生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第六十二話> (932) |
- 日時:2013年04月30日 (火) 09時25分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第六十二話
先祖供養、および個別霊の供養(その5)
分家の人は家に先祖祀りは不要か(『霊供養入門』)
<< 分家であるからとて、先祖祀(まつ)りをしていないということは、やはりよくないことである。
なぜかというと、先祖を祀るということは、祖先の霊が迷っている場合には、真理のお経を供養することによって悟りを深めて頂くことにもなるけれど、祖霊祭祀の意義は、祖先に対する報恩感謝の心を“自分”が起すということが根本であります。
だから、先祖がみんな悟りを開いて高級霊になっていたら、何も祖先を祀る祭壇など設けなくてもよいかというと、そうではないのです。
常に“自分は祖先あってこの地上に生まれさせて頂いたのだから”という因(もと)を知る心を起して、祖先に感謝礼拝するという事が大切なのです。知恩感謝ということができるのが悟りの心であります。
つまり“悟り”ということは、ここに生きている此の個人としての生命が、神に始まり、祖先を通し父母を通して全体の生命と<つながり>があるという自覚が、悟りなんです。
その悟りを如実に報恩の姿をもって表わすのが、祖先祭祀であって、そこに神と祖先の諸霊たちとの生命的一体感を起すことになる。
それが先祖祀りということの意義なのです。
ですから子孫が感謝のこころを起すことが、祖先が一層良き悟りを得る契機になるわけです。
そういう意味に於いて、祖先祭祀は必要なのであるから、祖霊は本家が祀っているから、分家の私は祀らないでよいというのは間違いなのです。
分家も本家と同じように祖先を祀ることによって子孫たる自分も悟りを高めるのであります。>>(P.152−153)
原因結果の法則(『霊供養入門』)
<< 昔から「積善の家に余慶あり」という諺(ことわざ)がある。この場合の「家」とは建物のことではない。家系連綿として血統の続いている「一系の連続生命の流れ」のことである。
先祖が人に物を施したり、多勢の人を助けたり、生命を救ったりして、善行を積んでおいた家が「積善の家」である。そんな家系に生まれた子孫は時としてあまりするどい慧敏(えいびん)な知者でもなく、温和(おとな)しい一般人でありながら、色々の機会や深切な協力者や出資者などに恵まれて自然に成功したりすることになるのである。
これは宇宙に厳存する「与えれば与えられる」「原因あれば結果あり」「種を蒔(ま)いておけば収穫がある」「瓜(うり)の蔓(つる)には茄子(なす)はならぬ」という種類の法則によるのである。過去に良い種を蒔いてあったから良き収穫が子孫にあらわれて来つつあるのである。
谷口家の、私にとって直系ではないが、祖母の弟で、谷口福松という人があった。彼は黒住教の深い信仰をもって「少講義」という、生長の家でいえば「教化員」というような教階をもっていて、人を助けてあるいていた。常に貧しかった。謝礼も何ももらわないで、教えを説き、加持祈祷(かじきとう)をし、「遠津神(とおかみ)笑(え)み給(た)め抜(はら)い給え潔(きよ)め給え」と簡単な神咒(しんじゅ)や、天津祝詞(あまつのりと)を唱えて、この福松先生が息吹(いぶき)を病人の患部に数回吹きかけると、多勢の人が救われた。病苦がやわらぎ、やがて快復(かいふく)するのが例であった。
彼はいつも貧しい服装をしていても平気であった。寒い冬でも身すぼらしい薄着をして羽織(はおり)も着ずにいるので、多少裕福な信者が福松先生を気の毒に思って、「先生、この羽織をお召(め)し下さい」といって、一枚の紬(つむぎ)の紋付羽織(もんつきはおり)を差し上げて着せてあげたのであった。
福松先生はその時は大変悦(よろこ)んで感謝を述べてその羽織を着て行かれたが、翌日、先生の姿を見ると、もうその羽織をお召しになっていられないので、それを差し上げた信者が、「先生、どうして昨日の羽織をお召しになりませんのですか?」とお訊(き)きすると、「ああ、すまん、すまん。あの羽織はね、わしよりズッと気の毒な貧しい人が病気で寒そうにしているので、その人に着せてあげたんや」と答えたということである。
こういう陰徳の人が私の祖先にあった。そういう積善の陰徳が余慶(よけい)として子孫に報いてくるのである。子孫の生命というものは、祖先の生命の延長であり、従ってわれわれ子孫は、祖先の生命と一体であるのである。祖先祀(まつ)りが大切であるという所以(ゆえん)はこんな所にもある。>>(P.42−44)
-
|
|