生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
ポスティング・ジョイの「sophy」さんへご質問です・・・お答えください。 (1654) |
- 日時:2013年08月01日 (木) 10時15分
名前:元・青年会女子部長
「sophy」さん、はじめまして、貴女さまのポスティング・ジョイへの投稿文を読ませていただきました。同じ「生長の家」信徒として、どうしてもお尋ねしたいことがありましたので、この掲示板で質問させて頂きます。ポスティング・ジュイでは雅宣さんの「反対意見は一切掲載せず」との厳しい検閲が敷かれていますのでこの掲示板でお尋ねさせて頂きます。お目に止まりましたら宜しくお願い申し上げます。
まず、他の閲覧者の方々のために、貴女さまの「投稿文」を掲げさせて頂きます。
///////////////////////////////////////////////////////////
“森の中のオフィス”落慶式⇒「これだったんだ!」
登録日:2013/07/14 10:55 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記 登録者:sophyさん http://postingjoy.com/users/68100228220653/diary/show/142273
“森の中のオフィス”落慶式の中継を見ていて、総裁先生がお言葉を終えられ、振り向いて森に一礼されたとき、私の中に「これだったんだ!」という思いが充満しました。それがどんなことだったのか書いてみます。 1. 私達が置き去りにしてきたものはこれだったんだ! 私たち人類が文明を築き、経済発展をするなかで置き去りにしてきてしまったもの、それがこの、自然に対して敬虔に頭を下げる姿だったんだ、ということ。人類は自然を欲しいまま利用し、自然の驚異を科学技術によって克服しようと躍起になって大事なことを忘れていた。人も自然の一部であるということ。「私達の暮らしのために少し使わせて頂きます」「私達を生かしてくださってありがとうございます」2000年前キリストは人類の罪を一身に引き受けて十字架にかかり、現在の総裁先生は“森の中のオフィス”建設を通して人類を代表して自然に対して敬意を示して下さった。私はそのように感じました。 2.『実相』ってこれだったんだ! いままで私達は「実相の御額を通して宇宙の大生命に礼拝」してきました。落慶式ではその「実相の御額」の奥に深遠なる“森”が広がっていた。宇宙の大生命の地上的ひな形が“森”だった。『実相』そのまま=“森”ではないけれど、いままで茫漠と広がっていた『実相』の一つの具体相が示された感じがしました。 3.総裁先生の仰りたいことはこれだったんだ!
近年総裁先生が繰り返し私たちにご指導して下さっていたことの全てが、総裁先生の一礼の中に込められていた気がして、そのお姿に言葉を超えたご指導、先生の全ての生命に対するゆるぎない愛を感じました。 世界平和、地上天国実現を祈念する「総本山」 顕幽相携えた人類光明化運動の中枢「宇治別格本山」 自然への敬意と感謝を具体的に表す「森の中のオフィス」 この三つの拠点の出現で「生長の家は盤石だ」という思いが強くなりました。
<sophyさんの上記投稿文に対する「コメント」>は――
A.「自分もしっかり学びながら、先生について行きたいです。」
B.「プレオープンももう来週だ! たのしみ(^_^) 」
C.「具体的には四無量心を観ずる祈りですね。よくまとめていただきありがとうございます。総裁先生の英邁さに信徒は感謝あるのみです。
D.「ホント、素晴らしです。私も実相額の奥に神秘的な森が広大に広がってる姿を中継で拝し、 「実相」の二文字か゛浮かんだと同時に、生長の家で説かれている 「神・自然・人間は一体である、大調和している」ということばが浮かびました。 人間は元々自然の一部。 森は現代人間が忘れていたかげがえのないことを教えてくれる。 元々の自然に帰るということですね。天地一切のものが祝福しているような、 何とも言えない感動の落慶式でしたね。プレーオープンが楽しみです。o(>∀<*)o 」
