生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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絶版『神の真義とその理解』を読む。――「生長の家大神」・「住吉大神」・「観世音菩薩」の真義についてのマサノブ(自称)総裁の誤れる見解を指摘する。<その一>・<その二>・<その三>・<その四>・<その五・最終回> (1358)
日時:2013年06月20日 (木) 10時42分
名前:信徒連合

合掌、ありがとうございます。
住吉本宮「鎮護国家」のお役目否定、生長の家大神「御神像」の八ヶ岳への隔離・幽閉、最高裁「マサノブ敗訴確定」判決にともなう聖典『生命の實相』と『甘露の法雨』の喪失。これでは『生長の家』の看板を掲げ続けることが不可能となったのは、誰の目から見ても明らかなことであります。

にもかかわらず、最高指揮官マサノブ(自称)総裁とイソベ理事長以下の全理事参議諸君は一切の責任を負うことなく、そんな事は眼中になく、時間の経過の中での責任逃れ戦法(人のうわさも75日)で頬カムリを通そうとしております。かくして、マサノブ・イソベ連合軍がなんの責任も取らず頬かむりして一ヶ年延命すれば、マサノブ(自称)総裁は年間5000万円?以上の収入が入り、イソベ理事長も2000万円?もの給料がもらえるわけで、十数名の理事・参議諸君も1500万円?以上の年間給料が手に入るわけであります。彼らにしてみれば、ひたすらにゴマスリとイエスマンに徹していれば地位と給料は保障されているわけですが、彼らの給料は信徒の浄財(聖使命会費、講習会受講券の奉納金)から賄われているのであります。

最高指揮官マサノブ(自称)総裁とイソベ理事長以下の全理事参議諸君が如何に宗教家の風上にも置けない人物であるかを、マサノブ(自称)総裁が絶版にして、信徒が読めないようにした『生長の家』理解の開祖・谷口雅春先生著の必須の御本『神の真義とその理解』を読むことによって、マサノブ(自称)総裁の理解が如何に間違っているかを明らかにしたいと考える次第であります。

マサノブ(自称)総裁が、何故この『神の真義とその理解』を信徒が読めないように絶版にしてしまったかについての理由は、左翼唯物論である「マサノブ教」にとっては都合の悪いことばかりが書かれているからであります。だから、マサノブ(自称)総裁が独裁権力を使って絶版処分としたのであります。

マサノブ(自称)総裁は最近「生長の家ってどんな教え?」という本を出しましたが、この本では開祖・谷口雅春先生の『御教え』の最重要部分がカットされているのであります。それは、「病悩苦からの救済」と「生命的国家論」であります。換言すれば生長の家の立教の使命である「人類生活全面の光明化」と「天皇国日本の實相顕現」を放棄し、「日時計主義」と「環境問題解決」をもって生長の家の立教の精神にしてしまったのであります。そして、その基本思考は「唯神實相論」ではなく「左翼唯物論」と同じ思考であります。だから、「生長の家ってどんな教え?」ではなく、「マサノブ教ってどんな教え?」と書名変更されねばならないのであります。

それでは、以下に於いてマサノブ(自称)総裁が開祖・谷口雅春先生の『御教え』を離れて、得手勝手な説教をしているかを明らかにして行きたいと思うのであります。本稿の内容は、正しい「生長の家」の『御教え』を特にニュー信徒さん・ニュー講師さん向けに分かりやすく解説するのが目的であります。もしもその解説内容に不備な所があれば、より深く『御教え』をご理解されている元本部講師の先生方にご指摘いただき修正致したく存じておりますので宜しくお願い申し上げます。今、三代目マサノブ(自称)総裁によって、『御教え』の内容が大幅に間違った方向へ導かれている緊急時に鑑み、誰かがニュー信徒やニュー講師や真剣な求道者のためにわかり易く、マサノブ(自称)総裁の「生長の家」つぶしの直面している問題について『御教え』を正しく体系的に理解し、マサノブ(自称)総裁の誤りを指摘せねばという止むを得ざる気持からの投稿であります




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[ T ]  「生長の家の大神」さまとは?


「生長の家・教規」第六条に、生長の家の「本尊」について書かれています。

@ 生長の家とは「大宇宙」と同じ意味である。

A 生長の家の本尊は「生長の家の大神」と仮りに称するが、これは目に見えない「宇宙大生命」(唯一根元神)が生長の家に霊姿として顕われられた応現(人格的表現神)の神様の名前である。

B 正しい宗教の救いの本尊は、どのような名前の神仏でも生長の家では尊び礼拝する。

C 生長の家の礼拝の対象は、あらゆる宗教の本尊の奥にある「實相」(唯一の真理)であり、「實相」の書を掲げて礼拝する。「實相」の額または書を通して宇宙大生命を礼拝すると共に、自分の實相生命を「實相」額(書)に移入して自己礼拝(自礼拝)するということであります。



■ 「神の審議とその理解」には、主斎神と主斎神について書かれています。(P.102,P.104)


 生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭る。=主斎神

  幽の幽なる神として、天之御中主之神(アメノミナカヌシノカミ)、

  幽なる神として、天照皇大神(アマテラススメラオオカミ)

  現人神(アラヒトガミ)として、天皇を礼拝する。



副斎神として、「生長の家大神」を礼拝する。「生長の家大神」とは、古事記・日本書紀に顕われたる「住吉大神」=塩椎神=塩椎翁=白鬚白髪の老翁の神様である。天照大御神様がお生まれになるに先立って大宇宙を浄める神として出現せられた。この真義は、宇宙大生命の道(真理)を現わし(説き)、日本の国威を発揚し、國體(真理国家たる天皇国)を明徴にすべく導かれるお役目を持たれ、そして人類全体を光明化して、住吉世界(極楽浄土)となすために出現せられた神様(P.110)であります。具体的には日本国家の建国とその後日本国家が重大な運命の岐路に面した時に顕現されお導きをされてきたのであります。(P.219)――

イ 天照大御神のお生まれになる下準備(宇宙浄化)をして御誕生を導かれた。

ロ 日子穂々手見命さまを龍宮界(綿津見神の宮)へと道案内された。

ハ 天孫(瓊々芸能命・ニニギノミコト)降臨の時の道案内をされた。

ニ 神武天皇の東征と建国のお導きをされた。

ホ 神功皇后の三韓征伐の道案内をされた。

ヘ 大東亜戦争の終結へのお導き。

ト 秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕(追加)



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■ ここで、生長の家の『御教え』を正しく理解するためには、唯一絶対神(根元神)とその人格的表現神(応現神)の関係と意味について知らねばなりません。


@ 「塩椎の神」の意義――

 「シ」=水(陰)、「ホ」=火(陽)、「ツ」=繋ぐ、「チ」=霊。陰陽がつながり続き、結ばれて一切のものを産み出す霊の意味であります。(P.134)→ 唯一絶対神の創造機能の人格的表現神。


