失望しているのか。それは、ひとつやふたつではございません。

本流掲示板。あそこは社会の縮図のような場所であります。人と人とのコミュニケーションとは何なのか。これを見事に説明できる場所なのであります。まず最初にいっておくべきことは、あそこに集まっておられる方々は、教義を理解できておりません。理解できていないがゆえに、足らざるところを精神的高揚にておぎなおうとしているのでございます。

あそこの掲示板に見られるのは、真理ではなく精神的高揚です。勇ましい言葉を吐き、現教団にたいする優越性を誇示することで、みずからの精神を高揚させているだけなのであります。

さてここで、わたくしは重要なことがらについて申し上げます。ひとつの真理について語ります。ここ最近のわたくしの発言は、おそらくみなさま方にとりましては、そうとうに異様な発言として感じられておることでありましょう。おそらくそうだろうという気がいたします。

ではなぜこれが異様に感じられるのかというと、これにたいする明確な答えをお持ちの方はおられないだろうと考えます。わたくしの発言がもしも異様に感じられているとするなら、なぜそれが異様であるのか。これを明確に説明できる方が、はたしておられるでありましょうか。

この異様さこそが、人と人とのコミュニケーションの本質をあらわしています。コミュニケーションとは、虚しき言葉と言葉のやりとりなのでございます。

虚しき言葉とは、はじめから拒絶されることがわかっていながら語られる言葉であります。「総裁よ、しりぞけ」の言葉にしても、森のオフイスの批判にしても、はじめから拒絶されるのがわかっている申し出であります。こうした申し出を延々とくり返しているのが本流掲示板なのであります。

ここでコミュニケーションの正体があきらかとなります。コミュニケーションは「やりとりそれ自体を目的としておこなわれる」ということでございます。コミュニケーションとは、それによって具体的な何かを実現しようというのではなく、やりとりを続けることそれ自体を目的におこなわれるのがコミュニケーションなのでございます。

人と人とのコミュニケーションとは、はじめから拒絶されるのがわかっている言葉と言葉の応酬なのでございます。人に贈り物をするとき、日本人は「つまらないものですが」といいながら手渡します。当然のことに、この「つまらないものですが」の言葉は相手によって拒絶されます。もらった相手は、包装紙のなかにつまらないものが入っているとはけっして思っていません。

「つまらないものですが」は、はじめから拒絶されるのがわかっている言葉なのです。こうした虚しき言葉の応酬で、実質的に社会が成り立っているということがいえるのであります。

ここで言葉に真実なる意味をつめこもうとする人物があらわれたとします。この人物とは、拒絶されることを拒否する人物です。言葉に実質的な意味をつめこみ、拒絶されないことを前提に、他者に語りかける人物です。

こうした人物の発言は、はじめから拒絶されることがわかっている申し出のやりとりによって成り立っている通常のコミュニケーションに慣れ親しんでいる人々には、きわめて異様な発言として映ります。

拒絶されることを前提に語られた言葉は人々によって受け入れられますが、拒絶されないことを前提に語られた言葉は、逆に人々によって拒絶されてしまうのです。こうした出来事が、通常のコミュニケーションのなかでしばしばおきているのであります。

本流掲示板で語られているのは、はじめから拒絶されるのがわかっている申し出ばがりであります。この虚しき応酬によってあの掲示板は成り立っております。拒絶されないことを前提に言葉を語るものは、やがて追放されてしまいます。これが、やりとりそれ自体を目的とする本流掲示板の正体なのであります。

ところでわたくしは、当掲示板において、拒絶されないことを前提にした言葉を語ってしまいました。むろんそれは、異様な発言として拒絶されたことと存じます。しょせんコミュニケーションとはこういうものなのです。コミュニケーションの虚しさをしみじみと実感しております。

514: 初心者 :2011/07/01(金) 20:48:24
きのうのつづきを書きます。

正直なところ、わたくしは、「実相世界」という言葉を聞くと、少なからぬ嫌悪の情をいだくことになります。嫌悪の情は、避けがたく出てまいります。

実相世界の存在が、嫌悪の情をいだかざるをえないほどリアルに感じられる、というわけではございません。これは記憶なのです。それはおそらくわたくしが、過去に実相世界に住んでいたことがあるという、その記憶より発せられる嫌悪感なのでございます。わたくしはたしかに、実相世界より逃げて、ここにまいったのでございます。

それは根源的な記憶。もしかしたらそうなのかもしれません。何が正しいといえるものではありませぬが、嫌悪の情は、たしかな記憶であるといえるものなのかもしれません。

ある人の説明によれば、実相世界は、風景にしても、音楽にしても、住む人々にしても、何もかもが完璧で素晴らしいものであるそうです。ですが、完璧であるために変化がない世界なのだそうです。

変化するものは無常です。無常とは、形がつねに変化して定まることがないということであります。完璧なる世界に無常はありません。無常でないがゆえに変化もないということになるのです。

変化がないということは、おなじパターンが永久にくり返されるということです。実相の世界では、おなじパターンが、空間的にも時間的にも、永遠にくりかえされていると、このように言っている人がいました。

この人は、実相世界に行って、じっさいにそこにあるものを見てきた人のようです(たしかに実相世界はあります!)。この人は、実相世界を見て、自分がかつてこの世界に住んでいたことがあり、そのあまりの退屈さに耐え切れずに逃げたしたことを思い出したそうです。

