生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第七十話> (1012)
日時:2013年05月08日 (水) 14時11分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第七十話



 先祖供養、および個別霊の供養(その13)




降霊実験会後記(2)

(『生命の実相』第10巻・霊界篇下巻(P.155−159)



<< これは元慶大教授有元新太郎氏の述懐談でありますが、有元氏の場合と同様に、霊界で迷える霊魂の悩みを解くと現実界の人間が二人同時に、同じ病気が癒った実例がほかにもあります。

その人は大阪高商を卒業して、熊本の某会社に勤務していられるかたでしたが、ある時商用で大阪へ来られたついでに、甲子園へ野球を見に行かれた。野球が終って帰ろうとすると、多勢の観覧者が一度にドッと同一の道に溢れて、身動きもできないように互い互いの身体がギッシリ押しつめられたのです。

その時この人は「このまま身動きができないように押し込まれたらどんなになるだろう」とフト思った・この考えはホンの瞬間的にこの人の頭をかすめただけでありましたが、それ以来いかなる乗り物に乗っても、この乗り物の扉がこのまま開かなかったら自分はどうなるだろうかという恐怖心が起こって、いても立ってもいられない。その状態はだんだんひどくなって、ある時、社用のため、自動車で数里の道をドライブされたが、その時も「このまま、この自動車の扉が開かなかったら」と思うと、とてもそのまま継続して自動車に乗っていることができないで、社用を果たさずに自動車を中途で下りられたくらいでありました。

「こんなことでは会社の仕事にも差し支える、それにこの正月休みには郷里の東京へぜひ帰らねばならない。数里の道でも自動車を中途で下りねばならぬほどであるから、熊本から東京までも汽車に耐えうることは誠におぼつかない。なんとか治らないものだろうか」という相談を九州からわたしの所へよこされました。

私はその相談の手紙を見ると、「これはこの人の親類に浮かんでいない霊魂があって、その霊魂が現在、幽界の暗い所に幽閉せられている。その幽閉せられていることがとても耐え難い感じであるので、誰か自分を救ってくれるものはないであろうかと思って、最も親しい人にその幽閉恐怖の念波をおくっているのだ」ということが直覚されましたから、

そのことを返事に書いて「ともかく、正坐合掌して精神を統一し、自分にわざわいしている霊魂よ」と呼びかけ、こう呼びかけると必ず感応して出て来るものでありますから、その霊魂があなたの眼にみえなくともそこにきているのであるから、その霊魂にいい聞かせるつもりで「東京へ帰郷したらよくお前の霊魂をしらべて必ずお前の救われるように努力するから、東京へ行くまでの汽車の中で騒がないようにしてくれ」と低声(小声)で力強い声でいいきかしておいて東京へ発(た)ちなさい。おそらく東京へ着くまでは大丈夫でしょう。東京へ着いたら親類縁者で、あなたに縁の深そうな者で迷っているような霊魂は無いかしらべて、もし迷っているような霊魂があれば墓参をして霊魂の悟りのために『生命の實相』を読んであげなさい。

もしわたしのいうことが疑わしかったら、九段の靖国神社裏に東京心霊相談所というのがあって、毎月十日から三日間、霊媒で有名な中西りか女史が出張していて、心霊科学研究会の浅野和三郎氏がその霊媒に立ち会って、どんな霊魂があなたに障(さわ)りをしているか審判(さにわ)をしてくれるから、東京心霊研究所へ行って私の鑑定と一致するか試してごらんなさいと薦(すす)めておいたのであります。

すると一月の中旬、その方が東京からの帰り途(みち)であるといって生長の家へ立ち寄られて話されましたのによりますと、「ちょうど、東京へ帰って調べてみると、先生のおっしゃったような親類の霊魂があった」というわけです。

この質問者は、幼少より父母を失って叔父(おじ)の家で姉弟とも養われていたのですから、その叔父の息子すなわち従兄(いとこ)とは大変親しい間柄であった。ところがこの従兄が親と意見が合わないというので、親の家を飛び出して流浪しているうちに肺結核にかかったのですが、親不孝で勝手に家を飛び出して血統(ちすじ)にもない肺病になるようなものは関(かま)いつけないというので、看病にもいってやらず、そのまま病が重(おも)って死んだのですが、祭りもろくろくしてないというような事情になっていましたので、その従兄が他界しても行く所へも行けず、誰かにすがりつきたいような気持ちでいるということはありそうなことであります。