E.「 落慶式の録画が何らかの形で公開されるといいナ、と思います。 見られなかった人も多いでしょうから。プレオープン、私も楽しみです。
F.「私はまだ、ちゃんと、落慶式を見てないのですが、 「2000年前キリストは人類の罪を一身に引き受けて十字架にかかり、 現在の総裁先生は“森の中のオフィス”建設を通して 人類を代表して自然に対して敬意を示して下さった。」 sophyちゃんが、こうとらえて、 なるほどと思ったら、涙が出そうな感動がわいてきました。 雅宣先生、素晴らしいことをされたんですね。 プレオープンに行かせてもらえることが、 ありがたいです。
G.「そーですね、プレオープンがより楽しみになりましたね。 ワクワクo(^-^)o 」
H.「森の中のオフイス落慶式」・・・本当に楽しみに、パソコンの前で いまか、いまかと映像配信を待っていました。 実相額があがり、カーテンが開き、一面のカラス張りから 爽やかな緑の樹々の森が広がり、神秘な森の神々が取り巻いて 護られている喜びでジーンをきましたよ。 そして皆さんが大自然に礼拝されるお姿が神々しくありがたく 拝見しておりました。 大自然参加一斉読誦の時、教本がピンク色っぽく、 厚みがあったので、新しくされたんだな〜と、 私たちもそれを持つことができたらいいな〜と 思っていたら、何とプレオープン見学者は 購入できると・・・ありがたきかな〜。」
I.「インターネット中継、ありがたかったですね。 現地に行けなくても感動が伝わるんですものね。 森の中に居を移してもそこにひきこもるのではなく 先進技術を使って世界中に最新の情報を発していけるって すばらしいですよね。ほんと 茨城県教化部の会館建設にも弾みがつきますね。
J.「難しいことはわからないけど、森に対して敬意を表されいるお姿には、驚きました。sophyさんの言われる「これだったんだ!」の言葉に賛同いたします。 グッドもも押しました! 私たちの教化部も参考になりますね!
///////////////////////////////////////////////////////////
< sophyさんの投稿文と「コメント文」への私の感想 >
@ ご質問させていただく前に私の全体的な感想を述べさせていただきますと、貴女さまがたはお若い信徒さんだと思いますが、何とオメデタイ人たちだなあーと思いました。貴方さま方は『生命の實相』を全巻お読みになりましたか? 真剣に熟読されていたならば、「非・生長の家マサノブ教」は開祖・谷口雅春先生の説かれた「正統・生長の家」の『御教え』とは似ても似つかぬ左翼唯物論である事が気付かれるはずであります。そして、マサノブさんの「森のオフィス」構想がそんなに意義のあるものだとは思えないことも正確にお解かりになったと思うのですが、上記ご投稿・コメント文のようなご感想の程度であれば、同じ生長の家信徒としては大変情なく思うものであります。
A それから、「落慶式ではその「実相の御額」の奥に深遠なる“森”が広がっていた。」その時の感動は凄かったという事を書かれておりますが、これは霊的感動というよりは、左翼系学生の人たちが、現憲法の「平和を愛する人々の善意に依存」しての世界平和を熱望し、「平和」という言葉のヒビキに酔って感動している姿と重なってしまいました。いわば、机上の空想的平和論と同じ類のものだと思いました。
< 「正統・生長の家」教義から見ての誤りについて >
