生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (11〜20 ) (1700) |
- 日時:2013年08月07日 (水) 15時12分
名前:信徒連合
『生命の實相』第34巻・道場篇 < はしがき >
「辨道聴き書(べんどうききがき)」は、親鸞聖人の日常の語録を唯円坊が聴き書きして編纂した「歎異抄」に似ている。それは東京赤坂に私の道場があったときに側近者が書きとめて置いてくれたものである。その頃、赤坂の道場には花嫁学校が兼営されていて、私は毎日そこへ講義に行って花嫁学校の生徒への講義を公開していたから、信者も一般の人たちもそれを一緒に傍聴し、講義が終わったあとで、病気のある人や、質問のある人は前へ出て質問したり、相談したりするのに答えていたものである。其の頃には録音器がなかったので、速記者がついていたが、速記のままでは、まとまった文章にならないので、速記を資料として側近にいた人がその当時の道場の様子なども書き込んで、私が、道場で実際に指導している光景を髣髴(ほうふつ)させてくれたのが“道場篇”である。
だからこれを読んで下さるならば、その当時の私の指導ぶりがよく解るのである。その頃は他流試合みたいに問答をしかけてくるひともあったので活気があった。宗教や哲学に関する深い思索についての問答もあるし、病気や家庭の悩みの相談もあった。だから、その光景や問題を描き写した本編は、色々の人生の悩みの解決や病気の解消にも、如何なる心の持ち方で臨めばよいかの参考になると思う。昭和34年4月1日 著者識(しるす)
辨道聴き書(べんどうききがき)<第11回>
<精神異常癒ゆ>
辻幸福(さちお)氏という、これは二十一歳の青年である。「僕は、精神病者でした。こんなによくなりました」と言う。 「精神病?」先生は、意外の面持ちで問い返した。身長五尺八寸あるという堂々たる好青年である。「私の倅ですが」と言って、これも、堂々とした体躯の老人が、その青年の話をひきとった。
その老人の名は、辻五郎氏という。その青年は少年のころから精神病になった。最近は病院に入って、治療しておった。が、『生命の奔流』などを入手して読むと、年来の宿痾(しゅくあ)が治って、こんなに立派になったのだという。
七歳のころに紐にぶらさがって遊んでいて、その紐が切れて、堕ちて後頭部を強打し、それが因になって精神に異常をきたしたのである。平常は変わりないように見える時もあって、そういう時には、よく記憶もあり、理解もいいのだが、一度狂いだすと記憶力も、理解力もなくなって凶暴性を発揮する。教師をなぐって、休学になるというようなことがある。人をナイフで斬りつけて、意識が回復すると知らぬことがある。そのために、その老父は、あらゆる術をつくして回復を図ったが、医者のいうところによると、ちょうど電燈の線の切れたようなものである。それがふと繋がるといい具合に行くが、離れるとまたよくいかないことになる。
後頭部を強打したときに、神経系統の一部分が、ちょうど切れた電球の線のような具合になっているのであるということであった。それ以来、お父さんはいろいろの宗教を遍歴した。日蓮宗も訪ねた。金光教、天理教、「ひとのみち」とあらゆるものを遍歴したが釈然としない。それで、幸福君の精神異常のために辻氏の一家には常に暗い影がつきまとっていた。
ところが、幸福君が、入院中に『生命の奔流』を入手して読むと、だんだんと生命の実相がわかってきた。神経系統の切れたり繋がったりで、精神が異常になったり、平常になったりするものではないということがわかってきた。そんなことに係わりなく完全なのがほんとうの自分であるということが解かってきた。幸福君の精神病は、そうしてなおったのである。
「これで徴兵検査を受けられます」と言って、お父さんは喜んだ。そのお父さんの辻五郎氏は一年前から中風で半身不随になっていた。息子のよくなったのに驚き『生命の實相』を読んで大変よくなったが、理論的には実によく解かるが、それで本当に悟れたかと思うと、なかなかそうはいかないような気がする。ただ一度、神想観をしていると、スーッと身体が冷蔵庫へ這入ったような澄みきった感じになった時、その時以来、半身不随がいつしか消えた。それは、まだ一ヶ月ほど以前のことである。
しかしまだ『生命の實相』というものがほんとうに悟れたかどうだかわからないと言って先生に質していた。
「『生命の實相』は、物質ではない。五官に感じられないものです。それを説明するのだから、ある程度の説明までしかできるものではない。その説明を、ああだの、こうだのと理屈でこねまわしていても、実相はわかるものではないのです。
実相は、実相によってさとるのです。理屈では解からないのが本当です。あなたが澄みきった心になられた、その時が実相を悟ったときです」と、先生はおっしゃった。
<永井さんの話>
そのころ大森支部をやっていられた西森氏が起って次のような話を紹介された。「私の宅の付近に酒屋を開いておられる永井忠助という、六十二歳の方が、今まで神経痛に悩んであらゆる薬を試みられたが効果がないので苦しんでおられたところ、数ヶ月前『生命の實相』を読んでから後、いつか身体のだるさや神経痛が消えてしまったのだそうです。
そこで先日の防空演習には、(注・その頃は戦時であった)ちょうど防護団の救護班長をしておられたので六十二歳の老体にもかかわらず若い人々と一緒になって徹夜で演習に働かれ、おりからの豪雨で下着までびしょ濡れになりながらも、疲労もなくなんともなかった。そればかりでなくその演習中実に不思議な現象が起ったのです。
それはその永井忠助氏が明け方の四時ごろ区役所のアンペラ敷きの上で休息されながら『ぬれた着物を家へでも帰って着換えようかな』と思いつつちょっとウトウトとされたのだそうです。ところが一方同氏のお宅の方では午前五時過ぎ表の雨戸をたたく者があって『開けてくれ』という声は、てっきり御主人の声なので女中さんが起き出て開けられたが誰もいない。その声は確かに二階にいた長男と甥との二人とも聞いて知っていた。
