生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第五十七話> (844)
日時:2013年04月19日 (金) 08時01分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第五十七話(通算第383話


) 
無時間無空間の「久遠の今」について(2)

(『神癒への道』P.136−139)



<< 此の無時間の時間を久遠の今とか、絶対時間とか、過去、現在、未来を超えた時間とか、永遠の今とかいうのであります。

この絶対時間はわれわれの「生命の本質」そのものであります。

吾々が過去現在未来などといっている時間は、絶対時間ではなくて相対時間であります。相対時間というものは太陽の出没に比例して、即ち地球が太陽の周囲を回転する回転数や、地球が自転する回転数に比例して、吾々は何日とか何時間とかいう事を称(とな)えるのであります。

それは他のものの運動との比較の上に相対的に成り立つ時間であります。相対時間は決して不変のものではありません。若し、地球の自転、公転の速度が変化すれば結局それは変化してしまいます。又時計を標準にしていては常に代わってまいります。電気時計などは此の頃は電力が乏しくなってサイクルが落ちて来ると、時計の廻りがおそくなり、一時間だと思っておっても、一時間十分位経っておったりするのであります。

 しかしこれは一地域の電力だけの変化であって地球の自転・公転の速度が変わるのではありませんので、他の比較標準になるものが変化しないものですから、一時間はやはり一時間であって、此の電気時計だけが遅れていると考えるのですけれども、ところが若し世界中の電流の流れが変わってしまいそして地球の公転・自転数もすっかり変わってしまったら、そしたら吾々は今まで一時間だと思っていたその同じ時間が二時間にも三時間にも感じられるようになるかも知れないのでありまして、結局、相対時間というものは決して一定不変のものでないことがわかって来るのであります。


 そういう変わりやすいものが相対時間でありましてそれは決して本当の時間ではないのであります。

過去・現在・未来に属する相対時間というものは要するにこうしたものであります。

吾々は吾々の相対的活動を、地球の公転・自転の運動の何分の一だけ働いたという様な標準を求めるために、こういう相対時間を使いますが、それは結局「目盛り」に過ぎないのであって、本当の時間「実在の時間」というものは、過去、現在、未来というものの流れを超えたところの存在、「永遠の今」「久遠の今」「今此処の生命」であって、この今此処一点の生命が「久遠の今」に生きているのであります。



 さて此の絶対時間――換言すれば、「久遠の今」というものは一体何であるかというと、生命そのものである。

「今此処の一点」の生命が振動する。生命の振動の持続が時間なのであります。

生命の振動が止まったら時間がなくなってしまう。生命振動の意識が時間であります。

しかし、その生命振動はそれが白熱的に振動すると、他との比較する隙(すき)がなくなってしまいますので、相対時間では何時間勉強したかわからないことになります。また生命の振動が止まっている間に時計が何億回回転してその間に相対時間が何百年経っておろうが、それは判らないのであります。

アメリカに『リップ・ヴァン・ウィンクル』という、日本の浦島太郎に比べられるような、物語があります。この人は南北戦争の前に生まれておったのが、それがどっか行って山の中で眠っている内に、南北戦争が起こって、そして終った。世界に革命が起こってすっかり世界が変わってしまっているのにそれを知らずに寝ておったのです。

さて目が覚めて故郷に帰って来ると世界中が変わっている。自分がその間に何十年間眠っておったか意識がないのですから、昨日出かけて行って、今日帰ったつもりでいる。故郷に帰って来るとすっかり街々の様子が変わっているのであります。住んでいる人がすっかり変わっている。リップ・ヴァン・ウィンクルと同年輩で生き残っていた人も皆老人になっていてその幼なじみの顔もすっかり容貌がかわっているのでわかりません。そして自分の容貌も年老い、着ていた服はボロボロになっているのですから、乞食がやって来たというように疑われたという物語であります。

詰まりリップ・ヴァン・ウィンクルにとっては山の中で眠っていた間は、生命の振動がなかったのでありますから、その人にとっては時間というものがないのであります。その間に、他の存在は動いていたので、こういう食い違いが起こったのであります。>>






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