生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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知的未完成のマサノブ君――相変らずつづく幼児思考! <9.8「枯れ松模様」オリンピック東京開催批判文> (1973)
日時:2013年09月10日 (火) 13時09分
名前:公平なる観察者


マサノブ君の幼児思考の知的未完成投稿文が9月8日の彼のブログ「枯れ松模様」に掲載されました。何回言っても全然“脚下照顧”せず、強引にCO2削減(ただし、彼の個人的見解)を主張してくる今回の投稿文に対して、詳細に彼・マサノブ君の所論の間違いを追及する事にいたします。この様な人物が、たとえ自称にしろ“生長の家・総裁”を名乗っていることを信徒の一人としては耐え難いものを感じるのであります。一日も早く彼・マサノブ君が自己の非に気付き、「総裁辞去」をなして「大政奉還」と「看板返却」をなして、「マサノブ教」と言う新・看板を作って独立していただくことを強く望みます。



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平成25年9月 8日 (日) =オリンピックの東京開催をどう考えるか= (要旨転載)

 << 2020年のオリンピックを東京で開催することが決まった。・・・残念なのは、2011年の東日本大震災と原発事故・・・何万人もの尊い命が失われ、それ以上の数の人々の故郷が失われたにもかかわらず、「これまで通りの経済発展を目指すことが日本の進む道だ」という方針を、わが国は少なくとも7年後まで継続することになるだろう。・・・私が東京五輪に反対の理由は、この人口超過密の世界最大のヒートアイランドに、さらに建設資材と機材とエネルギーを投入して温暖化を促進し、そこへエアコン装備の巨大施設を造り、世界中から大勢の人を招び寄せて、さらに大量のCO2を排出することを、京都議定書を生んだ国の政治・経済政策にしてはならないと思うからである。・・・わが国は、民主党政権下で温室効果ガスの削減目標を「2020年までに1990年比で25%」とした。それを、今の自民党政権は反故にしてしまおうとしている。安倍首相はこの目標を「ゼロベースで見直す」と明確に指示し・・・従来のような経済至上主義的な「日本を取りもどす」のである。・・・東京五輪を準備するためには、東京に大量のエネルギーと資材を供給しなければならない。・・・五輪準備のためには原発の再稼働は必須である。・・・国民も都民も「スポーツの祭典」という美しい言葉に目を奪われて、きっと原発再稼働を容認するだろう。・・・私は民主主義を信奉する者であるが、「衆愚政治に堕す危険」が常にある・・・今回ほどこの危険を身近に感じたことはない。願わくば、無抵抗でズンズン突き進む自民党政治に有力な対抗勢力が早く現われ、「従来路線では日本も世界も救われない」という正論を展開し、自然と人間との調和を目指す現実的な政策を打ち出してほしいのである。・・・大都市と大企業の繁栄のために、東北地方は再び犠牲になるのかという疑念と不安は深刻だと思う。・・・異常気象は決して日本周辺だけに起こっているのではなく、世界中で頻発しているのだ。・・・月平均にして10件程度、「30年に1度」の異常現象が起こっているのだ。ということは、異常現象が常態化しつつあるということだ。・・・我々の贅沢な生活や、放縦的なライフスタイルによって途上国の罪のない人々が死傷するという現象が、今後続いていくことになる。それでも五輪を開催して、自分たちの経済発展を進めていこうというのだろうか。私は、こういう倫理観の欠如した国の政策を嘆くのである。 谷口 雅宣 >>



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< 講 評 >



[ 1 ] マサノブ君の書く文章の根本的欠陥



@ マサノブ君の書く文章の第一の欠陥は、“評論家的文章”にあります。そして時には、博学多才を自慢するような“学者的文章”であり、信徒の学問的無知に付け込んで、時には“哲学的言葉”を多用して煙に巻いてしまうのであります。しかしその割には現象論中心で底の浅い考察しかしていないのであります。全天候型の深い思索が出来ないためにスキだらけで、学の浅い信徒からもその矛盾点をしばしば指摘されているのであります。

更に自らを“宗教家”と称しながら、宗教的・霊的感動を与える文章など今まで一回も書けた試しが無いのであります。理屈だけは達者というわけであります。どうして斯うなるのかといえば、マサノブ君は『生命の實相』を“海綿”が水を吸い取っていくが如くに熟読せず、“批評家精神”で読んだが為に、『生命の實相』の真理を正しく理解できず、自分流の「マサノブ理論」を勝手に作り上げてしまって、この「マサノブ理論」と言う観点から文章を書いているからであります。

