生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者=雅宣(自称)総裁」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定した! <その35> (1071)
日時:2013年05月14日 (火) 13時33分
名前:四万十分析官

「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。

「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣(自称)総裁」と言われているのである。そして、彼、雅宣(自称)総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示板」より


1108 :初心者:2012/10/19(金) 15:47:19

生長の家の教えは、日本的なふうを装いながら、そのじつ語られているのはヨーロッパ的思想である可能性が高そうです。それはいってみれば、プラトン主義の焼き直しのひとつでしかない。そんな気がいたします。


2024 :初心者:2013/01/25(金) 14:21:19

「世界に冠たる天皇国日本」を、他民族にではなく自国民に知らしめようというのが、この国の民族主義のおもなポジショニングであるはずです。これはいってみれば、日本版中華思想とでも呼ぶべき思想であるはずですが、こうした思想が出てきた背景には、「日本は悪い国だ」と言いつのるのが日本の戦後社会の一種の流行となったことへの対抗意識があると考えられますね。

この国の民族主義が戦後の流行にたいする対抗措置の域を出ていないとすれば、これもまたどこに向おうとしているのかがどうにも判然とないというだけでなく、戦後の流行が消え去ったあかつきには、その存在意義までもが問われることとなるでありましょうね。



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<問題点>


@ 先ず最初に申し上げねばならない事は、この「初心者」なる人物は全く宗教とか信仰とかいう世界に斯くの如き投稿をしに出てくること自体が間違っていると云うことである。この人物の思考は全く三代目の雅宣(自称)総裁と同じである。理屈の世界で、大覚者の達せられた境涯の真理なるものを、失礼をも顧みずに“おもちゃ”として弄んでいるのである。真理に直参するのではなく、真理の周りを永遠に堂々巡りしているだけである。したがって、此の種の人物には世の中の病悩苦を現実に救済してあげる力はないのである。また、自分自らの問題を真理によって解決する事も出来ないのである。病気になっても真理の面から解決しようとせず、「病院へ行けばよいのです」としか指導できない。これ等の考え方は雅宣(自称)総裁と全く同じである。故に、「初心者=雅宣(自称)総裁」と断定されても仕方ないし、公の場では言えず、ウップンが貯まっている『反・御教え』の本音を「初心者」という匿名を使って、何の遠慮もなく雅宣(自称)総裁は思う存分書き込んでいるのである。


A 本来ならば、「初心者」という人物のこの様な『反・御教え』の投稿は、「トキ掲示板」の投稿基準からすれば投稿禁止にされるべきものではあるが、この人物だけは例外扱いである。その理由は「初心者=雅宣(自称)総裁」であるからである。そして、本来ならばこの様な言葉だけは難解なだけの机上の世界の小理屈・大理屈の文章は無視してよいのであるが、事その内容が『反・御教え』であるから、世界に冠たる開祖・谷口雅春先生の『御教え』を自己人生の生涯の最大のバックボーンとしてきた信徒の立場からするならば看過する事は出来ないのである。故に、「初心者=雅宣(自称)総裁」の本音の主張の幾つかを俎上に載せて料理せざるを得ないのである。


B かといって、「初心者=雅宣(自称)総裁」と同じ難解な言葉を使いながら学術論争をする積もりはないのである。そのような論争は、信仰や救済の世界では全く不必要なことである。したがって、生長の家出現の使命と目的、すなわち、個人の救済と国家の救済のための絶対的真理の立場に立って、「初心者=雅宣(自称)総裁」の所論の非真理性を明らかにしているのである。


C では次に今回の「初心者=雅宣(自称)総裁」の上記二つの投稿文に於ける非・真理性、反・『御教え』の箇所を問題点として指摘することにする。つぎの三点である。

イ. 生長の家の教えは、日本的なふうを装いながら、そのじつヨーロッパ的思想である可能性が高い。

ロ. 「世界に冠たる天皇国日本」は、日本版中華思想とでも呼ぶべき思想である。

ハ.  この国の民族主義が戦後の流行にたいする対抗措置の域を出ていない。


D 「初心者=雅宣(自称)総裁」の上記三点の思考の特徴とするところのものは、日本の国に生まれた愛国心(極右的国粋主義のマチガッタ愛国心ではない)をもつ日本人の思考ではなく、反日的日本人(ジパノフォビア)の思考であると云う事である。所謂、一時進歩的といわれた左翼的文化人によくみられる“自虐的思考”に他ならない。私たち日本人は何が故を以って日本人として世界の数多くの国々の中から日本国家を選んで生まれて来ているのかを考えなければならないのである。上記三点の思考から判断するならば「初心者=雅宣(自称)総裁」は明らかに反日的態度の左翼学者・左翼評論家の類と考えてよいのである。


