生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「潰れたって」と「潰したって」の天地の開き! (1878)
日時:2013年08月31日 (土) 17時22分
名前:怒れる信徒代表



まことにケシカラヌ話であります。
マサノブ君は、「夏バテ回復中」という名前で次のように書いています。



<< 2515 :夏バテ回復中:2013/08/29(木) 22:59:27 ID:99dnYgOQ
生長の家教団など、潰れたっていいんです。日本の為にならない教団なら潰して構わんって、雅春先生は言われていますよね。だから、一回潰れるのは、神意なんです。>>



このように生長の家が潰れるのは“神意”とかってに解釈して、実際「生長の家」潰しを実行しているのです。雅春先生のおっしゃったことは、「潰したっていい」ではなく、「潰れたっていい」ですよ。かってに自分本位に解釈するなと私は言いたいのです! マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生の「生長の家」を潰したくて仕方がないものだから、このように曲解しているのです。


「日本の国のためにならない生長の家なら潰れてしまってもよい!」という雅春先生のお言葉は間違いありません。このことは、「生長の家今昔物語」にも複数回出ておりましたので探してみました。以下のとおりです。マサノブ君、「潰れたって」と「潰したって」の表現には天地の開き程の差がある事を自覚せられよ!



********************



号外NO.15  開祖・谷口雅春先生の一大お覚悟!
日本の国のためにならない生長の家なら潰れてしまってもよい!


(1)今を去ること四十年以上の昔、其の頃の生長の家青年会は燃えに燃えていた。毎年五月初旬、東京で開かれていた連続三日間の全国大会には、北は北海道から南は沖縄まで全国津々浦々から列車やバスを連ねて集まった愛国心に燃えた男女青年五千人以上、往復の車中でも聖歌を歌い真理を語り合い、その沸騰するような情熱の雰囲気にバスの運転手さんまで感激・感化されてしまうほどでした。全国大会の御講話の中で開祖・谷口雅春先生はハッキリと<日本の国のためにならない生長の家なら潰れてしまってもよい!>と話されたのであります。この御言葉は今でも私たちの心の中に滲みこんでいるのであります。「無の関門」を超えられた最高にハイレベルのお悟りから、雅春先生にとっては実相日本国家が第一に重要でその実相顕現を常に祈願され、そのための生長の家の存在であると思っておられたのであります。


(2)<日本の国のためにならない生長の家なら潰れてしまってもよい!>

この御言葉は後年にいたっても決して変わる事はなかったのでした。次の様なことがあったのでした。(これは確かな事であります)

<< 開祖・谷口雅春先生の憂国の至誠、皇室尊崇の思いは、昭和四十九年に於ける「日本を守る会」の結成となって具体化していったのであります。その結成の事情は、円覚寺の朝比奈宗源管長、富岡八幡宮の富岡盛彦宮司が、原宿の「生長の家」本部に谷口雅春先生を訪ねられて、結成の事が決定したのであります。その席に同席した澤渡盛房氏(富岡八幡宮権宮司)がいつも語られていた事であるとのことですが、その時に谷口雅春先生はお二人の説明を真剣に聴かれた上で、次の如く決意を述べられたのでした。

「生長の家の二つや三つが潰れても、祖国日本が本来の姿に立ち戻るためには、それもやむを得ない。協力を惜しまぬどころか生長の家の活動そのものが目指すところはそこにある。」

と言い切られたのであります。>>


この『日本を守る会』は会の名称の如く、日本を守ることを目的とした宗教界を横断する組織で、事務所を明治神宮に置き活動を開始、その実働部隊として昭和五十六年に「日本を守る国民会議」が発足、正しい憲法制定を最終目的とした日本国家再建の主流として活動を開始したのであります。そしてその中心をなしたのが生長の家でありました。(「日本を守る国民会議」は現在「日本会議」となっております。)

 然るにその後、昭和六十年六月十七日、開祖・谷口雅春先生が九十一歳の天寿を全うされて御昇天されましたが、わずか三ヵ月後に「生長の家政治連合」が解散されたのであります。昭和六十一年一月二日の国民参賀に際しても“日の丸の小旗の配布はしない”と一方的通告をなしたのでした。かくして次は第三代目・谷口雅宣先生は平成三年から四年にかけて「大東亜戦争の侵略戦争観」を御展開され、この時を境にして開祖・谷口雅春先生の『本来の生長の家の御教え』は換骨奪胎されて行き社民党的路線へと急旋回左傾化して今日に至っているのであります。


以上のような推移を冷静に観察致しますと・・・
第三代目・谷口雅宣先生は開祖・谷口雅春先生の御創始された本来の正しい『生長の家』を完全に崩壊して行かれつつある。第三代目・谷口雅宣先生の「平成時代・生長の家」は日本の為にならない社民党的セレブ志向の単なる教養団体のひとつにしか過ぎないのであります。“『生長の家』と言う看板”は是非とも我々に返却していただかねばならないのであります。全国の信徒の皆様、如何でございましょうか?



