生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ教と親鸞  (中村晃生) (967)
日時:2013年05月04日 (土) 01時20分
名前:サーチャー

マサノブ教と親鸞@ (8136)   日時:2013年05月03日 (金) 12時12分
名前:中村晃生

<衆生救済の熱烈な情熱を放棄した教団が、発展した例は無い>


教祖谷口雅春先生の立教の悲願であった「人類光明化運動」をアッサリと放棄し、大衆の救済をしないで「ヒキコ森」に、今秋から移転しようとする「マサノブ教」は、もはや宗教団体の生命を失ってしまったと言ってよいでありましょう。どこの教団でも共通していることですが、宗教団体が伸びるのは、その教団の創始者が持っている火のような「衆生救済」への情熱と、それをさらに発展しようとする多数の弟子たちの熱意なのです。つまり、いかなる教団でも「衆生の救済」を説かないで発展した例がないのです。

この「衆生救済」は「生長の家」では「人類光明化運動」であったわけですが、この大目標を、マサノブ氏の「鶴の一言」で、アッサリと捨ててしまった「マサノブ教」は、今後急速にその生命力を失ってゆくものと思われます。なぜこんなバカなことをしたのか――おそらくは現教団幹部の皆さんにも良く理解できない、十分に説明できないのではないでしょうか?

その代わりに実体の無い「国際平和信仰運動」を展開されてゆくそうです。ちょっと利口な人間ならば、こんなことを強行してゆくと教団の衰退につながることは容易に理解できるはずですが、マサノブ氏にとってはそんなことはどうでもいいのかもしれません。ただ自分が好き勝手にパソコンで遊べれば、それでいいのでしょう。あるいはそれこそ「殿ご乱心」で、気が触れたのかもしれません??いずれにせよ、偽経を作ってからというもの、この教団はますますおかしくなっていることは事実です。

「国際平和信仰運動」を展開する。その本部を自然が豊かな八ケ岳に置く。これは文明的な転換なのだ――その意気は結構なのですが・・・ とても「正気の沙汰」とは、考えにくいのです。

したがって、原宿の教団本部では、7月からは信徒に対する日曜誌友会、聖典講義もやらないことになりました。神癒祈願の受付もしません。それは八ケ岳が「ヒキコ森」に移転してからも同様になります。もちろん八ケ岳の山の中には、信徒がいないわけですから誌友会を開いても信徒が集まるはずもありません。それこそ完全な「オフィス(事務所)」になってしまうのです。

それにしても、本当にマサノブ総裁は、何を考えているのでしょう?

もっとも「人類光明化運動」の大目標を捨てて「森に学ぶ」と称する「反日環境団体」は、せいぜいが八ケ岳に棲息するキツネや日本ザルを相手にするしかありませんが・・・ということで、今回で一応、「マサノブ教批判」を終え、今後は――我々が、谷口雅春先生の「本流の教え」を復興するために一体どうすべきなのか――といったよりポジティブな議論を展開して行きたいと思います。

しかし、そのためにも、私は少し「浄土真宗」と親鸞聖人の軌跡に触れ、我々の運動との比較をして見たいと思うのです。というのも、鎌倉期に起きたこの「浄土真宗」という仏教教団には、今のマサノブ氏の「40年ぶりの変革」で変質させようとしている「生長の家」教団、そして「教祖雅春先生」の教えを再興しようとしている我々が、学ぶべき点が実に多いからです。

浄土真宗として今や、既成の仏教団体としては、日本有数の大教団に発展したこの教団も、開祖の親鸞聖人が教えを興した当時は、さほどの大きな勢力ではありませんでした。良い弟子もおりましたが、おかしな子供(!)も輩出したのです。もちろん谷口雅春先生と同様に宗教的な天才であった親鸞聖人は、徹底した修行を行い、悟った後は「教行信証」などの膨大な書き物を残しました。しかし、本当に発展したのは、実はその後に出てきた多くの弟子たちの活躍によるもの(この点はキリスト教と似ています)であり、本格的な教勢拡大をしたのは、聖人の死後に「中興の祖」となった蓮如が世に出てきてからなのです。その意味では、我々に示唆するところも大きいのです。