同朝七時ごろ御主人が帰宅されたので『さっきお帰りになってまた何処へおいでになったのですか』と皆が聞くと御主人も怪訝な顔つきで、そんな時に帰ったことはないと言われる。結局御主人の霊魂が帰って来たのであると云う事になり、皆々その事実の神秘さに驚嘆した。永井さんもその体験から熱心に今『生長の家』を各知人に御紹介になっておられます。」
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (12) (1721) |
- 日時:2013年08月10日 (土) 13時52分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき)<第十二回>
<子の病気は親の心の影>
1 京都の三上さんに紹介去れて誌友になられた中村房太郎氏夫妻がそのお孫さんを一人伴れて来られた。お孫さんは鼓膜が破れて耳が遠いということを訴えられたのである。
「鼓膜なんか無くても聞こえるんですから、そんなに傍から心配しなくていいんですよ。聞こえるのにみんなで聞こえない聞こえないというもんだからいけないのだ」と谷口先生は言われて、 「ねえ、よく聞こえるね」と今度はその少年に優しい優しい言葉をかけられた。事実その少年は先生のおっしゃることも、また傍の祖父母の声もよく聞こえるらしく、明晰な声で返事もするのであった。
「これの妹になりますのがまた春ごろ自動車にひかれましてね。六つになるのでございますが、頭を両側から半分ずつも縫うほどの大きな怪我でございましたが、その手術の間中、胸の上で両手を合掌しまして、『もうええか、もうええか』と訊くだけで痛がらずにいました。傍で念じてやっていましたためか手術後も痛がりませず、医者が一ヶ月で治ると言われましたら本当に一ヶ月で治りましたが、怪我とか病人とかはどうしてできるものなのでございましょう?」と、その子の祖母に当たる老婦人は訊くのである。
「幼児の病気とか怪我とかは皆親の心のあらわれであるから、親があまり執り越し苦労したり、尖った心を持ったり、周囲と調和しない心を持ったら、それがいろいろの形をもって子供にあらわれるから、親の心が改まったらいい」と谷口先生は申された。
その老婦人はさらに言葉をついだ。「この子は生まれて三日ばかりガラスの箱の中に入れられて育ちましたせいか、一月ばかり月足らずで生まれたもので、大変良い子ですけれどただ身体が弱いのが------」と言いかけるや先生はその言葉を叩き消すように言われた。
「そんなふうにいうのだからいけないのだ。耳だって聞こえないのではない、よく聞こえているのだ。それを皆で弱いとか聞こえないとか言って言葉や念(こころ)の力でそうしてしまうんですよ。」
そして少年の顔を見つめながら、「もう悪いところはない。お母さん、お父さん、お祖父さん、お祖母さんの言うことをよくききなさいね。ますますよくなりますよ。」同座の者がほろりとするほど、本当に優しく優しく言われたのであった。
「昨年背中に癰(よう)が出てから、また顔中にブツブツができて、不思議でしようがございませんが」と今度は爺さんの方が訊ねる。
「心の中でありがたいという気持ちがなく、ブツブツ言うからでしょう。心の中で言うからそれはわからないがねえ」と谷口先生はおっしゃった。
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (13) (1739) |
- 日時:2013年08月14日 (水) 13時03分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき)<第十三回>
<実相の世界に病気は無い>
その時山本英輔さんの御紹介で井上夫人とその兄さんが先生の近くへ入って来られた。その兄さんになる人が注射薬の中毒で不眠になったことを訴えられたのである。先生はその経過を聞かれてからおっしゃった。
「あなたは、その不眠症が心で怖れているために起ったのではない、わたしは別に不眠症を怖れていなかったと申されますが、それは表面の心ではやはりそう思われるでしょうが、しかし、奥底の心に巻かれてあるネジ、つまり業が巻かれてあって、それがネジの戻る時、目覚まし時計の鈴(りん)がリーンと鳴るように、業もいろいろの形にあらわれて消えるのです。
この業というものは人間ほんらいの姿なる仏の子神の子の実相を悟り、ネジの巻いてない世界に入ると、もうネジも戻るということもないのであります。
この間こんな話をする人がありましてね。その人は鼻が悪くて、コカインを使用するとスーッと通るんです。それがだんだん頻繁になりまして――やらなくてはならないようになって極量の四倍も使うようになったのですが、『生命の實相』を読むようになると、その用量が四分の一になったのです。それでようやく極量まで減ったのが、ある日神想観をして居ると『実相の世界には病気はない。病気がないからコカインというものはない。コカインというものがなければコカイン中毒というものもない』ということを深く思われたのであります。
すると気持ちがスーッとよくなって、それ以来スッカリ全快せられたということでありました。あなたのは中毒ではなく、ただ習慣でそうなっているのですから、すぐなおりますよ」と深切に教えられた。
この時座敷の半ば後方から中年の婦人が声をかけられた。杉並の小山みちさんと言われる。
「私は永年の脚気でずいぶん苦しみましたが朝晩『甘露の法雨』を読んでいましたら、朝など脚を持ち上げることさえ出来なかったひどい脚気がまるで忘れたように治ってしまいました。今では自分の仕事もできるようになりまして本当にありがとうございます。その他に神経痛、胃腸も悪かったのですが、それも皆すっかりよくなりました。まだございます。不眠症でありましたし、近眼でもありました。それもよくなりまして、あそこの木の葉のあいだなどでもここから明るくみえるようになりました。」この人はまったくあらゆる病気が一時に皆よくなったお礼を言っているのである。
