生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第三十三話> (640)
日時:2013年03月28日 (木) 11時10分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第三十三話(通算第274)

霊界とは、どのようなところか?(その14)



 
普通の霊界以上の特徴について

(開祖・谷口雅春先生の霊界に関する御著書より)5


高級霊マグナッセンの父の霊魂からの霊界通信

(『生命の實相』第十巻・霊界篇・下巻より)


*<<霊界通信には全然真実性のない低級霊からの通信もあれば、崇高な真理を説く非常な高級霊からの通信もある。併し高級霊からの通信は非常に少ないのである。なぜなら高級霊は地上の生活にあまり興味をもたないからである。>>(P.1)


*「・・・わしは霊だ。有力な霊だ。わしはお前の父の霊だ。しかしこの世にいたときにお前が懐かしがっていたお前の父という肉体に宿っていた頃の繊弱(かよわ)い霊魂だったときとは、千倍も偉大な、千倍も強力な霊魂になっている。・・・わしを、救いを求めて地上の親戚知己の周囲を、悲しげに飛びまわるべく来た弱い霊魂だと思うのは滑稽だ。それは見当違いだ。お前が想像したり空想したところとはすっかり異うぞ。わしがお前へ来たのはこの事実についての奥義を語らんがためなのだ。・・・わしは少しも霊界の秘密についてはお前に洩らすことは出来ない。またどんな霊でも人間には霊界の秘密をもらすものではないのだ。また人間に話してやっても霊界の秘密を理解するものではないのだ。人間の頭脳ではその神秘はわかるものではないのだ。・・・わしがお前と別れていても嘆かないのは、わしはいつでもお前のたましいのうちに、おまえの思想のうちに自由に入り込むことができるからだ。わしはお前の心のどんな奥底の秘密でも知っている。お前の生涯中一度でもお前の心をかすめた考えならわしの知らないものは一つもないのだ。斯くの如き霊妙な性能をもっているのが霊の本姓である。それをわしはおまえに教えずにはいられないのだ。まだまだ教える事がたくさんある。おまえは普通の人々よりも多くの真理を知るようになるだろう。わしはお前がわしの思想で考え、わしの思想で書くことができるように教えるつもりだ。」(P.37−39)


*「このまえ、お前のところへ来たときに、わしは稲妻のように空中を飛来して、お前の思想の中に坐し、お前の手をもって書かしめていると言ったね。あれは本当だ。それは人間の霊魂の一種の特性であって、数百万マイルを一秒のうちに飛来し、その同じ秒のうちにもとの座に帰ることができるのだ。・・・人間の霊は永遠である。霊は時間と空間とを超越している。霊はこの世の肉体を捨てて永遠の世界に移され、そこにて神をまのあたりに見るのである。お前はまだ理解し得ないにしても、今このことを知らなければならぬ。なぜならわれらは皆逝かねばならぬからだ。これは始めであり、終わりである。わが子よ、神は実在する。そして人間の霊は永遠で神聖であるのだ。」(P.39−40)


*「わが愛する子よ、わしがお前に語ろうとするところのものを聞け。わしは死んではいないのだ。わしは霊界に生きている。そして神をまのあたり見たんだよ。いま、お前の父は人の霊魂と神とについての真理を語るために来たのだ。・・・われわれ霊魂たちが肉体の死後生きており、幸福である事を知らされるようになるだろう。・・・人間は人間であって、生きられる限り地上で生きねばならない。なぜなら、人間の生活は地上のそれであって、そのほかのものであり得ぬのだ。生には法則があり、世界にも法則があり、それは変えることのできないものだ。・・・ただ知らないのは『死』とは何か?『生』の前に何があるか?『死』の後に何があるかということだけだ。これは本来人間のかかわり知る部分ではなく神の領域である。これらのことは人間には了解を絶した事柄であるから、人間から観れば神秘に見えるのだ、・・・お前の理解しうることはこの地上の法則にかなうことだけであって、この法則以外の法則に支配されている事柄を決して知ることはできないのだ。」(P.41−48)


*「神が活在し給うこと、および、人間の霊魂が永遠に生き通しであるということをお前は知ることを許されている。・・・<人間とは神から放射された『理念(イデア)』である。だから人間は神に属し『生命の世界』に住するものであって、彼の信ずるがごとくには地上の住者でないのである。>・・・神秘を知ったと信ずるところの人間、それは、必ずしも偉大なる人間ではない。なぜなら、彼必ずしも真にその神秘を本当に理解したとはいえぬからである。知恵貧しき人々は奇蹟を見て、神の存在を知るのである。しかしながら、彼とて真に神秘を理解したのではない。神秘は、人間の知恵では把むことができぬからである。かえって知恵なき弱き人間はそのために神を容易に信ずることができるのである。」((P.48−53)


*「・・・かくして人間は愈々高く向上するのだ。・・・使命を果たし・・・あらゆる人類は永遠のタイムを通じて等しき高さに向上する。・・・われわれの生命それ自身は至聖なものだよ。・・・生命の本源は至聖なものだよ。なぜ――いずこへ――いずこより――この偉大なる不可知的本源は、至聖なもの、そして人間の霊もこれと等しく至聖な、無窮のものであるのだ。われわれが、人を指して偉人だの賢者だのと呼ぶのは、その人の神性を指していうのではなく、その人が地上に生きている間の彼を指していうのだ。すべての人々には神性がやどっている。しかしこれを感ずる者はすべての人間というわけにはゆかない。大知恵者といえども、自己に宿っている神性を自覚しないでその地上の生涯を終ることがある、・・・肉体人間の頭脳には神は理解し難きものであるからだ。が、ひとたび神が彼の上に微笑(ほほえ)みを投げかけ給うたならば・・・魂の法悦こそ幾層倍もの深遠な奇蹟であるのだ。」(P.53−54)






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