E 「初心者=雅宣(自称)総裁」は言う。< 生長の家の教えは、日本的な風を装いながら、その実、ヨーロッパ的思想である可能性が高い。>と。この考えは全く間違っているのである。『生長の家の御教え』は、開祖・谷口雅春先生が人間の本質、人生の目的、現実社会の矛盾に対して真剣に悩まれ、根本的な衆生救済の真理を求めて万巻の形而上的分野の書籍を読破され、思索に思索を重ねられたその最後の一点において、毎日参詣を続けられていた住吉大神の御導きによって、百尺竿頭進一歩、遂に「無の関門」を透過せられて“久遠を流るるいのち”そのものを直接把握した絶対境に達せられたのである。衆生個人の救済の真実の道、国家救済の真実の道の悟り(大悟徹底)を得られた(實相覚による直接把握)のである。この時点において、開祖・谷口雅春先生はヨーロッパの思想も東洋の思想も超越止揚された最高次元の「生長の家の『御教え』」を確立されたのであった。自虐的・反日的思想を基本に持つ「初心者=雅宣(自称)総裁」にはここのところの理解が根本的に欠けているのである。「初心者=雅宣(自称)総裁」には、『生命の實相』第27巻・久遠仏性篇・第七章「久遠を流るるいのち」の御文章を再読・再々読してもらわねばならないのである。


F 「初心者=雅宣(自称)総裁」は言う。< 「世界に冠たる天皇国日本」は、日本版中華思想とでも呼ぶべき思想である。>と。この考え方も完全なマチガイである。「無門関解釈」第六則・世尊拈花より抜粋――

<< ・・・正法眼蔵・・・悟りの光の眼で見たる法体宇宙の実相はなんであるか、涅槃妙心にならなくては分らぬ・・・宇宙の微妙本体と一つになった妙なる心――絶対実在の絶対把握の妙心――を顕した時にのみ解るのだ。・・・「正法」と言い「実在」と言い「妙法」と言い「妙心」と言い、大日本国体であることを知らねばならぬ。・・・「引き寄せて結べば柴の庵なり、解くれば元の野原なりけり」・・・大日本国家はそんな因縁仮和合の国家ではないのである。若し仏教が一切の存在を「無」と見るならば、日本国家も無なのである。私は「生命の実相」<神示を受けるまで>の最後の章に示すが如き過程に於いて、既に「無」の門関を越えて釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである。・・・

 金波羅華とは、中心に葩(はなびら)の統一せられたる黄金色燦爛たる「皇(ス)」ハラナの華――「華厳経」が宇宙の実相を、御中に「ス」を有する蓮の華に喩えたると全く同じ事を象徴せんとしたものである。・・・宇宙の実相が蓮華蔵世界であり、黄金色の菊華が象徴する世界であり、全大宇宙が天照大御神の法体であり、それは単なる「空」ではなく「法華経」の説く如き「衆生劫尽きて焼くると見る時にも,火に焼けず滅せざる天人充満せる世界」であり、その組織は蓮華の如く、金波羅華の如く、組織紋理整然として御中に帰一しているのであって「空」とか「有耶無耶」とか言うような漠然たるものではないのである。・・・実相は正しく「実」であって、ちゃんと心の眼を開いてみれば此の金波羅華の如く組織微妙、円満完全、中心帰一の高次元世界である。・・・

・・・「正法眼蔵」と言うものは「宇宙の実相」そのものである。・・・歓喜の相であり、朝日の昇る相である。宇宙の実相は伝へるも伝へぬもない。すべての人に内在しているのだけれども、常に歓喜微笑して心の波長が「宇宙の実相」の波長に共鳴する人の前のみに顕れるのである。・・・宇宙の実相は、金波羅華の如き中心帰一の微妙の組織体であると悟る。・・・現代の仏教者と言われる者のうち有耶無耶の空相に翻弄されずして破顔し得る迦葉たる者果たして幾人かある。 >>


このように大覚者の「大悟徹底」に基礎をおく「天皇国・日本」という真理国家を未だ「無の関門」を透過できていない単なる自虐的左翼思想の「初心者=雅宣(自称)総裁」が批判する事は自ら進んで真理に対する不明を表明していることになり驕慢の謗りを受けなければならないのである。實相世界に於ける完全完璧な真理国家のモデル(雛形)を地上世界に先ず顕現せしめて人類全体の霊的進化を促進しようとの大生命の宇宙意志の摂理として現実の日本国家が存在しているのである、と言う事が「初心者=雅宣(自称)総裁」にはどうしても理解できないのである。


G 「初心者=雅宣(自称)総裁」は言う。< この国の民族主義が戦後の流行にたいする対抗措置の域を出ていない >と。ここにおいても“民族”というものの形而上学的意味が「初心者=雅宣(自称)総裁」には分かっていないのである。だから、自虐的・反日的にしか捉えられないのである。

「初心者=雅宣(自称)総裁」は、日本民族は海外から渡来した諸民族の混血によって出来上がった“多民族国家”として捉えるのであるが、この考えは現象面から見ればそうであろう。しかし、霊的真理から見れば、つまり實相の立場から現象を見れば、“多民族国家”ではなく“霊的単一民族国家”が正しい解釈である。だから、世界の七代文明を止揚・昇華した独特の「日本文明」を築き上げることが出来たのである。