思い出したということは、記憶がどこかにあったということです。おなじ記憶がわたくしのなかにあったとしても不思議ではありません。おそらくわたくしは、こうした記憶に基づいて、実相世界にたいして、嫌悪の情を避けがたくいだいてしまうようなのであります。

それとわたくしは、神の第一念による実相世界の創造はありえないとして、生長の家の教義である「実相モデル」を否定しているわけでありますが、この点に関しましては、トキ様よりひとつのご回答をいただきました。

ビッグバン以前にも世界は存在した。これがトキ様よりの回答です。ビッグバン以前の世界を想定しますならば、この世界における神の第一念による実相世界の創造は可能となります。ただしこの場合、ビッグバン以前の世界がどのようにしてつくられたのか、という問題が依然として残ります。

そこまで深く考える必要はない。いちおうそういうことにしておきます。実相世界はすでにある。それはたしかなことのようですから、この問題には、これ以上は深くかかわらないことにいたします。さてでは、わたくしはこれから、実相世界とどのように向き合うべきなのでありましょうか。

現象世界がそれほど住みよい世界でないのはたしかであります。実相世界とくらべて、はたしてどれほどマシな世界であるのか、それはわかりません。さりとて、実相世界にもどろうという積極的な気持ちがおこるわけでもありませぬ。

自分のまわりに、泥に咲く蓮のごときプチ実相世界をつくってみるのも悪くはないかもしれませぬ。無常のなかに実相のあらわれを見て楽しむ。実相のなかにドップリとつかるというのではなく、そういうちょっとした幸せを味わうというのが、わたくしには向いておるようでございます。

515: トキ :2011/07/01(金) 21:13:36

初心者様と同じような考えは、立花隆さんの「臨死体験」の中に出てきます。
子供の頃、臨死体験をしたアメリカの科学者が、学者になってから、擬似的な臨死体験ができる装置を作り、自分が実験材料になったそうです。すると、
子供の頃に会った天使が出て来て、この世界は実在ではなく、顕れである事等
生長の家で説く事と同じような事を話しだしたのです。で、その動機は、神が 実相世界の退屈さに飽きた、という説明をしているのです。(笑) 
ですから 初心者様だけの考えという訳ではないと考えています。

ところで、人間は死んでも、霊界に行きますが、そこも「現象世界」であるのは同じです。ただ、肉体がない分、「実相世界」の存在を実感する事は、可能かもしれません。そこで、ある人が、過去に「実相世界」を経験したとしたら、霊界でもハイレベルの状態である、神界におられたとか、ある 状況により、実相世界を実感する経験が出来たと思います。しかし、実相世界 自体は、この現象世界を生み出すパワーの源でもありますから、少し範疇が違うような気がします。

そのような霊界の記憶は、今生に生まれる時に、一度、リセットされますが
しかし、潜在意識に残っていると言われています。ですから、初心者様が紹介した方は、実相世界と類似の状態におられたのではないか、と拝察する次第です。

 初心者様が、そのような意識を持つに至ったのは、何か、前世か霊界で独自の
経験をされた事が背景にあると思います。すると、これとどう向き合うかは、
人間がはしから言うのは難しいでしょう。可能性があるとしたら、「行」しか
ないかもしれません。


 以上、勝手な事を書き並べて、すみませんでした。

合掌 ありがとうございます

516: 役行者 :2011/07/02(土) 06:24:57

>雅春先生に訊け管理人様
>>491
いやあ、見事に順序まで付けていただいて・・・感謝です。
魂の底に真理の言葉が深く流れ入り、実相に包まれているいい気持ちに
なりました。ありがとうございました。

それから、

>我が国は思想傾向(1)〜(4)が大半なのでありまして、
そしてそれぞれの層に向けての対機説法を明確にすることは、
これ、雅宣総裁を撃つこと以上に大切なことであろうと思います。
そしてやはり、教勢拡大に於ける対機説法では、
理屈は大切でありましょうし、また雅春先生が素晴らしいのは
「その理屈で以って真理を説かれた点」これになるのでありますから
(戦前は博士クラスが帰依したわけでしょ?やはりすごい教えですよw)


同感であります。このように、生長の家も進化向上することによって、
より人々に救いの手を差し伸べることができるようになると存じます。
素晴らしい提案だと思います。訊け管理人様。やりましょうぞ!!

>初心者様
やあ、しばらく見ないうちに、書いていますね〜(笑)

まず、
>ある人の説明によれば、実相世界は、風景にしても、音楽にしても、
住む人々にしても、何もかもが完璧で素晴らしいものであるそうです。
ですが、完璧であるために変化がない世界なのだそうです。

変化するものは無常です。無常とは、形がつねに変化して定まることが
ないということであります。完璧なる世界に無常はありません。
無常でないがゆえに変化もないということになるのです。

これなのですが、前にも述べたのですが、実相世界が存在するなら、
そこは無限生長の世界だと思うのです。つまり、矛盾は存在しないのですが、
弁証法的に進化向上していく世界と存じます。
つまり、歓喜に満ちあふれた世界が展開されているのが、
実相世界かと存じます。どうですかね〜実相世界とはどんな世界なのか?
訊け管理人様にもお伺いしたいです。

517: 役行者 :2011/07/02(土) 06:30:43
続きです!!