「それは結構でした。病は皆同じもとだから、一つよくなれば皆よくなるんですよ」と谷口先生はおっしゃった。
<争う心をやめよ>
谷口先生は一人の婦人に向かって話しだされた。その婦人というのは地代があがらないが請求した方がいいのか、このまま黙って持って来てくれるのを舞った方がよいかという事を訊ねたのだ。
谷口先生は「千葉の人でね、鉱山に関係していたのであるが社員解雇の際、その人も解雇されることになり、その時、口約束で重役から千円ほど貰う約束をされた。ところがそれから一向くれそうもない。口約束の時には弁護士も立ち会っていたのでありますが、その弁護士は会社側の弁護士でどうにもならない。そこでその方の兄さんになられる方が訴訟を起こしましょうかと十日ほど前に相談に来られた。
その時わたしがどう言いましたかと申しますと、『何も証拠になるべきものがない。争う心を起こしたら向こうでもやるまいとと頑張るにちがいない。そうなったら駄目になりましょう。そうしないで心の世界で先方と調和されたらよい。払うべきものをはらわないのは、心のもつれがあって、調和していないのであるから、やるまいと思ったらくれるものではない。会社の金だから一千円ぐらいの金はやろうと思えば楽に出される性質のものだから、神想観をして心の調和をはかられるならばうまく解決するでしょう』と言って帰したのです。ところが昨夜来られていよいよ貰える事になったと言われました。心で調和して、その人をいい人だとお思いになればいいのです。」
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (14) (1766) |
- 日時:2013年08月17日 (土) 08時48分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき)<第十四回>
<真の自尊について>
谷口先生のお話が終わると中村房太郎さんがまた訊ねられた。「私はちょっと人の言った言葉に引っかかり薬もやめていたのに歯が悪くなり、また横腹も痛み、医者にかかっていますが、この横腹の痛むのは血管硬化のためだといいまして激動をさせぬようにということでありました-------」
「激動させるほどよいのです。動かしておれば血管は硬化しない」と谷口先生は心の恐怖を奪うような語調であった。
「じっとしておくから硬化し、動かすと危ないというのですが、始終動かしていたら、硬化はしないのです。横腹の痛いのは、あんたの我の強いということのあらわれで、人を軽蔑する、いわゆる片腹痛いという気持ちがあるからであります。自分はすべての人の僕(しもべ)であるというこころになれば治りますよ。
自尊というのは『生命の実相(本当のすがた)』についての自尊である。仮相(にせもの)についての自尊ということになると、それは迷いの自尊心で、我が強いということになるのであります。
いっさいのものの僕(しもべ)となる打ち砕かれた心というのはキリストがその弟子の足を洗った心であって、それはつまり一番低く謙遜(へりくだ)った時、一番高く上げられる心なのであります。いったん“にせもの”の我を粉々に打ち砕く時、そこから本当に実相が現れて出るのであります。柔らかい心になりなさい。血管も柔らかになり血管硬化ということもないのであります」と先生はおっしゃった。
<子は親の鏡>
また一人の老婦人がその身辺に起った若い人の乱れた恋愛について解決策を相談せられた。
「それは親の心が映っているので、親が自省したらいいのですよ。子は親の鏡ですから、親がそれに似たようなものだと言えますねえ。」
「ところが、その親御さんたちはとても真面目な固い人たちなんですが-----」と老婦人は言うのだった。
「その真面目ということがあぶないのだ」と谷口先生はおっしゃった。
「真面目なふうでも有島武郎さんのような人もありますしね。だいたい表面真面目な人は、思っていることを表面に表わさないで心に握っているものですが心に思ったことはどこかで実行されるものなのです。だから形にあらわれて初めてその心がわかるので、また形にあらわれれば心に思ったことは消えるのです。だから口先で猥談を闘わす人は心が形にあらわれて消えて行くから割合品行方正なものです。
青柳有美という『性』の本ばかりを書く人がありますが、あの人は大変品行のよい人だそうです。それを心の中でじっと握っている人が真面目に見えるわけで本当はそういう人はあぶないのですね。『ネソが事する』というのがそれです。類をもって集まるということは親の心が子にあらわれるということでもありますから、親が『生命の實相』を読めばよろしいのですよ。一人出家すれば九族救われるのであります。」
「本当に先生のおっしゃる通りです。私がそうでした」と一人の中老婦人が自分の夫婦生活のことを長々と話し出した。その話はなかなか尽きなかった。十二時近いころまた別の老婦人が先生のお傍近くへ寄られて次のように言われた。
「私の孫で十二歳になるのと九歳になるのと二人ありますが、上は喘息で苦しみ、下のは鼻が悪くて外国にいました時、鼻の手術をしましたが、わずか三日治ったきりですぐまた悪くなったので、その後日本へ帰りましてから日本大学病院へ四ヶ月も通っていたのです。ところが、ふと『主婦の友』五月号を読みまして―――私はそんな雑誌など見たことはないのですが、その日に限りちゃんと机の上に一冊きり載せてあるのです。
それをなんの気なしにちょっと中をあけて読みますと、先生のことがありました。それで五月初めにお伺いしまして、その孫の両親たちにも読ませようとしましたところ、母親の方は読みましたが父親の方はなかなか読みません。五月十九日軍人会館に御講演がありました時、私と娘(孫の母親)とでその父親を引っ張ってまいりましたところ、その話しをお聴きしました翌日、孫の喘息の悪い子も鼻の悪い子も両方とも、すっかり消えてしまったのでございます。