@ < 私たち人間が置き去りにして来たのは、「自然に対する敬虔な気持」> だったと云われ、人類のこの不遜な態度を代表してマサノブさんが自然に敬意を表されたことにものすごく感動したと書かれています。貴女さまは、マサノブさんから今日の地球環境の破壊の原因は人間が自己の利便性と物質的豊富さ、金銭的富の飽くなき追求を為すため自然を破壊した「人間至上主義」が原因だと教えられていますね。然しマサノブさんの「人間至上主義」原因説は考え方は分かり易いように見えますが唯物論的捉え方で非常に底の浅いものであります。マサノブさんは「人間至上主義」の価値観が生じた原因を指摘してはいません。肉体的人間観がその奥にあり、この人間観の間違いが「三界唯心所現」の理に従い、人類社会全体の「人間至上主義」による自然破壊に結びついて行ったのです。宗教の世界での物事の解決は、中間原因(人間至上主義)の除去よりも根本原因(肉体人間観・唯物的世界観)を、教育によって霊的人間観・霊的世界観への人類社会の価値観を変革することを第一としなければなりません。所謂、“観の転換”ですね。マサノブさんは唯物現象的環境破壊を唯物論の世界から唯物的手段を構じて改善しようとしているところに宗教に携わるものとしての根本的マチガイがあります。唯物的手段による解決策は、“行政”で行うべきであり、一宗教団体信者の唯物的手段方法などその効果は大海の一滴ほどの効果もありません。
A マサノブさんはしきりに人間は「自然の一部である」と言っておりますが、これも間違っているのです。人間は自然の一部ではありません。人間は「神の最高の自己実現」であります。人間は神の似姿(ソックリさん)、即ち神様のもち給える萬徳を継承しているのです。自然界の鉱物、植物、動物は神様の全徳の一部だけしか現れていない存在です。< 大自然を見渡せば、鉱物の王国から植物の王国、動物の王国へと「生命」というものが、いずれも次の一段高い王国の到来を予示しているのであります。人類の王国も亦、一層高い王国を予示している。>と『別冊・真理』P16には書かれております。これが生命進化の原理であり、更に< 「生命の下位の王国はすべてその上位の王国に奉仕するようにできている>とP.19に書かれております。これが宇宙創造の原理です。したがって神の最高の自己実現としての人間の王国は、動物・植物・鉱物の王国を支配する権能(ちから)を与えられております。重要なのはこの権能(ちから)の使い方、用い方が問題であり、その正しい使い方、用い方が『大調和の神示』に示されているのです。“調和”とは“和解”であり、“和解”とは“感謝”です。この感謝が“秩序”にしたがって為される時本当の「大調和」の状態が顕れてきます。その秩序(順番)とは、皇恩→先祖と父母→夫または妻→兄弟姉妹→子供・孫等→召使→その他一切の人々→天地の万物(動植物その他)であります。(「大調和の神示」)かくの如き秩序(順番)に従って天地一切のものに感謝するとき、完全な秩序が整った實相世界が顕れてまいります。神様は法則ですから法則に従う事が大切です。
B 貴女さまの『實相』額の礼拝は、「実相の御額を通して宇宙の大生命に礼拝」する事であると書かれておりますが、『實相』額の礼拝の目的には、このほかに重要なことがあります。それは、神社にお祀りされている鏡と同じように、「神の子」としての自分の實相を『實相額』に映して(移入して)礼拝する所謂、「自礼拝」の意義があるのです。この重要な点をお忘れになってはいけないのです。だから、落慶式のときに『實相額』を途中で引揚げたのは間違っているのです。
C 貴女さまは、< いままで茫漠と広がっていた『実相』の一つの具体相(森)が示された感じがしました。>と書かれていますが、『生命の實相』を熟読するならば、この捉えかたは適切ではありません。第一、『實相』とは“茫漠”としたものではありません。『生命の實相』第39巻・第三章<寂光を更にこえて>に書かれておりますように、『實相』とは、極めて具体的、荘厳無比、金剛不壊、至美至妙な無限次元のものであります。「實相の森」とは、タテ・ヨコ・アツミの三次元世界に圧縮縮小された“現象の森”の無限万倍の荘厳無比の輝きを放っている存在なのです。この点から考えますと、落慶式のときの窓外の「森」(雑木林の感あり)に対する合掌礼拝は「原始的自然崇拝教」の観を呈するものであり、世間一般に与える印象としましては、宗教哲学的深さの無いカルト的宗教の印象を与えたといえます。
