生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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| 本当の宗教、本当の大調和の意味 (7864) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 08時16分
名前:教団所属の本音の時代
谷口雅春音声集【維摩経】を現代に生かす3(42分10秒〜45分46秒)より 生長の家の信者の中にも、生長の家は一切大調和であるから、大調和であったら殴られても何もしないでお辞儀をしているのが、それが生長の家ないかと。生長の家が生政連という政治結社をおこした。宗教はただ道場で道を説いたり座禅をしたりしているだけが宗教ではない。人間を救うためには、政治が動かなければ。法律ひとつ変わると、300万人毎年腹の中で殺して堕胎しているが、そのうち3分の2くらい、200万人くらいは助かる。それが分かっていながら、宗教が汚い汚い政治界に進出すべきものではないと言って、ずっと座禅だけをしているようでは本当の宗教ではないのである。われわれの代表を議会に送って、そしてそういう優生保護法でいつでも堕胎してもいいのであるという法律をなくして多くの幼い命を助けてやろうと動き出すのも、これが座禅である。 相手を自由に不動明王の縄をもって捕縛する。斬るべきものは斬り、捨つべきは捨てて、取るべきものは取る。相手に従って自由自在である。これが本当の大調和である。大調和と言ったらなんでもお辞儀して無抵抗でいるのが大調和と思ったら必ずしもそうではない。大調和というのは、その時その場の主人公になることである。禅宗の言葉には随所に主となるという言葉があります。随所、ところに従って自由自在に自分が主人公となるのである。自分が主人公にならなければ駄目です。奴隷となってはいかん。環境の奴隷になったり、制度の奴隷になったり、あるいは正しいようだけれど、道徳の奴隷になってもいかん。どんなものにも縛られないで、自分の内から出て来る仏性、仏の本性の動きのままに自由自在に動き出すのが、これが本当の座禅であり大調和である。環境に支配されたり、相手に打ち負かされたりして、お辞儀しているのが大調和でないのである。相手の隙を見て、その隙がわかって、相手をたたき伏せることによって、相手を正しく導くのが座禅である。 ※この部分の講話のテキストは『維摩経解釈』の109頁の数行です。谷口雅春先生はこの数行についてさらに解説を加えています。本だけではなく音声集を聞くことによっても更に真理を深めることができるのだと感じます。
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