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 インターネット講師諸君たちは、生長の家の存在を、日本国にとって大した価値なきものとしている!


生長の家・インターネット本部講師諸君!諸君らの内、開祖・谷口雅春先生の御講話を直接拝聴した方々は果たして何人いるだろうか?38人中おそらく十指にも満たないであろう。特に38人中のお若い方々は今から申し上げることをシッカリと聞いていただきたいのです。それがしも若き青年会員の時に、全国大会や御講習会で開祖・谷口雅春先生の御講話を直接拝聴し、そのお声が今だに耳の底に残っている。

 実に重大なことを言われたのである。同じ御講話中に二度も繰り返され、別の時の御講話の中でも繰り返されたこと、

<<『日本の国の為にならない生長の家であれば、そんな生長の家なんて、一つや二つ潰(つぶ)れたって構わないですよ!』>>



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* 開祖・谷口雅春先生の“逸話”三題


(1)嘗て、開祖・谷口雅春先生は、全国大会の御講話の中で話されたのであります。

<<生長の家はですね、僕が創りだしたんですけどね、その生長の家が若し、日本の国の為にならない存在となったら、そんな生長の家なんて、一つや二つ潰れても構わんですよ!>>(注・この言葉を同じ講話中に二回も繰り返し言われたのであります。まるで、平成時代の生長の家の状態をその時既に見通しておられたかのようであります。)


(2)<<谷口雅春先生の憂国の至誠、別して皇室尊崇の思いは、昭和四十九年に「日本を守る会」の結成となって具体化していた。その結成の事情は円覚寺の朝比奈宗源管長、富岡八幡宮の富岡盛彦宮司が、原宿の「生長の家」に谷口雅春総裁を訪ねられて、結成のことが議せられ決定した。その席に同席した澤渡盛房氏(富岡八幡宮権宮司)がいつも語られたことであるが、その時に谷口総裁は二人の説明を真剣に聴かれた上で、次の如く決意を述べられたのであった。

 「生長の家の二つや三つが潰れても、祖国日本が本来の姿に立ち戻るためには、それもやむを得ない。協力を惜しまぬどころか生長の家の活動そのものが目指すところはそこにある。」と言い切られた由である。>>(「生長の家教団」に呈す 鈴木正男氏)


(3)これも吾々七十才前後の者が若き頃の青年会全国大会でお聴きした開祖・谷口雅春先生のお話であります。このお話は前面の一般青年信徒ではなく、壇上の横に座っていた教団幹部や本部講師の方を向いてニコニコと笑顔で話されたのであります。

 <<ここにこうして両方の手を合わせて砂をすくうと沢山の砂粒がすくえるでしょう。しかし、時間が経ってゆくと指の隙間から砂粒が落ちてゆきますでしょう。合わさっている両掌のあいだからも砂粒はおちてゆきますねえ・・・ほとんど落ちてしまったら今度は両掌をはなしてポンポンポンと掌をたたくと、掌にくっついて残っている砂粒は数える事が出来るくらいのかずに減ってしまったですね!!>>

(註・これも開祖・谷口雅春先生の今日の教団の変節を見越しての予言だったのです。「みなさんも真理の研鑽を続けて最後までくっついている砂粒となって本当の生長の家の御教えを末代まで未来永劫に伝え遺してください。お願いしますよ!」との気持を込めて話されたのだと思われるのであります。)

        本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成



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投稿1878は全文事実です。 (1879)
日時:2013年09月01日 (日) 08時30分
名前:不動明王

投稿1878は全文事実であります。昭和40年代前半の武道館全国大会での谷口雅春先生の後指導で拝聴致しました。

開祖谷口雅春先生は永遠に、お導きを頂いている事を忘れては生長の家とは言えません。



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