生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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やはり、「讃歌」ではなく「惨禍」であったか? (1918)
日時:2013年09月03日 (火) 11時28分
名前:公平なる観察者



昨年は、人間知によって書かれた「大自然讃歌」が発表され、宇治別格本山地方の大きな豪雨と水害が生じました。今年は、『甘露の法雨』が全面的に引っ込められて、全国的に「大自然讃歌」読誦運動が展開され、宇治にも14トンの巨大な薄気味悪い写真写りのしている自然石「自然災害物故者供養塔」が建てられ、本格的に「大自然讃歌」による供養?がマサノブ導師によって行われました。


今年は宇治地方には豪雨水害はなかったようですし、「供養塔」除幕式の時には少し雨がぱらついた(天が祝意を表している?)との感想を書き込んでいる信徒さんもありました。しかし、その後は、全国的な各地の記録的豪雨と水害、更に櫻島の噴火、突風、竜巻被害等、全国的惨状を呈しました。


マサノブ君は、この原因は地球環境破壊による温暖化が原因と目に見える世界に於ける物的なものに目を向け、CO2削減というこれも物的側面からの対策を強調し、それはすべて人間至上主義という人類価値観が原因と考えているのであります。


しかし、宗教家であるならば、霊的世界で形造られた状況が、目に見える現象世界に反映せしめられてくるという仕組みに何故目を向けないのでしょうか? 8月の全国的な記録的高温と豪雨水害という自然災害はそれ以前に霊的世界で形造られていたのであります。と考えるならば、地上で今年、「大自然讃歌」の読誦運動が全国的にその読誦が奨励されだしたことが霊界に大きな影響力、それもマイナス(暗黒化)の影響力を与えたことが考えられます。目に見えない世界のことですから、現代唯物科学では証明出来ません。かといって現代唯物科学の力では完全否定も出来ないわけわけであります。


しかし、目に見える三次元現象世界の大きな出来事は、おおむね目に見えない霊界での想念の結集として形成されて、それがある一定の時間的経過、高級霊団の修正も加わって地上世界に現象化してくると云う事は、時代を超越した現象顕現の普遍的真理である事は間違いがないのであります。


と、するならば、マサノブ君が人間知によって書いた「大自然讃歌」経は、やはり大自然災害を呼ぶ「大自然惨禍」経であるといえるのではないでしょうか? なぜならば、「大自然惨禍」経の基礎になっている人間観が「人間至上主義」つまり、人間の本質は「神の子」ではなく「罪の子」であるとの人間観に基づいているからであります。「罪の子」であるからして当然に「自己処罰」を招き入れざるを得ないと考えられるのであります。

(注・「人間至上主義」は“現象独在”或いは實相と現象の並存という“二元論的観点からの価値観”であり、「人間神の子」という“實相独在”の唯神實相の観点からのものではありません。)


やはり、一日も早き「大自然惨禍」経の廃棄と天啓(神示)の『甘露の法雨』への復帰が必要で、マサノブ総裁の辞去と教団外退去が求められるのであります。








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