生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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本来の『御教え』に立った“準教務試験”の正解はコレだ! (779) |
- 日時:2013年04月11日 (木) 17時02分
名前:画龍点睛
合掌、ありがとうございます。
雅宣(自称)総裁が出題した「準教務試験」問題のひとつは――
★★ 「今の生長の家は谷口雅春先生の教えを枉げて、出版問題も抱えていると非難する人がいるが、それに対して、生長の家の法燈継承の意義と原理主義の特長に触れて述べなさい。」 ★★
正しい生長の家の『御教え』に立った正解を申し上げます。
☆☆☆ @ “法燈を継承する”と云う事は、開祖の教えを嗣ぐという事であります。これを「嗣法」というのであります。この「嗣法」するということの正確な意味は、< 例えば、一杯の盃の水を一滴も零さず残さず次の盃へ移し替えること > であります。
A < 盃の水の一部を捨てたり、他の水を持ってきて入れる > ということは厳密に言えば正しい「嗣法」即ち「法燈継承」とは言えないのであります。なぜならば、宇宙大生命(唯一絶対神)から人類に対して放射された救いの霊波(天啓)をうけとるのは、人類救済の悲願を持ち霊的機縁が熟した高級霊魂の人、および宇宙大生命(唯一絶対神)から特別に選ばれた人であります。これ等の人を「開祖」と呼び、その説かれた教えを後継者は私心(人間ごころ)を交えずに素直に全相を後の世に伝え遺して行く役割を担っているのであります。
B 「開祖」の説かれた純粋真理を如何に後継者が信徒に対して説いていくか、ここに「開祖」の教えを継承するものの謙虚なる厳しい求道の心が求められます。開祖・谷口雅春先生は「『無』の関門」を超えられて「實相世界」に超入せられ、霊的実在宇宙の絶対真理を五官六感を超越した「實相覚」(實相生命)で直接認識せられ、これを文字化されたのが『生命の實相』という生長の家の“根本聖典”であります。この根本聖典たる『生命の實相』を間違いないように信徒に解説するための継承者の第一の責務は、「開祖」をお手本として「『無』の関門」を越える精進努力を続けて、開祖・谷口雅春先生の達せられた御境涯に可能な限り近づく努力を続けることであります。この様な私心を滅却した神性(仏性)そのままの求道の努力をつづけてこそ、信徒に対し「開祖」の『御教え』を正しく解説し、衆生救済が出来るのであります。
C 「原理主義」を < 聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する> と定義するならば、 こと宗教の教えの後継者として、上記のような正しい自覚をもつ継承者にはこの「原理主義」という言葉は“無縁のコトバ”であります。少なくとも「生長の家」に於いては“原理主義”という外来語を使用する事は必要ではありません。それよりも、古来から「言詮不及・不立文字」と言われてきた宇宙の霊的絶対真理を可能な限り100%に近づけて“文字化・文章化”された開祖・谷口雅春先生の御著書は一冊のこぼれも無く後世に伝え遺すこと、これこそが「開祖」の教えの継承者の第二の責務なのであります。
D 以上が、「嗣法」即ち「法燈継承」に関する正しい解答であります。しかし、この回答を不服とする教えの継承者が宗教界においては歴史上たくさん存在したわけであります。「開祖」の教えを不服としたり、「開祖」の教えと異なる見解を持つ人(弟子)は、全て独立して別宗・別派という形で自分の宗教的信念に基いた<新宗教>を開いて縁のある衆生を救済していったのであります。信教の自由は全ての人たちに保障されているのであります。
☆☆☆
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雅宣・試験官へ
以上の回答にたいして貴殿が < 不合格 > の点数を付けた場合は、貴方こそ「生長の家」の後継者としての“資質”と“適正”を欠く不合格者そのものであります。その場合には、潔く開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」を去って行くのが、宗教家としての正しい身の処し方であります。
「講師教育部」の 磯部和男・部長も 雪島逹史・次長も、表面は高給(年俸2000万円近く?)に目が眩んでいる茶坊主なれども、心の底では上記の回答文が100点であると認めており、この回答文を雅宣・試験官が<不合格>とした場合は、貴殿を今までにも増して軽蔑と蔑みの眼で眺めることは間違いありません。心召されよ! 再合掌
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雅宣教の『今の教え』に立った“準教務試験”の茶坊主解答はコレだ! (787) |
- 日時:2013年04月12日 (金) 10時25分
名前:画龍点睛
合掌、ありがとうございます。
雅宣(自称)総裁が出題した「準教務試験」問題はのひとつ――
★★ 「今の生長の家は谷口雅春先生の教えを枉げて、出版問題も抱えていると非難する人がいるが、それに対して、生長の家の法燈継承の意義と原理主義の特長に触れて述べなさい。」 ★★
雅宣教の『今の教え、』に立った“準教務試験”に合格できる茶坊主解答を申し上げます。
★★★