両親がお話をお聴きしましたら、その子供の病気が消えたのでございます。ありがたいことだと家中御礼申し上げているのでございます。」と感謝せられるのであった。この病気の治られた孫さんたちの名は、福間とよ子、同豊民さんと言われる。
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (15) (1801) |
- 日時:2013年08月22日 (木) 09時55分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき)<第15回>
<姑と調和す>
ある日、生長の家に、太田たけさんという婦人が見えられて、神とともに生きる今日このごろの悦びを包み切れずに語られるのであった。以下、太田さんの言葉を、そのまま借りることにする。
「私には、ただ今六十九歳になる姑(はは)がございますが、真宗に凝り固まっておりまして、他の宗教の話には全然耳を傾けないといったような、万事にかたくなな心の持ち主でありました。
私はこの姑(はは)のもとで、なんとかして調和したいと祈りながら、二十九年の歳月を送ってまいったのです。ふとしたことで生長の家を知らせていただきましてからも、姑は私が『生長の家』誌を読むたびにいやな顔をさえされるのでした。
けれど、いつかはきっとこの真心がわかっていただけると信じまして、私はまず自分自身を救うために一所懸命『生長の家』誌を拝読しました。
ある日、『甘露の法雨』を誦んでおりますと、平常(ふだん)は見向きもしないはずの姑が、どうしたことか私の後ろにキチンと座って、頭を垂れて聴いているのです。
それからというものは、まるで別人のようになられまして、今までは自分のこと以外には何一つしたことのない方でしたのに、なにかと優しく私のことまでしてくださるようになりました。
そればかりでなく、私が生長の家に伺いたいと思う場合など、ニコニコしながら、『サアサアゆっくり行っておいで』と言ってくれるほどになりましたのです。本当にありがとうございました。」
黙ってうなずきながら聴いて折られた谷口先生は、心から嬉しさのあまり低頭する太田さんを、愛深い眼光(まなざし)で眺められながら
「それはようございましたねえ」と、これも謙遜に頭を下げられたのだった。
〇 「あのう、それから------」こう言葉を継ぎ足してから太田さんは、「姑が五、六年前から神経痛を患って以来、腰が曲がってしまわれたので、なんとかして治してあげたいと思っていますが、いったいどうしたら良いでしょうか?」と、質問された。谷口先生は即座にお答えになった。
「お姑さんの頑固に痛む心は治っているのですから、『甘露の法雨』を誦んでおあげになり『サア、もうこれでお腰は伸びますよ!』と力強くいってあげれば、言(ことば)は創造主(かみ)ですから、言(ことば)の力でお姑さんの腰は直に伸びやすよ。誰の背後(うしろ)にも、實相はいつも輝いているのですからねえ」
<すでに実相は実相と相触れている>
「先生」と、このとき後ろの方から太い男の声がした。 「『甘露の法雨』を各国語に翻訳していただけないでしょうか?今まで、われわれが異国の方たちから受けた恩恵はかなりに深いものですから、今度はその御恩返しとして、この尊い生長の家のおしえを異国人の諸霊に差し上げたいのですが。」
谷口先生は静かにおっしゃった。
「それは翻訳(やく)しても翻訳(やく)さないでもよろしい。実相の世界で相触れるものは、言語ではなくして念波なのですから――だからもし、私たちが神という思念を送ったならば、外国人の霊魂には、それはGOD(ゴッド)と響くのです。」
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (16) (1851) |
- 日時:2013年08月27日 (火) 09時55分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき)<第十六回>
<生長の家に年齢はない>
「『環境は心の内にあり』ということについて」―――という切り出しで、大橋さんはこんな微笑ましい話しをされた。だいたいを記(しる)すと―――
大橋さんにはお子さんがないので、子供が電車の中なんかで泥靴をビシャビシャさせているのを見ると、しみじみと子供は暴君だと思われるのであった。そして大橋さんが、心に子供を憎悪する念、排斥する念を持っていられる間は、子供の方でも大橋さんに近づき、懐(なつ)いて来ようともしなかった。
ところが、ある日、月光殿の誌友会に出席された時、谷口先生のお話の後で野村義隆講師が「生長の家には歳(とし)はありませんよう!わたしは赤ん坊なんですよう!」と叫ばれた瞬間、大橋さんの冷たく閉ざされていた魂の扉は静かにひらかれて、長い間忘れていた感激が滾々(こんこん)として溢れ出て来るのだった。
「自分は今まで子供と大人を区別して、子供をいやな存在だと思っていたけれど、実は自分も赤ん坊なんだ。子供なんだ。そして皆一体の神の子なんだ。天地一切のものと仲良く手をつないで朗らかに楽しく歌う姿――これこそ、本当の人生なんだ。」
魂の底からすっかり甦(よみがえ)られた大橋さんが、非常に愉快な気分でお宅に帰られると、いつもは来たことのない近所の子供が遊びに来てお菓子を食べたりして遊んで行った。その翌日は今度は大勢の仲間を引っ張ってきて、またお菓子を食べたり本を読んだりして遊んで帰った。
「それからというものは、『オジサン!オジサン』と、すっかり子供らの良い遊び相手になっていまいましたよ」と、「環境は心の内にある」という尊い体験を語り終えられた大橋さんは、まるで子供のように朗らかに笑われるのであった。
<病気は認めては治らぬ>
