生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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記録用 本流派との確執は清超先生の時代から (7863)
日時:2025年08月11日 (月) 16時30分
名前:教団所属の本音の時代

本流派との確執は清超先生の時代から (69038)
日時:2025年01月10日 (金) 10時19分
名前:80年代当時の青年会員

>清超先生が総裁先生の時代から、青年会の減少が始まっていたとは
今、初めて知りましたよ。

その理由は、なぜなのか。
私の方が知りたいですね。<

谷口雅春先生の昇天後の全国大会は、参加者が半数以下になっていました。

それは、生長の家青年会と日本青年協議会の二足のわらじで活動していた人が多く、共に活動していた諸団体との関係を解消した清超先生に反発して全国大会をボイコットしたと聞きました。

その前から、正確に言えば、100万部運動や生政連の活動が休止してから、生長の家青年会は目的を見失い、壊滅したのです。

清超先生が日本青年協議会との関係を断ち切ったの理由は、不透明なお金の流れがあったからと聞いています。信徒から集めた貴重な浄財が布教以外に使われていることに我慢ならなかったのでしょう。

それでも教団内には日本青年協議会のメンバー、後に本流派と呼ばれる人たちがいました。私は清超先生への恨み節を何度か耳にしたことがあります。

本流派と教団との確執は、清超先生の時代からすでに始まっていたのです。



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