>初心者様


>確かに、いまは寂光世界と存じます。いや、地球創成のころ(ビックバン)
から、寂光は宇宙に内包されていたと思います。
でないと、人間を中心とした神の第二創造に理由が付かないのです。


と私が述べたとき、

>わたくしも、役行者様と同意見です。実相世界がすでに完成していると
すれば、神の意志としての第二創造の説明がつきません。

ただこのことにかんしましても、「反・生長の家」的ともいえる持論が
あります。

神が神ご自身を表現なさるために実相世界をおこしらえになったとすれば、
つづいて、鑑賞者としての人間をおこしらえになったと考えられます。
神は、「わが創造せしすばらしき世界を讃嘆せよ」と、このように人間に
命じられたことでありましょう。すかさず人間たちは、
「さすがに神がつくられた世界だ。どこまでも完璧でスキがない」と、
口々に讃嘆しあいました。しかしそのうち物足りない気分におそわれること
になります。実相世界では、9回裏ツーアウトからの大逆転もなければ、
役行者様のお好きな花金もなかったのです。

人間たちは、「こんな退屈な世界はもういやだ」と考えるようになりました。
やがて念のレンズをこしらえ、それをゆがませることで、実相世界を、
パースペクティブの効いた不完全な世界として見るようになったのです。

との説を初心者様は、繰り広げられたのですが、パースペクティブの効いた
不完全な世界を人間が果たしてこしらえることができましょうか?

そして、トキ様が、
>ビッグバンから素粒子がうまれ、原子が誕生し、宇宙が生まれ、
現在も加速度的に発展しているように、この世の森羅万象の法則は、
「実相」が根本にあり、全ては「実相」を根底にして、有機的に連結をして
おりまして、この点を知って初めて理解できる、という発想もできるのかも
しれません。


と述べられ、ビックバンからの宇宙創生には、実相のエネルギーが意志として
働いていると思いました。

そうすると、

>なぜ小さな点でしかないビッグバン直後の宇宙が、この広大な宇宙のあらゆる
方向に見えてしまうのでありましょうか。
1個しかなかったはずのビッグバン直後の宇宙が、なぜありとあらゆる方向に
見えてしまうのでありましょうか。この摩訶不思議な現象が、
パースペクティブとともに、この現象世界がかかえる「差延」の問題
なのであります。

ここで「実相世界に差延はない」という、どこかで聞いたような話になって
くるわけでありますが、あまりにも不可解な話でありますので、
ボロが出るまえにやめることにいたします。


つまり、ビックバンのとき、パースペクティブとともに三次元空間が
生まれてしまった。そこに、すでに矛盾の芽があったのです。
なぜ、ビックバンが生じたのか・・・大切な問題です。

>ビッグバン以前にも世界は存在した。これがトキ様よりの回答です。
ビッグバン以前の世界を想定しますならば、この世界における神の第一念
による実相世界の創造は可能となります。ただしこの場合、
ビッグバン以前の世界がどのようにしてつくられたのか、
という問題が依然として残ります。

まあ、そのとおりだと思います。イエスが、この世のはじまる前からの
ことを説きましょう。と述べられておりますが、この実相世界のこと
なのでしょう。


果たして、神の第一創造から第二創造の境界に、何があったのか?
人間の知性で、理解し得るものなのでしょうか?



また、これからパソコンを使える環境でなくなるんで、ご了承のほど!!

518: 初心者 :2011/07/02(土) 11:59:45
トキ様、ありがとうございます。

「嫌悪感」につきましては、あくまでも推測でありまして、さしたる根拠があるわけではありません。ただはっきりしておりますのは、そうとうに強固な嫌悪感がある、ということでありまして、これにはやはり、それなりの理由があるのはたしかなようであります。

その理由が何なのかを明確に語ることはできません。ただこれもはっきりといえるのは、それが、実相世界の存在を否定しようという方向の嫌悪感ではないということであります。存在することにたいする嫌悪感。こういうものだろうと思います。

わたくしが紹介した人物というのは、ロバート・モンローです。教文社からも本が出てます。ロバート・モンローは、体外離脱を可能にするヘミシンクと呼ばれる音響装置を開発した実業家です。モンローは、この装置を使い、「環体」や「インターステート」とモンローが名づけた霊的世界の探索をつづけます。

そうした探索のなかで、インスペックと呼ばれる高次の存在と出会い、その導きによって「魂のふるさと」と呼ぶべき場所に案内されます。そこでの体験を、「じつに素晴らしく退屈であった」といったふうにモンローは記していました。

わたくしもじっさいにヘミシンク音が録音されているCDを購入して聞いて見ました。18枚組でありましたが、まだ数枚を聞いた程度で、長いこと聞いておりません。じつはわたくしは、自分が気づかぬうちに、自然と体外離脱してしまうところがあって、そのために、ひと様に多大な迷惑をかけてしまったようなのです(あまりの出来事に、寝込んでしまった人もいるようです)。

体外離脱したあと、覚醒した意識でいられるのは1分程度です。あとは夢の世界で、それでも、高速での移動や降下といった身体的な感覚だけは維持できています。このような事情により、離脱後の行動をコントロールする必要性を感じたものですから、ヘミシンクCDを購入して聞いて見たという次第です。

