生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「雅宣」という人は、“統合失調症状”であるとしか思えぬ・・・“更迭”は当然中の当然! (1118) |
- 日時:2013年05月18日 (土) 20時17分
名前:画龍点睛
(( 本投稿文は、本来ならば書く必要はないのでありますが、「雅宣教団」制作の今年の青年大会で発表された「森のオフィス」宣伝動画の内容を見て、三代目・雅宣氏の全く足が地に着いていない発想の稚拙さに義憤と公憤を覚えましたので敢えて投稿をさせていただく次第であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』によって救われ、自己人生のバックボーンとして『御教え』を生きてきた信徒から見れば、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に反抗し、「生長の家教団」の大混乱を招いた責任者・雅宣(自称)総裁をこのまま放置するわけには行きません。徹底的に「雅宣」氏および理事参議という最高幹部役員の責任を追及させていただき、下からの信徒の力で「雅宣氏の更迭」と開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』復活を果たしていく努力を続ける所存であります。 ))
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合掌、ありがとうございます。 「生長の家」三代目の椅子に座っている雅宣(自称)総裁という人について、最近身近な信徒さんから聞く言葉は、なぜ彼みたいな人がこの世に出て来たんだろうか? とか、彼みたいな人間がなぜ総裁なんだ? 早くおらなくなって欲しいもんだ! といったマイナスイメージの言葉が非常に多くなってきました。
よくよく考えると無理もないことだと思うのであります。その“無理もない”ことを列挙して改めてその具体的項目を眺めて見ますと、なるほど普通の人間の常識からみれば、上記の様な真っ当な信徒さんの総裁批判の言葉は“無理もない”ことだと考えざるを得ないと思われるのであります。次に列挙します。
@ 急激な教勢低下現象の中にあっても、雅宣氏は三代目という最高責任者でありながら、その責任を何ら感じていないように見える。民間会社の社長なら会社業績が赤字転落しその状況回復の見とうしが立たないときには責任を感じ、社長交代を考えるのが普通。しかし、「雅宣」という人はこの様な常識が通じない精神状態であるとしか思えない。(この点、理事参議という最高幹部役員も同じ心的状態にある。)
A 彼は、講習会で、壇上から講話をしていて、午後の部が始まった時に弁当だけを食べに来て帰った人が非常に多いことに気がついているはずである。最後まで受講した人は、30〜40%位しかいないということがよく分かっているはずである。なぜ大勢が途中でゾロゾロと帰っていくのであろうか? 普通の常識人ならば、自分の講話内容に魅力がないためだと自己反省するのであるが、「雅宣」という人は全然自己反省していないように見うけられるのである。
B 彼は、一日9時間以上ものパソコンお宅といわれていることも自分で十分に認識しているはずである。「掲示板」の投稿記事を通じて、自分の“言行不一致”を激しく追及されていることも知っているはずである。お通夜の“暴言”、陰湿な人事管理、「大調和の神示」を説きながら、兄弟を一方的に追放したことなど、さらに「法燈継承劇」を自作自演して“ニセの法燈継承者”と自称していることなどが信徒たちに知れ渡っていることを知りながら、恥かしげもなく“総裁”と自称し、宗教家であると自負し、堂々と平気で文章を書き殊勝な講話をしている。
普通の社会常識で許される範囲をはるかに超えたこのような非常識なことをしつづけて、少しも自責の念を持っていないように見えるのであります。まさに、「雅宣」という人は、宗教家としては落第点しか取れない人物であります。
