生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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マサノブ君の“シャーマン”意識は、紛れもなく暗黒霊界とのチャネリングである (1932) |
- 日時:2013年09月05日 (木) 08時08分
名前:画龍点睛
合掌、ありがとうございます。 「正統・生長の家」復活運動も大変明るい道が確実に開けて行きつつある感が致します。
昨年、宇治の盂蘭盆大祭の時、全国信徒の皆さんからの前年度の霊牌供養をCO2排出を削減するため、完全焼却せずに水をかけて“消し炭”状態にした、このことに憤りを感じた信徒の一人が宇治へ抗議の電話をかけました。その時の電話応対の本部講師の返事は「総裁先生と磯部理事長のお考えです」との返事でありました。その時同時に、大拝殿の<生長の家大神――総裁・副総裁――み教え>は、現在では<生長の家大神=開祖・谷口雅春先生=『御教え』→ 二代目以降の総裁>という解釈が正しいのではないか?と尋ねたところ、電話口の本部講師は「違います。<生長の家大神――総裁・副総裁――み教え>の総裁は雅宣先生です」と明確に答え、「三代目・雅宣先生は、生長の家大神様から直接の啓示を受けていらっしゃいます」との明確な答えでありました。
マサノブ君は、「生長の家大神から直接に啓示を受けている」と本部講師をして言わしめている、そして白鳩会幹部をして「雅宣先生に中心帰一しましょう」と言わしめていることには、マサノブ君としては、それなりの自信があってのことであると考えられるのであります。その自信の理由を考えて見ますと、
@ マサノブ君は自分なりの“悟り”の境地を体験したと思っているのであります。「トキ掲示板」に於いて、明らかにマサノブ君であると思われるハンドルネームで「非常に平和、静謐な、魂が満ち足りた境地(要旨)」を体験したと書いています(どこだか思い出せませんでしたが記憶にあります)。しかし、これは開祖・谷口雅春先生の悟得されたような實相覚による「無」の関門を超えられた絶対実在の絶対把握という本当の悟りの究極の境地とは違うのであります。マサノブ君の体験した彼流の“悟りの境地”とは、一種の“至高体験”であります。
酸素ボンベを使わずに空気の希薄なエベレストを登る登山家の中には、次のような“至高体験”に達する人が時々いるのです。名前は忘れましたが、高名な外国の登山家の体験であります。
<< ただ其処に在ることのすばらしさ――ただそこにあるだけの世界、それは何と天真爛漫でしなやかな生命力にあふれていることか、「在る」というだけであふれんばかりに満ちたりており、息をのむほどの美しさを放っている。歎きも退屈もない。あるのは、はてしない充溢であり、無限の解放である。>>
しかし、神様によって選ばれた人が人生の深い苦悩の末に到達された大悟徹底のお悟りというものは、この様な“至高体験”とは比較できない次元の彼方に在るものであります。
A 今ひとつの理由は、マサノブ君は上記の至高体験から「シャーマン」意識が強くなったのではなかろうかと思われます。彼は人並みはずれた自我意識を持ち、独裁者になる事を夢見ていたのですから「シャーマン」という意識は、彼の自我的自尊意識に大きな箔と自信をつけると考えたと思われるのであります。マサノブ君はこれも「トキ掲示板」で有名な?「初心者」というハンドルネームで次のように書いています。
<< シャーマンは、本来の自分となるために、トラブルの創り手にもなるってこと、知らなかったでしょ。そう、本来の自分へと回帰するために、トラブルを愛し、精霊の力に身をまかす。これがシャーマンのシャーマンたるゆえんなの。こんなこと、あなたたち常識人にいくらいってもわからないかもね。シャーマンは、死の行進、つまりはデスウォークの実践者でもある。実践のためにシャーマンは、他者が欲しない自分を演じつづける。そうすることでトラブルの創り手になる。シャーマンにとっての大調和とはあるべき自分へと回帰すること。いま起きてることが、シャーマンにとっての大調和への道。勝手だけど、あたしはこのように解釈してる。