生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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何故、マサノブ(自称)総裁の講話は人気がないのか? (1263) |
- 日時:2013年06月04日 (火) 10時34分
名前:公平なる観察者
各地での講習会の参加者の減少傾向は依然として止まりません。止らないどころか加速されていっているのであります。講習会参加者の公式発表数字は大部分の教区に於いては水増しされています。その最たるものは大阪教区で倍近い水増し数字が発表されています。従いまして、講習会の現況はどの教区に於いても発表数字よりかなり低く(勿論、二、三の例外はあり)この悪しき慣行は「総裁更迭」が為されない限り続くものと予測されます。
では何故、講習会の参加者が教区幹部の必死の推進にかかわらず減少していくのか?その原因は、明らかにマサノブ(自称)総裁の話が全然面白くなく、参加者に霊的感動を与えるには余りにも程遠い内容であるからであります。彼はこのことに自分では内心気が付いていないことはないのですが、難解な理屈は得意とするが、宗教的・霊的内容の話が出来る能力には欠けているからであります。
@ 宗教や信仰の話を聞きに来る人は、病悩苦の解決を求めている。しかし来てみると、全然関係のない温暖化防止の環境の話を聞かされる。全く期待はずれ・・・なるほど、「奇跡的体験談」の体験発表はあるが、マサノブ(自称)総裁は、全然関心がなく「そんなのタマタマのことでしょう!」と評価せず切り捨ててしまう。信徒の心は離れていくばかり・・・
A 教義の解説として、毎回、どこの講習会でも初参加者向けの解説はするが、それも「唯神實相・唯心所現・萬教帰一」という四字熟語の意味だけの説明で終わり、実際の信徒の体験談を織り込んでの解説ではないのであるから大学の宗教学の講義である。学問と宗教の違いがマサノブ(自称)総裁は全然理解できていない。だから話は古い信徒の人たちの興味を引かない。ただ初参加者の極々一部が関心を示すだけである。
B 宗教や信仰の話を聞きに来る人は「奇蹟」の話、「霊界」の話には大いなる関心を持つが、マサノブ(自称)総裁は、「そんな話は“理性”(科学的合理性)に反する」として一切しない。参加者は失望!
C 愛国心は戦争につながる、として国家論を語らず。天皇国日本の國體を語らず、左翼的唯物論に基づく「国際平和」を強調するのみ。参加者の愛国の熱き感情を引き出せない。机上の空論の社会党(現・社民党)や共産党の平和論はマチガイで参加者の共鳴は引き出せないことが彼・マサノブ(自称)総裁には認識が出来ていないのであります。だから彼の話は全然心を熱くするものがない。白けていくばかり・・・
D 「温暖化防止・炭素ゼロ運動」といっても一宗教団体の信徒のやれることは大海の一滴の効果もない。かといって、マサノブ(自称)総裁がCO2排出大国の共産中国へ協力を強く要請しに行くわけでもない。三代目の“道楽”に過ぎない。“言行不一致”であることは、賢明な信徒なら皆、知っている。口に出さないだけ!「ホラ、またお得意の机上だけの環境論が始まった」と聞く気もしないのであります。
E しかし、現実的には各教区の講習会にはそれなりの人が講習会に参加していることは事実であります。しかしその実態は、お孫さま信仰信徒(お孫さまの云う事には間違いはない。開祖・谷口雅春先生によって選ばれ指名された人との誤認識)であり、義理と弁当の魅力で誘われて来た人が実に多い。そして、特に年輩の白鳩さんは、友達仲間を失うと寂しくなるので一緒に参加して楽しく一日を過ごそうと講習会の話の内容などはそっちのけで参加する人たちがほとんどであります。真剣な求道目的での参加者は極めて少なく、参加しても大いなる失望を感じて帰っていくのであります。かくして講習会は昼前に来場最多となるが、昼食後の午後一時には40%の参加者は帰ってく、最後まで残った人は35%位であるのが各地講習会の実態であります。
このようにマサノブ(自称)総裁の話は全く面白くない話であり、宗教家としての“救済”の話ではありません。彼はその意味に於いても教えの継承者としては不適格者であり、その上に今回の最高裁の「上告棄却」による完全敗訴です。教勢低下の責任を自覚し、最早、辞職のほかに道なしであります。
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