生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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無表情・無感動・能面マサノブ君の新年挨拶 (2838) |
- 日時:2014年01月01日 (水) 12時47分
名前:画龍点睛
合掌、明けましておめでとうございます。今年こそ「正統・生長の家」復活実現の年と定め、同志の皆様とともに、精一杯頑張って参りたいと存じております。宜しくお願い申し上げます。
さて、マサノブ君は新年の午前0時発信と言う、いかにももったいぶったビデオ・メッセージを全世界の信徒向けに放映しましたが、評価点は、完全に0点でありました。
彼の新年挨拶は、5分と少々の短いもので、その要旨を箇条書きに纏めてみますと、――
* タイトルは、「自然と共に幸福を実現しよう」
* 八ヶ岳南麓の地は、自然と人間の原始的関係の姿を残してくれている恵みの倉庫
* 日本人は古来、自然と共に生活し続けて来たが、明治以降は近代化の先頭に立って大規模な自然破壊を進めてきた。
* これからの時代は、自然を破壊せずに、自然と共に繁栄し成長する生き方へ転換していかなければならない。
* と言っても、自給自足の縄文時代に戻るとか、物質的禁欲生活を送るということではない。
* 近代科学の環境技術を導入し、CO2を排出しない自然エネルギー中心の生活をめざす。
* 人間は自然の一部と自覚し、森の中でキノコを採り、森を整備し、川のせせらぎの音に耳を傾け、鹿の走る姿をながめ、木々の紅葉の風景に呑まれる、これは豪華な絵巻物である。この様な自然の中で暮らせる私と職員たちは幸せである。
* 自然は無償で色々なものを提供してくれている。天地一切のものと和解して幸福を実現すること、天地一切のものの中には当然、自然が含まれている。これが生長の家の教えの基本である。
* 家庭生活、社会生活両面に亘って自然と共に伸びる、対立せず調和している實相を伝えてください。
(なお、挨拶するマサノブ君の背景は「實相額」ではなく、雪の積もった雑木林、最後の生長の家マークは「光臨まんじ十字架の聖旗」ではなく、マサノブ君発案のシンボルマークである「地球に平和の鳩」でありました。)
<感想>
@ 先ず、最初に感じたことは、「森のオフィス」落慶式の表情よりも一段と憔悴した感じの顔つきでありました。“激ヤセ”と云った感じで、前から見た首の部分の皺が目立ち、生気の全く感じない顔の輪郭の骨ばった容貌で黒縁の老眼鏡も、その病人とも見える生気なき老いの顔を隠す為のものであると感じたのであります。
A 本人は至って厳粛に話しているようですが、無表情で氷のように冷たく、能面の様な顔で話し、話す側も聞く側も、新年を迎えた喜びのない無感動そのものでした。象牙の塔に引き籠もり(“ヒキコ森”)現実離れした机上の空論を語る初老の大学教授と云ったところでした。全く面白くないと云うのがわたしの家族全員の感想でした。
B 話の内容も、“自然・自然・自然・・・」と自然のことばかり。宗教や信仰面からの話は一切なし。「マサノブ教」は最早宗教団体ではない、マサノブ君は宗教の世界・信仰の世界から完全に足を洗ったことが又もやはっきりとわかったのでした。
C 私の家内と孫の大学生の感想を聞いてみても、「此の人、頭がおかしいいんじゃない? 此の人の言う自然と共にする生活なんて、よっぽどのお金持ちでしか出来ない生活よ! 戦後教育を受けた若い人たちの中にはこの様な自然の中で生活する事をすばらしいと思う人もあるかもしれない。しかし、自分のお金だけではそれは不可能。結局、此の人(マサノブ君)はきれいごとを並べてはいるが、毎日の生活の糧を自力で稼いでいる一般人から見れば、斯くあって欲しいとは思うが現実的ではない、お金持ちの道楽遊び!」というのが共通の評価でした。
D マサノブ君は、一般庶民が森の中へ移住して自然の中で生きる生活を如何にして可能ならしめるか? その実現可能な具体的な経済的処方箋を示さなければ、単なる“セレブ道楽”との酷評を免れることは出来ない。マサノブ君はこの処方箋は絶対的に示すことが出来ない。ということはマサノブ流の「自然との共生思想」はすでに破綻していると云うことであります。
E このように、マサノブ君は自ら宗教と信仰の世界から足を洗ったにもかかわらず、『生長の家』という看版だけは「金の成る樹・打出の小槌」と認めて一生放すまいと必死である。“都会の欲望生活を放つんだ、それが本来の人間の生き方だ”と幾らきれいごとを並べ立てても、マサノブ君の心は飽くなき金銭欲でみたされたまま、そうではないのかね? マサノブ君!
F 最後にマサノブ君は真赤なウソをついている。「自然との共生生活のモデル作りである“森のオフィス”を多くの信徒の皆様が支持してくれたことを感謝します」と云っているが、この言葉は真赤なウソであります。マサノブ君は150億円の「森のオフィス」建設に関して、信徒全体の意見を聞いたこと、教団内公聴会は開いたことはありません。独裁権力で自分で決めて実行したのです。しかし、形だけは整えたのです。全国都道府県の教化部長=信徒代表だとの手前勝手な独断的解釈のもとで、教化部長会議で特段の反対意見が出なかったとして全信徒が支持したと、まことに手前勝手な解釈をしているだけであります。
G この様な、開祖反逆・信徒欺瞞の気持を抱かえながらのマサノブ君の新年挨拶、彼の内心はこの良心の呵責に苛(さいな)まれているからこそ、無表情、無感動、喜びの表情無き顔、それを隠す為の黒縁めがね・・・マサノブ君の今回の顔も人間の顔ではありません!(やはり、悪霊の憑依顔?)マサノブ君よ! 今年は、君の神性隠蔽を剝ぎ落とす年となるよう<総裁辞去・大政奉還・看板返却・教団退去>を宣言する事を躊躇すべきではありません。ニセ物のマサノブを消して本物のマサノブを顕現し、心身共に健やかに伸び伸びと老後を送ることですよ。老婆心ながら君へ贈る新年の言葉です。 再合掌
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