一般社会の常識にではなく、たいていは精霊のオキテにしたがいながら考えるってこと。シャーマンと対話するために修行をするという話は聞いたことがないわね。修行が必要になるのはシャーマンに弟子入りしたときだよね。シャーマニズムには五千年の歴史があるそうよ。生長の家の歴史は1世紀にもたりない。シャーマニズムに学ぶべきことはいくらでもありそうね。 癒し手タイプのシャーマンにとって、現実の世界は救済の場であるはずね。命がけで真理を追い求めることが運命づけられている戦士タイプのシャーマンにとって、現実世界はつねに「狩り場」でなければならないのよ。たとえばの話だけど、戦士タイプのシャーマンが「狩り場」と見なす掲示板に、真理の追究に不要か邪魔な人物がいるとすれば、この人物が狩りの対象となる可能性があるのかも。なんにしても、戦士タイプのシャーマンにとって狩りは本能なの。>>
驚くなかれ、マサノブ君の性格や思想と瓜二つではないでしょうか?(従って、初心者=マサノブ君である証拠です。)
(注):
<シャーマン>: シャーマンとはトランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のことである。
<チャネリング>: 常識的な通信手段では情報をやりとりできないような相手(何か高次の霊的存在・神・死者(霊界人)・宇宙人・未来人など)とコミュニケーションをすることである。
B 次に、マサノブ君は本当に「生長の家大神」様から啓示を受けているのかどうかについて考えてみます。そのためには、「神示」と「霊示」の違いについて正確に知らねばならず、このことについては『生命の實相』第8巻・観行篇P.42〜45に開祖・谷口雅春先生が説明されているのであります。次に転載させて頂きます。
<< 神は自己の内に宿る、叡智は自己の内に宿る、真理は自己の内に宿る、・・・この自己の内に宿る真理の「呼び掛け」に耳を傾けるとき、われわれは神の無限の導きを受けるのであります。この自己に宿る真理の「呼び掛け」を指してわれわれは或いは「良心」と言い、或いは「神示」と言うのであります。「良心」と「神示」とは、ひっきょう同じものの半面であって、それは「より高き自我」からの啓示であり、自己の「真性」の開示であり、自己に宿る神の声であります。「神示」は絶対性のものであって、・・・これに反して「霊示」というのは、ある霊界の棲息者からの精神波動の波及によっておしえられるのでありますから、その霊界の指導者が、どの程度まで、自己の「神なる真性」を発現させているか、或いはまだその指導者が執着の塊であるかによって、その霊示の特徴にも価値にも千差万別があるのです。「霊示」は、執着ある霊魂の指導であります・・・われわれが執着を脱する程度に従って、計らい心が無くなる程度に従って、みがきをかければかける程度に従って、内から示されてくるものが「神示」であります。執着の念をもって「神示」を聞くがごときは自己撞着のはなはだしきものであります。・・・神示は内流であって大脳に感応し、おおむね直覚的にあらわれます。霊示は外から延髄に感応し、おおむね霊媒式、二重人格式に現れます。神示は対立を絶した内からの啓示でありますが、霊示は第二者、第三者などの対立せる人格からの意見であります。神示は、我執に対して答えず、我執を捨てたとき、おのずから現われるものでありますが、霊示は我執にも答えてくれ・・・およそ「悪」といい「不道徳」というのは、「自己」が出るからであって、自己が虚しくなっていないからであります。自己だけを生かして他(ひと)はどうなってもかまわない、自己ばかり立てようと思う――これが「悪」であり、「不道徳」なのでありますから、自己を虚(むな)しゅうして「内からの啓示」を聞く場合に、「悪」や「不道徳」が思い浮かんでくるはずがないのであります。>>
C マサノブ君は、自分は絶対間違っていないのだとの強固な信念で行動しているわけでありますが、この意識と自信は彼がある種の“至高体験”に基づいて“シャーマン”的意識が強く起って来たためであろうと考えられます。そして“類は友を呼ぶ”法則どおりに暗黒霊界の強力な力を持つ霊との無意識的なチャネリング(霊的交通)状態となった、と考えることは十分可能なことであります。