@ まず、「原理主義」とは何か? ということでございますが、第三代目・谷口雅宣先生は 『信仰による平和の道』P.7に、
イ 聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する ロ 自分たちと他の宗派とを対立的に見る ハ 歴史を“神の計画”の一部としてみる傾向がある ニ 社会問題への関心よりも個人的な救済を重視する
と教えて頂いております。このうち重要なのは イ<聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する>とニ<社会問題への関心よりも個人的な救済を重視する>この二つだとわたしは考えております。<聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する>ならば、純子先生もかつて指摘されておられましたごとく、狂信的信仰に陥る危険性が多分にあるのでございます。だから、聖典類は常に客観的な理性的鑑識眼で読むべきだと思います。
そしてまた、今までの宗教は、個人の救済に重点を置いていたのでございますが、今までの、人間のみの利益を優先するところの人間至上主義の価値観優先による地球環境の破壊を、人類が心をひとつにして防止していかなければならない時代に入っております。ここに於いて私たち萬教帰一の教義を持つ「生長の家」は「神・人・自然」の三者一体の価値観を新世紀の宗教の共通的価値観として提唱し、「自然と共に伸びる」運動を起すことが第一優先順位として位置付けられました。
この様な観点から、総裁・谷口雅宣先生は真理と言うものを、永遠に変わらない中心部分の真理と時代の変化によって変わって来る周縁部分の真理とに分けられまして、この周縁部分の真理を「自然との共生」という現代という時代の情勢変化に適ったたものへと入れ替えていただき、「生長の家」の真理を時代即応型へと変革されたことは総裁先生の慧眼の高さを示すものだと思っております。現在、元・信徒の方々が盛んに批判を展開している雅春先生の御著書の絶版問題も、この周縁部分の真理が説かれているもので現代という時代にそぐわない内容の御著書でありますので、宗教の絶えざる自己変革性の要請から言っても決して批難されることではございません。
さらに信徒の立場から申し上げますと、『生命の實相』も時代即応・自己変革の必要性から見て、法燈継承者であらせられる雅宣先生によって『新・生命の實相』として全面的に書き換えして頂きたく存じます。
A 「生長の家」の“法燈継承”については、平成十五年度・生長の家教修会の記録「歴史から何を学ぶか」によって回答を書きます。
イ 創始者・谷口雅春先生が御在世中に、複数の御著書において、法燈の継承者が谷口清超先生であることを明確に宣言された意義はまことに重大であります。そして、二代目の清超先生が、三代目の総裁資格者として雅宣先生を「生長の家」教規第十条の規定によって副総裁に指名されたのでありまして、ここに於いて「法脈」と「血脈」が一致して教えが伝えられていく實相世界の「法燈継承」の完全な姿が「生長の家」に於いて現われているわけでございます。この<法脈と血脈の一致による、實相の秩序の現われとしての「法燈継承」>の意義を信徒たちは十分に自覚して総裁・副総裁に中心帰一する姿勢をどこどこまでも貫いて行かなければなりません。
ロ 生長の家の「法燈継承」は、「面授」によって後継者が決められ、その継承が明確に宣言される点において、中心帰一の理念が一層完全な相で地上に現われているのでございます。「面授」という方式は、世俗的な影響を受けないで聖なる意思に基いて安定した状態で継承が出来るという特色がございます。三代目を継承された谷口雅宣先生は、先代の谷口清超先生の「面授」を受けられまして「法燈継承」されましたことを、清超先生にキチンと再確認せられた上で、本部講師先生全員参加の権威ある「生長の家教修会」でご発表されたのでございます。
ハ 生長の家の「法燈継承」の勝れている第三の点は、単なる「聖典・教典」や「儀式」や「組織・建物」を形式的に継承する事ではなくて、< 不立文字の真理の継承 >でございます。そして、継承された中心者から常に新しい形の表現が発せられまして、それによって自ら改革しながらその教えが未来永劫にわたって伝えられていく、教団自体も決して廃れることなく永遠生命を保つことが出来得るということなのでございます。 ★★★
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雅宣・試験官へ
以上の回答にたいして貴殿は大満足で < 模範的回答・合格 > の点数を付けた場合、世の賢人達から見れば、貴方は逆に「生長の家」の後継者としての“資質”と“適正”を欠く不合格者そのものであるということを天下に示したことになるのでありますぞ! 故に、再三再四いろんな人たちからの諫言にある如く、この際、潔く開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」を去って行くのが、宗教家としての正しい身の処し方であります。
「講師教育部」の 磯部和男・部長も 雪島逹史・次長も、表面は高給(年俸2000万円近く?)に目が眩んでいる茶坊主なれども、心の底では上記の回答文が零点であると認めており、この回答文を雅宣・試験官が<合格>とした場合は、貴殿を今までにも増して軽蔑と蔑みの眼で眺めることは間違いありません。心召されよ!
