生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第七十六話> (1095)
日時:2013年05月16日 (木) 10時00分
名前:信徒連合





生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第七十六話



 先祖供養、および個別霊の供養(その19)




特に、中絶児供養について(5)

(『流産児よ、やすらかに』・楠本加美野偏著




体験例・形式と愛

<< ある女性が練成をうけに来ました。彼女は巳むを得ない事情で中絶したのです。浄心行の時に、彼女は心から懺悔しました。

「子供はどんなに親の愛を求めているか知れない。それなのに、私は顔を見てあげることも、抱いてあげることも全部、自分の手で断ち切ってしまった。今、暗闇の中で私の赤ちゃんがどんな思いをして、私を求めて泣き叫んでいるかと思うと堪らなくなって、声をあげて泣きました。合掌しながら心の中では懸命に、見えない赤ちゃんに向かって、両手を広げているのでした。“早くお母さんの懐に帰っておいで、思いきり抱きしめてあげるから、早くお母さんの懐に帰っておいで”と命の叫びをあげているのです。いつか私は赤ちゃんを懐に抱いたまま合掌しているように思えました。身をもって、私に生命の尊さを教えてくれた赤ちゃん、私は心から赤ちゃんに感謝しました」

 この言葉の一言一句の中には母性愛が一杯に満たされています。わが子に対する深い愛からほとばしる懺悔の言葉で綴られています。この愛と懺悔こそ、供養するにあたって最も大切なことなのです。

愛することによって自分が救われるのです。懺悔することによって罪は消えるのです。決して形ではないのです。よくどのようにしてお祀りすればよいでしょうかという問い合わせをしてこられますが、形式ではありません。この方のような、愛と懺悔の心こそ第一なのです。

 彼女は新生の喜びに満たされ、一般練成に引き続き、伝道練成にも参加しました。最後の伝道行の日、彼女は“神様、私を本当に必要としている人に合わしめ給え、導き給え”と真剣に祈りました。

そして引き付けられるようにして、とある家に入ったのです。

 その家には、三歳の時に小児麻痺になり、そのままの状態で九年間を過ごした女の子が一人いることを知りました。彼女は言うつもりのなかった自分の妊娠中絶の体験を話してしまいました。

それを聞いた母親は「実は、私も赤ちゃんを堕ろしたことがある。でも貴女のように一度も可哀相だなんて思ってみたこともなく、供養もしていない。ところが堕胎してから一週間目に、この子は小児麻痺になって、それからずっと九年間も苦しんでいる」というのでした。

「何よりもまず第一に、堕ろした赤ちゃんにお経やお線香をあげて、供養してあげて下さい。どんなに子供は親の愛を求めているか、わからないのですよ。堕ろされた胎児(赤ちゃん)が、その女の子供さんを通じて、お母さんの愛を求めているのですよ。一日に一回でもいいから、その子供さんを堕ろした赤ちゃんだと思って、思いっきり抱きしめてあげて下さい」

と彼女は母親に話しました。ふと、その女の子を見ると、上目づかいに一所懸命に彼女をみつめている。彼女には、迷っている霊が話を聞いていたかのように思えたといいます。

時間が来たので、子供さんに『甘露の法雨』を誦げて帰りましたが、そのお母さんは駅まで見送って下さいました。 帰りの電車の中で、彼女はしみじみと思いました。

今までの自分だったら、あのような話を聞いても“まあそれはお気の毒ですね”と通り一遍の言葉しかかけられなかっただろう。同じ苦しみを経験した者でなければ、その人の本当の苦しみを知ることが出来ない。私はあのようは人を救うために、ああいう体験をしたのだ――


 自分が救われるだけでなく、更にその体験を生かして同じように悩んでいる人を救うことによって、過去の暗い思い出は消え、罪の意識は洗われ、世の為、人の為に役立ち光り輝く思い出となるわけです。

彼女は、新たな使命感に燃えました。彼女は、日本全国の婦人の約半数をしめる妊娠中絶経験者に訴えている。

「もし私と同じように胎児を堕ろされた方がいましたら、私はその方に呼びかけたいのです“貴女の赤ちゃんは、今どんなに貴女の愛を求めているかわからないのです。貴女の胸に抱かれたいと、どんなに思っているかわからないのです。赤ちゃんの生命の叫びを聞いてあげて下さい。そして、心で思いきり、抱きしめてあげて欲しいのです。声をかけてあげて欲しいのです。その時こそ、貴女は赤ちゃんと一体だと感じることが出来るでしょう。

共に立ち上がりましょう。再び不幸が繰り返されないように、優生保護法が一刻も早く改正されるように、貴女が勇気を出して立ち上がったとき、貴女の赤ちゃんは永遠に生き続け、霊界に於いてその使命を果たす事が出来るのです”と」


 彼女の訴えは、女性が本質的にもっている母性としての愛の叫びである。このような母性本能にうったえる愛の運動こそ優生保護法を改正する原動力であって、人工中絶の弊害を強調して恐怖心をあたえるだけでは、神の御心は実現しないのです。

 親が自分の罪に泣きくれていても中絶児は救われません、このように他の救いの為に立ち上がったとき中絶児も霊界に於いて親と共に使命を果たすことが出来るのです――

 
 以上のような講話をして流産児の供養をしたところ、錬成参加者一同が懺悔の涙を流しました。病が癒されるもの、非行少年少女が更生するもの等、顕著な体験が続出するようになったのです。

一方河口湖道場での過去数年間の体験談から問題別に体験集の小冊子をつくりました。親子、病気、恋愛、結婚、夫婦、繁栄-------十冊の小冊子をつくり頒布しましたところ「中絶児は問題児を通して訴える」の小冊子が圧倒的に売れ出しました。

又伝道訪問先でも最もそれが求められていることがわかりました。それではということで、その冊子の河口湖町、吉田市の全戸頒布運動が展開されました。

そうしましたら、同じような悩みをもった、地元の人々が錬成に参加するようになり、長い間願っていた地元の光明化にも大きな力となりました。

 昭和五十六年に入ると流産児供養による体験は更に大きく、続出するようになりました。この年、十一月には龍宮住吉霊宮が建立されました。祭神は伊邪那美大神で霊界を浄化するためでした。霊界の浄化には戦後堕ろされた六千万流産児を救うことが何よりも急がれます。奇蹟が続出したのは、伊邪那美大神の浄化の御力によって中絶児が救われたのであると拝察されます。


 私はその十一月に飛田給へ転勤が突如として決定、十二月一日から赴任しました。飛田給の設立動機を考えますと終戦直後、進駐軍の黒人の兵隊と情交し妊娠し、半黒の混血児を妊娠したのを恥じて自殺する婦人などが続出し、それらを救うために、飛田給の病院跡を無痛分娩産院にして母体も胎児も共に救うようにしたいと谷口雅春先生が切願されたのが直接の契機でした。

 こうした谷口先生の胎児救済の切願によって設立された道場に神の摂理によって私も導かれ毎月八日には流産児の供養をするようになり、飛田給に於いてもこの本に掲げられたように如何なる方法によっても解決しなかった青少年問題や様々な問題が、きれいに解決してしまうというような奇蹟が毎月続出し、全国的な関心と注目を集めるようになってきました。――これが、私が流産児供養と幼い生命を救う伝道活動とに挺身するに至った経緯です。>>(P.222−227)






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