A 「住吉大神」の意義――

唯一絶対神の浄化機能(霊的禊「ミソギ」払い)の人格的表現神。(P.145)日本国家を浄化し守護したまう神(鎮護国家のお働き)。

 
B 「観世音菩薩」の意義――

唯一絶対神の衆生救済機能の人格的表現神。三十三身に身を変じ『甘露の法雨』を注ぎ給いて衆生を救済。(P.137)


その依って来たる基本となる真理とは、――

「一即多・多即一の真理 」→ 「一神即多神・多神即一神」 → 「一仏一切仏」の真理に依るのであります。唯一絶対神(法身)の中に、そのまま「住吉大神」も「塩椎神」も「観世音菩薩」もいらっしゃる。役割分担が違うだけ、それぞれの役割機能に特化した(応化した)人格神の名称です。(P.136−137)

 したがって、マサノブ(自称)総裁の最近の説き方の如く、観世音菩薩のみを生長の家の本尊として説明し、住吉大神・塩椎神・などを説かないのは自己の信条(左翼思考)による完全に間違った理解の仕方であります。(此の真理から考えるならば、雅宣(自称)総裁の真理の二分法(中心真理と周縁真理)の説き方も間違った説き方である事が分かるのであります。



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■ 生長の家に「住吉大神」が出現せられたことは、非常に重大な出来事であります。(P.145)


 イ 住み吉し世界の顕現(楽園奪還)のためには、知恵の木の実(唯物論)ではなく、生命の樹の実(唯神實相論=『生命の實相』)を食さなければならない。

 ロ 生命の樹の実=古事記「桃の実三つ」=「日本国家の實相・日本天皇の實相・人間生命の實相」の三つの生命の實相の顕現を意味する。(P.142−143)この顕現(地上天国建設の聖業)を為すお導きをされるのが「生長の家大神」であり神道では住吉大神と申し上げるのであります。
 
 ハ 佛教に於いては、「生長の家の神様」は「観世音菩薩」として現れている。左手に持っておられるのが“未敷(みふ・開きかけ)の蓮華、”→ 世尊拈花の金波羅華を開花させる = 真理国家顕現の使命 → 私たち信徒は内在の「住吉大神」の自覚(分身)をもって使命遂行を為さねばならないのであります。 (P.161−170)


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絶版『神の真義とその理解』を読む。――「生長の家大神」・「住吉大神」・「観世音菩薩」の真義についてのマサノブ(自称)総裁の誤れる見解を指摘する。<その二> (1365)
日時:2013年06月21日 (金) 10時39分
名前:信徒連合





[ U ]  生長の家発祥の因縁(住吉大神との関連)について




@神秘面より観たる『生長の家』四十年史(P.22―23)より――

<< 生長の家は、皆さんが既に御承知の通り兵庫県武庫群住吉邑八甲田という所に私が住んでおりました時、丁度“勇湯”という風呂屋がありまして、わたしは朝風呂が大変好きでありますので、そこへ毎朝、朝風呂へ入りまして、きれいにからだを禊(みそぎ)して――約半丁位の近くに住吉神社があるのであります。詳しくは本住吉神社といいまして、その神社へ毎朝お参りをして、私が日本国家の隆昌の為に祈っておりました時に、霊感をいただいて始まったところの人類光明化運動が生長の家であります。

 この生長の家大神とは誰方であるかと言いますと、これは阪神間の本住吉神社にお祀りしてあるところの住吉大神であられまして、『古事記』に、天照大御神様がお生まれになるに先立って、此の大宇宙浄めの神として、水と塩(霊)とを以って浄め給うところの龍宮海の神様として現れられたところの上筒之男神・中筒之男神・底筒之男神と言われる三柱の神様を一体に総称して、住吉大神(俗称すみよしの大神)と申しているのであります。

 生長の家が発祥しましたのは今から四十年程前でありますが、その前後に私が住吉村に住んでおりまして、毎日その本住吉神社へお参りしたものでありまして、その当時、霊感に啓示されて此の生長の家の教えと言うものが現れて来たのであります。爾来「一切の宗教は一つである」「真理は一つである」との啓示に導かれて、古今東西の宗教を比較宗教学的に研究し、いずれの宗教もその説き方は異なっても、どの教えも人間を救う“唯一の真理”を説くのであるから、何の宗教も互いに分立せずに手を繋げと言う事を説いてきているのであります。

 『古事記』にあらわれたる住吉の大神はその後同書に塩椎神叉は塩椎翁(『日本書紀』神武天皇の巻)として現れていらっしゃる・・・塩椎神は潮筒之男神であらせられまして・・・宇宙浄化の神であり、東道(みちびき)の神でもいらせられます。・・・>>



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A 住吉村の地名の由来

神秘面より観たる『生長の家』四十年史(P.23―26)より――

<< 住吉大神の使命・・・この住吉の神様は、いったい、どういう時に顕れていらっしゃるかと言いますと、日本国の危急の時に顕れて来られて、日本の国を御護りになる神様がこの住吉大神(すみよしの神様)であります。・・・住吉村の地名の由来・・・さて、この住吉大神を神功皇后がお祀りになりましたので、その所の地名が住吉村と言うことになったのであります。唯今、阪神電車のガードの下になっている所に“玉の井”とか、何とか言う清冽な泉が噴出している池がある。非常に美しい泉の水でありまして、いつでも澄明な水が湛えられている。あそこで神功皇后は“御影”をお写しになりましたというので、後世その土地が“御影”と言う地名になったのであります。

先日この遺跡を訪れましたら、澄明な池は緑色の藻でにごっていたので残念に思ったのであります。あの付近には沢山の花崗岩が出たのでありまして、今は殆ど取り尽くして無くなっているようでありますけれども、時々道路工事なんかをして、深く地面を掘ると大きな花崗岩が出て来るのであります。そこであの辺から出る所の黒いそばかす様の斑点のある花崗岩を御影石と俗称されることになったのであります。その御影の町の西方に阪神電車の停留所に上石屋という所がある、其処を縦走する川を石屋川と言う。御影石を掘り出すところの石屋さんがずっと並んでおったらしいので、その地名が上石屋として残っているわけなんであります。

 その村に私がおりまして、毎朝風呂場で禊をして、その浄まった直ぐのけがれのない体で毎朝、その本住吉神社に参拝して日本国家の隆昌のために祈っておった時に、霊感をいただいて始まった教えが生長の家であって、その教えの本尊、即ち本統の教組は住吉大神であらせられるので、私はただその教えのラッパにすぎないのであります。>>



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B 開祖・谷口雅春先生と生田神社の祭神とのつながり
(「神の真義とその理解」P.188−190、)

<< その人の生まれた土地の産土神はその人の一生涯を守護し、導いているのであって、住所が変われば新住地の産土神に連絡があってその統治の中にはいるのであるが、現籍地の産土神と縁がきれるのではないのであります。・・・わたしが大本教を脱退・・・“心霊科学研究会”に参加し、機関誌の編集に当たっていました。・・・その事務所は神戸市中山手通りにある私の出生地の産土神を祀ってある生田神社が、ごく近い距離にあり、しかも帰りの電車の停留所へ行くための道順であるので、生田神社に出勤のたびごとに参詣したものでありました。・・・鳥居をくぐって十数メートルいくと左手に「永田文進堂」という古本屋・・・ある日、「その店に入れ」という霊感のようなものを感じて・・・“The Law of Mind in Action”(『如何にすれば運命を支配し得るか』)を和訳出版・・・アメリカの光明思想ニューソートとつながりが出来・・・ここにも産土神の導きがみられるのである。>>



