生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第八十一話> (1093)
日時:2013年05月16日 (木) 09時45分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第八十一話(通算第407話)


 
神癒と時間・空間の問題(4)

(『神癒への道』P.244−248)




<< 一方病気というものは心の中に蓄積されたる間違いの精神的葛藤でありますから、「君は家内と仲がわるい!」と指摘されて、「ああ、悪かった!」と懺悔の心を起こすことによって家内との精神的葛藤が浄められて、病気が治ったのでもあります。

上記の実例でもわかりますように、病気が治るために、「ああ今迄の心の持ち方が悪かった」と痛感して、今迄の病気になるような争い憎しみ怨み悲しみ剛情などの「我の心」を洗い流してしまうと同時に、「人間は神の子で病気はない」という根本真理を自覚することが必要なのであります。

さきに脚の硬直の治った婦人も、ある意味では信徒から「先生の前で失礼な。無作法に脚をのばしている奴があるか!」と怒鳴られたときに、「ああ私の心の中に、こんな無作法な、目上に対して間違った形をどこどこまでも突っ張る心があるのだ、すまなかった」と懺悔の心を起こして、その病気の起こる原因の念を浄化してしまったからだともいえるのであります。

 このように多くの病気は、懺悔によって今までの「間違い」に凝り固まっていた心を捨てることによって治るのであります。


 昨年の十一月人吉(ひとよし)に講習会がありましたとき菱刈ウメ子さんがこんな体験談を言われました。

「自分は生け花の教授をしていたが道順の都合で帰りが遅くなり、夕方遅く自宅へ帰ると良人はションボリ手持ち無沙汰な恰好で生長の家の本を読んでいた。それを見るとアア一人ほっといてすみませんと言えば好いところを『そんな処で座っている位なら御飯でも炊いといて下さればよかったのに!』と言ってしまった。

すると良人は『何、良人を一人ほったらかして余所へ出てまで俺に御飯を炊かさんならん位ならお花などやめてしまえ』と言った。その時何という不深切な良人だろうと私は思ったのです。私がお花をやめて病気でもして寝込んでしまったらいやでも御飯たかんならんぞと思いました。

するとやがて横腹に塊が出来て押して見ると、其の塊の中に“ぶくん、ぶくん”水がたまって苦しいのです。そして自分が希(ねが)った通り寝込んでしまいました。あまり苦しいので、『一度なんという病気か大連(だいれん)の病院に往って見てもらいたい』と言うと、。『そんなにお前、病気が好きで病名をつけて貰いたいのなら、内地の大学病院へ行って病名つけてもらえ』と良人は怒鳴るのです。

そこで私は『今に見ていろ、そんなに医者にかけたくないなら、私は死ぬから、私が死んでも医者を呼ぶな。そうしたら死んだときに死亡診断書も書いてくれないでこまりますよ』こう私が言いましたときに、良人の声が急にやさしい口調になって、

『かあちゃん。お前は何を言うのか。お前はこの病気に病名をつけられたら、その病気に固定してしまって死ぬのだ。私はお前が可愛いからこそ医者に病名をつけて貰いたくないのだ。私はお前を私より早く死なせたくない。どうぞ私の死に水をとって私を見送ってから死んでくれ』と言われました。

その優しい言葉を聴いたときに私は『ああ私は良人の愛情を誤解していて済まなかった、済まなかった』と思うようになって、毎日済まない、済まないと思っていると何時の間にか、感謝の心でいっぱいになって心の固まりがなくなると共に腹の中の凝塊(しこり)もなくなってしまいました。」

まことに肉体は実に心の影であります。心の中の塊が腹の中の塊となってあらわれていたものであります。人吉市ではこの菱刈夫人が中心となって、今度人吉にも白鳩婦人修養会が結成せられたのであります。


 興味ある体験談は人吉市に於ける橋本アイさんのそれである。この人は顔面神経麻痺で顔が歪む、肋間神経痛、婦人科のところに原因不明のコブがあって痛む、二十年間座ることも立つことも出来ないような病状で苦しんだのである。

ところが、妹が『生命の實相』を持って来てくれて、「そんな医者もどうすることも出来ないような病気なら、これを読みなさい、治るから」と言ったが、本を読んでこんな病気が治る筈もないと思ったが、遊び半分で一頁づつ繰(く)って読んで見ると、何処も彼処も自分の事ばかりが書いてあるような気がしました。

「ああ済まなかった。そうですか。そんなものですか。私が悪うございました」という気になって、始終寝る時も枕もとに身辺から離さずに読むようにしていた。すると次第に快方に向かって辛うじて歩ける程度に恢復したが、それ以上にはよくならず、婦人科のコブも段々変な調子であったので、台北で生長の家の後藤先生と云う人に「どうして完全になおらないのでしょう」とたずねると、(それは7月7日であった)

後藤先生は、「貴女の心の持ち方にまだ足らないところがあるのでしょう。もう少し『甘露の法雨』をしっかり読んだら如何(どう)ですか。「ただ先祖様に感謝の気持で何も求めずにただ読むのですよ」と教えられた。

それで7月7日から毎夜言われた通りに『甘露の法雨』を先祖にあげて寝ることにした。するとそれから一週間目の7月13日目の暁方(あけがた)、自分は病院にいて三、四名の看護婦に助手をさせつつ、白衣の医師から、婦人科のところにあるコブを手術して貰っている夢を見たのです。

そして目が覚めて見ると、どうしたことか、今まであったコブがなくなっていた。今迄止まっていた月経がその月から再開し、七年振りに妊娠して男児を得た。これで長男一人、三人の女児のある上に末子男の児と五人の子持ちになったというのである。

事実に符合する夢として、単に夢が暗示になったというよりも、たしかにその病気の治癒には霊界からの干渉のあったことが考えられるのであります。>>






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