松本太郎さんという人がある。お子さんが扁桃腺を腫らして、そのためか学校の成績があまり良くないので、親として不憫でならない。なんとかしてなおしてやりたいと思っているが、こんな幼さな子供に手術をするのは可哀相であると思って躊躇しておられた。
こうしている内に、奥さんが五月号の『主婦の友』で生長の家の記事をご覧になり、心ひかれてご主人に話されたので、松本さんも共鳴されてさっそく生長の家の誌友となられた。松本さんは機械設計家でほとんどお暇がないので、朝晩わずか二、三ページくらいしか読みきかすことができないが、それでも熱心にわが子の病気が治るようにと思念されつつ読み続けておられた。
そのうちに夏休みが来たのだった。 「子供も今は夏休みですので、この機会にすっかり扁桃腺を治してやりたいのですが、本を読んでさえおれば治りますでしょうか?」
松本さんは最後にこう谷口先生にお訊ききになった。先生はこうおっしゃった。
「あなたが本を読んでもお子さんの扁桃腺が小さくならないのは、あなたが扁桃腺で苦しんでいるお子さんの姿をほんとの姿だと認めて、それを、治そう治そうとあせっていられるからですよ。治すも治さぬもないではありまえんか。病気は本来ないのですから、本来ない扁桃腺炎をあなたが勝手にあると設計して、へんとうせん、へんとうせん!と扁桃腺炎ばかりに捉われているから、その心が反映していつまでもお子さんの扁桃腺が腫れているのです。腫れていてもいいではありませんか。
だいたい医学的にいっても、扁桃腺は外菌の侵入を防ぐ第一の関門なのですから、もし菌が入り込もうとすれば、それを撃滅するために白血球や赤血球が動因されてきて、そのために扁桃腺が腫れるのです。だからそれが腫れることによって、われわれは『生命』という内からの力が外菌と闘いつつあることを知らなければならないのです。それを切ったりする必要はないのです。放っておいてもやがては勝つことにきまっているのですから。
あなたも今日から家の子は扁桃腺炎だなんて考えを捨てなさい。そして完全円満なる神の子の実相を観るようにすれば、そんな不完全な姿なんていつの間にか消えてしまいますよ。」
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (17) (1916) |
- 日時:2013年09月03日 (火) 09時22分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき) <第17回>
<痛みはありがたいと思え>
胃が悪いという婦人が谷口先生にお尋ねした。 「先生、わたくし胃が痛み出すたびに、前に食べたものが気になって、あのお菜が悪かったんじゃないか、あの飲み物がいけなかったんじゃないか、なんてくよくよと思い出すんですの。痛み出すと堪(たま)らないんですけど、この場合どうしたらよいんでしょうか――?」
「痛みが出るときは、ああありがたいと思いなさいそれは過去に蓄積された業が消滅する姿なんですからねえ。貯金をすればやがていつか利子の払われる日が来るでしょう。 その時また貯金をすれば、また払われる日が来るのです。それと同じように業を貯蓄すれば、いつの日かその払い戻しを受ける日が必ず来るのですから、(それが悪業だとしたら、痛みや苦しみの姿であらわれる)払い戻しを受けたら、もうこれで自分の業は精算されたのだと思って、それ以上業を積まないようにすれば、胃の痛みなんかじきに治ってしまいますよ。」
<いっさいを受け容れる心が大切>
「私は何を食べてもまずくて食べられないのですが」とある男の方が谷口先生に訴えられた。
谷口先生はおっしゃった。 「どの食物を食べても皆まずいというのは、あなたに、すべての人の好意を受け容れる気持ちがないからなんです。なんでも味わえる心になれば、自然と食物がおいしくなってくるんですよ。よく匂いが解からないという人があるが、匂いの場合だって同じなのです。」
<癲癇(てんかん)の治った話>
菱谷義男さんは、十六歳のときから十余年間癲癇様の倒れる病気で悩んでおられたのだった。昭和十年二月から誌友になって『生命の實相』『甘露の法雨』の読誦を励んでおられたところ、七月十三日の夜絶息して、脈拍も呼吸も絶えてしまわれること二時間にして再び蘇生され、爾来急転、癲癇症状がなくなるという不思議な出来事がおこったのであった。
なんでもその少し以前から風邪を引いたような状態で咳が激しく出て、そのたびごとに胸や腹がむしられるように痛み、あまりの苦しさにどうにでもなれ、もう死んでもよいと考えるようになった。その後肉体の苦痛は増すばかりで、同時に死にたいと思う心はつのるばかりであった。
かような状態であったおりから絶息状態になられ、家人は医者やら注射やら大騒ぎされたところ、幸いにも蘇生され、それ以来不思議にずんずんと快くなり、まるで別人のようになり、もう起きて自宅ではなんでも出来るようになったとお母さんが来られて話された。
お母さんはさらに義男氏自筆の手紙を先生のお手許に差し出された。先生は一同の前でこの手紙をお読みくださった。最初は以上の如き病状を述べて、その後に「------しかし後になって私にはそれが注射のために回復したとはちょっとも思われず、かえって生に執着が無くなったために蘇生したのだと思われました。そしてご本を読んだ時、ああこれだと気がつきました。『苦しみを戯れに化する時、人生は光明化する』とのことです。その時はもう腹の痛いのも、どこの痛いのも無く、心は軽く楽々と毎日を過ごすことができ、もう以前の私のいやな所、けがれた所がまったく無く、新しい清い私であるかのように思われ、身体はなく、ただ心ばかりになってしまいました。力のつき次第、お礼に参りたいと思っておりましたが、あまり嬉しいので私の気持ちを書かせていただきました」とあった。