もう少し具体的にいえば、彼・マサノブ君の現象論は、「三界唯心所現」での現象論ではなくして、「唯物的現象実在論」とでも言うべき現象だけの解明に終わっているのであります。このことは今回の上記投稿文にもハッキリと現われているのであります。



A 今回のブログ投稿文である、<オリンピックの東京開催をどう考えるか>を通読して解ることは、この投稿文は、喩えて言えば、高い料金の特別観客席に坐って、その前の舞台で上演されたり、眼下の競技場で展開されている各種競技の様子を、評論家的に眺めて評論文を書いているようなものであります。

さらに、彼・マサノブ君の坐る高額の特別観覧席の切符は、彼・マサノブ君が自ら稼いだお金ではなく、信徒の浄財を使ってその高額観覧席に座っているのであります。彼には明日の生活費を稼ぐ庶民の心情など理解できていないのであります。

なぜならば、“終世総裁”という規定によって、彼の生活は死ぬまで超高額給与で保障されているからであります。この様な状況のもとで書く彼の原稿は、どんなにマズイものであっても、広報係の茶坊主は押し戴いて「聖使命新聞」や各種月刊誌に掲載されますが、次第に信徒は彼の文章には拒絶反応を示すようになって来ているのであります。



B このように書きますと彼・マサノブ君は斯く言うでありましょう。「自分は、何も働かなくて(労働しないで)総裁報酬を得ているのではない。立派に自分の給料相当の働きをして稼いでいるのだ、それは、講習会で講話をしたり、月刊誌に寄稿しているではないか、単項本も出版して稼いでいるではないか。また、教団の最高経営者として教団運営を立派に行なっているではないか、その見返りとしての給料だ。自分の給料は自分で稼いでいるのだ」と反論するでありましょう。

彼はこのように言うでありましょうが、何おか況や! だだ、単に開祖・谷口雅春先生の遺された有形無形の遺産を受け継いでいるだけで、実のところ、彼は何一つ自分の力で稼いではいないのであります。

そこで、彼・マサノブ君の講習会の講話の中心「自然との共生の生活」・「神・自然・人間の大調和」・「温暖化防止のためのCO2削減運動」について今回は従来よりも一層詳しくその根本的欠陥について申し述べさせて頂きます。




[ U ] マサノブ流の「森の中の生活」・「CO2削減政策」の持つ種々なる欠陥



@ 先ず第一は、マサノブ君のいう「自然との共生」のモデルである「森の中のオフィス」は非常に不徹底な「自然との共生」であります。どこが不徹底かといえば、マサノブ君自らが「森の中へ行く、といっても何も“原始生活に還る”というわけではない。今までの(物的・精神的)生活水準はそのまま保つ」と明言しているからであります。

彼の基本思想は、日本を含めた世界の経済発展(GDP成長)は自然を破壊する“人間至上主義”である。建設資材と機材とエネルギーを投入して温暖化を促進しCO2排出が更に増加する、(このような状態の延長線上に「東京オリンピック」が考えられているから反対だ)というのであります。



A しかし、「森のオフィス」の建設自体を振り返ってみても、<建設資材と機材とエネルギーを投入して、そこへ大規模な太陽光発電によるエアコン装備の巨大施設を造り、世界中の大勢の信徒の見学会を催して、さらに大量のCO2を排出>させているではありませんか? 言行不一致であります。

さらのこの巨大な「森のオフィス」の維持管理のためには、また太陽光発電設備の取り換えもそのうちに必要となり、結局のところ、人間至上主義経済下の自然を破壊して作られた生産物(商品)を購入しなければ維持管理すらできないことになります。

電気自動車を導入してCO2削減を図るといっても、その電気自動車も電気も充電設備もすべて人間至上主義経済下の工場で自然を破壊して手に入れられた原材料からの生産物であります。マサノブ君はじめ「森のオフィス」で生活する職員の人達は食料品を自給自足するわけではありませんから、一般市場から購入するわけです。そのような農産物や水産物、その他の生活用品は、人間至上主義経済下の自然を破壊して作られた生産物であり、そのすべての生産・製造過程では大量のCO2が排出されているのであります。

