生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第二十九話> (591) |
- 日時:2013年03月24日 (日) 09時53分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第二十九話(通算第270)
霊界とは、どのようなところか?(その十)
普通の霊界以上の特徴について
(開祖・谷口雅春先生の霊界に関する御著書より)1
*霊界に於ける恋愛と結婚
(『人間死んでも死なぬ』P.121)
<<霊界に於いては、地球上に於ける如き結婚はないのである。第一圏に住んでいるこうした堕落霊の他は男女の肉体的な欲望を充たそうとはしないのである。しかし男性と女性との間に互いに恍惚として引きつける愛情の結合はある。人々は恋愛の本当の価値を多くは見誤っている。最も高尚なる感情――道徳や、芸術や、宗教に対する微妙な憧憬(あこがれ)――がこの恋愛の恍惚感を動機として発達せしめられるのである。
地上に於いて真に相愛したる男女の霊魂は、両者が霊界の同一圏に達したる時、一緒に棲むことが出来る。愛のない夫婦は必ずしもそうではないのである。
しからば「二人の女を同じく愛したる男は、霊界に於いてそのいづれと同棲することになるだろう?」――と陳套(ちんとう)な疑問が提出せられるであろう。答えて曰く、「恐らく、その女のいづれとも霊界に於いて一緒に棲むことにはならないだろう。何故なら、その男の愛は、どちらか一方の女をだけ愛し切るだけ、純粋ではなかったであろうから」と。>>
*『霊界の妻は語る』(P.221)
<< 問:吾々が霊界へ往ってしまったら家族的な縁族関係と云うものはなくなるものといつも聞かされて来たものだが、僕はお前をいつも僕の妻として考えていたいんだ。
答:私たちのように真に完全に調和した夫婦だけは結局最後に一つに結ばれると云う事は常に間違いないことなのです。わたくしそのような実例を此処で数回見ております。>>
(註・補足) 英国に“ハンネン・スワッファー・ホームサークル”というレベルの極めて高い降霊会があります。「シルバー・バーチ」という北米インデアン高級霊からの霊界通信です。その中で、「同じ進化の階梯に達した“双子霊(アフィニティー)”のことの通信があります。現界と霊界の恋愛と結婚について有益な示唆となりますので、関心ある方は『シルバー・バーチの霊訓集』をお読みください。
*霊界の衣服その他
(『人間死んでも死なぬ』P.117・129―130)
<<普通霊界に棲息する霊魂はなにも食べない、又、睡眠も必要ではない。栄養は大気から呼吸によって得ること恰も樹木の如くである。しかし第一圏に棲息する下等なる霊魂はまだ食欲や睡眠欲や肉欲を解脱し得ていない。或るものは醜き肉欲にふけろうとして悶え、或るものは食欲を貪ろうとして苦しんでいる。>>(P.117)
<<茲で霊界の建物及び着物のことを述べて置こう。建物の材料も衣服の材用も、悉く大気中より抽出製造せられるのである。霊魂が肉体の皮をぬいで霊界に生まれる時、彼らが裸体であること、地上に嬰児が生まれる時裸体であるのに似通っている。はじめて霊界に誕生する霊魂のために、これが似合うだろうと云う着物が仕立てられてあって、彼が霊界に到着する時その着物が直ちに着せられるのである(罪重くして第一圏に行く霊魂はこの限りではない。)
その後は自分の好みに従って好きな衣裳を着ることが出来る。第二圏の住民は最も種々雑多の色と形の着物を着ている。おおむね地上に棲んでいた時に着慣れていた着物に似た衣類を好むものらしい。官吏の服装をしたものもあれば軍人の服装をしたものもあり、牧師の服装をしたものもあれば、商人の服装をしたものもある。
第四圏以上の住民になるとその服装はほぼ一定している。すなわち余りけばけばしくない色彩の、寛(ゆる)やかな袖のついた足下まで垂れる裾をひいた着物を着ているのである。霊界の衣服の材料が綿や絹やそんなものではなく、全然大気から抽出せられると云えば、読者は無稽(むけい)の空想だとのみ思うかも知れない。
然しよくよく考えて見れば綿花も綿の木が日光と大気とを吸収してその成分から化学的操作により抽出したものである。巧みな化学的操作を行い得るならば、大気よりして織物の材料を製出することなどは何の造作もない筈である。霊界に棲んでいる科学者の霊魂たちは非常に進歩した化学的操作を発明しているのである。
マッケンジー氏はその詳しい装置に通づる事は出来ないが、瞥見(べっけん)したところに従ってその装置を説明するならば、次の如くだと言っている。(中略)霊界にも製糸場もあれば、織物場もあるが、唯原料の採取の仕方が異うのである。
工場に働いている者は誰も賃金を要求しない。又、賃金を受ける必要もないのである。各人は全て己の欲する仕事をして居るに過ぎないのである。欲しない間は何ヶ月間でも仕事を強制されると云う事はない。自分の好きな仕事を見出した時初めて彼らは仕事を始める。
そこに本当の想像のよろこびがあり、本当のよき仕事が出来るのである。一旦着た着物は汚れる事も破れると云う事もない。むしろその着物は着けている人の人格の高さの進むに従って、それ相応のゆかしい光を放つのである。
同じ種類の宝石でも、第二圏の住民が付けたと場合と第三圏、第四圏等の住民のつけた場合とは、その光沢に於いて著しい差があるのである。霊界に於いては食物は要らないし、着物も一枚着たならば永久に破れないので、人格の進歩と共に光沢を増すのであるから、なすべき仕事の分量がいちぢるしくこの地上とは異うのである。
世知辛いことは少しもないが、懶(なま)けている者は第三圏以上には一人もいないのである。>>(P.129−130)
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