先生は読み終わられて、「なかなか良い手紙ですね」とおっしゃって、「これは悪霊がその時逃げたのです。やはり『甘露の法雨』の功徳です。悪霊が逃げるとき死ぬことがよくあるのですが、神が護っているので死なずに蘇ることができたわけですね。それで今度本当の自分に生まれ変わって来たんですよ」とお話しになった。
菱谷さんのお母さんは、「義男は生き蘇って目が覚めた時は舌が厚くなったように咽喉も硬ばり、ものを呑み込むことも、声をだすことも出来なかったのでございます。しかしその後は以前には痩せるばかりでありました身体が、一時間ごとに肥ってゆくようで力がついたと申しております」と言われた。
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (18 ) (1949) |
- 日時:2013年09月07日 (土) 07時41分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき) <第18回>
<父母未生前の本来の面目悟る>
上品な五十六、七歳の一婦人が先生にお礼申し上げた。
「先生、私、今度実相を悟らせていただきました。キリストも『アブラハムの生まれぬ以前(さき)より我は有るなり』と言っていますし、仏教でも『本来の面目』と申すようでございますし、生長の家でも『肉体無し』と言われています。何を目指してこういうのか長い間わかりませんで、どうにかして知りたいと思っていました。
ところがこの前先生のところに伺わせていただきました折に、お庭の紫陽花(あじさい)が大変に綺麗に咲いていましたので、なんと美しいのだろうと心を打たれました。
それから自宅へ帰りまして家の庭を歩きたくなりましたので歩き回っていますと思いがけなくもさっき先生のお庭で拝見したのと同じ紫陽花が咲いていました。
その花を見ていますと花の生命というものが感じられてきまして、その生命の感じが広がって、生命より他に何にも感じられなくなりました。
そして自分と花の生命とは一つで、自分がすべての生命と一つになりきった深い深い感じになりました。天地間何物も無く、あるものは生命だけだという実感でございます。
私はこれが先生の教えてくださる『生命の実相』だと悟りました。それがありましてから、朝太陽の光を見ましてもその生命が感じられますし、常住坐臥に何を見てもその満ちている生命を見わけるようになりました。本当にありがとうございます。
< 『甘露の法雨』で癒ゆ>
斉藤今子さんの話――
「私は昨年五月住吉から先生が御上京くださいまして浅草の富士小学校で御講演くださいました折から『生命の實相』を読ましていただくようになりました。
その六月古いお友達が腎臓炎で困っているということを聞きましたので、さっそく生長の家のパンフレットを送ってあげました。
その後どうなったのかと思って打ち過ぎていましたところ、つい先日久しぶりに手紙をくださいまして、あなたに神さまのお話が聞きたくなりましたから、お暇がおありでしたら来ていただきたいと申してまいりました。それも御自身は手が震えるので、とても筆を執ることが出来ないといわれて代筆でありました。
それでさっそく参ってあげようと思ったのでございますが、ちょうど用事がございましたのでお手紙をまず書くことにいたしました。
そして『あなたには前から生長の家のパンフレットを送ってありますので、お読みになっていられるなら、真理が分かっているはずです。分かっていればもう治っているはずです。あなたはもっと病気が悪くなりやしないかと取り越し苦労をなさっているでしょう。あなたは神の子ですよ。そして肉体は無いのです。ですから病気のしようがないのです。もう床をおあげなさい』と自分でも不思議なほど強い言葉が自然と書かれてくるのでした。
それと『甘露の法雨』を仏壇で読誦(あげ)なさいと申してそのパンフレットも送ってあげました。その後しばらくして見舞ってあげますと、襷(たすき)がけでその病人が働いているのです。
『お手紙によりまして、一心に御本を読むようになりましてから、さしもの病気がおかしいほど快くなってまいりました。ただ今もお使いに行って帰ってきたところなのです。こんなに丈夫になりました。あなたにも喜んでいただきたいのです。そして谷口先生にもお会いしてお礼申し上げたいと存じています』と喜んでいました。私からも厚くお礼申し上げます。」
< 夫は青空、妻は春風>
鳥取県淀江町支部の西尾荘平氏は御用事を兼ねて東京誌友会に出られた。そして東京の誌友の方々が自覚に満ちていること、それだけ教えが徹底しているとの感想を述べられた後で御自身の「生長の家」に入られてからの体験を話された。
「私は『生命の實相』を拝読するようになってから『言葉は神なり』との教えをしみじみ味わいました。そしてただ今では家庭においても常に『夫は青空、妻は春風、息子はひばり』と言葉に出して毎日実行しております。
それ以来まったく光明の家庭になりました。その雰囲気を学んで御家庭を光明化された知人も数多くございます。」
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (19) (1988) |
- 日時:2013年09月12日 (木) 14時20分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき) <第19回>
<敗血症の治った話>
古田小作さんの奥さんはまだ先生が道場へおいでにならない前から、大変感激した語調で近くの同信者へいろいろの喜びを話していられたが、先生がおいでになると、この奥さんはすぐ先生に申し上げるのであった。
「お蔭様であの敗血症の子供――十歳になるのでございますが、四十度三分もありました熱がたちまち平熱になりそれからもう少しも上がらなくなりましたので、医者もひどくびっくりしまして、『これは実に不思議だ、どうもわけがわからない、慶応病院でしっかり血液検査してみましょう』というようなわけで、そのお子さんが危ないというので満州から帰られた大満州ビールの重役をしていられるお父さんも、もう近々また満州へ戻られることになりました。