マサノブ君はこう言った過程のことは一切無視して、ただ自分たちの「森のオフィス」の狭い敷地内だけではCO2は出来るだけ排出せず、「自然との共生」を実践しているといっているに過ぎないのであります。これが、全人類の目指す「自然との共生」のモデル作りだ、とはよくも言えたものであります。この明白な自己矛盾は一言で言えば「他人には手を汚さしめて、自分の手は汚さない」と言う言葉で表わすことが出来るのであります。



B したがって、マサノブ君の信じる地球温暖化の原因となっているCO2の排出をもっともっと極限まで少なくしていくためには、<他人の手も、自分の手も汚さないで綺麗な状態に保つ>ことを実践して行かなければならないと言うことになるのであります。

 結局のところ人類は太古の原始生活に戻らなければならないということになります。ここまで還って始めて本当の意味での自己矛盾のない「自然との共生生活」という事になるのであります。宗教家を自認するならば、此処までの純粋性を要求されてしかるべきであります。



C この様な徹底した原始生活に戻った「自然との共生生活」を、先ず日本が率先して、日本の国全体に広めていった場合にはどのようなことが起きるでしょうか? 

言うまでもなく、共産中国や韓国北朝鮮が、「日本人はほんとにバカなことをしてくれるもんだ」とせせら笑ってたちまち近代化された軍隊で極めて容易に日本占領を果たすでしょう。そうなれば元も子もないではないですか? とマサノブ君に質問すれば、

マサノブ君は「私はそんな原始生活に還るなんていってはいないでしょう! 出来るだけ自然を破壊しないようにしましょう、と云っているだけです。原始生活に還るなんて極端すぎる暴論ですよ」と答えるでしょう。

とするならば、マサノブ君の「自然との共生生活」は、振り出しに戻って、上記の自己矛盾を含んだ<他人には手を汚させておいて自分の手は汚れていない>と主張する“ダマシのテクニック”となるのであります。これでは宗教家としての誠実さが少しも感じられないのであります。



D 次に考えなければならない事は、人類が「自然との共生」を徹底したならば、原始生活に還ることによってしか実現できないことになります。しかしこうすることが果たして神様の御心にかなうことだろうか?という事であります。此処の所をマサノブ君は自己の主張を徹底させず曖昧にしてしまっているのであります。この曖昧さが間違いなのであります。

何故、かれの論が間違いなのか? と申しますと、マサノブ君は、地球環境破壊現象を解決する為に、現象的物的手段で解決しようとしている点にあるからであります。都会を捨て“森の中”へ住居を移す手段によって解決すべき、解決できると考えているのであります。

これは、唯物的解決法であって幼稚な思考であります。「三界唯心所現の理」に基づいた考えではないのであります。物質的方法による解決策は政府が考えるものであります。宗教家は根本的原因からの解決を図らねばなりません。



E その根本的原因とは何か?について、彼・マサノブ君は、自然を破壊してまで人類だけの繁栄を求めるところの「物質文明の経済成長至上主義」にあるとし、その経済成長至上主義は「人間至上主義思想」に起因していると論じるのであります。

しかしながら、彼・マサノブ君の原因追及はここでストップしてしまっており、政府の環境対策と同じ物的方面からの環境改善を訴え、それが教団挙げてのCO2排出削減運動であり、都会を捨て森の中での自然との共生生活という形を採ったのであります。

これはあくまでも唯物思考にしか過ぎません。マサノブ君は、「人間至上主義思想」までは原因追求をしましたが、ここで思考をストップしてしまえば「人間・神の子」ではなく「人間・罪の子」思想になってしまうのです。大切なことは、本来「人間・神の子」であったのが何故「人間至上主義思想」思想に堕ちてしまったのかということであり、それは「人間・神の子」と言う神性を唯物論で隠蔽してしまったからであります。

此処が地球環境破壊問題の根因であります。第一原因であります。故に根本対策は人類がこの神性隠蔽から如何にして脱出するか? つまり、「唯物論的生活価値観」から「生命的霊的生活価値観」への人類全体の思想変革であり生活価値観の変革であります。この分野を担当するのが宗教界の役割なのであります。マサノブ君はこの本来担うべき宗教界の使命を放棄し、行政府と同じ事をやろうと考えたのであります。



F 名簿登録の実質会員2万人程度の生長の家のマサノブ信奉信徒が必死になってCO2を削減した生活に切り替えたにしても、地球社会全体から見れば大海の一滴すらの実際効果もないのであります。そんなものに信徒の浄財150億円を投入する事など何の価値も無く、マサノブ君の個人趣味(蕩尽)と言われても仕方のないことであります。