開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」の立場から考えると<このテーマ>に対する解答は次のようになると思われる。

イ. 国家というものの本質(本源)は「国家という理念」である。従って、日本と云う国は「日本国家なる理念」が顕現したものである。

ロ. 民族というものの本質(本源)は「民族という理念」である。従って、日本人・日本民族は「日本民族という理念」が顕現したものである。

ハ. 「理念は現象に先立つ・理念は現象化する」という哲理から考えるとき、<日本民族とは複数の渡来民族によって形成された「多民族国家」という今日の一般常識は唯物論の現象的観察としては頷けるかも知れないが“理念の哲理”から観ると“観方(みかた)”としては極く浅い不十分なものである。。

ニ. 「日本民族なる理念」が、「日本精神」なるものを霊魂としての各人の深層意識下に醸成していた人々を地球上の各地から引き寄せ現実の「日本民族」を形成してきたのである。「日本民族なる理念」に心の深層(無意識の意識層)に於いて共鳴を感じた人々(霊魂)が同類親和という波長共鳴の宇宙法則の作用によって日本民族を形成し、かくの如き原理によって、外国人に生まれても日本に帰化し日本民族の一員となることに魂の歓びを感ずるのである。

ホ. このように、日本人のこころの深層には、皆この「日本民族という理念」・「日本民族精神」・「日本精神=中心に帰一する心・大和の心・雅の心・清き明かき心等々」が存在している。この一つの共通点によって、日本人は心の中で強く結ばれていて、「理念としての日本国家なるもの」・「日本の国家理念」が(無意識的であっても)理解出来ているのであります。ここから理論と理屈を超えた愛国の感情が出て来ているのであります。

ヘ. 「日本民族精神」は、言葉を換えれば『神ながらの道』であり、この精神を心の最深奥(深層意識)に日本人が皆大切に保持して居るが故に、いつの時代でもお伊勢まいりも途絶えることなく、また、平成の今も、各家庭の宗派は異なってもお正月には神社へ初詣に出かける。日本民族はその外面的なルーツを見れば渡来民族で、どこから来たのであろうか、何時ごろ渡来して来たのであろうか,と云った“ルーツ探求”に興味と関心を向ける人々も多くあるが、それよりも形而上的な日本人・日本民族の最深層意識「日本精神=神ながらのみち」に注目すれば、自ずから日本民族は「霊的単一民族」である事が判るのである。(付言しておけば、以上の事柄が理解できると、国家護持のために生命を捧げた英霊の魂は皆、“神ながら”の方式に従って、靖国神社に祭祀されることを深層意識として望んでいることであり、靖国神社の国家祭祀は当然のことといえるのである。)

ト. 以上を纏めると、「日本国の国家理念」が「日本民族の民族理念」として展開して、大宇宙の高級神霊界の摂理と経綸 によって、個生命としての霊魂の心の深奥部に「日本民族の理念」を植え付けられた人々を高級神霊界の眼に見えぬ摂理の糸によって日本の国土へと引き寄せ手繰り寄せられてきて出来あがったのが現実の日本民族であり、その目的とするところは、アインシュタイン博士やポール・リシャール博士の直観せる如く、この地上に実相の真理国家の映しをまず一つお手本として顕現せしめ、それを世界に敷衍する事である。古代ユダヤ民族の失われた(行方が判らなくなったとされている)10部族の人々の中にはこのような霊的な導きによって日本国土へ渡来して来て日本民族(形而上的単一民族)の一員となり平成の現代までその子孫が続いて来ている人々もいるのである。

チ. 古代に於ける渡来民族のほかに、聖徳太子時代に於ける多数の朝鮮、支那からの帰化人の人がいる。このように形の上で日本が渡来の多民族を受け容れてきた訳はどう解釈すべきであろうか。それは終局的に、最高に卓越した日本文明を総合的に完成させる為には、海外諸民族のそれぞれの優れた文明の長所を、丁度、風呂敷で包み込むように本来の日本精神の土台の上に総合して同化、融合し、より一層止揚、昇華された極めて高次元の日本文明を創出し、天皇国・日本を完成させる為であったのだと考えられるのである。渡来民族や各時代の帰化人の人達の使命と役割はここにあり、その使命と役割を充分に果たす為に、その人の霊魂の輪廻転生過程の幾度かの時機に外国の地に生まれてその国の文明の霊的エキスを魂の記憶として保持して日本に渡来、帰化したのだと思われるのである。


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以上の如き事柄から、「初心者=雅宣(自称)総裁」投稿文の内容は、宗教家としては落第であり、自虐観を持つ左翼学者・評論家の書くありふれた文章を難解なことばや言い回しで書きつらねているだけにしか過ぎないことが分かるのである。この様な人は「生長の家」掲示板へ投稿する事は控えるべきであり、一刻も早く自己に適する場を外に見出し「生長の家」を去ってしかるべきである。







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