D マサノブ君が仮に「啓示」を受けていると考えるならば、それは「霊示」であって、決して「神示」ではないのであります。マサノブ君が「生長の家大神」さまからの啓示を受けているなどと信じている信徒さんがいるとするならば、それは明らかに間違っております。チャネリング(霊的交通)状態といえどもそのチャネリング先は、高級霊から低級霊までいろいろであります。“我執”の強い人間ほど、“自己本位”の人間ほど低級霊とのチャネリング(霊的交通)状態となるのであります。このことから考えると、マサノブ君は暗黒霊界の強力な悪想念霊団と無意識的に霊的交通が開けている状態だと言えるのであります。最近の彼の暴走振りを見ていましても、単なるチャネリング状態ではなくして、暗黒霊が彼に憑依してしまっているのでありまして、このことは、「森のオフィス」上棟式の彼の顔の拡大写真や落慶式典での彼の表情を見れば、マサノブ君がそのことを自らが証明している事がわかるのであります。
E 以上を総合的に考えますと――傲慢・驕慢・言行不一致・親不孝者・開祖反逆・信徒欺瞞・看板不正使用・宗教的横領・・・等々の宗教家としての完全不適格性からいえることは――、
イ マサノブ君は、生長の家大神様からの啓示(神示)は受けることが出来るなんて断じてあり得ない! 彼は全く不誠実な我執の強い冷酷な人間であるからで、神性未開顕の状態であるからである。現教団では誰からも信用されていないのであります。
ロ マサノブ君が、啓示を受けているとするならば、心的波長の合っているチャネリング先の暗黒霊界層からの無意識的「霊示」である。そして今や、霊的交通のさらに上の憑依状態にあるといえる。だから常識的には考えられない暴走状態にあるのです。
ハ マサノブ君は、暗黒霊の幻術による“至高体験”を過信し、内心では強烈な“シャーマン”意識をもち、それも高級霊との霊的交通に依る四無量心を実践する癒し手的シャーマンではなく、 悪霊界と交通し、邪魔者を一切排除して進む戦士タイプの強烈なシャーマンとの絶対的意識を確立した、といえるのであります。
ニ だから、マサノブ君は、この絶対的シャーマン意識の自信から「正しいことをしているのだ。謝罪や和解など必要はない。自分に会いたければ頼みに来れば会ってやる。」との考えで、<雅宣総裁と、ご兄弟姉妹の話し合いの前提には、雅宣総裁の「謝罪」が先き。「辞任します」が先き。>と言う条件等真っ向拒絶で、歯牙にもかけていないのであります。謝罪・辞任の気持ち等さらさら無いのであります。
ホ かといって、われわれはおとなしくしてかれの實相顕現だけを祈って居るだけでは駄目で、「トキ掲示板・本流対策板NO2598 :トンチンカン氏の < 「生長の家」以外の 何者かの召命(calling)を受けて、シャーマンとして生きているのです。 だとすれば、マサノブ君は 即刻 「生長の家」から離脱していただき、「マサノブ教」といったような<別宗教>を樹立すべきであります。> と言う結論になるのであります。
ヘ マサノブ君は、自信が超過剰なため宇宙の大法たる「因果律」・「死後の世界」・「輪廻転生」・「三世にまたがる因果応報」等は今のところは恐れてはいないようであります。しかし、彼はエジプト・リビア等の独裁政権がインターネットの威力によって倒されたのを他山の石として学習しており、信徒の怒りの高まりと教団からの離脱現象をことのほか恐れている心境のようであります。従いましてわれわれ「正統・生長の家」復活推進者たちは、「大政奉還」と「総裁の辞去」そして「マサノブ教の外部独立」の正論を言い続けて、末端の一般信徒さんに覚醒していただき、マサノブ独裁政権を打倒しなければならないのであります。 いささかも怯(ひる)むことなく・・・
大局的な教団の現況判断としては、独裁権力者マサノブ君の運勢は峠を既に越え下り坂にはいっており、一方においては一般信徒の皆さんのマサノブ君に対する信用はガタ落ちへと大転換をなしつつあるのです。あと一息です。頑張りましょう!! 再合掌
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