生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第五十一話> (795) |
- 日時:2013年04月13日 (土) 10時45分
名前:信徒連合
< 第五十一話 >「私は“平凡”でしょうか?“非凡“でしょうか?それとも“○○”でしょうか?教えてください。雅宣拝!」
(平成22年7月2日『小閑雑感』より)
<<人間の食用になるキノコと有毒のキノコでは、いったいどちらが「平凡」で、どちらが「非凡」なのだろうか? 別の言葉でいえば、どちらが優れていて、どちらが劣っているのか? あるいは、「適者生存」の原則に即して、どちらがより進化をとげているのだろうか? この問いに対する答えは、結構むずかしいと思う。>>
(講評)
三代目雅宣(自称)総裁が『小閑雑感』に発表した上記の文章に対し、極めて適格な的を射た感想が「生長の家大論争」に投稿されていましたので転載させて頂きます。
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<<「食用キノコ」と「有毒キノコ」のどちらが「平凡」でどちらが「非凡」なのだろう?こんなことを 生長の家総裁 の立場で 問題化 しているのであります?!そして、「この問いに対する答えは、結構むずかしいと思う」..なんて 遊んで おられる。
どこに、「生長の家」の教え、あるいは<宗教的真理>を感じることが出来るのでありましょうか?
マサノブ教祖は「平凡」でしょうか、「非凡」でしょうか?
それとも単なる「○○」でしょうか??
これこそを問いたいのであります!!>>
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まさに、何をか況や!人間の病・悩・苦からの救いとは何の関係もない「キノコの不思議」について想いを巡らす、そして思索してキーボードに向かい文章化しブログ転換する。
まさに、『小閑雑感』ではなく『大閑雑感』・セレブ坊ちゃまの山荘でのお遊びに他ならず、
やがてこの文章が講習会のテキストとして販売されることになるのであります。
ここまで現・原宿教団のレベルは宗教本来の使命さえ忘れる所まで落ちたのであります。
信徒の皆様の正直なご感想は・・・?
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