D 次に、貴女さまは、< 世界平和、地上天国実現を祈念する「総本山」>と書かれておりますが、これは完全な誤りであります。正しくは、< 鎮護国家、日本國實相顕現を通じての世界平和を招来するための宇宙浄化をされる住吉大神を顕祭する「総本山」>と書くべきです。雅宣さんが、「鎮護国家」の言葉を外したのは間違っています。その訳は、開祖・谷口雅春先生が「総本山」を造られて、龍宮住吉本宮と霊宮を建立された時の「祝詞」を読めば分かり、雅宣さんの考えの間違いも分かります。
* 龍宮住吉本宮鎮座祭齋主祝詞
「住吉大神を、かく實相世界の秩序に基いて顯齋し奉る所以は、大神の本来の國家鎮護皇國護持の御使命を完全に發動され給はんことを希ひ、日本國土より、すべての妖雲暗雲を悉く祓ひ清め、天照大御神の御稜威六合に照り徹りて、神武天皇建國の御理想は實現せられ、八紘は一宇となり、萬國の民悉くその御徳を中心に仰ぎ奉りて中心歸一、萬物調和、永久平和の世界を實現せんことを期し奉るがためなり。・・・大神より親授されし神想観といふ幽齋を嚴修し來り、大神の御言のまにまに修行を積みたれども、尚われら現實の力のみにては及ばず、慈に彌々大神の御出御を仰ぎ奉るべき機熟したることを感得し、誠に畏れ多き事なれども、大神の現實界に現はれ給うふべき時を、今迎へたりと覺えぬ。あゝ住吉大神(すみのえのおおかみ)、住吉大神、住吉大神、愈々龍宮の本宮より出御ましまして、大神の御稜威をあらはし給ひ、現し此の世の迷いの雲を祓ひ給ひ、宇宙を浄め給ひ日本國の聖なる實相を顯現せしめ給へ。・・・今此處に龍宮住吉本宮より大神の御出御を伏して仰ぎ迎へ奉る・・・」
* 龍宮住吉霊宮落慶鎮座大祭齋主祝詞
「元乱れて影完(まった)からずと謂う、心霊界紊(みだ)れて、現象界はその影なりせば、現象界に顕われている世界の奥にある穏やかならざる「心の世界」即ち畏き伊邪那美大神の「心の炎」を鎮火し奉り、宇宙創造の清浄神聖荘厳なる御神徳を復元し、大神の尊き實相を顕わし揚げ奉りて、黄泉の国と総称する幽界霊界の指導教化の道を明るく平らかならしめ、現(うつ)しこの世の現象世界に顕われきたる諸々の悪しき業、因縁の源を浄化し奉りて、物質文明の秩序を整理し謹みて「古事記」の為さんとして為し終えざりし神業をこの世において完全の相に整えしめ奉らんとして吾等今立ちぬ・・」
E マサノブさんの「世界平和」論は、国家の存在を嫌悪しています。国家や民族の概念の存在が戦争につながるから、国家意識や民族意識を捨てなければ世界に平和は来ないと考えています。これは開祖・谷口雅春先生が説かれた神武天皇の世界連邦(八紘一宇)思想とは逆の発想で、左翼の人たちの平和論と同じです。マサノブさんは神様が何故この地球上に日本国家を存在せしめ給うたか、については何も分かってはいないのですよ。開祖・谷口雅春先生はこの点について次のように教えて頂いております。――
「その住吉大神が特に日本の国に出現して、日本国をお守りになるのは、日本国のみが、世界の国のうち唯一の真理実現の国家として、永遠に続いている中心(皇位)が存在する処の国家であるからであります。全世界の国のうち唯一つある永遠に続く中心≠持続している国の真理国家・日本のみが神の創造の基本構図に一致する国なのであります。これを潰してしまったら神の創造の基本構図が崩れることになるのであります。だから特に神がこれを守り給うのです。」(『光の泉』昭和38年7月号)
だから、世界平和を招来するためには、“真理国家・日本”の建設、即ち“日本國の實相顕現”が先でそれを押し広げての世界平和であるのですよ。マサノブさんの「鎮護国家」はずしの世界平和の考え方は、左翼学生の平和運動と同じなのです。今回の「落慶式」が“お通夜・お葬式”のようであり、マサノブさんの顔も暗く、出席者の表情も暗かったのは、式場に本当の高揚させる霊的雰囲気がなかった、それは、国旗ナシ・国歌ナシ・『甘露の法雨』ナシ・万歳三唱ナシ・「使命行進曲」大合唱ナシのナイナイ尽しであったからではないでしょうか?
