生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その26> (623)
日時:2013年03月26日 (火) 16時12分
名前:四万十分析官




「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示板」より


1353 :初心者:2012/09/25(火) 10:10:57 ID:qBrfhCPc

・・・総裁は対立する勢力を追放したので、これをもって総裁はご自分を絶対化していると主張することはできますが、こうした追放劇はむしろ、「相手を否定するものは否定される」の法則で理解されるべき事態でなかろうかと考えます。追放された側が自分の考えをことさらに絶対化し、総裁を否定したために、「否定するものは否定される」の法則にしたがい追放されたと考えるべきではないでしょうか。その後は総裁が、以前とはちがった形で否定される側にまわる、というのが法則というものでありましょう。・・・


1378 :初心者:2012/09/25(火) 15:24:10 ID:qBrfhCPc

理性には限界があるとのことですが、霊的直観についてはいかがお考えでありましょう。わたしは、相対化とは「差異化の連鎖である」とも考えておりますので、総裁が「差異化の連鎖」に取り組んておられるとすれば、絶対化とは無縁のお方と理解いたします。


1381 :初心者:2012/09/25(火) 17:59:20 ID:qBrfhCPc

総裁のなかで雅春先生への嫌悪感が醸成されたとすれば、その原因はどこにあったのでしょうか。のちに、雅春先生を守らなければならない立場に立たされた人々が、総裁のなかでの嫌悪感の醸成に一役かっていたという可能性はないのでしょうか。もしその可能性があれば、嫌悪感を醸成させることに一役かった張本人たちがたとえ追放されたとしても、その理由は「雅春先生を守ろうとしたから」ではなく、総裁に「雅春先生にたいする嫌悪感を植え付けたしまったから」であると考えるのが自然だとおもうのですが、ちがいますでしょうか。・・・何かものを考えようとすれば、すぐに「人間知」と見下されるような環境に総裁がおられたとすれば、雅春先生にたいする嫌悪感が醸成されたとしても不思議なことではないということです。



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<問題点>


@ 「初心者」の文章は、簡単に平易なことばで述べれば済むことを、殊更に難解な言葉と言い回しで難しくしているだけなのである。この点は「雅宣君」と同じである。


A 「初心者」は何故ここまで執拗に「雅宣君」を弁護、擁護しなければならないのか? その必要がどこにあるのか? あまりにも四面楚歌の状況に追いつめられた現在の「雅宣君」が可哀相に思うだけなのか? 否、「初心者」が「雅宣君」を執拗に弁護し、擁護する理由はいたって簡単、「初心者」=「雅宣君」であるからなのだ。そして「初心者=雅宣君」の言たるや、簡単に言えば < 苦し紛れの自己弁護 > であると云う事だ。


B 「初心者=雅宣君」は、生まれながらの霊的体質が左翼思想体質であった(十重二十重の神性隠蔽)がために、将来の後継者育成のための開祖・谷口雅春先生の厳しさに心の中では反発し、開祖・谷口雅春先生の祖国と天皇への赤誠の心にこれまた強く反発し、それがために開祖・谷口雅春先生に対する嫌悪感が強く醸成されていったのである。

最高に驕慢な性格の「初心者=雅宣君」はこの嫌悪感の醸成の責任を、自分自身から“原理主義者”と烙印を押した人たちに転嫁して行ったのである。この辺りが左翼主義者の思考(全ての責任を他に転嫁)と軌を一にしていることが上記文章に現われているのである。


C また、左翼唯物論思考を持つ者は、これまた十重二十重の神性隠蔽状態のため、形而上的な霊的理解能力を欠く。だから、「科学的合理性」には文句をつけぬが、「霊的直感」とか「霊的サトリ」という事になると、自己の無能を暴露することを恐れて逆に文句をつけたがるのである。「初心者=雅宣君」は、“君は、「無の関門」を超えることが出来ない霊的体質の人間だ。本来の宗教家の使命を放棄し、真剣な求道心を持たない自称・宗教家だ。”と指摘され、さらに“「人間知」だけに長けた学者的人間に過ぎぬ”と評価されることにものすごい屈辱感を憶えるのである。


D そこで、この鬱積された感情を、「初心者」と言う匿名を使って、思う存分吐露し続けているのである。「初心者=雅宣君」は、最高の自己実現(独裁者となる夢)の場として、そしてまた、終身セレブを続けることが出来る“完全就職先”として谷口家の実質の跡継ぎとしての立場(強み)を活用して“総裁”の座についた。

開祖・谷口雅春先生の如く、自分の生命の火が燃え尽きるまで「人類光明化」と「日本國實相顕現」に身を捧げる決意と情熱などさらさらなく、欲しかったのは、蓄積された信徒の浄財と「生長の家」の看板だけであった。そして、この浄財と看板を利用して時流に乗った自分の個人的人生目標として選んだ「地球環境問題」に取り組みたかっただけである。


E この様な、自己中心の考えしかもたない「初心者=雅宣君」であるから、かつての二度の大地震の時にも、総裁としての責任をいち早く放棄し、自宅へ一刻も早く逃げ帰る事を最優先させたのである。信徒としては宗教家と名乗って欲しくはないのである。「環境の家・雅宣教」として独立すべきである。このことを強く申し上げる。





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