生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「教祖反逆罪」と「教祖反逆過失罪」 (1860) |
- 日時:2013年08月28日 (水) 06時29分
名前:神の子A
まず、刑法の話からすると、
人を死に至らしめた場合、
「殺人罪」と「過失致死罪」が考えられる。
その差は、「殺意」だあったかどうか、
つまり、「故意」があったかどうかが焦点になる。
これを雅宣氏に当てはめると、
「教祖反逆罪」と「教祖反逆過失罪」が考えられる。
真理の理解が足りないため、誤って間違った真理を広める事は、
「教祖反逆過失罪」になるが、
故意に真理を歪曲し、誤った真理を伝える事は、
「教祖反逆罪」に相当する。
雅宣氏の場合、明らかに後者の方である。
自分が雅春先生の真理が理解できない為、
雅春先生の説かれた真理を理会しようとせず、
故意に「環境問題」にすり替えて生長の家の教えとしようとしているのである。
「教祖反逆過失罪」よりも「教祖反逆罪」の方が明らかに罪が重い。
>「今世」で犯した罪は「今世」で償ったほうがよい。
と言っていたのは誰だったであろうか?
「唐松模様」も然りだが、
雅宣氏は自分の言っている事を理解できていないようだ。
おそらく神様(もしくは守護神様)が雅宣氏を指導し、
雅宣氏自身にに忠告している事を他人に言っているように思えてならない。
また、故意に雅宣氏に協力している人間も、
「教祖反逆共謀罪」に相当するので御注意を・・・。
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