結論からいうと、なんらかの効果はあったように思います。聞きはじめてすぐに身体的にかなり大きな変化がありました。その後は、体外離脱を禁止する物理的な手段を見いだすことができましたので、ここ3年以上、体外離脱はしておりません。

このようなことから、わたくしももしかしたら、ロバート・モンローとおなじように、何らかの方法によって実相世界か、あるいはそれにいくらか近い世界を体験した可能性がないとはいえません。それが今の嫌悪感となってあらわれているのかも、とは思います。

あらぬことを書いてしまいましたが、これも体験ではありますので、紹介いたしましたる次第であります。

519: 初心者 :2011/07/02(土) 12:15:09
役行者様へ

最近、なぜかブログ管理人様がお出ましになられません。わたくし、何か失礼なことでも申し上げてしまったのでしょうか?天照大神の天岩戸隠れにも似たさみしさが感じられてなりません。

>との説を初心者様は、繰り広げられたのですが、パースペクティブの効いた
不完全な世界を人間が果たしてこしらえることができましょうか?

さすがに役行者様であります。現時点では、これが最優先に考えるべきテーマであろうかと存じます。これについては、やはり諸説紛々ということでありましょうが、実相世界において神の絶対観念がすでに表現されてしまった状況において、それにつづく第二創造の意義を見いだすとすれば、人間がパースペクティブの効いた世界をつくりだすということが、神の計画の一部であったと考えるのが適当ではないかと考えます。

つまり、神は最初からそうした能力を人間にあたえていた、ということです。ただし、ロバート・モンローの体験した「魂のふるさと」はパースペクティブが効いた世界であったようであります。このあたりはまだ一考の余地があると考えます。

>これなのですが、前にも述べたのですが、実相世界が存在するなら、
そこは無限生長の世界だと思うのです。つまり、矛盾は存在しないのですが、
弁証法的に進化向上していく世界と存じます。

そうなのですね。わたくしは、役行者様がこれを書かれたとき、「おや!」と思いました。実相世界は、はたして弁証法的発展の場なのか、と思いました。生長するということは、変化するということです。だとすれば、実相世界はまだ完成されていない。いまだ神の絶対観念や純粋観念の一部が表現されただけで、すべてが表現されたわけではない。つまりは、実相世界においても実相の流入はつづいているのだろうかと、このようなことを考えるにいたったような次第であります。

雅春先生は、実相世界はすでに完成していると、このように説いておられるような気がいたします。完成しているとすれば、そこは変化無常の世界ではなく、永久不変の世界のはずであります。この世界に変化をあたえるのが、役行者様のいわれる弁証法なのでありましょうか。弁証法的発展が要因となって、永久不変であるはずの実相世界に変化、発展が生じる。このようなことを役行者様はいっておられるような気がいたします。このあたり、パソコン環境下でさらに詳しきところをお聞きしたく存じます。

520: トキ :2011/07/02(土) 13:35:50
初心者様

 私が理解しているところでは、ロバート・モンローはアメリカの実業家で、自分が体外離脱を経験した事が
契機となり、私財をとうじて体外離脱の研究を始め、ついに人工的に体外離脱が出来るシステムの開発に成功
し、これを「ヘミシンク」と称しています。以前はテープでしたが、今はCDになっているのですね。面白そう
なので、一度、聞いてみようかと思ったのですが、高そうだったので、止めました。

 ヘミシンクについては、日本人で初期に経験した人が本を2冊書いています。それによると、魂のレベル
に応じて、「フォーカス10」とか「フォーカス20」とか、称している様です。説明自体には、生命の実相
第2巻や霊界編などと矛盾する部分はないと感じています。ただ、何であれ、「体外離脱」をする訳ですから
一つ間違えば、そのまま、永久的な霊界へのご旅行になる可能性があります。おそらく、霊界から神界の近く
まで体験するシステムなのでしょうが、アメリカのモンロー研修所など、しっかりした指導者の下でしないと
危険性はあるのかもしれません。

 しかし、有名なキューブラー・ロス博士などもヘミシンクは使っていたみたいですし、立花隆さんの「臨死体験」
にも紹介されています。たいへん面白いシステムであると思います。初心者様が、あれを使っていたというのは、
面白かったです。すると、ヘミシンクの途中で会ったガイド(指導霊)から、何らかの示唆を受けているのかもし
れませんね。

合掌 ありがとうございます

521: 初心者 :2011/07/02(土) 14:56:57
トキ様、ありがとうございます。

体外離脱は、じっさい危険です。遠くにいきすぎて、もどろうにも肉体の在り処がわからいという体験は、しばしばいたしました。本当にあせって探しまわるんですよ。どんなに探しても見つからない。こういうこともあります。見つからなければ、そのままあの世行きです。さんざん探しまわったあげくに見つかれば、ものすごい速度で移動します。最後に、なにか大きなものに飛び込むんですね。これがどうやら肉体のようです。肉体は、その後の数分間、はげしく振動して、それでようやく体外離脱が終了します。

でもわたくしの場合、体外離脱は自然に起きるようになったもので、ヘミシンクはほとんど関係なかったです。CDに録音されているヘミシンク音は、じつはほんの少しなんですよ。ほかの多くの時間は、ロバート・モンローがひとりでしゃべりまくってます(もちろん英語で、しかもかなり大きな声で)。なかなか集中できなくて、あまり役には立ちませんでした。

