生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第七十四話> (1069)
日時:2013年05月14日 (火) 12時32分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第七十四話



 先祖供養、および個別霊の供養(その17)




特に、中絶児供養について(3)

(『流産児よ、やすらかに』・楠本加美野偏著


<< 谷口雅春先生の御言葉にありますように、「業(ごう)というものは何処に実在しているかといえば、潜在意識の中につかまれているのであって・・・潜在意識を浄化すれば、個人及び家系に伝わるすべての罪業は消えてしまうものだということが証明された」のです。

 ここが大切なところです。先祖が迷っているから聖経をあげて聖経の功徳によって先祖に悟って貰わないと罪業が消えないという考え方は迷いであって、自分の心を浄化すれば先祖からの罪業も消えるわけなのです。

これは流産児についても言えることであって流産児があの世で迷っているから供養せねばならないというのは間違いなのです。胎児を殺したという罪の自己処罰として自分が苦しむのです。

ですから水子地蔵をつくって流産児をなぐさめてみても、高価な供養料を捧げて供養して貰っても自分の心の中に罪の自覚がある限り問題は解決できないわけなのです。・・・


 私は富士河口湖道場へ転勤になりました。
霊峰富士のふもとにある道場は恵まれた環境にありました。それにふさわしく道場を浄めるため、『甘露の法雨』を当番制によって一日中読誦する行事をはじめました。すると観世音菩薩の像を寄付する人が次々とでてきました。

『甘露の法雨』は観世音菩薩が谷口先生を通して書かれたものですから波長があって引き寄せられたと思われます。あるとき千葉県白鳩会の有志が慈母観音を寄付して下さいました。中絶児供養の願をこめてつくられたものでした。それは昭和五十二年八月十八日のことでした。そこで私は、九月より今まで先祖供養と一緒にしていた流産児供養を別にして、流産児のためだけに私が祭主となってやるようにしました。それは戦後堕(お)ろされた六千万の中絶児の供養のためでありました。

 このようにして、流産児供養を別にしてするようになりましてから、救われる錬成参加者が続出しましたので、私自身びっくりしてしまいました。

何故そういうことになったのか、私自身不思議でなりませんでした。それは、後になり谷口雅春先生より次のような御教示を頂くことにより氷解しました。


 一、諸家に関わる先祖の御魂と流産児の御霊とはおのずから位が異なるので、それぞれにふさわしき供養をする。

一、練成会で先祖の御霊と流産児の御霊とを合同で供養する場合には、“降霊の儀”において、まず諸家に関わる先祖の御霊達に降りて戴きたる後、「ただ今より、実相妙楽宮地蔵菩薩傘下にある流産児の御霊達に降霊して戴きます」とことわりて、流産児の御霊達を次に降霊し供養する、と。

つまり先祖供養と流産児供養を一緒にしていた為、先祖供養の気持で流産児供養をしていたり、その逆であったりして成果があがらなかったわけです。

先祖供養は感謝・報恩の心でやり、流産児供養は愛と懺悔の心でやることが大切なのです。同じテレビ放送でもチャンネルが違えば、何も映らなかったり、検討外れの番組が映ったりするようなもので、一所懸命していても、なかなかその思いが届かず効果も上がらないということを、教えて頂いたのでした。>>(P.220−222)




堕胎は戦争の原因となる

<<殺した者が殺されるという原因結果の法則“動・反動の法則”は結局、循り循って、戦争となり、多くの人が殺されることになるのであります。何故、「殺したものが殺される」という因果の法則が、戦争の形をとって来るかと言いますと、そのような胎児虐殺の行為を敢えてする人の人生観の奥にあるのは、「この世界はどうせ弱肉強食の世界であって、相手を殺さねば自分が殺される」という哲学又は世界観があるからであります。

世界の軍備拡大競争も、この弱肉強食の世界観・人生観が背後にあってそれを動かしているのであります。「或る個人又は団体が栄えるためには、誰かが犠牲にならなければならない」――この様な世界観・人生観をもっている限り、自国の繁栄を画策するためには他国を侵略する事を辞せないと云うことになるのであります。

世界に平和を持ち来たそうとおもったならば、このような弱肉強食の人生観、誰かの繁栄のためには犠牲を必要とする如き人生観を排除して、調和のある人生観――この世界は神の創った世界であるから、完全に調和していて、犠牲などを決して必要としない共存共栄の状態が実相である――という生長の家式の人生観・世界観を全世界に弘め、胎児暗殺の如き「殺害の業」を重ねる行為は即時停止するようにしなければならないのであります。>>(P.209−210)







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