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C 生田神社祭神の祖国防衛の因縁について
(「神の真義とその理解」P.198、)

<< 生まれ故郷の産土神である生田神社の祭神稚日女神(ワカヒルメノカミ)は、稚日女君命(ワカヒルメギミノミコト)とも称せられて、天照大御神の御妹神として、天照大御神が忌織屋(いみはたや)にて天地経綸の“はた”を織っておられたとき倶(とも)に機織姫(はたおりひめ)として天地経綸に参加していられた神であります。経綸は共に糸扁の漢字であるが、政治で国の経緯(たてよこ)を治め整えることを織物にたとえて言う文字であります。天地経綸の機織(はたお)りをせられる生田神社の祭神神稚日女君命が、神功皇后さまの、新羅からの侵攻への防衛軍に神助を与えられたのは当然であり、今また祖国を革命から衛(まも)るために住吉大神と共に生長の家に神助を与え給うていることは当然のことであるのであります。>>


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絶版『神の真義とその理解』を読む。――「生長の家大神」・「住吉大神」・「観世音菩薩」の真義についてのマサノブ(自称)総裁の誤れる見解を指摘する。<その三> (1373)
日時:2013年06月22日 (土) 10時46分
名前:信徒連合


[ V ] 住吉大神の神姿を見た人々



 いづれの宗教に於いても、常識では説明不可能な神秘現象が生ずるのであります。正しい宗教であればそれは宇宙大生命(唯一根元神)から発せられたるところの人類救済の霊波が届いているわけでありますから、神秘現象が起きるのは当たり前のことであります。

しかし、生長の家三代目を“自称”ではあるが継承したというマサノブ(自称)総裁は、この神秘現象を非科学的(偶然・タマタマの現象)という理由で排斥するのであります。真理の証しである信徒の奇跡的体験談も信用せず、講習会でも著書に於いても一回も採りあげたことはないのであります。

しかし、生長の家に於いては幾多の奇蹟や神秘現象が生じているのであります。神秘現象を信じない、奇蹟を非科学的だとして否定する、このことだけでもマサノブ(自称)総裁は、宗教家としては完全な落第生であり、一刻も早く総裁更迭が為されなければならないのであります。そこで、特にニュー信徒・ニュー講師の皆さんには生長の家信徒として以下の神秘現象を是非知っておいていただかねばならないと思うのであります。



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@ 『生長の家』とわたし(谷口雅春先生)
「生命の実相」第1巻P.14〜16


<< わたしはこの『生長の家』の生き方がどんなに善い生活だかということについては、確信をもっている。諸方の読者から集まって来る多くの賛辞はわたしのこの確信がただのウヌぼれでないことを第三者として証拠だてている。はかにはわたしを教組あつかいにしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教組ではない。わたしは諸君とともに「生長の家」の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一求道者にすぎない。わたしがまだこの世的な悩みを幾分でももっているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生き方には完全になり切っていないからである。

 むろんこの雑誌の原稿はわたしの手にもったペンにより書かれる。しかし、ひとたび『生長の家』を書こうとしてわたしがペンをもって机に向かうとき、わたしはもうふだんのわたしではないのである。

 霊きたりてわたしを導く。弱い性質のわたしにはとても書けない強い言葉が流れるように湧いて来る。第二号の『生長の家の歌』のごときは自分ながら驚くほど強いことが書けている。わたしが亀岡にいたとき、わたしが専念、教えのことを書いているのをかたわらで見ていた霊視能力者の加藤氏は、わたしと別な霊人が筆をとっている姿を見たといっていた。それは信じてよいかどうかは知らない。しかしもし『生長の家』に教組というべきものがあるならば、この地上のわたしではないであろう。

 およそ宗教的な深さをもったものはそれが教えであると芸術であるとを問わず、その源は霊界にあるのである。古来から神品といいインスピレーションといったのはこれである。われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのである。しかしJOAKの放送を受けるにはラジオの受信機の調節をJOAKに合わさなければならぬであろう。それと同じくわれらが“一層高き世界”より来る思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合わさねばならぬのである。ここにわれらは不断に心を清め、心を“一層高き世界”よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。この訓練がたりないとき雑音が混じる。受けるインスピレーションが不純なものとなる。もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。 

ところが、埼玉県から霊眼によって、わたしが『生長の家』の原稿を書いている現場を透視した人があって、わたしが霊感によって書くということを客観的に証拠だてた人があります。それは埼玉県の笠原政好君であって、昭和6年6月1日付で報告が来ています。

「 神想観を実修して、大虚無の境地に入っていた。ふと目に映じ出した、私の処から西南に当たる方向に先生の姿が髣髴として見える。実はまだ私は一度も先生のお顔を拝見したことはない。それが霊の性質かもしれないが確実に見える。さっきから先生は広間の片隅で穆々しく机に向かっておなじみのペンを持って何かお考えを書いている。姿勢よく座し、しかとペンを握り十分に含ませたインク、あたりの光景は手に取るように見える。光明は先生の軀から無限にも放出する。ちょっと弱そうな容貌、しかしその熱烈さ。『道』に奉ずるの御決心は一目瞭然である。

生き生きしたペンはソロリソロリ走り出した。まだなん行とも書かぬうち先生は無我のうちにおかれ、またたくまにペンのスピードは前とはまるで変わってくる。走る走るあらっと思う間もなくぜんぜん先生とは違った人になっている。口元の締まった、あご髯の胸まで垂れ下がった、見るだに気高き霊人だ。あれ先生はどこにと、見詰めた。ああ先生は霊人の内に溶け込んでいるのだ。霊人は全支配権を握り、わき目もふらず書を進めてゆく。あれなんという、推敲もせずそしてペンの早さは目も及ばぬほどだ。まあ不思議なこと一体どこから来た方だろう。霊人の軀から神々しい霊光が放たれ付近は光明浄土と化した。静寂また静寂、付近はまだ霊人の占領地となっている。

やがてペンははたと止み、霊人はどこにか姿を消してしまった。目的の文ができあがったらしい。後は先生の独座とかわった。やれやれ重荷でもおりた様子。籠の鳥が放たれたように急にのんびりして今書き終わった短文を精読している。精鋭な先生の視力はやたらに文字に引きずられてゆく。二回も三回も熟読してますます神秘の霊感に打たれている。『無理はない』渺漠の領境に導かれるどころか独専霊人の書だ。数十分の間私は恍然としてこの光景につりこまれて、ひたすら現象のなり行きを見つめていた。先生はこれを整理してまた他の目的に向かってお働きになられた。

