生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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新・新文明論の提唱――マサノブ君の新文明論を止揚する! (1847)
日時:2013年08月27日 (火) 00時06分
名前:画龍点睛



合掌、ありがとうございます。
マサノブ君の「神・自然・人間の大調和」新文明論について、他の掲示板に次のような投稿が為されていました。これはマサノブ君の新文明論の最大の弱点を突いたものであります。



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日時:2013年08月25日 (日) 14時02分
名前:Cruzeiro do Sul

A. << 雅宣さんは、鎮護国家よりも世界平和、つまり、グローバルな世界の方が日本よりも大切に思っているみたいですが、世界的に考えられている方が、あたらしい文明といって、このような文明は、中近東みたいな砂漠の多い所には不可能です。ああいうところでは。自然と共存ではなくて、砂とでも共存でしょうね。その点、真理の言葉は、世界中に伝わる、砂漠のあるところでも、ジャングルのあるところでも、都会でも、田舎でも。。。、>>

B. << 太陽光・バイオマス発電設備を完備――こういう設備は、公害排出はありませんが、すべてが金属で出来ている。いくら電機の自動車でも、電車でも、鉄とか鋼、その他、色々な金属で出来ている。鉄や鋼は、鉄鉱石から取るもので、1トンの鉄を作るのに、2トン以上の鉄鉱石が必要なのです。だから、公害を排出しない電車や車でも、その設備を作るのに、既に、森は、切られ、鉱山の山を崩し、ゴミが川に流され、地球が雅宣さんが言われるように、破壊されていく...彼が人間は地球の癌だと言われたように...風力発電機だって鉄を使われている。。。冷蔵庫も、電子レンジも、金属が疲れている、それを作るのには、地球が破壊されてゆくのではないか?そんなに地球を破壊したくなければ、電車や電気自動車より、足だけで歩け。でなければ、都合のいい事ばかりじゃないか。いくら環境問題を護りたいといっても、納得できないのは、7万m2(平方メートル)の森を切り倒し、森のオフィすを立てたことです。納得できません。 >>



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まことにも、Cruzeiro do Sulさんのおっしゃる通りであります。この二つの指摘内容が、マサノブ君の「神・自然・人間の大調和」新文明論の抱える最大の矛盾点であります。IQ指数抜群のマサノブ君はおそらく自分でも気が付いていると思われますが、この根本的矛盾点を頬かむりして敢えて世間に発表したのは、彼の生来の性格である人並外れた自己顕示欲と、形ある巨大なものを自己人生において造り上げたいという“焦り”の然らしむるところであります。かれのこの様な個人的性格と欲望のためにわれわれ信徒は上手に洗脳され利用されたといえるのであります。


上記、マサノブ新文明論の矛盾点Aの内容を一言で言えば、マサノブ新文明はあくまでも唯物論文明の域を出るものではないと云うことであります。マサノブ君はハッキリと「自然との共生」という新文明といっても、原始的自給自足生活に戻るものではない。現在の生活レベルはそのまま維持するのである、と云っているのであります。簡単にいえば、住居を都会から山や森のある田舎へ移して生活する事、であります。彼はそのほかの理由を色々と説明しておりますが、それらは付けたしの部分にしか過ぎないのであります。


マサノブ君の環境問題の捉え方も、唯物論すなわち、現象と物質中心の捉えかたであって、唯神實相論からの捉えかたではないのであります。地球環境が悪化し破壊されていくのは、地球人類の総合的想念(唯物的価値観)の反映であり、その是正への根本的対策は、この唯物的価値観是正でなければならないのであります。この唯物的価値観是正の手段をマサノブ君は、人類が都会から山や森のある田舎へ住居を移すことによって解決しようとしているのであります。しかも、自給自足の生活ではなく、都会生活と同じ電化生活、教養志向の生活を維持しようとしているのであります。“住居を移す”これは明らかに唯物的解決方法であります。マサノブ君は信徒の浄財からの給料という形で、しかも総裁職であるから超高額の所得を生涯保障されているので、都会から田舎のリゾート地へ豪華なログハウスを新築して簡単に転居できる身分でありますが、この様なセレブ階層でない一般庶民はマサノブ君いうような新文明を創出する事はできないことになるのであります。また、Cruzeiro do Sulさんが指摘されているように<中近東みたいな砂漠の多い所には不可能>となる訳であります。唯物的に解決しようとするから不可能なわけでありまして、これを唯神實相論的に、地球環境の悪化も改善も人間の想念(価値観)の転換によって可能となるものと考えなければならないのであります。都会であろうと田舎であろうと砂漠の国であろうと、環境は心の影という真理の応用展開で改善できるのであります。<真理の言葉は、世界中に伝わる、砂漠のあるところでも、ジャングルのあるところでも、都会でも、田舎でも・・・>Cruzeiro do Sulさんがおっしゃられる通りであります。