また、東京オリンピックの開催を中止したとしても、その代わりにどこか他の国で開催が行われれば、これまた大量のCO2排出が為され、どこでオリンピックが開かれても同じ事であります。本当にマサノブ君が真面目に徹底してライフワークとしての温暖化防止のためのCO2排出ゼロを成し遂げたいのであれば、国際オリンピック委員会で大演説をすべきであり、各国首脳に面会を求めてオリンピック廃止を訴え続けて行くべきであります。

彼はそこまでする情熱もなければ努力もしていないのであります。ただ、総裁室のパソコンに向かってオリンピック反対の文章をコーヒーを飲みながら悠然とした態度で打ち続けているだけであります。パソコンオタクの引き籠もりの単なる学者的三流評論家であり、お山の大将の幼稚園児であります。



G 結局のところ、マサノブ君の「自然との共生」という森の中での生活は、原始生活に戻るのではなく、今の生活水準を維持しながらというわけでありますから、お金に恵まれた一部セレブ階級の別荘生活と同じであり、その生活自体が、「人間至上主義」の象徴たる資本主義経済社会の存在あって成り立つものであります。

もっと具体的に言えば、その環境破壊の元凶たる資本主義社会機構の中で働いて得た信徒達のお金の中から奉納されたお金で森の中の生活の基盤が賄われているのであります。この自己矛盾にはマサノブ君は一切触れないのであります。彼はズルイのです卑怯なのです。どうして、真面目な宗教家などと言えましょうか?



H また、マサノブ君は『生命の實相』の拾い読み読者であるため、生長の家の真理の重要部分がわかっていないのであります。地球という星の宇宙全体の中での霊的存在意義が解っていません。個生命としての人間の霊魂は、完全な實相の顕現という目標に向かって無限の転生を繰り返し、現にその途上にあるのであります。

これを現象面あから見ると霊魂の進化向上という事になり、その中間課程に於けるタマシイの道場が地球という星の存在であります。人々は自らは意識していないのでありますが、自己人生の中での病悩苦の体験を通じて人間とは何か、人生とは何か、何故今生は地球へ出生して来たのかの根本問題を無意識的に追及し、回答を得ようとしているのであります。

魂の発達段階の異なる人々との切磋琢磨(イモ洗い)を通じて霊魂進化を果たす所が地球現象世界なのであります。なかんずく日本人として今生を送ることを自己決定して、或いは摂理の手によって生まれてきたわれわれは、この地上に神様の御心にある中心帰一の真理の開花した天皇国日本という理想的真理国家の実現という民族的共通目標の下に地上に誕生した霊的レベルの高い民族であり、われわれはその目標に向かって努力しなければならないのであります。

この努力を通じて個生命としてのわれわれの霊魂はまた一歩完全な實相顕現への階梯(タマシイ階段)を昇って行くのであります。地球という星での霊魂としての練成を卒業した霊魂は、更に上級の天体での修行へと旅立ち、地球での修行半ばの霊魂は何回でも卒業が出来るまで地球上での神性開発の修行のため霊魂の再生を繰り返します。と同時に、一方においては、地球より霊的低レベルの星での魂の練成を卒業した個生命体(霊魂)は続々とこの地球という星へ生まれて来ているわけであります。



I 従いまして、「人間至上主義思想」によって自然が破壊されている現状を如何に解決すべきかの環境問題は、成るべくして成った問題であり、この問題を物的にも霊的にもどのように魂修行の面から解決していくか、これが全人類に与えられた今日的課題であります。

日本人は、かつての高度成長時代に派生した深刻な“公害”を可能な限り低レベルにまで落とすことに成功しました。原発公害も時間は掛かりますが必ず科学的にも解決され、脱原発の長期的課題の解決が純技術的にも必ず出来ると考えて間違いがありません。

ただ問題なのは、そこに経済的利権問題が常に絡みこんできて技術的解決を遅らせると言う事が問題であります。更に、自社の売上を伸ばすためにマスコミ・マスメディア業界が徒に危険意識を助長させるため、報道による無責任な風評被害が全国的に過大傾向になっていくことこそが問題であります。

宗教家を名乗りながら物的解決法を重視して、都会を捨て森へ引き篭もるマサノブ流解決法は宗教界の提示実践すべき解決法ではないのであります。唯物価値観から霊的価値観への「観の転換」こそ宗教界の提示すべき根本的対策であります。

