生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「マサノブ教」のオリンピック反対意見が内包する矛盾について (2041) |
- 日時:2013年09月20日 (金) 10時31分
名前:信徒連合
マサノブ君の「唐松模様」の東京オリンピック開催反対意見とそれを支持する「マサノブ教」信奉信徒さんのコメントは下記の通りであります。掲載「コメント」はすべて、マサノブ君の意見を支持する東京オリンピック反対意見のみが13でしたが、マサノブ君のブログのコメントには厳重な検閲が為されておりますので、これ以外に沢山の東京オリンピック開催賛成コメントも寄せられていたはずであります。
それはさておき、マサノブ君の意見とそれを支持する反対派の信徒たちの意見には大きな矛盾点があると思うのであります。それを指摘させていただきたいと考えるものであります。
先ず、マサノブ君の発言とそれを支持する信徒さんの賛成意見の概要を掲げておきます。
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平成25年9月 8日 (日) =オリンピックの東京開催をどう考えるか= (要旨転載)
<< 2020年のオリンピックを東京で開催することが決まった。・・・残念なのは、2011年の東日本大震災と原発事故・・・何万人もの尊い命が失われ、それ以上の数の人々の故郷が失われたにもかかわらず、「これまで通りの経済発展を目指すことが日本の進む道だ」という方針を、わが国は少なくとも7年後まで継続することになるだろう。・・・私が東京五輪に反対の理由は、この人口超過密の世界最大のヒートアイランドに、さらに建設資材と機材とエネルギーを投入して温暖化を促進し、そこへエアコン装備の巨大施設を造り、世界中から大勢の人を招び寄せて、さらに大量のCO2を排出することを、京都議定書を生んだ国の政治・経済政策にしてはならないと思うからである。我々の贅沢な生活や、放縦的なライフスタイルによって途上国の罪のない人々が死傷するという現象が、今後続いていくことになる。それでも五輪を開催して、自分たちの経済発展を進めていこうというのだろうか。私は、こういう倫理観の欠如した国の政策を嘆くのである。 谷口 雅宣 >>
<上記、マサノブ君の文章に対するコメントは下記の如し>
@ << ただただその通りですと申し上げるしかございません。オリンピック=経済発展という大昔の迷信を未だに信じてる人が多い事にただただビックリです。偽りの東京オリンピックバブルで、国の借金とCO2の排出が増えるであろうことを考えるとただただ残念でなりません。>>
A << 私も東京招致には大反対です。日本は瑞穂の国…農業やもの作りの国であって、公共事業の国ではないはずです。これ以上ハードは要らないと思います。介護保険は破綻寸前です。国はもっとやるべきことがあるはずです。私たち、地方講師は今こそ心をひとつにして、総裁先生に中心帰一して、正しい教えを日本に、世界に伝え、広げていかないといけないときだと思います。 間違った政治や宗教は多くの人を惑わします。これは罪です。>>
B << このオリンピックでco2の排出量は一揆に地球環境破壊に繋がる可能性が考えられる。人間だけの繁栄では決して地球は危機から脱出でないと同時に人間の生命維持は保証されない。人間は自然に生かされている一部であることを私たちは忘れてはならない。私は反対ですnouとはっきり言ってよいのである。>>
C << 生長の家はご存知の通り、「生長の家の大神ー総裁、副総裁ーみおしえ」ですよね。そこを貫くところの真理を私たちは常に、心に、運動しないといけません。ブラジル人信徒さんたちだって、ブラジルや東京での招致に反対してる人はたくさんいますよ。もう、この国は、欲望だけ。経済最優先なんだ。原発問題は何も解決してないのに。」と言われました。介護保険ひとつとっても、日本はもう、立ちゆかない状況なのですよ。生長の家は実相を観る教えだが、現象を無視しなさいとは言っていない。東京招致なんかしたら、日本はどうなるんでしょうか?神さまは人間に、知性を与えられたのに、人間はあまりにも愚かなことをして、自然破壊しています。オリンピック東京招致に光明なんて見いだすのは私には無理です。>>
D << 「多くの人が喜ぶから良い」とか「大勢が賛成するから正しい」ということで、よく考えずに行動する事は大変危険であり、民主主義の大いなる矛盾であるとも言われています。オリンピックの問題も原発の問題も根っ子は同じだと思います。地球温暖化による気候変動があり、原発は生物の生存を危機に晒します。だからみんな嫌なのです。嫌だけれど、危機は嫌だけど、現在の豊かさや快適さは、維持したいと思っています。経済発展至上主義とは違う生き方の方が、余程人間らしい生き方ができ幸せ度も増すでしょう。そういう意味では、生長の家が本部を森の中に移転し、脱原発を実際に実行する事は、大変説得力のある行動です。誰もが同じ事はできないかもしれませんが、同じ方向に努力する事はできます。>>