(付言)、先月14日にも神想観実修のおり、目に映ったことがあり、昨夜も同然御動静を拝し、当夜はまたこんなに勝れた光景にまで出くわしました。政好は年若く、世の経験に乏しいものです。ですがすべてを政好の感性の所産と思し召しくださるな。私は初めて自分の偉大さを知る。私は私の背後にもやはり常に私を操ってくださる方のいることを信ずる故に。頓首。(12月30日夜)」 >> 



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A 『生命の実相』は久遠の昔からある!
「神秘面より観たる生長の家四十年史」P.1〜2


<< 奈良県に山村恵津子さんという熱心な生長の家の誌友がある。何でも学校の先生をしていられるらしいが、学校の暇なときには、生長の家の宇治別格本山へ奉仕のために来られる事があり、時々、私と顔を合わすことがあるのである。

その恵津子さんのお父さんは山村楢次郎さんといって天理中学の国語の教師をしていられた。『生命の実相』が、私が東京に移転して、はじめて、光明思想普及会と称する株式会社組織の聖典出版機関が出来、そこから出版されることになった時、その最初の版は、黒紬の布製で、松本俊介君の図案になる、線画の雲から三本の金線の光が出て、その光に照射されて、植物の若い芽生が、地上のすべての生命の萌芽を象徴するかの如く描かれてあった。その三本の金線が妙に印象的であるのである。

 この『生命の実相』の本を山村楢次郎氏が現実界で手にした時、氏は、これをいつか以前に手にした事を想い出したのである。記憶を手繰って見ると、それはその時から数えて十八年前、夢の中で神様からその『生命の実相』の本を授けられた。その時のドッシリと掌にこたえた重みの感触が、十八年後になった今でも、記憶にハッキリ現実のように残っていると山村氏は私に話されたのである。

山村氏がその話をせられた頃、生長の家の教育専門の雑誌『生命の教育』が発行されていたが、氏は時々、それに寄稿せられて同氏の原稿が載っていたものである。当時の十八年前と言えば、昭和九年に生長の家は兵庫県から東京へ移転しているので、概算したところ、私が大本教にいた頃か、或いは大本教を脱退した頃に、既に山村楢次郎氏は『生命の実相』が実相世界又は“霊の世界”に存在したのを拝受せられたのだった。それが十八年後になって“現実の世界”でそれを拝受したことになっているのである。やはり『生命の実相』は久遠の昔からあるのが時節到来因縁熟して現実界に姿を現したのだと言う事になるのである。>>



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B 住吉の大神の神姿を見た人々


■ 光明輝やく実相の世界に住む神
『生命の実相』第二巻・実相篇下巻(P.134−137)


<< そのうちにこの『生長の家』の事業が神の人類生活光明化運動であると言うことが明瞭になってきたのであります。ちょうど、仏教にも護法の神といって持国天だの、多門天だの帝釈天だのという神がある。それに比すべくこの『生長の家』にも護法の神が出現したのであります。・・・

『生長の家』誌の第一集第四号を執筆している頃「光明の国」という私の霊感的長詩を家内が校正いてくれましたとき突然神憑りとなったのであります。わたしは審神者(さにわ)として、その時いろいろ神誥を聞いたのでありますが、この神はわれわれの祖先の霊でも、われわれ家族個人の守護神でもなく、家のうちに祭祀してある神でもない、名はいうに及ばぬ、光明輝く実相の世界に住む神である。これから『生長の家』を読んで病気の治る者があいついで出るけれども、それは読んで真理を悟って治る人もあれば、神が救いの方便に治すのもある・・・などという意味のことがあったのであります。

ところが今まで家内には霊眼がひらけたということなどは全然なかったのでありましたが、その時突然天空高く白衣を裾まで垂れ、鬚髯(しゅぜん)を旨まで垂れた尊き神姿を拝したのでありました。この事実と相前後して香川県の某氏からは従弟に『生長の家』を読ませたところが神経衰弱が癒えた事実があり、それではわたしの霊力に頼れば親戚某氏の精神病もよくなるだろうとある日「生長の家」までこられたところ、その日を境にして快方に赴いたりしました。・・・

・・・護法の神の顕現ということについては、なお多少の疑いを抱く人があるかもしれません。ところがある日、霊覚ある某女史が来られて私に鎮魂してくれと頼まれたので二階で鎮魂してあげると、ある神の姿をその方は拝されたのであります。その拝された神の御様子をその方がわたしに話そうとしていられる時に、かつてその神の姿を見た家内が二階に上がってきて「そうあなたもお拝みになったのですか」といって互いにその神の容貌はこう、服装はこう、と両方から話して照らし合わせてみるとピッタリ一致するのであります。

それでこの神の存在がたんなる幻覚ではなく時を異にして別々の人に、同じ姿を顕現せられたので、客観的になにかあるという証拠になってきたのであります。そののち私はその神から『神想観』という一種の座禅のような方法で、本当の自己は肉体の自己ではなく円満玲瓏たる神である如来であると言う事を自覚するための精神統一法を教えられ、その方式に従って行えばいかなる遠方へでも、この神みずから顕現して指導するとの啓示がありましたので、その修行を毎日一回三十分間やっているのであります。>>



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■ 神秘面より観たる『生長の家』四十年史(P.18−19)


<< 私の背後に、白髪の老翁の姿をしたキリスト(「ヨハネ黙示録」の第一章に出現している“久遠のキリスト”)の姿を最初に見たのは私の家内であった。それは生長の家の最初の原稿を書いた所謂“発祥の家”で、私と家内とが互いに向かい合って神想観を実修している時、私の背後に空中に立っていられる白髪の老翁の神様の姿を拝したというのである。

 この神姿はその後、他の信徒の集まりにもあらはれたし、その頃熱心に私の宅へ日参のように来ていられた長尾初枝さんも見たと言はれた。その頃、非常に熱心で、誌友会の集まりを“三日会”の名の下に、毎月三の日に催しておられた畑中猶三氏の集まりにも度々その神姿が見えた。「しかも一人のひとに視えるだけではなく、集まっている人の全部にではないが、数人の霊眼に同一神姿が、同一の位置に於いて見えるので、それはほんものでしょう」といって畑中氏は私に訪ねられた事がある。

私自身はこの神姿を見たことがないのは、一寸妙に感じられるが、自分自身の顔は自分には直接見ることができないというような原理によるのかも知れない。(特注・この一節の御文章は、誠に意味深長な内容を含んでいると思われます。すなわち、住吉大神さま=開祖・谷口雅春先生 を意味していると考えられます。)

 神宮前1丁目23−30(旧地名“原宿”)にある本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられてある神像は、服部仁郎氏が、家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を造り、家内が「此処はこんなでなかった。此処はこうであった」といちいち訂正して、家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて製作せられたものであるが、服部氏自身は、神姿を見たことはなかったが、天才的彫刻家の一種の霊感で本当に家内の見た神姿そっくりに出来ているらしいのである。

