生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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シーズン5 今夏の猛暑で“理性”を失ったマサノブ君! (1833) |
- 日時:2013年08月25日 (日) 12時55分
名前:公平なる観察者
最高裁判決での完全敗北、鎮護国家の放棄、御神像の美術展化、「森のオフィス」お通夜・落慶式の不評判、アザラシの亡霊の様な不気味な「慰霊供養塔」、全国的に広がり始めた「白鳩誌友会」の消滅事態・・・とうとうマサノブ君の運の尽きが次々と顕在化して来ております。マサノブ・NO!、NO!、NO!、と言う信徒が全国的に広がり、今年の宇治大祭の参拝者も例年に比べ、比較にならぬほど少なかったらしいです(私の知人信徒さんの話)。現教団のこの様な異常事態を心で感じ取ってか宇治でのマサノブ君の顔色は真っ青だったと掲示板でも書かれていました。
しかし彼は、人一倍の驕慢さ、自己顕示欲、横車押之介でありますので、なかなか常人のようにはへこたれず、「森のオフィス」には本格的筋力トレーニング器械を導入し総裁延命のため喧嘩に強くなろうとしているのであります。しかし、ブログ「枯れ松模様」には、流石の彼も執筆する勇気は失せたようであり、その分、手軽にかける“総裁フェースブック”に自分の最近の顔の異常な拡大写真(自己顕示欲の発露!)を載せたり、総裁直轄の「トキ掲示板」で次々と投稿者名を変えながら、何ともならぬ毎日つのるウップンの感情を吐露し続けるのであります。かと言っても以前の「初心者」時代の様な難解な哲学論争に引き込む気力は失せ、せいぜい荒っぽい言葉で相手に積もるウップンをぶちまけ、しかも誤字が多く、文脈も乱れ、主語述語の明確でない理解に苦しむ文章となっているのであります。マサノブ君はこのハンドルネームは自分ではないと言い張りますが、掲示板の当初よりの経緯を知る者にとっては、いかに名前を変えようともたちまちその正体がマサノブ君である事が解るのであります。今回もまた、「猛暑まっさかり」という名前に変えて登場してきているのであります。
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本流対策室/5
2429 :猛暑まっさかり。。。ぐったり:2013/08/24(土) 18:34:59 ID:pGjhF6ys
夏パテで、食欲も落ち切ったので、名前変えました(夏から秋へは、取られちゃったし!) >>だから、マサノブ君が 他のご兄弟達 に、「私は総裁を辞退するので、あとを頼む」・・と言えばいいのです。<< は、全然わかっていないので、脱力しますが、学ぶ会は、本来は『雅春先生の正しい御教えを忠実に学び継承し、広く普及伝達する』立教の原点に立って光明化運動を推進展開し、「本流の復活・天皇国日本の実相顕現」を目指す。が、もともとの理念ですよね? @雅春先生の御教えに背を向けている(教えに対して背教している)のは、誰ですか? という視点から見れば、少なくとも、学ぶ会や他の本流の方たちの一部も、誹りを逃れる訳にもいかない。なぜ、学ぶ会や本流の一部は、政治がを公園に呼んだり、後援会に行ったり、掲示板上でも「憲法改正」や「中絶反対」の政治的主張を出してくるのか。これが、雅春尊師の御悲願と受け止めているからでしょう? 個人の生命体の外縁が国家であるとするならば、なぜ政治活動から撤退したかの反省と、理解が無ければないはずなのに、『真理・救済に戻れ』と連呼する。『真理・救済に戻る』これは、当然のこととして、だからと言って、「教団が政治活動に関与することを是とする」のは、違いますよね? 『真理に戻れ』と言いつつ、言っていることは、御教えに反して、「雅宣先生の時代に戻せ」と言っているに等しく、雅宣先生は、いいスケートコートになったけど、清超先生の問題はクリア出来ないまま、アンチマサノブで信徒を攪乱し、、数の力で転覆を試みるなど、覇道以下の、卑怯な詐術と言うものです。こんなことをしたら、雅春先生どころか、太陽にさえ顔を向けられない人生だと思いますよ。(わかる人だけ、理解して下さい) 和解は、ごく一部の総裁先生と本流の幹部達だけのものではなく、一般信徒同士も務める課題だと思っています。私も、祈り、精進したいと思います。