普通だったら半年も入院しなければならない病気だそうでございますが、今月中でもう退院できるのだそうでございます。この大満州ビール会社の支配人をしている鈴木さんという方のお坊ちゃんについてまだ面白いお話がございます。
お坊ちゃんは尋常四年生ですが、絵が下手で幼稚園の子供より下手なのでありました。それが親が『生長の家』へ入られましてから、たちまち上手になられましたということで、ある日学校からそのお坊ちゃまが帰って来て、『お父さん、僕も図画に甲をとったよ』といわれるのです。『そうそれはよかったね、どれ見せてごらん』と内心びっくりして答えられたのです。
『それは今日先生が貼り出してくれたからそれがすんで先生からいただいたらみせますよ』ということでありました。それから一週間たつとまた今度は甲上をとり、それも貼り出しになったとのことで、その絵は初めのうちの幼稚園の生徒よりも下手なのと、最近上手になられたのと三つ会社に貼ってあるそうでして、その会社に勤めているわたしの子供も不思議なことだと驚いているしだいであります。
この大満州ビール会社の幹部の人に山田さんと申す方がありまして、その方は腎臓と心臓とが悪くて入院せられました。入院して三日目に『生命の實相』を読まれ、それで心機一転してすぐ退院し、四日目には元気で会社へでられたのであります。それで社員もびっくりして『重病と聞いていましたのにいったいどうなさったのですか?』と訊くと『わしはもう生長の家の教えに入ったのだから病は無い』と云ってピンピンしていられるそうです。
そんな風に皆様がお蔭を頂いていられますのに、宅の主人だけはまだどうも胃がよくなりませず、食欲が出ない出ないと申しているのでございます。お蔭様で薬をやめましてからは、リューマチの方は治りましたのでございますが、胃のほうはまだそんなふうでございます-------」
「ご主人がそんなに食欲がないないと言われるのがいけないのです。人間は肉体でないから食べなくてもよいということがおわかりになれば、すぐよくなってくるのですよ」と先生はお答えになった。
<脊髄と湿疹が治る>
次に小竹中さんが生長の家に入信して以来、自己が他人に及ぼした治病の体験談を話さるべく立ち上がられた。
「人間の身体というものは、まるで飴ん棒を引き伸ばしたりなんかするように、自由自在になるものであるということを私は最近の体験によって悟りました。私は最近十一歳になる子供さんの夏でもほとんど苦しみ続けているような喘息を人間本来病気無しの話をすることによってすっかり治してしまったのであります。
「またこれは大変ひどい病気なんですが、脊髄が悪くてもう一年以上寝ていたのであります。十九歳になる青年なんですが、まるでこんな鶏が丸まったように丸っこく屈(まがっ)てしまって、それに女中が二人付き切りになっているのでありました。医者もこれはとうてい治らぬと見離してしまったので、そのお母さんになる人も心配のあまり神経衰弱になってしまっていたのであります。
この人に私が『生命の實相』を読んで聞かせたり話をしています間に、だんだん快くなってきたのであります。そのうちに、今までつけることのできなかった踵を下につけられるようになりましたが、それだけでも大変喜んでいられましたが、昨日はついに私の家で足踏みをされるほどになったのであります。足踏みが出来れば、もう歩いて帰れると申しましたら本当に一年半ぶりで歩いて帰られたのであります。
三週間前に初めて私が会いました時には、三歩ばかり歩むのに脂汗をかいてもがいたような人なんですが、昨日はもう女中二人はあとからついて行くありさまでありました。私の考えますのに、心配している人ほど病多くまた重いようであります。
次にこれは私自身のことを御参考のために申し上げます。これは実に恥ずかしいことでありますので今まで言わないでいたことでありますが、私の子供が湿疹にかかりまして、それが私にも伝染(うつ)ったのであります。『生命の實相』にも開巻第一に『汝ら天地一切のものと和解せよ』とありまして、私もこの湿疹の黴菌に和解することを考えたのであります。
そこで私は仏壇の前に座りまして次のように祈りまして黴菌と和解したのであります。『汝黴菌よ。君も生物である。そこで君もこの世に永らえて生きたい。そして子孫を繁殖したいであろう。僕も生物である。僕も大いに活動して世の中のお役に立ちたい。君の心と僕の心とはある点で一致している。君が僕の体内で繁殖しては僕の活動に非常に支障をきたして困る。君の活動の天地は僕の体内意外に宇宙にいくらでもある。どうか僕の体から早く抜け出て、広い天地のどこかで大いに活動してくれないか』(同座の一同笑う)
皆様がお笑いになりますが、本当に私はそう言いました。そして本当に純な心で和解しましたとき湿疹はいつしか快くなってしまったのであります。湿疹の黴菌は宇宙のどこかに人間を犯さずに調和した相で繁殖していることと思います。」 小竹中氏のお話には先生も手を拍って笑われた。
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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (20) (2033) |
- 日時:2013年09月18日 (水) 13時51分
名前:信徒連合
辨道聴き書(べんどうききがき)<第二十回>
<顔一面の慢性腫れ物が治る>
古田小作さんの奥さんが紹介して同伴して来られた五十五、六歳の婦人があった。この婦人がはじめてお山へ(先生のお宅は宮崎氏の茶室で山の上にあるので以前から山の家と呼ばれているのを、近ごろは誌友は「お山」と呼ぶのである)来られた時には大きな慢性腫れ物が顔中にブツブツと出ていたのである。