E << 僕はこのオリンピックは唯物論の金儲け主義ここに極まれりの象徴だと思います。それは迷いだから、必ず自壊しますよね。私はこのオリンピック東京開催というのは人類の迷いの自壊作用の始まりであり、そこから第二の天孫降臨という事が地上世界で後々起こって来るのではないかと思ってます。>>
F << オリンピック過去開催地の跡地の状況、16年のリオや18年の平昌の準備状況、第一回大会(参加者245名、開催期間10日間、参加国14ヵ国)からの変化、ロス五輪以降の商業主義の問題、いろいろ考え合わせてもスポーツ振興のあり方は変わるべきだと思います。少なくとも一つの都市で一万人以上の選手、及び関係者、観客を集めてのオリンピックは総裁先生が言われるように時代錯誤と思います。一刻も早く現在の世界が置かれている状況、囚われている迷妄に気づかれることを願います。>>
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マサノブ君を始め、環境問題から東京オリンピック開催反対を主張する信徒さん達の抱える問題点とは――
* 現代の地球という天体は霊的宇宙の中でどのような位置にあるのか?の考察を欠く。
* 個生命の進化向上という観点からの考察を欠く。
* 人間神の子無限力という観点からの考察を欠く。
* 経済的苦境に喘ぐ人達をどのような方法で救済するか?の考察を欠く。
* 宗教の荷うべき形而上的役割という事が考察されていない。
以上の5点であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を学んだものとしての考えを、以下詳しく述べさせていただきます。
@ 宗教とは現状の依って来たる根本的真因を先ず考えなければなるぬのであり、その上に立っての現象措置を確立実行すべきが大切であります。その意味で、先ず、<現代の地球という天体は霊的宇宙の中でどのような位置にあるのか?>からスタートすべきと考えます。
A 『神、真理を告げ給う』P.62〜63には、<< だいたい人口の増加がこのまま続いて行けば地球上の限られた面積と資源の上で大人が生活できなくなるから、小さな子供は殺してしまった方がよいというような考えが間違いなのである。そのような考えは、人間の知識や能力が今のままで進歩しないという前提の下に、人口増加を考えるからである。人口の調節は、神意が自然に調節するようになっているのである。ある時期が来れば、大陸が隆起してきて、人間の住み得る陸地面積が大いに増加し耕地面積も大いに増加する。高級な一群の霊魂は、地球生活学校を卒業したら、地球から去って一層高級な天体に転生する事になっている。その時には人口が自然に減る。その人口の移動が太平洋の真中にあった“ムー大陸”や大西洋上のアトランティス大陸が物質文明の最盛期に海中に没し去ったような一大地変によるのか、戦争という人間の不幸なる争闘によるのか、その両方であるかは今それを言うことはできないが、高級霊が地上を卒業して去るときには地球上の人口が調節せられて自然に激減する・・・>>
同書、P.65〜66には、<< 地上で果たすべき最後の課程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還する事はない。その卒業移住と引き替えに、他の、地球よりも、もっと低い階級の天体に住んでいた未発達の多くの霊魂が恰も中学卒業の子供が高校へ入学して来るように、地球に移住して来たのである。それが戦後に生まれて来た人たちの霊魂である。彼らは他の天体に今まで住んでいて、他の天体で発達した文明と文化と習慣との中で生活した霊魂であるから、今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異なる道徳的基準を身につけており、全く戦争前地球人とは全然異なる趣味と表現と風習とを持っているのである。けれども彼らはやがて地球というやや上級天体の生活法に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時が来るのである。世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。>>