なんにしても、きちんとした指導者のもとでなければ、たいへんに危険です。肉体にもどれなくなるのは日常茶飯事なのです。

522: トキ :2011/07/02(土) 15:17:22
>>521

初心者様、ありがとうございます。トキです。

 立花隆さんの「臨死体験」には、フィンランドのキルデさんという医者の体外離脱の経験が書いてありますね。

彼女の説では、世間にいる精神異常者のある程度の人の中には、体外離脱をして、霊界で異常な経験をして、
そのまま戻って来たケースがあるはずだ、と言っています。また、私は寝ている間に突然亡くなったとされる人
の中にも、体外離脱をして戻れなくなった人が相当数いるような気がします。

 余談ですが、彼女は、亡くなった叔父(やはり医師だったそうです)の自動書記で「死は存在しない」
とう本を書き、世界的なベストセラーになったのですが、日本語には翻訳されていません。英語版でも
時間をかけて、探そうかと思っています。

523: 緑の意思 :2011/07/02(土) 16:20:46
横から失礼します。

ヘミシングは太平洋戦争中アメリカの軍事研究所で、兵士の市への恐怖心をなくす洗脳技術、
暗示による殺人任務を遂行させる誘導実験の目的で、音響差による脳への刺激を与える研究されていた
みたいですね。

私も体外離脱の経験から肉体を離れてもありありとした感覚があるのに驚き、
興味からCDを持ちました。

ただ友達の弟の離脱体質から精神的に調子をくずしたことや、
色々分ると結局危険な幽界の遊びだとの認識を持ちました。
モンローの研究自体は使命があったのでしょうね。

すみません、お邪魔して。

524: トキ :2011/07/02(土) 16:42:09
トキです

>>523

緑の意思 様

 貴重な情報をありがとうございました。臨死体験から、音響による体外離脱に至る論理関係が不明
だったのですが、軍事研究の応用なら、納得できます。
 ヘミシング自体は、たいへん面白いテーマですが、実際には、アメリカに何度も行き、モンロー研究所
の正しい指導を長期に受ける必要があるでしょうから、普通の人にはまず無理でしょう。

 体外離脱の場合、いわゆる「魂の緒」が体とつながっているから、自分の肉体に戻れるのですが、
間違って、あるいは誰かが故意に、それを切断すると、そのまま「ご臨終」という訳です。先に紹介
したキルデ博士の場合、その恐怖もあり、転じて瞑想を始めたようです。

 生長の家の神想観の場合、最初にきちんと招神歌を唱えるので、大丈夫なのですが、あれがないと
やはり危険なみたいです。

 関心はもっているので、ヘミシングについて、詳細なご教示を頂戴できれば幸いです。

合掌 ありがとうございます

525: 初心者 :2011/07/02(土) 18:44:57
ヘミシンクというのはバイノーラルビートと呼ばれる音響技術のようです。モノラルを単一の音響とすれば、バイノーラルは、異なる周波数の音を、左右の耳から別々に聞かせる技術であるようです。

これはおそらく、左脳と右脳に異なる音響的刺激をあたえることで、通常は睡眠時にしか体験できない体外離脱現象を、覚醒した意識状態でも体験できるように工夫したものだと思います。

明晰夢は、それが夢であることを知りながら見る夢です。明晰夢においては、夢見手はほぼ覚醒した意識状態で夢を見ているはずです。こうした状況を人工的につくり出すのが、バイノーラルビートを応用したヘミシンク技術であると考えられます。

明晰夢を見る訓練をすれば体外離脱の体験が可能になるといっている人もいますが、何にしてもこれは、精神に大変な負荷をかける方法であるように思われます。ヘミシンクは、長いあいだ研究がつづけられておりますので、正式なトレーナーについて学ぶかぎりは、いくらか安全な方法であるのかもしれません。

ちなみに、わたくしが体外離脱をしてみようという気になったのは、真理の研究のためであります。本を読んだだけでは真理はわかりません。霊的世界をじっさいに体験してみたい。体験することでわかることがあると考えたためであります。

それなりに収穫があったとは思いますが、リスクもそれなりに大きかったと思います。不惜身命。この覚悟がなければ、あまりお勧めできる方法ではありません。

526: トキ :2011/07/02(土) 20:49:47
>>525

 トキです。初心者様、ご説明、ありがとうございました。

 すごい覚悟ですね。勇気というか、無謀というか。まるでイラクへ旅行に行くような感じです。

 霊界については、浅野和三郎先生が、亡くなった子供からの霊界通信を記録した「新樹の通信」という本が
面白かったです。これは、生命の実相第2巻に一部が引用してあります。また、昭和初期の発行ですが、既に
大東亜戦争を予告した記述があります。しかし、霊界で、ガイドについて勉強をしていても、限界はあるみた
いです。この当たりは、また、時間のあるときに投稿します。ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

527: 初心者 :2011/07/02(土) 22:22:05
役行者様へ

>つまり、ビックバンのとき、パースペクティブとともに三次元空間が
生まれてしまった。そこに、すでに矛盾の芽があったのです。
なぜ、ビックバンが生じたのか・・・大切な問題です。

この宇宙空間は、ビッグバン直後の宇宙に包まれているように
見えてるわけですよね。
まるで、ビッグバンが内側に向かって起こったような、
そんな姿が見えているわけであります。

