生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第七十五話> (1011) |
- 日時:2013年05月08日 (水) 13時55分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇
第七十五話(通算第401話)
物質及び暗示療法と真の超物質治療との相異(2)
(『神癒への道』P.226−229)
<< さて、ルーハス・ムウズリ氏がその著書に書いているところの「キリスト吾に宿る」という自覚を呼びおこすために念ずる所の思念の言葉を次に紹介しようと思うのであります。
「尊きキリストの生命(いのち)、わが体の、吾が事件の、すべての中に流れ入り給いて、吾のすべてのすべてとなり給うのである。神よ、私の霊をしてあなたの霊とならしめ給え。そしてあなたの霊をして私の霊とならしめ給え。私の意志をして、あなたの意志とならしめ給え。あなたの意思をして私の意志とならしめ給え。私の心をしてあなたの心とならしめ給いて、あなたの智慧と理解とやさしき心遣いとをわたしのものとならしめ給え。私の体をしてあなたの体とならしめ給え。あなたの体をして私の体とならしめ給え。あなたの骨をして私の骨とならしめ給え。あなたの肉をして私の肉とならしめ給え。あなたのハートをして私のハートとならしめたまえ。私の全細胞をして、健康と癒しの力とをもって満たし給いて、わが生命(いのち)に完全なる救いを受けしめたまえ。私の身体のすべての器官及び私の肉体のすべての働き、更に私の心の働き及び魂の力に於いても完全なる救いを与え給え。」
ムウズリ氏はこの様な思念を行なって、実際にイエス・キリストの霊が自分の全細胞に満ちわたる事を想念するのであります。
以上の想念の仕方で大体解ります様に、メタフィジカル・ヒーリングに於いては、「癒し」の主動力となるものは、人間自身の想念ではなく、神即ち宇宙大生命の意識なのであります。或いはキリストの愛なのであります。
ところが心理学的治療法に於いては、その癒しの主動力となるものは、単に個々の人々の潜在意識に過ぎないのであります。この点において心理学は、個人の意識の科学であると考えることが出来るのでありますが、メタフィジカル・ムーブメントに於ける科学は宇宙の普遍心の科学であるということができるのであります。
心理学的治療法に於いては、術者が暗示的になったところの想念の種子(たね)が被術者個人の意識の中に植えつけられて、それが生長するのであります。
ところがメンタル・サイエンスや、ディヴァイン・サイエンスや、リリジャス・サイエンスや、生長の家に於ける光明思想の神癒はその治療の媒介者として、宗教家が患者と神の間に介在して、神の癒しの力を誘導してくるのであります。<即ち、宗教家は術者ではないのであって、神が術者であります>。
宗教家は唯神と患者との間に「癒しの流れ」が通ずるパイプを作る役目をするのであります。そして神の力は全能でありますから、パイプの力は弱くとも全能なる神の力が流れ入って、個人の思念力では、とても出来ない様なすばらしい治癒成績があがるのであります。
ニューヨークのディヴァイン・サイエンス教会に於いて、毎週の説教講演会に於ける礼拝行事の祭に、ツェンウイック・エル・ホルムス博士が、皆を指導するために念ずる言葉の形式は大体次の通りであります。
「吾が信仰は霊の科学の上に基礎を置くのである。宇宙に唯一つの原因者がある。唯一つの霊がある。唯一つの普遍的智慧がある。唯一つの道がある。道即ち普遍的法則がある。それを神と呼ぶのである。その唯一つの原因者が法則を通して物質と現われ、肉体と現れ、その他無限の変化ある形態をとって現れるのである。人間は神の自己表現であり、その実質は神の霊を実質とし、その心は神の心を心とし、神の本性と法則とを理解することができるのである。神の本姓に一致し、神の法則に従うとき吾らは之を自己の健康に、幸福に、豊かな供給に又人類への奉仕に使うことが出来るのである。されば我はただ最初の第一原因者なる神と関係を結ぶ事によって神の智慧と一体となり、神の智慧に導かれ、神との意識的融合を完成せんとするものである。神の生命(いのち)はわが生命(いのち)である。神の愛は吾が愛である。神の愛は吾が中(うち)に宿り給い、吾と全人類を今、そして永遠に祝福し給うのである。」>>
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