生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第五十五話> (828)
日時:2013年04月17日 (水) 13時24分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第五十五話(通算第381話)


 
暗示が内在の神癒力を喚起した事実(2)

(『神癒への道』P.54−57)



一昨年のことであった。東京都内の藪(やぶ)照子さんの娘が奇病にかかった。一種の脊椎カリエス病状で脊椎がまがらないし、右の股関節も自由にならず、座るにも右脚を真直ぐに伸ばしたまま座らなければならないのである。

それだけなら好いが、夕方のある一定時刻になると悲鳴を挙げるほどその曲がらない方の脚が疼(うず)いて、もがき苦しむのである。

その娘は生長の家本部前の脇田博士の病院に入院していた。脇田博士の医療も説得も何の効果もなかったので、博士は服部仁三郎氏を招(よ)んであげようということになった。


 丁度、痛んでいる最中に服部氏が到着したのでした。そして、人間本来神の子、円満完全で病気は無いという話をその娘の枕元で話した。

すると、十分間ほど話しているうちにその痛みがピタリと止まってしまった。藪さんの奥さんはこの娘が不思議な病気で、天気の日にはあまり尿量はないが、雨が降る日には多く尿量がある。少し降る日には少し多いし、多量に降る日には無闇に多量に尿があって、病褥(びょうじょく)を濡らして困るということを訴えた。娘は夕方の疼痛時の放尿には疼(いた)んで便所につれて行けないので、「おむつ」を利用していたのである。

服部氏は、「それは雨が降るのを見ると、水を連想するので尿が多く出るのでしょう」と心理的な尿量増加だろうと話した。藪夫人は、私もそう思って、雨が降る時には雨を見せないように室をたて込んで警戒して置くのですが、本人は雨の降るのを全然知らない時でもその尿量は雨量の指示計であるかの如く、正確に増減するという事を訴えた。

「それでは、その雨の降る時間に来てみましょう」と言って、服部氏は次の日、雨の今にも降りそうな時をはかって病院を訪れたのである。そして、病気の娘の枕頭(まくらもと)で、生命は神の子、完全円満、そんな不調和なことはないという真理をまた話していたのである。

ところが雨がザンザ降って来た。娘はきげんよく聞いていて、少しも尿意を催さないのである。それ切り、雨量と共に増減する不思議な尿の病は治ってしまったのでした。

 脇田博士も此の奇病の奇跡的治癒には驚いてしまった。まだ脚と脊椎の硬直はとれないが、疼痛と尿の異常は治ってしまったし、この種の病気は物質的医療の範囲外であるので、もう自宅へ帰って養生せられるが宜しかろうということになった。服部氏は短冊に「生命円満完全」と書いて「これを部屋にかけておきなさい」といってそれを渡した。

 自宅へ帰ってから数日後の或る時、藪夫人は娘の枕頭(まくらもと)で『甘露の法雨』を読んでいた。突然その時、柱にかけてある服部氏自筆の短冊「生命円満完全」の文字の上からパッと白い火が出たことを感じた。オヤ不思議なことがあるものだと思って娘の方を見ると、娘がしきりに首を枕の上で持ち上げようとしているのである。そしてとうとう首をもち上げて硬直していた脊椎を自分で勝手にまげて起きてしまったのである。

やがて脚も自由になるしどこも完全に健康になった。この娘さんは今も完全に健康で、女学校の三年になっていて、先日の白鳩会に来て以上のような体験をのべてお礼を言われたのであります。


 私は斯ういう奇跡的な治癒の事件が面白いから引用しているのではないのである。何が斯かる奇跡的治癒の内在原理であるかとうことを諸君に知らしたいと思うのであります。


 それは「人間神の子・本来円満完全」と云うこの真理が、それが以心伝心に、或いは招神歌を書いた紙を媒介として、その真理を書いた『生命の實相』の小冊を媒介として、或いは「生命完全円満」と書いた短冊を媒介として、或いは『甘露の法雨』の読誦を媒介として伝わるという事であります。

「人間完全円満」という事は、人間の本性それ自身(即ち生命の實相)の中に宿っている真理であり、同時にそれは、神自(みず)からの創造の原理として宇宙に充満している真理なのであります。

この宇宙に充満する「人間完全円満」の真理が、人間の本性それ自身の中に宿る「人間完全円満」の真理を呼び出せば自然に病気が治るのであるが、その神の真理が、人間の真理を呼び出す触媒のような、アンテナのような働きをするのが、「人間完全円満」を表現する言葉であったり、文字であったり、説教であったり、書物であったりするのであります。

それは人間内部にやどる超越的内在神のはたらきによって治るのであるから、これを超物質的治癒(メタフィジカル・ヒーリング)というのであります。>>






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