このことひとつをとってみても、
この見えている世界がまやかしであるのはあきらかですが、
宇宙物理学者は、このまやかしの世界を観察して、ああだこうだと
言いあっているわけですから、学者たちの言い分が
はたしてどこまで信じられるのだろうかという気になります。

それでも、ブラックホールの研究で有名な、ジョン・ホイーラーという物理学者は、
「宇宙は振り返って自分の姿を見る」といっていたそうです。
この言葉の意味するところはかなり衝撃的です。
過去の宇宙を振り返って見ているのは、人間ではなく、宇宙自身ということなのです。

宇宙は、自分自身を振り返ってみるために宇宙を創造した。
その創造の瞬間がビッグバンであった。
こういうことであるのかもしれません。

もしそうなら、人間の立場はどうなってしまうのでしょうか。
人間は宇宙にとって必要のない存在なのでしょうか。

たしかに、この宇宙は、まったく矛盾だらけの宇宙です。
どうしようもないほどの矛盾につつまれています。
さてここでジジェクの登場です。
ジジェクの手にかかれば、宇宙は矛盾につつまれているがゆえに
「精神異常の宇宙」となるやもしれませぬ。
創造の最初に、神は正気を失い、狂気にさらされていた、
ということにもされかねないのであります。

ブログ管理人様によってご提示いただいた5つのカテゴリーでいえば、
これは(4)の世界観です。
この支離滅裂な宇宙を見るかぎり、
あんがい(4)が正解なのかという気がしなくもありません。

528: 役行者 :2011/07/03(日) 07:24:30
>初心者様

 携帯環境下ですが、簡単に問題提起させていただきます。


 これは実相世界の定義の問題かと存じます。
 実相世界とは如何なる世界なのか?つまるところ、訊け管理人様へ、舞台あればストリップショーでもお見せして、笑いのなか、ご出御願うところなのですが・・・いかばかりか・・・

 ですから、絶対とか、完全の定義なのですよ。
 世間的には、絶対とは権力と連動してしまうイメージがあります。中世のキリスト教文化圏で有名な、それでも、地球は動く!で象徴されるように。
 絶対イコール動かない。
 そんなイメージが潜在意識のなかに定着されている可能性があります。

 絶対観念の世界とは?そこでお尋ねなのてすが、ドイツ観念論において、対立する観念からアウフヘーベンされて、ジンテーゼの世界に昇華するとき、光に包まれた矛盾なき対立からアウフヘーベンされて進化向上していくという考えは成り立つのでしょうか?

 つまり、光と歓喜に包まれて、無限に進化向上してゆく変化ある世界を実相世界と定義付けたいのですが・・・

529: 初心者 :2011/07/03(日) 10:21:53
役行者様へ

>絶対観念の世界とは?そこでお尋ねなのてすが、ドイツ観念論において、対立する観念からアウフヘーベンされて、ジンテーゼの世界に昇華するとき、光に包まれた矛盾なき対立からアウフヘーベンされて進化向上していくという考えは成り立つのでしょうか?

難しい質問です。観念論で優先されるのは、つねに観念であるはずですから、「矛盾なき対立」が、はたして観念として成り立つか、ということがポイントになるかと思います。観念として成り立てば、あとは全体性へと向かう運動が可能となるやもしれませんので、そうなれば弁証法的発展の可能性が見えてくるかと存じます。

また、ヘーゲルのいう「絶対」とは「全体」のことであったと思います。ものごとの全体を見わたすことのできる観念が絶対観念であったかと存じます。世界をあますところなく包みこめる観念が存在すれば、それがヘーゲルの言うところの絶対観念となるように思います。

>つまり、光と歓喜に包まれて、無限に進化向上してゆく変化ある世界を実相世界と定義付けたいのですが・・・

「変化ある」というのが、「実相世界の完全性」と対立する概念として提起されてますね。たしかに、「完全性とは何か」の定義が必要になるところであります。しばし問答いたしましょう。ブログ管理人様を呼びに行かねばなりませぬ(どうもわたくしに腹を立てておられるような気がしてなりませぬ)。

ところで本日は、これとは異なる問題で、重要と思える投稿をいたしたいと考えております。難解な問題でありますので、ゆっくり小出しで投稿いたします。

530: 初心者 :2011/07/03(日) 10:25:10
ずっと考えてました。答えを模索していました。

>つまり、ビックバンのとき、パースペクティブとともに三次元空間が
生まれてしまった。そこに、すでに矛盾の芽があったのです。
なぜ、ビックバンが生じたのか・・・大切な問題です。

この問いかけに答えなければ、真理は崩壊する。
そう思ってました。問いかけの重さが、ずしりとのしかかってきました。
この問いかけは、見かけよりもずっと重く、難解です。
それでも答えなくてはならない問いかけでした。

答えが見つかりました。それは、とてつもない答えでした。
これまでの常識がすべてくつがえりました。
これまでの考え方が、すべて木っ端みじんに砕け散りました。

結論から申します。
ビッグバンによって生じたのは、パースペクティブによってゆがめられ、
差延によって偽られた、矛盾だらけの宇宙ではありませんでした。
ビッグバンによって生まれた宇宙は、パースペクティブもなく差延もない、
完全に調和した美しい宇宙だったのです。

真実の宇宙にパースペクティブはありません。差延もありません。
このことにようやく気づきました。
真実の宇宙はビッグバンによって生まれるしかなかった。
このことにも気づきました。
これから、真実の宇宙、美しい宇宙について語ります。

