生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第四話> (225)
日時:2013年02月27日 (水) 13時46分
名前:信徒連合


生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇




第四話(通算第246話) 「生命(魂)は生き通し」の意味について



『生命の實相』第一巻・総説篇P.5−10

「生長の家七つの光明宣言」の第二番目に“・・・個人に宿る生命も不死なりと信ず”とあります。そして、この“個生命の不死”に関して開祖・谷口雅春先生は次の如く説かれております。

<<・・・われわれの生命が生きとおしであるという意味には二つあります。われわれの生命(たましい)は宇宙の大生命(おやさま)の支流であって、宇宙の大生命(おやさま)に生かされている。さらにもっと適切にいいますれば、宇宙の大生命(おやさま)の流れと一緒になって流れているのであります。それだからその一つの支流(わかれ)であるところの自分の水(生命)が涸(か)れようとも、その水は大生命(おやさま)の大きな流れに注がれて大生命(おやさま)と一緒にいつまでもとうとうと流れているという観方がその一つであります。

 今までの宗教家の説明はこの観方を採用していたのでありまして、多くは死んだのちにおける一人一人の特性ある霊魂の不死を認めないで、全体と一緒になって流れている大生命(おやさま)に帰る意味の不死のみを説いています。そしてその方がいかにも大乗の観方らしく、深い哲人的観察らしく聞こえまして皆様からも歓迎されたのであります。

この観方にもむろん真理はないではありません。「生長の家」におきましても死後ばかりでなく、現在肉体の生きているうちの吾々の生命(たましい)も宇宙の大生命(おやさま)と一緒に流れているのであるから、この大事実を心の底からさとらせて頂くことによってわれわれ個々の生命(たましい)は一層深い生活が出来、安心と自信とをもってその日その日を明るく豊かに経済的にも肉体的にも生き切ることができると信じているのであります。

 しかしわれわれ個々(ひとりひとり)の生命(たましい)が、ただ流るる河の水の上に浮かべる波紋のようなものであって、河の上に浮かんだ波紋が消えたあとには、ほかの波がまた新しく起こるだけで、消えた波紋はもう全然あとかたもなくなると同じように、肉体の死は個性として今までありし一切のすがたを消してしまって何一つ残らないようになるのであるとしますならば、何のために吾々は個性としてこの世に苦しんできたのか、われわれが切実に個性(ひとりひとり)として経験し、切実に個性(ひとりひとり)として苦楚(くるしみ)を嘗(な)め、切実に個性(ひとりひとり)として生長を闘いとって来たところの、その切実な個性感がただの幻影(まぼろし)であってウソであったということになるのでありまして、どうもそれはおのおのの個性(ひとりひとり)として特徴をもっているところの、われわれ生命(たましい)<必然の要求>として不合理であることが直感されるのであります。

 ところが、このわれわれの生命(たましい)の必然の要求として認めねばならない肉体消滅後の個性生命(たましい)の不滅ということが最近しだいに科学的に肯定されつつある「霊界通信」によって明らかになってきたのは喜ばしいことであります。『生命の實相』第五巻(全20巻本)の「霊界と死後の生活篇」に採録してある二つの霊界通信は小説や作り物語ではないのでありまして、最近フランス美術家およびデンマーク戯曲家に起こった「霊界通信」ならびに本部の心霊実験を死後の霊魂実在の実証として掲げたものでありますから、ぜひお目をとおされたいのであります。

『生命の實相』全巻には各冊互いに連絡あり、生命生き通しの真理を各方面から詳論してあるのでありますから、なるべくその全部を熟読されたいのであります。

 このようにして「生長の家」では単に哲学的に肉体死後の生命(たましい)が大生命(おやさま)へ復帰しての不死を理屈づけして考えるだけではなく、霊界通信の<事実によって>「個人に宿る生命(たましい)の不死」をも信ずるのであります。

われわれは生くるも死するも結局は生命(たましい)は滅びないで「無限生長の道」に乗せていただいていますので、各人ひとりひとりの「生命(たましい)」の生長に最もよいときに、それぞれ相応しい苦しみも、悲しみも、病気も肉体の死も、生命創化の法則によってやって来るのでありますから、たとい苦しみが起こって来ましても病気になりましても、肉体が死んで腐ってしまいましても、この肉体にやどっている「生命」は滅んでしまわないで、個々(ひとりひとり)の人格の特性(個性)をそなえたまま、わたしはわたしとして、皆さんは皆さんとして、やはり「無限生長の道」をあゆんで行くことが出来るのであります。

