生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第四十話> (725)
日時:2013年04月07日 (日) 08時30分
名前:信徒連合


生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第四十話  輪廻転生について(その4)



<<生命は死を超えて前進する>>



「生まれ更り」行く場所

(『別冊・真理<正死を越える道>P.77−80)


<<「生まれ更り」行く場所を独断的に決める必要はないのであります。肉体の死後、魂は地球以外の天体に生まれるかも知れないのであります。・・・

東洋では人間の「生まれ更り」の説は、何百万人の教育ある者および教育無き者によって認められている共通的な信仰であります。然しそんなことは科学の世界で普遍的に認容し得られるための証拠にはならぬのであります。然しこの問題を注意深い有能な研究家が、物質的見地からではなく精神的見地から検討した例もない訳ではないのであります。


 ハードマン博士の見解によれば、地球上或いは他の天体に再出生すると云うことは、個々の魂の霊的発達および精神的進化の最も合理的な説明であると云う結論に達せざるを得ないと云うのであります。

地球は他のどの場所にも劣らぬ適当な場所であると云うことは不合理ではなさそうであります。この地上に千回生まれ更わっても全く同じ経験、同じ条件の生活が二度あることは決してないのであります。

一生涯或いは何回もの「生まれ更り」で最高度の愛を見出すことがありましても、前世に於いて知り合いになった同じ人に逢っても以前の交渉については現在意識は何一つ記憶していないのが普通であります。潜在意識のみが個々の人をそれとなく認識するに過ぎないのが普通であります。十個のアラビア数字が無限の組み合わせを作るに足る如く、地球は進化の途上無限に変化ある体験を経るための無限の機会を与えることが出来るのであります。


 吾々はすぐ身の周りで、人々があらゆる種類の体験を積むのを目撃します。ある人は幼児より死に到るまで殆ど常に試練と苦難との連続であります。恐らく彼らはそれによって、霊の進化のために必要な何物かを修得しているのでありましょう。

「生まれ更り」の説を信ずる人々の用語で言うならば、それは過去世の業の負債を支払っていると云うことにもなるでしょう。或る時代の「生まれ更り」に野獣の如く残酷で高圧的で不公正であった人は、自ら、高圧的に残酷な目に遭って苦しめられて見ることが「他を残酷に取扱ってはならない」と云う高き智慧に到る道であると云うことは道理に叶っているのであります。


 霊の進化のための動かすべからざる法則は、面倒だと言って廃棄し去るわけには行かないのであります。仮にこれを棄てるために努力するとしても、苦しみを通して心が一転して過去の考え方を棄て、人間の魂が向上しない限り、人間や動物の感情や本能の、成育し遅れた低級な諸性質を後に遺すことになるのであります。

これが一代の「生まれ更り」中に起こるにしても、或いは百代の「生まれ更り」中に起こるにしても、永遠と云う無限の高き目的に比すれば、小さい事であります。>>





生長のための無限の機会

(『別冊・真理<正死を越える道>P.79−82)


<<次の一事だけは確かであると思われる。即ち永遠の生命と云うことが、唯(ただ)「継続する」と云うだけのことであるならば、何の善き意味もないのであります。

永遠の存続が生長を意味するものでなかったならば、キリスト教の地獄と同じく恐ろしいものとなるでしょう。魂が「生まれ更り」することなく一身体あるいは一場所に幽閉されることは、最悪の悲劇であります。

無限智(神)は「死」と「生」と「再生」の制度によりそれを不可能にしているのであります。

 各人は或る程度の開発された力と精神的能力とを持って生まれます。人間のこの諸能力は、孵化すると同時に泳ぐことの出来る魚の本能的能力とはその性質を異にしています。

地球上に何人人間が居ましても、その精神的な能力は一人ひとり各々皆違うのであります。この精神的な能力は体験の所産であります。それは肉体的に遺伝するとは限らず、また肉体的遺伝でないことがしばしばであるのであります。

精神的霊的素質が如何なる因子で生ずるかは、物質的な遺伝因子を研究する生物学の法則だけでは決定的に解明することは出来ないのであります。


 優生学的生殖によって、家畜の品種を改良する如く、或る人種の体位を改良し得ることは恐らく間違いのないところでありましょう。然し偉大な民族の繁栄が永く続かず、やがて没落して行くことを吾々は見て知っているのであります。

そこに霊の進化の法則が見られるのであります。「変化」こそ進化にとって必要欠くべからざるものであります。人間の「生まれ更り」は魂の進化の場と条件との変化を意味します。度々生まれ更ることは、度々異なる体験を積むことを意味するのであります。>>




『神真理を告げ給う』 (P.65−66)


<<地上で果たすべき最後の過程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還することはない。その卒業移住と引き替えに、他の、地球よりも、もっと低い階級の天体に住んでいた未発達の多くの霊魂が、恰も中学卒業の子供が高校へ入学して来るように、地球に移住して来たのである。

それが戦後に生まれて来た人たちの霊魂である。彼らは他の天体に今まで住んでいて、他の天体で発達した文明と文化と習慣との中で生活した霊魂であるから、今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異なる道徳的基準を身につけており、絵を描くにしても、音楽をたしなむにしても、衣裳をつけ、髪形を調えるにしても、男女交際のあり方にしても、全く戦争前地球人とは全然異なる趣味と表現と風習とをもっているのである。

けれども彼らはやがて地球というやや上級天体の生活法に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時がくるのである。世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。>>






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