生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第四十五話> (782) |
- 日時:2013年04月12日 (金) 08時18分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第四十五話 輪廻転生について(その9)
<<生命は死を超えて前進する>>
物質主義者の霊魂
(『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.188−190)
<< ヴェッテリニ曰く、――
「大多数の物質主義者は、自己の過去世の生活について微かな記憶をすら留めていないので、単純に自己の唯物的意見に固執(こしゅう)するのである。
彼等の心の内には自己が信ずる粗大な証明しかもたない、極めて単純な物質的世界観と相鬩(せめ)ぐところの、なんとなくそぐわないような感じが絶対に起こらないのである。
彼らはこの世に生まれ出る以前に幽界に昏睡状態にいたのであって、交霊会に呼び出された前の君の父の霊魂のようにさえ達していなかったのである。彼らは生まれかわって出てきたが、自己の過去の状態について何一つ直覚的な認識をも留めないのである。
それで彼らは物質的に議論を進めて行けば、最もロジカルだと思われる信仰に驀進することができるのである。低い階級の物質主義者はこの部類に属する。」
「秀でたる思想家、偉大なる知性を備える大思想家のごときでさえも、その霊魂が前者と同じくはなはだ低い進化のものであることがしばしばある。彼らは幸いにも非常に安全な非常に制御しやすい肉体を得たのである。騎手は下手でも乗馬が非常に良いのである。名馬は最も貧しい騎手にさえ巧妙な乗り回しをみせる。」
「しかし、また人類の幸福のために働いているところの賞賛すべき、真理に忠実な、最価値ある哲人にして、応報応果のことについてなんの望みも有しないものがある。
この哲人!ああ------彼らは偉大なる進化をとげつつあるのである。彼ら自身の為にしようという少しの観念もなしに捧げきった、研究の生活をなしつつある彼等の生活は、彼の霊魂を高きに引き上げる。
しかしかかる場合はまれである。しかもかかるひとびとでさえもその臨終において『誰がこれを知ってくれるだろう?自分は自己が真理であると信ずることのために自己の内の最善なるものを奉仕さしたのだ------しかしこれを誰が知ってくれるだろう?』と果たして嘆息しないであろうか。ぜんぜん応報を期待しないでいられるものはほとんどないのだ」と。>>
“生まれかわり”・“霊界の生活”についての霊界通信の異論の原因
(『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.190−191)
<< ヴェッテリニはいう――
「まずわれわれは霊媒を介して意志を通ずるということに伴う非常な困難とその困難より来るまちがいと、それから<霊界通信をもたらすスピリットの大多数が低き階級の無知のスピリットであることを考慮にいれなければならない>。
彼らは生前もそうであったように、十分知りもしないことをペチャクチャしゃべりたがるのである。
霊界通信をもたらすスピリットに高級なスピリットがきわめてまれだということを記憶しなければならない。--------
しかしながら高く進化せるスピリットも『生まれかわり』を否定することがあるのである。
それは生前より人間は生まれかわるものではないとの確信を抱いて霊界に入り、自分がすでに高き進化を遂げた霊魂であって『生まれかわり』の必要もなく、自分の住む霊界が高き圏内にあるので『生まれかわり』ということが少しも議論にも噂にも上がらないような場合には、そのスピリットは、生まれかわりはないものという信念を暫(しば)しの間は持ち続けるのである。」>>
霊魂の創造について
(『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.163)
<< 自分(注・コルニエル氏)は他の問題を提出した。――
時間の全経過を通じて、霊魂は無制限に創造されつつあるものであるか。それとも永遠を通じて一定数の霊魂が存在するのであって、ただその進化状態の相異から霊魂の種別というものが生じるのであるか?
これに対する(ヴェッテリニの)、答え――
否、霊媒を通じての答えの移牒(いちょう)はきわめて複雑したものであった。
実際レイヌ(注・霊媒)の現在の状態では、これに対する答えを明瞭にもとめるのは無理であった。
すべてのうちただ一つだけ確答を得た。
そしてそれは確実と認めてよいであろう――それは霊魂の萠芽(めばえ)は全期間を通じて間断なく創造されつつあるということである。
(谷口注)各自の霊魂の発達の等差や、地上生活への生まれかわり度数の相異や、肉体の年齢にかかわらず、霊界通信で「あの霊魂はまだ若い」などといわれる時日から見ても、常に新しく現象界へ霊魂の萠芽(めばえ)が現顕されていることがわかる。>>
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