数年前、今は横浜に居る誌友が、はじめて、この原宿にある本部を訪問して、その正面玄関上の神像を見て“オヤ!”と驚いた、といって手紙を私に寄越された事がある。その手紙にはこう書いてあったのである。この神姿は、谷口が嘗て早稲田大学の大隈講堂で講演している時に、その谷口の姿がこの神像に変貌していたのを思い出して不思議な神秘感に打たれた。どうして大隈講堂で自分が見た霊姿をこんなに正確に再現できたのであろうかと。家内の霊視した神姿にもとずいて塑作されたこの神像が、横浜の誌友の霊視した神姿そっくりに出来ていたということは、服部仁郎氏の制作技術の素晴らしさと、霊界の神秘の相互関連を語るものとして注目してよいと思うのである。>>



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■ 湯気の中に現れられた白髪白髯のお姿
「神の真義とその理解」P.110〜112


<<・・・この海野こうじさんという人が尾谷先生にこの『生命の實相』を読みなさいと云ってお貸ししたのでありますが、まだその本を貸して貰った事を少しも知らない尾谷先生の奥様が、朝御飯をお櫃(ひつ)に移しておられた、御飯をお櫃に移して、見るともなしに其のお櫃から立ち騰(のぼ)る湯気を見ておられると、その湯気の中に、一尺位の大きさでもありましょうか、白髪白髯のお爺さんで、裾(すそ)まで垂れたる白い衣を着た方の立ち姿があらわれて、威厳と慈愛とに満ちた眼をしてジッと尾谷さんの奥さんの顔を見詰めている。

変なことがあるものだな、こう思って見ていると、すっと消えてしまった。それからその晩に夫の尾谷先生が小学校から帰って来られて「お前にいいものを借りてきてやった」こう言って見せられた。「何ですか」と言ってハトロン紙を開いてみると、『生命の實相』と云う本である。それからその本をパラパラと披(ひら)いて、まぐれ当たりに開けたところを一頁読んで見ると、そこに、生長の家の神様はこういう風なお姿に現れられるということがある。こう書いてあるのです。白髪白髯のお姿で裾まで白い衣を垂れたところの姿で現れられる、と云うことが書いてある。「ああこれである、私が今朝あの御飯を移した際、御飯から立ち騰(のぼ)る湯気の中から現われてグッと私を慈悲深い眼で見詰めていらっしゃった神様が、あの方が生長の家の神様だったのか」こういう風にわかったと云うことが書いてあるのです。

この尾谷先生の奥様は現に誌友で生きていられるのでウソはないのであります。生長の家の神様のお姿はこういうお姿だと先に読んで置いて、それから後に湯気の中で神様の幻を見たのだったら、読んだ印象が頭に残っておって、湯気のことだから、ぼんやりとしてどんな形にも見えるからいい加減にそういう風な姿を勝手に幻覚として見ることになったかも知れませんけれども、その『生命の實相』を読まない前に、御飯から立ち騰(のぼ)る湯気の中に立っていられる白髪白髯の神様をごらんになって、あとから「生長の家の神様は、こういう風な姿である」と云う説明が出て来たのですから、まことに神秘的であります。このように生長の家の神様は、お姿の上から云っても塩椎神様の白髪白髯のお姿で現われ給うのであります。>>



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■ 大同の石仏の釈迦如来像の出現
神秘面より観たる『生長の家』四十年史(P.8−12)


<< 私が東京へ移転してきた頃は、別に道場というものはなかったので、宮崎家から提供されたその家で、毎日午前と午後と二回誌友会がひらかれていたのであった。・・・その頃、青山五丁目に写真店を開業していた山本明氏が、嘗て支那大陸を旅行したとき山西省の大同という処に有名な石仏の群像があったので、その中で最も神々しい聖らかな容貌をしている釈迦の肖像だというのを撮影してきて、・・・引き伸ばしたのをわざわざ額に入れて持ってきて壁にかけて下さった・・・私の頭の上の前方は、ちょうど縁側と畳の部屋とを仕切るための鴨居になっていて、障子は外してあるが、その鴨居のうえに、山本明氏が寄贈せられた山西省の釈迦の石仏の肖像写真が懸かっていた。・・・

四十歳くらいに見える紳士が、その鴨居の上の肖像写真を指さして、「これはどなた様のお写真でございますか」と尋ねるのであった。「これはお釈迦さんのお写真ですよ」と私が答えると、その紳士は突然、意を得たとばかり手を拍って、嬉しそうな語調で「それで安心しました。よく解かりました」と言った。

「何がよく解かったのですか?」と私がたずねると、その紳士は、「実は私は富山県安吉村の安吉教団の信者なのですが、その創始者安渓先生は素晴らしい霊覚者でありましたが、その先生が亡くなられる直前私に斯ういうことを遺言のように言われた。

“自分が死んでから数年たつと私と同じ教えを説く先生が出て来られる。お前はその先生に触れる機会を与えられるであろう。お前はその先生について教えを学ぶがよい”と。そして先生の死後数年経ちましてから私は『生命の実相』を得て読んでみますと、驚いたことには安渓先生のお説きになる教えと全く同じ教えが書かれているのです。そこで、この『生命の実相』を説かれる谷口先生こそ安渓先生が遺言せられた先生だと思い、詳細に『生命の実相』を読んでみますと、“仏”とか“如来”とか仏教的に書かれたところもありますが、盛んに“神”という語がつかはれています。

仏教では“神”といわないので、それに私は心が引っかかるのです。この辺の事を先生に直接にお伺いしたいと存じまして昨日夕方東京へ到着いたしましたので、先生のお宅へお伺いいたしましたところ、“今晩は九段の軍人会館で講演会が開かれるので先生はその方へ往っていられる。今からお出になれば丁度前座の御話が終わった頃で、先生のお話には間に合うでしょう”と言はれるので大急ぎでタクシーを雇ってまいりましたところ丁度先生のお話になる処でした。後ろの方の席から聴いていたのですが、今日は直接、先生のお側で先生のお顔を拝せると思って出来るだけ先生のお近くに来てこうして座らせて頂いたのですが、

さて谷口先生といはれる方の顔を見ると、昨日、軍人会館で講演せられていた人の顔とは異うのです。妙だなと思って、フト上を見ると、この肖像画が懸かっている、そしてこの肖像写真の人が昨夜、軍人会館で講演せられていたので、それで、この肖像写真のお方はどなた様かと思って聞いたのです。そしたら“お釈迦さま”だと言はれて、ああ生長の家の教えはお釈迦さまが説教しておられるのだとわかりましたので、思わず安心して手を拍った次第です。」

 この人は梶喜市郎という人で、手を拍って悦ばれた瞬間、今まで一方の耳が聴こえなかったのが、突然よく聴こえるようになったと言ってお礼をいはれた。この梶さんの体験を新潟市の講習会で話すと、新潟の信徒総代の高橋長久氏が、「私は梶さんを幼い時分から知っています。その耳は幼い時イロリに掛けてあった味噌汁鍋がヒックリ返って、熱湯の味噌汁が一方の耳に流れ込んで焼けただれて聴こえなくなったのでした」といはれた。その後梶さんは非常に熱心になって、自分の住んでいる地方の誌友相愛会をしておられたが、近頃は消息を聞いたことがないのである。

