生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第三十五> (604) |
- 日時:2013年03月25日 (月) 14時07分
名前:信徒連合
< 第三十五話 >信徒の皆様、私の誤りでした。スミマセン!雅宣拝
地震は自然現象のひとつ?(『小閑雑感』・平成20年2月13日)
<<日本列島では地震が起こるのは、地質学上では「当たり前」で「自然なこと」である。それなのに「起こらない」>と考えている人間が「災い」と呼ぶ。<地震は来ない>と考えて耐震設計をしない事は「人災」で、ある場所へ「危険」を承知で行くのも「人災」を求めている。>>
地震は自然現象であって人間の(心の)活動とは無関係!?(『小閑雑感』平成22年4月24日)
<<火山の爆発や地震の勃発も、自然界の活動の一部でありますから、あえて言えば“自然な出来事”なのであります。・・・同じ自然の活動であっても、人間がそれぞれの立場から見て、“悪い”とか“善い”などと勝手に判断するのです。・・・ 昨今は、自然界の乱れが顕著になってきています。私は、火山の爆発や地震の勃発は人間の活動に原因があると言っているのではありません。それらは、当り前の自然現象です。>>
(講評)は、下記の通り・・・但し、これは“春眠、暁を覚えず”――或る春の夜の夢ですが・・・
<お詫びのことば>
「私(雅宣)は、上記二回にわたって“地震等の自然災害といわれるものは、人間の心とは関係のないものであると書きましたが、この間、『生命の實相』をたまたま開いた時、次のような開祖・谷口雅春先生の御文章が目に入りました。
<<地震などでも「念」の力が結集して物質を動かすのでありまして、人々の悪念が凝集すれば転変地変などが相継いで起こるようになるのであって、末法の世になれば天変地変が起こるのはそのためで、これは神が天変地変を起すのではない。悪念の集積が自壊しつつ、その反映として物質を自壊するのであります。>>(『生命の實相』第10巻霊界篇下巻P.130−131)
このように書かれていますのに、わたし奴(雅宣)の『生命の實相』の読み方が、単なる間違い探しの拾い読みであったがために“地震は人間の念とは何ら関係のない自然現象である”と唯物論的な間違った書き方を致しました。
自称の法燈継承者・総裁としてまことにお恥ずかしく信徒のみなさまに深くお詫びいたします。穴があったら入りたき思いです。お許し下されたく・・・平成○○年○月○○日、 自称の法燈継承者・総裁・谷口雅宣 拝」
(本流信徒曰く、雅宣君!君はこの様な間違った説きかたを2回も為した。もう許さぬ。こんなことで開祖・谷口雅春先生の偉大な教えの継承者なんて言えた義理には非ず。即座に辞職し『雅宣教』として独立しなさい。)
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