『生命の實相』第13巻・倫理篇に書かれている如く「雅宣」という人の持つ「神性・仏性」という炭火(火種)は、その上に実にたくさんの塵・芥・泥が覆いかぶさり(神性隠蔽)、煙さえも出ない窒息状態にあるといえるのであります。かくならしめている彼の潜在意識下の想念とはどのようなものでありましょうか? すなわち、現在の「雅宣」という人のこころの奥底深くには、非常に大きなトラウマが横たわっていると考えられるのであります。
@ その一つは、かつて講習会で信徒の質問用紙に、開祖・谷口雅春先生の思い出を語って欲しいと書かれたとき、雅宣氏は幼少時の思い出として、食卓に味噌汁をこぼし、それを雅春先生から叱られ、その味噌汁を吸うように言われたことを話したそうであります。自尊心の極めて高い彼にしてみれば幼いながらもこのことが深いトラウマ(大きくなれば見返してやるぞ!)として潜在意識に刻み込まれたに違いないのであります。
A その二は、昨日(5月17日)の他の掲示板で雅宣氏が学生時代に形成された根深いトラウマのことが書かれています。それを読みますと、彼の本音の意思に反して「生学連」活動を執拗に強制されたこと、そしてそこから逃げだしたということが深い心の傷となっており、このトラウマがなんとしてでも自分とは相反する思想の持ち主である開祖・谷口雅春先生を否定して見下してやりたいという意志(一般的にいえば「憎悪・復讐心」)へと形を変えていったものと思われるのであります。
B 開祖・谷口雅春先生の薫陶をもっとも身近なところで受けて育ちながらも、『御教え』のことを朝な夕なに聞きつつ育ちながらも、彼の生来の思考体質は日教組教育内容の方を受け入れていった。目上に対する反抗心、天皇嫌悪、日本嫌悪、自己中心の自由尊重、日本精神否定などに彼の潜在意識は大きな共鳴を感じて行ったと考えられます。
C 雅宣氏の生来の性格は、“陰湿”と“破壊”と“権力志向”いう言葉で表現できます。これまでの本流掲示板で明らかにされているように、“陰湿”な性格であることは彼が青年時代に「穴倉から」と言う小説を書いていたこと、「プラトンの洞窟」に関心をもっている様子から推察出来るのであります。“権力志向”は、彼の少年時代からの夢は“独裁者”になることであったということから推察でき、そして“破壊”とはバサラ思想(破壊と蕩尽)歓迎という主張から汲み取れるのであります。
D 雅宣氏の著書の題名には、少し奇異な印象を受けるものがあります。「ちょっと私的に考える」とか、「小閑雑感」(「明窓浄机」とは天地の差を感じる)とか「唐松(枯れ松)模様」(やがて単項本となるであろう)とか「神を演じる人々」(=悪魔は神を演じる)とか、「森の中へ」(彼の場合は“人間嫌いと逃避”を意味する)・・・名は体を表わす、タイトルは著者の性格・運命を表わす、という訳であります。
かくして、雅宣氏の心は生長の家の思想よりも左翼日教組の思想を受け入れ、それが幼少時から学生時代にかけての人一倍強い自尊心を傷つけられた強いトラウマと合体し、相乗的な復讐心を燃え上がらせていったとも考えられるのであります。しかし、ここで注意すべきことは、彼・雅宣氏は曲がりなりにも“宗教家”の道を選び、「生長の家」三代目というトップリーダーに就任したことであります。求道心の強い宗教家ならば、過去にどのような根深い心のトラウマがあってもそれを自分自身で克服して、より高い霊的境地を目指して修行を続けるのが当たり前の道であります。ところが彼・雅宣氏は、求道する心も持たず、反対にトラウマの解消を < 開祖・谷口雅春先生とその『御教え』>の抹殺の方向へ向けたのであります。宗教家の常識とは相反する方向を目指したのであります。彼は、自ら“求道者”と“宗教家”と“信仰者”の三つを捨て去ったのであります。
三代目と称する雅宣氏は、「統合失調症」を定義して曰く(講習会で説明)、< 個人としての人間には色々な面がある。善事をなそうとする側面、悪事を働こうとする側面、やさしい側面、冷酷な側面、・・・しかし、それらの色々な側面を普通人は上手にバランスよく統御して社会常識をわきまえて逸脱しないように生きている。このバランスが崩れて肉体的変調を来したり、正常な判断能力を失ったり、常識を大きく逸脱した言動を為す場合、これを医学的には「統合失調症」という。以前は「心身症」とも言ったり、昔は「精神分裂病」と言っていた。(大意)> と。