この梶さんの体験をきいて感ずることは、生長の家の教えは、釈尊が私を媒介または喇叭として真理を説法しておられるのであり、私は唯の喇叭であるということである。そして梶さんは、霊覚が発顕して、私の肉体の背後にあって講話しておられる釈尊の霊姿を拝されたものだと解釈できるのである。

 このような神秘的現象で、「私は喇叭である。生長の家の本部は実相の世界にある」という意味が読者にはお解かりになったと思うのであるが、釈尊が実相世界に在す“久遠の本佛”として、私を現象界への“橋架け”として教えをしておられるのであれば、梶さんが悦ばれた通り生長の家は釈尊の教え(即ち仏教)だという事ができるのであるが、それではキリスト教の人にはどうも素直に受け入れられないおそれがあるのである。生長の家の教える真理は万教に共通する唯一真理の神髄を説いているのであるから、キリスト教の人にも素直に受け入れられる条件が整っていなければならないのである。>>



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■ 講演中の谷口雅春先生がキリストに変貌
神秘面より観たる『生長の家』四十年史(P.15−17)


<< 高岡市の郊外に「雨晴」(あまばらし)と名ずけられた海岸の村がある。その村の中腹に、清都理門さんの別荘があった。そこで講演会の翌日、もっと話を聞きたいと思う人達が集まっていた。・・・

中川さんは「実は私、午後の講演も聴かして頂いたのでありますが、その時、先生のお顔がキリスト様のお顔に変貌いたしました。これは私の眼の錯覚でそのように見えるのだろうと思いまして、角度を変えて見たら本物のお顔が見えるかも知れないと思いまして、体を横に曲げ左斜めから覗くようにしてみましてもやはりキリスト様に見えるのです。色々の角度から透かして見ましてもキリスト様のお顔に見えるので、ハッと悟らして頂きました。生長の家の教えはキリスト様が先生を通して、お説きになっているのだから、もう間違いはないと安心いたしましたのです。」と丁寧にお辞儀をされるのであります。・・・けれども私はその言葉を素直に承認しなかった。

「君はキリスト様に僕の姿が変わったというけれども、君はキリスト時代に生きていた人でないから、キリストがどんな顔をしていたのか知らないじゃないか。どうしてその顔がキリスト様だと判るんだ」と私は追及した。「いや、それは判るんです。だってキリストの油絵の複製を街で知っているんです。その通りのお顔におなりになったのです」と中川さんは答えた。私はあの講話のとき、キリストの喇叭になっていたのだった。

 いつか『栄光』という京都教化部から出ている教化連絡紙の第一面に和田秀雄氏が書いておられたが初めて生長の家の講演をきくために京都の同志社大学の講堂“栄光館”に入った途端、演壇に立っている弁士の姿がキリストそっくりに見えた。それが谷口の姿だったのだという。そのほかにも松尾キクさんという八十歳のおばあさんでお山で集まりのあった時には始終来ておられた熱心な信者があったが、この人も変貌のキリストの姿を見たといはれたし、福島県郡山の誌友連合会長をしていられた柏木周造翁もキリストの姿を見たといはれるし、宮崎県の富高で終戦後はじめて講演のあったとき私の講演をきいて感激して声涙共に下るような調子で懺悔し入信せられた横尾栄一氏も私の顔がキリストに見えたと言われたので「あんた、キリストが本当にどんな顔をしていたのか見たことがないのに、どうしてキリストに見えたなどと言えるのですか」と私の方から却って反駁した事もあった。

その時の返事も、やっぱりどこかでキリストの描かれている油絵を見た事があるという意味の返事であったと思うのである。ともかく私は釈尊の喇叭であり、キリストのスピーカーであるのである。そこから万教帰一の教えが出て来る所以である。>>



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■ 観世音菩薩と生長の家マークの由来
神秘面より観たる『生長の家』四十年史(P.26―29)


<< 住吉大神と阿弥陀仏との関係・・・
この住吉大神は如何なる神様であるかと言いますと、人生を住みよき世界にするところの神様であります。仏教で言うと、この神様は阿弥陀仏にあたるのであります。阿弥陀仏の慈悲の働きが観世音菩薩、阿弥陀仏の智慧の働きが勢至菩薩であります。阿弥陀・観音・勢至の三尊一体であります。生長の家の神様は観世音菩薩であると言われておりますが、その本地は阿弥陀仏であります。

 聖観世音菩薩の仏像を拝見いたしますと宝冠をかぶっておられる。その宝冠の真ん中に普通は、もう一つ仏像が刻んであるのであります。その宝冠の仏像は阿弥陀如来であります。これは観世音菩薩が阿弥陀仏の示現であることを現しております。

 阿弥陀仏は尽十方に充ち満ちておられる“宇宙の本体”的実在であらせられ、尽十方無礙光如来とよばれる・・・現実に人格的に姿を現して人をお救いになると言う時には、阿弥陀仏そのままでは出てこられないで“観世音菩薩”のお姿をして出て来られると言う事になるのであります。この観世音菩薩が生長の家の神様なのであります。

 生長の家の神様は住吉大神であると言って、今またそれを観世音菩薩であると説くのは何故であるか、どこにそんな証拠があるのか。お前は、そのように説いたならば、キリスト教も仏教も一緒に和合するのに大変都合が良いと思って、そう言う説を牽強付会して拵えたのではないか、と言う風にお考えになる人もあるかも知れんけれども、決してそれは<牽強付会>ではないのであります。それには現実的な証拠があるのであります。

 私が住吉村から移転いたしまして上京して二年目位でありました。生長の家にもマークを拵えなければならないと言う事になり、生長の家は一宗一派の宗教ではないから、神道を表現したところの日章旗、仏教を表現した所の卍(但し、吉祥卍)、それからキリスト教を表現したところの十字と、日本に現に行われている三大宗教の印である十字と、卍(但し、吉祥卍)と、日章旗の三つを一つに纏めたような、そう言うマークを拵えたいと思いまして、当時文部省主催の展覧会なる帝展(今は“日展”と言っている)の審査員をしていられた山根八春先生に頼みまして、生長の家の徽章を拵えて貰ったのであります。

それは、七種類ほど考案して下さったのでありますが、その中の一種類を私が選びまして現在の生長の家のマークが定められたのであります。私がこの時計の鎖につけているマークですね。・・・観世音菩薩がこのマークをつけておられたと言う事を私は全然知らずに山根八春先生がこのマークを考案して下さったので、これをバッジにして当時の大阪の生長の家連合会に送って、“大阪の誌友達に皆に分けて下さい”とお願いしたのであります。

 その時の連合会長が門脇観次郎と言う人でありました。海事審判の弁護士をしておられた人でありまして、胃潰瘍その他の諸病がなおって非常に功徳(おかげ)を得たので、あんまり有難いと言うので、神想観をせられたときに、「生長の家の神様の御姿を拝まして下さい」と熱心に祈られたのであります。