同書、P.102〜103には、<< 人間の肉体は“わたし”の生命が地球上という“場”に於いて自己顕現するための必須の媒体として“わたし”がそれに生命力を与え、“わたし”の設計に従ってその機構が定められて完全に生理作用をいとなむように構造せられたものであるから、不完全な出来そこないというものは本来無いのである。けれども肉体の自我には完全な自治を与えてあるから、その自我の自由意志に従って、その完全な機構の運転を進めることも遅らすことも、乱調子にすることも、調和ある状態にすることも自由なのである。あなたたちも實相である“神の子”の真身は病まず、老いず、疲れず、永遠に健やかに、若々しい金剛不壊不老不憊の霊身である――このことをあなた達は決して忘れてはならないのである。>>
B 以上の3点の『御教え』を基準に考えると、東京オリンピック反対論の間違いと矛盾点の回答が出てくるのであります。明確に言えることは、戦前の日本人と戦後の日本人との物の考え方に於ける大きな違いは、戦前の日本人は「霊主肉従・心主物従」の価値観であったのが、戦後の日本人は反対の「肉主霊従・物主心従」の価値観へ逆転したと云う事であります。この原因は、肉体民主主義の精神を強調する現行のGHQ製の占領憲法の価値観に基ずく戦後教育によるものでありますが、霊的に見れば、地球という天体は神の生命の自己顕現の“場”でありますから、戦後生まれて来た人達の霊魂は、戦前の人達の霊魂よりも低いレベルの天体から、より高い魂レベルの修行を目指して地球という<やゝ>上級レベルの天体に生まれ変ってきた霊魂が主であったと云う事であります。従ってそれら戦後に生まれて来た人達は、まだまだ以前の「肉主霊従・物主心従」の価値観の残渣が強く残っていたため、「人間至上主義・経済至上主義」の価値観を優先した社会を築いてきたと考えられるのであります。そして、本格的なコンピューター時代に入ってからは、また別の天体からの別の価値観を持った霊魂群がこの地球という天体へ転生してきている観が見えるのであります。
C 地球という生命体の発展段階は、鉱物界→植物界→動物界→人間界へと発展し、人間界に於いてもまた、原始洞窟狩猟生活時代から現代の物質科学最優先時代へと発展的段階を昇って、遂にその限度を破って、霊魂修行の“場”である地球自体をも破壊してしまう環境破壊問題まで行き着いてしまったのであります。そこで、次第に全世界の人々がその誤りに気付き、環境回復運動を開始し、マサノブ君も環境問題は時代の要請だと認識して、マサノブ教団の総力を挙げて「自然との共生」の価値観の下、全信徒に都会生活を捨て森の中への移住を進め、そのモデルケースとして「森の中のオフィス」を造ったのであります。
D しかし、この「マサノブ・モデル」はそれ自体が致命的な矛盾を抱かえているのでありますが、信徒の皆さんは未だ気がついておられません。マサノブ君は抜群のIQ指数の持ち主(知能指数の高い人)でありますから、彼はこの矛盾をとっくの昔に気がついているのでありますが、自己中心の権力欲と金銭欲と名誉慾からこの矛盾点を隠し、純朴な信徒たちを欺き続けているのであります。そして今回は又もや地球環境問題からの“東京オリンピック反対論”をぶちあげ、指導的立場である筈の“準教務・地方講師”まで完全に洗脳されてしまっているのであります。
E どこが根本的矛盾点なのかといえば、マサノブ君の主張する「自然との共生」の生活とは、「自給自足の原始生活に戻ることではない」と明言しております。そして「森の中で生活しても現在の生活水準(電化生活・電子情報生活)を維持する」ともハッキリと明言しております。すなわち、この掲示板でも度々指摘されているが如く、“人間至上主義経済社会で自然を破壊して生産されたものは、今までの生活水準を維持する為に、お金を出して購入し続ける、但し無駄なものは出来るだけ購入しないけれども。”と云う事であります。この考え方は“他人には手を汚さしめておいて、自分の手だけは綺麗ですよ”と言っているに過ぎないのであります。なんと得て勝手な言い草でありましょうか。
F マサノブ君の擁護派の信徒さんは、「雅宣先生は真面目な性格のお人だ!」と仰いますが、どうしてどうして、現象のマサノブ君は冷酷な自己中心主義の権力欲と金銭欲の権化であり、それは「類は類を呼ぶ」法則による低級霊界との霊的交流を受ける“シャーマン”としての強い信念から来るものであります。彼が、本当に純粋な真面目な宗教家であるならば、CO2の極力削減の為に貨幣資本主義制度から完全に身を引いて、完全な自給自足の原始生活に率先垂範して戻らなければならないのであります。しかし、彼はその方向は採らないのであります。この点に於いて、かれの発言はそれこそ真面目な純粋な信徒さんを上手に欺瞞していることになり、どうして宗教家などといえるでありましょうか?
