生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (36〜40) (815) |
- 日時:2013年04月15日 (月) 18時06分
名前:FAX作戦推進本部
雅宣総裁「今の教え」の誤り
神想観「如意宝珠観」は現象観ですか?
<<「如意宝受珠観」を何十年ずっと行って来たのです。・・・このお祈りの言葉をよく考えてみますと「身健やかに」という事は肉体のことですし、「相形美しく」というのも肉体のことです。だから、この言葉はふさわしくないと云う事にきがつきました。・・・このお祭りを区切りにして唱える言葉を工夫したいと思います。>>(『聖使命』新聞・平成21年1月1日号)
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★ 雅宣総裁は神想観が「實相観」ではなく「現象観」であるという。しかし、神想観の最も大切な事柄は「吾れ、今、五官の世界を去って實相の世界に入る。」であります。
★ つまり不完全な物質・肉体ありと肉眼に映じていた現象世界を「無し」と観じて「無の関門」を透過して、完全円満・至美至妙なる實相世界に入るのであります。實相の我れが只々、實相を観ずるのであり、肉体の我れが観ずるのではありません。
★ 随って、「身健やかに」の「身」は「實相身」そのものであり、「相形美しく」も現象世界の相形の無限相倍にも美しい完全円満・至美至妙なる實相世界の實相身のありさまを讃えるのであります。故に、唱える言葉の工夫(修正)など少しも必要ではないのであります。
平成25年○月 開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒
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注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
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原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (37) (822) |
- 日時:2013年04月16日 (火) 09時56分
名前:FAX作戦推進本部
<「今の教え」の誤り>
真理の“目玉焼き論”と絶版問題
<< 生長の家は宗教であり、政治思想やイデオロギーではないので、“焚書坑儒”(ふんしょこうじゅ)みたいなことはしません。・・・変化の時代には、まず一貫して変わらない真理の“中心部分”を、つまり基本的な教義を、時代の流れに応じて説かれる教義の“周縁部分”(しゅうえんぶぶん)は変化して行く。そういう訳で今日、この周縁部分に関する出版物があまり出なくなっていると理解していただくと宜(よろ)しいと思います>>(『信仰による平和の道』P.112)
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* 『霊的真理』は普遍にして不変そして一つ、“一即多”に展開しており、同時に“多即一”に収斂(しゅうれん)している。
* 『霊的真理』の實相は「無の門関」を超え、絶対実在を絶対認識した人でしか、その奥義は会得(えとく)できない。
* 『真理』の實相は肉体頭脳知による分析では判らず、却(かえ)って『真理』の霊的理解から遠ざかる。雅宣総裁はこの過ちを敢えて犯し、真理を黄身と白味に分けて「今の教え」を正当化し、開祖・谷口雅春先生の御著書を絶版化してゆくための詭弁(きべん)としたのである。
平成25年○月 開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒
〜〜〜〜〜〜〜(A4チラシの原稿はここまで)〜〜〜〜〜〜〜
注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
<補足説明>
* “真理の目玉焼き論”とは、真理には“中心部分”(黄味)と“周縁部分”(白味)があると云う第三代目・雅宣(自称)総裁の見解をいいます。
* 『真理』を“中心部分”(黄味)と“周縁部分”(白味)に分別することは、一見合理的な説明に見えるが、それは逆に『真理』というものを霊的に正しく理解していない者のすることで、肉体頭脳知による分析だけである。
*『真理』は普遍にして不変そして一つである。『真理』は“一即多”に展開しており、同時に“多即一”に収斂(しゅうれん)している。
*『真理』の奥義は、「無の門関」を超え、絶対実在を絶対認識した者でしか直覚的には会得(えとく)できない。
*『真理』の實相は肉体頭脳知による分析では判らず、却って『真理』の霊的理解から遠ざかる。三代目・雅宣(自称)総裁はこの過ちを敢えて犯しているのである。
*“真理の目玉焼き論”は、時代即応を旗印とする“今の教え”を正当化し、開祖・谷口雅春先生の御著書を絶版化してゆくための恣意的詭弁である。絶版本の内容が、日本国實相顕現と教団史の分野に集中していることで証明されている。
*民主党政権と同じく、<“焚書坑儒”をせず>という“表のマニフェスト”を掲げながら、“裏のマニフェスト”として左翼側から見てどうしても葬り去りたい開祖・谷口雅春先生の書籍を“周縁部分の真理で現代には不必要”として<“焚書坑儒”の強行>をなしているのが三代目・雅宣(自称)総裁の現在の姿であります。
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原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (38) (831) |
- 日時:2013年04月17日 (水) 14時30分
名前:FAX作戦推進本部
<「今の教え」の誤り>
生長の家=開祖・谷口雅春先生ではない!?