 そうすると、神想観中に、目をつぶっているけれども、霊眼に観世音菩薩の姿が顕れたわけであります。この門脇観次郎さんの所へ、大阪連合会用の生長の家のマークが行った時に、「おや、このマークはどこかで見た事あるな」と門脇さんは思い出したのです。「あゝ、四年ほど前、あの神想観している時に観世音菩薩が出て来られた。宝冠をかぶっておられたが、その宝冠の真ん中にこのマークがついておった」と言う事を思い出されたわけであります。

 現実世界では、それから四年ほど後に、山根八春先生の拵えられた七種のマークの図案の中からその一つを選んだのがこのマークであるのにですね、人間界では四年ほど後に出来ているのですが、霊界では、観世音菩薩が四年も前から宝冠にこのマークを附けておられた言う事がわかったのであります。



< 現象界は霊的世界にある原型の影である。>

 それによって何がわかるかと申しますと、現象世界と言うものは、現象世界以前にあるものが、映って来て、現象化して顕れて来るものである。即ち現象世界はその前に“現象以前の世界“――霊界――または心の波の世界に在るものが、ある時間の経過をたどって、それが現実化し、現象世界に顕れて来るものであると言う事が分かるのであります。こう言うわけで生長の家の神様は仏教では観世音菩薩であると言う事が証明されているのであります。>>



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絶版『神の真義とその理解』を読む。――「生長の家大神」・「住吉大神」・「観世音菩薩」の真義についてのマサノブ(自称)総裁の誤れる見解を指摘する。<その四> (1379)
日時:2013年06月23日 (日) 10時03分
名前:信徒連合




[ W ] 龍宮住吉本宮建立の意義



マサノブ(自称)総裁は、宗教家と自称しておりますが、霊的な事柄に関しては完全な無知であります。

無知どころか信じないのであります。

この意味においては彼は唯物論者であります。

講習会においては一応、生長の家の教義の解説として、四文字熟語で < 唯神實相・唯心所現・萬教帰一 > と定番となった教義三点セットを舞台上のテレビ画面にお得意のパソコンを操作しながら文字を映し出し、説明しますが、それは宗教的解説、真理の証し人である信徒の体験談を交えた実証的解説ではなく、辞書的な文字の解説の域を出るものではありません。

マサノブ(自称)総裁は、血の滲むような自分の命を賭けた真剣な求道的体験がないから、「實相」というものを生命の世界で把握していないのであります。そのため理屈優先の解説となり、受講者をして霊的生命の歓喜の世界へ誘い込んで行けないのであります。

このようにマサノブ(自称)総裁は、實相世界というものが本当に判っていないのでありますから単なる抽象的な観念論的な説明しかできないのであります。

すなわち、生命的把握が出来ていないのでありますから、實相世界から現象世界を観ることができず、あくまでも現象世界から現象世界を見て理屈を捏ねているだけなのであります。この意味に於いてマサノブ(自称)総裁の思想は、「唯神實相」ではなく、“左翼的唯物思想”であると断定できるのであります。


彼の“左翼的唯物思想”がこの度、はからずも露呈したのが、龍宮住吉本宮の「鎮護国家」外しであります。住吉大神さまの「鎮護国家」という霊的使命を放棄し、左翼の常套語である「世界平和」、この裏には日本国家の否定、世界統一国家樹立と世界市民思想が隠されている「世界平和」への転換を独裁権力者である自分の一存での変更を断行したのであります。

開祖・谷口雅春先生の目指された方向とは正反対方向へ転換したのであります。

マサノブ(自称)総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の継承者ではなく、破壊者であります。

彼は、住吉大神を生長の家から追放したのであります。

彼には、開祖・谷口雅春先生が何故「住吉本宮」を御造営されたのか、その霊的意義を理解しようと考えたことすらなく、如何にして、「住吉大神」を生長の家から追い出すか、また東京本部会館の「御神像」を偶像崇拝という理由をつけて光明の塔の台座から引き摺り降ろすかを、副総裁就任以来心ひそかにその実行プランを練り上げてきたのであります。

そこで、私たち信徒は、今一度「龍宮住吉本宮」建立の意義について認識を新たにしなければならないのであります。



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■ < 龍宮住吉本宮鎮座祭齋主祝詞 >  齋主 谷口雅春  (P.259〜262)



「・・・かつて本住吉神社の大御前に缼かすことなく朝詣り仕へまつりし頃、大神の御導きをうけ、神催しの隨(まにま)に萬教帰一の廣大の慈門を開きしより五十年・・・人智人力の萬策盡きたる感ありし時、啓示授かり、この廣大なる靈地に、大神御出御の龍宮住吉本宮並びに鎮護国家出龍宮顯齋殿を建て設けむとの神慮(かむはかり)を進め奉り、・・・いまだ人類の状(さま)は、足に藻が搦(から)む如く、唯物思想にとらはれて、罪業の意識も浅からず、物質の法則の鐵壁に圍まれて、自己處罰の潜在意識ミまりて、利己主義、反抗心の衝突は個人から国家の次元に至るまで、重く著く、彌益々に自由を失なひゆくばかりにて、世界至るところで肩摩轂撃衝突(けんまこくげきしょうとつ)の惨事を繰り返す状なれば・・・この危険なる唯物論的世界観、人生観を朝日の前の霜露の如くに、大神の光のコトバの力にて、禊ぎ祓ひ除き給へと希ひ奉り、・・・實相の御心に成る大調和の世界を現実界に持ち来たさんことを期し、大神の御出御、御導きを管(ひたす)ら請ひ祈み奉らくと白す。顧るに、住吉大神を單に鎭守の神、或ひは産土神、或ひは安産の神、或ひは繁栄の神として自己の個人又は一家の福祉のために祀られ來りし實状なれば、いつしか宇宙を浄め給ひて天照大御神の御光を六合に照り輝かす道を開き給う大神の大徳は埋没せしめられ・・・このとき、住吉大神を、かく實相世界の秩序に基いて顯齋し奉る所以は、大神の本来の國家鎮護皇國護持の御使命を完全に發動され給はんことを希ひ、日本國土より、すべての妖雲暗雲を悉く祓ひ清め、天照大御神の御稜威六合に照り徹りて、神武天皇建國の御理想は實現せられ、八紘は一宇となり、萬國の民悉くその御徳を中心に仰ぎ奉りて中心歸一、萬物調和、永久平和の世界を實現せんことを期し奉るがためなり。・・・大神より親授されし神想観といふ幽齋を嚴修し來り、大神の御言のまにまに修行を積みたれども、尚われら現實の力のみにては及ばず、慈に彌々大神の御出御を仰ぎ奉るべき機熟したることを感得し、誠に畏れ多き事なれども、大神の現實界に現はれ給うふべき時を、今迎へたりと覺えぬ。あゝ住吉大神(すみのえのおおかみ)、住吉大神、住吉大神、愈々龍宮の本宮より出御ましまして、大神の御稜威をあらはし給ひ、現し此の世の迷いの雲を祓ひ給ひ、宇宙を浄め給ひ日本國の聖なる實相を顯現せしめ給へ。・・・今此處に龍宮住吉本宮より大神の御出御を伏して仰ぎ迎へ奉る・・・」