G マサノブ君の「環境論」を徹底的に推し進めた場合の人類社会の「自然との共生」の相は“自給自足の原始生活”に戻ると云う事であります。この自給自足の原始生活に戻った場合においては、地球の自然環境は回復するかもしれませんが、地球という生命的天体自身の進化のために起る大陸隆起、大陸陥没、地球規模の大水害、大津波、火山の大爆発などは無くなるものではないのであります。この観点からいえることは地球上に生まれた生物は地球全体の大きな流れとしての進化の道に適応した発展過程(自壊作用を伴なった實相顕現課程)に順応して、自ら努力をしながら魂の霊的発展を図っていくことが大切だということがわかるのであります。
H もう一つ、マサノブ君の考え方の誤りは、表現の上では「多様性」尊重と言う言葉を使っておりますが、内心では、實相世界とは無色にして静寂なる墨絵の如き単一単色有限世界だと考えているのではないかということであります。本当の實相世界とは「言うに言われぬ至美至妙なる活気凛々乎たる総天然色の錦絵の如き無限創造の世界」であります。マサノブ君の思想からは,“都会を捨てた森の中の生活”という発想しか出てきません。しかしこの「森の中での自然との共生」、究極的には「自給自足の原始生活への帰還」は多くの人が受け入れないところであります。一方、地球という天体は個々の霊魂(個生命)の霊的進化向上への霊魂修行の“場”と言う考え方に立てば、都会であろうが、森の中であろうが自己の想念(価値観)次第で環境を改善し、霊的進化を図ることは出来るのであります。霊的進化を図る人間は“泥中にあって既に咲く蓮華”(同書、P.129)であるべきであります。マサノブ君の思想は泥中からの自己中心的な逃避思想であります。
I マサノブ君の「人間は自然の一部である」と言う考え方は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に反するものであります。『神、真理を告げ給う』P.134〜135には――
<< けれども人間たちよ、“わたし”は創造主(つくりぬし)として“あなた”達を被造物としてつくったのではない。“わたし”は“あなた”達を生みだしたのだ、“神の子”として産んだのである。それゆえ、あなた達は“わたし”の後嗣者(こうししゃ)なのである。・・・“わたし”のもつ一切の善徳を“あなた”達のすべてに譲って、あなた達のひとりひとりが“神の子”として、他の一切の被造物を支配し、塩梅し、可不及を調節し、すべてのものに適当な位置と役割とを与え、すべての創造(つく)られたるものが、互いに相食(あいは)むものなく、傷付け合う者なく、天地一切が、神の国、即ち“霊的實相の世界”の通りに渾然一体に調和あらしめる権利と能力(ちから)とを与えたのであった。>>
と書かれているのであります。このことを一言でいうならば、「人間神の子・無限力」という事であります。
J われわれ日本人は、所得倍増政策による高度経済成長時代の副産物であった大きな全国的公害を沈静化せしめたのでありました。これは言うなれば、当時の日本人は無意識的に「人間神の子・無限力」の自覚をもって官民協力して公害防止の制度(法律)と技術開発によって公害の沈静化と新たなる公害発生を極力抑制したのであります。マサノブ君のように山と森の中へ引き篭もらず、敢然と公害(今の環境問題)に対して挑戦したのであります。
K しかし、マサノブ君は言うであろう。「公害防止技術は格段に向上したが、人間社会は依然として都会集中型の物質的欲望と物質的快楽を追い求める社会が続いているではないか!その結果として資源は浪費され、CO2は大量に排出され温暖化が進行し、環境破壊が進んでいるではないか! 斯くなる上は、人類は欲望の渦巻く都会を捨て、山や森の自然の中で欲望と浪費を抑えた生活をすべきだ。それを宗教者が率先して行わなければならないのじゃないのか?」このように言うでありましょう。
L ここで、今ひとつのマサノブ「環境論」の重大な欠陥があるのであります。それは、東京オリンピック開催がまた再び公共投資を活発化し、経済至上主義を最優先させる結果、従来以上のCO2の増加や資源の浪費、自然破壊をもたらすからやめるべきだということが正しいとしても、それでは現代社会の低所得階層の人達の所得を向上させるにはどのようにすべきなのか? 資産階級から税金を高くとって低所得者階級への政府からの支給をふやせばよいと云うのであろうか? この様なことでの低所得者階層の経済的救済をマサノブ君が考えているとしたならば、マサノブ君は現代資本主義経済についての考察は落第生であるのであります。
現代日本は、社会主義制度の要素を加味した資本主義経済制度の中にあります。この経済制度の中で、低所得者階層の所得増加を図る方向は、一国全体の生産と消費を拡大させ、GDP拡大によるしか方法が無いわけであります。これは唯物的生活価値観社会である限り仕方のないことであります。