< 「sophy」さんへお尋ねいたします。ご回答くださいませ。>
@ 上の文章で私が述べさせていただいたように、「森のオフィス」落慶式でのマサノブさんは喜びの表情なく、眉間に縦皺を寄せ、暗い表情と受け取った人が多かったことをどう思われますか? また、落慶式全体の雰囲気にも歓びが感じられず、まるでお通夜かお葬式のように感じたとの人もずい分ありますが、いかが思われますか?
A 貴女さまの投稿に対する「コメント」に、「 落慶式の録画が何らかの形で公開されるといいナ、と思います。」とあります。しかし、落慶式後すでに一ヶ月以上経ちますのに、未だ動画として発表されていません。おかしいとは思われませんか?
B マサノブさんは、「神・自然・人間の大調和」を強調しますが、御兄弟を教団から追放したことは「大調和の神示」の内容に逆らった行動とは思われませんか? また、実母の恵美子先生の電話や来客状況を監視カメラで本部の職員がマサノブさんの命令で常時監視しておりますが、このことをどう思われますか?
C 「森のオフィス」10月1日オープンを控えているのに、本部の女子職員の大勢が退職願を出しているとか聞きますが、このことに関してどう思われますか?
D 貴女さまは、「総本山・宇治・森のオフィス」三拠点が出来て、「生長の家」も将来に亘って磐石となったと書かれていますが、「聖使命会員」の大量脱退や上記のような本部女子職員の大量退職、有能な本部職員の退職、さらに教区の連合会長クラスのお役辞退が相次いでいる教勢の急低下の状況でも、生長の家は磐石とお考えでしょうか?
E マサノブさんの「森のオフィス」構想は、“自然との共生”の生活のモデル作りとは言いながらも、実際は、自給自足の原始生活に戻ることではなく、現在の生活レベルを維持しながらの“自然との共生”であるわけですね。自然を破壊して資源を取り出し「人間至上主義」で製造されたもの(太陽光発電設備、電気自動車、衛星通信網、パソコン文明等)をフル活用するわけですから、「他人には手を汚させながら、私は手を汚していません」と言っているのと同じですね。これって、一部のセレブのお金持ちしか出来ない“自然との共生”ではないでしょうか? 下流の末端信徒では絵に描いたお餅ですよ。そうは思われないですか?
F 実際に「森のオフィス」へ行った人の体験が掲示板に書かれていますが、八ヶ岳山麓のリゾート地までは、相当な距離があり、JRも二時間に一本とのこと、CO2の出る自動車では行っては運動方針違反になります。電気自動車は普通の信徒では高嶺の花、また電気自動車で行くにしても電気の充電スタンドもあちこちにあるわけでなく、また「森のオフィス」は各所に監視カメラがあるそうで、信徒なら誰でもいつでも入れるわけではなく“事前許可”がいるそうです。一部で言われていますようにまるで「檻(おり)の中のオフィス」のようです。「森の要塞」でしょうか? マサノブさんは信徒の締め出しを狙っているとしか思えません。やはりマサノブさんの目的は、「生長の家」つぶしでしょうね。そうは思いませんか?
G ジュンコさんは信徒に「都会を捨てなさい。都会は欲望に振り回される所であり、神の子の生活の場には向いていません。」といっております。しかし、「大聖は街に住み、小聖は山に隠れる」というコトバを貴女さまはどう思われますか? マサノブさんは人類の病悩苦の救済を放棄しました。この点でマサノブさんは宗教家とは言えなくなったと思います。“大乗”の教えを完成させられた開祖・谷口雅春先生の『御教え』に背いてマサノブ・ジュンコさんは、最高の『御教え』を、レベルの低い“小乗”の教えへと代えてしまいました。この点に関しては如何ですか?