このことが信ぜられればもう苦しみも悲しみも自己の無限生長の資料としていただいた皆ありがたい修行であると合掌して受け取らしていただき、感謝感謝で暮らす事ができるようになるのであります。>>



『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻のカバー見開き

<<死とは何か、死んでから人間はどうなるのか、唯物論者のいうように、ただ単なる「灰」になってしまうのだろうか。もしそうであるならば、そこからは何の創造も生まれず、希望も生き甲斐も無い無軌道な生活があるだけです。「心霊科学」と聞くと、すぐインチキと決め付ける人が多いが、中には生命の永遠の不死を説いた秀(すぐ)れた学説と例証もあるのです。>>



『生命の實相』第10巻・霊界篇下巻P.119−120

<<「生長の家」で常に説いているところの一つの根本思想は、人間は心であって肉体ではないということであります。普通、生理学や医学などでは、脳髄という構造をもった肉体がまずあって、その脳髄という物質が考える――だから脳髄という物質がなくなってしまったら考えることができないとし、この考える本体を「我」といっているのでありますから、脳髄そのものが考えるというふうな学説をもっていられる人には、「我」すなわち「自我」とは脳髄のことであると、こういうふうな考えなのであります。

それで、吾々がいわゆる死んで、肉体というものが崩壊し脳髄も崩壊したのちは、この「我」と意識している本体も崩壊してしまって、あとには「我」というものは何も残らなくなる、「死んだらお終いだから、生きているうちにしたい三昧(ざんまい)をしておけ」というような、デカダントな思想はそんな唯物論的生命観から出て来るのであります。

 ところが「人間」は肉体が死んで脳髄が崩壊したのちも、やはり生き通している。それは盃の水を大海の中に注いだように大生命に帰一して、普遍我と一如になって生き通しているというような意味以外に、人間の個性生命も個性生命のままで生き通しているのであります。そしてその肉体滅後の個性生命(霊魂)の生活、すなわち霊界の生活というものはどんな状態であるかといいますと、霊界も現界と同様に自己の「念」の投影せる世界であります・・・「類は類を呼ぶ」法則によって集まっている・・・>>




<注・コメント>

このように、開祖・谷口雅春先生のお説きになるところは実に明快であります。現代日本に於いては戦後の唯物論万能の教育によって、人間は死ねば何も残らず、すべて終わりと思っている人々が大多数であります。しかし、死後の霊魂の存在を信じている人々も信仰を持って生活してきた人の中には大勢おられます。キリスト教の人達は、死ねばいっさいの罪が赦(ゆる)されて天国へ登り、イエス・キリストの再臨の時まで静かに眠る。浄土真宗の人達は臨終の一念で西方の阿弥陀如来の極楽浄土へ行き、そこでこれまた阿弥陀様の慈悲に包まれて静かに暮らす(筆者の身近な信者の話)とのことであります。


しかし、科学的合理主義の教育を受けた人には、このような信仰者の死後の状態は論理的合理性に欠けているために受け容れがたいのであります。この点に於いて『生長の家』の説明は、極めて論理的で矛盾がないのであります。すなわち・・・

(1)三次元現象世界という地上人生学校を卒業した本当の「我」である「霊魂」は、肉体という地上人生学校の制服を脱ぎ、地上人生学校の成績に応じた四次元の霊界へ進級する。そして、そこでより上級の次なる霊魂進化の課程のクラス(霊圏)へ入学するのであります。そこで一定期間の霊魂進化の課程を終えると、次なる霊魂進化の課程(輪廻転生)へ入って行く。かくして霊魂としての自分は完全な實相顕現を目指して歓喜のうちに無限の進化を遂げて行くのであります。

(2)三次元現象世界と同じく、四次元霊界も心の法則(想念実現の法則)と因果律(原因結果の法則)と類友親和(類は類を呼ぶ)の法則が作用している所であります。どのような霊圏へ行くかは霊魂の想念の内容(価値観)で決まるのであります。何時、如何なる場所でも自分自身が主人公であって最終決定権を持っているのであります。

スピリチュアリズム(心霊主義)の宗教や教化団体では以上のような説明をされています。しかし、在来の宗教界では現代教育を受けた人に対してこのようには説いておらないのであります。然し、生長の家の開祖・谷口雅春先生は御自身の大悟徹底のお悟りの上に立ってすべてを消化吸収(止揚・昇華)されて現代教育を受けた人に対しても論理的に理解できるように難しい宇宙の真理・法則を諄々と言葉の力を駆使して説かれているのであります。






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