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自作自演の“法燈継承劇”の真実・・・ (797) |
- 日時:2013年04月13日 (土) 11時46分
名前:画龍点睛
合掌、ありがとうございます。
現教団(雅宣教団)に未だ在籍されている、お孫さま信仰信徒およびニュー信徒の皆様は、真実の情報から隔離されたも同然の状態ですので、真実を知って頂かねばならないと考えます。
< 雅宣(ニセ)総裁が演じた「一世一代の信徒欺瞞の法燈継承劇」の実態とは―― >
詳しくは
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2613
をクリックしてお読み下さい。ここでは、結論だけを申し上げておきます。
< 三代目雅宣(自称)総裁は、正式に認可された『法燈継承者』でありません。>
@ 生長の家教団に於いては、「法燈継承に関する規定」はない。
A 第二代目・谷口清超先生から第三代目・雅宣(自称)総裁への『法燈継承』は行なわれていないのが真相である。それは、第二代目・谷口清超先生御自身による公式発表が最後までなかったという事実によって証明されている。
B 常識的に考えても、開祖・谷口雅春先生の「本来の御教え」とは異なったことを説き、あまつさえ、開祖・谷口雅春先生の御著書を50冊以上に亘って絶版処分(平成の焚書)を強行した者へは、如何に吾が息子といえども清超先生は開祖・谷口雅春先生の法燈だけは継承させることは出来ないと判断されていたと思われる。極めて当然な事である。清超先生は雅宣副総裁がここまで暴走するとは夢にも思われなかったと考えられるのであります。
C 第三代目雅宣という人物は形の上では総裁ではある(これを自称・総裁という)が、正式な認可によるところの法燈継承者ではない。法燈継承ドラマを自作自演した自称の法燈継承者である。というのが結論であります。以上の諸点を組織幹部の一人が質問として教化部長に尋ねたところその教化部長は何も答えることが出来なかったと聞き及んでおります。
D 最後まで残る疑問点が一つあるのであります。其れは、“然らば、ナゼ法燈継承の資格と資質を欠くと判断されたのに最後まで清超先生は三代目雅宣(自称)総裁の更迭を決断されなかったのであろうか?この疑問に対するお答えは清超先生のみぞ知る!しかし、これは今となっては永遠のナゾであります。(但し、推測は可能ですが省略いたします。)
E 最大の被害者はお孫さま信仰に生きる末端の高齢者信徒の皆様及び実態を知らず入信されたニュー信徒のみなさまであります。この意味からも三代目雅宣(自称)総裁の教団からの辞去を求め、『盃の水を一滴も残さず、零さず、そのまま次の盃へ移しかえる』本当の正統の「法燈継承者」による真の生長の家教団の復活を何としてでも成し遂げなえればならないのであります。
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雅宣・試験官へ
「本流」関連の掲示板によって、先代の清超先生が現・雅宣(自称)総裁への「法燈継承認可」を与えられなかったことが次第に信徒間に口コミによって広まりだしたため、貴殿は旗本たる地方講師をしてその真実が信徒の中へこれ以上拡がらないようにするために、「準教務」の地方講師にこの様な「法燈継承」に関するテスト問題を考え出し、自分の意向に沿うものだけを合格せしめることにしたのであります。
雅宣(自称)総裁よ! 信徒を欺瞞する見え透いた下手な悪あがきを速やかに中止して、速やかに(自称)総裁の椅子から降り、自己の信念に従って外部で独立しなさい!!
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