生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「教務試験」 トキさんの答案(その2) (790) |
- 日時:2013年04月12日 (金) 14時57分
名前:神の子A
本流対策室/5
928 :トキ:2013/04/11(木) 20:20:45 ID:z8z3374c 次に、上の答案と反対の立場から書いた答案を書きます。なお、これは私の考えではなく、 バーチャルで書いた答案です。念のため。
(参考にならない答案 2)
問題前半の批判の2点は、本流復活派が現在の生長の家に対してなしている問題提起である。 この2点の問題点に触れる前提として、生長の家の法燈継承の意義と原理主義について述べる。
まず、法燈継承とは、仏教の用語で、宗教の教えを忠実に伝える事を意味する。禅宗などでは、 杯にある水を別の杯に移すたとえを使い、教えを先達から受けつぎ、その受け継いだ教えを次の 世代の人に受け渡す表現をする。生長の家においては、谷口雅春先生が説かれた教えを次代に 伝えるさいに、正釈を維持するため、代々の総裁が次の総裁に教えの真髄を伝えていくように と谷口雅春先生が定められたのである。
ここで注意すべきは、谷口雅春先生が教えられた事を忠実に次代に伝える、という点である。 なぜなら、信仰の目的は人類の救済と同時に社会の救済であある。なるほど、社会のあり方や 情勢は時代によって変化するが、人間の本質は人類誕生以来、変化はないからである。教えの 表現や運動のあり方、組織は確かに次代に即応するが、教えは変えない。これは、生長の家だけで なく、あらゆる宗教が実践していることである。 肝心な点は、現実には柔軟に対応しても、創始者の精神は大事にする事で、これが法燈継承 の真の意味である。
ところが、宗教は創始者が亡くなると、教えを守らない人が出て来たり、安易な方向へと 流れがちである。それを戒める声が出ると、逆に「原理主義」のレッテルをはり、弾圧する 事が歴史上ままあった。しかし、その実は、「原理主義」といわれた人こそが、正しい信仰 をもっていた事が多いのである。特徴は高潔な人柄と真摯な信仰姿勢であるといえる。
以上の前提で、問題前半の2点の批判を考えると、まず、谷口雅宣氏は、法燈継承を正式に していない。確かに自分は法燈継承をした、と公表しているが、前総裁の谷口清超先生は、 そう発表されていない。すると今の総裁は法燈継承をしていない、と考えるのが普通である。 さらに、自分に逆らう人間をことごとく教団から追放し、教団を私物化して莫大な公費を つかって勝手に本部を移転し、ついには兄弟と裁判をするなど、その言動は宗教家としては もちろん、人間としても問題のあるものである。こういう人物が法燈継承をした、とは とうてい考えられない。
こういう法燈継承をしていない人物が総裁になったから、今の生長の家が説く「教え」 は噴飯ものである。絵手紙や料理本を宗教の行事に使うのは、社会通念から見ても 間違っている。「今の生長の家は谷口雅春先生の教えを枉げて」という批判は十分な理由 があるものである。また、そういう人物から聖典を守るためにやむなく行った行為が 聖典をめぐる裁判である。地裁、高裁と本流復活派が勝利をした点からも、その正当性が 証明されたのである。
以上から、2点の批判は根拠のある正当な批判だと考える。
以上
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