立派な説教だけはするけれども、彼自身の行動は説教とは逆、“言行不一致”のデパートとまでいわれている昨今であります。今や、三代目・雅宣氏は、疑いもなく「統合失調症」患者であります。宗教家ともいえた義理でもなく、ましてや、あのお通夜の事件以来「生長の家」総裁には全く相応しくない人格まで成り下がってしまっているのであります。「総裁・雅宣氏の更迭」は当然なことであります。
ここに問題があるのであります。なぜ彼が「統合失調症」の状態に陥ったのであろうか? 彼の御兄弟姉妹の中で、なぜ彼だけが開祖・谷口雅春先生に反目するのか? 医学的には「統合失調症」の根本原因はわからないのであります。根本原因は“不可視の世界”にある事だけは確かであります。われわれはここで「統合失調症」は昔は「精神分裂症」といわれていたことに注目しなければならないのであります。「精神分裂症」は当時も医学的には根本原因は不明とされていたのであります。しかし、心霊学的には複数の霊魂が一つの肉体を使っているのが根本原因とされているのであり、“憑依状態”にあることであります。同じ人間であっても憑依される人もあれば、憑依されない人もあり、憑依する霊魂のレベルも千差万別であります。すべては“類は類を呼ぶ”という心の波長の共鳴の原則のなすところであります。この原則に基づいて考えれば、雅宣氏に憑依して来ている霊魂は自ずとどのような霊的性質・霊的性格を持つ霊魂であるか、当然予測がつくのであります。全てを独裁的に支配し、反逆的な強力な意志をもつ、そして日本そのものを破壊しようとする巨大悪霊といえるものであります。そしてまた、彼・雅宣氏は絶えず霊界の地獄・煉獄を発信源とする強力な暗黒霊波を受信して言動をなしているといえるのであります。だから、立派な説教を垂れながら、自己反省心はゼロとなるのであり、目的が日本及び日本精神の破壊でありますから、民主党を支持し、天皇制破壊につながる女系天皇制導入を支持し、開祖・谷口雅春先生の一連の神話と愛国書の絶版を断行し、鎮護国家思想を排除し、開祖・谷口雅春先生の息の掛かった建物を捨て、「森のオフィス」を造っていくのであります。
なぜ彼・雅宣氏がこの世に、しかもよりによって開祖・谷口雅春先生の孫としてこの世に出て来たのであろうか? このことに関しては所謂、『生命の實相』第20巻のマグナッセンの父親の霊魂が語っている言葉の通り、地上人間の頭脳では理解し及ばざるところの“霊界の秘密”事項に関することであり本当の真相はわからないのであります。しかし、只一つ言えることは、悪霊界、悪想念はあくまでも“虚”の存在であり、“光”によって消え去るものであります。彼・雅宣氏のこれからの末路はこのまま行けば“枯れて行く運命”(枯れ松模様)になります。彼の潜在意識はこのことを既に予感しており、だからして彼は自分の書くブログ名を「唐松模様」と改題したのであり、「唐松」=「枯れ松」に自己の将来を投影したのであります。
「統合失調症」の雅宣氏の症状は益々重症化していきつつあります。彼は世界に冠たる存在であった「生長の家」を息絶え絶えの状態に破壊しつつあり、その破壊の進行を“計画通り”と冷ややかに眺めているのであります。今や心ある信徒たちは、「本流復活」運動を色々な形で進めており、悪霊憑依の三代目・雅宣氏を追い込んで行きつつあります。「生長の家實相顕現の祈り」を続け、この本流復活の勢いをますます強め、「生長の家」の看板を不正使用者・雅宣氏の手から取り戻し、原宿城凱旋を目指して邁進いたしましょう!!
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「統合失調症」なるがゆえの“言行不一致” (1124) |
- 日時:2013年05月19日 (日) 09時14分
名前:公平なる観察者
三代目・雅宣氏は、宗教家でありながら反省心は一切なく、平気の平左で“言行不一致”をなしつづけ、堂々としている。まさに「心身症」=「統合失調症」の特徴そのものでありますね。
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