H 以上のような状況に於いても、貴女さまはいささも心を乱さずに確信をもって、「雅宣先生は素晴らしいことをされている。自分もしっかり学びながら、先生について行きたいです。」と云い続けられますか? 私は、マサノブさんと言う人は、口で「四無量心」を説教しながら、実際の行動は全く逆の“言行不一致”のひとで、最後は「生長の家」を解体、解散させることを目的にしている人としか思えないのですが・・・
以上の点が、「sophy」さんにお尋ねしたいことがらです。インターネットへ投稿された文章は生長の家信徒以外の人たちも見ています。その中には、開祖・谷口雅春先生の偉大な業績を御存知の“識者”の人たちもいます。その人たちが、現在の本部公式サイトの中の「ポスティング・ジョイ」の投稿文を読んで、「あの偉大な谷口雅春先生の『生長の家』も三代目になってここまでレベルが落ちたのか!」と思われるのが残念なのです。だから、現在の女子青年の信徒さんには目覚めて頂きたいと思い長文になりましたが書かせていただきました。貴女さまのお目に止まるよう複数の掲示板に投稿させていただきました。いずれかの掲示板での御返事をお待ち申し上げております。 合掌
-
|
|
「sophy」さんへの“絶賛コメント”の追加to (1665) |
- 日時:2013年08月02日 (金) 15時50分
名前:薔薇の花
「sophy」さんの「落慶式感動」のご投稿は、今の女子青年会員にとってはとてもスバラシイ共感を感じさせるものがあったようで、その他の絶賛コメントもありましたので(元)青年会女子部長さまに代わりご紹介させて頂きます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
K. 「このような感動をストレートに分かち合えるポスジョイ、いいですね。」
L. 「私もまさに「“森”(大自然)が神様だったんだ〜!」と思いましたo(^▽^)o 」
M. 「その場に行くことはできませんでしたが インターネット中継が私達に雄弁に物語ってくれました。 先生が礼拝されるお姿を真横から拝見しました。 カメラは参加された多くの皆さんの視線とは違う角度の画像も伝えてくれたのです。」
N. 「さすが、sophyさん! お待ちしていました。 鋭くて 力強くて 愛に溢れてて☆ 総裁先生のお姿は 神様の愛そのものという感じがしました。
O. 「素晴らしい!感動の投稿です。 わたくしも、森への礼拝はまさに神様への礼拝!と拝見いたしました。」
P. 「とてもわくわくしてきました。 ありがとうございます。」
Q. 「落慶式から一週間が経ちますが ますます深まる感動を みなさんと分かち合いたいと思い投稿しました。 ありがとうございます(^_^) 」
R. 「ジョイを読ませていただいて、実相を生きる喜びが溢れてきました。私は総裁先生の合掌なされる御姿が、大好きなんです。形の奥にある優しさを感じて、涙が出ます。生長の家を信仰できて良かったです。ありがとうございます。」
S. 「落慶式の感動が今も“ジワジワ”きています。」
T. 「 スバラシイ!ご理解。 だと思います。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
わたしからも、「sophy」さんにお尋ねいたします。
@ < 総裁先生のお姿は 神様の愛そのものという感じがしました。>・<私は総裁先生の合掌なされる御姿が、大好きなんです。形の奥にある優しさを感じて、涙が出ます。>とのコメントを読んで、そのような神様の愛そのものの優しさを持つ総裁先生(以下、雅宣さんと呼ばせて頂きます)が、どうして御兄弟を教団から追放したり、お母様の恵美子先生をお山に軟禁状態にされているのでしょうか? 不思議とは思われないのですか? また、大地震に遭遇された時も、信徒の身を按ずるよりも、御自分の身の安全を第一に考えられて行動されたように「小閑雑感」には書かれてもいましたね。どう思われますか?
A <落慶式の感動が今も“ジワジワ”きています。>と書かれていますが、それほど感動された「落慶式」の録画動画が既に一ヶ月以上も経つのにどうして教団側はU・TUBUに載せて全信徒が見れるようにしないのでしょうか? 不思議に感じませんか?
とにかく、「天皇国日本」の素晴らしさ、「日本國實相顕現」が全く説かれていない現在の青年会の皆さん方が、あの雅宣さんを始め、だれの顔にも喜びの表情のなかった「落慶式」をどうして斯くも絶賛されるのか、往時の私たちの青年会時代から見るとまことに理解に苦しみます。失礼な言い方ですが、「雅宣教」はカルト信仰の領域に入ったとしか思えません。是非とも、「sophy」さんからの御返事をお願い致します。
-

|
|