このように、マサノブ君はオリンピック反対を、環境問題から論じているだけで、大きな社会問題化して行きつつある貧富の二極分化の解消と、低所得者階層の経済的救済を何ら考慮していないところの冷たい心を持った宗教家でしかない、ということになるのであります。まさに、“四無量心”を説く資格などないのであります。 宗教家ならば、此処で現代の金儲け中心の資本主義経済制度に替わる人類の目指すべき霊的価値観に基ずく社会経済のあり方とそこへ到達する明確な道(霊的生活価値観確立浸透への道)を示すべきであります。
M なぜ、日本で公害防止技術が進歩したにもかかわらず、資源浪費とCO2の大量排出がますます増加して行き地球環境の破壊が止らない原因をマサノブ君は(気付いてはいると思いますが)無視しているのか?であります。この原因分野は形而上的分野であるため、言行不一致をモットーとする彼は、あえて踏み込まないのであります。良心の呵責を感じるからなのであります。
現代人は、常に物質方面のことのみに心を奪われ、肉体の“低い自我”を霊的次元の“高い自我”の方面に心を振り向けない、つまり唯物的生活価値観を持って行動するため、その人類的総合想念が自壊作用としての“環境問題”を生み、“自然災害”を引き寄せ、“事故災害”を発生させているのであります。従って、どうしても唯物的生活価値観から霊的生活価値観への転換を図らぬ限り、上記諸問題の根本的解決は出来ないわけであります。
N 個人的段階での霊的価値観の生活に入る基本事項が、『神、真理を告げ給う』P.108以下に書かれております。
イ そのひとつは、人間は肉体そのものではなく、“神の子”たる霊的実在であると云う真理を繰り返し読むことである。読むことによって智的に自己の實相の尊さを自覚するのであります。
ロ 第二は祖霊の祭祀を丁寧にし、祖先の霊を呼び出してこれに真理の聖経を毎朝夕読誦して真理の自覚を、祖霊と共に、自己もまた深めることである。あなた達の祖先の霊魂は真理を深く自覚する程度に従って、その神通力を増し、あなた達子孫を護ってくれることになる。
ハ あなた達自身の魂の訓練、すなわち“低い自我”が“高い自我”と融合し、全心身によって“人間・神の子”の真理を深く自覚するための第三の道――一定時間、外界に散乱する心を一所に集めて散乱せしめず、その集めたる心を霊的実在の世界に集中的に振り向ける静坐の修行をする事である。
O この三つの日常的な“霊的修行”をなし、徳行(天の蔵への貯金)を積んで行くならば、苛酷な現代資本主義経済制度下に於いても、最下層階層に落ちぶれてしまうことは決してないのであります。ホームレスやフリーターで経済的苦境を抜け出せないひと達は、今まで霊的生活価値観とは縁遠い生活を送ってきたひと達であり、このような霊的価値観生活への転換を考えないで、忘恩的な唯物的生活価値観をそのままにして、公的援助を増やし続ければ国家経済は破綻するは必定であります。故に、国家政策としても、唯物的教育から霊的教育へと公的教育内容の転換が必要となるのであります。そして先ず「隗より始めよ」というのであるならば、「生長の家」としては、練成会の振興のみならず、「生長の家総合学園」の設立によって、50年先の効果発現を目指して、「谷口哲学」を身につけた人財を排出していくことが肝要であります。
< 総括 >
@ オリンピックというものを「人間神の子・無限力」への一つの挑戦と見るならば何も反対する必要は見出されないのであります。但し、唯物論的価値観によって余りにも勝ち負けに捉われすぎる弊害が近年益々顕著になって来ておりますので、霊的価値観に基づいたオリンピックへの変身の必要性はあると言う事が出来るのであります。
A 環境問題から東京オリンピック開催を反対して中止しても、現代世界の唯物的価値観の下では、東京以外のどこかの国で開催され続けられることになります。これに対して、反対論者はオリンピック自体の廃止を主張するでしょうが、それと関連する低所得者階層の経済的救済対策に関してどのような解決策を持っているのでしょうか?
B 斯く考えるとき、「マサノブ教団」の環境問題に主軸を置いたオリンピック反対論は、左翼政党の“何でも反対論”の類であります。左翼政党と同じくマサノブ君は、世界の資源買い漁り、CO2排出大国である共産中国に対しては完全沈黙であります。これに関しては如何でしょうか?
宗教家の使命は人々の唯物的生活価値観を霊的価値観に転換していくことに主眼を置くべきで、政府や自治体と同じ物的手段で環境問題に取り組む姿勢は間違っているといえるのであります。
「森のオフィス」150億円の浄財使用方法は間違っているのであります。「都会を捨てて森の中へ」の提唱も間違いであります。マサノブ君はじめマサノブ君の意見に同調する信徒さんの猛省を求めるものであります。
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