生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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又も、いちゃもんを付ける雅宣疑総裁 (741) |
- 日時:2013年04月07日 (日) 23時39分
名前:蒼穹
3月7日の唐松ブログ「光明の塔の構造について」によると
>> この白髪白衣の“人の子のような者”を象って、神像が造られた。このことと七層構造を考え合わせれば、光明の塔は二重の意味で“万教帰一の塔”としてデザインされたということが分かる。しかし、「万教帰一」を象徴するのであれば、これだけではキリスト教的なデザインに偏重していると考えることもできる。つまり、塔の七層構造も神像の意匠も、聖書から借りてきていて、他の宗教とは関係がないと思われる恐れがある。
谷口 雅宣<<
>>聖書から借りてきていて<<
とは何と言う表現でしょう。神様の御神啓により全てを進められた谷口雅春大聖師の事このような表現で貶める事は絶対に許し難い事です。
雅宣擬総裁こそ自分に都合の良い部分の処だけを大聖師の御文章を引用しているではないですか。
聖書から借りてきて、と言いながら、七層の塔は仏教から借りてきたでは有りませんか。
それとも生長の家大神様の御神啓が天降ったのですか。そうだとすれば、その時の修行場の様子をお聞かせ頂きたいものです。
又雅宣擬総裁は「七層の塔」と「七宝の塔」とは同じだと書いているが、“層”と“宝”とは意味も真理の表現も全く違うのです。
何と言っても仏教の多層塔は、慰霊塔であり、万教帰一の象徴には無理が有るでしょう。
時代に即応した今の教えと言いながら、どうなってるの・・・・
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