2433 :猛暑まっさかり。。。ぐったり:2013/08/24(土) 20:15:05 ID:1IWtIE0I 私は、敬神数祖の原点に戻らない限り、この国の再生は不可能と信じていて、それも近いと確信していますよ。間もなく、原点に戻る ことを、確信している、ということです。おやすみなさい♪
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<講評>
@ マサノブ君など足許にも及ばぬ異才「トンチンカン」氏の、<マサノブ君が 他のご兄弟達 に、「私は総裁を辞退するので、あとを頼む」・・と言えばいいのです。>に対して、「猛暑まっさかり」氏は直ちに反応しました。一番の反論できない急所を突かれたからであります。そして<全然解ってない>といっていますが、どういう点が全然わかってないのかの指摘がありません。閲覧者のことなど考えず自己中心で書いた文章であります。この様な反応振りと書き方から考えても「猛暑まっさかり=マサノブ」君と思われても仕方ないのであります。
A 「猛暑まっさかり」氏が、本当にマサノブ君でないならば、現教団の混乱を収拾する最大の解決策は、混乱を招来した元凶のマサノブ君が< 他のご兄弟達に、「私は総裁を辞退するので、あとを頼む」・・と言えばいいのです。>という収拾法は誰が考えても妥当だと思う、とみとめて当たり前であります。しかし、「猛暑まっさかり」氏は真っ向反対で、心では「なぜ、オレガ謝らねばならないんだ。兄弟の奴等は原理主義者で自分から出て行ったのだ」と云っているのであります。すなわち、「オレ」とはマサノブ君に他ならないのであります。
B < 雅春先生の御教えに背を向けている(教えに対して背教している)のは、誰ですか? という視点から見れば、少なくとも、学ぶ会や他の本流の方たちの一部も、誹りを逃れる訳にもいかない。> この文章で“背教者は誰なのか”と「猛暑まっさかり=マサノブ」君は問うていますが、正しい答えは、背教者とは「マサノブ君」であります。今夏の猛暑のためかマサノブ君は誰が考えても解る簡単な答すら間違ってしまっているのであります。そして、<学ぶ会や他の本流の方たちの一部も背教者だ>という点に於いても、具体的な説明をしていない、いや具体的に述べれば逆にマサノブ君自体の弱点をさらけ出す危険があるわけですから、お得意の抽象的表現に留めているのであります。
C < 個人の生命体の外縁が国家であるとするならば、なぜ政治活動から撤退したかの反省と、理解が無ければならない > 開祖・谷口雅春先生の意に反して、生政連活動を停止せしめて“凍結”という言葉で実質的解散に持って行った蔭の立役者は他ならぬマサノブ君自体であります。自分は陰に隠れて想いを実現させる。これがマサノブ君の常套手段であります。この常套手段は「新しき開国の時代」で明確になりました。著者名は清超先生でありますが内容はマサノブ思想であったことはすでに明らかに解明されているのであります。マサノブ君は、自分が先に立って政治活動をする事はキライですが、評論家としての政治評論はしたいのであります。
D 「猛暑まっさかり=マサノブ」君は <教団が政治活動に関与することを是とするのは間違いである> と主張する。しかしこの考えは、開祖・谷口雅春先生の次の様なお考えに照らし合わせば間違っていることが分かるのであります。これが解らない、いや敢えて解ろうとせずに反対を唱える。マサノブ君の思想は開祖・谷口雅春先生の思想とは相容れないのであります。悉く開祖・谷口雅春先生を教団史から消していくのが彼の生涯目的の一つなのであります。マサノブ君の潜在意識の奥底には開祖・谷口雅春先生に対する深い憎悪感情が横たわっているのがわかるのであります。
<< 昭和38年2月28日、第13回全国代表者会議の結語として谷口雅春先生は、――― <<・・・“人間神の子”を説く宗教は他にもある。“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。だがそれでは、特に何故生長の家が出現したのか、生長の家の神は住吉大神である。その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。そこが非常に大切なところである。『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。
ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。肉体は無い。病気は治ると云う、それだけの事ではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うと云うところに、生長の家出現の本当の意義がある。従って単に、個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおし進めて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏と云うところまで行かなければならないのであって、その一つが政治活動なのである。・・・>>とお説きになられ――――
<< この結語を受けて、昭和39年3月2日・3日の第14回全国代表者会議に於いて「真理国家としての日本の実相顕現と政治体制の基本の確立」を中心課題とする「第二次五カ年計画」が決定され、その活動綱領1<われらは、日本国家の理念を高く掲げて人づくり、国づくりの先頭に立つ>の具体化として昭和39年8月28日の『生長の家政治連合』の結成となったのであります。ここに生長の家教団あげて独自候補を立てて選挙戦に乗り出し、中央の国会と全国の地方議会に志ある議員を送り込んで行く強固な体制を確立されたのであります。敗戦直後から抱かれていた開祖・谷口雅春先生の政治運動の構想を強力に実現して行く体制が、約二十年に亘った様々な紆余曲折を経て、ここに漸く整うに至ったのであります。>> (「生長の家五拾年史」より)
E 「猛暑まっさかり=マサノブ」君は< 『真理に戻れ』と言いつつ、言っていることは、御教えに反して、「雅宣先生の時代に戻せ」と言っているに等しく、雅宣先生は、いいスケートコートになったけど、清超先生の問題はクリア出来ないまま・・・>と、書いていますが、ここでも自分だけがわかっていて閲覧者には正確に理解できない抽象的な書き方が為されているのです。この様な文章の書き方は落第であると同時に、マサノブ君が冷静な気持で書いていない証拠であります。この部分も暑さと積もり行く一方の腹立たしさのせいで異常な精神状態(統合失調症)で書いていることが解るのであります。どういう事柄について「雅宣先生の時代に戻せと言っているに等しく」なのか?、<クリアされていない清超先生の問題>とは何を指すのか? もっと解るように説明を求めるものであります。
F < 雅春先生どころか、太陽にさえ顔を向けられない人生だと思いますよ。> これはマサノブ君のことでありますね。また、< 和解は、一般信徒同士も務める課題だと思っています。> と「猛暑まっさかり=マサノブ」君は書いていますが、一般信徒は教団混乱の地震を起こした「マサノブ・大鯰」君の完全な被害者である事を忘れないように・・・
G 最後に、非常なる違和感が感じられる文章として、<敬神数祖の原点に戻らない限り、この国の再生は不可能と信じていて、それも近いと確信していますよ。間もなく、原点に戻る ことを、確信している、ということです。>。(数→崇の誤字!)。この文章の<敬神数祖の原点>という言葉ですが、開祖・谷口雅春先生を否定する人物が、常識的な意味で使う“敬神崇祖”ではないと思われるのであります。マサノブ君ならどういう意味でこの言葉を使うでしょうか? 私は、“敬神”とは、<大自然を神として敬う>、そして、“崇祖”とは<「大自然崇拝教」の教祖を崇めよ> という意味でマサノブ君は書いていると考えればこの言葉を持ち出したわけが明瞭となるのであります。<それも近いと確信・原点にもどる>とは、10月1日の新本部「森のオフィス」への移転すなわち自然崇拝という原点に戻った「大自然崇拝教」の立教スタートのことを言っているものと解釈されるのであります。
H とにかく、マサノブ君は異常心理状態にありますので、この様な間違った文章しか書けない気の毒な人であります。マサノブ君は異常なる神性隠蔽状態であり、この人には幾ら諫言の言葉を呈しても絶対的に受け付けません。この状態からの脱却は、今生でも来世でも不可能なのでありましょう。究極のところ(この言葉の使用には反対する人もいますが)“悪霊憑依”に究極の原因があると想わざるを得ないのであります。このほかの究極原因を端的に表わす言葉は見当たらないのであります。
I この様なマサノブ君は、個人的には可哀相とか同情の余地はありますが、公人としての総裁職には非適正の人物であります。速やかなる辞職を願うものであります。
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