生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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『實相』礼拝の廃止について (2242) |
- 日時:2013年10月11日 (金) 13時07分
名前:画龍点睛
合掌、ありがとうございます。 一昨日来、埼玉教区での『實相』礼拝の廃止に関してのニュースが「本流」関連の掲示板に掲載されました。
<< 埼玉教区の白鳩会の支部長会議でのこと。連合会長は開口一番、こう言ったというのです。上からのお達しで、「実相礼拝」はしないことになりました。そのまま「招神歌」を唱え、「世界平和の祈り」をして、「大調和の歌」で終わる、これが開会の祈りです。会議終了の祈りは、「世界平和の祈り」をして「大調和の歌」で終わる、こういうことになりました。>> http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=385
この<特報>記事に関して、基本的姿勢がマサノブ君擁護である「トキ掲示板」の「トキ管理人」氏がその真偽の程を確認した記事が今朝掲載されました。
<< 3754 名前:トキ 投稿日: 2013/10/11(金) 09:55:18 ID:fy0OTQvA 埼玉教区で実相礼拝を中止した、という投稿が、光明掲示版で騒ぎになっています。この件を調べたのですが、埼玉教区限定の出来事みたいです。他の教区ではそういう事はなく、また、本部通達も現時点では確認できませんでした。埼玉教区は、有名なT教化部長です。森田先生、安東先生が大嫌いで、本流復活派には激しい敵意をしめす方です。ここの誌友会では、総裁の本をテキストにするので、他の教区から参加した人は辟易するとも聞いています。この人が、先走って、勝手にやっているみたいです。ただ、それが通るというのも困ったものですが。>> http://jbbs.livedoor.jp/study/11346/#2
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「生長の家教規」第六章 本尊 第六条 << この宗教の本尊は生長の家の大神と仮りに称するも、その教義にては生長の家とは「大宇宙」の別名なれば、大宇宙の本体者の応現又は化現とみとめられる。正しき宗教の救いの本尊たるものは如何なる名称の神仏もわが宗教の本尊として礼拝するのである。但しこの宗教には社殿、仏殿等を設けず、あらゆる宗教の本尊の奥にある「實相」(唯一の真理)を礼拝の対象とするため「實相」の書を掲げるものとする。
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@ 「トキ」さんは、この『實相』礼拝の廃止は、埼玉県教化部長の独断によるものだ、本部指令ではないと言っておりますが、ことはそう簡単ではないと考えられます。「上からのお達し」と埼玉県白鳩会連合会長は“ぼやかした”言い方をしておりますが、「上」とは、かの有名な直参女旗本・多湖周子教化部長なのか、5年で1億円男と揶揄されている影の将軍・イソベ理事長なのか、それともマサノブ将軍さまなのかは、定かではありませんが、支部長会議という公の席上で『實相』礼拝の廃止が通達されてきたのでこれに従うと発表されたのであります。
A これは明らかに、「生長の家」の憲法に当る最高法規「生長の家教規」第六条本尊の無視であり、廃棄であります。「上」に当るのが、教化部長であるならば“更迭処分”がなされてしかるべきであり、イソベ理事長であるならば“理事長更迭”が当然であります。教化部長の独断であって、イソベ理事長が知らなかったと云う事は通用しないのであります。理事長の監督責任問題でありますから、イソベ君も引責して辞任が至当であります。
B 最後には、総裁の責任問題が問われなければならないのであります。完全敗訴した「『生命の實相』著作権裁判」に於いても、指揮棒を振るい続けていたのはマサノブ君であることは誰もが認めているのであります。マサノブ君は、自分は一切表舞台に立たずに、理事長や実母の恵美子先生を訴訟当事者として表に立たせ続けた“卑怯者・親不孝者”であります。故に今回も、『實相』礼拝の廃止の指令はマサノブ君本人の指令であると見て間違いはないのであります。たとえ、指令を直接下さなくても、そこは30年近くを最上席の茶坊主として仕えてきたイソベ理事長が、マサノブ君からの直接指令ではないが、“阿吽の呼吸”で言わず語らずのうちにマサノブ君の意向を感じ取っての忠勤の行為であったと勘ぐられても何の反駁もできないわけであります。すべては、都会を離れた標高1200メートルの森の中の秘密の「北の建物・新総裁執務室」で決められてゆくのですから、真相は「森の中・八ヶ岳の霧の中」であります。
C いろいろと勘ぐられてもマサノブ君にはスキだらけであります。過去の実績を見れば分かります。
イ 「信仰による平和の道」P.112でハッキリと < 生長の家は宗教であり、政治思想やイデオロギーではないので“焚書坑儒”みたいなことはしません。> と広言しながら、開祖・谷口雅春先生の御著書の愛国論関係の御著書を絶版としてニュー信徒に読ませないようにしたり、自分に諫言する者を“雅春原理主義者”の烙印を押して左遷人事を強行し、退職に追い込んで行ったのであります。
