生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第八話> (204) |
- 日時:2013年02月26日 (火) 08時39分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇
第八話(通算第331) 光明思想家とマルキストとの対話(7)
社会主義か資本主義か生長の家か<その四>
(『解放への二つの道』P.136−139)
客:
こうして生活の楽な人は上役でも月給が少なく、家族の多い人は下役でも生活の立つようにしてある、と云うのは人類は平等に神の子であると云う立場からですか?
主:
人類は本質に於いて、神の生命を宿しているから平等なのです。しかし現象に於いて人類は平等であるとはいえない。生まれた時からすでに能力に於いても、境遇に於いても平等ではない。人類は平等で、経済的に平等にしてやるぞとマルキストは言うかも知れませんが、それは大衆の歓心を得るために、そういう風に宣伝されているだけであって、左翼の人が書いている文献にも、決して共産諸国では人類は平等になっているとは書いていないのであります。
嘗て神山進という共産党の幹部だった人が『評論』という雑誌にソ連の実情を書いていたものでありますが、それにはこう書いてある。「ソ連の男女青年には、あらゆる門戸が解放されるということは、教育だけに限られたことではない。社会生活の全般にわたって、青年にはあらゆる機会が与えられている。ソ連は社会主義国家である。社会主義国家は黴(かび)の生えた因習には捉われない。能力のある者は年齢や男女の区別を無視してどしどし抜擢される。その点でも、我々の場合とは全く対処的だ。
ソ連では頭の禿げた男が上席にひかえている場合には若い者にとって出世の道が閉ざされるというようなことは絶えてない。日本では“年寄りの言うことを良く聞け”という言葉を良く耳にするが、ソ連の合言葉は“若い者の言うことを聞け”というのである。断って置くが、このことは、ソ連が年寄りを粗末にするということではない。問題は能力であって、それ以外には何物もないのである。」これがソ連の実情であって、能力ある者が優遇せられる。
昭和二十九年十一月か十二月かの『文芸春秋』に終戦以来中共に捕らえられておって、中共の重工業の技師をして居った人手、現在東大の教授をしている人が中共事情を書いておりましたが、その中に「自分はそういう工業生産の技師をしておったから、非常に優遇されておった。生産能力の高い者は、中共に於いては、非常にゆうぐうされる。ある考案をして能率を上げ得るというようなものを発明したら、ぐっと地位が上がり、報酬がふえる。こうして、人類をこうふくにする程度が高い者程ゆうぐうを受けるということを、中共における実情として報告していたのです。
だからソ連でも中共でも、高い能力の者も低い能力の者も、皆一緒に裕福にしてやるというような、決してそういう悪平等を説いているのではない。尤も彼らの国は広くて資源がおおいので、働く人が足りないので捕虜でも出来るだけひきとめて働かせるようにした位ですから、働きたい者に働く口がないと云うことはない。これは社会主義国家だからと云う訳ではなく、土地の広さと資源の多さによるのです。
土地の広大と埋蔵資源の多さとによって、これに労働力を加えれば、いくらでも富を生産することが出来る国に於いては働きたければ誰でも職業が与えられるが、日本のように土地が狭くて、埋蔵資源が乏しい国では、労力を加えても富を生産するのに限度がある。しかも割合、埋蔵量のある石炭でも、賃上げ闘争によって、人件費が昂騰し、生産費が増えるので、外国の石炭を買う方が利益になる位だから、その上、ストの影響で国内の石炭の需要が重油に転換したので、石炭の国内需要はない、外国へは売れない――となるとどうすればよいかと云うことになる。ソ連や中共に労働者に都合のよい世界が出来たのは、労働力が足りないからで、日本のように労働力が余っており、一方で賃金を上げれば一方で労働者を首切らねば産業が成り立たぬ世界に於いては、ソ連そのまま、中共そのままのような社会主義国家が出来る素地が備わっていないのだとおもいます。
客:
しかし社会主義国家になったら、そのしわ寄せを労働者に持って行かないで、資本家の収入を減らして労働者を保護します。
主:
資本主義の世界に於いても、社会主義の世界に於いても、能力の高い者が上へ上がる。これは当たり前のことであり、之は資本主義世界だけがそうぢゃない事を貴方も認めるでしょう。ソ連や中共の社会でもそうなんです。
米国で資本家になっている人でもその半分以上は無一物の労働者から立ち上がったひとである。資本主義の世界には「労働者には機会がない」と云うのはウソの宣伝である。能力のある人なら、労働者からでもグングン伸びてゆくことが出来る。吉川英治も小学校しか出ていない。長谷川伸も何処かで丁稚奉公(でっちぼうこう)をしていた。
僕も紡績におりまして、たった日給五十銭、月に僅か十五円の労働者であった。そこに四年か五年おって、やめた時には日給六十二銭になっていた。五年間に十二銭だけ給料があがっていたのです。私はその間にも勉強した。その頃の勉強がついに実って生長の家を創始するようになっているのです。
資本主義の世界に於いても能力を増進しさえすれば機会はいくらでもあるのです。ヘンリー・フォードも無一物の職工から自動車王となったのは自分の能力を磨いたからなんです。
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