生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第三十五話> (664) |
- 日時:2013年03月30日 (土) 10時30分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第三十五話(通算第275)
霊界とは、どのようなところか?(その16)
霊界の高さ・深さ・広がりは無限
(開祖・谷口雅春先生の霊界に関する御著書より)
*<<生命の行方の心霊学的の第二の方法は、研究者自身が霊的能力を有して、自己の霊視または霊魂遊離の方法によって「霊界」を探検する方法である。古くはスウェーデンボルグがこの方法によって「霊界」を見ている。
近くは、千九百三十年ごろ、英国ロンドン心霊大学の名誉学長たりしJ・H・マッケンジー氏の『幽明の交通と、オックスフォード大学出身のワード氏とである。・・・
ともに霊界は七層にわかれているという点において一致している・・・元来この研究者自身の「霊魂遊離」による霊界探検なるものは、客観的には価値乏しきものなのである・・・さればかかる霊界探見記を紹介することも本書に於いては差し控えることにする。>>(『生命の實相』第9巻霊界篇・上巻P.4−5)
*<<第七圏以上の高き世界はあるかないかはわからない。心霊学の探り得た世界はここをもって最後とする>>(『人間死んでも死なぬ』P.136)
*<<霊魂の世界はかくのごとく次第に精妙の世界へと趣く無限向上の世界である>>(『人間死んでも死なぬ』P.136)
*<<各人の守護霊は、なお彼らよりも一層進化せるスピリット(われわれ人間の運命を修正するある程度の力をもつものらしい)の指揮の下にある。しかもこの高級のスピリットはなおそれ以上のスピリットに支配されているのである。(すると幽界には厳重な階級的教職政治が存在するらしい-----?)・・・極めて高級なスピリットの上にもまだ――白色スピリットの上にもまだ――その上にもまだ――そしてまだその高いスピリットさえもその上のスピリットに支配されていますの、まあ!>>(『生命の實相』第9巻霊界篇・上巻P.108)
*<<各人の守護霊は更に、なお一層進化せる霊に支配され、その霊は更になお進化せる高級霊に支配されて吾々の運命に影響をあたえるのですが、直接的には守護霊(守護神ともいう)が吾々に影響をあたえる。だから各人の守護霊に感謝すべきは当然であり・・・恩に対して感謝する心は道徳心でもあるが宗教心でもあります。>>(『人生を支配する先祖供養P.147』)
*<<霊魂は同一遊星に生まれ替わってくる場合は、幾度生まれ変って来ても同一の霊体を備えている。そして進化するにつれてその同一の霊体が浄化されるのである。しかしながら、地球(他の遊星における場合も同様である)に属する最後の更生(うまれかわり)を経た上は、その霊魂はもはや物質的世界に生まれかわり出るべき必要のない進化の段階に到達する。その霊魂は最早どの遊星にも、どの恒星にも属しない。この瞬間より、霊体なるものはもはやその霊魂にとって不必要なものになってしまう。本来霊魂なるものは、精霊とその有機的器官とを結び合わす媒質だったのである。ここにおいて彼は永遠にこの媒質を放棄する――棄てられた媒質はその属する遊星において新しい結合体をつくるための材料となる。霊魂はこの時あらゆる繋縛(けいばく“しばり”)から解放されて、ただ精霊そのものとなる――この状態は人間の知性では理会しがたきものである。>>(『生命の實相』第9巻霊界篇・上巻P.172−173)
*<<レイヌ(註・少女の霊媒)は、「これら(輝く黄金色を帯びた白色の霊魂)は生まれると同時に死んだ――この世で全く生きたことのない嬰児(えいじ)の霊魂なんです。何の罪を犯したこともない、もう苦しむ必要のない、何の贖(あがな)いをする必要もない霊魂なんです。・・・この白い光輝のあるスピリットは生まれる瞬間に死んだという理由で白く輝いているのではありません。彼等は地上に於ける進化の周期を完了したから出産の刹那(せつな)に死んだのです。彼等は地上に化身してくる生活が与える限りの最大の恩恵を受けてしまったから出産の刹那に死んだのです。もう再び彼等は地上に生まれては来ないでしょう。彼等の霊体の色澤は進化の真の度合いにちょうど相応するものなのです。」
私はこの高級な霊魂がこの世に生まれて来ないで、唯<胎児の生活を送った>と云う事が何の利益になるかと尋ねた。
ヴェテリニは答えて、この問題について現在自分に了解できるように答えるのは頗(すこぶ)る困難である。この問題には色々の他の問題が連関している――順序としてその問題から知って置かねばこの問題が了解しにくいのである。併し簡単に云えば、彼の子宮内の生活は地上の苦しみの最後の峠、最後の関所であったので、これを終ると共にその霊魂は地上における進化の周期を終ったのだと云うのである。
で、私が、この状態の行く末はどうなるのか、この高級な霊魂の未来の生活はどうなるのか、とたずねると、
ヴェテリニは、「もう少しその答えを聞くのは速すぎます。それを知るまでになお多くの事をあなたは知らなければなりません。・・・が、人間が霊界の生活を知り得るのは、ある範囲内に限られています」と答えた。>>(『人間死んでも死なぬ』P.176−177)
*<<人間は地上の帝王となり・・・地上に群がる一切の事物を了解することができたのである。ただ知らないのは『死』とは何か?『生』の前に何があるか?『死』の後に何があるかということだけだ。これは本来人間のかかわり知る部分ではなく神の領域である。これらのことは人間には了解を絶した事柄であるから、人間から観れば神秘に見えるのだ、わたしが内々にお前に話そうとするこれらの問題を、お前は“真には”決して理解することはできないであろう。お前は私の言葉を説明するために、お前の人間的な知恵を使うだろう。そして疑問が起こるだろう。なぜならお前は人間であって、地上世界の法則によって生きているからだ。お前は地上に生を受けた所の『生命』であって『地上』の法則に支配されている。お前の理解し得ることはこの地上の法則にかなうことだけであって、この法則以外の法則に支配されている事柄を決して知ることは出来ないのだ。・・・実在の世界においては毎日幾百千の奇蹟が起こっているけれども人間はそれを理解することができないのだ。>>(『生命の實相』第10巻霊界篇・下巻P.47−49)
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