そのためには森の中に引き篭もらずに積極的に都会のなかで活動しなければならないのであります。その意味に於いても、宗教界はもっともっと教育界に目を向けなければならないのであります。

150億円は本来ならば長年の懸案であった「生長の家総合学園」の建設に向けられるべきであり、此処でしっかりと「谷口實相哲学」・「生命の實相哲学」を学び錬成を受けて体得し、かつハイレベルの専門的知識と技術力を持つ人財を輩出し、100年計画で日本社会の生活価値観の転換を図る方向を目指さなければならないのであります。



J 最後に、マサノブ君は書いております。<我々の贅沢な生活や、放縦的なライフスタイルによって途上国の罪のない人々が死傷するという現象が、今後続いていくことになる。それでも五輪を開催して、自分たちの経済発展を進めていこうというのだろうか。私は、こういう倫理観の欠如した国の政策を嘆くのである。 >

 しかし、このような文章を書く資格が彼・マサノブ君にはあるのであろうか? 「否」であります。そこで、マサノブ君よ!「自らの説教に自ら忠実であれ!」この意味で信徒の立場から次の如くこの文章を書き換えをさせて頂きます。


(書き換え文)

<マサノブ(自称)総裁の贅沢な生活や、放縦的な蕩尽型のライフスタイルによって純朴な信徒の人達が続々と教団を去っていくという現象が、今後続いていくことになる。それでもセレブ・ヒキコ森生活の私的な趣味生活に突き進むのみ、自分だけの満足の夢実現を進めていこうというのだろうか。信徒の私たちは、こういう倫理観の欠如した独りよがりの独裁権力者の教団運営政策を嘆くのである。>

倫理観の欠如しているのはマサノブ君、君の方ではないのかね? 気に入らぬ者を左遷人事で退職・追放し、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に反逆し、大調和の神示に反して自分の兄弟を追放し、母親をも軟禁状態にして電話や来訪者を監視している・・・これこそ倫理観の欠如そのもののマサノブ君ではないないのかね!




< 総括 >

このようにマサノブ君は、オリンピック東京開催に反対の立場を明確にした。その理由として、彼は、東京オリンピック開催は経済拡大政策となり、更なるCO2の大量排出により地球温暖化が加速され、原発も再稼動され日本列島が放射能に覆われる危険性を挙げる。

しかし、徹底して現代資本主義経済活動を捨てて原始生活に戻れとは言わず、森の中へ行っても現代の科学文明と資本主義経済社会での生産物は依然として購入消費する生活レベルを維持するという。

この内的自己矛盾を持つ彼の「自然との共生生活」をわかりやすく表現すれば本文でも書きましたように「他人に泥棒(自然破壊)させておき、その盗品をマネーロンダリング(質入れして換金化)して、そのお金を自分のものとして活用しながら、自分は泥棒はしていない」と言い張る知能犯罪者であるといえるのであります。

そしてまた、他人には倫理観の欠如を指摘しながら、自分は特別な存在であるから倫理観は考える必要はないと嘯(うそぶ)く本当に救いようの無い自称・宗教家であります。この様な人物が天下の「生長の家総裁」として名乗って堂々としていることは、信徒としては世間様に恥かしい限りであります。

総裁の座から降り、教団外へ立ち去り「マサノブ教」として独立すればわれわれは何も文句はつけないのであります。しかし、彼はわれわれが何と言おうとも反省はしないでありましょう。

それどころか、逆に彼・マサノブ君は、他の投稿者の方々も指摘されているように、自分を霊界からの啓示を受けることが出来る偉大なる“シャーマン”として位置づけ、それを自己確認する為に、そして啓示を受けるために、信徒にはその内部を公開しない「聖なる建物」を「森のオフィス」の北側に建ててその主(あるじ)となったのであります。

彼・マサノブ君の今の自信と暴走はそこから来ているのであります。かつて、カルト路線を歩んで自滅した「オーム」のイメージと重なって見えてくるのは当然のことであります。やがて“天の鉄槌”が彼・マサノブ君の頭上に振り下ろされる日は近いと思われるのであります。

しかし、マサノブ君の気ままによって教団が潰れて行く事を座視することは出来ないのであります。理事・参議の教団最高幹部は全く頼りに成らず。末端信徒の力で天下の「生長の家」教団を崩壊から救い、再復活を図っていくしかありません。その為に末端信徒の立場で出来ることはとりあえず、「聖使命会費」の一時的納入休止とマサノブ総裁講習会の受講券の購入を勇気を持って拒否することであります。 










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