生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その27> (643)
日時:2013年03月28日 (木) 12時08分
名前:四万十分析官




「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示板」より


1385 :初心者:2012/09/25(火) 23:06:15 ID:qBrfhCPc

ただものを考えているというだけで、頭脳知、人間知とさげすまれる無念さは、体験した者にしか理解できない無念さであります。わたしには、総裁の無念さが手に取るようにわかるような気がいたしております。・・・「生長の家総裁」と名のる以上は、いつかはあるべき姿に戻らなくてはならないでありましょう。戻れないのであれば、いさぎよく身を引くべき決断のときがやってくるやもしれません。その決断のときに、総裁先生がお持ちであるやもしれぬ無念さが払しょくされておりますことをねがうばかりであります。


1388 :初心者:2012/09/26(水) 08:41:16 ID:qBrfhCPc

最初に単純な、物質体としての脳があらわれ、それが、エーテル体を象徴する爬虫類脳へと進化したと考えられますね。・・・そのあとあらわれたのが、アストラル体を象徴する原始哺乳類脳です。・・・最後にあらわれたのが、自我を象徴する新型哺乳類脳です。ある種の必然性をともなってあられれてきたものであるはずなのです。「人間知」、人類にはこれを進化させていく役割があるにちがいないのです。わたしのいう「無念さ」とは、このことがわかっていただけない無念さです。未発達であるがゆえの価値。これがわかっていただけないがゆえに、なにか物事を考えようとすると、「自分は発達しているが、あなたは未発達だ」と言われ続けてしまうことへの無念さであります。



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<問題点>


@ この二つの文章は相変らず難解な理屈の書き方の文章でありますが、雅宣君が如何に驕慢の極に達しているかを顕わすとともに、自分が逆立ちしても開祖・谷口雅春先生の御境涯に達しえず、そのことが口惜しくて口惜しくてたまらない、その無念さを正直に白状していることを書いているのである。実に簡単な自分自身の心理描写の文章なのである。


A 「初心者=雅宣君」は何度も申し上げているように、彼の“今生”に於ける霊性発限度は非常に低く、十重二十重に神性隠蔽がなされているがゆえに、所謂、谷口雅春先生原理主義者の信徒を“爬虫類的脳の人々”として、下流・下層の者として位置づける。そして、雅宣擁護温存派の信徒を哺乳類脳の持ち主と持ち上げ、最後に信徒から常に“仰ぎ見られる”立場の自己を自我の最も強い新型哺乳類脳の持ち主と定義するのである。驕慢の心の極に達していることを自慢げに表現しているのである。


B しかし、「初心者=雅宣君」は、宗教家と自称して入るけれども霊的な事柄についてはサッパリわからないのである。だから、「理念」という言葉の実体がわからないので、肉体脳のIQ指数の高さを誇示する為に「理性」という言葉を連発するのである。「悟道」という言葉は知れどもその霊的意味が理解できない。「求道」という言葉は知れども「求道心」は持っていないのである。ここのところを彼から見れば爬虫類的脳しかもたない谷口雅春先生原理主義者たちから「無の関門」を未だ超え得ぬ理屈好きな“人間知”の持ち主よ、汝それでも宗教家と称し得るや? と突っこまれ、口惜しいが回答できない。これが口惜しいけれども“残念、無念”でしょうがないのだ。< なにか物事を考えようとすると、「自分は発達しているが、あなたは未発達だ」と言われ続けてしまうことへの無念さ >と「初心者=雅宣君」は書いているのである。


C しかし、残念なことにこの無念さを如何にすれば解消できるかを考えない。「初心者=雅宣君」は真の謙虚な求道者でないがために解消できないのである。解消方法はいたって簡単。謙虚な真の求道者の心に立ち返ればよいだけのこと。開祖・谷口雅春先生を“師”と仰ぎ、ひたすら、ただひたむきに『生命の實相』を恰も海綿が水を吸うが如くに何度も何度も熟読を繰り返していけばいいのである。少年時代から独裁者になる事を夢見し、“師”を見下してやらずにおくものか! との想いをもち続けている限り「初心者=雅宣君」は一生の間、いや来世も含めて永久にこの“無念さ”なるものから解放され得ないのである。


D しかし、「初心者=雅宣君」も神の子、厚い雲の切れ目から時折太陽の光が射してくることも有るように、その神性を意識するおりもある。それが< 「生長の家総裁」と名のる以上は、いつかはあるべき姿に戻らなくてはならないでありましょう。戻れないのであれば、いさぎよく身を引くべき決断のときがやってくるやもしれません。>という表現なのである。この様な本来の神の子の心が顔をのぞかせるときも在るが、平素は、「初心者=雅宣君」の心は憑依悪霊のために反省心なき独裁者のこころが占拠されているのである。この憑依悪霊は、雅宣君が総裁の座から降り、「雅宣教」を独立すれば雅宣君から離れていくであろう。逆説的ではあるが、「雅宣君の更迭」と「雅宣教」の独立を加速させることは雅宣君を結果的には救ってあげることになると考えられるのである。






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