我々が本当に学ばなければならないのは――師の教えを受けて、こうした弟子たちが、どのように活躍し、教えを発展させたのか。その生き様なのであります

マサノブ教と親鸞A (991)
日時:2013年05月06日 (月) 21時51分
名前:サーチャー

マサノブ教と親鸞A (8223)   日時:2013年05月06日 (月) 16時23分
名前:中村晃生

<峻厳な修行の末、数度の神秘体験をする親鸞>


親鸞は、源頼朝が鎌倉幕府を樹立する20年前の1173年に、貴族の末裔だった日野有範の
三男として生まれています。社会は大飢饉に会い、巷では餓死する人間が相次ぐと歴史書
にも記されている時代で、実際にすさんだ世の中だったようです。そうした中で、彼は若
くして出家、比叡山の学僧となります。ここで彼は修行に明け暮れるのですが、難行苦行
を通してでも、なかなか悟ることができません。しかも煩悩にさいなまれた彼は、ついに
は下山を決意し、京都洛中の「六角堂」に籠って祈念を始めたのです。その95日目の明
け方に、観世音菩薩が聖徳太子となって出現し、親鸞聖人に夢告を授けるのです。

>行者宿報(しゅくほう)にてたとい女犯(にょほん)すともわれ玉女(ぎょにょ)の身
となりて犯せられん一生の間よく荘厳して臨終に引導して極楽に生ぜしめむ<

それは性欲の煩悩に苛まれた親鸞を、煩悩のままに大慈大悲で包み込んで救済して頂ける
観世音菩薩様の「大いなる愛情」でもありました。やはり、こうした開祖は一様に神仏か
らの神秘体験をしています。彼はそれまでにも何度か神仏からの夢告を経験していますが、
この六角堂の夢告が転機となります。衆生はそれこそ煩悩の大海の中で、苦しんでのた打
ち回っているのですが、親鸞聖人はこの夢告を人々に広めることで、また彼らも同様に阿
弥陀仏への信仰の中で救われることを説き、妻帯しながらも衆生救済ができる道を究めよ
うと、正師を求めて動き出しました。

求道への熱烈な追究心と、長年の真剣な修行――つまり「自力」での過酷な道の追究の結
果、終生の師となる法然に邂逅し、「専修念仏」の「絶対他力」の道を悟ります。法然そ
のものが、既成仏教の「自力」の道の中で難行苦行し、のた打ち回りながら、末法の世に
おける衆生救済への道を捜し求め、ついには唐の道しゃく禅師の説く「浄土他力」の道と
邂逅するのです。

この他力の仏教の道での親鸞と法然との出会いは、仏様が導いて下さったものでしょうが、
私はその「絶対他力」の安易道に至るまでのプロセスが重要なのであると思うのです。悟
りは、決して簡単に得られるものではありません。真剣、かつつらい求道への努力が、神
仏の真心を打って「真理」へと導いて頂けるのであり、そこに至るプロセスは決して安易
な道ではなかったのです。

親鸞聖人や谷口雅春先生がご苦労なさって真理を追究して下さったからこその、浄土真宗
であり「生長の家」の出現であるわけです。それだからこそ、現在この「生長の家」の安
易道に導いて頂いている我々は、尊師の歩んだ道を尊重し、教えを大事にし、尊師に徹底
感謝しなければなりません。

マサノブ氏のような尊師を軽視したような態度、また尊師が著された大事な聖典「生命の
実相」を、信徒の目に触れさせないような行為は、決して宗教家としては許されるべきで
はないのです(最近のマサノブ教では、実権を握ったマサノブ氏が主導したものを、「谷
口先生の本を再販しない方針は、当時の日本教文社が勝手に決めたものだ」とウソをつい
ていますが、とんだ噴飯物です。師の書かれた大事な書籍を、勝手に発禁処分にするなど
といった忘恩的行為は、恐れ多くて日本教文社が単独でできる訳もありません。それは絶
対権力者である忘恩的人間のマサノブ氏の指示がなければ決してできないことなのです!
自分に都合が悪くなると、他人に罪をなすりつけるようなまねは、してはいけませんよマ
サノブさん。)

かつて「谷口雅春とその時代」という谷口先生のことを書いた宗教学者の本が出たことが
あります。この本は、丹念に大本教時代前後の先生の書いた論文、本などを研究して書か
れた本であります。この本を読むと、先生が大本教時代にもいかに真剣に真理を追究して
おられたかが、良く分かります。私たち「生長の家」の信徒は、「生命の実相」で先生が
悟られた後の、エッセンスだけを教えていただいているのです。実に有難いことなのです。
私たち弟子は、雅春先生のご苦労を偲び、さらに人類に向けて聖典「生命の実相」を、大
々的に普及させて行く必要があるのです。それこそキリスト教の聖書以上に、人々の苦悩
を具体的に救済する力と価値のあるご本なのですから。