<<谷口雅春先生の著作を深く研究すればするほど見えてくるものは、<谷口雅春>という歴史上稀有(けう)な人物の人となりが分かるのであって、<生長の家>が見えてくるのではありません。生長の家=谷口雅春という安易な方程式は、雅春先生ご自身が否定しておられるのを忘れないでください。>>(『小閑雑感』平成16年8月12日)
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★ 雅宣総裁は、谷口雅春先生の著作を深く研究>と書かれています。
★ 信仰とは、<信じて、実行すること>であって<研究する>ことではないのです。
★ 研究だけして実行・実践しない人は信徒とは云えないのです。
★ 研究する人は教団を辞して外部で学者として、評論家として独立すべきであります。
平成25年○月 開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒
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注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
<補足説明>
第三代目・雅宣総裁は<谷口雅春先生の著作を深く研究>、と書かれています。
信仰とは、<信じて、実行すること>であって<研究する>ことではないのであります。
研究だけして実行・実践しない人は信徒とは云えないのであります。
研究する人は教団を辞して外部で学者として、評論家として独立すべきであります。
<歴史上稀有な人物のひととなり>が判ったからと云って、それで自己の悟り(霊的境涯)のレベルが上がるわけでもありません。自己の当面している深刻な人生問題が解決出来る訳でもありません。
開祖・谷口雅春先生が<自分は教組ではない。一人の求道者だ。神界から降ろされる神示の取次ぎ者であり、神様のラッパである。>と自らを謙遜(けんそん)しておられたのを、
逆利用して<生長の家=谷口雅春という安易な方程式は、雅春先生ご自身が否定しておられるのを忘れないでください。>と傲慢・不遜にも開祖否定へ持って行っているのであります。
第三代目・雅宣総裁の次のような発言もあります。
「谷口雅春は僕の祖父でありますが、彼は彼なりの説き方をされたが、やはり<神>ではないので、(僕は)各所にその欠点を見出し、それを訂正したり廃刊にした書物もあります。私は私なりに現代人を<救済する義務>があるので不要なものは処理したのです。」と。
二千年前にイエス・キリストが語られた言葉 <<「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの(サタンの働きによる)『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのときは、ユダヤに居る人々は山へ逃げなさい」(『マタイ福音書』24・15・16)>>
この言葉の部分は、或る聖書研究家の著書より引用ですが、現代生長の家教団・第三代目・雅宣総裁にそのまま重なって視えてくるのであります。
将に、開祖・谷口雅春先生の御教えを換骨奪胎した第三代目・雅宣総裁は失礼ながら(サタンの働きによる)『荒らす憎むべき者』であり、
<聖なる所に立つ>とは、法灯継承・総裁就任そして“森の中のオフィス”の総裁室に座ることを表し、
<山へ逃げなさい>とは、日本の国の為にならなくなった生長の家教団は一時的に潰(つぶ)れても良いから信徒は脱退しなさいとの開祖・谷口雅春先生の御命令とも置き換えられるのであります。
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原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (39) (839) |
- 日時:2013年04月18日 (木) 09時57分
名前:FAX作戦推進本部
<「今の教え」のあやまり>
「生命の實相」は“理性”を働かせて読むべし?
<<教典・聖典の言葉の“奥”あるいは“背後”にある意味を“理性”を働かせて読み取らなくてはならない。これが「教典・聖典を解釈する」ということである。理性による解釈を行わない場合、その宗教は狂信的になり、非現実的な行動に突き進むこともあれば、信者は教祖の言いなりになってしまう危険もある>>(普及月刊誌『理想世界』平成21年2月号)
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(註・この文章の趣旨は、いわゆる「生命の實相」原理主義者に対してであります)
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★ <教典・聖典の言葉の“奥”あるいは“背後”にある意味>を解釈する場合の“理性”なるものは、特に“深き霊的叡智”すなわち「絶対実在の絶対認識」の境涯(きょうがい)に達した人の“悟り”のことを意味しており、
★ この超ハイレベルの“悟り”の鍵でのみ<言葉の“奥”あるいは“背後”にある真実の意味>が判るのであります。
★ 開祖・谷口雅春先生は「霊感で以って書かれたもの(特に宗教の教典・聖典)は、霊感で以ってのみ能(よ)く解釈し得る」と説かれています。
★ 三代目・雅宣・純子さん共に未だ『無の関門』を超えてはおられないのですから、ハイレベルの正しい霊的解釈は不可能であります。
平成25年○月 本当の「生長の家」真理を求道する信徒
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注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
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原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (40) (847) |
- 日時:2013年04月19日 (金) 09時00分
名前:FAX作戦推進本部
<「今の教え」の誤り>
精神病(統合失調症)は、薬でなおる?
<<憑依現象とは、正確な科学的用語では統合失調症、神経症の一種で、以前は精神分裂病と言っていました。自分には色々な自分がある。それを一つの自己が統合している。この機能がうまく行かなくなる。こういう人は自分の声を他人の声として聞く。この統合失調症は薬で治るのです。憑依霊なんて誰も判らない。中絶児のある家庭ではこの統合失調症が出る場合があります。>>(平成16年11月和歌山県講習会)
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★ 精神分裂病や癲癇(てんかん)は一人の肉体を複数の霊魂が占有(せんゆう)して起こる肉体の症状であります。薬では治りません。 非常に強力な薬を飲ませるために、患者は脱力してグッタリとなり外見上は薬が効(き)いて治ったように見えるだけなのであります。
★ 雅宣総裁は宗教家と称しながら、霊的な方面のことには完全に無知であり、関心を持たず、理解しようとすらしません。 不登校や引きこもりの場合には、中絶児供養は根本的に必要な事柄であります。
★ 霊のことが判らずして宗教家とは言えない。霊的理解力が生来的に欠落しており、失礼ながら今生での回復はとうてい無理だと考えられるのであります。
平成25年○月 本当の「生長の家」真理を求道する信徒
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注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
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