生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第五十七話> (846) |
- 日時:2013年04月19日 (金) 08時23分
名前:信徒連合
< 第五十七話 > リアルとバーチャル、ハテ何のことやら?バーチャルは“お孫さま信仰の婆ちゃん”か?!
(平成22年8月11−16日『小閑雑感』)
<<「ネット時代の運動を考える」・・・ 前回の本欄で考察したリアル組織とバーチャル組織の特徴を表−1にまとめてみた。言葉の使い方を前回から変えているところがあるが、本質的な意味は変わっていないと思う。リアル組織の外貌は実名的であるのに対し、バーチャル組織は匿名的である。リアル組織の位置は地理的であるのに対し、バーチャル組織は地理的には存在しない。リアル組織の構造は階層的だが、バーチャル組織のそれは非階層的であり、上下関係の意識が薄い。リアル組織の基盤は功利的だが、バーチャル組織の基盤は親和的である。リアル組織の結合は傾倒的(強く、深い)なのに比べ、バーチャル組織は非傾倒的(弱く、浅く)に結合している。>>
(講評)
<< 或る宗教の開祖の言葉に「学者と金持ち後廻し」というお言葉があります。8月4日から11日まで6回シリーズで「生長の家原宿教養大学」で、夏季特別公開講座として第三代目・谷口雅宣教授の“唯物的経営組織論”が公開されたのであります。
ここで雅宣教授は、持ち前の優れた?肉体頭脳による左脳思考で全国展開している現在の原宿教団の組織、すなわち「相愛会」・「白鳩会」・「青年会」という運動組織、さらに「地方講師会」・「教職員会」・「聖使命会」と言った“会”と名前の付いているものの内容と相互関係と意志伝達経路について分析し、さらに「ネット社会」の動きと関連させた“経営学的組織論”を展開して居るのであります。
そして結論としては<ネット社会の運動はムツカシイ!>と言っているのであります。
この「組織論」はやがて『小閑雑感』シリーズに単行本化され、講習会のテキストとなり、本部講師・地方講師は雅宣教授や教修会でその講義を受けた教化部長を通じて居眠りしながら聞かされることでありましょう。
ここでも前・第56話の「非対称性・対象性」と同じく、雅宣教授の使う「リアル」とか「バーチャル」といった博学を誇る?言葉を果たして末端の一般信徒が正確に理解できるでありましょうか?
せいぜい“お孫さま信仰”の高齢者信徒の皆さんは、「さすがはオツムの優れた雅宣大先生、わたしたち“バーチャン(=バーチャル)”のことを常に心に掛けて下さっている。まことにありがたいこと。だけど、“リアル”とは何のことだろう?焼肉の“レア”のことかしら、だけど大先生ご夫妻とも肉食はなさらない筈だけど・・・“ネット社会”とはその通りですわね、自然環境保護を人生目標としている大先生“防鳥ネット・防獣ネット”のこともよくご存知ですこと!」と思う人も少なくないでありましょう。
開祖・谷口雅春先生は難しい哲学用語でも庶民の平易な日常言葉で説いておられます。(『西田哲学との比較に於ける人間論』(『人間死んでも死なぬ』P.332)。
第三代目・谷口雅宣氏は逆に容易(やさしい)な内容の話でも難解な横文字で敢えて表現するのであり、読者のことなど考えずに博学多識を見せ付けているに過ぎないのであります。
今回の6回シリーズ「ネット時代の運動」の読後感は、
(1)相変らず第三代目・谷口雅宣氏は宗教家ではなく、学者・評論家の道に適した人である。
(2)温かみの欠如したクールな文章である。冷たい人間性がそのまま滲み出ている。嘗て、新潟の大地震に遭遇し、被災信徒や教化部の安否を忘れて(一番心配したのは持ってきたノート・パソコンの安否!)いち早く東京に逃げ帰った「旅人の被災」なる文章と同じレベルである。
(3)「組織論」の展開は詳しく分析しているけれども肝心の「組織を動かす人達・活動する人達」の経営学で云うところの「モラール向上」詰まり“活動意欲(使命感)”を高揚していくことについては全く触れてはいない。
従って、第三代目・谷口雅宣氏と云う人物は決して“宗教家”とは云えず、いつも自分は安全な場所にいて理屈だけを述べている無責任な評論家であると云えるのであります。
(4)このような博識博学文をいくら書いたとしても、病・悩・苦の救済には何の役にも立たない。だから、“学者と金持ち後廻し”(物的生活に恵まれ、せっぱ詰まった人生問題の体験無きが故に、霊的真理によって救われる道には程遠い)なのであります。
(5)この文章を読んだまともな信徒は生長の家の霊的レベルの低下を深く歎くばかりであります。
そして“早く出て行って欲しい”というのが“本音”であります。
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