生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第四十五話> (726) |
- 日時:2013年04月07日 (日) 08時48分
名前:信徒連合
< 第四十五話 >「信徒たちよ、毛利元就の三本の矢の故事を忘るること勿れ!但し、余は別じゃがな・・・」
(ツウィッター『16日のことば』より)
<<互いに助け合い向上しようというのが、私たちの自然な生き方である。私たちの中には、他の人を友として見たいという願いがある。この願いを隠すことなく勇気を持って表現する事でもっと自然な生き方が出来るのだ。>>
(講評)
三代目雅宣(自称)総裁が自分の義兄・実弟・実姉の人たちを開祖・谷口雅春先生の『御教え』を信奉し、『今の教え』を受け容れない“原理主義者”として教団から追放した事実は今や多くの信徒の知るところとなって来たのであります。
彼は、自分の為したことなど忘れたかのように上記の如く<<「互いに助け合い向上しようというのが、私たちの自然な生き方である。私たちの中には、他の人を友として見たいという願いがある。」>>と信徒に説教している。この様な自己矛盾の烈しい言動は普通の人間なら採れない筈なのであります。
毛利元就の三本の矢の如く、第二代目・谷口清超先生亡き後は兄弟姉妹力を合わせて愛国の真柱としての生長の家を「国家の成仏」に向けて大きく貢献する方向へ導くべき責任が後継者としての三代目雅宣(自称)総裁にはあるのであります。
それが全く逆の方向、即ち、兄弟姉妹を追放・絶縁し、生長の家教団を縮小・解体・消滅させる方向へと向かわせている事は明確な事実であり、この明白な事実に対して如何に三代目雅宣(自称)総裁は答えるでありましょうか?
宇宙の唯一絶対の神様から開祖・谷口雅春先生に降ろされた数々の神示の中の一番最初の神示は『生長の家の食事』の神示(昭和五年十一月四日)であり、その冒頭は<<「聖書に吾らが祭壇にたいして供物を献ずるに当っては、先ず兄弟と仲直りしなければならないと云うことが書いてある。・・・>>となっているのであります。
三代目雅宣(自称)総裁は生長の家の最初の神示に対して反逆する行動を採ったわけでありますから、これ一つとっても開祖・谷口雅春先生の『御教え』を継承する資格は無くなっているのであります。
その上に、三代目雅宣(自称)総裁は自作自演の法燈継承劇を強行に演出し、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎した似て非なる『今の教え』を肉体頭脳知で作り、独裁専制教主として教団全体に恐怖管理体制を敷き趣味と実益をかねた個人的人生目標である“森の中のオフィス”作りに150億円以上の信徒の浄財をつぎ込んでいるのが本当の実態なのであります。
そして、三代目雅宣・純子両(自称)総裁ともに平成時代の日本の大国難に対しては全くの無関心、“今日は休日なので山荘へドライブ、自然の中で開祖・谷口雅春先生の『御教え』とはあまり関係の無い理屈っぽい評論文を書き疲れたら、車で自然の中をドライブ、レストランで食事・・・”といったセレブ生活を送っているのであります。
このような三代目・谷口雅宣・純子夫婦に神示にある如く“兄弟と仲直りして力を合わせて現代日本の国難に対処して頂きたいと意見・諫言を言っても全く聞く耳はもちません。
事、ここまで到れば、現代の国難を憂う信徒の採るべき道は唯一つ、聖使命会費の奉納の一時部停止と講習会受講券の購入拒否であります。現状ではいくら真心込めて浄財として奉納しても三代目雅宣(自称)総裁の独裁権限で本当の光明化資金として使われず、彼の個人的趣味や私有財産の積み増しに使われるばかりであります。
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