生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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“呼称変更”の確認、別宗・『マサノブ教』 (1334)
日時:2013年06月16日 (日) 15時55分
名前:画龍点睛



合掌、


< “呼称変更 ”の徹底 >


★ 「非・生長の家マサノブ教」→ 別宗・『マサノブ教』

☆ 「本流・生長の家」 → 正統・『生長の家』




< 理由説明 >


@ マサノブ(自称)総裁は、最高裁「上告棄却」判決によって、『生命の實相』と『甘露の法雨』を放棄し、逆立ちしても「生長の家」の看板は使えなくなった。

A 住吉本宮から「鎮護国家」としてのお役目を放擲した。

B 住吉大神の御神像を偶像崇拝と看做し、山奥へ“引越し荷物扱い”で畏れ多くも疎開させた。

C 明治神宮と東郷神社と生長の家と言う日本国家守護の“霊的トライアングルゾーン”から「マサノブ教」は八ヶ岳へ追放されたのである。

D 以上の理由により、マサノブ教団の主張していた「本流」=別派・分派の呼び方は通らなくなり、反対に「非・生長の家マサノブ教」こそが、分派・別派 否、むしろ“完全なる別宗教”となったのである。
 

以上、確認もうしあげます。  再合掌












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