その婦人が次のごとくに話しだされた。「私は十六日から伺わせてもらっているのであります。生まれつきたいへん我の強い方で、白いものを見せられても黒いと言い出したら向こう向いても黒い黒いと言うほどの人間なのでございます。
私の家は養子でありまして、娘も赤ん坊の時から育てた子で実子ではないのであります。それで今までは養子が勤め先から帰って『ただ今』と申しますと口先だけでは『ハイお帰り』とはいいますが、心の中では『帰ったって帰らなくたっていいんだ』というような心でいたのであります。
ところがこちらさまで『生命の實相』を教えていただきましてからはまったく貪るように読みまして、それで心がすっかり変わってしまったのであります。
すると不思議にも養子夫婦の態度もすっかりその日から変わりまして、今までになく養子が傍(そば)に寄って来て打ちとけて話をしたりするかと思いますと、また娘は娘でまるで変わりまして、今までは私がエンコしていて、あれ持って来い、これ持って来いと言いますと、娘も今は何々をしているからとかなんとか言って逆らっていましたが、もう私も自分で雑巾がけをどんどんいたしますし、すると娘は『お母さんにそんなことをしていただいては-------そんなことは私がいたしますから』と勿体ながり、私も、なに、運動になって御飯がおいしくいただけるからと云うようなありさまで、もうまったく家の中が春のように一変してしまいました。
この撚(よ)りが戻らないようにと念じているしだいでありますが、私はまた眼が悪くてもう治らないと言われていまして駿河台の中村眼科にも長い間通い、また秩父の野上というお灸もやってみ、中野の方にもよい灸があるというので、それも試みまして、薬という薬はもうほとんど試みました。
が、その薬も不要になりまして、先だっても広島から薬が来ましたが私がそれを打っ棄ってしまいなさいと申しますと、娘がせっかく遠方まで金を送って取り寄せたものをと申しますので、『私の眼はもう薬などに頼らなくても治っているのだ。三円でお母さんの病気を買ってしまってもいいの』と申したくらいであります。」
「それはね」と先生はおっしゃった。「結局あなたの心の眼が開けたということなんですよ。あなたの眼がよくなったのは薬をやめたからではないのです。心の眼が開けたからなのですよ」
その婦人はますます感激の面持ちでなお語り続けた。「私は我の強い女でしたから姉妹としても三十年間も許さなかった姉がいるのです。ところがすっかり心がかわりましたので、四日ばかりあと一番暑い日でありました。
自分から和解しなければいけないと思い私は吉祥寺の姉の家へ出掛けまして、他の同胞(きょうだい)も招んでもらいまして、十六日からのことをよく話しまして、本当にありがたい生長の家の話を致しましたのでございます。
すると姉たちも大変喜んでくれまして、何を貰うよりも一番よい話を聞かせてもらってこんな嬉しいことはない、と申すのでございます。
お蔭様で顔一面金平糖(こんぺいとう)のようになっていた腫れ物も、こんなに引いてしまいましてありがとうございました」とこの婦人の声は涙にうるんでいるのであった。
「吉祥寺にもう一つ縁のある話がございます。」と滝内秀綱さんが語りはじめられた。滝内さんは神学校を出て牧師をしていられたが、中途ですっかり懐疑的になられて牧師もやめ指圧療法をしていられた方で、最近生長の家に入られるや指圧もいらないで、真理の話をしたり『甘露の法雨』を読んで聞かすだけで、続々と他人の病気が指圧療法時代よりも一層速やかに治るのだそうである。
<慢性下痢が治る>
ここにいる学生さんは木元さんと申して商大の大学部へ行っていられる方であります。二ヶ月ばかり前から下痢が止まらないでいますので、この方は長男ですから親御さんが希望の全部をこの人にかけられているのです。それで大変心配せられて私のところへ伴れて来られた。
見ると指圧療法だけでもなおるが、生長の家の信仰をもってすればたちまち治ると思いまして土曜日から私のところへ預かることにしました。
私のところへ来られるや私は今までのお粥と野菜を心配しいしい食べられるのをまるで変えまして、なんでも豊富にうんと食べなさいと存分に食べさせました。
それで木元さんは私のところへ来てはじめて腹一杯食べたと、大変愉快になられ、また日曜日には護国寺で皆さんの尊い体験談を聞かれて一層信念を強められたのであります。
不思議なことに私の家へ来られた日、『生命の實相』を読んでいられたら、腹がゴロゴロなりだしてそれから良便が出るようになり、親御さんが夏休み中二月も預かって治してくれと頼まれたほどの病気がわずか三、四日で治ってこんなに元気になられたのであります。木元さんは九月の新学期には商大でできるだけこの話をしたいと言っていられます。」
本人の木元さんは始終滝内さんのかたわらでニコニコ頷いていられました。滝内さんは話し続けられた。――
「この木元久さんは熱心なクリスチャンでありますが、教会へ行くたびにその帰りには不快な重苦しい気持ちになって帰る。それはどういうわけかといいますと、教会では口癖のように『汝ら罪人よ罪人よ』と罪人であることを強調されるので、それですっかり罪人にされて、憂鬱になって帰るのでありましたが、『生長の家』を読みすっかり明るい気持ちになられました。
私は以前、教会にも関係しお話もしたことのある関係から、よく教会で話をしてくれと云われますが、私は罪に対する考えが生長の家の御教えですっかり変わりましたので、私の今の考えはこれこれである、だからこういう話でよければ-------ともうしますと、牧師は大変苦い顔をして、『とんだ悪魔に魅入られたものだね』と驚いてしまうのであります。」
それからさらに重病の肺結核の女店員、また心臓病の婦人を治された話、また悪念波に満ちていた友人の貸家を木元青年と二人で神想観で浄めたら、翌朝すぐ大変よい借家人ができた話などをせられた。
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