531: 初心者 :2011/07/03(日) 12:58:11
「見えている世界」と「見えない世界」。
このことについて語る人は多くいます。
見えている世界の奥には、見ることのできない世界がある。
このように言う人は少なくありません。

これから、「見えている世界」と「見えていない世界」について語ります。

ところで、見えている世界とは何なのでしょうか。
ここではっきりさせておくべことは、
見えている世界には、パースペクティブと差延が
かならずあるということです。

見えている世界とは、光をモノサシにした世界です。
見えている宇宙の唯一のモノサシは光です。
光をモノサシにして、時間と空間があらわれます。

光の弱点は速度です。
毎秒三十万キロ。
十分に速そうに思えますが、宇宙のスケールでは十分とはいえません。

光が届くまでに、何万年、何億年とかかることもあります。
この遅さが差延を生み出します。
光をモノサシとした世界では、見えているのは、すべてが過去です。
わたしたちは、過去の世界、過去の宇宙だけを見ています。
見えている世界とは、すべてが差延によって生じた過去の世界なのです。

夜空を見上げながら、人は、宇宙を見ていることを実感します。
星空は、たしかな宇宙だと考えます。
しかし星空は宇宙ではありません。
見えている宇宙の果てには、
どの方角にもビッグバン直後の宇宙があります。
これは差延によって生じた宇宙です。
本当の宇宙ではなく偽りの宇宙なのです。

では本当の宇宙はどこにあるのでしょう。
本当の宇宙とは今の宇宙です。
見えている宇宙がたとえ過去の宇宙であったとしても、
今の宇宙は、かならずどこかにあると人は考えます。

真実をいえば、光をモノサシとした世界では、
「今の宇宙」という考え方は成り立ちません。

光をモノサシとした宇宙では、
「同時」という考え方が成り立たないのです。
すべてが過去であり、
今この瞬間に同時に存在するものは何ひとつとしてありません。
したがって、今この瞬間に同時に存在する宇宙は
どこにも存在しないと考えるしかないのです。

光をモノサシとするかぎり、
存在できるのは過去の宇宙だけです。
今の宇宙はどこにも存在できません。
今の宇宙が存在できるとすれば、
それは光をモノサシとしない世界のなかだけなのです。

「見えない世界」とは何かといえば、
それは光をモノサシとしない世界です。
光をモノサシとしない世界が存在すれば、
それが「見えない世界」ということになります。

はたして、光をモノサシとしない世界が存在するのでしょうか。
存在するとすれば、
それが真実の宇宙ということになるのかもしれません。

はたして真実の宇宙は存在するのでありましょうか。
存在するとすれば、それはどんな宇宙なのでありましょうか。

このことについて考えてゆきたいと思っているところですが、
なにしろ相手がでかすぎます。
光をモノサシとしない真実の宇宙の存在は、
生長の家でこれまで語られてきた「実相世界」と「現象世界」の区別についても
一石を投じることになります。

これまで「ない」といわれてきた「現象世界」の真実の姿を
わたくしはこれから明らかにしようとしています。
このことが可能なのかどうか・・・、
何しろ相手がでかすぎます。



532: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/03(日) 15:29:53
>初心者さま

 いやー別に腹を立ててなんて(笑)「どうしてそう思われましたの?」と
不思議です。
 さて、いやー話題がすごい広がりを見せているではないですか(笑)私、
個人的流儀としましては、まあ、他者主張を了解してからでないと、返信で
きぬ性質でして・・・少々お時間をくださいませ。

 いやー、別に苦労自慢するわけじゃないんですが、今激務です(笑)週末
から本日にかけまして、

● 近所の高校野球部の遠征へ付き合い
● 夏祭りの打ち合わせ
● 近隣奉仕作業
●(愚息が通う)幼稚園にて「陸上部」創設準備の手伝い

 等々・・・みなさん、なかなか返信できずにスミマセン。

追伸

 まあしかし、神の子無限力ですわ(笑)時間はないんですけど「疲労感はまったくない」という(笑)実に畏れ多きかな、光明思想であります。



533: 初心者 :2011/07/03(日) 15:56:17
ブログ管理人様。

出てきていただいて安心いたしました。
あなた様は、この掲示板にどうしても必要なお方なのであります。

534: 初心者 :2011/07/03(日) 16:07:47


真実の宇宙とは、今ここに同時に存在する宇宙です。
過去にではなく、今この瞬間に現存する宇宙です。

真実の宇宙を、わたくしたちは見ることができません。
わたくしたちに見えるのは、光をモノサシとした、偽りの宇宙だけです。
偽りの宇宙は、パースペクティブと差延によって成り立っています。

「同時」ということを考えてみます。
光をモノサシとした宇宙では、
宇宙の果てから果てまで情報が届くには、三百億年近くかかります。
これではとても同時とはいえません。
「同時」とは、宇宙の端から端まで、
情報が瞬時に届かなければならないということです。

ここで、宇宙の端から端まで、
情報が瞬時に伝わる宇宙を想像してみます。
この宇宙では、いったい何がおきているのでしょう。
300億光年を、情報がゼロ秒で伝わったとすれば、
それはもはや「伝わった」とはいえません。
ふたつの出来事が同時に起きた。
このように考えるしかなさそうです。