マサノブ教と親鸞B  (1010)
日時:2013年05月08日 (水) 12時46分
名前:サーチャー

マサノブ教と親鸞B (8259)   日時:2013年05月08日 (水) 11時31分
名前:中村晃生

<法然上人に徹底帰依した親鸞聖人――「帰依する」とはどういうことか>


己の長年の疑念が解消し、法然上人を師と仰ぐに至った親鸞は、徹底帰依してどこどこまでも師と行動を共にします。しかしそうしている時に、法然上人のもとで勢力を拡張した教団は、恐れをなした旧仏教勢力の糾弾に会います。後鳥羽上皇により専修念仏禁止の宣旨が下り、法然門下の幹部が一斉に捕縛されるのです。4人が死刑となり、その他に法然は土佐へ、親鸞は越後へと流罪になります。師の法然と、弟子の親鸞は離れ離れになり、ついには終生再会することはありませんでした。親鸞にしてみればこの流罪は、一歩間違えれば死への道でもあったわけですが、それでも親鸞は、師に対する絶対的な信念を変えません。

後年親鸞は、教えを求めてくる人々に対して、法然上人の唱えた「専修念仏」に関して次のような有名な言葉を「歎異抄」の中に残しています。

>たとい法然聖人にすかされまいらせ、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう<

つまり、「たとえ法然聖人にだまされて地獄に堕ちても悔いはない」との信念をキッパリと述べています。師に対する絶対的な信頼の念を述べた言葉として、有名なものです。念仏して果たして本当に浄土に行けるのか、救われるのか――は、親鸞ももちろん誰にも分かりません。でも例えそれで地獄に落ちてもいい。私は付いて行くのだ。との信念を述べているのです。


谷口雅春先生の弟子として、我々が取るべき態度も、このようにありたいものです。戦後民主主義のこの軽薄な世の中にあって、「真理国家日本」や「天皇信仰」を唱えることがいかに難しくとも、それこそ「地獄に堕ちても」我々は尊師の教えにあくまでも忠実に、キチンと「生長の家の大神様」から示された真理の道を、声を大にして宣命して行きたいと思うのです。

しかし、師の示された「み教え」は、実際には絶対に正しいのであります。その「あかし」として大神は、私たちに様々な「奇跡」――それが、病気が「奇跡的に」癒されることであったり、人生苦が「奇跡的に」解消されることであったり、夫婦仲あるいは嫁姑の仲が「奇跡的に」良くなったり――を示されてきているのです。キリストは、「その木がつけた果実の良し悪しによって、その木の良し悪しを判断せよ」と、述べています。私たちも、このような数々の奇跡の現出によって、いずれの「教え」が正しいのかを判断せねばなりません。雅春先生の「学ぶ会」では、現に「奇跡」が続出しています。それに対しマサノブ教では、最近は「体験」が出てきたという話は、ほとんど聞いたことがありません。どちらが「正しい」教えを説いているのかは一目瞭然なのであります。

谷口雅春先生の示された道にしか、私たち人類が救われる道はありません。さらには祖国日本が救われる道、世界が救われる道も存在しない――と、我々は確信し、さらに前進して行こうではありませんか。

しかし、今のマサノブ教は全く正反対であります。自分の首が大事なばかりに、「生長の家」の大事な柱である「人類光明化運動」と「鎮護国家」をマサノブ氏が捨てても、反対一つしないのですから!今の教団幹部は、「親鸞のこうした法然上人に対する信念の『爪の垢』でも煎じて飲め!」と言いたいほどです。信仰とは、そして信仰者とは、親鸞のようにこそあるべきなのです。

彼は、法然上人の「専修他力」の原則には絶対的な信頼を置いています。そこからは一歩も離れません。「帰依する」とは、そういうことなのです。むろん、法然上人の思想をさらに万人向けに分かりやすく説いてはいます。しかし、決して「専修他力」の「念仏」の原則は逸脱しておりません。

雅春先生の愛国思想が自分とは合わないということで、「今の教え」を主張し、勝手に原則を変えてしまう。そのようなマサノブ氏のあり方は、とても「生長の家」の「法灯継承者」とは呼べないのです。むしろ信仰者の「風上にも置けない」人物であると言えましょう。我々は、断固としてそうしたマサノブ教のありかたを批判し、正しい雅春先生の示された「教え」を守るべく、戦わねばなりません。



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