ロ また、同書P.112に於いて、< 宗教的な真理は、時代によって動いてしまっては困ります。「人間は罪の子だ」と言っていた宗教が、ある日突然「人間は神の子だ」と言い出したり、また百年後には「やはり罪の子だ」と言うのでは、信徒が混乱してしまうし、だいいち、真理を伝えていることにはならない。> と云いながら、最近では「人間至上主義」と言う言葉で“人間は本質的には罪人だ”と遠まわしで信徒の意識変革(洗脳)を進めているのであります。宗教的真理も時代と共にその表現は変化する、という理屈で開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、『生長の家』と言う看板はそのままで、実質的教義を左翼唯物論へと入れ替えてしまっているのであります。
ハ マサノブ君に対しては、清超先生は「法燈継承」の認可は与えておられなかったので、これに窮したマサノブ君は、自作自演の“法燈継承劇”を強行演出して自称・三代目に収まっているわけであります。
ニ マサノブ君が肉体頭脳知で書いた「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は、最初は聖経・『甘露の法雨』に替わるものではなく、あくまでも“補強”といいながら、いつの間にやら「聖経」となってしまっているのであります。マサノブ信奉の教化部長や本部講師や教区幹部をして、自分は直接指示せずに“阿吽の呼吸”でそのように進めさせているのであります。
ホ 「鎮護国家」の表現廃棄、「御神像」の“神像”(美術品)呼ばわり、落慶式での『實相』額の引き上げと“雑木林”礼拝での「大自然崇拝教」への実質的路線変更、そして今回の“上からのお達し”による『實相』礼拝の廃止・・・すべては同一線上の流れである事が分かるのであります。
D 以上の如き観察によって、マサノブ戦略の特徴がわかるのであります。
イ マサノブ君は教団を意のままに動かして行くためには、教団の最高法規である「生長の家教規」を、総裁と副総裁に全権力が集中する仕組み、即ち、如何なる反対意見も封じ込める仕組み、この方向へ「生長の家教規」の改訂(改悪)を副総裁就任以来20年の年月を掛けて行なってきた。権力の裏付けをシッカリと構築したのであります。実に緻密な戦略であります。
ロ マサノブ君は、自分の考えを打ち出していくとき、ジワジワと深く静かに進行させるのであります。 つまり、“なし崩し的”に事実を積み上げて行って所期の目的を達成するのであります。上記の“偽経”の“聖経”化のプロセスはその典型事例であります。
ハ 「人のウワサも75日」、これがマサノブ戦略での重要なる柱であります。絶対権力を持つマサノブ君としては、恐れるものは、事故と病気だけであります。そのほかのものは怖いものなしであります。サヨク唯物論者の彼は、“因果律・因果応報”などの心の法則を信じていないことは明瞭であります。だから、常識を無視した数々の非・宗教家の言動が平気で出来るわけであります。どのように批評・批難されようともジッと我慢して一月ほど“犬の遠吠え”として聞き流して行けばよいのであります。
E 今回の『實相』礼拝廃止の「お達し」が、本当にマサノブ君の意向に基づくものであるかどうかは、次の一事に掛かっているのであります。
▼ 『實相』礼拝廃止は、重大なる『生長の家教規』違反である。これを、総裁の知らない所で為されたのであれば、多湖周子・埼玉県教化部長及びイソベ理事長はその重大責任を取るのが当然、更迭! ▼
この処置が為されるかどうか? 為されないならば、マサノブ君の指示に基ずくものと考えられるのであります。事態の動きを注視いたしましょう。 再合掌
( 注:『實相』礼拝の規定は「教規」には決められていないと屁理屈を言う人があると思いますが、どの宗教に於いても、「本尊」礼拝は信徒の自然的行為であります。これを“為さない”という“お達し(指令)”は、「本尊」の無視、信徒としての無礼行為である事は明らかであります。だから、「教規」違反であります。)
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『實相』の書が掲げてあるのは・・・ (2243) |
- 日時:2013年10月11日 (金) 18時15分
名前:薔薇の花
<「光明真成會」掲示板>より、転載させていただきます。
「実相礼拝」を無くしたのは神への反逆者である!!! (1562)
日時:2013年10月11日 (金) 16時55分 名前:白鳩厚子
「神 真理を告げ給う」は神様が神様の口から語られる言葉で書かれた唯一つの聖典である。
全てが神の言葉である。したがって、「実相礼拝」を無くしたのは神への反逆者であると言えるのである。
諸君は“生長の家”の本部講堂や練成道場の講壇の正面に『實相』という大文字が掲げてあることを知っているであろう。あれは“わたし”が掲げるように命じたのである。
なかには、何かあの文字に大なる神秘的霊力があって、あれを礼拝すれば何か功徳があるかのように思って礼拝している人があるが、實相とは“あなた自身の実相”である。あなたの実相は、純粋透明な空気のように肉眼には見えないから、それを思い出して自分の実相を礼拝する機会を大抵の人はもたないのである。
そして肉眼に見える肉体的姿を自分自身だと思いまちがえ、自分自身を物質的存在だと思い間違えないように、『實相』と文字に大書して、自己の“実相”をその文字に移入して礼拝するようにしてあるのである。
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