光のモノサシを用いない真実の宇宙とは、
あらゆる場所の出来事が同時に起きている宇宙です。
しかもその瞬間に、宇宙で起こっているすべての出来事を、
宇宙のすべての存在が理解していなければなりません。
宇宙の辺境で、今この瞬間に何が起きているのかを、
真実の宇宙では、すべての存在が知っていなければなりません。
これが真実の宇宙で起こっていなければならない出来事なのです。

こうした宇宙では、パースペクティブも差延も存在しません。
存在するのは、すべてのモノと出来事が
ひとつに結びついているという現実だけです。
真実の宇宙では、すべてが一体化しています。
わたしはあなたであり、あなたはわたしなのです。
こうした現実によって成り立っているのが真実の宇宙です。
だからこそ、すべての出来事が同時に起こり、
すべての存在がそれを知ることが可能となるのです。

今の宇宙の姿をイメージしていただけたでありましょうか。
真実の宇宙では、すべてのモノや出来事は、
分割も分離も不可能です。
すべてがむすびついて一体化されています。
これが今の宇宙、真実の宇宙の姿です。

こうした今の宇宙が、
わたしたちが見ている偽りの宇宙の背後に存在しています。

偽りの宇宙をわたしたちは見ることができますが、
真実の宇宙を見ることはできません。
見ることはできなくても、真実の宇宙はまちがいなく存在します。
光のモノサシをはずしさえすれば、
その存在があきらかとなるはずです。
それは感じてみるしかない宇宙です。
その存在を自覚するしかない宇宙です。
それでも、真実の宇宙は、たしかにここに存在するのです。






536: 初心者 :2011/07/03(日) 17:50:12
アインシュタインの相対性理論では、
情報は光速を超えて伝わってはならない、とされています。
宇宙の端から端まで情報が瞬時に伝わるという考えは、
相対性理論では、けっして許されない考え方なのです。

ではなぜ、真実の宇宙では、辺境での出来事が、
全体に瞬時に伝わることができるのでありましょうか。
それは、真実の宇宙では、すべてが一体であるからです。
他と見えているものが、じつはすべて自分だからであります。

すべてが自分であるのなら、どこで何がおきているのかを、
たとえどんなに遠く離れていても知ることができます。
真実の宇宙で起きている出来事とは、
自分のことを自分で知るという出来事なのです。

そこで問題となるのは、真実の宇宙において、すべてが自分である
という一体化が、なぜ実現したのかということであります。
その答えは、真実の宇宙がビッグバンによって
生まれたからなのであります。

ビッグバンによって、
宇宙のすべての物質が同時に誕生いたしました。
同時に誕生したことにより、
すべての物体の一体化がなしとげられたのです。

EPRパラドックスとは、情報が光速を超えて運ばれるが
ごとく見える現象にたいしてつけられた名称です。
パラドックス。それはつまり「あり得ない」ということです。
情報が光速を超えて運ばれる?
そんなことは絶対にあり得ない。
そう主張したのが、アインシュタイン、ポドルスキー、
ローゼンの3人の物理学者です。
この3人の頭文字を取って、この現象は
EPRパラドックスと呼ばれるようになりました。

EPRパラドックスが起こる条件はただひとつです。
複数の物体が、こすれあうとかぶつかりあうとか、
過去になんらかの関係を持ったことがあれば
それだけでEPRパラドックスが起きるといわれています。

複数の物体が、一度でも関係を持てば、
この関係は永遠につづくともいわれています。
ビッグバンで同時に誕生したすべての物質は、
その瞬間に関係を持ち、この関係は
永遠につづくことになったのです。
ビッグバンによって同時に誕生したことによって、
宇宙のすべての物質は、EPRパラドックスで結びつけられました。

EPRパラドックスで結びついた物体は一体化します。
真実の宇宙のすべての物質は
EPRパラドックスで結びついています。
これにより、真実の宇宙の物質は、
そのすべてが一体化しました。
わたしはあなたであり、あなたがわたしとなる。
こうした宇宙が実現しました。

一体化が実現できたのは、
宇宙がビッグバンによって誕生したからであります。
もしも同時にではなく、バラバラに誕生したとすれば、
すべての物質がEPRパラドックスによって結びつけられることはなく、
したがって、一体化が実現することもなく、
真実の宇宙は誕生することがなかったと考えます。

「なぜ、ビッグバンが生じたのか」
これが役行者様からの問いかけでした。
この問いかけに答えられなければ真理は終わる。
そう考えました。
わたくしなりの答えを出してみました。

537: トキ :2011/07/03(日) 20:07:19
 トキです。相対性理論の話題ですか。深淵ですね。

直接、関係ない話なのですが、体外離脱を経験した人が、場所の移動は瞬時に思っただけで可能だ、と言われています。これも、現象界について解明するヒントになるような気がします。



538: 初心者 :2011/07/03(日) 22:45:10

トキ様は、「関係ない話ですが」といわれながら、
いつも関係のある話をお書きになられます。
今回もソートーに関係のありそうな話でございます。

宇宙の果てまで瞬間移動したとすれば、
そこにはどんな世界が待っているのでありましょうか。
おそらく、果てまでいったとしても、そこが宇宙の中心で
あることでありましょう。

わたしたちは、ともすれば、
「現象世界」とひと言で片づけてしまいがちですが、
なかなかにして複雑怪奇な世界であります。



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