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■ 御神体「護国の神剣」について(P.203−207)



<< かくの如くわたしは此の地上にうまれて神功皇后の新羅征伐に神助を与えられた生田神社の稚非女神(わかひるめのかみ)を産土の神として導かれ、住吉大神の稜威(みいつ)の中につちかわれ、・・・その間、稲荷大神の繁栄の神霊の守護を受けて、・・・世界平和はこの萬教帰一の真理によって各民族各宗の教祖達の聖言を引用し、それぞれの経典を真理によって判釈して一致点を明かにすることによって真理は一つ、人類は一つ、世界は一つ、の大事実が示される。これによってのみ人類皆倶の平和親睦は成就する事が出来るのであります。これこそ生長の家出現の大使命なのであります。・・・絶対者にまします大神にとっては神殿は不要であるが、住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた人格神については又別の相対的意義がある・・・神殿に奉斎する御神体は偶像では無いので会って“護国の神剣”をもって御神体とする・・・真と偽を分ち、真なるもの、善なるもの、美なるもののみを顕わし、これに反するものを切り捨てるハタラキが発動しなければ天地は完成しない・・・『視よ、われ一切(すべて)のものを新たにするなり』(「黙示録」第二十一章)、これが“両刃の剣”はたらきであります。・・・新しき天と地とをもち来す住吉の世界を創造する神剣のはたらきである。



 < “最後の審判”についての神示 > 抜粋


「・・・『真理』(われ)来って虚妄(まよい)を審判(さば)き、『光』来って暗黒(やみ)を審判(さば)き、すべての虚妄(まよい)と暗黒(くらき)とを地獄の火に投げ入れてこれを焼き滅ぼす。・・・わが臨(きた)れるは『真』と『偽』と、『実在』と『虚望』とを選り別けて、『偽』と『虚妄』とを永久に非実在(じごく)の中に葬りて封印をほどこさんがためである。>>



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絶版『神の真義とその理解』を読む。――「生長の家大神」・「住吉大神」・「観世音菩薩」の真義についてのマサノブ(自称)総裁の誤れる見解を指摘する。<その五・最終回> (1387)
日時:2013年06月24日 (月) 13時56分
名前:信徒連合

[ X ]  龍宮住吉霊宮建立の意義

(「『谷口雅春生命の實相教学』を私はこのように信解する」伊藤八郎著 P.22〜24)



<< 黄泉(よみ)に留まったままの伊邪那美の大神の怒りを鎮め奉り、宇宙浄化の大神である住吉大神の御権能(おちから)により、黄泉即ち霊界を根本的に光明化せんと谷口雅春先生は伊邪那美の大神を御祭神とする「龍宮住吉霊宮」を建立され、未完成であった『古事記』の神話を完成されたのであった。即ち、「龍宮住吉霊宮落慶鎮座大祭」において、谷口雅春先生は、次の如くに祝詞せられたのである。 >>



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■ < 龍宮住吉霊宮落慶鎮座大祭齋主祝詞 >   齋主 谷口雅春

<<・・・元乱れて影完(まった)からずと謂う、心霊界紊(みだ)れて、現象界はその影なりせば、現象界に顕われている世界の奥にある穏やかならざる「心の世界」即ち畏き伊邪那美大神の「心の炎」を鎮火し奉り、宇宙創造の清浄神聖荘厳なる御神徳を復元し、大神の尊き實相を顕わし揚げ奉りて、黄泉の国と総称する幽界霊界の指導教化の道を明るく平らかならしめ、現(うつ)しこの世の現象世界に顕われきたる諸々の悪しき業、因縁の源を浄化し奉りて、物質文明の秩序を整理し謹みて「古事記」の為さんとして為し終えざりし神業をこの世において完全の相に整えしめ奉らんとして吾等今立ちぬ・・・>>



谷口雅春先生はまた、「龍宮住吉霊宮」建立の意義を次のように説かれるのである。



「現象世界の奥にある霊的模型の世界、つまり、フィルムの書き換えをしようというわけなんですね。そうすると、此の世界の混沌たる戦いやら争いが出ておった元の模型の世界ともいうべき、伊邪那美の神様が暴れておられた霊の世界の状態が浄められ鎮められて、今度は、その鎮まりましたよき世界が現われることになるのであります。これが龍宮住吉霊宮を建立するその目的であります。(『聖使命』昭和五十六年七月一日号)



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<総括>


上記の「龍宮住吉本宮鎮座祭齋主祝詞」及び「龍宮住吉霊宮落慶鎮座大祭齋主祝詞」より、最も重要点を為す章句を抜き出せば、――

@ < 萬教帰一の廣大の慈門を開きしより五十年・・・いまだ人類の状(さま)は、足に藻が搦(から)む如く、唯物思想にとらはれて、罪業の意識も浅からず・・・人智人力の萬策盡きたる感ありし時、啓示授かり、>

A < 顧るに、住吉大神を單に鎭守の神、或ひは産土神、或ひは安産の神、或ひは繁栄の神として自己の個人又は一家の福祉のために祀られ來りし實状なれば、いつしか宇宙を浄め給ひて天照大御神の御光を六合に照り輝かす道を開き給う大神の大徳は埋没せしめられ >

B < このとき、住吉大神を、かく實相世界の秩序に基いて顯齋し奉る所以は、大神の本来の國家鎮護皇國護持の御使命を完全に發動され給はらんことを乞い希ひ、日本國土より、すべての妖雲暗雲を悉く祓ひ清め、>

C < この廣大なる靈地に、大神御出御の龍宮住吉本宮並びに鎮護国家出龍宮顯齋殿を建て設けむとの神慮(かむはかり)を進め奉り >

D < 元乱れて影完(まった)からずと謂う、心霊界紊(みだ)れて、現象界はその影なりせば、・・・幽界霊界の指導教化の道を明るく平らかならしめ、現(うつ)しこの世の現象世界に顕われきたる諸々の悪しき業、因縁の源を浄化し奉り >



斯くの如く、生長の家総本山存在の意義は、「龍宮住吉本宮」と「龍宮住吉霊宮」の建立によって、幽界霊界を浄化し、住吉大神の本来の國家鎮護、皇國護持の御使命を完全に發動され給はらんことを乞い希ひ、日本國土より、すべての妖雲暗雲を悉く祓ひ清め、物質文明の秩序を整理し謹みて「古事記」の為さんとして為し終えざりし神業をこの世において完全の相に整えしめ奉る事にあるのであります。


然るに、三代目のマサノブ(自称)総裁は、上記の「建立の祝詞」の真義を全く理解できず、逆に「生長の家」つぶしと「日本國家」を混乱と衰亡に導いて行くべく暴走を続けているのであります。全く彼は、暗黒霊界の巨大悪霊の支配下(憑依状態)にあるのであります。日本全国および全世界の信徒の皆様に真実の情報を提供し、マサノブ更迭を果たし、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の全相を継承される新総裁の実現に向かってより一層の努力をなし、「正統・生長の家」復活を目指そうではありませんか!! 再合掌






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