はたしてしからば現界にいたとき最も親しかった人間――すなわち幼児から一緒に育ったこの誌友姉弟に頼って、なんとかして救われたいと思うにちがいないのですが、不思議なことには、この誌友が上京して姉に会ってみられると、その姉もこの誌友と同様乗り物恐怖症を患っていて、電車や汽車などに乗って、車掌が扉を閉めるのを見ると、たまらなく幽閉の恐怖を感ずるようになっていたそうであります。

すなわちこれは霊界の暗い所に幽閉されている従兄から放送された幽閉恐怖症の念波が、地上に残っている最も親しい従姉弟(いとこ)同士に同時に感受されてきたためにちがいないので、もし、これが本当ならばこの霊界に幽閉されていると思われる霊魂が、人からお経を誦(あ)げてもらうとかお供養してもらうとかして、その霊魂が救われた暁には、幽閉恐怖の念波を現実界のこの姉弟(ふたり)に送らなくなるから、この二人は同時に幽閉恐怖症から救われねばならないはずです。

ところがこの誌友が、わたしの指示したとおりにこの霊魂を供養した時、この二人の乗り物恐怖症がほとんど全部治ってしまったのでありました。これはこの誌友が来られての実話なのですから間違いはないのであります。


 この実例でもわかる通り『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が家族中にある場合には、祖先の霊魂中、霊界においてなお悟らず、生前の病苦を継続せる者よりの哀願の念波の感応せる場合が多いのでありますから、祖先を祭祀せる仏壇、お厨子(ずし)などの前にて「某々(なになに)家先祖代々親族九族一切の諸霊よ、庶幾(こいねがわ)くは『生命の實相』の功徳により霊界にて悟りを開きて無限向上の道に入り給へ」と念じて後、聖経『甘露の法雨』、聖経『天使の言葉』、聖経『続々甘露の法雨』を毎日かわる代わる朗読し、『生命の實相』の「實相篇」、「光明篇」および「教典篇」を順次読経のつもりにて朗読せられれば、霊界の先祖縁者の苦悩消え、現界の病人も治る例が多いのであります。>>(P.155−159)



<註・コメント>


* 特に、個別霊供養について

上記、開祖・谷口雅春先生のご文章中、先祖供養(先祖代々親族縁族九族の供養)の他に特定の「個別霊」供養のことが説かれていることに注意しておかねばなりません。「個別霊供養」が必要なときとは、――

(1)上記の<『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が自分または家族の中にある場合>であり、

(2)医療を受けても難治、不治の病気以外の問題、すなわち、結婚・離婚・家庭内不調和および暴力・対外的人間関係・子供の登校拒否・引き篭もり等々、一般常識による努力だけでは解決困難な場合には、霊界の近親者の不成仏霊の存在によるケースが考えられます。

その問題に関連の不成仏霊が確定できる場合はその特定の不成仏霊魂を招霊して“一定期間”の「個別霊供養」をして差し上げることであります。

しかし、その問題に関連ある不成仏霊魂が誰であるか分からないときは、上記の御文章にある如く、<「ともかく、正坐合掌して精神を統一し、何某にわざわいしている霊魂よ」と呼びかけ、こう呼びかけると必ず感応して出て来るものでありますから、その霊魂があなたの眼にみえなくともそこにきているのであるから、その霊魂にいい聞かせるつもりで

「庶幾(こいねがわ)くは『生命の實相』の功徳により霊界にて悟りを開きて無限向上の道に入り給へ」と念じて後、聖経『甘露の法雨』、聖経『天使の言葉』、聖経『続々甘露の法雨』を毎日かわる代わる朗読し、『生命の實相』の「實相篇」、「光明篇」および「教典篇」を順次読経のつもりにて朗読>してその不成仏霊魂を悟りに導いてあげ、高き霊層へと昇られるよう祈念して差し上げる事であります。









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