地球環境改善の唯物的手段方法は、政府と行政と企業と個人全体が一つの具体的目標を掲げて努力して進めるべきで、かつての日本の高度経済成長時代の“公害”克服の実績が示しており、また、自動車の走行時の騒々しいクラクションの音も全国的な罰則なしの運転マナー向上運動によって滅多なことではクラクションを鳴らさないクルマ社会が実現できた実績もあります。このことから考えましても宗教界の地球環境改善のために為さねばならないことは、人類の唯物的価値観からの脱却のために、霊的価値観を拡げていく運動の展開ということになるのであります。森の中に引っ込んでする事ではないのであります。


次に、マサノブ新文明論B.を一言で言えば、< 他人には手を汚させて、自らは手をよごしていない >というまことに卑怯な態度の利己主義的文明だと云う事であります。この具体的説明をCruzeiro do Sulさんがおっしゃったわけであります。マサノブ君の新文明論を真剣な心でその内包せる矛盾点を克服し徹底的に追求しようと思えば、物質文明社会を全部否定し、原始的自給自足生活に戻ることになります。こんな新文明なんて誰も認めないことは分かりきったことです。また、自給自足の原始生活へ戻ると云う事は真理からいっても正しいことではないのであります。


生命発展段階の真理からいえば、神様は地球上に鉱物→植物→動物→人間という低次から高次へと順次に生命を発展展開せられたのであります。完全な神の属性の一部から全部へと地球環境の進化に従って顕現されて行き、最後に“神の自己実現”としての人間を顕現されたのであります。“神の自己実現”というのは、神様の完全円満なる属性を100%備えている、という事であります。そして、高次の生命は低次の生命をより高い価値を実現する為に神の叡智に従って役立たせる権能(ちから)を与えられているのであります。従って、神の自己実現としての人間が、鉱物や植物を利用して、より高次な文明社会を築いていくことは霊魂進化の法則にも適っているわけであります。自給自足の原始生活に戻ると云う事は、霊魂進化の法則にも逆行することになるのであります。“都会では人間神の子の真理の生活はできない”と言って都会を捨て、森に引き篭もることも人間の霊的進化に逆行するのであります。大乗仏教を捨て、敢えて小乗仏教へ逆戻りすることも人類の霊的発展に逆行することであります。< 他人には手を汚させて、自らは手をよごしていない >という自己中心的文明は果たして新文明などと言う事が出来るでしょうか? このように考えてくるならば、マサノブ君の新文明論は内部矛盾から言って破綻してしまうのであります。


マサノブ君は、現代文明を「人間至上主義文明」と評しています。これは外面的観察であり、唯物論的観察にしか過ぎません。正しくは、「神の自己実現」として創出せられた人間が、未だ神様の完全円満な属性を100%発揮していない、つまり“神性隠蔽”の状態にあるということ、これが現代文明人の唯物的価値観だと云う事であります。従って、“新文明”というならば人類社会の価値観が「霊的価値観」へと全面転換し、神様の完全円満な属性が100%発揮されている「霊的文明社会」というものでなければならないのであります。都会を捨て森の中へ行って生活する文明は単なる形だけを変えた唯物論文明にほかなりません。「霊的文明」100%社会の創出こそが「生長の家」の本来の目的であり使命であったはずであります。


別冊・「真理」第二章P.25には、<< 人間はアダムの子孫として肉体という物質的な低い本性の上に立ちながら、その實相に於いては神の子たる霊的存在であって、吾らは、その霊的實相を自覚することによってのみ一段高い世界の市民となる事が出来るのである。この一段高い世界の市民となると云うことは、物質界とは異なる新しき秩序の世界に入り、精神的にも、道徳的にも、経済的にも、完全なる自由を獲得すると云う事を意味するのであります。>>と書かれているのであります。


この様な霊的・新文明を構築していくためには、人類社会の価値観の転換が最重要な事柄でありこれは学校教育の内容転換から始めなければならないのであります。日本社会の教育改革であります。そのためには長期的計画の下に「霊的価値観」を教育できる人財の輩出が必要となります。「生長の家」はこの様な人財創出に取り組んでいかなければならないのであります。亦、最高の理想的政治形態は、「祭政一致」であり、“政治”と書いて「祭り事=真釣り合う事」と読み、神様の心で政治をする=霊的価値観による政治、という事になります。そのためには政界の思想を霊的価値観へと善導する役目が宗教界にはあるのであります。従って、「生長の家」は政治には関与せずというマサノブ思想は間違いであります。(民主党支持を表明したマサノブ君はここに於いても現行不一致であります。) 宗教は「霊的価値観」を以て政治にも積極的に関与すべきが至当であります。憲法改正や教育基本法や学校教育法の霊的価値観からの国民大自覚運動は必要ようなことであります。


現在のマサノブ(自称)総裁の下ではこれらは不可能であります。彼の「森の中の」新文明論は彼自身真剣に取り組んではいないことは、彼の数々の“言行不一致”の実績から見てもわかるのであります。だから、彼が如何に「森の中の」新文明論を理由をつけて説明していても、それは彼の心の奥底からの願いではなくて、単なる強い自己顕示欲と開祖を凌駕する物的な実績をこの世に残して信徒に見せ付けたいという自己中心的欲望にしか過ぎないと云うことを吾々信徒は見抜き、どうしても「雅宣総裁更迭」と「大政奉還」を実現せねばなりません。 再合掌








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